私がどういう意図で本年3月5日付のブログ記事を書いたのかをお話ししておきましょう。
結論から言えば「日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解してもらい、『共産党だから支持する』という積極的な支持者をうまずたゆまず増やしていくことが躍進のカギをにぎる」という第28回党大会第二決議の実践そのものなのです。
批判の中で生まれる社会科学
社会科学は教科書のように体系が描かれるのではなく、多くは、それまであった古い考えや間違った考えとの激しい論争の中で、新たな体系を生み出すという形で生まれてきます。マルクスの『資本論』もそうです。あれはマルクスの考えを教科書のように羅列したものではなく、それまでの経済学を批判して書かれた本です。『資本論』の副題が「経済学批判」になっているのはそういう理由からです。
過去のすぐれた決定は、党内外の激しい論争の中で生み出されたものが少なくありません。例えば、宮本顕治の『日本革命の展望』には61年綱領制定時の論争に答える形での中央報告が収録されています。革命戦略における間違った考えを批判しながら、新しい綱領の考えを説明しています。決定の中に「批判」と「積極的な叙述」がセットになっています。
近年でもこうした「間違った意見への批判を書いた決定」は数多くあります。
現在の綱領への改定を提起した第22回党大会7中総の決定の一部を例にあげます。
当時の不破議長が多くの異論に答える形の記述になっているのがわかると思います(この発言は「決定」扱いになっています)。この決定の中には採用を拒否された意見、すなわち間違った議論もたくさん入っています。例えば原発について具体的に記述せよとか、宗教者を統一戦線の対象として名指しして入れよとか、全体の記述の構成をかえよ、などといった意見です。
日隈さん(中央)から、宗教者との対話・交流がこれだけ大きく発展している今日、統一戦線の対象に宗教者が入っていないのはどうか、という指摘がありました。気持ちはわかりますが、ここにはきちんと考えなければいけない一つの問題があります。
〔…中略…〕
宗教者という集団が、集団として、統一戦線の側にくわわる根拠となるような共通の利害をもった集団かというと、そういうことはないのです。多くの宗教者が私たちとの対話に応じ、私たちの事業に力を貸してくださっている、これはたいへんありがたいし、すばらしいことですが、それは、基本的には、一人ひとりの宗教者の方の信念からの行動であって、そこに、宗教者全体の共通の利益があるからではない、と思います。現実に日本の宗教界にさまざまな流れがあり、いろいろな世界観があることは、宗教委員会の方がたは重々ご承知のことです。もし私たちが、統一戦線を構成する諸勢力のなかに、宗教者をまるごと入れてしまったら、これは、かえって、やってはいけない、おこがましいことをやったということになるでしょう。宗教委員会の方がたが多少さびしい思いをしても(笑い)、ここはスジを通さないといけないところだ、と思います。
読んでもらうとわかりますが、「なるほどそういうことか」とつい読んでしまう中身でしょう? 非常に面白いし、興味が湧くし、理解が進むのです。もちろん、「不破さんは『宗教者を統一戦線の対象に入れないのはいかがなものか』という日隈さんの間違った意見を紹介し広めている」などと難癖をつける人はいないと思います。
私は前々からそう思っていたのですが、こうした論争の痕跡が決定に残っていることは、情勢のどういう問題と格闘してこの決定が出来上がったかを理解する上で大変役に立つと思ってきました。また、何よりも、党内では自由な討論が行われているという民主主義を示す上でも、この上ない証拠だと感じていました。そのことを、討論を紹介しなくても、決定を紹介するだけで理解してもらえるのです。
「共産党は一枚岩で、上の言ったことに無条件で従う」かのように攻撃されるわけですが、これに対して、「そんなことはない」と百の説明を尽くすよりも、みんなで決めた決定を紹介し、その決定に論争の痕跡が入っているだけで、党内民主主義を広く示すものになると思ってきました。
今回がまさにそういうものでした。
2月の県委員会総会では、私の意見は否定されたのですが、正直言ってそんなことはどうでもよくて、共産党ではそういう侃侃諤諤の議論が行われ民主主義が実践されていることが、(討論の内容を紹介しなくても)決定そのものの紹介だけでもわかると考え、ああいうブログを書いたのです。こういうスタイルの決定文書は、そういう意味ではとても「おトクな」決定文書なのです(討論の議事録を書き出して論争を紹介するという「規約違反」をしなくてもいいから)。
討論の議事録などを紹介しなくても決定を紹介することだけによって、党内民主主義の姿を広く県民に理解してもらえる——これは規約と大会決定に沿った重要な実践であると私は考えました。もちろん、県総決定で「間違い」だとされた意見を広めることがないように、それが間違った意見であるという認識を共有し、その立場で実践していくことを明記しましたし、「間違った」とされた意見への反論を、結語はもとより、赤旗や志位委員長の記者会見から引用・紹介することで、10倍近い分量をとって載せるという念入りで丁寧なやり方をとったのです。
第28回党大会第二決議では
日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解してもらい、『共産党だから支持する』という積極的な支持者をうまずたゆまず増やしていくことが躍進のカギをにぎる
という方針を打ち出しましたが、党内民主主義などの党の本当の姿を知ってもらう日常的な活動の一つとして、私はあのブログ記事を書きました。
なぜ私があのブログの記事を書いたかをもう一度まとめますが、「2月の県委員会総会の決定を紹介することは党内民主主義の豊かなありようを広く県民に知ってもらう、しかも規約を守りながら知ってもらう最善の方法だと確信し、あのブログ記事を書いた」ということです。
したがって、私のブログ記事は規約を守り、「日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解してもらおう」という大会決定にもっとも忠実な、実践の最先端を行くものだと思っています。しかも反対意見を述べて否決された人が不貞腐れて不満をぶちまけるのではなく、ともに実践していくことを決意しているのですから、日本共産党の姿を正しく示す良い見本になると思いました。
ブログ記事は党規約に沿ったもの
もちろん、私のブログ記事は党規約に沿ったもの、規約の範囲内のものです。「今から分かりやすくて面白いことを書くから、規約を少しくらいハミ出ても許してね」という立場は絶対にとりません。
私は、少なくとも党員としての私自身について、「多少は異論を党の外に出しても、組織は俺に寛容でいてくれよ」という立場を現在とっておりません。規約は厳格に守られるべきです。*2その立場から言って、私の3月5日のブログ記事は1ミリも規約からはみ出ていません。
要点だけ簡潔に示しましょう。
(1)「決定に反する意見を勝手に発表」していません
私の記事は決定に「反する」どころか、県委員会総会の「決定そのもの」を紹介することを目的にしたブログ記事です。総会決定自体が、私の元の意見への痛烈な批判ですし、ブログ記事には“私の元の意見は「間違っている」という認識を共有する”と、ちゃんと書いてあります。
そしてただ「間違っている」と「ちょろっと」書いてあるだけでなく、元の私の意見(約1000字)を、そのブログ記事の中で3倍(約3000字)の分量で批判しています。リンク先を入れれば10倍(約1万字)の分量で批判しています。
「決定に反する意見」を徹底批判しているとさえ思います。これほど丁寧に「間違った」とされた意見を批判しているブログ記事を見ることは、なかなかないでしょう。
謬論(間違った議論)を批判する文章なんて世の中にザラにありますが、もしも、その文章で批判されている謬論部分だけを切り出して「この文章は謬論を書いている!」などと言い出す人がいたら、残念ながらその人は文章読解力がゼロなのだと思わざるをえません。
(2)「党内の内部問題を勝手に外に出して」いません(決定編)
「県委員会総会の決定は県民には秘密だ」という謎理論を唱える人がいるかもしれませんが、そうしたルールは規約には書かれていませんし、そのような内規も存在しないことを党機関に確認しています。*3
「大軍拡反対署名を広げよう」「給食無償化の世論を県内に起こそう」という県委員会総会決定は何ら非公開・秘密ではありませんでしたし、私も周りの党員も、みんなフツーにハンドマイクや宣伝カーで大音響でしゃべっています。「松竹問題をきっかけにした共産党についての誤解を解こう」というのも同じです。秘密でもなんでもありません。*4
(3)「党内の内部問題を勝手に外に出して」いません(討論編)
「県委員会総会の他人の発言や討論を勝手に外に出しているのではないか?」という方が1人だけいましたが*5、事実の問題として、私はそのような他人の発言や討論はどこにも書いていません。他人の討論の内容を書いたとも記していません。
その方が「この部分は他人の討論を紹介した部分ではないのか」と私に尋ねてきた部分を拝見しましたが、そこは全部「赤旗」の記事をコピペした部分でした。「それ、コピペですよ」と申し上げたら、その方には納得していただけました。
「他の人の討論内容を外に持ち出している」という人がおられたら、総会の議事録に照らして、誰のどういう発言を私が持ち出しているか、具体的に示していただければと思っています。
しかし、それはできないと思います。なぜならそのようなことは書いていないからです。私が書いてないものを、「これがそうだ」と指摘することはまず不可能です。
***
いかがだったでしょうか。
「他にもここが問題では…」って言いたい人がいらっしゃるかもしれませんが、私が今、理不尽にいじめられているのは上記の3点だけです。他は争点になっていません。*6
私はどこまでもきちんと規約を守る党員なのです。*7(本文終わり)
*1:第28回党大会第6回中央委員会総会結語 https://www.jcp.or.jp/web_jcp/2022/08/post-129.html 「中央委員会総会の決定というのは、社会科学の文献でもある」。
*2:もし規約を変えたいときは党内で努力して変えるべきだと現時点では考えています。
*3:「一般の会社でも取締役会で決めたこととか非公開に決まってるだろ」とかいう人がいるかもしれませんけど、一般の会社は会社法や社内規程に議事録の扱いについての明文の定めがありますよね。
*4:もちろん、例えば、ある会社の中の党員数や、どの人が党に入ったかなどは、公開されてきませんでした。
*5:党外の人。
*6:ひょっとして「ヒミツにしていたけどそういう規定が実はあるんだ」とか、「書いてない部分は全部中央が裁可するんだ」とかいう「主張」をする人がいるかもしれませんが、そんな「中央=全能の神」であるかのごとくの主張は論外として(五〇年問題は中央委員会多数派による暴走だったことを想起しましょう)、全く知らされていないルールや、後から作ったルールで、人を裁くことはできません。ちなみに付則である規約56条は「規約に決められていない問題」についてであり、万が一それを根拠に処分したらまさに「後から作るルール」であり、それを事前に行った行為の処分根拠にすることはできません。
*7:党規約についての一般論として言いますと、規約違反が正式に決定されるまでは、いかなる「容疑者」=「調査審議中」の党員であっても、その党員はニュートラルな存在です。「調査審議」のために必要な範囲で党員としての権利は制限され、例えば一定の会議に出席できなくなったり、党内の選挙に出たりすることができなくなったりします。しかし、それ以外は、自由に権利行使できますし、フツーに党員・市民として生活・活動できます。他方で、容疑をかけた組織の側は、正式に「規約違反」だとの決定が下るまでは、その党員の扱いを「慎重」にすることが規約で求められています。「調査審議中の容疑者だから」とか、「権利制限をかけている党員だから」とかいう理由で、「必要な範囲」を超えて党員としての活動を規制してはいけません。ましてや市民的な自由に属する活動を規制することは許されません(例えば、市民なら誰でも参加できるような集会への参加を規制したり、特定の市民と接触を禁じたりすることなど)。