『スターリンの葬送狂騒曲』を思い出した綱領改定案の導出プロセス

 日本共産党が27年1月予定の第30回党大会に向けた議案を発表し、その中で党綱領の一部改定案を出しています。

 そのことについて私の考えを述べます。

www.jcp.or.jp

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 結論から言えば、「そんなことやっている場合ですか」ということです。これは前にも述べましたね。

 

 今度の大会の中心テーマが綱領を最良のものに仕上げるということだそうです。

 目と耳を疑いました。

 組織改革じゃないんですか?

 共産党は選挙のたびに大敗し、党勢が加速度的に衰退し、現場ではすごい勢いで高齢化と後継者不足による逼迫・悲鳴が起きており、むしろ新しい党組織論——組織改革の抜本方針を出さないといけない中で、その最大の矛盾と困難には何ら答えを出さずに、全くあさってのことをやっているというのが私の率直の感想です。

 「その時々の歴史の中で最も喫緊で焦眉の問題にどう答えるかを示す」——それが歴史法則をつかみ「歴史の根本問題に応える」とする共産主義者としての分析力であり、政治任務のはずなのですが、その焦眉の課題から目を背けているのです。

 綱領の改定が喫緊の課題となるような瞬間とは、例えば戦後の米国の占領支配とその終結の評価がうまくできず、武力革命につながる「綱領」*1をつくってしまい、国会(衆議院)の議席を35から0にして、党組織も壊滅的な打撃を受けた時に、綱領(革命戦略)を根本から見直す必要に迫られたような、そんな場合でしょう。

 もし今の党幹部が、「今の議席激減と党勢衰退は、綱領(革命戦略)の誤りに原因がある」と密かに思っているのならここに力を注ぐのもうなずけますが、さすがにそうではありますまい。

 「基本的にこれでいいけど、より良いものにする」という以上のことはないはずです。なら「いま急いでやること」ではないでしょう。

 百歩譲って、抜本的な組織改革の方針が出て、その上で、あわせて党綱領の改定をしようとしているならまだいいと思いますが、前者をしないまま、後者に熱中しているのでは、本来やるべきことに目を瞑り、優先順位の極めて低いものに資源を集中させているとしか思えません。

 はっきり言えば、それは引退間近の誰かさんのレガシーづくりのためだけでしかなく、そのために、全党が付き合わされているだけではないのでしょうか。 

 

不破哲三氏とのプラベートなやりとりを中央決定にする意味は?

 志位和夫議長は、綱領改定案の報告の中で、現在の綱領の起草者が不破哲三氏であったことをわざわざ明かした上で、不破氏とのプライベートな会話をれいれいしく持ち出して

私は、今回の綱領一部改定案は、不破前議長も存命ならば歓迎してくれる内容となったと考えるものであります。

https://www.jcp.or.jp/report/19813/

などと述べています。

 死人に口無し。

 死んだ不破氏が、今泣いたか笑ったかわかるわけがありません。不破氏が「 人は死ぬと無となる」という唯物論的信念を繰り返し表明していたことを志位氏は百も承知で、こんな大川隆法のようなことを熱弁しているのです。

 綱領は全党で練り上げたもののはずです。

 起草者が喜ぼうが悲しもうが、どうでもいいことではありませんか。起草者が泣き喚いても、全党が「ヨシ!」といえばいいのだし、逆に起草者が太鼓判を押しても全党が「あかんわこれは」と言えばダメなのです。

 綱領は党幹部の「私物」ではありません。

 全党の財産であり、全党が著作者です。私もその一人です。

 「私物」だと思うから、こんなどうでもいい「秘話」を紹介して悦に入ることができるのではないでしょうか。

 呆れたのは、“嘘じゃない。立会人もいてその議事録まであるんだぜ”と言い訳がましく述べていることです。

この大会で不破さんは中央役員を退任されるということもあり、最後にいろいろな問題を話し合っておきたいと考え、こういう会談をもちました。山口富男社会科学研究所副所長(当時)が同席し、詳細な記録をとってくれました。

https://www.jcp.or.jp/report/19813/

 「志位は、不破の生前は邪魔されるので何も言えなかったが、不破が死んだ途端に、不破が書いた綱領を自分色に書き換えてしまった」と言われないためなのかもしれません。そう言われたって、いいではないですか。決めるのは全党なんですから。こんなプロセスを書くだけ、「私物」感がいや増すだけです。

 別に見たところでそれが何かを証明するのか知りませんが、「詳細な記録」がそんなに共産党にとって大事なものなら、それが捏造したものではないという証明とともに、「しんぶん赤旗」で公表してくれませんか? 密室での協議がどんなものだったか、知的な好奇心としてはぜひ見てみたい気がします。

 

 正直なところ、第29回党大会(前回大会。24年1月)が終わったばかりの伊豆学習会館(大会会場)で、志位氏がわざわざ時間をとって不破氏に会い、「この綱領、ダメな部分がメッチャ入っとるで。変えるべきやわ」と思っていて、不破氏にそれを告げたのなら、なんで今の今まで開かれていた大会(29大会)で言わなかったんですか? それは不破氏に反論されたら、反論できないな〜とビビったからではないのですか?

 ちなみに、この記述を見ても、不破氏は志位氏の改定の方向に承認を与えたのかどうかはよくわかりません。不破氏は「私は引退するので、口を出しません。あとは新しい指導部でよくよく考えて決めてください」という趣旨のこと以上を言っていないと思います。

 

 どのみち、私は、個人回想録ではなく共産党の公式決定の中でこのやりとりを読んで*2、私は「スターリンの葬送狂騒曲」を思い出しました。

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 「不破氏の衣鉢を継ぐのは誰か」という、およそ近代政党とは無縁の、あたかもレーニンやスターリンが死んだ時に「誰が棺を担いだか」「そこにトロツキーはいたのか」「ベリヤはどうか」のような、どうでもいい話なのです。

www.meisterdrucke.jp

 志位氏が不破氏と何を話したかとか、議事録があるとかないとか、死んだ不破氏も大喜びでげすなとか、そんなこと、大会とは何の関係もないはずです。誰か個人の業績作りとか、「誰かさんは不破の後継者だ」という宣伝には関係しているでしょうが。

 この綱領改定案が「旧ソ連流のゆがんだ解釈から全面的に解放」(30大会決議案)すると豪語しながら、やっていることは、旧ソ連そのものというのは、何とも皮肉な話です。

 

党建設の理論を「低く見る傾向」があるのでは?

 再度、党組織の抜本改革に着手しなかった問題に戻ります。 

 レガシーを作りたいなら、不破指導部のもとでも成功しなかった「党建設・党組織」論を練り上げるべきだったでしょう。新しい方向に挑めるなら、それは勇敢な挑戦であり、たとえ失敗したとしても後世からその勇気を賞賛されたに違いありません。

 しかし、そこには挑まず、未来社会がうんぬんという綱領改定案作りにエネルギーを割いてしまったのです。*3

 

 「いや、革命運動には革命的な理論が必要なのだ。だから組織改革の前に綱領改定が必要なのだ」と党幹部は言い訳するかもしれません。

 実際大会決議案には

社会発展の法則をとらえた理論なしに党をつくることはできない。

として

いま、全党は、改定綱領(案)という、党建設をすすめるうえでまったく新しい条件を手にしている。

と書いています。

 しかし、ここで市田忠義副委員長にご登場願いましょう。

 市田氏は、自著『日本共産党の規約と党建設教室』の中でこう述べておられます。

科学的社会主義というと、哲学や経済学、歴史、未来社会論、あるいは綱領が中心で、党建設の理論を低く見る傾向がありますが、党建設の理論と実践は、科学的社会主義の学説のもっとも主要な要の一つをなしています。すなわち、強大な日本共産党をつくりあげることを抜きにしては、科学的社会主義の学説の革命性が失われると言っても過言でないほど、重要な、中心をなす問題です。(市田p.43)

 この見地は、不破氏も重視してきたところで、

科学的社会主義の理論とは、何よりもまず、変革の立場で世界を認識し、考察する立場です。ですから、その理論では、哲学、経済学、社会主義論などとならんで、革命論(階級闘争の戦略・戦術)が、全体の一つの柱をなす重要な構成部分となっています。(不破『マルクス、エンゲルス革命論研究』p.8)

革命論はマルクス、エンゲルスの理論全体の要(不破『古典教室 第3巻』p.10)

と繰り返し述べています。

 結局今の党幹部の中に「党建設の理論を低く見る傾向」が抜き難くあるのではないかと思います。

 私は時々この比喩を使いますが、哲学、経済学、社会主義論はいわば自然科学では物理学といった基礎科学のようなもので、例えば太陽からは熱や光の形でエネルギーが地球に与えられていることを解明するものにあたるでしょう。これに対し、党建設や組織論などは工学のような応用科学にあたるもので、そうしたエネルギーを実際にどうやったら汲み出せるのかを生み出す技術的な科学です。

 どちらも科学的な視点がないとうまくいきません。

 「原子の一つ一つには、巨大な爆弾に匹敵するエネルギーがあるんだ!」と1000000回繰り返したところで、それを取り出す技術がなければ何の意味もないのと同じです。

 

 今求められているのは、そのような組織改革の方向性と、それを実現する段取りをつけることです。それを明らかにすることが、共産主義政党の幹部の使命ではないでしょうか。

 

 そのことを踏まえた上でですが、今回綱領の一部改定案については、これ自体は改善点が多くあると思います。

 ただし、中心となっている社会主義・共産主義の記述の部分は、後で述べ゙るように、微妙に悪くなっていると思います。

 そして大事なことなので明記しておきます。

 仮にこのまま採択されたとしても、私が裁判に勝って党に戻った時、この改定綱領に従って党活動を行います。全体として微妙に悪くなっているのですが、「とてもこんな綱領を認めるわけにはいかない」というほどのものではないからです。自分の考えと合わない部分があっても、それは留保して「綱領を認める」ことは変わりありません。(この点では、2004年綱領に対し、組織のトップでありながら、実はかなりの期間、不確信を抱いていた志位氏が、それを押し殺して活動していた姿勢に学びたいと思います。)

 本文は以上です。

 決議案の問題点は別の機会に書きます。

私が綱領改定案の中で問題だと感じたこと

 さて綱領改定案の中で、私が問題だと感じたことを書いておきます。

 いろいろありますが、一つだけ。

 それは大幅に書き換えられた、社会主義・共産主義の部分です。

 今の綱領では、生産手段の社会化によって生まれる「効能」が3点書かれています((一六)の3〜5段落)。

 私はこの部分を使って「社会主義になったらどうなるの? どんないいことがあるの」という疑問に答え、経済では引き続き利潤追求はするが、それが目的ではなくなり、社会のために経済を使うようになると総括的に述べた上で、次の3点をそこから抜粋し、それをわかりやすい形にして答えていました。

  1. 「すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくす」→すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する。
  2. 「労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす」→時短が進み、自由時間が増え、いろんな才能が開花する。
  3. 「環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする」→経済の規制やコントロールで気候危機などの環境破壊を食い止められる。

 ところが改定案では

生産手段の社会化によって、人間は、搾取から自由になり、貧困や格差から自由になり、労働は本来の人間的性格を回復する。経済の計画的な運営が可能となり、くりかえしの不況や恐慌から自由になり、環境破壊から自由になる。

という大変抽象的な書き方に変えられてしまっています。

 もちろん、中身がなくなってしまったわけではありません。しかし、「貧困や格差から自由になり」というような言い方は、あまりにも先の、あまりにも抽象的な響きで聞こえないでしょうか?

 綱領改定の志位報告を読むとわかりますが、全てを「自由」からとらえるように書き直し、その中でも時短が生み出す自由時間によって人間の全面発達が行われることを、社会主義の目的の中心に据えるべきだという位置付けをしなおしたためにこのような書き換えが行われることになったです。とにかく「自由」。社会主義について書いている16章では6つしかなかった「自由」という言葉が、16個に3倍増!! 大サービスですね。

 経済が利潤第一でなく国民の生活や社会のために役立つようにコントロールできる段階を「必然性の国(段階)」として、これはまだ本来の社会主義ではないと考えるわけです。そして、それが実現して、時短が飛躍的に進むと、自由時間の増大による人間の全面発達によって人間と社会が解放され根本的な自由が得られるとするのを「真の自由の国(段階)」として社会主義の中心目的に位置付けようとした結果なわけです。*4

 私は、この方向自体は間違いとは思いません。

 しかし、多くの国民は、まず「必然性の国(段階)」を待ち望んでいるのです。

 つまり、「生活を向上させ健康で文化的な最低限度の生活を誰でもできるようにしてほしい」「気候危機やAIの危険を経済の規制でコントロールしてほしい」というわけです。もちろん時短はその中の一つです。

 まず暮らしを何とかしてくれ、経済を良くしてくれ、ということです。貧困をなくしてほしい。人間らしい暮らしをさせてほしい、ということです。

 アメリカで躍進する民主的社会主義の大義も含め、物価高騰や巨大テックの横暴に苦しむ多くの人たちは、そこに社会主義の希望を見出しているのではないでしょうか?

 斎藤幸平氏が『人新世の「黙示録」』を出して、「コモン」を軸にしたコミュニズムの理想を掲げるのを棚上げして、「暗黒社会主義」の名の下に「エコロジー独裁」での「計画経済」を強調し出したこと、あるいは共産党系の理論家である友寄英隆氏が『日本経済 再生への道 「新自由主義」から脱却する「経済計画」』を近著で出し、「経済計画」を強調しているのは、このような国民の要求に沿ったものだと言えます。

www.shueisha.co.jp

www.shinnihon-net.co.jp

 ところが、志位氏が主導した綱領改定案は、逆にそこから遠ざかった社会主義の強調になってしまったのです。

 もちろん、先ほど述べたように、それが「間違い」とまでは言いません。なので反対するまではしませんが、どうも逆だな、良くなったか悪くなったかといえば悪くなったかな、国民の要望や気持ちに沿っていないな、と思うしかありませんでした。

*1:現在の共産党は公式にはこれを綱領と認めていないのですが。

*2:組織の中央決定ではなく、個人の回顧録や個人の著作でそういう思い出披露とか遊びや比喩表現をするのは全く構わないと思います。

*3:組織改革だけの話ではありません。当面の政治方針にしても失望された人は少なくないでしょう。立憲民主と中道改革がガタガタとなり、 れいわも崩壊する中で、左派・リベラルの変わらぬ旗手として共産党の役割を光らせることができるはずですが、(綱領改定案ではなく)「決議案」の方は、野党を再結集するような方向性も、共産党自体が浮かび上がる方向性も見出せないものになっています。まあこの問題はここでは論じません。

*4:志位氏は現行の部分を否定するために「『生産手段の社会化』を前提として、そこから社会と人間の変化が演繹的に導かれるという叙述になっています」と説明しているのですが、率直に言って何を言っているのかよくわからない部分です。生産手段の社会化をしたらそれをもとに人間が変わるのは当たり前ではないでしょうか。そういう変化を「演繹的」とは言いません。逆に全てを「自由」の原則で無理に説明しようとして何でもかんでも「自由」に結びつけてしまうようなやり方こそ「演繹的」というのではないでしょうか。

日本共産党第30回党大会決議案への「最小限の3つの意見」を具体化する

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方はこちらを先にお読みください。)

 

 日本共産党第30回党大会決議案が発表されました。

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 党幹部の不当な解雇・除籍を撤回させ、パワハラを賠償させて党に戻ろうと思っている私としては、戻った時にどのような方針・綱領のもとで実践をしなければならないのか、無関心ではいられません。

 全体の話は別の機会に書くとして、ここでは、緊急に決議案に反映させるべき3点についてのみ述べておきます。

 その概略はすでに述べていますが、今回少しだけ立ち入って具体化します。 

 まず、党幹部が起こした不当な解雇・除籍を撤回させ、パワハラを賠償することです。これは今回立ち入りません。

 その上で3点。

  1. 異論排除の非民主的体質をやめよ
  2. 党職員を労働者であるときちんと宣言して制度を整備せよ
  3. 人権侵害は外部に訴えることを認めよ

北九州市の公園からの眺め(2026年10月神谷撮影)



「1. 異論排除の非民主的体質をやめよ」とは「カジュアル除名の規約運用をやめよ」ということ

 まず「1. 異論排除の非民主的体質をやめよ」ですが、これは具体的には、「カジュアル除名の規約運用をやめよ」ということです。

 私もそうでしたが、私以後もたくさんの方が、規約上の正規の認定手続きを経ずに「規約違反」だと幹部から一方的に決めつけられ、規約上そのように使ってはならない「除籍」の条項を使って、追放されていきました。

 「除名」手続きは厳重で面倒なために、それを省略し、簡単に幹部の一存で追放できる「除籍」条項が、元の規約の条文を離れて乱用されているのです。私はこれを「カジュアル除名」と呼んでいます。

www.ben54.jp

 私の裁判ではこの問題を詳しく解明しました。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 除籍は入党後に国籍・年齢が該当しないことがわかった場合や明示的に「綱領・規約を認めない」と表明した場合に限定すべきで、規約違反容疑に対しては、規約上の正式な認定と処分の手続きによって(無実・処分をしない注意・)警告・権利停止・機関罷免・除名に処すべきだということです。そうしないと党幹部の勝手な思惑だけで自由に追放ができることになってしまい、実際にそうなっているからです。

 この間除籍されたほとんどの人は、この処分手続きを「省略」されています。規約上は、違反の認定と処分は、支部員や県委員が総会で採択によって決めねばならないはずなのに、それをやっていないのです。「三役が違反だと言ったのでヨシ!」というわけです。あまりに不正常というべきでしょう。

 「規約に明示されている通りに運用してほしい」というごく控えめな要求にすぎません。

 党幹部は「規約を守る気がなく反省もない奴を党に置いておけない」というかもしれませんが、そうであるなら、たとえば「1年以内に3回規約違反行為を行なったものは除名*1」というような明示的な細則を設けて公表すべきだと思います。

 

左翼党やDSAにならい党職員は労働者と宣言せよ

 二つ目は共産党職員は労働者であることを内外にきちんと宣言することです。

 特別なことではなく、すでに裁判で共産党幹部自身が私の主張を認諾して認めざるを得なくなったわけで*2、それを内外に公式に宣言するだけのことです。

 その際に、職業的革命家であるという特殊性を加味した理論武装をすることもありうるかもしれません(むしろそれが党幹部の本来の仕事)。今のように、内側には「お前らは労働者ではない!」と労働者(党職員)を黙らせ、外側(労基署・裁判所)には「へえ、労働者でごぜえます」とへつらうような破綻したやり方は改めるべきです。

 労働者を「労働者ではない」と言い張り、まともに扱わない態度は、社会から、とりわけ若い世代からコンプライアンスの姿勢を疑われることになります。

 また、党を改革する場合のコストをどれくらいと見積もるかと考える際にも、残業代や労働時間などを適正に計算しないと、大きな失敗をすることになります。

 

 30大会決議案では、米国のDSA(民主的社会主義者)やドイツ左翼党に連帯し、学ぶことが強調されました。

 私はドイツ語や英語に疎いものですから、詳しい事情はわかりませんし、真偽は確認しておりませんが、生成AIに聞いたところ、次のような結果をえました。

「ドイツ左翼党の党職員は労働者として扱われていますか?」(Gemini) 

「アメリカのDSAの職員は労働者として扱われていますか?」(Chat-GPT )

 要は、DSAも左翼党も、基本的に党職員を労働者として扱っているということです。「マルクスの思想と理論はインターナショナルな力を持っており、また、本来、科学的社会主義の事業は、インターナショナルに発展させるべきものである。国際的な理論交流を強めることは、わが党の理論を豊かにし、日本の社会変革の事業の前進の力となるとともに、世界の運動への貢献にもなりうるものであり、さらに発展させていく」(大会決議案)というのであれば、こうした点に学ぶことも必要ではないでしょうか。

 

「3. 人権侵害は外部に訴えることを認めよ」の具体的提案=ADRの活用など

 党幹部は「党内問題は内部で解決する」という規約を悪用し、ハラスメントや解雇などの人権侵害の声を上げた人までを次々追放しています。自分たちの都合の悪いことを隠そうとするからです。

ハラスメントへの対応について、法律で事業主に対して、相談窓口を設置する、事後に適切な対応をとるなどの防止措置義務が課されています。しかし実際は、多くの場合、被害者があきらめたり、希望する解決が図られずに泣き寝入りせざるをえない実態があります。(日本共産党2026年衆議院選挙各分野政策) https://www.jcp.or.jp/web_policy/16376.html

 この共産党の政策の指摘通りのことが共産党内部で罷り通っています。最近も党職員がこのような目に遭わされている事例を聞きました。終わりがありません。

 まず、党内に専門の相談窓口を作るべきです。厚生労働省の指針にのっとり、研修を受けた相談担当者を置くようにします。できれば党員弁護士がいいと思います。

 私が受けたハラスメントのように、加害者である三役が何も話を聞かず、即座に「ハラスメントではない」と断定して終わりというようなメチャクチャな対応は無くすべきです。加害者の一人であるA県副委員長に私が「パワハラの3要件・6類型をご存知ですか」と聞いてもA氏は沈黙していました。A氏はパワハラについて何一つ勉強せず、「怒鳴ってないからパワハラではない」などと断じていたのです。

 その上で党内で解決できない場合は、ADR(裁判外紛争解決手続)のような外部の解決の仕組みを活用することを認め、推奨すべきだと考えます。

 これも、共産党が政策として主張していることを、自分の組織にも当てはめよ、という程度のごく当たり前の要求にすぎません。

 

 この3つは、共産党幹部と私とで立場が違っても、一致できるはずのことではないでしょうか? 真摯にお考えください。

*1:その場合は外形的に判断できるので除籍ということもありうるかもしれません。

*2:東京地裁の方でも書面で認めている。

ご訪問いただいた皆さんへ(募金先など)

(この記事は、ブログのトップに一定期間置いておきます。) 私は2024年8月に日本共産党を不当に除籍・解雇され、同年11月に私は共産党などに裁判を起こしました。



  • 支援募金 セブン銀行 ハイビスカス支店 普通 2198241 カミヤ タカユキ
  • 簡単な経緯はこちら
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  • 裁判の資料はこちら

福岡市・髙島市政の4期16年を総括する

 いよいよ2026年の福岡市長選挙です。高島宗一郎市長は出馬しないということですので、高島市政の継承か転換かが問われることになるでしょう。

 髙島市政はどんな市政だったと言えるでしょうか。

 

髙島市政からはどのように見えているか

 まずは髙島市政から見える風景を紹介します。

 髙島市長は「アジアのリーダー都市」を掲げて登場し、やがて「都市の成長と生活の質の向上の好循環」をスローガンにしました。

 「天神ビッグバン」などの再開発、観光・MICEなどの呼び込み、「国家戦略特区」指定などの規制緩和により成長をはかり、その果実を市民に還元するというものでした。

 髙島市政になって、学校の冷暖房、少人数学級、子ども医療費助成の充実、高齢者乗車券の増額(27年度予定)などが進みました。

 最近出た髙島氏の著書『福岡市の問題解決 街の景色を変えたリーダーシップ進化論』では負の遺産だった人工島事業を黒字で決着させたことを取り上げ、そのような“偉業”がなぜできたかを語っています。

 このように見てみると、「都市の成長と生活の質の向上の好循環」は大成功したように見えます。

 髙島市政を評価する立場で書かれた記事は例えばこちらです。

article.yahoo.co.jp

prtimes.jp

 

客観的な視点

 髙島市政のシンクタンクでもあった福岡アジア都市研究所(URC)が出した資料には次のようなデータがあります。

 当選当初から「アジアのリーダー都市」を標榜し、世界の中で伍することのできる都市を目指していた髙島市政にとって、それらの都市と比較して「都市の成長」「と生活の質の向上」がどう「好循環」したかを測ろうとしました(『「第3極」の都市2023』)。

https://urc.or.jp/wp-content/uploads/2022/10/thirdAxis2023Report_web.pdf

https://urc.or.jp/wp-content/uploads/2022/10/thirdAxis2023Report_web.pdf

 もともと都市の成長(上図の横軸)という点においては比較都市の中では最低レベルだったのが一定改善されたことは間違いないでしょう。

 他方、生活の質(上図の縦軸)についてはそれほど低いわけではなかったのですが、髙島市政になって低下していき、最後に一気に取り戻した、という感じになっています。しかし、出発点から見ると多少良くなった、ほとんど変わっていないとみていいのではないでしょうか。

 このURCの指標は私から見ると「これが生活の質?」と首をひねるものも少なくありません。しかし、それでも髙島市政側のデータとしては貴重なものです。

 「都市の成長には一定成功したが、生活の質の向上はあまり実現できなかった」というのがこのデータから見て取れるのではないでしょうか。

 

市民経済計算からみる

 最も端的に示せる指標としては市民経済計算という、公式の統計があります。国でいえばGDPなどに当たるデータです。

 まず、市内総生産(GCP)はどうでしょうか。

 これは先ほどの「フクリパ」の記事にも出ていましたが、2011年度が7.04兆円(名目)、最新の2022年度が8.24兆円で17%アップしています。

 これは政令市の中でどれくらいの勢いでしょうか(単位は百万円、増加率は倍)。

  GCP 2022年度 2010年度 増加率
1 千葉市 4,232,257 3,423,428 1.236
2 名古屋市 13,934,838 11,602,532 1.201
3 福岡市 7,834,253 6,533,636 1.199
4 川崎市 6,143,978 5,181,889 1.186
5 札幌市 7,463,942 6,352,505 1.175
6 京都市 6,609,451 5,637,113 1.172
7 横浜市 14,667,626 12,555,884 1.168
8 仙台市 5,060,637 4,371,992 1.158
9 岡山市 3,006,505 2,604,437 1.154
10 北九州市 3,953,847 3,434,651 1.151
11 神戸市 7,102,580 6,237,610 1.139
12 大阪市 20,267,936 18,518,944 1.094
13 広島市 5,173,075 4,816,634 1.074

 欠けている政令市があるのは比較可能なデータが当該年度にないためです。そういう制約のあるデータではありますが、福岡市は第3位で相当健闘していることがわかります。経済的には元気なのです。

 では一人当たりの市民所得はどうでしょうか。市民所得は単純に市民の家計の所得ではなく、雇用者報酬(賃金)+企業所得(利潤)+財産所得(利子・地代)の合計です。ここでは経済が産んだ果実が市民一人当たりでどれくらいかという数字になります。

  市民一人当たりの市民所得 2022年度(千円) 2010年度(千円) 増加率(倍)
1 大 阪 市  4 072  3 008 1.354
2 岡 山 市  3 335  2 670 1.249
3 名古屋市  3 954  3 193 1.238
4 千 葉 市  3 209  2 661 1.206
5 横 浜 市  3 321  2 890 1.149
6 川 崎 市  3 491  3 044 1.147
7 京 都 市  3 146  2 789 1.128
8 北九州市  2 874  2 568 1.119
9 札 幌 市  2 815  2 630 1.070
10 神 戸 市  3 164  2 969 1.066
11 広 島 市  3 157  3 017 1.046
12 福 岡 市  3 137  3 102 1.011
13 仙 台 市  3 103  3 188 0.973

 途端に最下位に近くなります。1%程度しか上昇していません。

 

 ちなみに先ほどの「フクリパ」で紹介されている雇用者1人当たりの雇用者報酬で見ても1.03で3%ほどしか上昇していないことが確認できます。「フクリパ」の記事でも公益財団法人九州経済調査協会の秋野隆士研究主査から

雇用者増に伴って雇用者報酬総額も増えているものの、1人当たり雇用者報酬の伸びは低調です。

と指摘されています。しかもこれは名目値なので、物価上昇などの影響を加味した実質値であればさらに深刻なことになっていると考えられます。

 その原因についてはもう細かく書きませんが、九州の衰退する経済の中で東京や大阪に行かずに、福岡(特に福岡市)に人が集まり(人口ダム機能)、人口が増えたことが直接の原因でしょう。しかし、高い賃金を生み出すものではなく、サービス産業を中心にした非正規などの低賃金労働者が増えただけではないかというのが私の見立てです(製造業などが多ければもっと賃金上昇が進むはずです)。

 

結局「好循環」は起きずに市民は置いてけぼりに

 結論から言えば、経済は好調だったが、市民は貧しいまま、もしくは置いてけぼりにされたままになったということです。「都市の成長と生活の質の向上の好循環」——髙島流トリクルダウンは起きず、失敗したということが言えると思います。

 今回の市長選に立候補を表明された片山すみこさんが自身の政策集の資料で取り上げていましたが、福岡市に本社のある中核大企業たる七社会メンバーのほとんどは内部留保を莫大に増やしています。経済成長の果実はこれらの大企業が吸い取っていってしまったのではないでしょうか。

https://katayamasumiko.com/hizumi/

 

 また、福岡市は元々「福岡市住生活基本計画」2016年(p.11)で年収300万円未満の世帯を「低額所得世帯」として規定してきました。この層は全世帯の4割を占めており、特に高齢世帯では6割を超えており深刻な都市問題だと言えます。*1

https://www.city.fukuoka.lg.jp/jutaku-toshi/jigyochosei/shisei/documents/juseikatsukeikaku_zenpen_R8.pdf

 同じ政令市の横浜市と比べても、低額所得世帯は1.4倍もいます。

 

髙島市政の4期16年の総括と「修正」

 「髙島市長は経済成長に熱心に取り組んだが、髙島流のトリクルダウンは起きず、一部の大企業が儲かっただけだった」と総括できると思います。*2

 私なりに次に求められる市政を髙島市長のスローガンを借りて言い表すなら、「生活の質の向上から好循環をつくりだす市政」ということになるでしょうか。

 市民生活を手厚く支援することを起点にして成長との好循環を作るということです。

 髙島市長の開発などを必ずしも全面否定する必要はありません。なにしろ経済成長は一定実現させたわけですから。しかしその果実は市民のもとにやってきていません。その路線を「修正」するということです。

 例えば都心では家賃が暴騰してとても住めなくなっています。「市民生活を手厚く支援する」ことを起点とするなら、家賃補助を抜本的に増やしたり、アフォーダブルな公的住宅を増やしたりする施策をまず打ちます。

 他方で、開発の規制も検討します。開発が無計画に進んでいることで、住宅・マンションが急増し、インフラ整備が追いつかずに学校がパンクしています。現在の「天神ビッグバン」のようなやり方をこのまま続けていいかどうかを、例えば日本の財界とはしがらみのない海外のチェック機関なども使って検証すべきだと思います。

 

 あるいは、都心以外の交通がますます切り捨てられています。安いコミュニティバスを走らせることを決断したり、高齢者乗車券の額を思い切って大増額させるなどして「市民生活を手厚く支援」しながら、開発の歪みを是正し、都心や開発地域への一極集中ではなくどこに資源を投入すべきかを民主的に切り替えていきます。

 

 最近友寄英隆氏の『日本経済 再生への道 「新自由主義」から脱却する「経済計画」』を読みました。「福祉」と「公共」と「計画」を日本経済に取り戻すという主張で、私は自治体にもこうした「経済計画」が必要ではないかと思いました。歪んだ経済発展を正す、資本主義下での民主的な経済計画の必要性です。

 自民党でさえ結党時の綱領には経済計画の策定を掲げ、その政権は1990年代前半までは多くの経済計画を策定し、確かにその頃の日本は先進国の中でも高い賃金上昇を実現していました。90年代後半から経済計画もなくなり、新自由主義的な、利潤を近視眼的に追い求める経済運営により賃金は下降していきました。

 福岡市で、「市民生活への手厚い支援」を正面に取り組みながら、全体を俯瞰する、このような実験ができれば面白いと思いました。

 

 私は、髙島市政を継承するか転換するかと問われたら、「抜本修正する」と答えるでしょう。「よいところは引き継ぎ、悪いところは思い切って大きく変える」というごく当たり前の立場です。

*1:公平に言えば、髙島市政のもとで「低額所得世帯」は7%=1万世帯ほど減っている。原因は不明だが同じ「福岡市住生活基本計画」(2026年)18ページには共働き世帯が同じ時期に1万世帯ほど増加しているのがわかる。物価高騰の中で生活費のベースが上がり働きに出ざるを得なくなったと見るか、働き口が増えて働けるようになったと見るべきかは議論のあるところだろう。

*2:もちろん根本的には国政を変えねばならず、一つの自治体で大きく変えるのは限界があるかもしれません。自治体はあくまでその影響を緩和することしかできないとは思います。

9中総は数値目標の追求を事実上捨てて「できることから始めよう」になった

 2026年9月頭に日本共産党の第29回党大会期の第9回中央委員会総会(9中総)が開かれました。

www.jcp.or.jp

 「飛躍期間」で達成目標にしていた党員拡大は、8.3幹部会決議で「飛躍に向けた条件を耕した」と豪語したものの、その期間を半分過ぎて「目標比7%」という深刻な事態です。*1

 ところが9中総決議では「全党の大奮闘」「最終盤に変化が生まれたことは、9月につながるものとして重要」と評価するだけ。「1支部が党員1人を増やせば」というくだんの「1支部あたり」メソッドを使い「6000人の拡大目標もゆうゆうと実現できます」との「逆張り」表現で読む者をあっと驚かせています。

 党幹部自身がもはやこの目標を真剣に追求していないことは、志位議長の表現を使えば「誰が見ても」明らかでしょう。

 9中総決定の一つである「手紙の返事について――支部・グループのみなさんへの中央委員会総会としての応答」(以下「応答」と略します)を読むと、党の多くの支部では「目標をどう達成するか」という次元で真剣に悩んでいる支部はほとんどなく、「活動をどう前向きに起動させるか」というスタートラインで困っているところがほとんどです。

 実際、9中総決議で次のように書いていることを見ても、もはや目標達成の追求はお題目になっていて、事実上「できることから足を踏み出す」が実践上の目標になっていることがわかります。

支部・グループの「返事」には、党活動上の悩みや困難とともに、党を強く大きくしたい、選挙に勝てる党をつくりたい、という思いが共通して語られています。そして、悩みや困難がありつつも、できることから一つでも活動に踏み出し、何とか打開したいとの気持ちが伝わってきます。「返事」にしたためていただいた内容を大切にして、できることから足を踏み出しましょう。

 

 党勢拡大の目標数値を追い求めるという活動は総破綻してしまい、もはや党幹部を含めて誰も真剣に追求していません。実践上たどり着いたのは「できることから始めよう」ということだけになったわけです。

 現場の支部と党員は、もう党勢拡大目標が実質的に意味を持っていないことをよくつかんで、自分たちにとって楽しくやりがいのある活動は何か、それを純粋に考えればいいのです。

 これは前々から私が述べてきた(1)徹底したスリム化とそれに伴う事業モデル(マネタイズ、集金システム)の改革、そして、(2)全体の活動は「楽しさ」を基準にする、という二つの改革のうちの(2)の条件が現場で整いつつあることを示すものです。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 

9中総を読んで具体的にどうすればいいのか

 では「楽しく党活動を始める」そして「できることから始める」というのは、9中総を読んで具体的にどうすればいいんでしょうか。

 党活動を「楽しい」ものにする、という意味では、9中総決定にも関係する記述はあります。

 9中総決定の一つである「応答」に、今後の党づくりに生かすべき「六つの発展方向」が書かれています。

  1. 「要求対話・要求アンケート」の活動をどう発展させるか
  2. 「赤本」「青本」の学習・対話運動をどう発展させるか
  3. みんなが楽しく生き生きと参加できる支部活動をどうつくるか
  4. 配達・集金活動の困難をどう打開するか
  5. 職場での党の灯をどう守り前進させるか
  6. 学生支部、青年支部の活動--「生きた目標」を大事にして大きな党を

 この6つです。

 このうち、「3.」を足がかりに議論を始めてみることを提案します。

 うまく前向きに活動を起動させようということになれば、「1.」や「2.」(あるいは「5.」「6.」)に進んでいけばいいと思います。「1.」は人とのつながりを作って、社会運動に参加する楽しさを共有するという運動の原点のようなものですから、そこに向かうことは私は大切なことだと考えています。幸いにも、9中総決議では「『飛躍期間』の目標達成」とは別に、真っ先に記述されている訴えは「統一地方選挙勝利へ、戦略的大方針の『要求対話・要求アンケート』に取り組もう」ですから、決議の方もそこの議論を足がかりにして、まずは前向きに活動を始めるところからスタートします。

 今の支部の人に話を聞いてみると、すでに活動している人は何をしているかといえば、身近な統一地方選挙に向けて支持者(後援会ニュース会員)の「訪問」をして、「要求対話・要求アンケート」や「支持拡大」をしているようでした。そうした流れとも整合的だと言えます。

 そこすら到達していないような支部は、まずは学習をしたり、それに基づくおしゃべりをしたりすることから始めたらいいと思います。「3.」で「会議で学習の時間を必ず取ること」とある通りです。

 学習といっても「2.」の「青本」「赤本」という『資本論』入門から始めるのはハードルが高いのではないでしょうか。最近支部の党員と話しましたが、「青本」「赤本」を支部で学習する苦労について語られました。やりたければやればいいでしょうが、無理にそこから始める必要はありません。

 学習は「赤旗」がよく、「赤旗」の気に入った記事を読み合せることから始めてもいいと思います。昨今は動画がありますので、日本共産党国会議員団チャンネルや赤旗YouTubeチャンネルを15-20分程度見るだけでもいいんじゃないでしょうか。

www.youtube.com

 そのようにして「活動の楽しさ」を共有するところから、すなわち「前向きに活動を始める」というところを、まずは起動させてはいかがでしょう。

 その支部・党員が党勢拡大に取り組むかどうかはその次の話です。それを「段階論」だと言って責めても何も始まらないのです(実際、何も始まっていませんし)。

 まず、党活動を楽しく・前向きに活動を始めるためにできることは何か、忘れていた原点を思い出させるにはどうしたらいいか、それを支部も地区も考えて始める——これが9中総を受けてやるべきことだろうと思います。

 9中総全体は、先ほど述べた(1)(2)のうち、(1)の戦略的な転換を全く考えていないという点で、根本的に間違った方針であると思います。しかし、全てが間違った、デタラメな方針というわけではありません。9中総の中で活かせる部分をとらえて、後々の抜本的な改革につなげられるような準備をする実践を、現場ですすめておくべきなのだと思います。

 以上が私が言いたいことです。

 あとは余談です。

余談1:抜本的な改革を打ち出すのは党中央の責任

 とはいえ私が述べた改革の(1)徹底したスリム化とそれに伴う事業モデルへの改革がなければ、党指導部=党中央としての責任は果たせません。ここまで現場が苦労しているのに、その苦労に甘えるのではなく、その苦労を取り除くために、中・長期的に持続可能な党活動の方向性を示すのは党指導部の責任です。

 残念ながらその兆しは見えません。

 集金・配達が維持不可能になっている現状について、次の大会議案で「抜本的な打開方向を提案」と9中総で喧伝していますが、おそらくその方向は紙のしんぶん赤旗日刊紙を維持し、配れなくなった地域は、切り替えなどの一定の措置をとった上で、積極的に新聞販売店にまかせる方針をとるのではないでしょうか。

 これは方針が出ていないので、現時点で断言できませんが、もしそうであれば、配達・集金の苦労はだいぶ減ることになるでしょう。「痛みの緩和」になると思います。しかし、紙を印刷し配達するコストはほとんど変わっていないし、販売店に払うコストが余計に嵩むことになっていて、党財政が侵蝕される事態は変わっていないどころかますますひどくなっていく危険性があります。現場の「痛み」がカットされて消えてしまうぶん、問題がいっそう不可視化されて事態が深刻になる恐れがあるのではないでしょうか。

 現場や支部が抱えている困難を、現場や支部の「努力」によって解消させようとすることはもうとっくに限界に来ています。今回配達・集金に関して、そうした自己責任による自助努力だけでなく、「抜本的打開の方向」を打ち出したのは、大事な変化の兆しと言えますが、そのレベルのことで問題が解決するフェーズはとっくに終わっています。

 組織全体を抜本的にスリム化し、活動のあり方自体を根本的に転換する方向を打ち出さない限り、現場の苦労は終わることはなく、先の見通しも見えない「暗いトンネル」が続くことになります。それを打ち出すのは党中央の責任です。

 

余談2:綱領をいじっている場合だろうか

 志位議長は9中総の「あいさつ」の中で

党綱領の一部改定は、第29回党大会決定とその後の探究・実践を踏まえて、綱領第5章「社会主義・共産主義の社会をめざして」を中心に行い、その他の章も必要不可欠な修正・補強を行い、綱領の全体を、現時点で考え得る最良のものとなるように、一部改定案を準備しています。

と述べて綱領を何やら変える準備をしています。

 志位氏は学者との対談で、

現代が直面する諸課題に対して、「自由な時間」は統合的な答えを提供するキーコンセプトになっている

と述べていて、他の党幹部もこれに追随する発言をしています。

 現在の綱領では、「労働時間の短縮による人間の全面発達」の位置付けが、社会主義の目的の中の一つに過ぎないかのような扱いになっているので、おそらく全てこの色で塗り替えてしまうのではないかと思います。「キーコンセプト」、すなわち万事「自由な時間」が解決するのだ、と。

 そして現綱領にある「物質的生産力の新たな飛躍的な発展」などの文言を追放してしまうのではないかと推測します。*2まあ、これはあくまで推測ですが。

 この問題は別に議論すべきことですし、実際に出てきた提案を見て判断はしたいのですが*3、正直なところ、「綱領をいじっている場合だろうか」というのが第一印象です。家の台所で火の手があがっているのに、「さて、我が家の新しい家訓を決めようか」といって居間にワイングラスを持ってきて一杯やろうとしているノンキナトウサンのようです。*4

 もし誰かのレガシーづくりのために、党組織が動員されているのだとすれば、私物化ここに極まれりでしょう。やめてほしいと思います。いろんな意味で。

 

余談3:「ついていけない」という苦情が「少なからずある」ことが中央決定に明記

 「応答」には、「(支部から中央への)『返事』では、『次々方針文書が出てついていけない』という声」が「少なからずありました」と記されています。

 かつてはこんな頻度で中央決定が出されることはありませんでした。1つ1つが慎重に作成され、結果も時間をかけて分析されたものです。現在は中総だけでなく、都道府県委員長会議や幹部会決議などをふくめ、乱発と言っていいと思います。そのことが、支部からの苦情としてたくさんあがってきていることが、中央決定にも反映され「ついていけない」とはっきり書かれています。矢継ぎ早に「なんとか期間」「かんとか期間」と出されて、もはや最高幹部でさえ正しく名称を言えない事態です。

 例えば党員の皆さん、あなたは「三つの突破点」「二つのチャレンジ」「三つのスローガン」ってなんだったか言えますか?

 そうした中で「どうせ10月には10中総が出て9中総は古くなってしまう」と「やり過ごそう」としている支部も少なくないでしょう。

 かつて中央決定が持っていた知的信頼や知的権威にすがりついて、それを出しさえすれば何か幹部として仕事している気になるのかもしれません。しかし、党幹部が「誰が見てもできない目標」を掲げ続け、まともな総括もせずに、決定を粗製濫造し続けた結果、中央決定が持っていた信頼や権威はすっかり食いつぶされ、消えて無くなってしまいました。

 その末路が「次々方針文書が出てついていけない」という支部からの声だったのです。*5

 9中総の「応答」では、この声に対して「中心となる太い方針を貫き、2カ月、3カ月、半年かけて実践する」と約束しているのですから、次の10中総は10月じゃなくて、少なくとも9月から2カ月後=11月にすべきじゃないかと思うのですが*6、どうですか? 言ったそばから反故にしますか?

 

余談4:6中総・8中総の選挙総括への実質的な不満と破綻

 「応答」には

「(支部から中央への)返事」には、今大会期、国政選挙で連続的に議席と得票を後退させていることに、「どうしたら勝てるのか」「前進・躍進するのは難しいのでは」という思いもさまざま語られています。

と綴られています。つまり、6中総や8中総で行った参院選・総選挙での大敗の総括に、現場は全く納得がいっていない状況が克明に映し出されているのです。

 “高市旋風というつむじ風が吹いたので負けたんです”という総括に納得できる人がいるんですか? と私は書いたわけですが、やっぱり現場は「なるほど!」とは思っていなかったことがバレてしまったと言えます。「応答」ではこうした不満に応えるとして党中央は政治的・理論的にイニシアチブを強化し、その最初の成果が小池晃氏が報告した「訴え」(9中総決議)だ、と記しています。

9中総では、志位和夫議長のあいさつ、小池晃書記局長が提案した「訴え」に、その最初の応答を込めました。

 “「小池訴え」で、理論的イニシアチブを強化した情勢分析を書いたので、まあみてくださいよ”というわけです。

 しかし、「訴え」に書かれていることは、

わが党が伸びるうえでの「突風」や「逆風」がつくられ、党の値打ちが国民に見えづらい状況がつくられる中で、私たちは苦しいたたかいを余儀なくされてきました

というまたしても「風が吹いた」論——「突風」「逆風」論でした。8中総で「つむじ風ではなく旋風だった」という珍妙な言い訳をして失笑を買ったばかりです(辞書的な語義で言えば、「旋風」は「つむじ風」のことです)。それなのにまた「風」だというのでは、「シン・『八幡愚童訓』」と言われても仕方がありません。

 26年1月27日の総選挙対策本部の訴えは「“つむじ風”は吹いていません」「党の先駆性が際立っています」「わが党にとって本当にたたかいやすい選挙」と言い切っていたではないですか。ところが今は「『突風』や『逆風』がつくられ」「党の値打ちが見えづらい」「苦しいたたかいを余儀なくされてきました」になっているのです。

 「つむじ風でも旋風でもなく突風・逆風だった」という前回(8中総)を上回る珍論を披露するつもりでしょうか。

 前にも述べたように、「高市自民党による『クーデター的』な解散・総選挙が強行されるなど、わが党が伸びるうえでの『突風』や『逆風』」(9中総決議)というだけでは、なぜ同じようにクーデター的解散をされた側にいた他の野党(参政党や国民民主党、チームみらい)が伸びるのか、中道改革が「厳しい審判を下された」分がなぜ共産党に来なかったのか、全く説明になっていません。

 本当に総括すべきことを避けている——そのためにいくら「政治的・理論的イニシアチブの発揮をさらに強める」などと力んでみても、強めようがないのです。

 まずは現実を直視することから始めようではありませんか。

 

余談5:ハラスメントの問題は9中総で応答した声から見ても焦点

 「応答」の「3.」では「入党した党員を結集しきれていない苦労や悩みが寄せられています」とあります。

 そして「応答」が示す「答え」は「党の方針通りに原則的な党活動を確立するための努力を行うこと」としています。

 その例を「応答」はずらずらと書いているのですが、これが曲者だと思います。

 例えばさっきも紹介しましたが、「会議で学習の時間を必ずとること」となっています。「おかしいな、うちの支部ではちゃんとやっているのに…なぜ結集しないんだろう?」と疑問を持ってしまうのです。

 先ほども紹介した通り、「会議で学習の時間を必ずとること」自体は大事なことなのです。

 しかしよくその中身を聞いてみると、「支部の古参党員がずっとしゃべりっぱなし」とか「他党を評価すると問答無用で切り捨てられる」とか、そういうタイムになっていたりします。

 「応答」は実は「ベテランも若い世代も互いにリスペクトしあってすすめている」と書いてあるのですが、それがどういうことなのかよくわからないのです。「ジェンダー平等を自覚的に貫くことの大切さも、私たちは学んでいます」とありますが、これも現場ではよくわからないままなのです。聞き流すか、自分たちはやれていると思ってしまうのです。

 新しく党中央の選対局が出した『選挙活動の手引き2026』には、「心理的安全性を感じられる空間になるためのチェックリスト」(p.49)とか「スタッフのグラウンドルール」(p.140)とかいう項目があります。

 「心理的安全性」! 「グラウンドルール」!

 これがあれば、私も取り囲まれて一方的に断罪される、不当なハラスメントに遭うことなどなかったかもしれません。*7

 しかしこれらはあくまで「参考」「コラム」の扱いです。中央委員会総会決議でここまでつぶさに書くべきだったと思いますね。

 新しい党員が結集しない、新人議員が離党する、ということが、大きな問題となり、中総決定の柱になっているのなら、「党の方針通りに原則的な党活動を確立するための努力を行うこと」などという誤解を招く表現をやめ、もっと踏み込んで解明すべきだったと思います。ベテラン党員の中には「あっ自分たちのやっていたことは、逆効果で、傷つけてしまっていたんだ」と気づく人もいるかもしれないのです。

*1:ふつう種子は7、8割が発芽するそうですから、耕しても発芽率が7%っていうのは相当な荒地だと思います。

*2:聽濤弘さんの「生産力概念」の解明など無視して。

*3:前の党首だった不破哲三氏が主導した2004年の綱領改定では確かに労働時間短縮による「自由な時間」の創出によって人間の全面発達が生み出されることを社会主義の主要な目的として位置付けを変えており、そのこと自体は私も大切なことだと思っています。ただ、現実社会では物価高騰や格差・貧困で多くの人が苦しんでいる中で、こうした一面的な強調が国民に噛み合うのかが心配ですし、社会主義が目指すそれ以外の要素を薄めてしまうのであれば大いに危惧せざるを得ません。

*4:かつて福岡県委員長は「党の綱領と規約に異論を述べる人は党員であり続けることはできない」という暴論を私に向け、私を共産党から追放しました。しかし、この福岡県委員長の暴論をかりそめに適用すれば、現綱領をいじろうとする党幹部は「現在の綱領に異論を持つ者」であり「党員であり続けることはできない」ことになってしまいます。

*5:あの…よく考えてほしいのですが「ついていけない」って、相当に手前での困難ですよ? 党幹部が何か高速で次々と難しい話をしているが、「少なくない」党員は聞いておらず、配られた大量の書類を整理することに追われてバサバサやってるだけ…ってことですから。

*6:真面目にそうせよという気はなく、党幹部が自分の言ったことと整合性を取るなら、というほどの意味です。

*7:過去の中央決定でこれに近い実践例は紹介されていますが「次々方針文書が打ち出されてついていけない」状況下では、誰も覚えていないのです。

“ヒラ職員も政治指導する”!?——党幹部の規約無理解が露呈 第7回口頭弁論での私の口頭陳述

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方はこちらを先にお読みください。)

 

 2026年8月24日、東京地裁で、私が原告の共産党不当解雇裁判の第7回口頭弁論がありました。たくさんの傍聴、その後の報告集会*1へのご参加、そして募金等のご支援ありがとうございました。

 

裁判の流れのカンタンなおさらい

 この間、公開の法廷がずっとなく、時間が空いてしまったので、裁判の流れをもう一度簡単に書いておきます。

 私の裁判は私の除籍・解雇、私へのハラスメントについて争われています。

 このうち、解雇がいま審理されています。

 被告(共産党幹部)は、“「党員でなくなれば自動的に解雇される」という明文のルールがあった”と最初主張し、しかし、そんなものは無いことが審理で明らかとなりました。当然です。

 すると被告らは“「党員でなくなれば自動的に解雇される」という「黙示の合意(暗黙の了解)」があった”と言い始めました。

 裁判所から、では具体的に示してくださいと言われ、被告らは最初は“共産党は警察に狙われ、スパイにされるから、党員でないと共産党の職員は務まりません。ゆえに党員でなくなれば自動的に解雇されるんです”と言いましたが(被告準備書面(4))、この主張はあまり相手にされませんでした。また、給与や傷病規定なども「党員であることが前提です」と言って持ち出したのですが、とても先ほど述べたような合意があるようには読めません。当たり前です。

 そうすると、被告らは“県委員会の仕事は、党員でないとできない仕事しかないんですよ”ということを言い始めました。また、“党員でなくなれば解雇された例がいっぱいあります”ということで、そのリストを提出しました(被告準備書面(5))。

 私たち原告と弁護団は、被告側が持ち出してくるいろんな主張は、どれも「党員でなくなれば自動的に解雇される」という暗黙の了解があることを証明するものじゃないですよね、と言っていました(「評価根拠事実がない」と言います)。 最後の「県委員会の仕事は、党員でないとできない仕事しかない」ということも、だからと言って「党員でなくなれば自動的に解雇される」ということとイコールではないし、どんなに無法なやり方で党籍を剥奪されても、党員でなくなればとにかく私は辞めますという合意などしていることにはならないよ、と主張してきました。それが反論の基本でした。

 ただ、裁判所からは、 “県委員会の仕事は、党員でないとできない仕事しかないんですよ”ということ自体に反論はないの? と言われたので、いや、それ自体もおかしいと思うのでじゃあ本筋の議論じゃないと思いますが、その点は、事実の問題として反論しておきますということで反論をしました(原告第六・第七準備書面)。 

 そのポイントは以下に載せた私の口頭陳述要旨に3点でまとめてあります。実は、私たち原告が第七準備書面を提出した後に、それへの反論を被告側は準備書面で行いました(被告準備書面(6))。しかし、細かいことは別にして、被告側が言ったことは私の口頭陳述要旨でだいたいカバーして批判しているので、私の以下の陳述を読んでもらえれば、いいと思います。

 

日比谷公園にて。東京はミンミンゼミが多いんだと改めて思いました。

原告神谷貴行の口頭陳述要旨

令和6年(ワ)第30571号 地位確認等請求事件
原告 神谷 貴行
被告 日本共産党 外1名


口頭陳述要旨

 

2026(令和8)年8月24日

東京地方裁判所民事第36部合B1係 御中

原 告   神 谷  貴 行

 

1 陳述の機会を与えていただき感謝します。
 被告準備書面(4)及び(5)について陳述します。
 被告らは「理由を問わず、共産党員の地位を失った場合には、当然に勤務員の地位を失う」という黙示の合意があったと主張しています。被告らはこれを基礎づける評価根拠事実を主張しなければならないはずです。
 しかしながら、被告らの準備書面(4)(5)では、給与や傷病などの規定のほか、県委員会の規約上の任務、採用方針、県委員会の業務内容を述べたにすぎず、どれも、「理由を問わず、党員の地位を失った場合には、当然に勤務員の地位を失う」という黙示の合意を基礎づけるものとは言えません。
 そもそも不本意に党員資格を奪われると、生活の糧たる雇用労働者の地位までも自動的に失うというのは、勤務員の基本的生存権を奪うことにつながる重大な内容であり、そのような一方的な内容を、労働者があらかじめ合意するはずがありません。
 以上のことを前提とした上で、被告のいう“県委員会の仕事は政治指導であり、党員でなければできない仕事だ”という点について、あくまで事実の問題として、簡単に3点指摘しておきます。

 

2 第一に、被告は「党員でなくてもできる仕事」をもっぱら行っている「総務部」の存在について触れていないことです。
 総務部の1日の仕事を、私の観察と経験者からの聞き取りで紹介します。
 総務部は2、3名の勤務員で構成されていました。
 午前9時半の出勤とともに一人が受付に座って受付と電話の取次を、昼まで行います。
 来訪者は郵便・宅配・業者などが中心で、幹部が個人的にAmazonで買ったワインを、連日宅配業者から総務部が受け取っているのも見たことがあります。重要な来客は応接室に通し、幹部を呼び出すだけです。
 電話も同じです。大半は幹部や専門部への取次です。ごく稀にある市民からの問い合わせは、誰でも買える「しんぶん赤旗」に載っていることを知らせる程度には応対しますが、具体的な相談や複雑な苦情は総務では対応しませんし、できません。
 一人が受付と電話対応をしている間、もう一人は5階まである階段、トイレ、風呂場などの掃除をします。被告の準備書面であたかも清掃なども幹部を含め勤務員全員がしているかのように書いていますが、それは月に1、2回程度のもので、日常的にはほとんど総務部が行っています。
 階段は掃除機を使わず、濡れた新聞紙片をまいて箒で掃き、雑巾で丁寧にふきます。風呂場は毎日宿直者がきれいにするのがルールですが、そうなっていない場合が多く、洗っていない浴槽、髪の毛や使い捨てられたシャンプーの小袋などを掃除します。宿直者が使ったタオル、シーツなどがカゴに毎朝出されるので、それを洗濯し、干し、取り込み、たたんで収納します。事務所の外にある掲示板にその日の「しんぶん赤旗」を貼り出し、あわせて事務所の外回りのゴミを集めます。
 午後からは受付・電話対応を交代し、もう一人は仕分けをします。地区委員会や他の県に送る輸送品の枚数や個数を揃えて行き先ごとに分けます。そのあとは、幹部から依頼された会議のための資料や事務所内での配布物を印刷します。ときには1人分が総計で何百ページにも及ぶ膨大な紙の資料があり、それを会議参加の数十人分、玄関にある長い下駄箱の上にずらっと置いて一枚ずつとり、最後にホッチキスで止めて一人分ずつビニールの袋に入れるという原始的な作業を延々繰り返します。引き継ぎの宿直者が午後6時にきて退勤となります。
 以上のように、総務部の業務の大半は事務所の日常を支える極めて重要な仕事ですが、それ自体が「党員でなければできない」という仕事ではなく、経験者に聞いても「純粋な庶務ですよ」と述べています。
 清掃の際に機密性の高い文書に触れないこと、あるいは受付での来客の個人情報を漏らさないことは、一般企業でも当然に行っているものにすぎません。以上の通り「党員でなければできない仕事しかない」という事実はありません。

 

3 第二に、「党員にしかできない仕事」とされているものも、実際には分解されて民間業者や非党員が担っています。
 たとえば私の勤務員としての仕事についても、ビラやポスターの作製はきわめて政治性の高い仕事ですが、大半はDTP、つまりデジタルでデータを組む作業時間です。この部分は民間業者が担うことも非常によくあり、他県や地区委員会ではそれが普通でした。近年は動画が増え、ますます業者や非党員である「サポーター」への依頼が目立っており、そのことは機関紙「しんぶん赤旗」でも自慢しているほどです。最初の意見陳述でも述べた通り、私はビラを企画から入稿まで一貫してできるがゆえに、当時はきわめて珍しい存在でした。

 あるいは、福岡市議会議員団の議会質問で使う調査やその集計なども膨大なものになるため、しばしば民間業者や非党員に依頼していました。
 総務部のような仕事や、DTPの作業などで私の雇用を維持することを、被告らが真剣に検討した形跡は見当たりません。

例えばこれは私が日本共産党福岡市議団の事務局にいたときの調査報告書ですが、このレポートは私が起草作成し、調査は非党員の完全ノンポリの人にお願いしました。政務活動費を使ったので、業務委託契約書も残っています。

 

4 そして第三に、私のような役員ではない勤務員は、「政治的指導・助言」をすることは規約上できないということです。これが一番大事な点です。
 被告の主張の根幹は“県委員会の仕事は地区委員会への政治的指導であり、それは共産党員でなければできない”というものでした。しかし、実は私のような役員でない勤務員には、党の規約上、逆に政治的指導はできない定めになっています。規約30条で選挙により選出されたものが県委員会であり、31条で指導は県委員会の任務であることが明確に定められています。もし役員でない勤務員、つまり私が政治指導をしたら、それは越権行為となります。役員でない勤務員は、あくまで役員、つまり県委員の仕事をサポートする補助役にすぎません。被告準備書面はこの一番肝心なことを隠し、あたかも県委員会勤務の全員が政治指導をするから党員でないと務まらないかのように描いています。
 企業の役員室にいる人は「役員室」とあるから役員しかいないように思えますが、実際には役員でないスタッフが補助として働いています。役員のスピーチを役員でない秘書が起案したり、役員でない受付が客を取りついだりしますが、それと同じです。「県委員会」の事務所にいるのは全員「県委員」なわけではなく多くの補助スタッフが支えています。役員でないスタッフの起案であろうと、外部の業者の委託成果物であろうと、それらは最終的な仕上げと決裁が役員によって行われるので、何ら実践上も規約上も、問題は生じないのです。
 加えて、被告準備書面では、役員である勤務員とそうでない勤務員の仕事を混同させるだけでなく、党員全員に一般に求められている活動という、全く違ったレイヤーをごちゃ混ぜにして叙述し、それを「県委員会固有の職務」であるかのように描き出しています。
 例えば、「しんぶん赤旗」の配達が被告準備書面に出てきます。それは党員なら誰でも求められるものです。職員としての任務ではありません。他にも、「しんぶん赤旗」や党の文献を読んで研鑽すること、地域の選挙活動に取り組むことも同じです。党員としてやっていることを、まるで職員固有の任務であるかのように描いています。
 なお、「しんぶん赤旗」の配達や選挙活動は、党員でない人も参加しており、それは党としても公式に認めていることです。

 

5 以上3点を述べましたが、これはあくまで県委員会の実態、事実の問題として指摘したに過ぎません。
 最初に述べた通り「理由を問わず、共産党員の地位を失った場合には、当然に勤務員の地位を失う」という黙示の合意について、そもそも被告らはこれを基礎づける評価根拠事実を示しておりません。そのことを重ねて申し上げ、陳述を終わります。ありがとうございました。


(以上)

夏の日比谷公園

驚いたこと

 私が驚いたのは、党幹部(被告ら)が平然と“役員でない党職員も政治指導や助言はするんだ”と書面で堂々と主張したことでした。

非役員の勤務員であっても、ときに政治的指導や助言を行うことはあるのである。(被告準備書面(6)p.3)

 私の陳述で述べたとおり、党規約の第30条*2で、県党会議(県大会)の選挙で県委員会が選出されることが規定され、31条*3でその任務が政治指導や助言であることが明瞭に規定されています。

 もっと言えば、これは民主集中制の5つの原則から生じている根本的な原則の一つです。規約第3条ではこの5つの原則が記載され、三番目に

(三) すべての指導機関は、選挙によってつくられる。

と書かれています。指導をする人たちに指導する権限があるのは、その集団が選挙で選ばれているからです。選挙で選ばれていない人に、その権限はないのです。

 民主集中制の「集中制」の部分は、元々は軍隊的な強力さがありました。決定に基づきながら、その時々の判断は指導機関の判断に委ねられます。いちいち大会を開いてられないので、大会と大会の間は、指導機関の指導に従って一致団結して集中して動くことが集中制の強みであり、機動性でした。

 しかし、軍隊と決定的に違うのは、その指導性は、党員たちがその指導部を選挙で選ぶということに根拠があるということです。つまり民主主義が基盤なのです。ダメな指導部ならみんなでその指導部を不信任したり解任したりできることでその指導性が支えられていたのです。

 だから、選挙も経ていない「雇われ職員」が指導をできるはずもないし、やってはいけないのです。あくまでもそれは選挙で選ばれた指導部の補佐・補助でしかありません。

 助言も同じです。

「助言」というのは、アドバイスのことだからきっと「うーん、事務所の入り口に飾る花はチューリップにしたらどうかな〜♪」…とかいうアホな話ではありません。規約17条*4にある通り、県委員会の下級である地区委員会が自治的に処理すべき事項があります。例えば市町村議会での賛否の対応などはその一つです。

 しかし規約では、そうした地区委員会が自治的に処理する権限を持っている問題でも県委員会は「助言」できる、としています。「その議案は賛成すべきではありません」という感じです。こんなことを非役員ができるはずもないし、してはいけないのです。あくまで県委員の「補助」としてその役割に徹します。

 地方自治法だって「助言」というのがありますが、それは大臣が行います。現場では国の部長や課長が自治体に電話したり連絡したりしているので、「ああ部長や課長も助言できるんだ」と思い込むようなものです。あるいは秘書や議員の配偶者が、議員の代わりができると思い込むようなものです。

 なるほど現場で非役員の県党職員があれこれ、支部や地区に言っていることがありますが、それは正式に「指導」・「助言」なのかと問われたら、あくまで「援助」の一つに過ぎません。指導・助言ができるのはあくまで役員(県委員)。非役員はその補佐役でしかないのです。その区別が分からず、“だって現場で役員も非役員もあれこれ言ってるもん!”と宣っているだけなのです。

 こういうレベルの理解の人たちが党幹部になって、真顔で書面にして裁判で規約そっちのけの理解を書き込んでしまう——実に頭を抱えたくなる事態だと思います。「政治指導は県委員会の仕事だから、県委員会の職員は共産党員でなければ務まらない」ということを言いたいがために、規約や民主集中制の理解が全くないことが露呈してしまったと言えるでしょう。こういう水準の幹部ばかりなので、規約蹂躙を平気でやるのだということを逆にあらわにしてしまったと言えるかもしれません。

 そんな党幹部たちの無理解を書面にしなければならなかった被告弁護団の皆さんは、なんともお気の毒なことです。

 

 なお上述の中で“党員でなくなれば解雇された例がいっぱいあります”として出してきたリストは、イニシャルと日時と場所しか書いてなくて、どういう経緯でどんなふうに解雇・除籍されたのかが全くわかりません。これじゃあ証拠にもならないし、こちらも検証しようがありませんね、と言っておしまいです。

*1:事情により、予定よりも開始時間を早めてスタートしました。定刻通りに来られた方々には申し訳ありませんでした。お詫びいたします。

*2:「都道府県党会議は、つぎのことをおこなう。…(三) 都道府県委員会を選出する。」

*3:「都道府県委員会は、都道府県党会議決定の実行に責任をおい、主としてつぎのことをおこなう。…(一) …都道府県の党組織を指導する。…(五) 地区党組織の権限に属する問題でも、必要な助言をおこなうことができる。」

*4:「地方的な性質の問題については、その地方の実情に応じて、都道府県機関と地区機関で自治的に処理する。」

市田忠義『日本共産党の規約と党建設教室』の記述は大丈夫なのか

 日本共産党の2026年の講師資格試験が10月にあります。

 「綱領」「規約と党建設」「科学的社会主義」「党史」などの科目があります。

 「講師資格試験」という名前なので、本来はこの試験に合格した人が党内学習の講師ができる、というはずのものでしょうが、実態としてそういうことはありません。そんな資格があろうがなかろうが、講師活動は行われています。*1

 要は「共産党員が党の組織や理論の学習をするための中央公認のテスト」です。「漢字検定」みたいなもので、受けようが受けまいが、そのこと自身でその人の党員人生にはさほど影響はありません。

 ただ「中央公認のテスト」なので、その時の共産党が強調している方針・理論のポイントなどをちゃんとつかんでいるかどうかが問われることになります。

「なぜ『しんぶん赤旗』読者を増やすべきか」という問いにどう答えるか

 ところで、「規約と党建設」の科目で、例えば「なぜ『しんぶん赤旗』読者を増やすべきなのでしょうか」とだけ問われたら、どう書けばいいのでしょうか。これこそ講師資格試験に相応しい設問だと思います。

 答え方がいろいろあり得ますが、共産党に入ったばかりの人が、「どうして党員はしんぶん赤旗を購読し、読者を増やすことが求められるんですか?」と聞いてくるような場合を想定するといいと思います。

 これは主に4つ意味があります。

 一つ目は、機関紙だからです。つまり党中央が日々起こる政治の問題をどう見ているか、どうやってそれを変えようとしているか、そのために方針のどこに重点を置いているか、を毎日つかむために党員が読むのです。

 二つ目は、国民向けの宣伝です。言い換えれば、国民に共産党の主張を知らせるためです。一般の新聞に近い役目を持っています。

 三つ目は、陣地を広げるためです。党のすぐ外に広がるシンパの陣地を広げることです。言い換えれば、新聞を通じて読者とつながるためです。配達や集金によって、読者は共産党を身近に感じます。社会運動、議会、選挙などで協力する関係が日常的に生まれるため、やがて共産党に入ってくれるようになるかもしれないのです。

 四つめは、資金源です。赤旗を買ってもらうことが、共産党の活動を支えることになります。極端な話、中身を読まなくても、「じゃあ3ヶ月だけね」とカンパのつもりで購読してくれる人も少なくありません。

 これらは2000年の第22回党大会決議でちゃんと4点にまとめられています。

 私は、共産党員は、「なぜ赤旗を読み、増やすんですか?」と言われた時に、この4点をそれなりに言えることが必要だと思うのですが*2、あまり重視されていません。例えば市田忠義副委員長が2022年に書いた『日本共産党の規約と党建設教室』は講師資格試験で使われる党公認の正式なテキストなのですが、この4点は出てこず、22大会決議でこの4点の直前に出てくる、少し乱暴にまとめてある一文*3が載っているだけなのです。

 

市田本が語る「『若い世代は新聞を読まない』は事実に反する」という「証拠」

 それどころか、私は市田さんのこの『日本共産党の規約と党建設教室』という本の「しんぶん赤旗」中心の党活動を書いたくだりはどうも変だなあと思っています。

 もし講師資格試験で「『若い世代は新聞を読まない』『だから赤旗を増やすのは難しいし意味がない』などという見方に対して反論してください」という問いが出たらあなたはどう書くでしょうか。

 実は、市田副委員長の本ではこの意見への「反論」が書かれています。

 ご覧ください。

 世代的継承との関係では、「若い世代は新聞を読まない」などという見方がありますが、事実に反します。「新聞」の影響力への冷静・正確な見方が必要です。日本新聞協会の「新聞オーディエンス調査2020」(2021年三月発表)では——オーディエンスというのは新聞やテレビの視聴者という意味ですが——、新聞が発する情報に毎日触れている方は五〇・二%、平均年齢は四九・二歳で、すなわち五〇歳以下が半数を占めているのです。新聞の情報が、LINEやYahoo!ニュースになり、SNSで拡散されます。新聞の印象・評価についても、「情報が正確」「信頼性が高い」「情報が整理されている」などの項目でテレビやインターネットを上回っています。全メディア中トップの評価です。そういう目で若い方も新聞を見ている、新聞の情報を得ているということです。単純に“ネット・SNSの発達イコール「新聞の影響力はなくなっていく」ということではありません。ネット・SNSの活用にもっと力を入れるとともに、この調査結果でも指摘されている新聞の影響力が大きいことを踏まえて、「しんぶん赤旗」読者を積極的に増やしていく必要があります。(市田忠義『日本共産党の規約と党建設教室』、新日本出版社、2022年、p.228)

 

 なかなかすごい文章だと思います。

 まず、

「若い世代は新聞を読まない」などという見方がありますが、事実に反します。

という大見得を切ります。しかし、新聞通信調査会の「第17回メディアに関する全国世論調査(2024年)報告書」など見れば一目瞭然ですが(下図)は新聞を月ぎめ購読で読まないし、図書館での無料のものも含めてそもそも読みません。「若い世代は新聞を読まない」のです。

 それなのに市田さんは、どういう理屈で「事実に反する」などというのでしょうか。

新聞が発する情報に毎日触れている方は五〇・二%、平均年齢は四九・二歳で、すなわち五〇歳以下が半数を占めているのです。

 は?

  (;゚д゚)(つд⊂)ゴシゴシ(;゚Д゚)…?!

 まず、「新聞が発する情報に毎日触れている」という全然違う回答軸を持ってきます。例えば職場で新聞記事のコピーが回ってきたら(違法ですが)、それは「新聞が発する情報に毎日触れている」ことではありますが、「新聞を読んでいる」わけではありません。

 案の定、すぐ市田さんは種明かしをしてしまいます。

新聞の情報が、LINEやYahoo!ニュースになり、SNSで拡散されます。

 いや、それネットニュースやんけ。

 若者はネットでニュースが流れてくるのを見てる!→そのネットニュースの元は新聞社のニュースだ!……それをもって「若者は新聞を読んでいる!」と称するのは曲解と言いますか、ごまかしと言いますか、大丈夫ですかと言いたい。

 それだけではなく、市田さんは統計上の…というか算数の初歩的な間違いをしています。

新聞が発する情報に毎日触れている方は五〇・二%、平均年齢は四九・二歳で、すなわち五〇歳以下が半数を占めているのです。

 いやいやいやいや。

 「平均が49.2歳」だから「50歳以下が半分」ということにはなりませんよ。

 簡単なケースをお示しします。

  • 10歳、53歳、55歳、58歳、70歳 の5人がいるとします。
  • このグループの平均年齢は49.2歳です。(10+53+55+58+70)÷5=49.2
  • しかし、50歳以下の人は10歳の「1人(全体の20%)」しかおらず、半数(50%)を大きく下回っています。

  Q.E.D.

 「すなわち」と記して、あたかも自動的に「平均値」からサンプルの属性(50歳以下が半分)が導かれるように書いています。もし本当に「新聞が発する情報に毎日触れている方」が「五〇歳以下が半数」ならそのことだけ書くべきだと思います。多分その情報はないので、「平均」から割り出しているんだと思いますが、完全に「平均値」と「中央値」を勘違いしています。

 そして、もう一つ市田さんが持ってきているデータはどうでしょう。

新聞の印象・評価についても、「情報が正確」「信頼性が高い」「情報が整理されている」などの項目でテレビやインターネットを上回っています。全メディア中トップの評価です。そういう目で若い方も新聞を見ている、新聞の情報を得ているということです。

 いやそれ、「信頼性が高い」っていう話であって、新聞を読むとか読まないとかいう話とは直接関係ないですよね?

 「近所にある五つ星のフランス料理店は美味しいという信頼感がある」というデータが出ても、だからといってその店をみんなが利用するわけではありません。

 要するに市田さんは「『若い世代は新聞を読まない』などという見方が事実に反する」ことを何一つ反論できていないのです。

 でも、仮に講師資格試験で「『若い世代は新聞を読まない』『だから赤旗を増やすのは難しいし意味がない』などという見方に対して反論してください」という問題が出ても、市田さんの「反論」を書けば満点がもらえるということになるのでしょう。

 もしそうだとすれば、そんなテスト、意味があるのでしょうか?

 「何も考えない党員製造テスト」と言われても仕方がありません。

 こういう本をテキストにしていることに、正直恥ずかしさを覚えないのでしょうか。*4

 

 誰もチェックせずに世に出て、誰もまともに読まずに賛美しているだけなのでしょう。記述自体の間違いというより、それを通して組織のありようが透けて見えて私は恥ずかしくなります。なんで追放された私が一番丁寧に読んでいるんでしょうか。

 

「しんぶん赤旗」が書く「『紙の新聞』の歴史的な岐路」

 本日(2026年8月22日)付の「しんぶん赤旗」では、新聞販売店の倒産が増えていることが記事になっています。

 

 その記事は「新聞発行の縮小に歯止めがかかりません」として、「『紙の新聞』は歴史的な岐路に立っています」という言葉で締めくくられています。もし本当なら、赤旗自身がそのことを真剣に考えるべきです。「歯止めがかからない」のですから。

 この記事は、市田さんの記述と矛盾するのではないでしょうか。

 市田さんの記述と、この赤旗記事を整合的に捉えるとしたら、「紙の新聞は規模縮小をしていくが、デジタルや他の形態への転換によって生き残る可能性がある」と考える以外にありません。

 例えば、商業新聞の中で、朝日や毎日などはデジタルへの転換には苦労していますが、日経はその中では比較的転換に健闘しています。デジタル読者は日経は100万ですが、朝日は30万、毎日は数万とされています。

www.nikkei.com

 紙の減を埋めるほどではないとは思いますが、うまくソフトランディングすれば、規模を縮小しながら当面は事業を続けていけるでしょう。もっとも中長期的に若い世代が新たに購読するかどうかは別問題ですが。

 私自身は必ずしもそう思いませんが、例えば日経の「成功例」を示しながら機関紙の維持(紙の廃止・縮小とデジタルへの移行)を論じるならまだ根拠のある言論だと思います。しかし、市田氏のような主張を、数万人の党員たちがまじめな顔で「勉強」して答案に書かなければならないというのは本当に悲惨な状況だと思います。

 

 以前も述べましたが、次の党大会はそのような改革が示される場にならねばなりません。「紙の新聞」を今の規模・価格で維持することに、未来はないのですから。

 

講師資格試験に出題すべきは

 先ほど述べた機関紙の4つの意味を分解して考えてみましょう。

 一つ目の、機関紙としての役割。つまり党中央から党員への指示、逆に党員が中央の考えをつかみ、意見を出す役割です。これは、ネットで十分でしょう。わざわざ1日待って紙で配って伝える意味はありません。メールやLINEやDiscordのようなクローズド・コミュニティ型SNSを使えばさらに即時性・双方向性が高まるでしょう。だから、この役割を「紙の新聞でしかできない」と思い込む必要はないです。

 二つ目の、国民への宣伝の役割。これもネットでいいと思います。かつて、共産党の『機関紙活動の手引き』などでは、本当はテレビやラジオを使いたいが、それは電波法の規制があってできないから新聞で対抗するんだ、と書いてありました。しかし、今やインターネットの動画やネットラジオを自由に発信できます。これに加えて、議員が地域で出している議会報告を紙で配れば、十分代替できるでしょう。

 三つ目の、陣地の役割。言い方を変えると、支持者などとの結びつきの役割ですが、これは後援会ニュースの配布で十分だと思います。300万のニュース読者がいるそうですが、それに配って感想を聞くだけでも、リアルなつながりはできます。

 四つめの、資金源。これが実は一番問題なのです。赤旗日刊紙のような毎月3497円ものサブスクを続けることはかなり難しいでしょう。なので、デジタルの赤旗に切り替えた時に、毎月例えば3000円払ってくれる人は10万人いる、1000円なら20万人いる、というような計算をして、これに動画への投げ銭なら毎月500円が30万人いる、とかそういう計算をして今よりも縮小した収益規模を割り出すしかありません。

 その縮小した収益規模から事業を発想し、組み直すしかないのです。

 講師資格試験に出題するなら「赤旗を含め『紙の新聞』は縮小が止まりません。『紙の新聞』は歴史的岐路に立たされていますが、どうすればいいと思いますか」と思い切って出題してみてはどうでしょうか。

*1:特に資格もなく共産党の集まりで「SNS講師」を名乗る人もいるようですし…。

*2:今の路線を前提とするなら、という意味で、私自身は後述の通り改革が必要だと思っています。

*3:「機関紙活動は、たんに党建設のなかの一課題というだけでない。機関紙は、党中央と全党をむすぶきずなであり、党と国民とのむすびつきを広げる最良の媒体であり、国民の要求にもとづく運動、国会や地方自治体でのたたかい、選挙活動や党建設、財政活動など、党のあらゆる多面的な活動を促進し、統一し、発展させていく中心である。」

*4:そもそも「新聞」一般を、共産党は「ブルジョアマスコミ」などと批判してきたはずですが、その「信頼性の高さ」を持ち出してそのまま「しんぶん赤旗」の購読が増えるはずだという証明にしているのはおかしくないでしょうか。私自身は新聞社が一般的に情報のためにヒト・モノ・カネという資源を大量に投入していることは、新聞の信頼性の基盤になっていると思いますが、そのようなエクスキューズが必要なはずです。