3人の弁護士の話を聞いて

 「共産党不当解雇裁判をはじめるつどい」が2024年11月12日に都内で開かれました。会場いっぱいに来ていただいた皆さん、ありがとうございます。

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 ここでお名前や肩書きを紹介することはできない方も少なからずいらっしゃいます(そして会場や会場外で渡してくれた募金、本当にありがとうございます)。

 「ご飯論法」で流行語大賞トップ10を共同受賞した上西充子教授もご参加していただきました。会場でお見かけしてびっくりしてしまいました。上西さん、ありがとうございました。

 私の裁判には2人の弁護士がついてくれています。私の拙い主張を訴状という法律形式の形に見事にまとめてくださったお二人に深く感謝します。まずは、ぜひお二人の渾身の力作である訴状をお読みください。本当にいい出来だと思い、久々に乗った東京の移動の電車でもなんども読んでいます。 

 加えて、報告集会では、特別ゲストとして、川人博弁護士にあいさつをいただきました。

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 ご存知の通り、川人博弁護士は、過労死問題での取り組みであまりに有名であり、私も学生時代から尊敬していました。最近では宝塚のパワハラ問題で遺族側代理人を務められ、私が務めていた共産党福岡市議団でも話題になっていました。

 その方から、あいさつをいただけるなんて、夢にも思いませんでした。

 以下、つどいでの川人弁護士のあいさつを紹介します。(文字起こしは引用者)

 弁護士の川人です。私なりにこの裁判がとても重要なものだと感じておりますので、いくつかお話ししていきたいと思います。

 この裁判は私の理解では二つの性格を持っていると思うんですね。

 一つは、政党の構成員の人権問題。この点は松竹(伸幸)さんの裁判と共通する問題だと思います。具体的にはその政党の構成員だった神谷さんが組織幹部によって集団的な威圧を受け、ついには結社に参加する権利を奪われて、そして組織から排除されたということですので、そういう事実関係があればそれは違法というレベルにとどまらず、憲法の13条、人間の尊重・尊厳を否定するものでありますし、あるいは19条の思想・良心の自由を否定するものでありますし、そしてまた21条の結社の自由を否定するものであり、文字通り憲法違反の重大な行為であります。

 この点が松竹さんの裁判に続き東京地裁で提訴することになったということですし、重要な意義を持っていると思います。

 同時にもう一つ、神谷さんの裁判については、性格があって、これは先ほどの弁護団の先生からもお話ありますように、政党の専従勤務者の人権問題という性格を持っていると思います。

 政党の、福岡の方で専従者として勤務していた神谷さんに対する県組織による人権侵害で、政党からの給与による収入で生活をしていて、また給与だけでなく厚生年金、あるいは健康保険、これらも入っていますよね(神谷「入っています」)、入っています、そういう加入資格を得てずっと福岡で活動・仕事を続けていらっしゃったわけで、今回の解雇によってこうした生活収入、あるいは日本の福祉制度の利益を享受する資格が奪われるということになります。

 これは憲法の勤労の権利という問題を否定するものでありますし、あるいは、労働基準法、労働契約法その他様々な労働法規に違反する重大な違法行為であると思っております。

 この政党の専従勤務者の方というのは全国でも多数いらっしゃると聞いておりますし、その方々の中には神谷さんと同じようにハラスメントを受けていろんな意味で人権侵害を受けている可能性があると思います。

 いうまでもなく、政党の勤務従事者も通常の民間会社に勤務している人も様々な収入を得て日常生活を送る必要があるわけですね。したがって、専従勤務者の人たちがその実態に見合った賃金を請求し、あるいは、様々な福祉を享受するというのは当然の権利としてあるわけです。

 ところが、政党レベルの話になった時に、この当たり前の大原則というものがあるときは「革命のため」とか、あるときは「世のため、人のため」とかいうことで、そういう名目でないがしろになっている。そういう実態があるように思います。

 今から47、8年くらい前に、裁判所でやや似た事案で日本共産党の側の主張で次のようなものがあるんですね。

日本共産党の専従者は、すべてその生命、生活の全てを結社の目的実現に向かって捧げてゆくことを当然の任務としている。この専従者に対する『給与』は、…日常不断に…党任務の遂行を物質的に保障するために支給される活動費である」

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/600/019600_hanrei.pdf

 逆に言うと「賃金ではない」(と党側が述べている)。これの中で当時明確に「労働者ではない」「労働契約ではない」んだと。革命のために命を捧げた集団であって、こういう理屈を50年近く前に公然と主張しておりました。

 果たして今回の訴訟で答弁書で正式にどのように主張してくるのか、とても重要なところだということで、私も思っているところです。

 やはり今の世の中で、様々な政治活動をしていく上で、普通に収入を得て生活するっていうことは、絶対条件ですよね。そういう当たり前のことを、当たり前のこととして、認めるようなそういう組織でなければいけないというふうに思います。

 したがって労働法規に基づいて様々な規制を受けるということも当然必要であると考えております。

 今回のように政党の幹部が合理的な根拠なくして組織から気にくわない人を排除すると。こういうことが横行すると、それを見た専従勤務者の方々はやはり自分の生活を守るために、身を守るために、理不尽なことがあっても幹部の指示に対して、なかなか反対できない、というふうな気持ちになるということは、ありうることなんですね。

 賃金を得て生活する人にとって組織からの指揮命令に対して従属せざるを得ない。そういう立場から、それは政党においても、どうしても上司に対して、上のものに対して、忖度するということが生じ得ます。

 問題は、そういうことによって結社の自由、政党の中の民主主義がより機能しなくなる危険性を帯びていくわけです。つまり今回のような神谷さんに対する、専従者に対するやり方が、許される・横行する・黙認される、ということになれば、政党における民主主義というものがますます機能しなくなる。そのように私は思います。

 そういう意味では今回の裁判は松竹さんの裁判と同様に、また、独自の意味を持って、とりわけ重要な専従勤務者の権利を擁護するものとして私は注視し、応援していきたいとそのように考えている次第であります。

 

抽象的な制度ではなく個人の具体的な尊厳が先にある

 弁護団の主張は先ほど述べたとおり訴状に結実しています。

 ただ、弁護士のお二人(平裕介・松尾浩順の両弁護士)の立場として、改めて自分なりに考えさせられたことがありました。

 それは「結社の自由」というものを考えたとき、私たちはつい「結社」という抽象的なものの自由を考えてしまいがちです。

 しかし、そこには結社をした一人ひとりが権利を守られ、幸せになるということが想定されてるはずです。ノッペラボーな「結社」が栄えて、一人ひとりが我慢させられ抑圧される——そんなことがあっていいはずがないのです。

 だから結社の自由を結社という抽象的な団体の利益ではなく、そこの構成員一人ひとりの利益を具体的にイメージすることが必要だ。

 こういう考えで弁護団の思想が組み立てられています。

 私などはつい、理屈だてから入って、抽象的な「結社」というものの利益を優先してしまいがちだったな、と思いました。それは無意識に自分の中にあった全体主義だとも言えます。個人の尊厳から問題を考えていないということです。

 これは弁護団のお二人が、食事の時に象徴天皇制について議論しているのを聞いても、そういう「個人の尊厳」という思想を読み取りました。

 すなわち、天皇が譲位したい、と突然言いだした事件が最近ありました。あの事件は、象徴天皇制から見れば政治のコントロールを超えた逸脱ではないか、ということを、私などはつい考えてしまいがちなのです。

 しかし、そこにいかに天皇といえども、人権はあり、彼が高齢となってその人生を穏やかに暮らしたいと願う権利があるのではないかという話になりました。私は「個人の尊厳」という角度からその発想を立てられず、象徴天皇制という制度の理屈を優先させていたのではないか、とものすごく反省したわけです。まさに自然な「自己批判」でした。*1

 

 次は、松竹伸幸さんの裁判について、私はどういう立場で臨むかをお伝えします。

*1:党幹部の皆さん、これが本当の道理の力による自己批判です。追放するぞと脅しつけて自己批判を迫るというやり方がどんなに罪深いか、そして道理や納得によって人を動かすという力がない人間のやることなのだとぜひ「自己批判」してほしいものです。