参院選選挙結果を受けての共産党の第6回中央委員会総会(6中総)は、徹底した市民への調査などをした上で、臨時党大会を開いて、全党員の意思を聞き、戦略的な大きな見直しをすべきだと思っていますが、そのようなことも行われる見通しもなく、閉会したようです。
大会決定との整合性は?
奇しくも、スプラ坊主さんも指摘しているように、第29回党大会決定で
「第30回党大会まで」というのは、2年後までの目標としたい
次期党大会までに、すなわち2年間で
と決定しているので、2024年1月の「2年後」というのは2026年1月ですから、2027年1月への大会延期は29大会決定に背くことになります。*1この点からも大会を開かずに中央委員会総会で済ますことはいっそう許されません。
6中総は書記局コミュニケによれば「全会一致」だったそうですから、この点、中央委員は誰も指摘しなかったのでしょうか。
かつて党首だった宮本顕治は言いました。
議案が満場一致で採決される事例など、マスコミは議長の威令が大いにおこなわれている結果であるなどという考えに立っていた。私は積極的に、党の指導部員はけっして並び大名ではない、ということを力説することを常とした。(宮本顕治『党建設の基本方向』下p.342)
そう。並び大名ではないんですよ!*2
大きな戦略的方向性が狂っているかもしれないのに、戦術的な小さな問題をあれこれ議論するのはむなしい気がしますね。「戦争そのものを終わらせるべきだ」という議論ができず、「どうすれば次の戦闘・作戦で勝てるか」という議論に熱中しているのに似ています。
だから、6中総決定そのものについて何か意見を述べるのは、その意味で気が引けます。以下に述べるようなことは、ある意味で「小さな話」なのです。共産党は大もとを見直す…というか見直すかどうかの、全党的議論をやるべきだということを重ねて述べておきながら、以下論じてみます。
反“反動ブロック”統一戦線という呼びかけは正しいのか
一番大きな問題は、「“反動ブロック”の危険に正面から対決する“新しい国民的・民主的共同”をつくろう」についてです。
つまり、「新しい政治プロセス」という情勢のもとで、共産党は社会発展を促進させるために何を主要な任務としてたたかうのか、という規定ですよね。
「“反動ブロック”の危険に正面から対決する」というのは、要するに自民・公明・維新・国民民主・参政が「反動ブロック」として「形成」される危険があり、そのブロックに反対する統一戦線を築こうというわけです。
だったらなぜ、参院選の政治目標を「参院でも自公を少数に」としたのでしょう。「参院で反動ブロックを少数に」が目標になるべきだったはずです。自公を少数にしたのは「大きな前向きの変化」だけど、国民民主や参政などが伸長したのは「きわめて重大な結果」だとして、結局まとめて「反動ブロック」として統一戦線を組んで反対するほどの相手だと思うなら、どうして自公だけを少数に追い込む特別な標的=政治目標にしたのでしょうか、理屈が成り立ちません。
そして、参政党だけならともかく、自民・公明・国民民主・維新までひとまとめにして「反動ブロック」として反対するという戦線にどれだけの個人・団体・政党が馳せ参じるのか、きわめて疑問です。立憲民主党のリベラル・左派的な部分、社民党、れいわくらいでしょうか。あまりにも狭すぎると言わざるを得ません。例えば、立憲民主が国民民主や維新と組んだり選挙協力をしたら、“立憲民主は反動ブロックの側に行ってしまった”ということになるのでしょうか。
6中総決定では「反動ブロック」の政治の中身として「社会保障など国民生活の破壊、大軍拡の暴走、憲法と民主主義の蹂躙、ジェンダー平等への逆流など」とあるのですが、具体的に何を指すのかは明らかにされていません。「反動ブロック反対」は、政党の組み合わせへの反対のように見えるのです。*3 少なくとも多くの国民にはそう見えるでしょう。
消費税減税、企業・団体献金禁止の統一戦線こそ呼びかけるべきだ
共産党が「国民が自民党政治に代わる新しい政治を模索・探求する『新しい政治プロセス』が始まった」(4中総)と本気で思っているなら、むしろ私が前に述べたように、今度の選挙結果を受けて
などを掲げた積極的な共同の旗を、党派の垣根を超えて呼びかけるべきではないでしょうか。
暫定政府提唱までいかなくても、この3点での共同こそ、選挙結果を受けての国民の期待に応えるものであり、現在の政治情勢のもとでの共産党の政治任務の中心に置くべきものだと思います。
これなら、6中総の「三、新たな情勢のもとで、要求実現のたたかいと連帯を広げよう」で呼びかけている支部・現場への要求運動の提起とも整合的に方針をつくれるはずのものです。
前にも述べましたが、この3つをやるだけでも自民党政治ではできなかった大きな政治変革になり、それ自体が大変な力を要する仕事であり、綱領のめざす項目をさえ実現する革命的前進となります。まさに自民党政治を抜け出そうと模索・探求する国民に応えることになるでしょう。
そして、それを実際に妨害したり消極性を見せる政治勢力がいる中で、要求実現の妨害をしているのは誰であるかを、模索・探求する国民に対して、実証的に示す結果になるはずです。いきなり初めから線を引いて「こいつとこいつは反動ブロック! そいつらをやっつけるために手を組もうぜ」とやってしまうことなんて、愚かしいことではないでしょうか。
要求を軸にした積極的な旗のもとに多くの人は集まってきます。それを抜きにして、最初から特定の党派への反対を掲げるかのような「共同」がうまくいくとは思えません。「反共」という旗印で集まるのを反転させたような貧しさを覚えるのは私だけでしょうか。
6中総については細部は他にもありますが、「政治情勢における共産党の中心任務は何か」という最も重要な点に絞って私の考えを述べました。
補足
党内のある部分が、参政党や維新・国民民主の「危険性」を訴え、そこに「プロテスト」をしたくて仕方がない、積極的な要求運動よりもそこにパッションを感じている、ということは否定できません。
だから、これが「かみあう」という党内世論も一部にはあるのでしょう。
また、党幹部が話をしたと思われる「有識者」や他党政治家でも、そこでの危険性を感じているという話が出たのかもしれません。
しかし、やはりそれは狭い。狭すぎる範囲だと考えます。
もっと広い範囲での国民の意識との関係、利益との関係で情勢を考えてほしいのです。
例えば、まあ、民商の普通の会員さんのところに行くことをイメージしてほしいんです。「反動ブロック反対で共同しましょう!」って話になりますか? 「自公が少数になりました。消費税減税する実行させる政権にすべきですよね」という話の方が共感されるんじゃないですか?
参政党や維新・国民民主などに危険な要素があることは間違いありません。そのことは事実に基づいてきちんと告発していけばいいはずです。政治情勢上の任務の主客を転倒させてしまうのは大きな間違いになると警告しておきます。
補足2(2025.9.6)
日本共産党の志位議長の6中総での中間発言(6中総決定)の全文を読みました。
「反動ブロック反対の国民的共同」という方針を打ち出すにあたって「欧州における極右・排外主義とのたたかい参考にしました」(志位氏)と、詳しく述べています。
しかし、よく読むと、ますます「なぜ日本で反動ブロック反対の国民的共同をメインにしたのか」という疑問を抱かせ、「国民要求を掲げた旗こそメインとなるべき」という確信を深める中身になっています。
志位議長は3人の欧州左翼から聞き取りをしています。
一人目のコービン元英労働党党首。英国では極右(リフォームUK)の伸長を阻止していないし、コービン新党自体はまだ実際に大きくなるかどうかは試されていません。それでも10%にはなると言われているので、一応「成功しつつある教訓」と考えましょう。しかし、その「教訓」においても、コービン氏は「富と権力の大規模な再分配」というメインスローガンがあることが、志位氏の発言で明らかです。排外主義反対ももちろん明確ですが、「反動ブロック反対の国民的共同」という中身かどうかはわからないのです。
二人目のボデンガ・ベルギー労働党議員には、志位氏自身が「『要求を共有すること』と『希望を語ること』」が「カギ」だと言ってしまっており、ボデンガ氏はそれに同意しています。党派への反対ではなく、核となる要求の中身自体が必要なことだという教訓そのものです。「公営住宅に入れないのはスーダン人のお隣さんがいるからではなく、公営住宅が足りないことが問題なんですよ」と話している例が持ち出されていますが、あくまでもメイン要求があって、そのことと裏腹に排外主義を切っているのであって、「反動ブロック反対の国民的共同」という打ち出しで支持を獲得しているわけではありません。
三人目はシルデワン独左翼党前共同議長です。シルデワン氏の話は党勢拡大の話で、強烈な問題意識を持った人が「排外主義反対」で活動家になる(党員になる)というのはありそうな話ですが、それを除いても、左翼党のライヒネック議員の演説をきっかけに確かに政治の舞台で「ファシズムを許すな」という主張がドイツ左翼党の躍進を導いたように読めます。しかしここには「ファシズムと排外主義を許してはならないというのは、ドイツではかなり広いコンセンサスがあります」と志位氏自身が語っているように、その前提があって成り立つものではないでしょうか。日本でこの前提がすでに存在していると考えるのは早急であり、まして参政党=排外主義=ファシズム=許されない存在という「かなり広いコンセンサス」があるとは考えにくいものです。それなのに要求をメインにした統一戦線を抜きに「反動ブロック反対の国民的共同」を打ち出せば、逆に浮いてしまう危険があります。ここでは「欧州経験の機械的な引き写し」が問題になると思います。
*1:規約第19条では「特別な事情のもとでは、中央委員会の決定によって、党大会の招集を延期することができる」とありますが、6中総決定では「特別な事情」の説明はなかったので、単に決定を無視しただけと考えられます。
*2:「並び大名」…「1 歌舞伎で、大名の扮装をして、ただ並んでいるだけの役。また、それに扮した俳優。 2 人数に加わっているだけで、あまり重要ではない人。『並び大名にすぎない役員』」(デジタル大辞泉より)。
*3:ナチスへの反対のように、特定政党であるという理由だけで反対の戦線を組むことはないわけではないと思いますが、今「反動ブロック」と呼ばれる党派に対して国民がそういう意識を抱いているようには到底思えません。