県委員会総会で提起された学校給食の無償化の運動

 5月某日に日本共産党福岡県委員会総会が行われました。

 そこで「統一地方選挙でかかげた公約実現のたたかいを起こそう」ということが呼びかけられました。その中の大きな柱が学校給食の無償化を求める全県的な運動です。

統一地方選挙でかかげた目玉政策とのかかわりで、学校給食無償化の大運動を全県で起こす。この要求は「義務教育無償」の憲法原則から当然であり、子育て世代の強い要求であり、〝子育て自己責任政策〟全体を改めさせる大きな一歩となる。さらに、公費負担となれば「食育」としての質の向上を図る条件が広がる。(報告より)

 共産党の県委員会としてこうした運動を提起したこと、すなわち市町村レヴェルだけでなく全県的な規模で運動を位置づけ、呼びかけたことは、まことに時宜を得ています。

 県委員会総会でもこの点について積極的な討論が行われ、意気高く取り組みを進める活気が伝わりました。

 先日、坂本貴志『ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う』(講談社現代新書)を読んでいたのですが、定年後に比べた現役時代に日本の労働者の支出構造を指摘する箇所がありました。

家計支出額は34歳以下の月39.6万円から年齢を重ねるごとに増大し、ピークは50代前半の月57.9万円となる。人生の前半から中盤にかけての時期は、家族の食費に教育費、住宅費、税・社会保険料ととにかくお金がかかる。(p.19)

〔定年後になって現役時代に比べた場合〕支出額の減少に最も大きく寄与しているのは、教育に関する費用である。(p.20)

そして、もう一つ定年後の生活水準に大きくかかわる項目に、住宅関連費用がある。(p.21)

 県委員会報告が「子育て自己責任政策」と強調するように、教育費は長く「受益者負担」のイデオロギーに支配されてきました。それゆえに、大学の学費はうなぎのぼりとなり、もはやお金がなければ大学にいけない状況です。

 共産党の地方議員が現在も指針とすべき基本文献の一つに、1998年の全国地方議員会議での不破哲三報告があります。

 この中で不破氏は「地方自治という憲法の大原則はどこにいったか」という問いを立て、共産党が民主主義革命で実現することをうたう憲法の民主的原則の一つ——憲法92条の「地方自治の本旨」とは何かを、次のように説明します。

国から独立して、自治体が存立し、原則として、国の監督を排除して地方の行政をおこなう。〔…〕基本は、国から独立と国の監督の排除、これが憲法が定めた地方自治の原則です。(不破『地方政治と議員活動』p.27——現在は『自治体活動と地方議会』所収)

 いわゆる「団体自治」です。共産党地方自治の基本的なスタンスの一つがここにあることがわかりますが、これは、教育費の問題に照らせば、「受益者負担」「子育て自己責任政策」を国がイデオロギーとして地方に押しつけてきた現状を、国とともに地方から変えていくという政治論でもあります。

 学校給食の無償化はもちろん国民の苦難そのものを軽減する意味があります。しかし同時に、このたたかい自体が国のかたちを変えるたたかいなのです。すなわち、教育は私費でなく社会保障として担うべきだという政治を、市民の側からの反撃して生み出していくたたかいだということです。団体自治をつらぬくことによって、国・中央から押しつけられるイデオロギーに抗するわけです。

 

 教育費と住居費は社会保障へと移転すべきだと私は思います。

 そうすることで、長時間労働に縛りつけられるいびつな正社員形態ではなく、短時間労働でも子どもを「健康で文化的な最低限度」の居住水準を確保して子どもを大学にやることができます。労働時間の短縮と、すべての人の貧困からの解放(社会保障の充実)は共産主義がめざす社会目標*1であり、資本主義のもとでの改良を重ねながら、来るべき社会のパーツを揃えることにもつながっていきます。

 福岡市議会でも、学校給食の無償化は、共産党はもとより他の党でも公約した議員がいます。署名などの市民運動を背景にして、こうした議員と手を携えてぜひ実現させたいものです。また、私もその一翼を担って奮闘したいと思っています。*2

 

補足 団体自治と住民自治

 これは余談です。

 なので、以下は、本論とは関係ありません。

 お時間のある人だけお読みください。

 前述の1998年の不破報告を読みながら、なぜ不破氏は、そこ(第一章三)で団体自治のことしか言わなかったのかについては、私は不思議に感じました。

 すなわち「地方自治の本旨」という場合、憲法学の主流の理解では、団体自治だけでなく住民自治があり、その二つをあわせて「地方自治の本旨」の中身として説明します。

 しかも、両者は並列的なものではなく、住民自治が基礎にあって、その上で団体自治が成り立つと説明されることが少なくありません。例えば以下の、ある憲法学者の一文をお読みください。

地方自治の本旨」と言えば、一般に、「住民自治」と団体自治」からなると説明されることが多い。それは、以上のような地方自治の存在理由を満たすためには、なによりもまず、その地域のことはその地域の住民がみずから決定するという「住民自治」が不可欠であり、そしてまた、この「住民自治」を実現するためには、その地域における公共事務が国から独立して行われるべきものとする「団体自治」が要請される、ということからである。だから、「住民自治」と「団体自治」を並列的なものとしてとらえるのでなく「住民自治」が基本であり、そのために「団体自治」がある、ととらえるべきである。(浦部法穂憲法学教室(全訂第2版)』日本評論社、p.575-576)

 団体自治と住民自治が説明され、後者が基本であることが強調されています。

 実際、不破氏は1998年の報告において「地方自治の本旨」を説明する箇所で、憲法学者たちが集まって作った『註解 日本国憲法』を使って、次のように書いてある部分を引用しています。

地方的行政のために国から独立した地方公共団体の存在認め、この団体が、原則として、国の監督を排除して、自主・自律的に、直接間接、住民の意思によって、地方の実情に即して、地方的行政を行うべきことをいう

 このように住民自治の契機を入れているのに、そこはスルーしてしまっています。

 まあ、どういう理由かはわかりません。

 ただ、不破氏は、同じ報告で議員活動に対する7つの提案を行い、その中で真っ先に「第一。地方政治の問題に住民の目線でとりくむ」と題して、こう述べています。

地方政治の仕事というのは、他のだれの要求にこたえることでもない、地方住民の要求にこたえることが地方自治の精神なんだということを、しっかり議員活動の全体にまず貫いてほしい。(不破p.52)

 これは住民自治の精神そのものです。そして、不破氏は続けて、国の計画や国の政策にどう応えるかということしか考えない地方政治の現状を批判しています。つまり、報告の中ではよ〜く読めばこの両者は登場しているのです。しかしできれば自覚的にそれを結びつける叙述をしてほしかったと思います。

 日本共産党は綱領で地方政治について規定を設けていて「住民こそ主人公」という原則を書き込んでいます。これも住民自治の原則だと思うのですが、「地方自治の本旨」の内実である「住民自治」と「団体自治」の2要素を解明して、その関係を明らかにするという理論作業がほしいところです。共産党の地方議員が日々の指針とするためです。

*1:共産主義とは利潤第一主義から経済を解放し、経済を社会のために役立てるようにすることであり、その目指すべきものは(1)全ての人に健康で文化的な最低限度の生活の保障、(2)労働時間の抜本短縮による人間の能力の全面発達、(3)気候変動対策など経済の合理的規制である。

*2:さて、ここまで読まれた方、私が曲がりなりにも県委員会総会決定の実践に力を尽くそうとしていることをご理解いただけたかと思います。まさか「神谷は絶対秘密の県委員会総会決定や会議の内情を外部に暴露してしまった。党規約違反だ」などと思われた方って、います? いませんよね。そんなこと、党規約に一文字も書かれていませんから。当たり前です。もしそんなことを思う人がいたら……その人のメンタルが心配です。お大事に。