私は「党に敵対し、攻撃する」人間だったのか?

(以下は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)

 

 前の記事でお伝えしましたが、日本共産党福岡県指導部は、私を「党に敵対し、攻撃する」と非難しています。このことについての基本点は、すでに8月20日付のブログ記事で私は反論していますが、ここでは別の角度からお伝えします。

 

 党県指導部は、私が「党に敵対し、攻撃する」人間だというのです。

 この問題が起きる前はもとより、この問題が起きてから、私が党県指導部からひどいいじめを受けながら、私がどう活動してきたか。そのことを身近でちゃんと観察すれば、そんなことをおよそ言うことができないと思います。

 以下は、私が党県常任委員会に返答した2024年7月12日付書状に書いたことです(一部わかりやすく改行・強調・補足などの修正をしています)。

 

(4)規約を守って誠実に活動している姿を正しく評価せよ

 私が昨年〔2023年〕3月に「重大な規律違反を犯した」と不当な嫌疑をかけられてからも、なぜかあなた方〔党県指導部〕は人事権がありながらそのような疑惑の人物〔私=神谷〕を外さず、そのまま県の政策論戦部長・自治体部長として働かせ続けました。

 

 私はその際にも綱領と規約を守り、大会決定にそった実践の先頭に立ってきました。徹夜でビラを十数種類も作るなど、私は統一地方選挙を担当部署で責任を持って闘いました。県委員会の選挙総括でもその点に何も問題は指摘されていません。

 

 統一地方選後に私はあなた方から不当な査問、ハラスメントを受け、精神疾患を患い、二度も休職に追い込まれました。しかし私はそのことを党外に持ち出して訴えたり、党を攻撃したりすることはせず、内部で粘り強く解決を目指しました。

 

 1回目の公式調査(昨年〔2023年〕7月11日、県委員会新館)の場において、私はハラスメントを受けていることを正式に表明し、あなた方は「必ず伝える」(党県副委員長)と言明したにも関わらず、ハラスメントについて聞き取りなどの解決の手立てを一切打とうとしませんでした。1回目の公式調査後もハラスメントは続きました。しかし、私は粘り強く解決を求めて内部で訴え続けました。

 

 昨年〔2023年〕12月に党福岡市議団の事務局に復帰してからも、私は市議団の職務を真面目につとめ、党攻撃などは一切行いませんでした。

 

 それどころか、

——市側の経済効果試算の虚構を暴いたり、

——防災問題での市議団提言の素案を起草したり、

——質問準備がうまく進まない議員の原稿作成を徹夜で援助したり、

——箱崎跡地開発での巨大アリーナのモデルを突き止めるなど質問材料を必死で探したり、

——膨大な情報公開を独自に行って市長が起点となって「一時預かり」事業をごり押しした文書上の証拠を突き止めたり、

——市基本計画の素案に対する16ページに及ぶ市議団の提言案を起草したりしました。

 

 これらは市議団の議会活動の根幹をなすものであり、団活動を最も献身的に支えた一人であったと自負しています。

 

 加えて、私は豪雨の日も厳寒の雪の日も午前1時に起床して地元で日刊の「しんぶん赤旗」を配達し、また、地域の数百戸分のビラ配りを担うとともに、党後援会員の中から私が「しんぶん赤旗」拡大の声かけをできそうな人のリストアップをしてもらうように地元党員・支部にお願いして、歓迎されています。

 

 常識的に考えて、「党を攻撃」したり、「敵対」したりしようと企てる人間がこのような献身を行うでしょうか?

 

 私は昨年〔2023年〕3月の、ことの発端から現在に至るまで規約を守り誠実に活動しています。

 

 他方、あなた方は、私が県役員ではなくなった今年〔2024年〕2月以降の所属などを私の再三の求めにも関わらず、全く明らかにせず、私が党員として活動する権利や私の心身の健康状態や心情をないがしろにする態度に終始しました。今年〔2024年〕2月から現在(〔2024年〕7月)までの期間、私は党生活をどこでも送れない状態になったのです。それでも私は粘り強く内部での解決に訴え続けました。

 

 私が綱領と規約を守るとともに、大会決定を実践し、いかにハラスメントを私に行った三役が中心で起草した総合計画であっても、一旦決まればその実現に力を合わせることを繰り返し表明してきました。

 

 また、第2回公式調査〔2023年12月7日〕でも表明した通り、私のブログ記事が規約に違反するものであることが正式に決まれば、その解釈が私の思いと違ってもその解釈に従うこと、規約違反規定や自己批判を強要せず「ブログ記事を削除せよ」というシンプルな決定だけをしてくれればそれ以前にも削除することなども明らかにしてきました。

 

 しかし、縷々述べてきた通り、現在〔2024年7月12日〕に至るまであなた方はあなた方の都合で「調査審議」を続けており、私のブログ記事や行為が規約違反かどうかは最終的に決着がついておりません。だからこそ、私は私の規約解釈が正しいことを信じてその最終の決着の場まで自分の信念を貫くつもりでいるのです。それは規約の範囲内での正当な行為であると考えております。

那珂川を遡上するエイ(河口から3kmほどの地点)

 先ほど私は「この問題が起きる前はもとより、この問題が起きてから、私が党県指導部からひどいいじめを受けながら、私がどう活動してきたか。そのことを身近でちゃんと観察すれば、そんなことをおよそ言うことができないと思います」と書きました。

 そうです。身近で私を見ている人ならそんなことは言えないのです。

 だから共産党の規約では、処分をするときは、例えば私のことを見たこともないような中央の規律委員会が私の処分を決めるのではなく、その人を身近で見てきた所属組織のメンバー(例えば支部の人たち。例えば県委員会の県委員・准県委員たち)が処分していいかどうか、処分の重さはどうかを決めることになっているのです。

 ところが、私の場合は、そういう手続きが一切カットされました。

  • 県委員を降ろされたあとの半年、私の所属組織も決めない。私に告げない。
  • 私への1年半にわたる「調査」の結果も、私の所属組織メンバーに伝えられない。
  • 規約55条に基づく「十分意見表明する機会」を全く与えない。
  • したがって所属組織の構成員が処分決定に意思表示(採決に参加)する機会は一切ない。

 身近で私の活動を見てきた人たちは、この追放の決定に何も意見を言う機会を正式に与えられないまま、党幹部だけで秘密裏に私の追放と解雇を決めて「おしまい」です。*1

 党幹部は規約の精神を理解していないのではないでしょうか。

 いや、それ以前に、どこかの誰かに言われたことではなく、目の前にいて、長年一緒に活動をしてきた、私という人間を曇りのない目で見てほしいのです。

 

*1:「県党会議などで神谷は意見を表明する機会があったのでは?」という人がいるかもしれませんのであらかじめ言っておきますが、私への「調査審議」は私が除籍・解雇されるまでずっと続いており、結果が出ていませんでした。したがって、その途中で開かれた各種の会議で議題にできるはずもありませんし、意見表明できるはずもありません。裁判のたとえを使えば、警察や検察がまだ捜査しているのに、裁判を始めたり、弁論したりできるわけがないのです。実際に、私の“罪状”の中に突如として「党に敵対し、攻撃する」という文言が入ったのは、除籍直前の2024年6月26日の党県常任委員会決定(書状)からなのです。それまでにはそうした文言は一切なかったので、その前の会議で私が何か「意見表明」などできないことがお分かりいただけると思います。また、最後に私が党幹部と行った「協議」は規約55条に基づく「意見表明」ではありません。