「少子化」という言葉への疑問・批判は規約違反か

 日本共産党は党の綱領で「少子化傾向の克服」を課題として掲げています。

国民各層の生活を支える基本的制度として、社会保障制度の総合的な充実と確立をはかる。子どもの健康と福祉、子育ての援助のための社会施設と措置の確立を重視する。日本社会として、少子化傾向の克服に力をそそぐ

 この問題は、2004年の綱領改定時に党内の討論で疑問が出され、わざわざ中央委員会が解明——つまり反論をして、その上で綱領的課題として掲げられたものです(当時の不破哲三議長が反論)。

 次に、母性保護の問題について、行動綱領からはずしたことに賛成だという発言が吉川さん(国会)からありました。さきほどの幹部会で、吉川さんから、母性保護を否定する意味での発言ではなかったという説明がありましたので、私は「安心した」と話したのですけれど(笑い)、ここには、整理しておくべき問題があるように思われますので、若干の解明をしておきます。

 改定案も強調しているように、「女性の独立した人格」を尊重する、ということは、今日、いよいよ重要な問題になっています。ところが、この当然の要求から出発して、一部に、子どもをもっている女性(母親)と、そうではない女性とを区別するなということで、母性保護の要求に消極的になったり、母親になるかならないかは、一人ひとりの女性が自分で決定すべき女性の権利の問題だから、少子化の問題で国が介入するのはおかしいとか、いろいろな議論が出ている、と聞きます

 たしかに子どもを産むか産まないかは、一人ひとりの女性が自決する権利の問題ですが、少子化の現状には、それだけですますことのできない大きな問題があります。社会全体の立場でいえば、社会を構成する女性の多数が、産まない方向で自決してしまったら、社会の存続にかかわる危機をひきおこすわけです。日本は、この点で、かなり危機的な状態が、現にすすんでいます。いま年齢ごとの人口統計をとりますと、世代が五十年違うと、その年齢の人口数が約半分に減るといった傾向が出ています。これは、素直に計算したら、五十年たったら人口が二分の一になる、百年たったら四分の一になる、ということで、社会そのものが衰退に向かわざるをえないことになります。それは決して、健全なことではないし、このまま見過ごしてよい問題ではないのです。

 そういう時だけに、母性の保護という問題は、社会の全体の問題として、特別に重要な意義をもつと思います。また、女性の独立の人格を尊重することと同時に、社会の問題として、少子化の傾向を克服する問題に取り組むことは、当然のことだと思います。

 この不破発言は大会決定として扱われています。

 

 共産党の機関誌「議会と自治体」2023年10月号に載った「若い世代・真ん中世代の地方議員の学習・交流会」を読んでいたら、米倉春奈・東京都議の次の発言が目にとまりました。

 都議団では、「少子化」という定義の仕方への違和感やモヤモヤも語り合ってきました。この間、子どものいない女性が、子どもを産んでいないことにものすごい負い目を感じさせられているのだと気づきました。少子化」という言葉は、そうした女性に対して「なんで子どもを産まないの?」と責める言葉になっているのではないか。この言葉の扱いは慎重でないといけないのではという疑問を会議で話したところ、複数の女性から「会議で少子化対策の話になると、自分が責められているように感じる(過去に感じた)」という話が出ました。そういう議論があり、結論は出ていませんが、小池知事の「少子化対策」の政策のパッケージに対して、都議団は少子化対策の政策としてではなく子育て支援、学費の問題など、それぞれ大事なテーマとして議論をしています。

 会議でこうした率直な話し合いができるのはいいなと思いますし、そういう交流をみんなでできるからこそ、若い層に噛み合ったとりくみができるのだろうと思います。(p.29)

 米倉都議の発言は、党綱領の「少子化傾向の克服」という課題そのものへの素朴な疑問——活動を通じて得た実感をもとにした率直な批判であることがわかると思います。

 そして、都議団の会議においても、女性議員やおそらく女性事務局員などから、そうした米倉さんの声に同調する人が多かったことも、わかります。党内の会議での具体的な発言や議論の様子(「会議で少子化対策の話になると、自分が責められているように感じる(過去に感じた)」など)がここには生々しく描かれています。

 さらに「結論は出ていませんが」として、会議が結論に至らなかったというリアルな結末、その上、「少子化対策」として政策対案を組み立てなかったというプロセスまでが本当によくわかるように描かれています。

 これに対して、同誌上の掲載発言を見ると、同席していた党中央幹部——田村智子副委員長、山下芳生副委員長、岡嵜郁子自治体局長、坂井希ジェンダー平等委員会事務局長(・規律委員会委員)が「綱領に『少子化傾向の克服』と掲げられているということを理解していませんね!」とか頭ごなしに批判することはもちろん、教育指導的に反論する様子も見せていません

 綱領に対する疑問・批判であっても、党中央幹部はやんわりと受け止めているのでしょう。

 そして、雑誌掲載にあたって、この米倉発言を削除したり伏せたり、あるいは補足的な反論を載せたりすることもしていません。ズバリそのまま掲載しています。

 

 「『党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない』という規約違反だ!」とか「『党の内部問題は、党内で解決する』という規約条項に違反するぞ! 党内の議論を持ち出すとは何事だ!」とか「『結論が出ない』などと言って少子化対策を曖昧にする主張を載せるとは、けしからん!」とかいう人は一人もいなかったわけです。

 それどころか、この会議は「第二の手紙」(中総決定)でも、「法則的活動をともに開拓する…具体化」「豊かな宝庫」と会議名をあげて称賛され、この「『豊かな宝庫』を生かし、さらに発展させ」るよう求めているほどの、きわめて重要な位置付けを与えられています。

 

 すばらしいなあと思います。

 たとえ綱領に関わる批判・疑問を持ったことでも、そして、それを党内で意見が割れるほどの論争をしている、そういう率直な議論が、自然な形で公開されているのです。

 規約違反で処分されたりするようなことは全くありません。

 こうしたところに日本共産党の党内民主主義を私は感じます。

 なお、少子化傾向の克服と、一人ひとりの産む・産まないの選択の尊重をどう両立させるかについては、最近(2023年9月28日)でも共産党の「経済再生プラン」の中で述べられています。これが都議団の議論や米倉さんへの中央の“答え”でもあるのでしょう。

 ただしそこでは「少子化」という言葉そのものは使っていませんが、それは今のべた米倉さんのような議論を踏まえたのだろうと思います。

 子どもが生まれる数が減り、人口減少社会になったのは、労働法制の規制緩和による人間らしい雇用の破壊、教育費をはじめ子育てへの重い経済的負担、ジェンダー平等の遅れなど、暮らしと権利を破壊する政治が、日本を子どもを産み、育てることを困難な社会にしてしまったからです。

 子どもを産む、産まない、いつ何人産むかを自分で決めることは、とりわけ女性にとって大切な基本的人権です。リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)こそ大切にしなければなりません。「少子化対策」と称して、個人の尊厳と権利を軽視し、若い世代、女性に社会的にプレッシャーをかけるようなことがあってはなりません。多様な家族のあり方やシングルなど、どんな生き方を選択しても個人の尊厳と権利が尊重される社会にする必要があります。

 同時に、政治のあり方が大きな要因となって、子どもの数が減り続けることは克服しなければならない日本社会の重要な課題です。「対策」をすべきは、子どもを産み育てることへの困難を大きくした政治を変えることです。