文化における今の日本と福岡市での焦眉の課題の一つは、なんといっても「表現の自由」についてでしょう。
福岡市では、市の名義後援をめぐってその後援が拒否されたり、取り消されたりする事件が起きています。これは2015年・2016年に、「平和のための戦争展」の中で消費税や安保法制に関する展示があり、その展示が「特定の主義主張に立脚した」ものだったとして、福岡市は後援を拒否・取り消しした、という事件です。要するに政治的に偏っているから、そんなものを市が「後援」したとなれば「行政の中立性」を壊してしまう、という理屈です。
共産党の追及に対して、高島宗一郎市長が言い訳したことは、“名義後援を取り消しても、表現の自由を福岡市は侵害していない。なぜなら、そいつらはどこかで勝手に展示をする自由までは福岡市は弾圧しないからだ。やりたければ勝手にやればいい。表現の自由は認めているぞ。だけど、そいつらが「福岡市から支援をもらいたい」というから、「それなら福岡市の政治的立場に背くような表現をしたら許さんぞ」と言っているだけだ。嫌なら後援をもらいに来るな”ということなのです。*1
ここには、高島市長の「表現の自由」に対する恐ろしい無知・無理解があります。「表現の自由」の中でも、行政が支援したりする際の「表現の自由」、すなわち「芸術の自由」は認めないとしているのです。
この問題をさらに追及するということで、今年の9月23日決算特別委員会総会で、共産党の山口湧人・福岡市議が質問をしました(現時点で議事録がありませんので、以下は私の責任で書き起こしたものです)。
行政が支援する芸術は行政の認める表現に変えろ、という思想
○山口湧人 昨年愛知県で開かれた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」は、開幕からわずか3日で中止に追い込まれました。重大なのは、実行委員会会長代行の河村たかし名古屋市長が作品の一部を批判し、展示を中止させるよう圧力を加えたということです。実行委員会で合意した内容について、それを取り消すような措置が取られたことは文化芸術基本法の理念から見て不適切だったと言わねばなりません。そこでお尋ねしますが、本市は文化芸術基本法にある「文化芸術の礎たる表現の自由」と「文化芸術活動を行う者の自主性」を尊重する立場であるのか、答弁を求めます。
△経済観光文化局長 文化芸術基本法2条の基本理念に基づき、活動を行う者の自主性や創造性が十分に尊重されなければならないと考えております。
○山口湧人 この法律の趣旨は、国や自治体が補助金を出したり、名義後援を出したりして文化芸術を支援する際、その作品の中身について行政はあれこれ口を出してはならないというものです。よって、本市は文化芸術を支援する際、「表現の自由」はもちろん、芸術家側の自由も尊重する、つまり作品の内容について口は出さないということか、答弁を求めます。
△経済観光文化局長 文化芸術の施策を進めるにあたっては、基本法2条の基本理念に基づき、自主性や創造性が十分に尊重されなければならないと考えております。
ここで一般的な「表現の自由」ではなく、 行政が支援を行う際のルールについて、文化芸術基本法に定められた通り、その作品内容に介入しないということを認めるのかを山口市議が聞いています。市側はそのルールを認める、自主性を尊重すると言ってるんですね。
じゃあ、「福岡市文化振興事業」という、市民の文化活動に「市が名義後援を与える」という支援を行う場合にもそのルールを適用するんですね? と山口市議が聞きます。
○山口湧人 原則は尊重する立場を示されました。それでは、文化振興事業に関する名義後援において、その事業内容については主催者の自主性を尊重して政治的中立を求めないということか、答弁を求めます。
△経済観光文化局長 文化芸術関係の名義後援の承諾については、行政としての基本的な立場を踏まえ、公平性や中立的な観点から「福岡市文化振興事業に関する後援要項」において「特定の政党の利害に関与するもの」「政治的な立場等に立った特定の主義主張に立脚し、かつ行政の中立性を損なうもの」に対しては後援を行わないこととしています。
いきなり“政治的に偏ったものには介入する”という、めちゃくちゃな答弁がやってきました。直前の自分の答弁をひっくり返すわけです。いくらなんでもあからさますぎます。「ご飯論法」のようなごまかしの仕掛けすらない、ただのダメ答弁です。
○山口湧人 基本法の立場に立つという先ほどの答弁と矛盾していると思いますが、答弁を求めます。
△経済観光文化局長 特定の主義主張に立脚している催事を後援することで、本市がその主張を支援しているとの認識を与え、行政の中立性が保てなくなる恐れがある場合などは不承諾とすることがあると考えております。仮に名義後援を不承諾とした場合でも事業の開催やその中の表現を否定するものではなく、表現の自由の侵害には当たらないものと考えております。
○山口湧人 それは事業内容に対する明らかな介入であります。基本法の立場に立つと言われながら、名義後援を出す場合は市のルールでやる、と。「政治上その他の主義主張の普及を主たる目的とした事業」であれば後援しないと言われるのですが、それは事業内容に対する明らかな介入であり、文化芸術基本法に違反していると思いますが、御所見を伺います。
△経済観光文化局長 文化芸術関係の名義後援の承諾の審査については各種団体等が行う文化事業に対して「福岡市文化振興事業に関する後援要項」に基づき後援することが妥当かどうかを審査することにしており、個々の内容について市が意見を述べるものではございません。
○山口湧人 政治的なものであることを理由に不承諾にすることがある、と。そういうルール自体がおかしいと言わねばなりません。ピカソの「ゲルニカ」は、スペイン内戦の人民戦線の側に立ち、ファシズム側の空爆を告発したもので、極めて政治的な意図をもって描かれた絵画です。もし「政治的だ」として「ゲルニカ」を否定したら文化芸術の振興なんてありえません。現代美術の多くが政治的テーマを扱っています。名義後援を出す以上、「表現の自由」は一定の制約を受けるという考え方は法の趣旨に反していると言わねばなりません。
ここで、赤字で強調した部分を見てほしいのですが、市は市長の考えと全く同じで、“表現はどこかで勝手にやればいい。支援がほしければ行政に従え”という理屈を公然と述べていることがわかります。
しかし、そんなことをやれば、市立の美術館に絵すら飾れません。
もし、ピカソが「ゲルニカ」を福岡市の「文化振興事業」に持ち込んだら、福岡市はそれを「政治的に偏っている」と言ってはねつけてしまうことになります。こういうやり方がいかに芸術支援を貧しいものにしてしまうか、はっきりとわかります。
文化芸術基本法、その前身の文化芸術振興基本法が制定されるときに、国会では次のようなやりとりがされています。共産党の石井郁子衆院議員が補助金などの振興策を行う際に表現によって差別が起きないように、「行政の不介入」という原則を書き込んでほしいという質問を行い、提案者(中野寛成)が“おっしゃる通りでその趣旨は入れてあります”という趣旨の答弁をしているのです(2001年11月21日衆院文教科学委員会)。
○石井 私は、当法案でも、行政の不介入の原則をやはり条文として立てる、明瞭にすべきだというふうに考えてきたところでございます。重ねてで恐縮ですけれども、伺います。
〔…中略…〕
△中野 我々としては、芸術振興についての、文化振興についての積極的な姿勢をこの法律にいかに強く表現するかという気持ちでつくったことを申し上げましたが、そういう意味でも、前文、それから第一条の「目的」、第二条の「基本理念」等に、この芸術活動を行う者、文化活動を行う者の自主性を尊重する、また創造性を尊重するということを書くことによって、行政の不介入をむしろ明記した、その意味も含まれている、こういうふうに私どもは考えております。
福岡市がこの立法趣旨を全然踏まえていないことがわかると思います。
文化芸術基本法の定める「文化芸術活動」だが基本法は守らなくていい!?
山口市議はさらに別の角度から聞いていきます。
○山口湧人 本市は、2015年に「平和のための戦争展」の名義後援を突如取消、翌年から3年間名義後援をしない措置をとりました。そこでお尋ねしますが、この「平和のための戦争展」は、文化芸術基本法における「文化活動」にあたると思いますが、ご所見を伺います。
△総務企画局長 名義後援の審査にあたっては催事の趣旨や全体としての内容が総務企画局が所管する業務や行政目的に合致していることを前提として、その内容に特定の主義主張に立脚するものや特定の宗教を支持するもの等が含まれていないか、営利目的でないかなどを審査し福岡市の名義後援の使用が妥当かどうかを総合的な観点から判断しているものであり、基本法における文化芸術活動であるか否かを判断しているものではございません。
文化芸術基本法の定める「文化芸術活動」にあたるのであれば、当然同法が適用され、
我が国の文化芸術の振興を図るためには、文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ、文化芸術を国民の身近なものとし、それを尊重し大切にするよう包括的に施策を推進していくことが不可欠である。(前文)
文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない。(第2条1)
が遵守されなければなりません。ところが、「平和のための戦争展」は「文化芸術活動」かどうかを判断していないと言い出したのです。そこにはマンガもあり、写真もありました。常識的に考えて「文化」活動の一環であり、実際、文化芸術基本法は「文化」や「芸術」の枠組みを狭めないために、狭い定義をしていないのです。
私も質疑を傍聴していましたが、この答弁には議場が騒然となりました。
マンガや写真は「文化」ではないのか?——そんなふざけた答弁が許されるはずもなく、山口市議がさらにツッコみます。
○山口湧人 文化芸術活動にあたるかどうかは明確に判断されてないということですか。文化活動ではないということですか。明確に答弁してください。
△総務企画局長 文化芸術基本法においては文化芸術活動は「文化芸術に関する活動」と規定されていることから、戦争展は文化芸術活動に含まれるのではないかと考えておりますが、市の名義後援の審査にあたっては特定の主義主張に立脚するものや特定の宗教を支持するものが含まれていないか等を審査し、福岡市の名義後援の使用が妥当かどうかを総合的な観点から判断しているものであり、基本法における文化芸術活動であるか否かを判断しているものではございません。
あわてて、市は「文化芸術活動」だと認めました。
実は私たちは「文化芸術活動ではなくただの政治活動だ」とか、「文化芸術活動ではなく市の政策目的を実現するための事業だ」とか言うんじゃないかと思ってたんですね。しかし、認めてしまった。「文化芸術活動」だと認めてしまったら、当然文化芸術基本法の原則に沿って、自主性を尊重するのが地方公共団体の責務となります。表現に介入して自主性を侵してはいけません。
○山口湧人 文化活動に含まれると考えるとしながらも、市が名義後援を行う場合は、特定の主義主張に立脚していないかどうかを審査すると。文化芸術基本法では市が名義後援を行って支援しますよというときでも、事業の内容には介入してはならない、ということなんですよ。その基本法の趣旨と局長の今の答弁は矛盾していると思いますが御所見を伺います。
△総務企画局長 名義後援の審査にあたっては催事の趣旨や全体としての内容が総務企画局が所管する業務や行政目的に合致していることを前提として、その内容に特定の主義主張に立脚するものや特定の宗教を支持するもの等が含まれていないか、営利目的でないかなどを審査し福岡市の名義後援の使用が妥当かどうかを総合的な観点から判断しているものであり、展示物の内容が基本法における文化芸術活動であるか否かを判断しているものではございません。
基本法の定める「文化芸術活動」だけど、市のルールに従ってもらう、つまり基本法は守らなくていいということです。完全に支離滅裂な答弁になりました。もはや市は基本法を踏まえていません。
9条俳句訴訟判決で断罪された理屈を平然と答える福岡市
山口市議はさらに別の角度から追及します。
これは福岡市が主張する“特定の主義主張に立脚するものを後援すると、その立場を福岡市が支持していると思われるので、行政の中立性を守るためにも後援しないのだ”という理屈のおかしさを暴くためのものです。
○山口湧人 さいたま市で「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句が優秀句に選ばれたのに、さいたま市が公民館だよりに掲載しなかった事件で、作者が精神的苦痛を受けたと慰謝料を請求した裁判において、「不掲載は違法」とした最高裁判決が確定しています。その判決によると、俳句の趣旨が「市の主張と誤解される」というのであれば、俳句を掲載した上でそれは「市の立場ではない」旨をはっきり主張すれば良いわけで、「政治的だから」と排除するのは、行政への信頼を失う問題があると指摘しています。つまり、さいたま市の行為が、厳しく断罪されたわけです。したがって、議論の分かれる問題において、一方の主張の名義後援を拒否することは、行政がもう一方の主張を持ち上げる、結果的にもう一方の主張を肯定していることになると思いますが、答弁を求めます。
ここで2つの論点を山口市議が述べています。
一つは、“政治的に偏った表現を含んだものを市が後援するとそれが市の主張だと誤解される”という言い分についてです。判決(最高裁判決が支持した高裁判決*2)では
本件句会の名称及び作者名が明示されることになっていることからすれば、本件たよりの読者としては、本件俳句の著作者の思想、信条として本件俳句の意味内容を理解するのであって、三橋公民館の立場として、本件俳句の意味内容について賛意を表明したものではないことは,その体裁上明らかであるから、本件俳句を本件たよりに掲載することが、直ちに三橋公民館の中立性、公平性及び公正性を害するということはできない。
としています。要するに必要なら「市の主張ではない」と明記すれば済むことであって、市の主張とズレているものがあるからといって、中立性は侵さないよと言っているのです。技術的に簡単に解決されることなのです。
もう一つは、“国論が分かれている問題の一方の主張がある場合は、偏ってしまうので支援しない”という市の論法を批判しています。
これは、元になった地裁の判決*3に次のようにあります。
本件俳句を本件たよりに掲載しないことにより、三橋公民館が、憲法9条は、集団的自衛権の行使を許容するものと解釈すべき立場に与しているとして…行政に対する信頼を失うことになるという問題を生じるが…この点について何ら検討していないものと認められる。
逆の偏り、つまり他方を支持しているように見えるという問題が生じることを検討していませんね? という批判です。「原発反対って書いてあるから後援しない」と市が後援を拒否することで「ああ、福岡市は原発賛成なんだな」と思われてしまうということです。
こういう裁判が行われているのに、市は全然それを研究した痕跡が見られません。
上記の山口市議の質問への答弁はこうです。
△総務企画局長 名義後援においては催事の一部に特定の主義主張に立脚した内容が含まれるなど、行政の中立性を損なう申請がなされた場合に承諾基準を満たさないものと判断しており、判断は当然に個別審査ごとに行なっております。したがって申請がなされていない考え方を肯定するものではございません。
○山口湧人 今の答弁は、最高裁判決で断罪された、さいたま市と同じ主張です。法律と同じ強い力をもつ最高裁判決と真っ向から対立しています。
まさに裁判で断罪されたロジックをそのまま使っているのです。
山口市議はまとめに入ります。
○山口湧人 憲法改悪、安保法制、原発、消費税——国論を二分するような政治問題について、行政の中立性を保てないという論理をもちだして、一方の主義主張を認めないというのは、市長が安倍政治にべったりで、ずっと歩調を合わせてきた結果に他なりません。高島市長の政治信条に沿うものには名義後援を行って、そうでないものは、検閲までして名義後援を拒否する。そのような異常な姿勢は改めるべきです。したがって、市長は、恣意的に名義後援を拒否したり、公共施設の使用を制限したり、文化芸術の内容に介入したりせずに、民主主義の土台である「表現の自由」の場を保障するためにも、「名義後援」の承諾に関する取扱要領について、行政の中立性を求める規定は削除すべきと思いますが、最後に市長の答弁を求めて、私の質問を終わります。
△市長 市民の表現活動については憲法の保障する表現の自由のもと公序良俗に反する場合などを除き自由に行うことができるものでございます。一方市民活動に対する市の名義後援については行政の中立性を確保する必要があり、所管局において適切な対応がなされているものと考えております。
市長はこれだけ論戦してきたのに、文化芸術基本法の趣旨、一般的な「表現の自由」の話じゃなくて、行政が支援する際の「芸術の自由」を保障するということを全く踏まえない、従来通りの答弁をしてしまっています。
つまり、全く研究もしていないし、答弁にならない答弁を積み重ねてしまっているのです。