「平和資料館の設置を求める会」の「START集会」で気づいたこと

 本日は「福岡市に平和資料館の設置を求める会」の「START集会」に参加してきました。

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 私は、2018年の市長選挙で次のように公約しました。

被爆・引揚の実相を知るための平和資料館をつくります。

 今でもその気持ちで仕事(共産党市議団の事務局の仕事)に取り組んでいます。ただ、今日会場からの発言を聞いて思うところがありました。

 会場では、「福岡ホニアラ会」(すでに解散)で活動してきた方が発言されました。「ホニアラ」とはソロモン諸島の最大の島・ガダルカナルにある同国の首都です。

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 この方の発言では、「設置を求める会」の方向が引揚げ・被爆・空襲と「民間人被害」にだけ目を向けているのが気になる、どうして「戦没者」がほとんど取り上げられていないのか、という疑念でした。

 「戦没」とは辞書に「戦争で死ぬこと。戦死」(大辞泉)とあり、また政府の「全国戦没者追悼式」での「戦没者」は、戦死者と民間人犠牲者の総計でカウントされているので、「戦没者=戦争で死んだ兵士+民間人」と思ってしまいますが、「戦没者」のもともとの意味は「戦場で死ぬこと。『戦士』のやや改まった言い方」(旺文社国語辞典)とされ、「戦死」を引けば「戦場で戦って死ぬこと」(同前)とされるように、いわば軍人・軍属としての戦場で死ぬことです。

 つまり、その方は「なぜ軍人の戦死はこの運動の対象になっていないのか」という疑問を呈されたのです。

 共同代表の一人である熊谷敦子さんは、これに対して、ご指摘の点も含めて幅広い立場での運動を進めていくと答えました。

 私は正直言って、この旧「ホニアラ会」の方の意見で、自分が福岡市における「引揚げ被爆・空襲」の視点しか持っていなかったことに気づかされました。この3つは福岡市における「地域の特性」がわかりやすい問題です。つまり日本最大の引揚げ港が博多であり、広島・長崎に次いで被爆者が多いのは福岡市であり、福岡空襲で1000人もの人が亡くなっているからでした。それに対して「軍人の死」はそれ自体、戦争の悲惨な実相の一つではあるけども、「福岡市」としての特性はないのではないかと。

 しかし、「福岡市としての特性」があるかどうかなどということは、「福岡市の戦争の体験を受け継ぐ」という目的そのものから見れば、いわば「脇の話」です。福岡市がら送り出された軍人の活動と死は、確かに記憶されるべき戦争の実相に他ならないのです。

 

 報告では、遺族会に参加している方からもこの運動への好意的な反応が寄せられたことが紹介されましたが、本当に幅広い立場の人たちが参加できるような運動ということを考えた場合、さまざまな動機があるわけで、私が公約したような「被爆・引揚の実相を知るための平和資料館」という捉え方は、少し狭い言い方だったのだなと反省しました。そのことに気づいたことは集会に参加しての収穫の一つでした。

 

戦後世代からみた平和資料館運動

 私は広島の呉空襲を描いた、映画『この世界の片隅に』を観て片渕須直監督の話を聞いた時、一つの気づきを与えられたことがあります。

 というのは、例えば戦争を伝えようと思う時に、中沢啓治さんの『はだしのゲン』というのは、「原爆を直接体験した世代」の迫力をベースに描かれています。しかし、戦争を体験しない私たちのような世代(私は第二次世界大戦が終わって25年経った1970年生まれです)が戦争をどのように伝えられるのか、ずっと問題意識を感じてきました。

 そうした中で、私と同世代であるこうの史代さんのマンガは一つの新しい伝え方として新鮮な感動を覚えました。

 片渕監督は、こうのさんのマンガの伝え方のうち、「事実をとことん掘り下げて、精密に再現する」という手法を徹底させました。

 片渕監督はこうのさんが先入観なく資料にあたっていることを称揚し、一つの例として、「戦時中の生活=もんぺ」というステレオタイプに流されず、「本当に当時の人が履いていたもの」にこだわっていることを紹介しています。

 片渕監督は、精確な史実考証をベースにします。例えば物語の中に出てくる「飛行機雲」が昭和20年のいつ再現されたかにまでこだわるのです。当時は高速で飛ぶ飛行機などはほとんど存在しませんから。

 体験をしていないが故に、先入観や思い込みからは自由になって、徹底して事実にもとづいて精密に、戦争・戦時を再構成することができる——これはひょっとしたら戦後世代の強みかもしれないのです。

 しかし同時に、片渕監督は当時を生きた人たちから数多く話を聞いています。そのことによって、精緻に考証された時代が、立体的に、もっとヴィヴィッドに立ち上がってくると言えます。資料だけでは実際に強調されていたことや重大だったことがわからないからです。遠近感がない。

 私たち、「戦争を体験していない戦後世代」は、そのような立体的な戦争像・戦時像を立ち上げられる最後の瞬間にいるかもしれないのです。できるだけ意識的に戦争世代の体験を集めながら、そのもとになる資料を失わせずに保存することに力を尽くせる「最後の世代」となるでしょう。

 そのような時間が限られた課題であるだけに、戦争体験世代をはじめ、多くの人たちが立場を超えて「戦争の記憶と資料を保存し、集め、受け継ぐ」という資料館建設運動に賛同をしているのだと思います。

 何としても党派を超えて実現させたいと思いますし、その大きな機運が広がっていると感じました。まずは設置実現の署名7万筆を集めましょう。