(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)
私は党職員でしたが、共産党幹部から不当に解雇されました。それを撤回させる裁判をしています。
共産党にとって解雇とはどんな問題か
日本共産党にとって「解雇」とはどういう問題でしょうか。
大企業・財界の横暴な支配のもと、国民の生活と権利にかかわる多くの分野で、ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していないことは、日本社会の重大な弱点となっている。労働者は、過労死さえもたらす長時間・過密労働や著しく差別的な不安定雇用に苦しみ、多くの企業で「サービス残業」という違法の搾取方式までが常態化している。雇用保障でも、ヨーロッパのような解雇規制の立法も存在しない。
日本の独占資本主義がどのように日本の労働者を苦しめているか。
「ルールなき資本主義」の典型の一つが、解雇規制の立法が存在しないこと、つまり簡単にクビを切れる世の中になっているということなのです。
その上で、当面する民主主義革命で、日本をどう改革するかについて、経済分野の最初に次のように書いています。
1 「ルールなき資本主義」の現状を打破し、労働者の長時間労働や一方的解雇の規制を含め、ヨーロッパの主要資本主義諸国や国際条約などの到達点も踏まえつつ、国民の生活と権利を守る「ルールある経済社会」をつくる。
現在の日本では、一方的に解雇をするという「ルールなき資本主義」がまかり通っており、その規制を目指していることがわかると思います。
長時間労働の是正とあわせて、解雇をルールによって規制することは、綱領において経済分野で一番重要な課題の一つとして例示されているのがわかるでしょう。
だからこそ、共産党議員はもとより、共産党員の弁護士たちも、使用者側ではなく、労働者の立場に立って、一方的な解雇は許さない、労働者の権利を守るために奮闘してきたのです。
日本において解雇はどう規制されているか
たとえば、1982年のILO158条約は、解雇に正当事由を求める規制を定めており、ドイツのように、「解雇には正当な理由を要する」との解雇制限法を制定する国も見られる。これに対して日本では、解雇の自由を一般的・包括的に制限する立法は存在せず、(土田道夫『労働契約法』有斐閣、p.572、2008年)
と言われており、綱領で「ヨーロッパのような解雇規制の立法も存在しない」と記されているのはまさにこういう現状です。
と言っても、解雇を規制するルールがないわけではありません。
判例を積み重ねてできた解雇権濫用法理、つまり解雇は自由*1だけど濫用してはいけないというルールができて、それが法律の条文として労働基準法(2003年)、次に労働契約法(2007年)の中に結実したのです。
労働契約法に
第16条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
とあるのがそれです。
ただ、この条文自体はもちろん大事ですが、条文を生み出した判例の積み重ね、つまり労働者が裁判などでたたかってきて生み出してきたルールの力——解雇権濫用法理こそが、一方的な解雇を押しとどめる現実の規範力を発揮してきたのです。
一般的に見て、解雇の合理性ないし解雇権濫用に関する裁判例の態度はかなり厳格であり、解雇を容易に認めない。(土田前掲書p.579)
土田道夫・同志社大教授の解説では、高知放送事件を取り上げています。寝過ごしてニュース放送に2週間で2度も穴を開けたアナウンサーが解雇されたのですが、最高裁で解雇権濫用と判断されたケースです。
解雇権濫用法理は、解雇を正当化する十分な理由を備えない解雇を権利濫用として無効とする理論であり、権利行使に対する例外的規制という権利濫用法理の本来の性格を脱して、解雇権の内在的制約をもたらす法理に発展した。(同前)
「解雇は自由というのが原則だけどルールで例外をもうける」という規制のあり方から、実質的に「正当な理由がない解雇はダメだよ」という感じに近づいているというわけです。
「解雇は自由というのが原則」なら、解雇される労働者側が「解雇権を濫用している」ということを説明しないといけないはずですが、逆に、多くの裁判では、解雇した使用者側が「濫用じゃない」という説明をする責任を負わされていることからも、「解雇は自由というのが原則」というあり方がもはや実質的には大きく変わっていることがわかります。
こうして、解雇権濫用法理は日本の労働法のいわば心臓部に位置し、企業行動や雇用システムに大きな影響を及ぼしてきた。(同前)
「え、じゃあ、安心じゃん」と思うかもしれませんが、「解雇規制法」みたいなちゃんとした法律(制定法)がないとやはり使用者や労働者の意識にのぼり、日常的に守られるルールになりにくいのです。
そのために労働の現場では、無法な首切りがけっこう横行しています。
土田教授は、
解雇権濫用法理は判例法にとどまり、制定法主義をとる日本では、社会への浸透力が弱く、実効性が高くないため、その立法化が課題とされてきた。(同前)
として、その結果生まれたのが労働契約法第16条の条文だったとしています。
こうして、判例法としての解雇権濫用法理は、実定法としての解雇権濫用期生として労働契約法の中枢に確立されることになった。この新たな法制度においては、労契法16条は、解雇権の労働契約上の限界を画する基本的法規範に位置することになる。(土田前掲書p.580)
しかし、それでも現場では、先ほど述べたような無法なクビ切りが横行するわけです。それは「社会への浸透力が弱く、実効性が高くないため」ですが、そのためにも、「解雇規制法」みたいなちゃんとした法律(制定法)を作って、解雇規制の内容(要件)を定めたガイドラインのようなものが具体化されて、使用者や労働者の意識にのぼらせ、日常的に守られるルールにする必要があります。
まさに共産党綱領が求めている「解雇規制法」ですね。
解雇の「合理的な理由」とは
さて、先ほどの労働契約法の
第16条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
の「合理的な理由」とはどういうものでしょうか。
土田教授は、「就業規則の解雇事由該当性の判断」だとします。つまり就業規則などに「こういう場合は解雇しますよ」と定めておいて、それに触れた場合に、初めて解雇する権利が使える。これが合理的な理由だというわけです。
土田教授によれば「次の七つに大別できる」とされています。
- 労働者の傷病や健康状態に基づく労働能力の喪失
- 職務能力・成績・適格性の欠如
- 欠勤、遅刻・早退、勤務態度不良の職務懈怠
- 経歴詐称
- 業務命令違反、不正行為等の非違行為・服務規律違反
- 経営上の必要性に基づく理由(整理解雇)
- ユニオン・ショップ協定に基づく労働組合の解雇要求
です。
解雇が「社会通念上相当である」とは
では、もう一つの「社会通念上相当である」とはどういうことでしょうか。
就業規則にあるような理由に該当すれば直ちに解雇できるかというとそうではないのです。先に挙げた高知放送事件の判決では、7点があがりました。
- 本人の悪意・故意ではない
- 本人が謝罪している
- 一緒に宿直した記者も寝過ごし、その人は譴責処分で終わっている
- 本人に事故歴がなく勤務成績も悪くない
- 会社ではこれまで放送事故による解雇がない
- 放送の空白時間が長くない
- 会社が放送事故への対応策を講じていなかった
です。この7点がいつもそうだというわけではありません。ある弁護士事務所のサイトの解説では
社会通念上の相当性とは、労働者が行った行為や状況に照らして、相当な処分であるか(バランスを欠いていないか)ということです。
軽微な就業規則違反を理由に解雇したり、必要な注意処分や指導教育といった段階を踏まずにいきなり解雇処分としたような場合は、相当性を欠くと判断されることになります。
と書かれています。
土田教授はこれらをまとめて、
- 労働者の行為態様・意図
- 使用者に与えた損害
- 本人の情状
- 他の労働者の処分・過去例との均衡
- 使用者側の対応
の5点にまとめています(土田前掲書p.583)。高知放送事件の7つの要素がだいたい含まれていることがわかると思います。
私の場合はどうか(合理的な理由)
さて、こうした解雇規制ルールに照らして、私の場合はどうでしょうか。
これは訴状に詳しく書いてありますが(14・15ページ)、私なりに考えて書いてみます。
まず、「合理的理由」——就業規則にどう書いてあるのか、ということです。
そもそも、共産党福岡県委員会は「常時10人以上の従業員を使用」の事業所であり、労基署に届け出ないといけないのですが(労基法89条)、私が解雇された後の24年9月に調べた時には、就業規則を届け出ていませんでした。つまり正式な就業規則がなく、解雇についての規定がないとも考えられる状態であり、それだけですでに「合理的な理由がない」と言えるのかもしれません。
しかし、代わりに「勤務員規程」というのがあるので、仮にそれが就業規則だとしてみましょう。
その場合、その第7章(12条)・第8章(13条)には「解任及び退職」「罷免」の規定があります。 *2
第7章 解任及び退職
第12条 次の各号に該当する場合は解任及び退職とする。
(1)県委員会の幹部政策により、勤務員の任務を解かれた場合。
(2)休職期間が満了した場合。
(3) 満65才に達した場合定年退職とする。但し、県委員会が留任の必要を認めた場合 は例外とする。
(4) 死亡した場合。
第8章 罷免
第13条 次の各号に該当する場合は、罷免する。
(1)党の規律に違反して処分をうけ、県委員会の勤務員として、ふさわしくないと認め られた場合。
(2)反社会的、反階級的行為を行い、県委員会の勤務員として、ふさわしくないと、認 められた場合。
(3) 県委員会勤務員としてふさわしくない、 言動がしばしばあり、それについて批判 され指導されても、なお、あらためない場合。
(4)その他、前記各号に準ずる不都合な行為があり、県委員会勤務員としてふさわしく ないと認められた場合。
おっ、これじゃねえの!? と思うかもしれません。
しかし、私の解雇通知にはこの第7章(12条)・第8章(13条)に基づくものであることは一言も書かれていません。
代わりに解雇通知には勤務員規程の第1条・第2条に基づくものだということが書いてあります。
では第1条・第2条とは何か。
第1条
日本共産党福岡県委員会勤務員は、日本共産党綱領・規約および、党の諸決定(党大会・中央・県)に従い、福岡県党の先頭にたって活動する。
そのため、各自は、学習と修養に励むとともに、いかなる困難にもひるまず民主集中 制の組織原則を堅持し、自覚的、積極的に各自の任務を遂行する。
第2条
本規定は、 日本共産党綱領・規約および党の諸決定(党大会・中央・県)にもとづき、 日本共産党福岡県委員会勤務員に適用され、その活動における必要最小限の事項を規定したものであり、委員会はその機能の遂行のため、必要に応じて県委員会勤務員の活動上の、諸措置を適宜決定する。
みなさん、これをみて驚かれるかもしれませんね。
だって、どこにも解雇のことなんか書いてないからです。
では共産党幹部は1条・2条から私の解雇の理由をどうひねり出したのでしょうか。
それは、想像するしかありませんが、“1条・2条を読めば、これは勤務員は党員であるということが前提になっていることは明らかだ。だから、党員でなくなれば自ずと勤務員ではなくなる”というエクストリーム主張だと思われます。
いや、全然違ったら申し訳ないのですが。
だから訴状でも次のように批判しています。
また、解雇通知書…では、「日本共産党福岡県委員会勤務員規程第1条、第2条」と記載されているが、同規定…は、被告県委員会の「勤務員」としての活動や任務の遂行について抽象的な定めを置いているものにすぎず、これらの規定が何故「第4条に定める党員の資格を明白に失った党員」(規約11条)と関係があるのかすら不明であり、少なくとも被告らはこのことについての具体的な説明を一切していない。つまり、仮に、勤務員規程(第1条、第2条)が原告との関係で被告県委員会の就業規則としての性質を有するとしても、そもそも勤務員規程第1条及び第2条には、被告県委員会に雇用される者が被告共産党の党員ではなくなった場合には当然に解雇するという旨の規定は存在しないものというべきであるから…、このような点でも、解雇事由はない。
続いてこう批判しています。
なお、原告は、普段の勤務員としての勤務状況について、能力不足やミスがあったなどとして上司等から具体的に注意を受けたことはなく、具体的な業務上の支障を発生させたこともないから、他の規定との関係でも解雇事由はない。
また、勤務員規程第8章では「規律違反」「ふさわしくない、言動」「不都合な行為」による罷免を定めているが、被告県委員会は原告にこのような規定を適用することはなかった。
ゆえに、勤務員規程との関係でも、本件解雇につき、客観的にみて合理的な理由があるとはいえない。
つまり、党幹部側が示した私の解雇の「合理的な理由」、つまり就業規則(勤務員規程)のここに該当して解雇できる、ということは現時点では「言えない」、というわけです。
私の場合はどうか(社会通念上の相当性)
じゃあ、次に、仮に勤務員規程の第8章(13条)を使って、規約違反やふさわしくない言動があったから解雇するんだとしましょう。
それに照らした場合でも、私は解雇できるのでしょうか。
すなわち仮に「合理的な理由」があった=就業規則にあたる勤務員規程に該当したとして、「社会通念上相当」だと言えるのかどうかという問題です。
土田教授は、
- 労働者の行為態様・意図
- 使用者に与えた損害
- 本人の情状
- 他の労働者の処分・過去例との均衡
- 使用者側の対応
をあげていましたね。
「労働者の行為態様・意図」という点では、規約を破るつもりでやったのではなく、規約の範囲内であるという意図でブログを書いて公表したのです。だからこそ、正式に規約違反だと認定されたことはなく、勤務員規程の第8章(13条)を適用できなかったのではないでしょうか。
また、「本人の情状」という点では、自己批判(=反省)はしていませんが、それは規約に自己の意見を保留する権利が認められているので、謝罪しないことは規約に照らして問題があるとは言えません。
そして、仮に規約違反であることが正式認定されたら、ブログを削除することは繰り返し表明していたし、正式認定される前でも、自己批判を求めず規約違反だと決めつけず、純粋に「ブログを削除せよ」という決定だけなら従いますよと表明していました。むしろ規約に背いて自己批判の強要にこだわったのは党幹部の方でした。規約に背くことはできないので、私は逆に苦悩させられたのです。
次に「他の労働者の処分・過去例との均衡」ですが、例えば共産党の埼玉県議(当時)は「政党助成金をもらうべきではないか」という党の見解と異なる自分の意見を「公表」*3し、ブログで内部の討論を公開しています。しかし、この元県議は規約違反に問われたり処分されていません。
また、党の都議も、綱領とは異なる意見を述べ、内部の討論を公開していますが、規約違反にも問われず、処分もされていません。
私は23年3月のブログ記事で、党と異なる見解を述べたことはありませんし、内部の討論を公開したこともありませんが、これらの県議・都議が規約違反に問われていないのに、私が規約違反に問われる道理はありません。
最後に「使用者側の対応」ですが、土田教授は解雇は「雇用継続を期待できない事情がある場合に限定すべき」(土田前掲書p.581)として、これを「最後の手段の原則」(同前)と呼んでいます。具体的には、「軽微な就業規則違反を理由に解雇したり、必要な注意処分や指導教育といった段階を踏まずにいきなり解雇処分としたような場合は、相当性を欠くと判断されることになります」ということが言えると思いますが、まあ私の場合、そんな段階的なものは一切ありませんでした。まさに「突然除籍・いきなり解雇」だったわけですね。
訴状では「社会通念上の相当性もない」ことを他にも色々書いています。
(1)調査審議への協力、党への貢献
…原告は、被告県委員会による過酷な予備調査、調査審議、権利制限等…を受け、適応障害によって2度の休職に追い込まれた…ものの、それでもなお、長期にわたる調査に誠実に対応してきた。
また、原告は、勤務員として職務を遂行し、被告県委員会や被告共産党の党勢拡大の活動に尽力し、被告らの諸活動に貢献してきたものである。
これは「本人の情状」に当たるものですね。
(2)規律違反の不認定
被告県委員会が1年3か月も調査審議しても、被告県委員会は原告に対して規約48条以下の規定に基づく規律違反行為を認定することができなかった。このことからは、原告が党の規律に違反したことはなく、また、仮に規律違反していたとしても公式に認定できなかったほどに違反の程度が軽微であるものというべきである…。
(3)規約の遵守
原告は、被告県委員会からの綱領・規約・大会決定を守る意思はあるかなどという質問に対し、「あります」と回答しており…、党のルール等遵守して行動する旨を述べており、規約第4条で定める「規約を認める」という「党員の資格」を満たしている。
この二つは「労働者の行為態様・意図」に当たるものでしょう。
(4)勤務員としての勤務につき具体的な支障を生じさせていない
原告は、…普段の勤務員としての勤務状況について、能力不足やミスがあったなどとして上司等から具体的に注意を受けたことはなく、具体的な業務上の支障を発生させたこともない。
原告は勤務員として円滑な業務遂行をしてきたものである。
これは「使用者に与えた損害」や「本人の情状」に当たるものですね。
(5)合理的な解雇手続が履践されていない
以上の各事項に加えて、本件解雇に係る手続もまた不合理なものといえる。
本件解雇については、本件除籍(規約11条)が先行し、本件除籍が本件解雇の理由とされているが…、原告は、前述したとおり、「規律違反の処分(規約48条以下)の調査審議を受け、規約48条に基づく党員の権利制限を受けていた。そのため、原告としては、規律違反の処分の調査手続に繰り返し応じてきたのである。
にもかかわらず、原告は、突如として一方的に、警告、権利停止、罷免、除名といった「規律違反の処分」(規約48条)とは性質の異なる「除籍」の措置(「規律違反の処分」ではないもの)をとること宣告され、その上で、極めて不意打ち的に「協議」(規約11条)という簡易な手続しかない措置の対象とされた。しかも、原告は、規約11条の「第4条に定める党員の資格を明白に失った党員」という要件についての意見を述べる機会もないままに除籍されたのである。「規律違反の処分」(規約48条)であれば、「十分意見表明の機会をあたえる」(規約55条)など「事実にもとづいて慎重におこなわなければならない」ところ(規約49条)、被告らは、このような慎重な手続を要しない「除籍」処分によって、実質的に除名処分を行っているに等しいのである。このように、原告は、急遽、除名等の規律違反の処分から除籍という全く別の性質の措置をとると一方的に宣告され、かつ、この除籍を受ける前に党組織と「協議」をすることすらできなかった。すなわち、被告県委員会ないし被告共産党は、規約11条では「除籍にあたっては、本人と協議する。」と明記されているにもかかわらず、原告との間で除籍を決定する日までに「協議」の手続を行うことすらなく、「第4条に定める党員の資格を明白に失った党員」(規約11条)の要件に該当すると一方的に認定し、本件解雇の前提とされる本件除籍を強行した。被告らは、この日すなわち除籍措置の決定よりも後の時点における短時分のやりとりをもって「協議」(規約11条)を行ったと主張しているようであるが、原告に対する事後の協議は規約11条に違反するものというべきである。規約11条は、「除籍にあたっては、本人と協議する」とし、その前提として除籍についての「慎重」な調査、審査を要求しているのであるから、これらの文理ないし趣旨からすれば、協議が可能な場合には、事前の「協議」をする運用が必要となるものと解すべきである。本件では、原告は特に協議を拒絶しておらず協議が可能な場合であるから、被告らが事前の協議手続を経ることなく原告を「除籍」したことには手続上の瑕疵があるものというほかない…。このように、本件解雇に係る手続も不合理あるいは不相当なものというほかない
これは「使用者側の対応」に当たるでしょう。
このように、私の解雇は「合理的理由」も「社会通念上の相当性」もどちらもないものであり、不当な解雇そのものだということができます。
最高裁判決はまさに私の除籍・解雇が司法で扱えるものだと言っている
一体党幹部はなんと反論してくるでしょうか。
具体的な答弁書が来ていないのでわかりませんが、松竹伸幸さんの裁判や、私への解雇通知から予想すると、
- “どういう理由かはわからないが、神谷は除籍されて党員でなくなってしまった。党員でない以上は勤務員規程の第1条・第2条に基づいて勤務員をやめてもらう”
- “除籍が不当かどうかは、共産党の結社の自由に関わることなので裁判所は口を出さないでください”
というものだと考えられます。
1.の「勤務員規程の第1条・第2条」を使って解雇の「合理的理由」にすることはすでに上記(および訴状)で批判されています。
ここでの問題は2.です。この「理屈」は、結社の自由をタテにして内部問題に口を出すなというのは共産党袴田事件の最高裁判決がもとになっています。
政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/340/062340_hanrei.pdf
しかし、この判決では、
政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばない
としており、私の除籍*4は、解雇という生活・人権問題=「一般市民法秩序と直接の関係を有」する問題に関わっていますから、当然裁判所が扱える問題です。
そして、
右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であつても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、…適正な手続に則つてされたか否かによつて決すべき
とされており、まさに袴田判決を根拠にすれば、私への除籍が適正だったかどうかが司法の場で争われることになります。
単純な話で言いますと、例えば、「神谷は日本国籍を失ったので、除籍する。だから解雇します」と言われたとしましょう。その時私が「いえいえ、私、日本国籍、失ってませんよ。国籍、ありますけど…?」と反論し、解雇は無効だと主張したらどうなるでしょうか。
その時も「除籍するかどうかは党内問題だから司法は口を出すな。解雇は勝手にできる」ということになるでしょうか。
なりませんよね。
私の訴状ではまさにその最高裁判決を使って、次のように批判しています。
本件は党員の除籍との関係で労働者の解雇が問題になる事案であるところ、政党の組織といえども職員として人を雇う以上、労働基準法や労働契約法に従うべきことは当然であり、これは民間企業の場合と同じであるから、民間企業の場合と同様に、司法審査が通常通り及ぶことになる。
なお、本件では、原告が被告共産党側からの除籍を理由に被告県委員会から解雇されており、かかる解雇は、①客観的に合理的な理由を欠き、②社会通念上相当であると認められない場合には、権利の濫用として無効となる(労働契約法16条)ところ、原告の除籍が無効である場合には、①客観的合理性要件を欠くことになるから、本件は、「政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる」(最三小判昭和63年12月20日判時1307号113頁(共産党袴田事件判決))事案などではなく、「一般市民としての権利利益を侵害する場合」(同判決)に当たる事案でもある。
なお、除名等の処分ではなく除籍という措置であるとしても、除名と同様に党員資格を剝奪する措置であり、かつ、党員資格の有無が党職員としての地位を直接左右するものとされるのであるから、司法審査が及ぶものというべきである。
まあ、ここは、具体的に党幹部側がなんといってくるかによりますね。
私が労働者の一人であることは、党幹部自身が認めました。
日本が「ルールなき資本主義」の最も象徴的な問題として、共産党綱領でその是正がトップに掲げられている解雇を、他でもない、労働者である私に対して、きわめて無法な形でやったのが党幹部なのです。
一方的な不当解雇を、共産党幹部自体がやってしまっている、というのが、シャレにならないところです。共産党幹部は綱領を学び直すべきでしょう。
そして、労働者のたたかいでつくられてきたルール——解雇権濫用法理は裁判になればかなり強い力を発揮してきたものであり、土田教授が述べているように、
一般的に見て、解雇の合理性ないし解雇権濫用に関する裁判例の態度はかなり厳格であり、解雇を容易に認めない。(土田前掲書p.579)
のです。
そのような労働者が血の滲むような努力で作り出してきたルールに、まさに共産党幹部自身が破壊の刃を向けようとしているのではありませんか?
*1:民法627条1項「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる」。つまり「解約自由」が原則であって、「解雇には正当な理由を要する」という欧州とは原理が根本的に異なる。
*2:これはそもそも土田教授のいう7点にあまり沿っていない気がします。つまり「合理的理由」とは必ずしも言えず、法理に反しているので、そもそも就業規則の解雇規定として無効の可能性があります。まあ、それは今はおいておきましょう。
*3:もちろんこれは党の見解と異なる自分の意見の公表ではなく、最終的には受け取るべきではないという結論に落ち着いており、私の時と同様に、党の見解と異なる意見をただすためのレトリック・論述にすぎません。
*4:除籍は「処分」ではないが「組織内の自律的運営」の一つであり、「除名その他の処分」に該当する。