日本共産党の党内民主主義について

 2月某日、日本共産党福岡県委員会の総会が行われました。

 私は県役員(県委員かつ県常任委員)なので、それに参加しました。*1

 私は総会で、“松竹伸幸さんの除名処分決定の根拠となった4つの理由はどれも成り立っていないので、松竹さんの除名処分に関連して記述されている今回の総会への報告部分を削除するとともに、松竹さんの除名処分を見直すように関連地方機関に中央委員会が助言することを、福岡県委員会総会として決議すべきだ”と発言・提起しましたが、この私の意見は、「採用しない」ことが賛成多数で決定*2されました。

 私は党規約通り自分の意見を保留して次の会議以降までこの決定を実践し、この決定が正しかったかどうかを検証していきます。

 党の決定を広く県民・国民に知らせ、実践する立場から、この決定について少し詳しく説明します。

 

私の「松竹さん除名処分への反対」は県総決定においてどう批判されたか

 私が総会で述べた発言の要旨は次の通りです。本当はもっと長いものですが、それを記すことが本稿の目的ではなく、県委員会総会の決定がなぜこのような構成になっているのかを理解するためのものに過ぎないので、要点をごく簡単に記します。

——松竹さんを除名処分とした決定ではその理由を4点述べていますが、私はその4点がいずれも成り立っていないと考えました。除名は「もっとも慎重におこなわなくてはならない」(党規約54条)以上、1点でもその根拠に疑問があれば除名処分を見直す必要があります。

——第一は、「松竹さんは綱領に反している」と言われていますが、松竹さんは安保廃棄と自衛隊の解消という党綱領が民主主義革命(民主連合政府)においてめざす政策は共有しており、綱領には反していないということです。松竹さんが「安保堅持、自衛隊合憲」だと述べているのは、野党連合政権についての話であって、これは党自身が野党連合政権の政策として述べていることです。なお「野党共闘の障害」と松竹さんが述べているのは安保・自衛隊という「テーマ」についてであって、党への悪口・攻撃ではありません。

——第二は、「松竹さんは規約に反している」と言われていますが、松竹さんは、規約の範囲での党首公選も提案しており(党員全体が投票して、その結果をへて中央委員会が委員長を選ぶなど)、規約に反していないということです。また、現在の党の委員長選出が選挙によって行われていることを見れば、選挙が「必ず派閥を生む」ものでないことは明白です。さらに、党内での議論ののち決定をして外部には行動の統一をはかる(人によって言うことがバラバラでない)のが規約の制度設計ですから、「党内に存在する異論を可視化するようになっていない」というのは悪口どころか現行の民主集中制がめざす“理想”のはずです。

——第三は、「松竹さんは分派をつくって規約に違反した」と言われていますが、党員でない人も大勢いる出版社で、編集者という職業上、出版物の中身を知り、販促の立場から「同じ時期に出したほうが売れる」と言っただけで、私も複数の出版社で体験したことがあり、そのような発言は分派でもなんでもないということです。

——第四は、「松竹さんは中央委員会等に意見を言わなかった」とされていますが、そもそもそれは義務ではなく権利であり、除名処分理由にはならないということです。松竹さんは本の中で述べている通り、綱領と規約に反していないことを自分でよく調べ、考えた上で、その範囲でモノを言っているだけで、そうであれば自分の公開する発言を、いちいち党中央にお伺いを立てて許可を取る義務はありません。ジャーナリストであればなおさらです。

——大軍拡に反対する共産党を反動勢力が攻撃しようと待ち構えていることはその通りですが、以上の経過に照らせば、今回の事態は党のミスにより自ら招いたオウンゴールです。処分を見直せば攻撃の口実はなくなります。党の命運とともに、一人の党員の人生がかかっている大問題であり、真摯な是正を求めます。

 このような趣旨で私は発言しました。

 私の発言に対して、数名の参加者から反論的な意見が出されました。これらをまとめ、それを聞いた私の認識として書き直せば次のような点になるでしょう。

 第一の点について。松竹伸幸さんは、日米安保条約堅持、自衛隊合憲という党綱領に反する主張を公然と行っています。松竹さんは1月に出版した本の中などで、「核抑止抜きの専守防衛」を唱え、「安保条約堅持」と自衛隊合憲を党の「基本政策」にせよと迫るとともに、日米安保条約の廃棄、自衛隊の段階的解消の方針など、党綱領と、綱領にもとづく党の安保・自衛隊政策に対して「野党共闘の障害になっている」「あまりにご都合主義」などと攻撃をおこなっています。

 第二の点について。松竹さんは、「党首公選制」という党規約と相いれない主張を公然と行っています。松竹さんは、1月に出版した本の中などで、「党首公選制」を実施すべきと主張するとともに、党規約にもとづく党首選出方法や党運営について、「党内に存在する異論を可視化するようになっていない」、「国民の目から見ると、共産党は異論のない(あるいはそれを許さない)政党だとみなされる」などとのべています。「党首公選制」という主張は、「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制の組織原則と相いれないものですが、松竹さんがこの主張と一体に、わが党規約が「異論を許さない」ものであるかのように、事実をゆがめて攻撃していることは重大です。

 第三の点について。松竹さんは、党攻撃のための分派活動を行っています。『週刊文春』1月26日号において、党に対して「およそ近代政党とは言い難い『個人独裁』的党運営」などとする攻撃を書き連ねた鈴木元さんの本(1月発行)を、「『同じ時期に出た方が話題になりますよ』と言って、鈴木さんには無理をして早めに書き上げていただいた」と出版を急ぐよう働きかけたことを認めています。松竹さんは党のききとりに対して、この本の「中身は知っていた」と認めました。この行為は、党攻撃のための分派活動といわなければなりません。

 第四の点について。党の聞き取りのなかで、松竹さんは自身の主張を、党内で中央委員会などに対して一度として主張したことはないことを指摘されて、「それは事実です」と認めました。党規約は、中央委員会にいたるどの機関に対しても、自由に意見をのべる権利を保障しています。異論があればそれを保留する権利も保障しています。しかし、松竹さんは、そうした規約に保障された権利を行使することなく、突然の党規約および党綱領に対する攻撃を開始したのです。

 こうした討論の流れを受けて、県委員会総会の結語では次のように述べられ、決定とされました。

 一つは、県常任委員の神谷同志からの常任委員会報告に反対する立場から「松竹問題」が提起され、討論となりました。この点について2点のべておきたいと思います。

 1つは、党の方針や見解をめぐって、反対意見をもった場合、会議のなかできちんと自分の意見をのべ、率直に議論していくことの大事さについてです。……今日の県総では神谷さんの意見表明をきっかけに真剣な議論がされました。ところが松竹氏の場合、本人も認めているように、これをやらなかったのです。党のルールに則った議論をせずに、本を出版し、その記者会見をやり、記者クラブでの講演までやって党を外から攻撃しました。もし彼が、党のルールにそって党内部で議論をしたならば、結論はまた違っていたと思います。会議で自分の意見をしっかりのべたり、中央委員会に対してであれ、都道府県委員会に対してであれ、地区委員会に対してであれ、質問したり、意見をのべたりすることが大事です。これは党員の権利であると同時に、異論をもった場合、それを解決していく一つの出発点となるものです。その点で、今日の県総はたいへん有意義な討論となりました。

 しかし同時に強調しなければならないことは、会議で異論をのべ、自由に討論する大事さとともに、その異論が解決せずにさいごまで対立した場合、それは多数決で決定されることになります。それが党規約の立場です。決定されたら、異論、反対を表明した少数者は、自分の意見を保留する権利があると同時に、決定に従って実践しなければなりません。今日の報告と結語が採択されれば、県委員会総会での決定となります。県総の決定はたいへん重い決定です。この決定をひっくり返せるのは県党会議だけということになるからです。もちろん新しい要素が出た場合、県委員会総会での新しい決定は可能であることは当然です。

 したがって決定後は実践での検証ということになります。したがって決定後は実践での検証ということになりますから、少数意見は党内であっても繰り返しのべることはできません。これが党規約のルールだということです。この点はあらためて確認しておきたいし、神谷さんも了解しているところです。

 「松竹問題」をめぐって、討論の結語としてもう1点のべておきたいことは、このルールにもとづく異論の提起をしないまま、党の外で異論をのべて党に否定的影響を与える攻撃をおこなった場合、党規律に反することになり…処分となるのは当然だということです。

 これは憲法が保障する結社の自由にもとづくものです。日曜版、日刊紙に同時掲載された憲法学者である小林節慶応大名誉教授の指摘するところでもあります。少し長くなりますが小林名誉教授の指摘をあらためて紹介しておきたいと思います。

「『結社』とは人の集団のことで、犯罪を目的としない限り、どんな結社を作ろうが自由です。その結社の入会資格や内部規律(規約)もそれが犯罪でない限り各結社の自由です。その目的や規律が嫌いな人はその結社に入らないか、いったん入っても後にそのれがいやになったら出る自由もあります。/すべての結社には内部規律に関する自治権があります。違反者には懲戒処分をすることができます。これは日本共産党に限ることではありません。……  処分された党員が〝日米安保条約の堅持〟〝自衛隊合憲〟という意見を持つことも自由です。しかし、日本共産党は綱領で、国民多数の合意での安保条約の廃棄をきめています。自衛隊についてもアジアが平和になるなど国際情勢が許し、主権者国民の多数が認めたら、解消するとしています。/それが正しくないと思うなら、まず規約通りに党内で意見を述べるべきです。それが通らなければ、自分の意見を『保留』することも、『結社の自由』を行使して離党することもできます」

 この小林名誉教授の指摘は、たいへん大事です。日曜版最新号では、元朝日新聞政治部次長の脇正太郎さんが登場して、朝日新聞のデタラメさを批判しています。ぜひしっかり学習してください。

 結論としてこの「松竹問題」を利用した反共攻撃を打ち破ることは、情勢論の大事な柱です。だから神谷同志が求める常任委員会報告第1章の(3)の削除をするわけにはいきません

 この点を神谷同志にはぜひ理解してほしいと思うし、マスメディアは、この結社の自由に反して党攻撃を行なっており、党が断固マスメディアとたたかう理由もここにあるということをあらためて強調したいと思います。 

 「松竹問題」をめぐっては、党首の選び方として全党員による選挙、党首公選制をなぜとらないか、なぜ規約が定める現行の選び方がなぜ合理的か、さらに松竹氏の綱領のとらえ方の問題点、さらにはなぜ松竹氏が除名となったのかなど、大事な論点があります。……それぞれの党としての見解は、基本的には、志位記者会見がのべたとおりであると考えます。

 したがって結論として、除名処分を取り消し、再検討を中央委員会に要請してほしいという神谷同志の要求は受け入れられません

 今回の県総とのかかわりでいえば、常任委員会報告は、そうした点を全面的に展開しているわけではありません。報告で問題としているのは、「松竹問題」を利用したマスメディアの党攻撃は結社の自由に反するものであり、そのねらいは、岸田政権による大軍拡、戦争する国づくりに断固反対する党のたたかいを押さえこむことであり、党として断固打ち破らなければならない、ここのところを情勢論の一つの柱として提起したものです。直接的には、この点に賛成なのか、反対なのか、ここをはっきりしていただきたいと思います。

 常任委員会報告で提起したことを、県総の決定にして、断固として「松竹問題」を利用した反共攻撃とたたかっていくことをはっきりさせたいと思います。

 さらに詳しくは上記の結語にもある通り、志位委員長の記者会見をみてください。

www.jcp.or.jp

 だめ押しで言っておけば、私が述べたような意見は明確に批判・否定され、その批判・否定をベースとして決定が作られたということです。そして私は私の意見が間違っているという、決定の認識を共有し、それに従い、その立場で活動します*3

 くり返しますが、これは日本共産党の決定です。「決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である」(党規約3条)。何が決定されたのかを、私は、誰よりもしっかりと、はっきりと、明確に認識し、実践する決意です。私は党規約通り自分の意見を保留して次の会議以降までこの決定を実践し、この決定が正しかったかどうかを検証していきます。



保留した意見はいつ検証されるか、異論保留者は指導部にとどまれるか

 次に、この件に関わり、「保留した意見はいつ検証されるか」「異論保留者は指導部にとどまれるか」という二つの問題について。

 上記の決定(結語)において、

今日の報告と結語が採択されれば、県委員会総会での決定となります。県総の決定はたいへん重い決定です。この決定をひっくり返せるのは県党会議だけということになるからです。もちろん新しい要素が出た場合、県委員会総会での新しい決定は可能であることは当然です。

 したがって決定後は実践での検証ということになります。したがって決定後は実践での検証ということになりますから、少数意見は党内であっても繰り返しのべることはできません。これが党規約のルールだということです。この点はあらためて確認しておきたいし、神谷さんも了解しているところです。

としている箇所がありますが、私は「決定されれば実践する」という点は「了解」しましたが、「少数意見は党内であっても繰り返しのべることはできません」という点には「了解」した覚えはありませんでした。(いずれにせよ私は結語には「反対」を表明したので、もうそれはいいんですが。)

 「少数意見は党内であっても繰り返しのべることはでき」ないのか? という疑問が私には残りました。もしそうなら、いくら党規約で発言は自由だと書かれていても、実際には私は県委員会総会で8分しか発言できないという極めて限られた権利行使しかできないことになり、あまりに非対称になります。

 他方で上記決定(結語)は、「もちろん新しい要素が出た場合、県委員会総会での新しい決定は可能であることは当然です」としており、「新しい要素」が出れば発言は(今後も)できるということになります。私は、よくわからなくなりました。

 したがって、この点について、私はぜひ詳しく聞きたいと思っていましたが、県委員会二役(県委員長・書記長)から呼びかけがあって話し合いをした時に、釈明がありました。

 それらをまとめれば次のようになることがわかりました。

  • 「少数意見は党内であっても繰り返しのべることはできません」とは基本的に「一事不再議」のことであって、採決を行なった同じ会議において、さらにくり返し述べたり、採決を求めたりすることはできないという趣旨であること。
  • 決定を実践し検証するのは、私の場合は次の県常任委員会(週1回程度)、次の県委員会総会(月1回程度)、次の県党会議(年1回程度)であり、その都度、基本的にはその問題を発言し、採決を求める権利があること。

ということがわかりました。これは正しい判断だと思いました。

 もちろん、だからと言って実際に毎週・毎月、私がくり返しこの問題を会議で発言し、採決に付すかといえば、必ずしもそうはならないでしょう。メンバーが変わっていないので、「新しい要素が出た場合」、例えば少なくない支部が反対するようになってきたとか、情勢に変化があったとか、そういう何か新しい材料がなければ、審議も決定も変わらないからです。

 何れにせよ、こうしたことは、私も、そして二役も、明確にしていなかったことであり、規約の有権的解釈をもつ中央委員会とのやりとりをした上で、初めて明らかになったことでした。

 もう一つ、「神谷は常任委員としてふさわしくないのではないか」として私を常任委員から外すという「意見」をどう考えるか、県委員会二役から話がありました。この「意見」について二役は「明確な誤り」「神谷が規約にのっとって発言と行動を続ける限り問題はない」として断固退けるとしました。これも全く正しい判断です。

 このような「意見」すなわち「異論を持つメンバーを指導部から外す」という考えは、「党員としては存在していいけど、指導的ポジションにはふさわしくない」という「善意」からきています。

 しかし、それは党内の選挙において個々の党員が発揮すべき自由(神谷を選挙で落とす)、もしくは会議において私を批判する発言を行う自由(「神谷の発言は問題だ」と言う)であって、ルール通り異論を唱えたことを理由に任期の途中で私を役職から外す(神谷を常任から罷免する)ことは、党規約にある民主集中制の原則「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」(第3条)に違反することになり、ガチで「異論を許さない党」になってしまいます。こうした「意見」は、そのことに対する混乱があるわけです。

 決定後に異論を保留している人が再び異論を述べることができるかという問題。異論を持つ人が指導部に留まり続けられるかという問題。

 この二つの問題は、「新しい問題」です。県二役もそのように述べていました。私も同意します。

 どのように「新しい」のかといえば、党の機関(地区委員会や都道府県委員会)の指導部の中に「異論」を持ち、それを会議で発言し、態度として「反対」「保留」を表明し、引き続き指導部として活動するという人が「当たり前」に存在するようになった時代だからです。

 党内の会議で、中央の方針に異論を唱える人は基礎単位(支部)段階ではよく見ましたし、地区・県の会議でも発言の一部程度にはよく見ました。しかし、正面から方針の削除、賛否の表明をする人は、これまであまりいませんでした(いないわけではない)。さらに、そうした異論が組織的・人間関係的トラブルと結びついていなくて、引き続き党にとどまり、地方の指導的なポジションで党活動を続けているということもほとんどなかったのです(関係がこじれて離党したり、そのついでの共産党への批判をたくさん述べるという人はいた)。都道府県委員会の常任委員レベルではかなり珍しいのではないでしょうか。

 いわば党活動の新しいステージであり、そのための民主的手続きを具体的に考え、保障する必要に迫られているのです。

 「そんなのもなかったなんて非民主的だったことの証拠じゃない?」という人もいるかもしれませんが、私はそうは考えません。

 例えば、世の中の人が憲法改正など考えもしなかった時代には、改憲の手続き(国民投票)を具体化する必要はありませんでした。それは民主主義の欠陥ではなく、現実的ではなかったからです。しかし、昨今の国民投票法の制定は、改憲派の策動を動機としてはいますが、それが強い反対を受けなかったのは、「どの条項かはわからないけど、改憲が絶対ありえないわけじゃないだろうから、手続きくらい定めておいていいんじゃない?」という国民の意識の変化が背景にあります。その場合、国民投票法さえなかった以前の社会のありようが「非民主的」だということにはなりません。

 党活動のあり方が変化しているので、それにふさわしく党の組織運用(民主集中制)を現代的に具体化し、発展させる必要があるのです。

 

日本共産党の党内民主主義は機能しているか

 松竹さんの除名処分をめぐってSNSやメディアでは「日本共産党は党内民主主義がない」「志位和夫の独裁(党中央の専制)だ」という意見が時々見受けられます。

 これに対する私の答えは、「日本共産党の党内民主主義は機能しているが、そこには課題もあるし、個々の問題では間違うこともある」というものです(お気に召さなければ逆の言い方でもいいでしょう。「日本共産党の党内民主主義には課題もあるし、個々の問題では間違うこともあるが、機能している」)。

 まず、私の発言をめぐるやりとり自身がその証拠になるでしょう。

 県委員会総会決定の該当部分を再掲します。

 1つは、党の方針や見解をめぐって、反対意見をもった場合、会議のなかできちんと自分の意見をのべ、率直に議論していくことの大事さについてです。……今日の県総では神谷さんの意見表明をきっかけに真剣な議論がされました。……会議で自分の意見をしっかりのべたり、中央委員会に対してであれ、都道府県委員会に対してであれ、地区委員会に対してであれ、質問したり、意見をのべたりすることが大事です。これは党員の権利であると同時に、異論をもった場合、それを解決していく一つの出発点となるものです。その点で、今日の県総はたいへん有意義な討論となりました。

 そして、私は組織的に排除されていません。

 日本共産党の党内民主主義は機能している、と私が実感をもって言える一つの証拠にはなるでしょう。

 しかし、だとしても、それは一つのケースに過ぎませんし、システム全体を見ればそこに問題や課題がないわけではありません。決して小さくない、不十分な点がいろいろあります。

 そういう点があることを認識し、改革することが共産党の特質(長所)であることは志位和夫委員長自身が次のように述べています

わが党の歴史のなかには、多くの誤り、時には重大な誤りがあります。さまざまな歴史的制約もあります。それらに事実と道理に立って誠実に正面から向き合い、つねに自己改革を続けてきたことにこそ、わが党の最大の生命力がある

自己改革というわが党の特質の最後に、日本共産党が党の活動と組織のあり方においても、自己改革を重ねてきたということをのべたいと思います。

 当然ですね。「日本共産党の党内民主主義は100%正しい。何も問題ない」と言っている人がいたら、大丈夫かなこの人、休んだ方がいいんじゃないかなあ、と心配になります。

 そして個別の問題、個々の決定や処分で大きく間違うことはありますし、現在でも間違いを犯している可能性がないかどうかを、党としては検証しています。民主集中制は絶えず仮説を実践によって検証するという立場ですから、「今共産党が『正しい』と称して行っている決定や処分は、今後も絶対に正しい」などということは誰も言えません。

日本共産党に対して「無謬(むびゅう)主義の党」――"誤りを決して認めない党"という攻撃が、行われてきましたし、今なお繰り返されています。しかし、これほど事実に反する、的外れの攻撃はありません。

 私は科学の常として、今まさにその疑いを心で保留しながら、実践による検証を行っているのです。

 再掲します。「日本共産党の党内民主主義は機能しているが、そこには課題もあるし、個々の問題では間違うこともある」または「日本共産党の党内民主主義には課題もあるし、個々の問題では間違うこともあるが、機能している」ということが私の現時点での結論です。

 

*1:共産党は県ごとに“県大会”(県党会議)を開きます。この“県大会”で決まったことを県の党員みんなで実践していくのですが、これは1年に1回のペースなので、大きな方向しか出せません。その間は、“県大会”で選ばれた役員(県委員)が細かく会議(県委員会総会)を開いて、方針を具体化していきます。その県委員会総会へ提起する方針を考えるのは、県委員の中でさらに選ばれた県常任委員です。つまり、県委員会総会に対して、県常任委員会が方針案の報告を行い、県委員全体で討論をし、その討論を県常任委員会がまとめ、報告と結語についての賛否を県委員に尋ね、多数決で方針として決定します。

*2:これは県委員会総会の結語として決定の一部を構成しています。

*3:つまり、私の原意見に対して、そのあとの「第一の点について」「第二の点について」…と書かれた部分で批判する立場に立って活動するということです。