参院選の結果についての常任幹部会声明では「自公政権とその補完勢力、排外主義・極右的潮流に正面から対決し、政治の転換をめざす」として自党の役割を「いま日本の政治には、時流に流されず正論を貫く政党が必要です」と規定しています。
他方で、「自民党政治に代わる新しい政治を模索・探求する『新しい政治プロセス』を前に進めるために、全力をあげる」とも述べています。
つまり、自民・公明政権とは対決するが、「補完勢力」(国民民主党や維新の会)、「排外主義・極右的潮流」(参政党・保守党など)とも「正面から対決」するというのです。
その場合、「補完勢力」「排外主義・極右的潮流」とは部分的な政策共闘もしないと言うことでしょうか。「正面から対決するんだから一切共闘なんかしないんだ! 当たり前のことじゃないか! お前は排外主義に居場所を与えるのか!?」とイキリたつ人がいそうですが、まさかそうではありますまい。
国民民主党や維新の会が自公政権と取引をして延命しようとするから「補完勢力」なのであり、また、参政党・保守党が外国人差別をするような政策を国会で質問するから「排外主義・極右的潮流」だと規定するわけでしょう?
そうでない政策については、これらの政党であったとしても「自民党政治に代わる新しい政治を模索・探求する『新しい政治プロセス』を前に進めるために」共闘するはずです。国民民主党・維新の会・参政党・保守党とも共闘するのがスジです。それすら拒むなら、「『新しい政治プロセス』を前に進める」などおよそ口だけと言うことになるに違いありません。
「新しい政治プロセス」にふさわしく政権の展望を共産党として示すべきだ
だとすれば、政策だけでなく、政権の展望についても、他の野党と組むことを念頭に置いてこの時期に日本共産党として示すべきです。
例えば毎日新聞社説は野党に対して「政権託せる構想が必要だ」という社説を掲げています。
石破政権を居座らせないで退陣を求めるものの、自民党政治を継続するような「たらい回しでは意味がない」と共産党は主張しています。だとすれば、自公が衆参ともに少数であるというこの歴史的状況のもとで、共産党がどういう政権構想を示すのかが問われるのではないでしょうか?
共産党は28日付の「しんぶん赤旗」で「自民党政治を終わらせる」という小池晃書記局長のNHK日曜討論でのコメントを1面で報じています。
しかし、「自民党政治を終わらせる」というのは一体どうやって…? と普通の人は思うに違いありません。
もちろん常幹声明にあるように「いま日本の政治には、時流に流されず正論を貫く政党が必要です」と胸を張って、歴史的に最低の議席と得票結果になった自分たちの小さな小さな勢力で、その転換を果たすために孤高に正論を粘り強く言い続けるというのも一つの選択肢かもしれません。
平時であればそういう選択肢しか取れないこともあります。
しかし、共産党が主張した通りに参院でも自公は少数に転落し、衆参いずれも与党が少数しかないというかつてない歴史的状況下で、「『新しい政治プロセス』を前に進める」ことが問われているのが今のリアルな緊迫した局面のはずです。そこで平時と同じく「正論」を言い続けることだけで果たして「『新しい政治プロセス』を前に進める」ことなどできるのでしょうか。社会運動を強烈に起こして事態を変えるという方法もあるでしょうが、これもある意味で「平時」と同じなのです。その方法は、いつでも採用できるもので、現局面の緊迫感に相応しくないのです。
殻にこもっている時ではありません。
同じく本日付の赤旗2面に「石破首相の進退が問題ではない」とするの無署名記事を載せました。石破政権の居座りは許されないが、自民党内のたらい回しによる自民党政治の延命はダメ、野党中心の政権を、というわけですが、では現状で「どないせえって言うねん」ということになります。
「共産党などが正論を述べ続けて世論の激動を起こす」ということかもしれませんが、前述の通り、それでは自公を少数に追い込んで結果を生み出して「『新しい政治プロセス』を前に進める」局面にあるダイナミズムをとらえた方針とは言えないのではないでしょうか。自公が多数の国会の時と、同じことを主張していることになりますから。
選挙管理内閣では不十分——松竹伸幸さんの主張との違い
この問題について、松竹伸幸さんは、「選挙管理内閣」を提唱しています。
私はこの意見には「傍観するな」は賛成ですが、選挙管理内閣という部分はそのまま賛成できません。
というのは、かつて共産党が提唱した超党派での選挙管理内閣は、松竹さんが紹介している岸内閣の時のように、“新安保条約を岸政権が強行したのに対して世論が反安保で全く違う状況を呈していたのだから解散して国民に信を問うべきだ”という意味で主張されていました。ですから、その場合、政策的な一致がなくても、党派を超えて選挙を行う(解散総選挙をする)ためだけに政権を組むことには意味があったのです。
現在はこういう状況ではありません。
すでに自民・公明は衆参ともに少数になっています。今の自公政権ではダメだという民意は示されているのです。
ではどうしたらいいでしょうか。
1989年の参院選及び1990年の総選挙で日本共産党が暫定政権を提唱したことがあります。
①リクルート事件を受けて企業団体献金の禁止、②コメ輸入自由化を受けてそのストップ、③消費税反対の世論を受けて消費税廃止——この3点は当時の全野党に政策的共通点があったので、この3点での暫定政権を提唱したのです。
当時、公明党や民社党はおろか、社会党との間にさえ、共産党は政権合意の基盤がなく、それどころか国会運営で「共産党を除く」という形でつまはじきにされて政策共闘すらままならない状況でした。
そうした中でもその前の参院選での民意を活かして、こうした暫定政権の提唱を行いました。
消費税引き下げ、企業団体献金禁止、日米地位協定改定の政府
今必要なのは、こうした方向性ではないかと思います。
つまり、
という3点で野党の暫定連合政権を提唱すべきだと思います。もちろん、それ以外の問題は現状を動かさない、つまり、現在の自公政権と同じフレームでの運営をしますから、例えば安保法制などもそのまま引き継いで運営することになります。
これらは野党に政策的共通点があります(ただし、保守党は企業・団体献金の禁止は主張しておらず、日米地位協定の改定への態度は不明なので、この項目自体は変わる可能性があると思います)。なお、地位協定の改定は全国知事会が提言するほどの超党派要求です。
「自衛隊を活かす会」のシンポジウム(円卓会議)に、日米地位協定の問題で、立憲民主やれいわ、沖縄の風とともに、参政党の神谷宗幣代表が参加し改定を主張していたので私は興味を持って見ていました。(41分40秒ごろに神谷代表の発言)
「たった3つ」と思うかもしれませんがいずれも自民党政治のもとでは実現しなかったものばかりです。そして、企業・団体献金の禁止は共産党綱領で民主主義革命の課題の一つとされているほど重要なものです。
もしこの3つが本当に実現すれば、大変な歴史の前進であり、それ自体が共産党綱領の規定する日本の根本問題——「大企業・財界支配」「アメリカへの従属」に大きな風穴を開けるものになるのではないでしょうか。「自民党政治に代わる新しい政治を模索・探求する『新しい政治プロセス』を前に進める」ことになるのではないでしょうか。
これ以外にも、公約を洗えば政策的に一致するものはもっと出てくるかもしれません。それは共産党の政策スタッフの腕の見せ所でしょう。
そうしてこの3つが実現したのちに、その内閣は基本的な任務を終え、再び国民に信を問うことが可能になります。その時初めて解散・総選挙をこの内閣は実施して、すべての役割を終えることになるでしょう。このとき初めて、松竹さんの主張する「選挙管理内閣」としての役目が生きると思います。
参政党・保守党とも組むことをタブーにしない
日本共産党は、新しい政治プロセスを前に進める大胆な提案を行なって、「自民党政治に代わる新しい政治を模索・探求する『新しい政治プロセス』を前に進める」ことに「全力」を尽くすべきです。
「お前はあの極右勢力と一緒に政権に入れというのか!?」と言われるかもしれません。その通りです。しかし、それは3点での限定での政権ですから、逆にそうした勢力の手を縛る意味も持ち、むしろ積極的な意義があるのではないでしょうか。補完勢力とされる政党についても、この提案を拒否したり、この縛りを超えたことをしようとしたらその時初めて「自民党政治の補完勢力」だと国民の前で言えるわけで、今の段階から「あいつらは補完勢力だから」と言って決めつけて何もしないことはマイナスです。
そもそも、先ほど述べたように、政策での共闘についてはこれらの政党・会派とも、限定して行うのですから、限定した暫定政権についても絶対にやっていけないというものではないはずです。「不倶戴天の敵だ!」「席を同じゅうせず!」という態度では逆に国民の理解を得られないでしょう。もちろんこれらの諸党の問題については具体的かつ丁寧に批判することはタブーにしなくていいはずです。
野党は多数になったが、政権を組める展望がない。では、個別の政策合意で自民・公明政権を延命させていいのか——こういうジレンマというかアポリアに、直面しているのです。その時こそ、共産党の出番のはずです。
共産党が歴史的惨敗を喫したことについて臨時党大会を開くこととあわせて、新しい政治プロセスを前に進めるための積極的な役割発揮を求めます。