結局調査しないのか

 12日に共産党福岡市議団の教育長申し入れが行われました。

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 中身は、新年度の少人数学級実施にあたり教員をふやして対応することなど3項目を緊急に提案したものでした。

 その中の一つが、下着検査などの人権侵害が、県弁護士会の調査でも明らかになったので、教育委員会としてすぐ調査をして是正せよというものでした。

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 教育長はこのようなことがあれば人権侵害だと認めました。そのうえで、学校名や個人など具体的な情報を教えてほしい、対処するとしました。

 「そんな実態はない。対処しない」という回答よりははるかにマシなのですが、他方で議会で議員の独自調査でとりあげられて、これとまったく別に県の弁護士会から複数の告発情報が寄せられたのに、まだ教委としては動こうとしないのだといえます。「そんなあからさまな人権侵害があるわけないだろう」と高をくくっているようにも見えるのです。要するに「調査はしない」という回答じゃありませんか、これは。

 そして、議会答弁と矛盾する実態が横行していたという事実を認めて謝罪することはありませんでした。教育長ははっきり「そんな実態はない」と議会で言ったのに、別のところからゾロゾロと事実が出てきたんですよ? なぜ平気でいられるのか。「そんな実態があるなら具体的な情報をつけて、お前らがもってこい」と開き直っているふうにしか見えませんでした。

 弁護士会の調査を読むと、男性教師が女子生徒の検査をしているというケースが書かれています。たとえば男性教員があからさまなセクハラ・性暴力的な目的で「無垢な」女子生徒の下着を強制的に調べるというシチュエーションだと思ってしまうと、統計的にそれほど多くないと思ってしまうのかもしれません。(それ自体絶対にあってはなりませんし、調査で出てきたということは蔓延している可能性は否定できません。)

 しかし、それ以外のケースは考えなかったのでしょうか。

 教育委員会は、下着の色をたとえば白だと指定することは合理的な校則である旨の答弁をしています。

福岡市立中学校では、カッターシャツやブラウスの下に着用するものについては、華美な色はシャツやブラウスから透けて見えるためや経済的理由から色の指定をしていることはございます。

 いわば教育委員会自身が、下着の色の指定という規範の合理性を積極的に認めているのです。

 そうなると、たとえば薄い水色の下着をしていた女子生徒を、女性教諭が「あなた、それ、色がついてない?」ととがめ、「ついてません」と「反抗的」な態度を示した場合はどうでしょうか。

 いかにも「見せなさい!」という話に発展しそうですよね。

 私の娘の中学(福岡市立の中学)では髪の毛や服装が校則通りかチェックする「実地検査」があります。違反者は体育館にあつめられ「指導」されます。客観的に見てクソにもほどがある規範でも、教育的な必要性があるという建前で規範をつくったわけですから、現場はそれを守らせようとするわけです。

 とにかく決められたルールを順守させるのに必死になることが、ここでは「教育の熱心さ」として現れてしまいます。

 

 教育委員会が下着の色を指定するという校則に「合理性」を与えておいて、各学校でそのチェックや指導が日常的にあるならば、この種の検査が広範に同性の教師によって行われている可能性は容易に想像がつくはずです。同性による検査ならOK、「反抗的」な生徒なら何をしてもかまわない、とでもいうのでしょうか。

 また「下着検査」というのは、脱がせたり、中をのぞく必要は必ずしもありません。ブラジャーの色が透けて見えているかどうかをブラウスの上から「よく見る」のも「下着検査」なのです。教育委員会に聞きたいのですが、校則がまもられているかどうか、服の上から下着の色を「検査」するのは人権侵害なのでしょうか? それともそれは問題ないのでしょうか? そしてそれは男性教員が女子生徒にやってもいいのでしょうか?*1 

 教委みずからくだらないにもほどがある規範に合理性を与えておいて、その規範を守らせることを職務として押し付けられている現場の教師がいたら、「なんで人権侵害まがいのことをするんですかねえ」と言ってみせ、そんなブラック校則に疑問をもって「反抗」する生徒がいたら「どうしてトラブルをおこすような反抗の仕方をするんですかねえ」と不思議がってみせるというのは、ひどすぎるのではないでしょうか。

 

 制服のジェンダーをフリーにするようにデザインさせたものの、現場では「男子用」「女子用」といって販売・着用指導がされていることを、教育長は申し入れの場で嘆いていました。これは私も同感です。

 しかし、娘の中学では「女子は眉にかからない前髪に」「男子は耳にかからない髪に」というジェンダー的な強制が他方で平気で行われています。

 つまり、学校全体で人権侵害の校則を放置しておいて、下着検査だの制服だのといった特殊な一点だけについて人権を守らせるということはできないのです。教育委員会や教育長自身が発想をかえるしかありません。

 教育委員会は、学校側に通り一遍の照会をかけるのではなく、人権侵害であるという重大性を認識して、全生徒に聞きとるなど実態調査をすぐやって、状況を是正すべきなのです。そしてそもそも馬鹿げた校則に合理性を与えている発想をただちに根本から改めるべきなのです。

*1:弁護士会の調査報告記事では「廊下で1列に並ばされ、下着をチェックされる」という記述がありますが、これを女性教師でなく男性教師がしている可能性があります。なぜなら下着の色指定という校則はハラスメントではないか? という議会追及を、わざわざ否定する答弁を用意したほど「教育的意義」がある規範ですから、色がついているブラジャーをつけておるのではないかとの「健全な疑い」をもって廊下に女子生徒を一列にならべ、思春期女子のブラウスの上から胸まわりを、男子教員がじっくり・じろじろと検分することは「問題ない」というわけでしょう。

感染源を減らす・なくす対策

 新型コロナウイルス感染症対策について、以下は現時点でいろんな情報を聞いて私が感じたことのメモのようなものです。暫定的な結論といいますか。

「人と人との接触を保ちながら感染源を減らす」という目的

 「しんぶん赤旗」日曜版(2021年1月10日付)に掲載された感染症対策の専門家・谷口清洲さん(国立三重病院臨床研究部長、国立感染症研究所研究員)のコメントに直接は触発されました。*1

感染源がある限り、人と人との接触があればウイルスは広がります。大事なのは、何とかして感染源を減らすことです。(谷口さん)

経済を回すためには人と人との接触を保つことになるわけですが、政府が国民に求めているのは人と人との接触を減らすことであって、ここに自己矛盾があります。(谷口さん)

 完全にロックダウンして一歩も外に出ないという対策をとれば感染は広がらないわけですが、それはできません。どの程度かは別にして、「人と人との接触を保つ」、つまり経済活動をしながら感染対策を取るしかないのです。

 これは高島宗一郎・福岡市長が、

経済を動かすというと、何か企業の利益とかお金を優先させているように誤解されますが、経済=市民の生活であり、命でもあると思うので、最小の経済的ダメージで、最大限の感染防止効果を生むように…(以下略)

述べていることと重なります。重なる、というのは「経済活動をしながら感染対策を取る」という意味です。これ自体は高島市長と一致するのです。

 ただ、これは谷口さんが述べているように「矛盾」です。矛盾を抱えたまま対策をとろうとすれば、どうなるでしょうか。

人と人との接触を保ったまま感染者を減らそうと思えば、感染源そのものを減らすしか方法はありません。(谷口さん)

 「感染源を減らす」とは、どういうことでしょうか。

マスクの着用や手指洗いなど、国民の努力に頼った感染経路対策だけでは感染者を減らせていません。(谷口さん)

 「感染源を減らす」とは、「感染者が増えないようにする」だけではなく「感染者自体を減らす」ことが必要になります。したがって、マスクや手指洗いのような感染経路対策をしているだけでは、感染者を減らせません。

 

症状のある人を早期に発見して早期に隔離する

 谷口さんは、そのために2つの対策を訴えます。

 一つは、

そのために重要なのは、症状がある人を迅速に検知してPCR検査を受けてもらい、待機・入院などで保護し、人との接触を絶つことです。(谷口さん)

ワクチンが使用できない状況では、早期探知、早期対応(診断・隔離、接触者追跡)しかありません。(谷口さん)

 ということです。つまり感染源となっている人を積極的に見つけて、隔離していくのです。また、感染源となって動いた人が接触したところを追跡し、同じように広がった感染源になった人を隔離していく。そうすることで社会活動の中にある感染源を根絶やしにしてしまうということです。

 これは現在でも日本政府はある程度やっているように思えます。

 しかし、谷口さんによれば、これも現状では症例定義が明確に定められていないなど不十分な点があるといいます。ただ、この点は私はよくわかりません。

 

無症状者の中の感染源をなくす

 谷口さんが訴えるもう一つの対策は、症状のある人だけでなく、無症状者への対策です。

  もう一つ大事なことは、この新型コロナ感染症の特徴である、無症状の人が感染を広げてしまうという問題です。(谷口さん)

  先ほどの「症状のある人への対策」とは違って、こちらの対策(無症状者への対策)の方は、PCR検査抑制論や実際のPCR検査数の低さに見られるように、日本での対策が非常に遅れていることはすぐにわかります。

一時的に感染が下火になった昨年6月ごろにも、無症状の人たちで感染が維持されていたことが国立感染症研究所の調査で示唆されています。これを減らしていかなければならないのですが、日本は無症状者を積極的に検査する体制ができていません。(谷口さん)

 共産党が主張していることもまさにこの点にあります。

 新型コロナの特徴は、無症状の感染者をつうじて感染が広がっていくことにあります。国立感染症研究所は、「一旦収束の兆しを見せた」感染が7月に再拡大した経緯について、“経済活動再開を機に軽症・無症候の患者がつないだ感染リンクが一気に顕在化した”と分析しています。

 発熱などの症状が出ている人と濃厚接触者を主な検査対象にするという従来のやり方では、無症状者を見逃し、沈静化と再燃の波が繰り返されることは避けられません。感染拡大を抑止し、コントロールするためには、無症状の感染者を把握・保護することも含めた積極的検査を行うという戦略的転換が必要です。

 

全国民に検査ができればいいが、できない

 では、無症状者を見つけるためには、住民全員に頻回の検査をすべきなのでしょうか。感染源を根絶やしにするためには理屈としてはそうなると思いますが、さすがに谷口さんも共産党もそのような主張はしていません。例えば共産党Q&Aでこう述べています。

他方で、いますぐ国民全員を対象にした検査を行うことも、人員や体制上からも不可能です。

 つまり検査資源に限りがあるというわけです。

 

感染震源地の面的検査(と病院・介護施設の社会的検査)

 その代わり何をしろと言っているか。共産党の場合、こう述べています。

 そうなると、無症状の感染者が多数存在する感染震源地を明確にして、住民や働く人の全体を対象に網羅的に「面」での検査を行う。これが最も合理的な方法です。

 いわゆる「面的検査」です。感染震源地ではこれをやりなさいと言っています。

 谷口さんはどう述べているか。

 地域的に軽症者や無症状者らの感染震源地(エピセンター)が維持されているところがあります。その地域で網羅的に検査をして感染者を発見・保護していくことも必要です。(谷口さん)

 同じです。というか、谷口さんら専門家の意見を参考にして共産党が政策を組み立てているということですけど(笑)。

 

 同時に谷口さんは「無症状者の検査を強化しなければならない」として次のようにも述べています。

とくに1例でも感染者が入ったら危ないような、病院や高齢者施設などは、地域の感染伝播密度に応じて、無症状の職員も対象にして定期的に検査を行うことが重要です。(谷口さん)

 いわゆる「社会的検査」です。これは、「ハイリスクの人の命を守る対策」として必要だと訴えているように見えます。逆に言えば、「感染源を減らす対策」としては述べられていません

 先述の通り、本当は感染リンクをつないでしまう無症状者を発見したいのであれば、全国民に検査をやるべきです。やりたいけども、それは資源の関係でできない。

 だから、まず感染震源地で網羅的に検査(面的検査)をします。

 同時に、病院や高齢者施設でとりあえず無症状の職員に社会的検査をやることはあくまで「ハイリスクの人の命を守る対策」であって、「感染源を減らす対策」そのものではないけども、無症状の感染者を発見する上では、多少は役に立つので、ある程度「感染源を減らす対策」にもなる……ということなのでしょう。

 実際、クラスターの多くは医療・福祉施設で出ているわけですし(ただし「一番多いのは医療・福祉施設で、病院や高齢者福祉施設での流行はかなり起きているが、そこから地域に広がることは非常に少ない」と押谷仁・東北大学大学院医学系研究科微生物学分野教授は述べています)。

www.m3.com

 

残る疑問

 ここで“理屈として全国民への頻回検査を実施しない限り、無症状の感染者は見逃してしまうから、面的検査と社会的検査だけやっても『感染源の削減対策』としては意味がない。意味がないから検査資源の無駄遣いであり、やらないほうがいい”という批判はありうると思います。結局完全網羅できない以上「静かな感染リンク」をつないでしまうのではないか、と。そのあたりは、谷口さんたちのような専門家はどう考えているのか聞いてみたいところです。

 しかし、そうは言っても、「感染震源地での面的検査」と「医療・介護施設での社会的検査」を組み合わせるというのは、感染源を減らす上では、今考える限りで一番合理的な気がします(現時点ではあくまで「気がする」だけですが)。

 

「感染源を減らすためのあるべき対策イメージ」に照らして日本政府の対策を考えてみると

 この「感染源を減らすためのあるべき対策イメージ」に照らして考えてみると、今の政府のやり方は一応似たような対策の姿・格好はとっています。しかし、特に無症状者への対策が非常に弱い気がします。

 例えば、PCR検査抑制派がよく言っていたように、「医療のための検査でなければダメ」というような狭い限定は現在は外されて、面的検査をやってもいいということになっています(厚生労働省は昨年8月7日に「事務連絡」を出し、「現に感染が発生した店舗等に限らず、地域の関係者を幅広く検査する」という方針を打ち出しています)。

 しかし、地域ごとにやる場合でも、検査費用を全額国が負担してくれるわけではないので、自治体が二の足を踏んでしまいます。だから、日本全体で見てみると相当に「まだら」になっていると言えます。

 谷口さんが「日本は無症状者を積極的に検査する体制ができていません」というのはそういうことではないでしょうか。

 そして、感染が一旦静かになっていったときに検査を落ち着かせるのではなく、むしろ根絶やしにするために検査資源を集中して投入すべきだったと言えます。谷口さんがいう「一時的に感染が下火になった昨年6月ごろにも、無症状の人たちで感染が維持されていたことが国立感染症研究所の調査で示唆されています」というのはそういうことでしょう。

 面的検査を始めている自治体もあるのですが、例えば以下のようなイメージと比べてみましょう。

 PCR検査の対象は、当該の地域の住民、事業所の在勤者です。症状の有無や、感染者に接触したかどうかなどにかかわらず、行政から呼びかけ、その地域に住み、働いている人たち全体に検査を受けるよう促していきます

 福岡市では中洲でこうした検査を始めていますが、実際に検査を受けている規模からすれば「その地域に住み、働いている人たち全体に検査を受ける」という姿からは程遠いものがあります。

 

 高島市長は「経済を回しながら感染対策をする」ということを考えているようですが、その問題設定自体は共有できます。これはこの記事の最初に書いた通り、谷口さんも同じなのです。

 しかし、「経済」と「感染対策」のうち、まず「感染対策」が「感染源を減らす」という角度で見て中途半端だというのが現在の私の感想です。つまり感染震源地への網羅的な面的検査を徹底してやることができていないと思うのです。

 ここまではコロナ対策について一般的にめざす方向、つまり戦略について、私の思うことをメモにしてきました。これで固まっているわけではなく、あくまで現時点での暫定的なものです。

 

GoToをどう見るか

 日本政府の対応の問題点は、こうした戦略的に見て弱点を抱えていたというにとどまりません。

 少なくとも感染を抑え込んだ後にやるべき「GoToキャンペーン」などを、まだ感染源が十分に制圧されていない段階で大々的に展開して感染を拡大してしまったという愚策をやってしまいました。感染症対策が不十分なまま経済を回し過ぎたわけです。

 政府ははじめのうち、「GoToは感染拡大の主因ではない」「エビデンスはない」といっていました。高島市長もGoToキャンペーンをやめることについて後ろ向きな態度を取ってきました。しかし、この問題はGoToが中止に追い込まれたことで事実上決着がついたと言えます。

www.jiji.com

 

 

 

「経済活動」と「感染対策」の両立とは

 高島市長は「経済」と「感染対策」の両立を考えているようで、くどいようですがそれ自体は私も同じ考えです。

 しかし、「感染対策」はあくまで「感染源を減らす」ことが十分に果たされないうちに経済を拡大してしまうと、感染を広げることになってしまいます。

 高島市長の認識に決定的に欠落しているのは、この「感染源を減らす」という感染対策だと思います。

人と人との接触を保ったまま感染者を減らそうと思えば、感染源そのものを減らすしか方法はありません。(谷口さん)

 この谷口さんの認識が大事ではないでしょうか。

 では、感染源を減らす対策を取っていれば「GoTo」のような経済拡大策を取っていいのでしょうか。この点について谷口さんはこの記事では何もいっていませんが、別の取材に応じて2020年11月下旬の段階でこう述べています。

「GoToキャンペーンは、基本的に人との接触を上げるような形になります。実際、今は人との接触を下げようと政府は言っている。これは相矛盾しているわけで、実際に人の移動によって感染が増えています。一旦立ち止まって考えてみる必要があると思います」(三重病院 谷口さん)

 「感染源が十分に抑制できた」もしくは「感染源がなくなった」と専門家が判断するまでは、「GoTo」のような移動を積極的に促進する経済政策はとるべきではないと思います。

 高島市長の「経済を回す」というイメージが狭すぎると言いますか、「GoTo」のような消費刺激・景気拡大策でないと「経済を回す」と言わないかのような感覚ですが、ロックダウンや緊急事態宣言の規制・自粛ではないレベルでの経済活動であれば「人と人との接触を保」つことになり、すなわち立派に「経済を回す」と言えます。

 つまり「感染源を減らす対策」を行いつつ、「経済活動を行う」ことはできるのです。しかし、感染源を減らす対策も取らないまま、経済を回しすぎるやり方をとれば、

やがて“最後の手段”として緊急事態宣言に追い込まれ、余計に経済をだめにしてしまうのです。(谷口さん)

 谷口さんは、「現状での緊急事態宣言はやむを得ない」としています。

 その上で「その中で何をするのかが問われています」と言います。

 いま地域にどれくらい感染源があるか、それを減らしていくためにどのくらいの期間が必要か、どのような対策が必要か、そしてその後はどのような対策を行うかなど、きちんと考えてやらなければいけません。

 そうでなければ、市民生活や経済が大打撃を受けただけで、肝心の感染源を減らせなかったということになりかねません。(谷口さん)

  高島市長は、この間「GoTo」キャンペーンに固執したり、飲食店規制はエビデンスがないと言ってみたりしていますが、そのすぐ後に専門家分科会からそれと反対の認識が出てきてあっさり裏切られています。高島市長のいう「エビデンス」なるものが、単純な相関関係だけだったりしていて、彼のイメージする「経済を回す」に合わせようとし過ぎているのです。

 自治体の首長としては、「経済を回す」と言っても、今は「GoTo」のような感染を拡大し、大企業の利益だけが優先されてしまう全国的キャンペーンのことをイメージするのではなく、「緊急事態宣言レベルの規制のない経済」で地元の中小業者の活動をが維持されるような地域循環施策を必死で取り組むべきだし、緊急事態宣言がなされた場合には、十分な補償を政府に求めることを今は考えるべきでしょう。

 高島市長は自分のイメージする「経済」に固執せず、「感染源を減らす対策」を福岡市でどう打つべきかを考えなければならないのです。

www.bcnretail.com

news.yahoo.co.jp

 

 この方式はニューヨークで行われ、一時期かなり感染者数を減らすことができました。しかし、現在はまた同市では増えています。米国全体がトランプ政権下でまったく無為無策な状況であるうえに、大陸のようにどんどん流入がある条件では、流入に大きく制限をかけたうえで国全体が一致しないと相当厳しいのかなと思います。

 他方で、同じ島国(ある程度孤立した狭いエリア)である台湾は制圧に成功していますが、対処方法はニューヨークとはちがって独特のものがあります。

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 これも根拠はなくてあくまで成功のイメージなのですが、人権感覚やICTの普及状況を考えると、ニューヨークのようなやり方を参考にして、福岡市だけでなく日本全体が徹底して感染源をなくしていく対策を集中しておこなうことで、台湾や他のアジア諸国程度には感染源をへらし、状況をコントロールできるレベル、つまり経済をある程度回せるレベルに行けるのではないかと思うのです。

 むろん繰り返しになりますが、素人の感覚に過ぎず、上記にかいたように、感染拡大が激しいエリアや施設を中心とした面的・社会的検査だけでは感染リンクをつないでしまうのかもしれず、断定的に結論づけることはできないのですが。

*1:下谷口さんの発言の引用は同記事によるもの。強調は神谷。

下着調査を否定した教育委員会答弁の矛盾が明らかに

 2020年12月23日付の西日本新聞で県弁護士会が行なった福岡市立中への校則調査(全69校対象。22日発表)の記事が出ました。

この中で

弁護士会は中学生と保護者、教職員の計十数人に聞き取り調査も実施。「女子生徒が男の先生から下着の色を指摘され、学校に行けなくなった」「廊下で1列に並ばされ、下着をチェックされる」という実態があった

 という記載があります。

 これは、1年前(2019年12月11日、本会議)に山口湧人市議が福岡市議会で質問した問題です。

ほとんどの学校でカッターシャツの下に着る肌着、下着の色を白と指定し、そのチェックまでしておりますが、これはハラスメントに当たるのではありませんか、答弁を求めます。 

 これに対して教育長は、

福岡市立中学校では、カッターシャツやブラウスの下に着用するものについては、華美な色はシャツやブラウスから透けて見えるためや経済的理由から色の指定をしていることはございます。しかし、それ以外の下着などの色を指定することはありません。また、下着の検査は実施しておらずハラスメントに当たるような対応は行っておりません。以上です。

と答えています。

 ご覧の通り、はっきり否定しているのです。

 虚偽答弁か、ほとんどまともな調査をせず(例えば、共産党の質問がされる前の日にメールで一斉送信して「かくかくしかじかの実態がある学校は申し出てください。いませんか? いませんね」)デタラメに近いことを答えたか、どちらかです。

 共産党はこの質問の直後に教育長に申し入れをしました。

市議会でも質問させていただいたように、福岡市内の市立学校でいわゆる「ブラック校則」といわれる、人権侵害ともいうべき生活指導やきまりがあり、子どもたちが苦しんでいる実態があります。貴職は議会でわが党が取り上げた実態の一部について事実を否定されましたが、単に学校側に照会をかけるだけでなく、実態をつかむには子どもたちに直接聞き取るなど丁寧な調査が求められるところです。

として、わざわざ

市内の市立学校でいわゆる「ブラック校則」と言われる、人権侵害の生活指導・きまり・校則がないかを、子どもから直接聞き取ることを含め、丁寧に実態調査するとともに、その一掃に取り組むこと。

と要求したのですが、結局全く調査をしなかったようである。挙句に県弁護士会に調査をされて、答弁のフェイク、ハラスメントの放置が明らかになったのです。

mainichi.jp

 

 指摘されても無視した教育委員会の責任は重い。

 あくまでそういう実態はないと言い張るのか、それともこの1年前までは全く発生せず、この1年間でたまたまそういう悪質な事例が生まれたというのでしょうか。

 教育長・教育委員会は回答すべきです。

署名の力で少人数学級が小学校全学年で実現

 少人数学級化を求める教育研究者有志から、change.org経由でメールが届きました(多くの人に出されているものです)。

12月18日、文部科学省にお寄せ頂いた署名を提出しました。署名数は、第1次提出分も含め220,981筆にのぼりました。これには、Change.orgでのご署名ほか、全国各地の皆さまから届けられた署名用紙による署名も含まれます。皆さまの多大なご協力に感謝します。
 すでに報道にもあるように、来年度予算折衝では、来年度から5年をかけて小学校の学級定数標準を35名にすること、そのために時期通常国会で義務標準法の改正を行うことが合意されました。これまで40年間、小学校一年生を除いて動かなかった学級標準規模が改善されることは画期的です。少人数学級化を求める全国からの切実の声こそがこれを可能にする力でした。

 

 署名の力(だけではありませんが)でこれほど大きな成果が切り開かれました。

 仮に自民・公明政権下であっても国民の運動でこれだけのことができるという、大きな体験・希望です。

 同時に、そこには限界があります。

とはいえ、以上の合意は私たちが求めるものと比べ、あまりに不十分です。35人という規模は国際的に見ればまだまだ多人数学級です。中学校・高校が対象とされていないことも問題です。とりわけ中学校は「主体的で対話的な学び」にとって重要な段階であり、不登校などざまざまな問題も集中しています。さらに実現までのテンポももっとスピードアップが求められます。
 また今後増やされる教員については、常勤講師などの非正規ではなく、継続的に見通しをもって子どもたちに関われる正規の教員であることが必要です。
 以上のように、重要な突破口が開かれたとはいえ、まだこれからの課題は山積しており、今後も声を上げ続けることが求められます。今回の署名活動は、これで一旦終了としますが、今後の取り組みについて、さらに検討したいと思います。
 ひとまず皆さまのご協力に感謝の意を表します。

  全くその通りです。新しい政権にしてこのスピードアップと拡大を図る必要があります。

 

福岡市では

 福岡市ではすでに小学校は4年生まで少人数を拡大し、暫定的に全学年に来年度から実施をすることになっています。今回の国の措置が行われることで、財政的な負担が軽くなるはずですから、恒久化に道を開くものになりうると思います。

 この問題はよく調べて、また書きたいと思います。

 私も署名をこのブログで呼びかけたわけですから、応えていただいた皆さんに感謝を記しておきます。ありがとうございました。

正定寺にある「焼夷弾の破片」はどの種類のどの部分のものか?

 公設の平和資料館を福岡市にという運動が広がっています。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 私は先日福岡大空襲のフィールドワークに参加し、その一つとして、博多区中呉服町10-14)の正定寺にある焼夷弾の一部(破片)を見せていただきました。

hakatanomiryoku.com

 

 これがその写真です。

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 私は、焼夷弾と聞けば、『この世界の片隅に』に出てくる棒状のものを思い浮かべていたので、これを見るなり「これが?」と不思議に思いました。

  住職の説明によれば、これは焼夷弾(子弾)を収納していたその外側の容器だということでした。

 福岡大空襲で使われた焼夷弾は「AN-M47A弾頭瞬発信管付焼夷弾」か「M69集束焼夷弾」かだとされています。

 上記のツイートの写真の一番上にあるものは「AN-M47A2」とありますから、同じもの、もしくは似たものではないかと考えられます。平塚市博物館のAN-M47A2の説明では

これは直径20cm、長さ1.2m、重量45㎏の爆発性の焼夷弾で、鉄製の弾筒内にガソリンにゴム・灰汁・ココナッツ油を混合したゼリー状の油脂約18㎏を封入し、弾頭に火薬を装填して投下しました。

とあります。正定寺の写真は、これではなさそうに見えます。

 では、「M69集束焼夷弾」なのでしょうか。

 M69そのものは、上記のツイートの写真に見られるように、まさに棒状のものであり、『この世界の片隅に』で見たタイプの弾です。したがって、M69ではありません。

 先ほど紹介したツイートには「E46 500ポンド集束焼夷弾(M69焼夷弾38個集束)」とあるように、M69焼夷弾を収束したものの一種がE46と呼ばれています。

 下記では、E46がどのようにばら撒かれるのかを書いています。

togetter.com

 住職の説明にはあまり詳細な「ばらける原理」の解説はなかったのですが、このまとめを読むとわかります。また、M69を入れる容器の名前はE23といい、M69をE23に収めた弾全体のことをE46というのだそうです。

 ということは、この正定寺にあるのは、このE23の容器なのか、と思ったのですが、E23は縦に長い板の集まりのようなので、こういう正定寺に残されたドラム缶のような形状ではないのではないかと思いました。下記の動画では1分前後のところに組み立てる様子が出てきます。

www.youtube.com

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上記動画より

 したがって、正定寺にある焼夷弾の破片というものが、一体焼夷弾のどの種類のどの部分にあたるのか、疑問が解けませんでした。

 これから調べていこうと思いますが、何が情報がある方がいれば教えてください。

「平和資料館の設置を求める会」の「START集会」で気づいたこと

 本日は「福岡市に平和資料館の設置を求める会」の「START集会」に参加してきました。

www.chunichi.co.jp

 

 私は、2018年の市長選挙で次のように公約しました。

被爆・引揚の実相を知るための平和資料館をつくります。

 今でもその気持ちで仕事(共産党市議団の事務局の仕事)に取り組んでいます。ただ、今日会場からの発言を聞いて思うところがありました。

 会場では、「福岡ホニアラ会」(すでに解散)で活動してきた方が発言されました。「ホニアラ」とはソロモン諸島の最大の島・ガダルカナルにある同国の首都です。

www.nishinippon.co.jp

 この方の発言では、「設置を求める会」の方向が引揚げ・被爆・空襲と「民間人被害」にだけ目を向けているのが気になる、どうして「戦没者」がほとんど取り上げられていないのか、という疑念でした。

 「戦没」とは辞書に「戦争で死ぬこと。戦死」(大辞泉)とあり、また政府の「全国戦没者追悼式」での「戦没者」は、戦死者と民間人犠牲者の総計でカウントされているので、「戦没者=戦争で死んだ兵士+民間人」と思ってしまいますが、「戦没者」のもともとの意味は「戦場で死ぬこと。『戦士』のやや改まった言い方」(旺文社国語辞典)とされ、「戦死」を引けば「戦場で戦って死ぬこと」(同前)とされるように、いわば軍人・軍属としての戦場で死ぬことです。

 つまり、その方は「なぜ軍人の戦死はこの運動の対象になっていないのか」という疑問を呈されたのです。

 共同代表の一人である熊谷敦子さんは、これに対して、ご指摘の点も含めて幅広い立場での運動を進めていくと答えました。

 私は正直言って、この旧「ホニアラ会」の方の意見で、自分が福岡市における「引揚げ被爆・空襲」の視点しか持っていなかったことに気づかされました。この3つは福岡市における「地域の特性」がわかりやすい問題です。つまり日本最大の引揚げ港が博多であり、広島・長崎に次いで被爆者が多いのは福岡市であり、福岡空襲で1000人もの人が亡くなっているからでした。それに対して「軍人の死」はそれ自体、戦争の悲惨な実相の一つではあるけども、「福岡市」としての特性はないのではないかと。

 しかし、「福岡市としての特性」があるかどうかなどということは、「福岡市の戦争の体験を受け継ぐ」という目的そのものから見れば、いわば「脇の話」です。福岡市がら送り出された軍人の活動と死は、確かに記憶されるべき戦争の実相に他ならないのです。

 

 報告では、遺族会に参加している方からもこの運動への好意的な反応が寄せられたことが紹介されましたが、本当に幅広い立場の人たちが参加できるような運動ということを考えた場合、さまざまな動機があるわけで、私が公約したような「被爆・引揚の実相を知るための平和資料館」という捉え方は、少し狭い言い方だったのだなと反省しました。そのことに気づいたことは集会に参加しての収穫の一つでした。

 

戦後世代からみた平和資料館運動

 私は広島の呉空襲を描いた、映画『この世界の片隅に』を観て片渕須直監督の話を聞いた時、一つの気づきを与えられたことがあります。

 というのは、例えば戦争を伝えようと思う時に、中沢啓治さんの『はだしのゲン』というのは、「原爆を直接体験した世代」の迫力をベースに描かれています。しかし、戦争を体験しない私たちのような世代(私は第二次世界大戦が終わって25年経った1970年生まれです)が戦争をどのように伝えられるのか、ずっと問題意識を感じてきました。

 そうした中で、私と同世代であるこうの史代さんのマンガは一つの新しい伝え方として新鮮な感動を覚えました。

 片渕監督は、こうのさんのマンガの伝え方のうち、「事実をとことん掘り下げて、精密に再現する」という手法を徹底させました。

 片渕監督はこうのさんが先入観なく資料にあたっていることを称揚し、一つの例として、「戦時中の生活=もんぺ」というステレオタイプに流されず、「本当に当時の人が履いていたもの」にこだわっていることを紹介しています。

 片渕監督は、精確な史実考証をベースにします。例えば物語の中に出てくる「飛行機雲」が昭和20年のいつ再現されたかにまでこだわるのです。当時は高速で飛ぶ飛行機などはほとんど存在しませんから。

 体験をしていないが故に、先入観や思い込みからは自由になって、徹底して事実にもとづいて精密に、戦争・戦時を再構成することができる——これはひょっとしたら戦後世代の強みかもしれないのです。

 しかし同時に、片渕監督は当時を生きた人たちから数多く話を聞いています。そのことによって、精緻に考証された時代が、立体的に、もっとヴィヴィッドに立ち上がってくると言えます。資料だけでは実際に強調されていたことや重大だったことがわからないからです。遠近感がない。

 私たち、「戦争を体験していない戦後世代」は、そのような立体的な戦争像・戦時像を立ち上げられる最後の瞬間にいるかもしれないのです。できるだけ意識的に戦争世代の体験を集めながら、そのもとになる資料を失わせずに保存することに力を尽くせる「最後の世代」となるでしょう。

 そのような時間が限られた課題であるだけに、戦争体験世代をはじめ、多くの人たちが立場を超えて「戦争の記憶と資料を保存し、集め、受け継ぐ」という資料館建設運動に賛同をしているのだと思います。

 何としても党派を超えて実現させたいと思いますし、その大きな機運が広がっていると感じました。まずは設置実現の署名7万筆を集めましょう。

35人学級の請願を採択すべき

 2020年11月11日に、福岡市議会で福岡市に対して全学年での少人数学級(35人以下)の実現を求める請願審査が行われました(教育こども委員会)。

  福岡市は2021年度から、コロナ対策での暫定実施ですが、実施することになっています。ということは、請願趣旨は実現されていると言えます。当然与党を含め、すべての会派が賛成していいはずです。

 しかしそうはなりませんでした。

  採択を主張しなかった会派、例えば自民党の言い分は、暫定実施なのだから、「35人以下学級の効果を検証する」と言いたいのでしょう。

 しかしこれはおかしな理屈です。

 なぜなら、つい最近、10月9日に福岡市議会で採択された、国に対して「少人数学級の推進を求める意見書」に自民党市議団は賛成しているからです。*1

 

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 いや、自民党は賛成どころか、提案者なんですよ。つまりこの意見書を積極的・主体的に出したわけです。

https://gikai.city.fukuoka.lg.jp/wp-content/uploads/2020/10/iken_02121.pdf

 

 自民党が提案し、採択された国への意見書をごらんください。

少人数学級の推進を求める意見書

 不登校・いじめ等の深刻な問題を抱える児童生徒や日本語指導を必要とする児童生徒への対 応、障がいのある児童生徒への合理的配慮に関する対応等、子どもを取り巻く状況は複雑困難 化し、学校に求められる役割はますます拡大しています。
 特に小学校においては、本格実施となった新学習指導要領への対応に加えて、令和2年3月の一斉臨時休業や再開後の心のケア、感染症対策などを行いながら、授業時数の確保や学習の 遅れを取り戻すための対応などに苦慮しています。
 文部科学省は、4月以降の学校再開にあたって「3密」を避けるための環境づくりや学びの保障等のためとして、令和2年度第2次補正予算で教員の加配や学習指導員の追加配置、スクール・サポート・スタッフの追加配置を行うことを決定しました。
 学級は、学習集団であると同時に生活集団の機能を有し、学習指導と生活指導を一体的・有機的に行うことにより、児童生徒の確かな学力と豊かな人間性を育む学校教育の最も重要な要素です。少人数学級は、教室にゆとりが生じることにより、様々な教育活動を工夫することができます。また、それだけではなく、教員と児童生徒の関係が緊密化するため、近年社会問題となっている児童虐待の早期発見につながるとともに、児童生徒の理解度や興味・関心に応じたきめ細かな指導及び生徒指導上の課題に即した個別指導の充実をより一層図ることが可能となります。
 よって、福岡市議会は、国会及び政府が、教育現場の実情に沿った適切な措置等の実施に向けた少人数学級の更なる推進を図られるよう強く要請します。
 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。

 

 「効果を検証」どころか、少人数学級の「効果」をめちゃくちゃうたいまくりですよね…。

 これで請願を採択主張されないのは、いただけません。

 しかし、請願は「不採択」ではなく、「継続審査」となりました。

 「審査」を「継続」するというのですから、実施がある程度行われた段階(例えば1学期終了)で再度審査して、ぜひ採択してもらおうじゃありませんか。

*1:この意見書に賛成したのは、共産党自民党福岡市議団、公明党、市民クラブ、令和会、緑・ネット、全無所属議員です、要するに自民党から分裂した「自民党新福岡」の4人以外全員賛成しています。