訪問どうも。私の近況について知りたい方は下記の記事をお読みください。(私のこのブログはときどき更新していますが、問い合わせが多いのでしばらくはこのエントリをブログの冒頭に掲げておきます。)
「介護保険は全国一律の制度」「だから一般財源の繰入は不適当」論のほころび
物価が高騰して家計を圧迫しているというのに、税・社会保険料が激しく上がっている。家計に占める割合は過去最高なのだ。
高齢化やインフレの影響で、家計の所得に占める税と社会保険料の負担の割合が2023年9月時点で28%と過去最高水準になっている。高齢者に比べ若年層の負担が重く、消費や出生数を下押ししかねない。
共産党(中山郁美市議)の質問でも、福岡市の国民健康保険料・介護保険料は過去最高である。
政令市20市の中では5番目に高い。
県内でも飯塚市に次いで2番目に高い。
共産党は介護保険料について財政調整基金を取り崩すなどして一般財源からの繰入をして(要は税金を使って)保険料を下げるように提案した。
しかし、市側はいつものような「全国一律(全国共通)の制度」論を繰り返した。
介護保険料につきましては、国が定める割合の上限まで国費・県費とあわせて一般会計から市費を繰り入れ、上昇抑制を図っているところでございます。介護保険制度は全国共通の制度であり、制度の枠外で一般財源を繰り入れることは適切でないとの国の判断が示されていることから、一般会計からの補填については制度上困難であると考えております。(福祉局長)
だが、果たしてそうだろうか。
今日(2024年6月16日)付の「しんぶん赤旗」で大阪社保協の介護対策委員長(日下部雅喜)が大阪市の保険料がなぜこんなに高いのかということについて次のように語っている。
大阪市の介護保険料が高いのは、高齢者のうち1人暮らしの人が多いことと関係していると考えられます。65歳以上の高齢者がいる世帯をみると、1人暮らし世帯の割合は、全国平均が29.6%にたいし大阪市は45%で1.5倍です。
また、介護保険サービスの利用に欠かせない要介護認定の認定率は、大阪市で1人暮らし世帯が38.6%にたいし、2人以上の世帯は18.4%です。1人暮らし世帯は同居者がいる世帯の2倍以上で、1人暮らしの高齢者が増えれば、介護保険サービスの利用者が増えることが分かります。
このため大阪市全体の要介護認定率は引き上がっており27.4%と、全国平均(19.4%)の1.4倍です。
こうしたことから大阪市は保険料が高い理由について、“要介護認定者1人当たりのサービス費用額は全国平均より低いが、認定者数が多いため給付費の総額が高く、被保険者1人当たりの費用額では全国平均より高くなっている”と説明しています。
福岡市はどうなっているかといえば、高齢単身者世帯は高齢者世帯全体の中で36.5%を占める(「令和2年国勢調査人口等基本集計結果概要(福岡市)」p.4)。
https://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/90803/1/teisei_ippan_kokuseichousa.pdf?20211202100445
大阪市ほどではないが、それでも全国平均29.6%の1.2倍である。
要介護認定率については2022年度20.4%で福岡市の資料(下)では「全国に比べ高く推移」と評価している。
ここで考えてほしいのだが、高齢単身世帯が地域によってこんなにも差があって、認定率も違ってくると保険料に大きな差が出てくる。
介護保険料が最も高いのは大阪市で9,240円、最も安いのは東京都小笠原村で3,374円となっており、大阪市と小笠原村では3倍近い差が生じている。
これはもはや「全国一律」の制度と呼べるのだろうか。
自治体ごとに違う制度という建前ならともかく、「全国一律なのだから保険料を下げるために公費を投入してはいけない」というのでは理屈に合わないではないか。
先の大阪社保協の担当者のインタビューでは次のように語っている。
見てきたようにサービス利用者が増え、要介護認定率が2割を超え3割近くなると、保険料がとんでもなく高騰するのは、公費負担が少なく、保険料と公費が半々と言う介護保険の財源構成に問題があるからです。今後、全国で利用者が増えていっても払える保険料に抑えるには公費負担割合、とりわけ国の負担割合(給付費の25%)を抜本的に増やすしかありません。
そして国がやらないのであれば、自治体が独自に公費を投入して保険料を引き下げるようにするのは当然ではなかろうか。
保守勢力との共通の土俵および社会変革のテコとしてのSDGs
今さらながら…あなたはSDGs(SUSTAINABLE DEVELOPMENT GOALS:国連の持続可能な開発目標)を実際に詳しくお読みになったことはあるだろうか。
多くの人は、きれいに彩られたゴールのロゴ(アイコン)くらいではないだろうか。
もちろんGOALS(目標)そのものは、このロゴに書かれていることを読めばそれで目標を読んだことにはなる。
しかしこの目標を具体化するために169の数値目標(ターゲット)が掲げられている。
例えば、SDGsの目標(ゴール)1の「貧困をなくそう(あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ)」には7つのターゲットがある。
その一つは例えば次のようなものだ。
1-2 2030年までに、各国定義によるあらゆる次元の貧困状態にある、全ての年齢の男性、女性、子供の割合を半減させる。
あるいはSDGsの目標10「人や国の不平等をなくそう(国内および国家間の格差を是正する)」のターゲット10-1は次のようなものだ。
10-1 2030年までに、各国の所得下位40%の所得成長率について、国内平均を上回る数値を漸進的に達成し、持続させる。
お読みになって率直にあなたはどう思われただろうか。
私は「これって本気でやったら、ものすごいことじゃないか…?」と思った。
SDGsは17の目標があるが、そのトップに貧困の問題がきていることからもわかるように、その一丁目一番地が「貧困の根絶」なのである。
ターゲット1-2(2030年までに、各国定義によるあらゆる次元の貧困状態にある、全ての年齢の男性、女性、子供の割合を半減させる)は要は相対的貧困率とか、子どもの貧困率、あるいは女性の貧困率などのことだ。
これを半減させるというのである。
日本の相対的貧困率は15%である。SDGsスタート時点の2015年でもだいたい同じくらいだ。
それを半減するというわけだから7.5%にするということになる。
これはなかなかすごいことではないだろうか?
もう一つ紹介した、低所得者の所得の向上。
例えば福岡市では、世帯全体のうち低所得に当たるのはちょうど年収300万円未満の世帯である。
これは福岡市でどれくらいいるかといえば、なんと約40%。ピッタリである。
福岡市はこの年収300万円未満の世帯を「低額所得世帯」として市の計画*1などで位置付けている。
ちなみに、かつて厚労省は年収192万円未満を「ワーキングプア(働く貧困層)」とざっくり定義したことがあり、「年収200万円未満」を統計上「貧困層」ととりあえず見なしてもよかろう。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001ja05-att/2r9852000001ja67.pdf
福岡市ではざっとこうなる。
これはSDGsの10-1「2030年までに、各国の所得下位40%の所得成長率について、国内平均を上回る数値を漸進的に達成し、持続させる」というターゲットの「所得下位40%」に当たるのではないか?
…と共産党(中山郁美市議)が福岡市議会で質問したところ(2024年6月15日)、市側もこれを認めた。
中山 (SDGsのゴール10にある)「所得下位40%」を本市の指標に当てはめると「年収300万円以下」が大体これに匹敵すると思いますが、確認させていただきたい。
総務企画局長 世帯の収入については、世帯構成などを勘案する必要があると考えておりますが、令和4年の就業構造基本調査によると、福岡市において世帯1年間の収入を表す世帯所得が300万未満の世帯の割合は39.1%となっており、おおむねお質しの通りでございます。
SDGsではこの低所得層の所得向上を、平均世帯以上にスピードアップしろ、と要求している。
こちらも本気でやったらすごいことだと思う。
日本共産党は綱領で社会主義=「生産手段の社会化」によって「すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくす」ことを目標にしている。
生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくす
つまり健康で文化的な最低限度の生活をすべての人が保障されるようにしようということだ。
もしもSDGsが実現したら、社会主義がめざすものへとストライドで近づくことになるとさえ言える。
共産党は資本主義の矛盾の表れとして、気候危機と貧困・格差という二つの問題を綱領の中で記述している。
気候危機を根本的に解決するためにIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の「1.5℃報告書」では社会のあらゆる側面において急速かつ広範な、前例のないシステム移行を求めている。
共産党の綱領では
生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。
とも書いていて、経済の合理的な規制を社会主義(生産手段の社会化)の目標にしている。
もしも気候危機を打開し、貧困をなくすことができたら、資本主義がそのときどういう姿をしていようと、それは社会主義の大きな目標が実現したということになる。
それくらいすごいことである。
いま日本では政府も自治体も、SDGsだSDGsだと大騒ぎして、SDGsバッジを胸につけている政治家や企業家は山のようにいる。
福岡市の高島宗一郎市長も市の最上位の計画である「総合計画」について、こう言っている。
総合計画の着実な推進によって、SDGsの達成に向けて取り組んでいるところである。(2022年3月23日条例予算特)
なるほど、では日本政府も福岡市も、SDGsに沿って、貧困削減目標を定めてがんばっていることであろう、と思うかもしれない。
ところがである。
日本政府も福岡市も貧困の削減目標は掲げていない。*2
福岡市に至っては、福岡市の相対的貧困率の現況を調べてさえもいないのである。
今福岡市は新しい基本計画(第10次)を策定中である。
SDGsのゴールが市長の素案には貼り付けてある。
ところが、素案には、貧困の削減などは全く指標に入っていない。
それどころか、これまであった客観的な数値目標は全て消えてしまい、主観的な市民意識の数値だけが目標にされてしまっている。
共産党は「新計画でSDGsの達成をめざすなら、貧困の半減を指標にすべきではないか」と議会で要求したが、市側は取り入れようとしなかった。*3
これでは、市の施策に取り組んだ結果、貧困が減ったのかどうかわからない。逆に増えているかもしれないのだ。
SDGsの看板だけ掲げ、具体的な成果が問われる数値目標を全部外してしまう——これでは「SDGsウォッシュ」と言われても仕方がないのではないか。
同時に、どの自治体であっても、本気でSDGsを追求するのであれば、それ自体が大きな社会変革のテコとなる。
しかもSDGsは現在の保守勢力との間でも「共通の土俵」として一致しうる目標なのだ。「あなた方はSDGsを本気でやるつもりなら、貧困削減目標を掲げるべきではないのか?」とどの地方議会でも正面から迫っていくべきだろう。
*1:「福岡市住生活基本計画」2016年、p.11
*2:「相対的貧困率は、高齢化が進めば、年金暮らし等で相対的に所得の低い高齢者層が増えることで高まることになります。このため、貧困を表す指標として、我が国の数値目標とすることにはなじまないと考えています」(岸田首相、2021年12月8日)
*3:総務企画局長は「基本計画と実施計画を一体に推進する」と答えた。実施計画の方で客観的な数値目標を扱うというのだ。しかし、そもそも素案は基本計画だけで、実施計画案は何も示されていない。「一体」というなら「一体」に示すべきだろう。しかも現在の実施計画には福岡市の貧困率の現状も削減目標も一切入っていない。それなのに「数値目標議論は実施計画の方でやってくれ」と言われても信用できるわけがないではないか。
冤罪
2ヶ月の間、何にも音沙汰なし。
「調査」する意思も能力もない。
人を病気に追い込んで、挙句に何も連絡なく放置。どうなっているのか聞くと「調査中だ!」としか返さない。2024年5月7日現在、いまだに次に所属する単位も告げられていない。権利の蹂躙である。
進捗すら報告しないって、まともな組織のすることかね。
正式調査から10ヶ月。予備調査から1年3ヶ月。あれだけ頭のおよろしい方々が雁首そろえて血眼になって調べたけど、なーんにも出てこなかったってこと。
完全な冤罪だろ。
冤罪じゃないっていうなら、なぜ証拠を示さないのか。
示せないからだろ?
「時間をかけて調査している」というのなら、なぜ何も連絡してこない?
「今後調査すべき項目」のリストくらい渡したらどうか?
調査される側はその間に準備もできて、ウィン・ウィンじゃないか。
でも、しない。できないから渡さないんだろう?
調査することなんかもう何もないものな。(初めからないけど。)
冤罪だったのにハラスメントざんまいで人を病気に追い込んで、その人たちは処罰もされずに、英雄気取りで今日も陣頭指揮をとっている。
そんな人たちの手先になって壇上で発言をした皆さんも本当にダサい。
発言しろって命じられても拒否すりゃいいのに、なんで引き受けるのかね。アイヒマンだからか。アイヒマンは「凡庸な悪」じゃなくて確信的なアクティブだったらしいし。*1
ああなるほど、オモテではいろいろ偉そうなことを言ってはいても、結局自分の頭ではものを考えない人たちだったんだなと納得した。特にハラスメント被害を告発したことに対して、何の根拠もなく平気で否定するというセカンドハラスメントの発言をやった瞬間、ふーん、この人たち、人権や理屈が根拠じゃなくて、組織的忠誠心が最優先なんだ〜と思ったものだ。幹部の顔をした人が「銀行を襲え」って言ったら、何の迷いもなく銀行を襲うんだろうね。
簡単に人の被選挙権を剥奪した時もびっくりした。選挙の公正なんて民主主義の根幹だろ? こういう人たちは体制が変われば簡単に小スターリン化するだろうなあ。識字率がどうこうというレベルじゃない。字を読めて「教養」がおあそばします方々が、上が言うことに唯々諾々と従って他人の被選挙権を取り上げたのだ。
人間の見方が変わったわ。
吊るしあげ&ハラスメントをしたエラい方々は、「あいつの有罪はすでに確定している。量刑について調査しているだけだ」という珍論を並べだした。それを他のメンバーに吹いて回っている。
どこにそんなルールが書いてあるのか。
ルールブックには逆のことが書いてあるぞ。
そもそも常識的に考えて「有罪・無罪は密室で決まり、量刑だけに厳密な手続きがある」なんていうルールがもしあったら、おかしすぎると思わなかったのかね。
加えて、過去の決定にも、自分たちのこれまでの言明にも反している。
あなたがたこそ、まごうことなきルール違反。
要するにただのデマである。
デマを言って回っているだけなのだ。
そんなことを言わざるを得なくなったのは、逆にその人たちが追い詰められてしまったからだ。
朝ドラ「虎に翼」で、検察官が法廷で弁護側に追い詰められて、その場ででっち上げのウソを次々に喋り散らかしていく様子がそっくりだった。あなたがたがやっているのは、戦前の天皇制の法廷や、スターリン時代のソ連法廷と同じだ。ザ・中世である。
なーんにも言わない・なーんにもしてこないというのは、あいまいにしたいんだろう。あいまいにして「忘れてくれないかな」と願っているんだろうけど、そうはいかない。
冤罪で人を苦しめているエラい方々に申し上げる。
まず、罪を認めて謝りなさい。
次に裁きを受けて処罰されるべきだ。
あなたがたは人にひどいハラスメントをして病気に追い込んだのだ。
違うというなら、密室でなく公開で一問一答をさせなさい。
反論され論破され面目を失うのが怖いから、発言時間を著しく制限し、自分たちが長々と喋れる環境があるところでしか「議論」をしないのだ。相手に猿轡をかけないと恐ろしくて議論できないという自分自身が情けなくないのかね?
自転車旅行
私は激しいハラスメントで精神疾患に追い込まれ、医者にも通っている。
診断書が出て2度休職もした。
家に閉じ込められているときに、医者に規則正しい生活や適度な運動を勧められていた。
安彦良和が日本神話の登場人物である大国主を描いたマンガ『ナムジ』を読んだ時、主人公のナムジがヒミコに石の牢に10年間閉じ込められるエピソードが描かれていた。その時にナムジは狭い牢の中で体を鍛える。
気持ちも 躰も 弱ってしまったら負けだ
鍛えろ! 鍛えろ!!
油断をするとすぐ足腰が立たなくなるぞ!
ここで朽ち果てれば
ヒミコはおまえを
嘲笑(わら)うだろう
それが口惜(くちお)しくないか!?
口惜しかろう!?
ならば——
(安彦前掲書、4巻、中公文庫コミック版、p.103)
下記の図を見てほしい。虜囚となりながらもナムジの生きる気力と力強さが絵柄から伝わってくるではないか。権力者の思い通りにならぬ強い意志を体づくりと一体に進めるナムジの姿はそのまま、不当な「弾圧」下の私の指針になった。
毎日の筋トレだけでなく、自転車で単独の旅行に行きたいと思うと医者に話すと「それはすごい。いいことだ」と大いに推奨してくれた。
1日70キロほどを走り、4日で300キロ近くを走破した。
記事冒頭の写真もその時に写したものである。
海沿いを走った。
九州の北部の道というのは、どこまでも自動車のための道路であって、自転車が走るようには設計されていないなとつくづく感じた。いや、歩道すらない。草に覆われた小さな路側帯があるだけなのだ。自転車のすぐ横を自動車がすごいスピードで走り抜けていく。
田んぼがこんなにあるのか、という感慨も得た。
こうした耕地をちょうど今後継者がいなくなり、集約して引き受けるにも限界が来ていて、みんな宅地のようになってしまうか、さもなくば荒れ果てていくのかと感じた。
松原が時々ある。
これは愛知の私の生家の近くや、それまでに過ごしてきた東京・京都などではほとんど見なかった景観だった。
自転車で山を登るのは本当に難儀だった。
電動アシストがあればいいのだが、それがついていない自転車なので人力で漕ぐしかない。ある出版編集者にこの旅行を告げた時「電動アシストがないと地獄ですよ」と忠告されたのだが、ないものはないのだ。幸い「ママチャリ」ではなくギアがついたスポーツタイプの自転車だったので、ギアを落として登ったが、どうにもきつくなって2度ほど自転車から降りて歩いて超えたものだった。
「これが廃止された(警報器のない)踏切か〜」というような場所や、イノシシの死体にカラスが群がっているところ、「こんな山の中で買い物は…いや、そもそも小学校はどうやって通うのだろう?」というような集落などを見た。
午前中なのに急にあたりが暗くなり、大粒の雹が降ってきたこともあった。雨合羽はあったが、使わずに、近くのバス停で雨宿りをした。
地域の図書館に寄ると、廃本を処分していて「自由にどうぞ」あったので、西村賢太の対談集を1冊だけもらって帰ったりした。
田舎の荒れた耕地や、空いている場所にはソーラーパネルをよく見た。
私自身は田舎出身なのだが、平地の農村だったので、山や海の田舎の風景には心が洗われた。そういうものを自転車で実感し続けられただけでもやった甲斐があった。1日に50キロを越えると体が疲れてくるのだが、気候も良かったせいもあり、風景を楽しみながら「もう少しで宿について美味しいものが食べられる!」と思いながら漕いだ。
風景を撮影していたら、QRコードをカメラが認識したりした。風景の一部分がQRコードに認識されることもあるんだと思って可笑しかった。
1日にどこまで行けるかわからないので、宿はあらかじめ取れない。
なので、「ここらでいいだろう」という場所についた時、泊まれるホテルがなく、やむを得ずラブホテルに泊まることがあった(むろん1人で泊まる)。
ラブホからリモートの読書会に参加したりした。
お金を渡すエアシューターなどがまだ健在で、思わずどうやって使うのか電話して受付に聞いてしまった。
家の近くに戻ってきた時に高速道路沿いを走った。
そのあとこの高速道路を通るたびに、「ああ、この側道を自転車で走ったよなあ」と思い出す。
思い切って自転車で旅をして良かったと思った。こんな体験は現役時代にはなかなかできまい。リタイアしたらなおさらだ。
ナムジのように、権力者の圧政など潰されないぞという気力が湧いてきた。そして人生において振り返ることのできる思い出になりそうな気がした。
*1:田野大輔・小野寺拓也編著『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』。
自衛隊への名簿提供について
福岡市は、自衛隊のリクルートのために18歳と22歳の市民の名簿を自衛隊に提供しています。
この問題について、「議会と自治体」2024年5月号に、有田崇浩・平和新聞編集長が「『安保3文書』と軍拡の現段階」という論文を書いていました。
現在、自民・公明政権は安保3文書にもとづいて対米従属下で「戦争国家」づくりを進めていますが、この名簿提供の動きは、そのような政治の動きの中でどう位置付けられているかを解明した部分に注目しました。
安保法制下および安保3文書のもとでの「名簿提供」
まず、自衛隊は安保法制で任務が危険になったこと、そして少子化で、応募者が減っていることを指摘します。
有田論文によれば安保法制下で任務の危険性が増し、自衛隊への応募者は減少を続けています。
特に現場部隊で中核となる「曹」や現場の最前線で活動する「士」の採用環境で厳しさが増大しています。(p.21)
一般曹候補生の応募者は4万3639人(2009年度)から2万4841人(22年度)と半分近くになってしまっています。自衛官候補生の応募者は昨年春の採用達成率が目標の4割強だと言います(2009年度以降で最低)。
私は少子化や安保法制化での危険に加え、ハラスメントが深刻であることが世界的に知られるようになったこともあげられるのではないかと思います。
このもとで、安保3文書でのこの問題(自衛隊の人材確保)の問題がどう位置付けられているかを次のように書いています。一言で言えば「人的基盤の強化」です。
国家防衛戦略は「防衛力の中核は自衛隊員である」と明記した上で、
採用については質の高い人材を必要数確保するため、募集能力の一層の強化を図る
防衛力整備計画では、「人的基盤の強化」として、
防衛力の抜本的強化のためには、これまで以上に個々の自衛隊員に知識・技能・経験が求められていること、また、領域横断作戦、情報戦等に確実に対処し得る素養を身に着けた隊員を育成する必要があることに留意しつつ、必要な自衛官及び事務官等を確保し、更に必要な制度の検討を行うなど、人的基盤を強化していく。
また「採用の取組強化」として
少子化による募集対象人口の減少という厳しい採用環境の中で優秀な人材を安定的に確保するため、採用広報のデジタル化・オンライン化等を含めた多様な募集施策を推進するとともに、地方協力本部の体制強化や地方公共団体及び関係機関等との連携を強化する。
としています。
有田論文によれば、
二〇二三年二月の自治体への自衛官募集の協力依頼には「安保関連文書が決定された」ため、今まで以上に自治体と連携を強化したいと書き込まれました。
とあります。
私は、自衛隊について、最終的には国際環境が整えば解消に向かうべき組織だとは思っていますが、当面は災害派遣および急迫不正の主権侵害に対応する部隊として活躍してほしいと思っています。その点で、ハラスメントの実効的な根絶に取り組みつつ、適正な形で人員募集が行われること自体を否定するものではありません(少なくとも私が市長になったとしたら、そのような募集業務そのものを否定することは考えていませんでした)。
しかし、第一に、安保法制下で集団的自衛権の行使が容認された存在になってしまっており、そのような意味で「違憲」化してしまっています。そして募集された人員はアメリカの不法・違法な戦争に巻き込まれる危険があります。そのようなもとでの自衛隊の「徴兵」は許されないと考えます。専守防衛の部隊としての任務を全うできるよう、安保法制そのものをやめさせることが前提だと思うのです。
第二に、自衛隊への名簿提供が自治体としての適正な形で行われていないという問題があります。福岡市においても不適切です。この問題が解決しないもとでは、名簿提供は許されません。
地方議員や自治体での運動を見ていると、あまり安保法制や安保3文書との関連が取り上げられず、「自衛隊は憲法違反だから名簿提供するな」とか「とにかく自衛隊を利するから反対」とかいう向きがあって、それはどうかなあと思っています。逆に「自治体の名簿提供の方式が適正なものになれば、安保法制の下であっても名簿は提供してもいい」という人もいて、それは私とは立場が違うなと感じます。
むろん、社会運動ですからどういう動機であっても「名簿提供するな」という一致点で共同しようと思っています。
リクルートそのものよりも自治体と連携することがねらい
有田論文では“名簿提供にこだわるのはリクルートそのものよりも自治体と連携することがねらい”という指摘が興味深かったです。これは引用して全文を紹介しておきます。
提供された名簿に基づき、入隊加入のためのダイレクトメール(DM)が郵送されたりしますが、私が入手した陸上幕僚監部の内部資料によると、「地本の郵便物」の効果は一%程度としています。氏名・住所などの四情報は決して使い勝手がよいものではなく、名簿提供が具体的な募集効果をもたらす手段でないことは、防衛省・自衛隊もある程度わかっているものと見られます。
昨年度の募集に向けて作成された防衛省で作成された内部文書では、名簿提供などを求める理由を「協力関係の一層の強化のため」として、わざわざ傍線付きで強調しています。私が取材した防衛省関係者は「理解が広がっていることが重要」と言及しましたが、「適齢者名簿」の提供は、リクルートそのものより「自衛隊の人的基盤の強化のため」として、自治体にシームレスに住民情報を提供させる「仕組み」づくりや理解形成を強化すること自体にねらいがあると見るべきです(p.21)
これは私の実感にもそいます。
自治体による名簿提供は何を根拠にしているのか
これは自治体によって名簿提供の根拠が違っているという不思議な現象があります。
福岡市が持っている18歳と22歳の市民の情報は個人情報です。
それを勝手に渡していいのでしょうか。
福岡市の個人情報保護条例第10条ではそれを禁じています。
実施機関は、利用目的以外の目的のために保有個人情報…を自ら利用し、又は当該実施機関以外の者へ提供してはならない。
しかし、例外として同条第2項で「渡してもいいよ」という場合を想定しています。
2 前項の規定にかかわらず、実施機関は、次の各号のいずれかに該当する場合は、利用目的以外の目的のために保有個人情報を自ら利用し、又は当該実施機関以外の者へ提供することができる。ただし、本人又は第三者の権利利益を不当に侵害するおそれがあると認められるときは、この限りでない。
(1) 法令等に定めがあるとき。
(2) 本人の同意があるとき、又は本人に提供するとき。
(3) 出版、報道等により公にされているとき。
(4) 人の生命、身体、健康、生活若しくは財産又は環境の保護のために緊急に必要があるとき。
(5) 専ら統計の作成又は学術研究の目的のために保有個人情報を自ら利用し、又は他の実施機関若しくは国等に提供するとき。
(6) 前各号に掲げる場合のほか、実施機関が、福岡市個人情報保護審議会の意見を聴いて、公益上の必要があると認めるとき。
だいたい他の自治体も同じように定めているのですが、「(1) 法令等に定めがあるとき」を根拠にしている自治体が時々あります。
自衛隊法第97条1項では
同2項では
防衛大臣は、警察庁及び都道府県警察に対し、自衛官及び自衛官候補生の募集に関する事務の一部について協力を求めることができる
そして自衛隊法施行令第120条では
防衛大臣は、自衛官又は自衛官候補生の募集に関し必要があると認めるときは、都道府県知事又は市町村長に対し、必要な報告又は資料の提出を求めることができる。
とあるので、これが根拠=「法令等に定めがあるとき」だと考えている自治体があるからです。
しかし、有田論文でも指摘されているように、施行令120条の「資料」に、市民の名簿=住民基本台帳情報が含まれるとは言い難いのが実情です。
なので、これで突破しようとしている自治体もありますが、法務関係者から「これは苦しいですね」と言われているところは、それを根拠にしていません。
福岡市もそうなのですが、
(6) 前各号に掲げる場合のほか、実施機関が、福岡市個人情報保護審議会の意見を聴いて、公益上の必要があると認めるとき。
を根拠にしてきました。
個人情報保護審議会が「いいよ(公益上の必要があるね)」と言えばできるだろうという建前にしたのです。
福岡市が主張した「公益性」とは「事務の効率化」でした。名簿を提供することで事務が効率化するからいいでしょ、というわけです。
しかし、福岡市ではこれはけっこう難航しました。
意見がいろいろ出てしまったのです。当然ですね。事務がスムーズに行くから、禁止されている個人情報を渡してもいいでしょ? というのはあまりにもいい加減な理由です。そんならなんでもOKになってしまいます。審議会に出ている専門家が「はいそうですか」とそのまま通したら名折れです。
そのあたりを共産党福岡市議団が市議会で追及し説明しているので、見てみましょう(2020年3月3月23日条例予算特別委員会、倉本達夫市議)。
◯倉元 まず、市長は名簿提供の根拠として、公益性があるからと言っている。市が挙げた公益性の一つ、事務の効率化については、審議会で、「こういう効率化ができるから提供するのが当然だとかいった説明は、慎重に願いたい。もしそれだけなら反対する」などの意見が相次いだ。自衛隊以外の国などの機関に提供したいという2つ目の諮問は、効率化のみを理由に諮問したため否定されている。したがって、市長が主張した、事務の効率化を公益性とするのは明確に否定されたと思うが、所見を尋ねる。
◯市民局長 審議会においては、事務の効率化をもって個人情報を目的外利用する公益性があるとするには十分でないといった趣旨の意見もあったが、自衛隊の担う役割の重要性も含め、総合的に審議され、公益上の必要性があると判断するとの答申を受けたものである。
もう一つの「公益性」は「法定受託事務だから」というものです。「自衛隊員の募集は法律で国が市長がやるように命じている事務だから、事務の範囲以外のことでもその事務に役に立つことはできるだけ協力するのは公益性があるでしょ?」というわけです。
ところが、これについても審議会では批判されているんですね。
◯倉元 事務の効率化は明確に否定されたのである。もう一つ市長が挙げた公益性は、本市としては、法定受託事務を担うところで、できる範囲での協力を行うということである。しかし審議会では、部会長から、法定受託事務だから公益性があるのだというのは短絡的と批判されている。ほかにも、個人情報を守るのは大事な自治事務であり、憲法で保障されたプライバシー権を侵害してよいというほどの公益性が法定受託事務だということからは直ちに出てこないという意見もあった。つまり、法定受託事務を理由とすることに疑問が出された。したがって、いくら法定受託事務であっても、自衛隊に人が来ないから、その募集のためにプライバシー権を無視して、名簿を勝手に使ってよいとはならないと思うが、所見を伺う。
◯市民局長 審議会における法定受託事務に対する意見については、法定受託事務であることをもって、個人情報を目的外利用する公益性があるとするには十分でないといった趣旨の意見を受けたが、自衛隊の担う役割の重要性も含め、総合的に審議され、公益上の必要性があると判断するとの答申を受けたものである。また、自衛官等募集事務については法定受託事務であることから、可能な範囲で協力すべきであると考えている。
このように、審議会からはかなりの批判が出て、傷だらけで「公益性」のハンコが押されたのです。
そして、審議会は名簿を渡してもいいけど、条件があるよといって、4つ条件をつけたのです。
その一つが、「私の情報は、自衛隊に渡す名簿から除外してください」と申請したら除外しないといけないという条件でした。
共産党としては本人の同意を取るべきだと要求しましたが、市は頑なに拒否します。しかし、「私の情報は、自衛隊に渡す名簿から除外してください」という場合は、福岡市にいる18歳と22歳全員にもれなく周知されいないとこの条件は成り立ちません。
そこで、共産党としてはハガキで本人に通知することを条例提案したことがあります(2021年9月3日、山口湧人市議=当時)。
初めに、本条例案の概要について説明いたします。
福岡市個人情報保護条例の第10条に、その3号として「実施機関は、前項第6号の規定により保有個人情報を提供する場合において、本人の求めに応じて当該本人の保有個人情報の提供を停止することとしているときは、保有個人情報の提供について公益上の必要があることその他の当該保有個人情報の提供に関することを市民に周知するとともに、本人の求めに応じて当該本人の保有個人情報の提供を停止することについて、あらかじめ、本人に通知しなければならない」という条文を加えるものです。
…
続いて、本条例案を提案する理由について御説明いたします。
福岡市による自衛隊への名簿提供問題で、対象者の情報を紙媒体等で提出することは、公益上の必要があると考えており、提供については、紙媒体または電磁的記録による提出を行ってよろしいかという市長の諮問に対して、福岡市の個人情報保護審議会は2020年2月14日付の市長への答申で、公益上の必要性が認められるものと判断するとしながらも4つの条件をつけました。そのうちの1つとして「毎年度、情報の提供に先立って、公益上の必要性に関する説明を含めた市民への周知を行い、自己の情報を提供してほしくない旨の意思表示を行った市民については、提供する情報から除外する措置を講じること」という条件を付しました。
個人情報保護法では、こうした除外希望者の除外措置はオプトアウトと呼ばれる制度ですが、このような制度は、通常、公益性の低い民間事業者に対して適用されるもので、行政などの公的機関が行う事業は公益性が高いことが当然に想定されており、通常、オプトアウトを設けることはあり得ません。だからこそ、自治体が扱う個人情報を対象にする各市町村の個人情報保護条例には、福岡市をはじめ、どこでもこのようなオプトアウト制度は存在しませんでした。したがって、市審議会がこうした条件を付したのは極めて異例です。自衛隊への名簿提供について、辛うじて公益性の必要が認められるものと判断したものの、その公益性は極めて低く、それゆえに普通は民間業者にしか適用されないオプトアウトを条件として付したのです。そのことは、審議会目的外利用等審査部会2020年2月7日の議事録を見ても、市の説明に対して「法定受託事務だから公益性があるのだというのは、ちょっと短絡的な感じがする」、「公益上の必要の、公益の中身が分かりにくい」などの異論が出ていることからも分かります。
審議会答申を受けて市は、情報の提供に先立って、公益上の必要性に関する説明を含めた市民への周知を行った上で、自己の情報を提供してほしくない旨の意思表示を行った市民については、提供する情報から除外する措置を講じるとしています。
ところが、この措置は市個人情報保護条例上、何ら位置づけがないため、どんなにずさんな周知や措置を行ったとしても、本人または第三者の権利利益を不当に侵害するものには当たることはないとされています。市長への答申で述べられている周知、除外措置は言わばただのおまけでしかありません。実際にオプトアウトをする際に行われている本人に通知するためのダイレクトメールの郵送などを市はかたくなに拒否し、本人が容易に知り得る状態に置くことになるホームページや広報紙への掲載などは個人情報保護法ガイドラインの要件を全く満たしていません。これでは措置はただのお飾りになってしまい、審議会答申の趣旨が踏みにじられてしまいます。
そこで、条例を改正することで答申の趣旨を生かそうとするものであります。
福岡市の広報が以下の不十分かも、共産党は論戦しています(2021年9月3日、綿貫英彦市議=当時)。
実際に本市は、周知、措置の一つとして福岡市ホームページへの掲載をしています。個人情報保護法では、民間事業者にオプトアウトする際には、個人情報提供について、あらかじめ本人に通知し、または本人が容易に知り得る状態に置くと定め、具体的なガイドラインを設けております。例えば、ホームページではトップページから1回程度の操作で到達できる場所での掲載を例示しておりますが、本市のホームページでは自衛隊への名簿提供について6つのディレクトリをクリックしないとたどり着くことができません。以上のことから、本市の周知、措置は本人が容易に知り得る状況にはなってなく、ガイドライン違反となっています。市政だよりへの掲載も1回のみであり、高校、大学へのポスター掲示についても、実際に貼り出しが行われたかも確認されていません。実際に18歳や22歳の対象者に聞いてみても、圧倒的多数の若者が知らないと答えています。以上のことから、周知及び措置は全く不十分なものになっていると考えています。
つまり、「あなたの個人情報が今から渡されますよ、いいですか?」ということがちゃんと全ての対象者には周知されていないのです。それで個人情報を渡したらダメでしょ、ということなんですね。
せめてこれがクリアされたら渡してもいいよ(ハガキで知らせた上でやるならいいよ)、という他の会派の市議さんもいて、こういう人たちと共闘をしてきました。
福岡市の博多港を自衛隊の平時の訓練に活用することをどう見るか
福岡市の博多港を、自衛隊の平時に訓練のために活用する「特定利用港湾の指定」問題。
“軍事目的ではなく災害対応”とくり返す福岡市
この問題で3月末に共産党福岡市議団が申し入れをした際に、福岡市の港湾空港局長は“軍事目的ではなく災害対応”という趣旨をくり返しました。そしてこの背景には台湾有事が念頭にあることを指摘した申し入れ文書に対して、局長はそれをわざわざあげつらって嗤っていたのが印象的でした。
「軍事目的ではなく災害対応」「これまでとなんら変わらない」というのは、高島宗一郎市長の強調の仕方と同じです。4月8日の市長の定例会見ではどう述べているでしょうか。
https://www.city.fukuoka.lg.jp/shisei/mayor/interviews/20240408sichoteireikaiken.html
記者
博多港が特定利用港湾に指定されたという、もう少し広く、自衛隊の利用も今後想定される中でいうと、その辺はどう受け止められていますか。市長
そうですね。博多港としては、実はこれまでと運用は全く変わらないと聞いています。要するに、特に期待されるのは災害時等の物資の支援だとかですね、こういったものが普段からの連携によってスムーズにいくようにということですが、基本的にこれまでも自衛隊だとか海上保安庁について、民間利用に問題がない、支障がない場合については、これまでも入港していますし、これまでと博多港に関して変化がないと伺っています。
記者
緊急時の国民保護と平時の利用を見込んでいるみたいなふうに、ちょっと私も報道ベースでしか分からないんですけど、そんなふうに聞いていて、その中で具体的にどういうのが緊急時の国民保護とか、平時の利用に当たって、そういう場合に、どういう利用をするかというような説明は受けてらっしゃいますか。市長
基本的に災害というところが一番大きいと思っています。例えば有事というのは、例えば戦争とかですね、戦闘とか、そういったものについては、枠組みが全く違う法律の範ちゅうになりますので、今回については、平時に民間の運航に妨げがない範囲内で、これまでと変わらない運用と国交省からは説明を受けています。
福岡市のごまかし(1) 「軍事でなく災害対応」?
まず、ここでの単純なごまかし・すり替えについて述べておきます。
第一に、「今回の指定は災害であって軍事(防衛)ではない」という福岡市の言い分ですが、そもそも「特定利用港湾の指定」という事業は「総合的な防衛体制の強化に資する公共インフラ整備」だと政府は述べており、名称一発で、市の言い分が何かをごまかしていることがわかります。
我が国は、戦後最も厳しい安全保障環境の下に置かれています。この取組は、このような安全保障環境を踏まえた対応を実効的に行うため
・平素から、必要に応じて自衛隊・海上保安庁が民間の空港・港湾を円滑に利用できるよう、インフラ管理者(地方共団体等)との間で「円滑な利用に関する枠組み」を設け、これらを「特定利用空港・港湾」とし
・その上で、それらの空港・港湾について、あくまで民生利用を主としつつも、自衛隊・海上保安庁の航空機・船舶の円滑な利用にも資するよう、必要な整備や既存事業の促進を図る
という取組です。
と示しています。軍事=「防衛」や「安全保障」目的が主眼であって、「災害対応目的」「災害対応限定」というごまかし(印象操作)は全く通用しません。
福岡市のごまかし(2) 「有事の話ではない」?
第二に、「戦争・有事の話ではない」という髙島市長らの言い分です。
たしかに今回の「特定利用港湾の指定」によって博多港を使うことそれ自体は、有事の枠組みではありません。有事(戦時)に自衛隊などが空港・港湾を優先的に使用する仕組みは、有事法制の一つ、「特定公共施設利用法」(2004年)ですでに定められています。それは髙島市長のいう通りです。
しかし、有事になってすぐにスムーズに使えるわけではありません。そこで平時にも訓練で使うようにしたい、という思惑があったのです。先ほど紹介した政府のQ&Aでも
平素から、必要に応じて自衛隊・海上保安庁が民間の空港・港湾を円滑に利用できるよう、インフラ管理者(地方共団体等)との間で「円滑な利用に関する枠組み」を設け、これらを「特定利用空港・港湾」とし
とあるのはこういう理由です。
つまり、「有事でスムーズに使えるように、平時からの訓練を博多港でさせてください」というのが、今回の指定です。なるほど直接は有事(戦時)の枠組みではないけども、有事のために平時から備えさせてね、ということです。
だからさっき紹介した、政府(内閣官房)の公式サイトの冒頭にも、安保3文書の一つである「国家安全保障戦略」を引用して
令和4年12月に策定された国家安全保障戦略において、「総合的な防衛体制の強化の一環として、自衛隊・海上保安庁による国民保護への対応、平素の訓練、有事の際の展開等を目的とした円滑な利用・配備のため、自衛隊・海上保安庁のニーズに基づき、空港・港湾等の公共インフラの整備や機能を強化する政府横断的な仕組みを創設する」こととしており、関係者で連携して取組を進めていきます。
というふうに「平素」と「有事」が両方とも書いてあるのです。
髙島市長は「指定は(直接には)有事のためではありません(有事のために平時から訓練するのです)」と言っていて、カッコ部分を黙っている・すり替えているのがわかると思います。一種のご飯論法ですね。
しかも、直接には「有事」じゃないとはいえ、「有事が近い」と判断されるときの枠組みとしても今回の指定が活用されることが、すでに他の自治体が政府とのやりとりで明らかにしています。高知県のQ&Aをみてください。
https://www.pref.kochi.lg.jp/doc/2024032200083/file_contents/file_202441111539_1.pdf
Q3 武力攻撃事態のような有事ではなくても、国際情勢が緊迫し有事の一歩手前のような状況になった場合はどうですか?
(答)
○ 国際情勢が緊迫した場合のほか、大規模災害が発生したりして自衛隊艦船が緊急に物資輸送や部隊の展開などの任務に当たる場合があり得ます。
○ こうした場合、「特定利用港湾」に指定されている港湾は、自衛隊艦船による柔軟かつ迅速な利用が図られるよう努めることが求められます。
福岡市のごまかし(3) 「自衛隊の優先利用はない」?
第三に、「自衛隊が優先利用することはない。これまでと運用は何も変わらない」という福岡市の言い分についてですが、国会質問でこの言い分はすでに厳しく追及されています。
これは共産党福岡市議団の申し入れにまとめてありますので、まずそれを引用しましょう。
また、福岡市は国と一体になって「自衛隊の港湾の優先利用をするためのものではない」と言い訳していますが、それはごまかしです。本市との確認文書において防衛省は「緊急性が高い場合」に自衛隊などが「柔軟かつ迅速に施設を利用できるよう努める」と回答しました。国会の質問(3月26日参院外交防衛委員会)で「緊急性が高い場合」とは具体的にどういう場合かと問われ、防衛省は「緊急性の判断については関係省庁と管理者が連携して行う」と述べました。しかし、「緊急性」は管理者(自治体)には判断できません。実際に福岡市は、わざわざこうした判断を「国の専掌事項」だとして、自主的な判断を放棄する“約束”まで国と取り交わしています。なし崩しに自衛隊が優先利用できるようになってしまうことは明らかです。
つまり「緊急だ」と国に言われたら、自治体は緊急かどうか判断できないので、「うん」と言うしかなく、なし崩しに優先利用できてしまうじゃないかということです。
さっき紹介した高知県のQ&Aにも国の言い分として「自衛隊艦船による柔軟かつ迅速な利用が図られるよう努める」という言い回しが出てきましたよね。
これは福岡市と国が交わした確認事項の中にも出てくる表現です。
「緊急性が高い場合」について確かに「武力攻撃事態及び武力攻撃予測事態は除く」って書いてありますが、先ほども述べたように、「 武力攻撃事態のような有事ではなくても、国際情勢が緊迫し有事の一歩手前のような状況になった場合」「国際情勢が緊迫した場合」は「自衛隊艦船による柔軟かつ迅速な利用が図られるよう努めることが求められます」ってはっきり書いちゃってあるんですよね。*1
そして、福岡市は、有事=戦争の性格がどんなものか、それに加担・協力していいかどうかは「国の専掌事項」だと言って、判断を放棄する確認をしています。
政府や自衛隊が「緊急性が高い!」と大声で言えば、そのことについて福岡市としてはとやかく言いませんよ、どうぞお使いください、と一札入れているわけです。
そして、この元になった国会質問は、共産党の山添拓議員の質問ですね。
米軍が使う可能性については全く視野の外だった福岡市
共産党市議団の申し入れでは取り上げられていなかった論点として、米軍が港湾を使うのではないかという懸念があります。
政府のQ&Aでは
Q10:「特定利用空港・港湾」となることで、米軍も利用することになりますか? 少なくとも米軍が利用する可能性が高まる可能性があるのではないですか?
A10: この枠組みは、あくまで関係省庁とインフラ管理者との間で設けられるものであり、米軍が本枠組みに参加することはありません。
となっていて否定しています。
しかし、西日本新聞(2日付)では次のように指摘しています。
米軍の利用を懸念する声に対し、Q&Aは「米軍が本枠組みに参加することはありません」と明記。長崎県の担当者も「政府からは米軍が使うことはないと説明された。問題ない」と話す。
しかし、米軍は日米地位協定第5条に基づき民間の空港や港湾を利用できる。水深を深くして岸壁を整備し、護衛艦や輸送艦が使用できるようになれば、米軍にとっても「使える港」になる。政府関係者は「日米地位協定を持ち出されれば拒否できない」と明かす。
博多港を管理する福岡市も長崎県同様、民生利用に大きな影響はないと判断した。日米地位協定による利用の可能性について市の担当者は「そういう話は初めて聞いた」と驚く。自治体に説明したのか——。政府担当者は「そのような質問はなかった」と答える。
日米地位協定 第5条
1 合衆国及び合衆国以外の国の船舶及び航空機で、合衆国によつて、合衆国のために又は合衆国の管理の下に公の目的で運航されるものは、入港料又は着陸料を課されないで日本国の港又は飛行場に出入することができる。
福岡市は、今回の指定を受けて米軍の港湾使用が行われる可能性について全く検討していなかったことがわかります。
日本有事=日本が攻められた時ではなく「台湾有事」が念頭におかれている
冒頭にも書きましたが、福岡市の港湾空港局長が共産党市議団の申し入れに対して、「(今回の指定の背景には)台湾有事が念頭にあるとか、具体的に書いちゃうとは思ってもみませんでしたなあ」と嗤いました。
これは「少なくとも博多港での自衛隊がやる訓練では対中国や北朝鮮、あるいは台湾有事などをイメージしているわけじゃないですよ」ということなのでしょう。
政府のQ&Aでも
A2: この取組は、特定の国や地域への対応を念頭に置いたものではありません。
A3: この取組は、平素における空港・港湾の利用を対象としたもので、武力攻撃事態のような有事の利用を対象とするものではありません。
と書いてあります。公式の表現だけに限れば局長の言い分には多少の理はあるでしょう。
軍事上の「仮想敵」のようなものをこの時点で政府が公式に表現はしないでしょう。
しかし、それを額面通りに受け取るわけにはいきません。
タテマエではなく、リアルなところ、実際には何が想定されているのかを暴くのが議員・議会の役割です。
共産党市議団の申し入れに書いてありますが、今米軍は中国との戦争、とりわけ台湾有事を念頭において軍事体制を組み、統合防空ミサイル防衛(IAMD)を進めています。自衛隊をこの中に実質的に組み込もうとする動きが急です。
そのカナメが自衛隊・米軍の指揮統制の枠組み強化であり、そのための自衛隊側の対応が陸海空の自衛隊を一元的に指揮する「統合作戦本部」の創設、米軍側の対応が在日米軍司令部の機能強化(陸海空3軍と海兵隊を統括し、行政的任務だけでなく作戦指揮権を持たせる)です。中国との戦争で「すぐに動けるようにするための仕掛け」、というわけです。
赤嶺氏は、エマニュエル米駐日大使が、日米の指揮統制連携強化は台湾有事を念頭にしたものだと発言していると指摘。台湾有事を想定した日米共同作戦計画の原案が策定されたと報じられていることを挙げ、統合作戦司令部を創設し、米軍との間で、現実に即したより詳細な共同計画をつくるのではないかと追及しました。
赤嶺氏は、自衛隊が台湾有事で「米国の要請に応じて必要な行動をとらざるを得ないことは明白だ」とする森本敏元防衛相の指摘を紹介。「米軍の指揮下に組み込まれ、日本を台湾有事の矢面に立たせることは絶対に許されない」と批判しました。
この統合・強化が台湾有事を念頭にしたものであることは、上記の通り、台湾有事を想定した日米共同作戦の原案がつくられたことからもわかります。
演習はコンピューターを使用するシミュレーションで、シナリオの柱は台湾有事。防衛省は特定秘密保護法に基づき、シナリオを特定秘密に指定したもようだ。
日米間には有事を想定した共同作戦計画が複数存在する。このうち、台湾有事に関する作戦計画の原案は昨年末に完成した。
12日付の西日本新聞で磯部晃一・元陸上自衛隊東部方面総監が、「司令部強化 有事即応へ意義」と題して“自衛隊の統合作戦司令部の米軍の相手(カウンターパート)=インド太平洋軍司令部はハワイにいる。遠いし、時差もあって有事の際に不便極まりない。ミサイルへの対応などを考えると全然間尺に合わない。磯部は東日本大震災のときに米軍の「トモダチ作戦」の調整に関わったが来日は発災後10日経ってからだった。指揮権を持つ将官が日本にいれば直ちに即応態勢が取れる”という趣旨のことをコメントしています。
日本の戦略的位置付けが変わってきた。かつては朝鮮半島有事の際の後方拠点と考えられていたが、ミサイル飛来や南西諸島の戦域化という潜在的脅威にさらされ、もはや後方のみならず、第一線になってきたとの認識が日米の間で共有されている。
司令部が強化され、自衛隊との連携が緊密になれば、日本が標的となる可能性が高まるとの指摘がある。だが、日米首脳はリスクより、攻撃を抑止する効果が大きいと判断したのではないか。
日米首脳会談で米軍と自衛隊の「指揮統制機能の連携強化」を合意し、「作戦及び能力のシームレスな統合を可能にし、平時及び有事における自衛隊と米軍との間の相互運用性及び計画策定の強化を可能にするため」(共同声明)だとうたわれました。
平時からのシームレスな日米の統合——これが台湾有事への即応のための備えです。「平時から有事まで」「シームレスな統合」がキーワードです。
つまり、台湾有事を念頭としたアメリカと中国との戦争に、日本は否応なく動員されていく危険が強いのです。日本、特に南西諸島や九州・沖縄はその「第一線」になります。そのような中での、「総合的な防衛体制の強化に資する公共インフラ整備」であり「特定利用港湾の指定」であり、そこで行われる自衛隊の平時の訓練はまさに台湾有事の「第一線」としての九州での訓練なのだと言えます。
しかも米軍が想定する「有事」には国連憲章違反の先制攻撃までが含まれています。そんな国際法違反の戦争に動員され、市民が標的として巻き込まれる危険があるというのに、平時の訓練拠点として博多港を差し出していいのでしょうか。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-03-28/2024032804_02_0.html
山添氏は、政府の広報資料が空港などの利用例として自衛隊による国民保護の訓練を挙げているものの、元陸上総隊司令官は参院予算委の公聴会で「自衛隊の艦艇に住民を乗せて国民保護をやると国際法規上攻撃の対象になる」と公述していると指摘。
日本有事でもなく災害対応でもないことを考えるべきだ
ここで「もし私が市長だったら」という形で問題を整理してみましょう。
私=神谷は、2018年に市長選に立候補した時次のような公約をしました。
災害派遣や急迫不正の主権侵害への対応では自衛隊にも積極的に協力を求めます。海外派兵や違法な先制攻撃などへの市の軍事協力は許さず、そのような形での福岡空港・博多港の軍事使用に反対します。
突然何の理由もなく、日本が攻撃されたり、侵攻されたりしたとしたら、その時は(武力を使わない方策を極力追求しますけど)自衛隊にも積極的に働いてもらうべきだと考えます。当然市長になった時は自衛隊を合憲的存在として扱うつもりでいました。
その時に、国民保護の取り組みを自衛隊が行うことにも市は積極的に協力すべきでしょう。
だから私は「博多港を一般的に軍事で利用するな」ということを言いたいのではありません(もちろん自衛戦争も含めて一切の戦争に反対する、そういう立場からの平和運動があることは理解できます)。
しかし、今直面しているリアリティのある危機というのはそういう形ではありません。
中国が先に手を出すか、アメリカが先に何かを仕掛けるか別としても、米中が台湾をめぐって始める戦争・紛争において、自衛隊がそれに動員されるというものです。
それは日本が攻められるとかいった、純粋な「日本有事」ではありません。
台湾をめぐる紛争に、日本として軍事の点で首を突っ込みにいくということになります。さらに、米軍が先制攻撃=国際法違反という形もあり得るわけです。
そのようなシナリオで日米(そして中台)が動いている時に、ナイーブに「軍事目的じゃありませんよね! 災害対応ですよね! じゃあ港湾を平時の訓練にお使いください!」と差し出していいのかという話です。
少なくとも、そのような懸念がないかを日本政府に問いただすのが市長の役割ではないでしょうか? そして不明点があったり、懸念が解消されないなら、指定を見送ることをすべきではないでしょうか?
見送った自治体も結構あります。
ただ、全12施設が候補となった沖縄県は「米軍の利用などについて不明瞭な点があり、確認作業を続けている」(港湾課)として、県が管理する施設について合意しなかった。…8施設が対象の鹿児島県や、3施設が候補となった熊本県も、政府に要望した地元住民らへの直接の説明がなかったことなどを理由に受け入れを見送った。熊本県危機管理防災課は「防衛力の強化を掲げる以上、身近な空港や港が攻撃を受ける危険性を不安視する県民は少なくない。丁寧な説明がなければ判断できない」とし、態度を保留している。
しかし福岡市にはそういう視点は全くないようです。市長も局長も「災害対応です! 軍事目的じゃありません!」「いつもと変わりません!」と宣伝するのに躍起ですし、米軍が地位協定に基づいて米軍が使用する可能性についても「そういう話は初めて聞いた」てな状況ですから。
そして先ほど画像で紹介したように、わざわざ「国全体の安全保障政策及び防衛政策は国の専掌事項」だという確認までしてしまっています。
「緊急だから自衛隊の訓練に使わせてください」と言われた時に「今緊張が高まっているのは日本有事とは関係ありませんよね?」とか「米軍が違法な戦争を仕掛けて起きている事態で、危険になっているんですよね?」とか、そういうことは口出ししないと、自治体の方からお約束してしまっているのです。平時でも「今やっている国の方向は台湾有事を念頭にする方向です。これではお貸しできません」と言えないわけです。国が判断すればいいと思っているわけですから。というか、市民や野党がそうやって福岡市を追及できないように、福岡市の方から国寄りの立場でその動きを封じてしまおうとしているのです。
福岡城「幻の天守閣ライトアップ」事業のこと
福岡市は福岡城「幻の天守閣ライトアップ」事業というのをやっています。事業費は2年度にまたがっていて、総計で約1億円です。
市のプレスリリースは次のとおり。
■期間 令和6年さくらまつりの開始から、令和6年5月31日(金)まで
■場所 福岡城天守台
■概要 天守台のうえに天守閣をイメージした仮設工作物を期間限定で設置し、観光振興を目的としたライトアップを行います。(天守台上部からの高さ約14m。天守台と合わせた高さは約27m。)屋根や破風、窓の形を強調することで、天守閣のような姿を形成します。色や光り方などが、日時や時間帯によって変化する演出を取り入れます。
ところが、これについては、異議が出ています。
というのは、福岡城には天守閣があったかなかったかが学問上の論争になっているからです。
そもそも福岡市は公式には天守閣の「再建」=復元を公式に否定しています。指図(設計図)・絵図・古写真などの根拠資料がないからです。2014年に「国史跡福岡城跡整備基本計画」をつくりその中で天守閣については「復元が極めて困難」と位置付けられています。
△経済観光文化局長 福岡城の整備については、平成26年6月に策定した国史跡福岡城跡整備基本計画に基づき整備を進めているが、天守閣は、同計画において、復元は極めて困難な建造物との位置づけがなされており、復元の計画はない。(平成28年決算特別委員会2016年10月16日)
にもかかわらず、福岡市は、今回の鉄製パイプ・LEDでの構造物は、「復元ではありません!」という言い訳でやっちゃっているのです。
3月の予算議会で論戦になっていますので、それをお読みいただいた方が早いでしょう。共産党(倉元達朗市議)の質問とそれへの市側の答弁です。(11分52秒ごろ)
倉元市議 次に、観光・インバウンドについてお尋ねします。まず、福岡城幻の天守閣ライトアップ事業についてです。新年度並びに今年度の予算額、事業内容についてお尋ねします。
経済観光文化局長 令和5年度当初予算では、福岡城内のライトアップを実施する予算として4085万円余、6年度は福岡城幻の天守閣ライトアップの撤去費および設置費等の予算として6081万円余をお願いしているところでございます。
倉元 福岡城跡に、金属パイプ製の天守閣を設置し、LEDでライトアップするというものです。事業の目的についても答弁を願います。
局長 今回の事業は、福岡城への観光集客を図るとともに、福岡城や福岡の歴史に対する観光客や市民の興味関心を高めるために実施するものでございます。
倉元 つまり、天守閣をライトアップで描き出して集客を図るというものです。そこでお尋ねしますが、本市は、福岡城に天守閣が存在したとお考えなのか、ご所見をお伺いします。
局長 福岡城の天守閣については、昭和50年代の後半までは天守閣の存在を推定させる古文書が知られておらず、その存在は定かではございませんでしたが、その後、天守閣の存在を推定させる古文書が発見、公開され、現在では天守閣が存在すると考える学説が増えてきているものと認識しております。
倉元 公式な見解はどうなんですか、〔天守閣は〕あったんですかなかったんですか、お尋ねします。
局長 この質問を受けまして、いろいろな法令を調べたところでございますが、私ども福岡市で公式な見解を述べる立場にはないと考えております。
倉元 そんなはずはないですよ。福岡城「『天守閣』の存在・非存在を巡る議論」についての福岡市の公式見解は、2013年に刊行された福岡市発行の『新修 福岡市史 特別編 福岡城-築城から現代まで―』23ページにこう書いてあります。「さまざまな議論は現在にいたってなお決着をみていない」ということです。この本は違うっていうんですか、答弁してください。
局長 先ほど答弁いたしましたのは私どもにあるなしを決定する権限がないということを申し上げたものでございまして、その市史に書いてあることはそのときの見解を述べたものだと考えております。
倉元 苦しい答弁です。福岡市が刊行しているんですよ。では、そこで今回の天守閣の絵は誰が書いたんですか、お尋ねします。
局長 仮設工作物については、企画提案公募により、最優秀企画提案者がデザインしたものでございます。
倉元 基になる資料もないまま、事業者の株式会社JR西日本ビルトにデザインさせています。あなた方はプレスリリースなどで「天守閣をイメージした仮設工作物」と説明していますが、これは天守閣が存在したという特定の学説の立場に立つものではないかと思いますが、ご所見を伺います。
局長 今回の事業は、福岡城への観光集客を図るとともに、福岡城や福岡の歴史に対する観光客や市民の興味関心を高めるため実施するもので、一般的な天守閣としてイメージできるデザインとしているものでございます。
倉元 そう答弁されますがね、こんな事業をやったらどう見ても「天守閣はあった」っていう立場に立つものですよ。少なくとも市民はそう受けております。ではさらに聞きます。説明では「屋根や破風、窓の形を強調」したと工作物について特定の構造を前提として、一層踏み込んでいます。
しかも、単なる展示や「イメージの一つ」にとどまらず、学問的な考証や比較が困難な行楽の人出の多い場所に27mもの巨大な工作物を作り、ライトアップまでして強烈に印象付けています。ところがですよ。天守閣の絵図は全く存在しません。
にもかかわらず、なぜ「屋根や破風、窓の形を強調」することができるんですか。答弁を求めます。局長 外観につきましては、事業者において国内に現存する天守閣を参考にデザインされ、一般的な天守閣に見られる破風や屋根、窓の形を強調することで、天守閣らしさを表現するとともに、観光客や市民が遠くからでも輪郭を視認できるよう工夫されたものでございます。
倉元 歴史的な根拠のないものをここまで描くのは問題です。文化庁は「史跡等における歴史的建造物の復元等に関する基準」を2020年に改定し、その際、専門家によるワーキンググループに議論をさせています。ワーキンググループの取りまとめによれば「適切とは言えない再現」のやり方の例として「デザイン・形態等が全くわからないもの」また「史跡等の理解を妨げることに繋がるもの」が挙げられています。これらは、あたかも天守閣があったかのように描く今回の事業に当てはまります。そこで、文化庁の基準から照らして、今回の事業は不適切なものだと思いますが、ご所見をお伺いします。
局長 今回の事業は、福岡城への観光集客を図るとともに、福岡城や福岡の歴史に対する観光客や市民の興味関心を高めるため、石垣の保全に十分に配慮した上で、時限的に仮設の工作物を設置するものでございます。
倉元 要するに、文化庁の基準にさえ、当てはまらない事業をやろうとしているということです。極めて不適切ですよ。これをね、1億円もかけてやろうとしているわけです。あったかどうかわからないものを、あったかのように描く今回の事業はどう見ても問題があります。そもそも、文化財は、わが国の長い歴史の中で生まれ育まれ、こんにちまで守り伝えられてきた。貴重な国民的財産です。本市の貴重な文化財である福岡城で、集客のために、歴史的根拠もなく、天守閣があったかのように、復元とはかけ離れたやり方を、巨額の税金を使って行う今回のライトアップ事業は、やめるべきと思いますが、市長のご所見をお伺いします。
市長 福岡城を初めとした貴重な文化財は、福岡の2000年を超える長い歴史の中で生まれ、この日に伝えられてきた貴重な財産でございます。また文化財は、福岡の歴史や文化の理解に欠くことのできないもので、将来の文化の発展、継承の位置づけをなすものであるのみならず、市民が地域に対する誇りと愛着を持つという観点からも、とても重要なものであると考えております。今回の事業は「福岡城幻の天守閣ライトアップ」として、5月31日までの期間限定で実施をいたしますが、これを機に、福岡城に対する市民の皆さんの興味や関心が高まっていくことを期待しております。もう既に骨組みはできておりますけれども、大変歴史ロマンを想像しながら、この春は皆さんに楽しんでいただけるものと思っております。
市は『新修 福岡市史』を市として公式に刊行しています。その中で「さまざまな議論は現在にいたってなお決着をみていない」という立場を明確に書いています。「決着がついていない」というのが市の公式な立場なのです。
倉元市議が引用した同書の前後の部分も紹介しておきましょう。
福岡城に天守閣は存在しないというのが従来の定説であった。昭和六十二(一九八七)年末に鴻臚館跡が発見されると、その調査と保存をめぐって、関係が深い福岡城跡についても再検討の機運が生じていく。『福岡県史 近世史料編 福岡藩初期』上・下巻の刊行によって、〔黒田〕長政が「天守」の「柱立て」を指示した文書なども知られていたが、後掲する福岡城天守閣破却に言及する「細川家史料」が平成元(一九八九)年十月に新聞紙上に取り上げられるに及び(『西日本新聞』平成元年十月十六日)、「天守閣」の存在・非存在をめぐる議論は活発化する。さまざまな議論は現在にいたってなお決着をみていない。大まかに整理すると、一旦は建設された天守閣が何らかの事情によって取り壊されたとする説、当初から福岡城には天守閣は存在しなかったとする説、さらに天守閣の建造計画はあったが結局は実行されなかったとするもの、また建築の途中で取り壊されたとする説などがある。のこされた文献資料に拠る限り、「天守」には何らかの構造物が設けられたように見受けられるが、これが「天守閣」を指すのか、いわゆる「天守櫓」を指しているのかは、いまだ詳らかではない。(p.23)
それなのに、市が1億円もかけてライトアップをして「天守閣の存在」を強烈に印象づける事業をやったことは、「存在する」という特定の学説に立つものではないか、という批判を倉元市議はしているのです。決着がついていないというのが公式の立場のはずなのに、ついつい一方の学説にだけ立った大々的な事業をやってしまって「観光で経済振興に使いたい」という欲望がダダ漏れですよ、と。
過去に「一夜城」は明確に否定されている
過去に「大型模型」っていうのは「天守閣再建したい派」が提案する「隠しきれない欲望」としてよく提案されているんですよね。下記は自民党の議員(稲員大三郎市議)の質問です(2008年9月16日)。
◯27番(稲員大三郎) 福岡城の復元整備については、教育委員会のほうで平成17年に策定した福岡城跡保存整備基本構想に沿って事業が推進されていることと存じます。これに関しては、昨年12月の定例議会の際にも私のほうから質問をいたしましたが、いわばその第1弾として現在行われております下の橋大手門の復元工事がこの秋に完成する予定と伺っております。その進捗状況はどうなっているのか、いつごろに完成するのかお尋ねいたします。
また、昨年9月の棟上げの際には、もちまきのイベントが行われ、私たちも参加させていただきましたが、今回の完成に当たっても、何らかの式典や関連イベント等を行う予定があるのでしょうか。あわせてお伺いします。その際、陽流抱え大筒の実演や、張りぼての天守閣による一夜城の制作などを行ったら面白いと思いますが、どうでしょうか。
だけど、これ、当時は市に塩対応されています。
◯教育長(山田裕嗣) 一夜城としての天守閣は、現在のところ根拠となる資料がございませんので、制作が困難な状況にあります。
復元じゃないんだから時限的なものならいいだろ、というわけです。今回の「幻の天守閣」事業は、まさにこの「一夜城」と同じ発想です。それでも当時の市(当時の文化財担当は教育委員会)はそういう工作物をつくることを明確に否定していたのです。
市は微妙に答弁を後退させている
先ほどの共産党(倉元市議)への答弁で経済観光文化局長が「福岡市で公式な見解を述べる立場にはない」と答弁していますが、これは微妙なすり替えをして、答弁を交代させているように見えます。
というのは、市の公式見解は「ない」のではなく、「決着がついていない」ということのはずだからです。
これは、過去の答弁でも繰り返されています。2007年12月14日の本会議答弁をみましょう(前述の自民党の稲員市議)。
◯27番(稲員大三郎) NPO法人鴻臚館・福岡城跡歴史・観光・市民の会を初めとする市民の天守閣復元に向けてのさまざまな取り組みや動きについて、市はどのように考えているのかお聞かせください。
◯教育長(山田裕嗣) NPO法人鴻臚館・福岡城跡歴史・観光・市民の会を初めとする市民の取り組みにつきましては承知をいたしております。福岡城の天守閣につきましては、歴史学会におきまして、築城当初に天守閣が存在したという説と、最初から存在しなかったという説があり、いまだ確定できていない現状がございます。また、仮に天守閣を復元するといたしましても、その復元に必要となります絵図、指図等の資料がなく、設計も困難であります。
なぜ市は公式見解を「述べる立場にはない」=公式見解は存在しないという立場に後退させたのでしょうか。
これは推測ですが、髙島市長は、税金を1億円も使ってここまでド派手に存在を印象づけてしまう事業を、どうしてもやりたかったんでしょうね。
動画見てもらうとわかりますが、無邪気な気持ちで見れば、このライトアップ、なかなかキレイですよね。これでお花見+お酒なんかが入ったら、もう「天守閣にカンパーイっ」とかやっちゃいたくなりますよね。
「天守閣再建の世論と機運を盛り上げたい!」というのに大いに役立つ気がします。いい悪いは別として。
だけど、それをやっちゃうと、特定の学説の立場に立ってしまうという立場性がモロにあらわになってしまいます。これまでの市の立場(論争は決着がついていない)とは矛盾してしまう。それで、微妙なすり替えをせざるをえなくなった…ということではないでしょうか。*1
髙島市長の受け答えはなかなか苦しい
西日本新聞がアンケートを行ったところ、市民の中にはこうしたイベントのあり方に批判的な意見が多いことが明らかになりました(4月7日付)。
一方、反対派が重視したのは史実との整合性だ。市内の女性(52)は「存在が明確でないのに、なぜ造るのか」。設計図は見つかっておらず、「空想の店主なら、私たちの街の城と胸を張れない」「客寄せの飾り物を遺跡につくることになる」との声が上がった。
福岡城跡には歴史的建造物も多数存在し、女性(75)は「石垣や数々の門などをしのぶものはある」として天守閣は不要と回答。「歴史好きは自分で天守閣を想像したい」「謎は謎のままがいい」「膨大な建設費と維持費がかかる」との理由で現状維持を望む声もあった。
記事では「存在が証明されれば大賛成」という声も紹介されています。
この記事を書いた西日本新聞が、市長の定例記者会見で市長に質問しています。市長はこの事業への市民の反応について問われ、「西日本は(再建)反対なんですよね!」とイヤミを言った後、こう述べました。
https://www.city.fukuoka.lg.jp/shisei/mayor/interviews/20240408sichoteireikaiken.html
でも、これがいいと思っていて、これがいいと思っていて、やっぱり今まで、なかなかやっぱり関心を持っていただけなかったというところに、まず関心を持っていただく。そして、こうやって、あるところでは「絶対天守閣あった。だから、つくったほうがいい」っていう人もいれば、「いや、このままがいい」という人もいるって、こういう議論が盛り上がってくるということを一番期待をしていたことなので、あと2ヵ月間ある中でですね、2ヵ月かな、それぐらいある中で、皆さんがいろんなことを見て、いろいろ言っていただくということが一番大事なことかなと。
ですから、いきなり最初から、ですからもう、いろんな結論がありきだとかいうことに向かって、突き進むという形ではなくてですね、いろんなことを皆さんが見ながら議論をしたりですね、いろんな立場から、それぞれの立場からお話をいただければ、それでいいのかなと思いますんで。まだ、これからしばらく桜が散ったあともですね、天守閣は当面、出水期の前までは残りますんで、皆さんでそんな議論をしていただければ、そして、また歴史のロマンにね、浸っていただければいいかなと思います。
うーん、なかなか苦しいですね。
この「幻の天守閣」事業をもってして「議論が盛り上がってくることを期待」っていうんですが、それはごまかしではないでしょうか。
というのは、中立の立場、行司役に徹して「存在派」「存在否定派」を公平に紹介して議論を促進するんじゃなくて、市は明らかに「天守閣は存在した」という立場に立って、(税金という)大枚をはたいて「天守閣の再現」をやっちゃっているわけですよね。そういうことをやっておきながら、「議論が盛り上がればいいですね」じゃないでしょう。
市長はキレイなライトアップをやればみんな賛成してくれると思ったのかもしれません。しかし、意外にも冷静な慎重派が結構いて、激しく動揺した…というところあたりがこのやり取りの真相なのでしょうか。
この種の再現は絶対にいけないか
ところで、絵図が全くなければ復元とか再現は絶対にいけないのか、といえば、私個人の見解で言えば、そうは思いません。
私も博物館のような場所で、説明資料などが落ち着いた環境で見られて、学問的想像を刺激するものであれば、パネルや再現イメージを比較するのは大いに歓迎します。これは野外であっても同じです。学習的な環境がちゃんとあれば、ということです。
縄文時代の竪穴式住居だって別に絵図があるわけじゃなくて、柱の跡などから上部の構造物まで想像するわけですからね。また、古墳を公園にする場合も「古墳が公園だったと誤解するじゃないか!」とはさすがに言いません。子どもや地域住民が歴史を学習し文化財に愛着を持つために、模型やイメージを活用することも、かなり自由にやっていいと思います。
今回の福岡市のやり方は、論争問題で一方の側に立ったことと、花見客・観光客のいる喧騒の場で1億円もかけてド派手に特定の立場の構造物を打ち出したことが「やりすぎ」だと思っています。
「稼ぐ文化財」優先の姿勢
文化財を観光資源として活用する…という方向に自民党政権は舵を切っています。
もちろん、観光資源になること自体は否定すべきことじゃありません。それで地域のブランド力も上がって、地域経済も元気になればいいことですよね。
だけど、文化財としての扱いをぞんざいにしたり、犠牲にしたりして、観光資源化を至上にしてしまうようなやり方は明らかに行き過ぎです。今回の髙島市長のやり方はこの方向に合わせすぎて、文化財本来の向き合い方を大きく逸脱した、という事例ではないでしょうか。