私は2024年8月に日本共産党を不当に除籍・解雇され、11月に私は共産党などに裁判を起こしました。支援したいという方はぜひ募金をお願いします(セブン銀行 ハイビスカス支店 普通 2198241 カミヤ タカユキ)。この件について、簡単な経過を知りたい方はこちら。裁判の資料はこちら。(この記事は、ブログのトップに一定期間置いておきます。)
ハラスメントという暴力を容認したのになぜ田村委員長は「ノーコメント」なのか
(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)
党幹部に会うことで不安が高まる
私は、共産党幹部のハラスメントによって精神疾患に追い込まれ、現在も通院と投薬を続けています。
「子ども劇場」という観劇文化運動がありますが、先日も市のホールを借りてそこの演劇鑑賞会が予定されていました。数百人が参加します。私の家庭も入っています。
親と子の分のチケットがあってつれあいから「あなたが(娘と)一緒に行く?」と聞かれましたが、観劇先で私を糾弾した党幹部や党員に出くわしてしまう可能性があり、不当除籍・解雇をされてからは、いよいよ不安が大きくなり、「当面あなた(つれあい)が行ってほしい」と言って、断りました。
私を直接査問した党幹部と顔をあわせるのは不安しかありません。そもそも除籍前でも、調査のための文書を渡すことについては対面でないやり方をくり返し求めたにもかかわらず、党幹部らは文書を持参して私の職場に現れました。ひどいときは、自宅の前で複数で待ち伏せしていました。私は厳しく抗議したのですが、「ちゃんと渡した方がいいと思って」などと理由にもならない理由を述べて去っていきました。
「神谷の病状に配慮する」どころか、まるで嫌がらせのように、私の精神に打撃を与えるのが目的であるかのように、くり返し私のもとに現れたことは忘れられません。
そういう人たちとは除籍後も会いたくないのです。
裁判を起こしたことで法廷で会う可能性が生じました。そればかりは受忍しなければならないだろうと覚悟していますが、そのために不安が高まり、通院を続けています。
加えて、壇上で私を激しく糾弾した党員・党議員たち、そして、ほぼ一方的な説明しか聞かされていない一般の多くの福岡市の党員たちについては、まだ除籍前は、私は「党員」という目で見られていたので、なんとか日常的に私も平静を保って一緒に活動できました。
しかし、不当除籍・解雇後は、私の方がやはり不安が大きくなってしまいました。集会や運動の場で偶然出会ってしまうリスクや、こうした左派系の人たちが多い集まりの場などでうっかり出会ってしまう可能性を考えると、どうしても不安になってしまいます。
党幹部たちは別ですが、一般の地域の党員の方々については、今も現場では私について一方的な説明がされているということが漏れ聞こえてくるので、せめて私が裁判に勝って、「実はかくかくしかじかという事情だった。問題があったのは神谷ではなく党幹部の方だった」という説明がなされる日を待ち望んでいます。そうすれば自分の不安も解消され、晴れて職場・党活動に復帰できるのではないかと思っています。
「怒鳴ったり殴ったりすることだけがハラスメントではない」と一般の党員に布告される日が来るのを待ち望む
12月3日の京都での私・松竹伸幸さん・上瀧浩子弁護士の3人による討論会で、上瀧弁護士から「5人で1人を糾問するとか、パワハラそのものだと思いますが、どうして党側はパワハラでないと思っているのか」という旨のことを聞かれたので、「要するに怒鳴ったり殴ったりしなければ、落ち着いてやればパワハラでないと思っているのです」という趣旨のことを答えました。
討論会の動画ではハラスメント問題については47分ごろから始まります。
このことは前にも述べました。
いくら怒鳴ったり殴ったりしていなくても、私が受けた追放の脅しのもとでの自己批判(反省)の強要、仕事の取り上げ、同僚や若手との接触禁止、陰で人を集めての悪口の流布などは厚生労働省が定める「パワハラ6類型」そのものなのです。
党幹部はもちろん、一般の党員、特に会場で私を激しくヤジった党員たちは、「怒鳴ったり殴ったりすることだけがパワハラではない」というシンプルな事実が受け入れられないようです。
ある共産党地方議員は、私の前でこれ見よがしに宝塚のハラスメント自殺事件の記事を読み上げたりました。額にヘアアイロンをあてるような残酷な仕打ちがなければハラスメントではないぞ、と言いたかったのかもしれません。しかし、その宝塚事件の被害者遺族の弁護団だった川人博弁護士が私の裁判の応援に駆けつけてくれるとは、その地方議員は思ってもみないことだったでしょう。
先ほども述べたように、もし裁判に勝利したら、この点をきちんと福岡県党や全党に徹底してもらい、晴れて私が復帰できる条件を整備してほしいと願っています。
ハラスメントとは「暴力」
共産党の常任幹部会委員、つまり最高幹部の一人である坂井希さんは、ジェンダー平等委員会の事務局長を長い間務めてこられ、最近『あなたと学ぶジェンダー平等』という本を出されました。
坂井さんは学生時代からよく知っており、私生活でも私は彼女の結婚を祝う会の実行委員をつとめ、そのパンフレットに彼女やパートナーを描いたちょっとしたストーリーマンガまで描いたこともあります。
その坂井さんが同著の中でハラスメントについて、次のように規定されていることを印象深く読みました。
〔ハラスメントは〕他者を攻撃し、その尊厳を傷つける暴力であると理解する必要があります。(p.138)
そうです。ハラスメントは暴力なのだと党最高幹部の一人、坂井さん自身がおっしゃっています。私はまったくその通りだと深く頷きました。*1
この坂井さんの本は最近でも市田忠義副委員長が「ハラスメント根絶は必須」として、党の公式機関誌(「月刊学習」2024年12月号)で、
と推奨文献であることを強調しています。いわば個人著作ではなく、党の公式文献に準ずる本で「ハラスメント=暴力」だと述べているわけです。
自分が深刻な暴力に深く関与しておきながらなぜノーコメントなのか
ところが、田村智子委員長は、私の除籍やハラスメントについて、一貫して「ノーコメント」を連発しています。
この点は松竹伸幸さんも疑問を呈しています。
私の除籍は中央委員会が承認しているはずのものです。*2
つまり田村さん自身が承認を行ってきたものです。
また、私のハラスメントについても、党本部(広報部)は、
神谷氏による党規約とその精神に反する行為についての党福岡県委員会の調査と対応は、本人も認めていた党規約にもとづいて適正におこなわれたものであり、パワハラとの指摘は当たらないと承知しています。(「サンデー毎日」24年9月15日号)
と明確に評価を行っています。「パワハラについては福岡県委員会に聞いてください」とは言っていないのです。私への直接の聞き取りなど一度もしないくせに。党本部の責任者は当然田村委員長でしょうから、ここでも田村さんはこのコメントに責任を負っているのです。「パワハラではない」と、何かを根拠があって明言させているはずです。そのことを説明する責任があるのではないでしょうか。
実際、私が入手した党幹部の言動の記録からも、党中央委員会は私の調査・除籍・ハラスメントの深く関与してきたことが明らかになっています。
田村委員長が私への暴力に関与してきたかもしれないという重大な事態なのです。
その暴力に、承認という行為、評価という行為を、責任者として明確に与えているわけですから、「コメントしません」というのはあまりにも無責任ではないでしょうか。
地方の組織がやったことで、本部の責任者たる委員長はよくわからない——これならまだ話がわかります。あるいは、裁判だから言えません、というのもよく聞きます。
しかし田村さんの発言はそういうものではないのです。
中央自身が関わった。そしてすでに党中央の部署はコメントまでしている。
それなのに党の代表だけが、「コメントしません」。
ダンマリをします、と言っているのと同じで、同じ記者会見で党内のハラスメントについては「丁寧な対応」をすると述べているのにも真っ向から反するものです。ていうか、直前に言ったことと真逆のことを直後に自分で言うって、虚しくないのでしょうか。
自分が深刻な暴力に関与している可能性を指摘されているのに、何もコメントしない。
おかしくありませんか?
もちろん、そんな関与などしていないなら「していない」とはっきり言えばいいことです。実際すでに党中央の広報部署はコメントしているわけですから。
推測ですが、まさに答弁不能になっているのだと思います。
福岡県委員会の調査・査問の現場でも、私が党幹部に対して具体的な事実、規約、法律を示して迫ると、同じことが起きました。バグって、固まって、動かなくなって、ダンマリになってしまうのです。
もう一度言いますが、田村智子さん、あなたは自分が関わったかもしれない暴力になぜコメントしないのでしょうか。志位和夫さんが答えるというなら、それでもけっこうです。まず党の代表が正々堂々とコメントしてくれませんか。
「結社の自由があるから裁判所は政党の内部問題は口を出すな」について
(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)
12月3日の京都での私・松竹伸幸さん・上瀧浩子弁護士による討論会で論点になったことを少し紹介しています。
その一つが、「結社の自由があるから裁判所は政党の内部問題は口を出すな」という議論についてです。
これは「部分社会の法理」といわれるものです。
ネットなどでもそこを心配する声があります。これを政党についてあてはめたのが、共産党を除名された袴田里見氏の住居明け渡しをめぐる裁判で1988年にでた「共産党袴田事件」の最高裁判決です。
討論会でもその点をどう考えるのかを上瀧弁護士から私と松竹さんがそれぞれ聞かれました。
簡単にいうと、私の場合はむしろ共産党袴田事件の最高裁判決を使って、議論を組み立てています。
この共産党袴田事件判決では、“結社の自由があるから、メンバーを追放するとか処分するとかいう問題については、裁判所は政党の内部問題には口を出せない”という理屈になっているのですが、例外を設けています。
それはどういうものでしょうか。
共産党袴田事件判決では「政党の内部問題」といった場合、市民としての権利や利益を侵害するようなもの、そして適正な手続きになっていないものは、「政党の内部問題」とは言えないないから、そのときはちゃんと裁判所でも裁きますよ、という条件をつけているのです。
私の場合、生活の糧や個人の尊厳を奪われるという解雇がついており、その解雇がめちゃくちゃであったため、まさに市民としての権利や利益を侵害し、適正な手続きではなかったので、袴田判決によって逆に当然に司法の場で裁かれることになります。
処分などにかかわる問題でも、それが例えばハラスメントのような暴力や人権侵害がからんでいたら、しかもそれを隠蔽するためにとんでもない手続きで行われていたら、それは「内部問題」ではすまないわけです。
共産党規約には「党の内部問題は、党内で解決する」という条項(第5条)がありますが、どんな問題でも党内で起きたらとにかく「内部問題」であって、絶対に外に出してはいけない、というわけではないのです。その限界がどこにあるかがここに示されています。
なんで「専従は委任契約」みたいな話を今だに信じている人がいるか
(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)
2024年12月3日に京都で行われた私と松竹伸幸さん、上瀧浩子弁護士との討論企画に、会場いっぱいにご参加いただきありがとうございました。
中身については、詳しくは追って書いていきますが、印象に残ったこと、感想的なことを3点。
一点目ですが、会場にいろんな立場の人が来られていて、私は「はてな匿名ダイアリー」で私のことを書いておられた方が参加されてびっくりしました。
そのかたは私や松竹さんの問題を純粋な興味関心から追っていたとのこと。募金までいただきました。共産党員か党に詳しい人ではないかと思っていたのですが、お話をしてみて興味関心だけでここまで詳しく読み取れるんだ! とびっくりしました。
ニュートラルだったり、野次馬根性だったり、いろんな動機はあっても——それこそアンチっぽく見えていても実はある種の愛情的な執着で関わってくれていたりする人もいて、様々なんだなとあらためて思いました。 SNSやコメントの表面的なやりとりだけでは軽々に判断してはいけませんね。
二点目は、共産党の関連団体、いわゆる「民主団体」の中でも現状への強い批判や不満があるということも終わった後の私への訴えや懇親会でのお話も含めて、認識を新たにしました。
特に、ハラスメントの深刻さや、訴えてもまわりが反応してくれない冷たさについては衝撃を受けました。
三点目は、議論の後半——私は民主集中制の現代的な発展ということを提案しましたが、終わった後の懇親会の場での賛否も含めて、共産党を今後どう改革していくか、みんな話したがっているんだなあということでした。
今の共産党幹部が「自慢」している「議論」では、実は肝心なところは抑圧されてしまい、ほとんどそれが実現できていないということの裏返しでもあります。
こういう雰囲気や文化が党内に広がれば、それ自体がとても魅力的だし、入ってみたいなと思ってもらえるんじゃないかと感じました。
この裁判闘争自身はとても大変なんですが、他方で、「社会運動を始めた頃のような原初的なワクワク感」がとてもあります。それは他の人も同じのようで、熱心に関わってくれている人たちからそうした感想が異口同音に聞けるのはなんともうれしいことでした。
昔の党専従の働き方
この討論の中ででた論点(と私の答え)を今日は一つだけ紹介しておきます。
私の裁判は「共産党職員は労働者である」という前提で始まっているということは提訴の日に述べました。
その上で、「なんで1970年代に『労働者じゃなくて委任契約ないしこれに類似する法律関係』みたいな判決が出たの?」という疑問がこれまでにも出ていました。
これは宮地健一さんの事件についての1978年の地裁判決ですね。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/600/019600_hanrei.pdf
これは戦前から戦後の党職員=職業的革命家の活動スタイルが出発点にあったからです。
例えば渡辺武さんというのちに共産党の参院議員になる人のパートナー(渡辺泰子)が書いた回顧録がありますが、戦後の党専従者の活動というのはまさに融通無碍、縦横無尽で、渡辺武さんなどは地下活動に入って何ヶ月も家に帰ってこない。あるいは労働者や中小業者の中に入って運動をオルグしたりする。そういう活動をやっていました。
1947年のときの渡辺泰子さんの記述です。
「学校を辞めて、共産党の常任活動家〔専従=党職員のこと〕になろうと思うが、いいか。」…
給料は三千円くらいは出せるだろうと言っていたと。私はまさかと思った。…共産党にそんなお金が出せる筈はないと、かなり理性的に考えたのに、では全然給料が出なかったら、この先子供二人を抱えてどうやって暮らしてゆくかについては全く考えてなかった。…
間もなく武は何も言わずに帰ってこなくなった。噂では、はじめての福岡県の教育委員の選挙の候補者にされて福岡県中を歩き回っているらしいというので、じっと帰りを待っていた。当時の党の、非合法時代そのままの秘密主義にも呆れるが、占領下で進駐軍違反の名目ですぐ逮捕された当時の情勢で、どうしようもなかったのかもしれない。
暢気に待っているうちにお金がなくなった。(渡辺泰子『息子たちへ(上)』p.89-90)
だから、毎日定時に出勤して定時に退勤し、決められたことを指示通りにやる、それ以外のことはしない、というような「サラリーマン」としての働き方とは無縁の存在でした。そんなことでは革命はできない。専従は職業的革命家なんだ——そういう思いが強かったし、実際にそうだったわけです。だから「革命政権ができたら年金なんか十分もらえる」とうそぶいて公的年金もろくに払わないことがあったりしたそうです。
しかしそこからもう半世紀近くが経ちました。(私はこの判決の頃8歳です。)
だんだんそういうものは改められていったのです。
社会保険にもちゃんと入るし、就業規則に相当するものもできる。出勤時間と退勤時間も決められ(守られているかどうは別として)*1、休日も規定され、有休の規定もある。そういうふうになっていきました。
1970年代、80年代、90年代というのはそういうものがまさに改められていく過渡期でした。
だから、宮地裁判で「ない」と言われていた指揮命令のために拘束されている条件は今では名目上かなり整えられています。
半世紀前の地裁判決がそのまま通用するはずもありません。
特に私のような市の税金=政務活動費を使って雇用されている場合はなおさらでした。出勤時間は午前9時半、退勤は午後5時半と厳格に決められており、勤務場所も福岡市議会棟13階の控え室と決まっていました。書類として市議会に提出されています。コロナの時でさえ家でリモートワークをしたいと申し出たことがありますが、それは原則的にはダメだと言われ断念したことさえあります。他にも私が「指揮命令」に従っている証拠は山のようにあります。
古い世代の共産党員はその古い専従観が抜けきれていない人が少なくなかったと思います。浜野忠夫副委員長が
会社と雇用契約をむすんでいるサラリーマンとはまったく違うわけです。(浜野忠夫『時代を開く党づくり』p.200)
と2008年に出版した本でこう言ってしまうのは、むべなるかな、なのです。除籍された砂川絢音さんの話では、福岡県委員会の副委員長は「党専従者は法律上は労働者だけど、本当は労働者ではない」と常識的な人が聞いたらびっくりするようなことを、砂川さんの調査の場で述べていたようです。
しかし、さすがに司法の場には持ち出せないと判断したようです。
とまあ、ここまで詳しくではありませんが、そういう概要を会場ではお話ししました。
本日討論会「共産党の未来を占う除名、除籍解雇裁判の行方」
本日です。多くのみなさんのお越しをお待ちしています。
「共産党の未来を占う除名、除籍解雇裁判の行方」
(松竹伸幸×神谷貴行×上瀧浩子の討論会)
日時:2024年12月3日(火)
午後6時15分〜(開場6時)
会場:ハートピア京都第5会議室
(地下鉄烏丸線丸太町駅直上)
ところで、私の裁判を支援する会が立ち上げたサイトですが、裁判資料をポツリポツリとアップしています。訴状以外に、提出された証拠を出しています(公表できる分のみ)。
その一つですが、私が誰を訴えているか(被告は誰か)についても一言。
共産党福岡県委員会はわかると思いますが、もう一つ、共産党自体も訴えています。前者は党県委員長、後者は志位和夫氏を代表としています。
これに関する話は以前、松竹伸幸さんがブログに書いています。
第29回党大会の閉会あいさつで、志位氏は自らの「代表」性について次のように語っています。
私〔志位〕は、新しい体制のなかで、党を代表するものの一人として、ひきつづき党の活動のあらゆる分野で必要とされる責任を果たす決意であります。(拍手)
新しい幹部会委員長には田村智子さんが選出されました(拍手)。国政のうえでは田村新委員長が党を代表する役割を果たすことになります。
加えて、党大会の前の期間——私がありもしない「規約違反」をでっち上げられ始め、査問や規約48条に基づく「調査」、パワハラを受けていた期間のほとんどは、志位氏が委員長を務め、その指導のもとで中央委員会は私への抑圧を続けてきました。
訴状に書いた形で共産党の代表者が責任を負うのは当然のことです。
なお、法人の登記なので、社会的には「この法人は取引をして大丈夫なところか」を確かめる根拠になるものです。議長・委員長・副委員長・書記局長が「代表」として入る他に、実際に財産の管理にあたる岩井鐵也財務・業務委員会責任者が「代表」として入っているのはちょっとユニークなところです。
「破壊し、乗っ取る」?
日本共産党幹部による私への不当解雇に抗議した砂川絢音さんは、10月1日付で党を除籍されました。人権侵害に声をあげたことを理由に党を追放するのはおかしいと書きましたが、今日は別の論点です。
「日本共産党福岡県常任委員会」名での砂川絢音さんの除籍理由には次のように書いてあります。
これらの行為は、民青*1県委員会を破壊し、乗っ取ることを狙った分派的行動です。
破壊し、乗っ取る。
すごいパワーワードだと思います。
まず、民青を「破壊」するわけです。
「破壊」。辞書では「原形を保たないまでにうちこわすこと。うちこわされること。こわれること」*2「現存の制度・組織などが徹底的にこわれること」*3とあります。
そして、「乗っ取り」ます。
「乗っ取る」。同じく辞書では「奪いとって自分の支配下におく」とあります。
おかしくないですか?
元の形をとどめないくらいにめちゃくちゃに壊しておいて、自分のものにする、というのです。
パソコンを例にしてみたらどうでしょうか。パソコンを粉々にして跡形もないようにしておいて、自分のものにする……どう考えても正気の行動とは思えません。
破壊するだけ、とか、乗っ取るだけ、というのは理屈がわかります。破壊し、乗っ取る、ってつながらないのです。
しかも「乗っ取る」って、民青の地方組織を乗っ取るんですか?
乗っ取ってどうしようというのでしょうか。
別に同盟費や機関紙代は、微々たるものですし、それだって集めないと自然に入ってくるわけではありません。私が共産党市議団の事務局だったころには、民青の役員の人たちが事務所にカンパを訴えにきました。遠くまで時間や交通費をかけてやってきて、訴えてようやくお金が入ります。オートマチックに入ってくるお金などないのです。
他方で、お金は出て行きます。民青の専従者は、福岡市から遠く行橋や北九州、大牟田までそこで開かれる班会のお世話をするために出かけ、夜中に帰ってきて、「自主的活動」として扱われ残業代も出ず、自動車のガソリン代もまかなえません。
深夜に及ぶ駅前での同盟員拡大もそうです。
享楽とか利権とかとは無縁のものです。
そういうものを好きこのんで「乗っ取る」のでしょうか?
だいたい「乗っ取る」って、ショッカー*4か何かでしょうか。
厳密に事実やロジックを積み重ねて到達するのとは真逆の、「とにかくおどろおどろしいワードを使え!」という雑な指令に従った結果としか思えない言葉のチョイスです。この文面を起草した人(そして賛成した人たち)の知性がどこにも感じられません。
もともと、砂川さんは他の人たちとともに、民青の県委員長がハラスメントをしたのではないか、県委員長としてふさわしくないのではないかと代表者会議で問題提起しようとしただけで、それを「分派」だとか「意見の違いによる排除」だとか問題視すること自体が異常な対応だと言わねばなりません。
この異常さを糊塗しようとして党幹部がひねり出した、あまりにも荒唐無稽なストーリーが、「砂川さんたちが民青福岡県委員会を破壊し、乗っ取ろうとした」というでっち上げだった——そう考えるしかない、ことの成り行きです。
砂川さんの共産党の除籍決定は「共産党福岡県常任委員会」によってなされているので、その承認は規約では一級上の機関、つまり共産党中央委員会が行なっているはずです。
砂川さんは支部に属していたので、ふつうは支部が決定するはずですが、なぜか党県常任委員会が決定し、中央委員会が承認しているのです。
ここでも、この異常な決定は、単に「一地方の一支部の狂ったバグ」ではなく、中央トップが承認して決めた、党幹部のご意向であり、組織全体が陥っている深刻な病理の顕現であることがわかると思います。
なぜ他の団体の話なのに共産党を除籍されるのか?
私がこの除籍理由で気になるのは、これは民青同盟の話だという点です。
民青同盟と日本共産党は完全に別団体です。
民青同盟での行動が、なぜ日本共産党での除籍理由になるのでしょうか。
どこかの団体でのルール違反が日本共産党における処分や追放の理由になるという奇妙な話です。
例えば、私が俳句サークルに所属しているとしましょう。
私が俳句サークルの会則に違反したら、私はそれを理由に共産党を除名されたり除籍されたりするのでしょうか。
ただし党規約の42条には
各種の団体・組織で、常任役員の党員が三人以上いる場合には、党グループを組織し、責任者を選出することができる。
党グループは、その構成と責任者の選出について対応する指導機関の承認をうけ、またその指導をうけて活動する。活動のなかで、その団体の規約を尊重することは、党グループの責務である。
党グループは、支部に準じて、日常の党生活をおこなう。
とあります。
しかし民青同盟福岡県委員会に対応した党グループは存在しませんでした。この規約の適用を受けないことは明らかです。
また、第29回党大会決定には党が国民運動に参加するさいの「四つの原則」が提起され(この原型は昔からありましたが)、その一つに
それぞれの組織の性格と目的を尊重して、組織の前進・強化のために力をつくす。
というのがあります。
私は砂川さんはこの原則にそった、非常に忠実な活動をしていたと思いますが、仮にこの原則(党大会決定)に反した活動をしていたとしても、42条ではこれを規約上の責務にしていたのは党グループだけだったのですから、砂川さんがただちに規約違反に問われるものではないはずです。
そして、「仮に…」「仮に…」と仮定を何重にもしていきますが、仮に規約42条や29党大会決定を強引に適用するにしても——そして、これがもっとも肝心な点ですが——そもそも民青の規約を踏みにじっていたかどうか、当の民青がまだ「調査中」だったのに、共産党福岡県委員会は、砂川さんを除籍してしまったのです。その団体が何も結論を下していないのに、先んじて勝手に共産党が外から「民青の規約違反だ!」と決めつけるなんて、その方がよっぽどその団体の自主性をないがしろにしていないでしょうか?*5
もう、どこからどう見ても乱暴きわまる決定だったと言えます。
私は、砂川さんの除籍について、私同様に「カジュアル除名」として除籍を濫用している点、人権侵害に声をあげたのにそれを規約違反だとされた点だけでなく、上記の点からも、不当なものだったと考えています。
そして、ある点では私の時以上に、破綻しまくった雑なストーリーを押しつけて、あたら若い有望な活動家を潰して叩き出したという点において、党中央をふくめた骨がらみの深刻な組織の病理を露呈した追放劇だったのではないでしょうか。
野党共通の公約を抽出し、その実現に特別の位置づけを
総選挙後の国会にどう臨むか、共産党の田村智子委員長が述べています。
総選挙での国民の審判によって生み出された「少数与党国会」となります。これまでの「自民党1強」のもとでは、国会審議を軽視し、数の力で法案を押し通す政治が横行しましたが、同じやり方は通用しません。新しい国会では、行政府に対するチェック機能を発揮し、徹底した審議を通じて、国民の意見や要求を反映した政治を進めるという、国会の本来の役割を果たせるのかどうかが問われます。この点で、すべての政党の真価が試されることになります。
と田村委員長が述べているのは、まったく正しいと思います。
これをもっと短くして、その要点を述べるなら、「要求実現へ政治が動くチャンス」だとそのポイントをまとめることができるでしょう。
総選挙後に、国民民主党の動き方というのは、彼らなりにこのポイントをつかんで、存在感を示している、ということになります。
石破政権の「熟議」アピールも、メディアが
少数与党という窮地を逆手にとって、新しい政治への転換を図りたい――。そんな石破首相の意気込みはうかがえた。(朝日社説、11月30日付)
というように、石破政権なりの適応だというわけです。
つまり、各党はすでにそういう対応を始めているのです。
では共産党はどうでしょうか。それが田村さんのあいさつなわけですが…。
私は一言で言えば、「野党が共通している公約・政策要求を抽出して、その実現には特別の位置付けを与えるべきだ」という戦略が欠けているように思います。(「野党が共通している公約・政策要求」は、場合によっては例えば維新は反対しているが公明党は賛成しているので多数になる、というものでもいいと思います。)
「野党が共通している公約・政策要求」というのは、少数与党国会では特別の意味があります。なぜなら、与党が反対しても、議員立法で野党が法案を出したら、国会の委員長も野党が一定握っているわけですから、通っていく可能性があるからです。
もちろん、それはそんなに多いわけではありません。
などが挙げられるでしょうか。(間違っているかもしれませんのでご指摘いただければ幸いです)
しかし、「実際に政治が動いて実現する」というのは、ものすごいことです。単に国会で自分の党の主張を述べていればいい、というレベルとはわけがちがいます。
こうした政策については特別の位置付けを与えて、何が何でも実現する、という動きを共産党として先導すべきだと思います。
しかし、残念ながら、田村さんのあいさつには、こうした政策への特別の位置付けがありません。企業団体献金の禁止と政党助成金の廃止をどうして並列に並べてしまうのでしょうか。あるいは、選択的夫婦別姓と軍拡問題をどうして一緒に論じてしまうのでしょうか。
A「選択的夫婦別姓」とB「軍拡問題」。
AとBはまっっっったく意味合いが違います。Aは野党共通のものとして実現できる可能性が非常に高いもの、Bはそうでないものです。同列にしては絶対にいけません。
各党の公約を丁寧に洗って、共通しているものを抽出すべきなのです。
その際、ややあいまいなもの、例えば教育費の無償化などは、共産党として意義付けをして、問題を提起するのはアリだと思います。その点で、大学の学費値上げをやめさせようという提起を共産党がしたのは非常にいい提起でした。
新しい政治プロセスへの対応というなら、こうしたイニシアチブこそ、共産党には求められています。そのために、各党とも惜しみなく協力を呼びかけるべきです。
その点で、この田村「あいさつ」をめぐり、維新、国民民主(そしてれいわ)への態度に関して、共産党を除名された松竹伸幸さんが批判、というか注文をつけていることについては注目しました。
松竹さんの批判は、国民要求がどう実現させ、政治プロセスを前に進めるにはどうしたらいいかを国民が注視している中で、依然として「悪政4党連合」と罵ったときと同じ水準の対応をしている、これでは新しい政治プロセスでの国民の期待に応えられないというものです。
これは一定の道理があります。
野党連合政権を組む際に、維新や国民民主は共同の相手にはなり得ないという規定をする上で、こうした「悪政4党連合」という評価をしたものですが、同じ姿勢で総選挙後の国会で国民に向けて発信すべきなのでしょうか。
実際松竹さんが紹介しているように、維新や国民民主、そしてれいわも同じ野党のテーブルについて協力する動きが始まっています。(もちろん、つかない場合もありますが。)
維新や国民民主、れいわと手を組んで与党に迫っていくという姿勢がないと、そうは言っても「多数派」にはなれないわけで、逆に言えばそこと手を組んで初めて全く違った状況で与党に迫ることができます。なんなら、野党だけで事を進めることさえできるのです。
なんとか国民民主のアラを探してやろうという姿勢が目立つ報道や政治対応では、国民から見透かされてしまいます。要求実現を掲げる中で、それに背く動きをした際には、それに即して丁寧に批判をすればいいわけで、その点での姿勢の転換が共産党や共産党員には求められていると言えます。