「元寇防塁遊具」にしては?——箱崎跡地の利用を考える

 福岡市議会で日本共産党の綿貫康代市議が九州大学箱崎キャンパス跡地の利用について質問していました(2023年9月5日)。

www.jcp-fukuoka.jp

8月8日の西日本新聞で、「九大跡地再開発地場連合が解消」という見出しで、JR九州西部ガス西鉄、九電が参加する地場企業連合の意見が割れ、共同入札が白紙になったとの報道があった

というのが質問のきっかけです。

 綿貫市議の質問は、こうした住民の願いがないがしろにされて、大企業があたかも土地を分割するかのようにアリーナ建設などの計画を進め、それがご破算になるという流れをたどったために、住民の気持ちを代弁してそれに怒り、住民の声を反映した跡地利用を進めよとするものでした。

 

 この箱崎跡地をどう利用するかは、私も市長選挙に出馬したとき公約していましたが、地域住民の願いを第一に決めるべきだと思うんですよね。

 もともと地元住民(町内会など自治組織の連合体)が案(4校区提案)を発表していて、そこでは「大きな面積の防災公園」というようなイメージを発表していました。

 最近西日本新聞がアンケートを取っていましたが、第1位はやはり「大きな公園」でした。(「アリーナ」も3位に入っているのと「その他」もかなり多いですよね…)。

www.nishinippon.co.jp

西日本新聞2023年10月1日より

 その後、跡地から元寇防塁の跡が発見され、地元の住民から「元寇防塁跡を生かした公園づくり」という請願(1479人分)が2020年10月8日に福岡市議会に出されていました(継続審議となり、審議未了で廃案)。

https://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/80152/1/2021-0208-01-seigan2-20.pdf?20220107112728

元寇防塁など歴史的遺跡を保存し、元寇防塁記念公園などとして跡地のまちづくりに活用すること

という請願項目になっています。

 「元寇防塁跡を生かした公園」ということについてちょっと考えてみます。

 

現状の福岡市内の元寇防塁

 元寇防塁は福岡市内のあちこちにみられます。

 しかし、たいていは防塁そのものが埋め立てられ、横に石碑や案内板が立っている、というパターンがほとんどです。(下図は早良区百道の元寇防塁跡)

 この百道の防塁跡はまだいい方で、看板だけ、というところも少なくありません。

看板しかない。「草」の展示?(福岡市西区長垂の元寇防塁)

 一番壮観かつ有名なのは、生の松原(西区)の元寇防塁跡でしょうか。 

生の松原の元寇防塁(福岡市西区)

 

 

 ここは現在の地表から1.8mの高さ、1〜1.5mの幅の防塁を復元し、50mにわたって露出し展示しています。教科書などにも載っていますね。

 ではこのように復元・整備すればいいのでしょうか? 私はこれ自体は大事な作業だと思うのですが、不十分ではないかとも感じます。

 

元寇防塁が地域資源となりにくい2つの弱点——不可触性・過疎性

 どの点からみて「不十分」なのか。

 市の方針としては「学校教育、生涯学習、観光など広く活用されるように多様な文化財普及活動を行う」(福岡市埋蔵文化財調査報告第694集「国史元寇防塁(生の松原地区)復元・修理報告書」p.21)とあるんですが、なかなかそうなっていないのではないでしょうか。

 つまり地域の本当の意味での「資源」になって、親しまれていないのではないか、ということです。*1特に子どもたちが接する機会があるかということです(学校の社会科見学などでは来るようですが)。

 私からみて2つ弱点があると思います。

 

  1.  1点目は、子どもをはじめ、地元の住民が近づけないということ。柵があって、この防塁そのものを触ったりできません。仮に「不可触性」と呼びましょうか。
  2.  2点目は、松原を抜けた海岸にあります。夏は少しは人が来るかもしれませんが、人がたくさん来て賑わう場所ではないのです。こちらは「過疎性」と仮に名付けましょうか。

 

 「学校教育、生涯学習、観光など広く活用されるように多様な文化財普及活動を行う」ためには不可触性と過疎性を克服すること、つまり日常的にたくさんの人が訪れて、実際に触ったり、登ったりできるようにする必要があります

 例えば、ひっそりとした松林の中ではなく、子どもがよく行くような日常の場、例えば公園に存在する必要があります。

2023年10月の生の松原の元寇防塁に続く松林(平日の午後4時ごろ)。散歩する人がちらほら。

 しかもそれは柵の向こうで「触ることができない」ものではダメです。元寇防塁に子どもが登ったり、そこから飛んだり、遊べるようにしておいて初めて元寇防塁の「高さ」とか「幅」を実感できるようになるのではないでしょうか。

生の松原の元寇防塁にはかなり近づけますが、柵で囲まれていてさわれません。

 

登れる古墳——山ノ鼻古墳公園

 この点では、私は、福岡市西区にある「山ノ鼻古墳公園」が参考になると思いました。

山ノ鼻古墳公園(福岡市西区)。左が古墳で自由に登れる。右が公園の遊具。

 九大学研都市駅のど真ん前で、イオンモールもあるので、日常的、特に土日は親子連れで公園自体が賑わっています。そして、古墳に登る子どもや住民のたくさんいます。古墳の頂上は非常に眺めがよく、爽快です。

山ノ鼻古墳公園の頂上から下を眺める

 このように古墳に自由に「登れる」ようにすることで、子どもたちがここで遊ぶことができるし、住民も散歩がてらに来るようになります。実際にそのように活用されています。

山ノ鼻古墳で遊ぶ子どもたち(23年10月)

 

山ノ鼻古墳で遊ぶ子どもたち・その2(23年10月)


 そうすることで、子どもも住民も「古墳の大きさ・高さ」というものを実感・体感できるようになります。

 

 

「ざんねんな古墳公園」——不可触性と過疎性がネックに

 このような古墳公園は各地にあるのですが、「山ノ鼻古墳公園」と比べると残念なものがいくつかあります。

 この「山ノ鼻古墳公園」の近くに「大塚古墳公園」というのがあります。山ノ鼻古墳ほど大きくはありませんが、それに準じる大きさの前方後円墳です。しかし、ここは、古墳そのものには登れないのです(私は教育委員会の許可をもらって頂上に登らせてもらったことがあります)。

大塚古墳公園(福岡市西区)。手前が遊具。向こうが古墳。柵で仕切られる。

 近くにあるので古墳の大きさはわかりますが、やはり実際に登ったり遊んだりできないと、子どもの視野に入ってきません。

 他方、「登れる古墳」も全国で他にもあるのですが、近くに遊具がなかったり、僻地だったりして、日常的に子どもや住民が来ないような場所だったりします。そうすると、いくら「登れる」古墳であっても、日常的にそれに接することはないのです。

 ここでも不可触性と過疎性がネックになっています。

 

 

「やよいの風公園」はいいところまでいっているんだけど…

 福岡市西区には「やよいの風公園」という遺跡公園があります。

bunkazai.city.fukuoka.lg.jp

 ここは国史跡である吉武高木遺跡(弥生時代の遺跡が中心)を公園化したものです。弥生時代の甕棺に三種の神器を彷彿とさせる鏡・剣・勾玉などの宝物が含まれていたことで、「最古の王墓」と言われています(というか「言っています」?)。

 この公園は、資料館などの有人施設はありません。解説板と模型が展示されており、建造物としては東屋とトイレがあるだけです。端的に言えば「原っぱ」で、そこに遺跡の説明が点在しているのです。

 しかし、重要なのは、甕棺や出土物の模型が配置され、それに「触れる」ことです。福岡市の観光情報サイトでも次のように売っています。

2.7ヘクタールの敷地に当時の地形や植生を復元し、出土した銅剣・鏡・かめ棺などの実物大のレプリカを展示。公園内を巡りながら、遺跡や弥生時代の暮らしについて「見て、触れて、感じて、学べる」これまでにない歴史公園です。

やよいの風公園にある甕棺の模型

 ただ、残念なのは、ここに人が日常的にくるかなあ? ということです。私が行ったとき犬の散歩をしたりジョギングをしたりしている地元の人がいました。車椅子の障害者も介助者とともに数人(おそらく施設入所者でしょう)来ていました。それは秋で陽気がよかったこともあるでしょうが、ほとんど原っぱなので、真冬や真夏は相当キツかろうと思いますが…。

 位置も田んぼのど真ん中にあり、しかも遊具がないので、子どもや親子連れが来るだろうかという疑問がわきます。

 しかも、「甕棺に触る」「青銅の剣に触る」という行為が、「学習」的にしか行われえず、子どもが遊びの延長でそれに触るというのはまずないだろうと思われたことでした。

 「触れる」というアイデアは非常にいいなとは思ったのですが、かなり条件が縛られている印象を受けたのです。

 いいところまではいってるんですけどね…。(いやもちろん「そんなことはないよ」という情報があれば教えてください。)

2023年の10月の連休中にはさすがに駐車場に車も多く、家族連れがテントを張っていた。

 「無人の遺跡施設」という点では、福岡県糸島市の新町遺跡資料館があります。

www.city.itoshima.lg.jp

 展示室で遺跡が覆われているんですが、無人です。田んぼと集落の真ん中にポツンとあります。展示としてはなかなか充実しているとは思いましたが、資料館内は薄暗い。一人で訪問するのはかなり寂しく、なかなか勇気がいりますね…。

 遺跡のような文化財を「資源」にしようと思った時、まず「遺跡に資料館を建てたらいい」という発想がくると思いますが、すぐに「常駐の職員を置くのはお金が大変だ」という困難に突き当たり、「では無人の資料館にしてはどうか」という発想に行き着くのだと思います。

 「やよいの風公園」はそれを公園化して、地域住民や来訪者が公園として遊べるような開放性を備えたところに、すぐれた発想があるのだろうと思います。

 

不可触性と過疎性を克服した元寇防塁記念公園とは

 このような経験を踏まえて、つまり不可触性と過疎性を克服して、もし、東区箱崎で「元寇防塁」を公園化するとしたら、どういうことができるでしょうか。

 まず位置ですが、九州大学箱崎キャンパス跡地は、子育て世帯が多く、跡地を公園にして子どもが遊びに来るという点では理想的な場所だと言えます。地下鉄の駅もすぐそばにありますし。実際、近くの貝塚公園はゴーカートもあり、子どもづれで賑わっています。つまり、遊具や適当な休憩施設などがあれば、子ども・親子連れは必ず来る、ベストなロケーションです

 次に防塁をどう再現するかですが、石積み遺構をそのままはもちろん無理ですし、再現・整備したとしても、危なくて子どもが登ったり近寄ったりできません。

 ではどうすればいいか。

 大事なことは、子どもが日常的にそれに遊びの延長で触れることです。

 子どもが元寇防塁の高さ・幅などを実感してもらえればいいのですから、樹脂などで作った安全な素材で登ったり降りたりしてもらう「元寇防塁遊具」を作ってはどうでしょうか

 報道によれば、東区箱崎での元寇防塁の高さは1.5mと推計されているようです。日本公園施設業協会の基準では幼児用は最大2mだからちょうど良いのではないでしょうか。

 滑り台をつけてもいいと思います。

 ゲーミフィケーションの要素を入れて、ロープやネットで登らせたり、その時間を競えるようにすることもできるでしょう。

 ボルダリング化もできないでしょうか?

www.townnews.co.jp

 そうすることで、元寇防塁を乗り越えるとはどういうことか、それを築くのにどれだけの時間がかかるか、などをわかってもらえるのではないかと思います。

 

文化財を「観光資源」ではなく「地域の資源」に

 政府の戦略として、文化財を観光資源にしようとする動きが強まっています。

www.jcp.or.jp

 髙島市政が政府に先駆けて、文化財の管轄を教育委員会から市長部局(経済観光文化局)に移してしまったのは、まさにそうした動きと揆を一にするするものでした。

 元寇防塁という文化財はまず保護・保存が最優先ですが、同時にそれは地域の住民と無関係に、切り離されて存在してはならないとも思います。

 福岡市が2019年に策定した「福岡市の文化財の保存活用に関する基本方針~福岡市歴史文化基本構想~」では、「地域の文化財の認知不足」を課題としてあげています。

地域で文化財の保存活用を図っていくためには、まず地域にどのような資源があるのかを知ることが大切です。指定・未指定を問わず多くの文化財が存在していることを地域と共有していく必要があります。地域によっては、コミュニティ成員の入れかわりが激しく、文化財の情報共有のあり方に一層の工夫や注力を必要とするところがあります。 また、地域によっては、住民による文化財の保存活用に関する活動が活発なところもあ り、今後もこのような活動をさらに広げていく必要があります。(p.70)

 「福岡市⽂化財保存活⽤地域計画」(2022年6月)においても

史跡等の公開の推進

元寇防塁は中世における国家間の緊張を示す遺跡として、鴻臚館跡・福岡城跡とは異なるかたちで「ゲートウェイ都市」としての歴史を知ることができる史跡であり、このような本市固有の歴史がもつ価値や魅力を活かした整備・公開を図ります。また、 現在、本市が力を入れて取り組んでいる九州大学箱崎キャンパス跡地では、新しいまちづくりと調和した史跡の整備・活用に取り組みます。

が記され、

地域の文化財を活かした多様な学びの強化

なども方向付けられています。

 しかし、福岡市(髙島市政)の方向は、観光資源化の思惑が強すぎ、地域や住民が関わるときは、町内会などにイベントをやらせる方向で関わりを強めるとか、学校教育で学ばせようとするなど、自然な形で住民が文化財を身近に感じられる工夫が非常に弱いと言わざる得ないのです。

 日常的に住民が自然に文化財に親しめるにはどうしたらいいかという工夫が必要なのではないでしょうか。そして、経済資源にすることを自己目的にするのではなく、まず地域の資源とすることを行政は考えるべきでしょう。

 

 箱崎キャンパスの跡地利用をめぐる住民運動は、「こういうものが作りたい」というポジティブな目標が必要になってくると思います。西日本新聞のアンケートで改めて「大きな公園」であることがクリアになったわけですから、それを旗印にしたらどうかなと思っています。

 その際住民運動が掲げてきた「元寇防塁記念公園」のようなものを目指すのであれば、上記のように、「どうすれば遺跡が地域住民の共通の資源になるか」という問題意識のもとに、いろんな遺跡公園や遺跡活用例を調べたらいいと思います。そこにこれまでそうした住民運動に参加してこなかったような人たちも巻き込んだらいいんじゃないでしょうか。みんなでそういうところを訪ねて調べて回るような運動は、楽しいと思いますよ!

*1:地域の人たちが清掃などに取り組んでいることは承知の上です。