2026年総選挙についての共産党常任幹部会の声明が出ました。
私として、総選挙総括、その中で「共産党がなぜ後退したか」をどう考えどうすべきかの基本点はもう明らかにしています。
ここでは、共産党員のみなさんが、支部で議論する際に、幹部側のロジックがおかしいことをどうやってただしていくか、そのポイントを2点だけを記しておきます。
常幹声明は共産党後退の原因を高市旋風のせいにしている
常任幹部会声明では「なぜ日本共産党が、重大な後退をきっしたか」と問いを立てています。
その総括については、党内外の方々の声によく耳を傾け、学びながら、あらゆる面で自己検討を深め、次の中央委員会総会で明らかにするようにします。
と述べていますが、党幹部なりに立てている仮説が後に続いています。
「高市旋風」がつくられ、多くの政党が高市政権に迎合・屈服する状況がつくられたことは、高市政権と正面からたたかうわが党にとっては、大きな逆風として作用しました。それは高市強権政治に立ち向かうわが党のかけがえのない役割が、多くの有権者に伝わるならば、わが党の前進・躍進の契機にもしうるものでしたが、逆風を押し返すには党の力があまりにも足らなかったというのが、私たちの強い実感です。
常幹声明には「高市旋風」を選挙情勢の基本点に据えています。
高市首相は、内閣支持率の高さだけを頼りに、「高市早苗でいいのかを国民が決める選挙」という一点で総選挙を押し切るという作戦をとり、急速に「高市旋風」が吹き荒れるという状況がつくられました。

疑問1:「つむじ風は吹いていない」と選挙対策本部は声明したはずでは?
問題の第一は、選挙が公示された1月27日に共産党の総選挙対策本部の声明では「わが党の頑張りいかんで勝利をつかみ得るチャンスが間違いなく生まれています」と述べて、そのチャンスの条件を2つ挙げていました。その一つが「風」が吹いていないと評価したことです。
もう一つは、今度の選挙では、真の争点を覆い隠す“つむじ風”が吹いていないことです。
一昨年の総選挙では国民民主党が「手取りを増やす」と打ち出し、昨年の参院選では参政党が外国人問題を唱え、それぞれ選挙の本当の争点を見えなくさせる「突風」となりました。しかし今度の総選挙では、今のところ真の争点を覆い隠す“つむじ風”は吹いていません。党首討論会でも、物価高や消費税減税、トランプ政権の無法、外交・安保問題などが正面から争点として問われ、いわばわが党の土俵で論戦が展開されています。消費税減税をめぐっては、財源問題が焦点になり、党の先駆性が際立っています。政治論戦上は、わが党にとって本当にたたかいやすい選挙であり、有権者に党の主張を届けやすい選挙になっています。
ちなみに、「つむじ風」は「小規模な回転する風の渦巻」のことで漢字表記をすると「旋風」です。
参院選後の中央委員会総会決定では「突風」と表現していたものを、総選挙になって総選挙対策本部の声明でわざわざ「つむじ風」=「旋風」と表記し直して、それが起きていないことを否定していたのです。
ところが、選挙が終わって惨敗した途端に、“高市旋風のせいで共産党が重大な後退をした”と言い始めました。
- 矛盾したことを言っている。
- 途中から吹き始めた。
- 総選挙対策本部の声明は間違っていた。
のどれかしかないはずです。
もしも「重大な後退」をさせるほどの情勢が存在していたのに、総選挙対策本部の声明でわざわざそれを否定したというのは、明らか、かつ重大な情勢判断のミスです。
…と言いたいところですが、「重大な情勢判断のミス」などあろうはずがない、というのが私の実感です。なぜなら共産党の議席が後退したのは、「高市旋風のせい」などではないからです。
疑問2:「高市旋風が吹くと共産党が後退する」?
第二の問題は、では、仮に「高市旋風」が吹いていたとして、なぜ共産党が後退するのでしょうか。高市旋風を厳しく批判した共産党になぜ高市批判票は集まらなかったのか、という謎が存在します。
高市政権の支持率は高く出る読売でも7割でした(1月25日付)。
とすれば3割の批判票が存在したことになります。
「多くの政党が高市政権に迎合・屈服」(常幹声明)したというのなら、批判票を集めるチャンスです。批判票のうちの一部だけでも共産党にくれば、共産党は少なくともこれほどの後退を喫することはなかったはずです。
ましてや、中道が「補完勢力」となり自民党政治の「軍門に降った」はずなら、高市旋風は逆風ではなく、高市旋風が吹けば吹くほど、帆に風を受けた船のように、共産党に批判票が集まることになるはずです。
常幹声明では、「逆風を押し返すには党の力があまりにも足らなかった」と言っていますが、高市旋風は「逆風」ではなかったはずであり、共産党の総選挙対策本部の認識においても「チャンス」だったはずではないでしょうか。
「いや、高市に逆らうものは全て吹き飛ばされたのだ」とでもいうのでしょうか。
なるほど党幹部が自民党の補完勢力や排外主義勢力と認定した国民民主党(+1)・参政党(+13)・維新(+2)は議席を増やし、自民党政治を「追認」と批判したチームみらいも議席を増やし(+11)ました。しかし他方で、新たに「補完勢力」「軍門に降った」という認定をした中道は大敗し(-123)、やはり排外主義勢力と認定されている保守党は消滅しました(-2)。高市旋風の影響が他の党にどのように影響を与えるかが、全くチグハグなことがわかります。すなわち個別の党の事情によって、全く問題が異なることを浮き彫りにしています。
このように「高市旋風が吹くと共産党が後退する」というロジカルな説明が常幹声明にはどこにもないのです。「風が吹くと桶屋が儲かる」レベルの「ロジック」だと言われても仕方がないでしょう。

常幹声明を一刻も早く乗り越えよう
以上の2つの指摘を見ても分かるとおり、私は、この2つの疑問を埋めるロジックをまじめに常幹に求めているわけではありません。声明の細かい矛盾を突いているのではないのです。
一言で言えば、こんな穴だらけの声明などで満足するわけにはいかないということです。多くの党員に言いたいことは、こんな声明は乗り越えて、ちゃんとしたデータに基づいた議論を始めてほしいということなのです。
幸い、声明自身が
その総括については、党内外の方々の声によく耳を傾け、学びながら、あらゆる面で自己検討を深め、次の中央委員会総会で明らかにするようにします。
と述べているのですから、このような杜撰な声明など、どれほど厳しく批判して乗り越えていこうとも、問題ないはずです。かような「総括」に付いていってもその先には何もありません。断崖があるだけです。
間違った戦争に最も厳しく反対した日本共産党が結果的に最も強い愛国者であったように、今の党幹部の間違いを最も厳しく指摘することこそが、最も強い愛党精神だと言えるでしょう。
すり替えに気をつけよう
総括議論をする際に「すり替え」に気をつけましょう。
前の記事でも言いましたが、「高市政権の反動的な政治に反対するたたかいに、前を向いて立ち上がる」ことと、「共産党の後退の原因を分析する」ことは、全く別の問題です。
支部会議では、往々にして「共産党の後退の原因を分析する」議論だけをしていると「後ろ向きの議論」とみなし、「高市政権の反動的な政治に反対する声がどんどん起きているぞ! 共産党に期待する声も出ている! 後ろ向き・内向きの議論などしている場合ではない! 前を向いて立ち上がろう!」と一部の人がアジって、「共産党の後退の原因を分析する」議論そのものを否定することがあります。
しかし、それは重大なすり替えです。両者は別の問題です。
また、上記の通り、なぜ高市旋風が吹いた(あるいは吹かなかった)のかという問題と、共産党がなぜ壊滅的な後退をしたか・連続後退をしているのか、という問題も別の問題です。それはすでに書いた通りです。高市旋風が吹いたからだ、と言われたら「それならなぜ最も厳しい批判者である共産党が大きくならないのか?」と問いかけてください。
さらに、常幹声明は「強く大きな党をつくる」ことが「総選挙の最大の教訓」としていますが、それが「最大の教訓」であるかどうかは何も自明ではありません。
党員が増えた地区・支部、読者が増えた地区・支部と減った地区・支部の、それぞれの得票の増減を、一部ではなく全て相関グラフにして、示させるべきです。データを見ていませんが、断言できます。おそらく何の相関も示されないでしょう。示されるというのなら、ぜひ示してほしいものです。

今の党幹部のやり方で「強く大きな党」は長期にわたって作れませんでした。なのに、次の統一地方選挙(2027年)までに作れるのでしょうか。その道筋は何も示されていないのです。そこで後退するなら、また同じ総括を繰り返すだけです。「なぜ繰り返すのか」「繰り返さないにはどうしたらいいか」は何も示されていません。何回も何回もそれを繰り返して議席がなくなり、党組織も消滅し、「結局できませんでしたね」と終わった頃には、それを叫び続けていた党幹部はおそらく地上からいなくなっていることでしょう。党幹部はその路線の果てにある絶望に、責任をとってくれないのです。

余談:「不滅」という言葉について
最後に余談です。
常任幹部会声明の終わりは
社会発展の法則を明らかにした科学的社会主義への世界観的確信、党綱領路線への科学的確信をもち、どんな困難があっても私たちの事業は不滅であるという確信をもって、前途を開こうではありませんか。
で結ばれています。「こんなことを繰り返していたら共産党が消えてなくなるではないか…」という不安に必死で応えようとしたのでしょう。
常任幹部会自身、いや、おそらく起草者自身が不安なのです。
しかし、「不滅」だ、「確信」を持て、と何億回言おうとも、目の前で具体的な現実として議席と組織が次々消滅しているのを見せられ、ほとんどガラクタのような声明の紙切れしか示されないなら、「不滅」だと信じる方がどうかしてます。
それで「不滅」だと信じるなら、もうそれは“石ころに不思議な魔力が宿っているのを信じろ”というのと、そんなに違いはありません。
かつてソ連・東欧の「社会主義」を掲げた政権が次々崩壊していった時に、日本共産党の指導者だった宮本顕治は、『科学的社会主義の不滅の党として』という大胆なタイトルの著作を出しました。
今の党幹部たちはその顰みに倣ったのでしょう。
今の綱領にも「不滅」という言葉がありますが、それは侵略戦争と絶対主義的な天皇制に反対した戦前の日本共産党の活動の意義が「不滅」だと言っているだけです。すでに終了した歴史的事実の評価に関わるもので、これからの未来に向かっての事業の先行きについて使った言葉ではありません。
当時宮本顕治がこの表現をしたのは、ソ連・東欧で「社会主義」という偽りの看板を掲げた党が崩壊しているけど、それがいくら崩壊してもそんなもので社会主義の未来は測れない、そもそも社会主義は資本主義の矛盾を乗り越えようとする思想や運動であって、資本主義の矛盾がある限りはそれを乗り越えようとする事業自体は無くならないから、「不滅」であるとしました。事業の根拠を見誤らないようにさせたのです。
つまり「資本主義の矛盾がある限り科学的社会主義の事業は不滅である」というのがその本当の意味です(「資本主義の矛盾がある限り」「不滅だ」というのは、ある条件を設けその範囲では「不滅」だと述べているわけで、実に奇妙な構文です。まあ、それはおいておきましょう)。
その意味では私も同意します。
しかし、一つの組織体が不滅かどうかは、別の話です。
あらゆる事物が、変化と発展のうちにあるとした弁証法は、科学的社会主義の哲学の基本であり、「不滅」という概念の対極にあります。全ての事物は不滅であることはできず、生成し発展し没落していきます。
科学的社会主義の哲学の入門書である『フォイエルバッハ論』の中で、エンゲルスはマルクス主義哲学の下敷きとなったヘーゲル哲学の革命的な命題を紹介しました。
現実的なものはすべて合理的なものであり、合理的なものはすべて現実的である。
これは現実に存在する制度や国家を合理化する命題として非難されましたが、エンゲルスはそうではない、この命題は実は支配階級にとっては恐ろしいものなのだ、と解説をつけます。
以前には現実的であったものもすべて、発展のすすみゆくなかで、非現実的になり、その必然性をうしない、その存在の権利をうしない、その合理性をうしなうのであって、死んでゆく現実的なもののかわりに、新しい生活力のある現実性があらわれてくる。
共産党自身が、新しい現実に対応した合理的なものに変わらなければ、「その存在の権利をうしない、その合理性をうしな」い、「新しい生活力のある現実性」にとってかわられるということです。
そのことは共産党であっても免れられないのです。
「共産党」の看板をつけていながら、そうやって消えていった党は山ほどあります。
そして、消えた共産党とは無関係に、資本主義の矛盾の前に、新しい別の組織や運動が立ち上がっていくかもしれないのです。*1
この哲学のまえには、究極的なもの、絶対的なもの、神聖なものは、なにも存在しない。この哲学は、ありとあらゆるものについてそれがすぎ去りゆくものであることを示す。
あらゆる事物の不滅性を否定するのがマルクス主義哲学です。
党幹部にとって、なんという恐ろしい哲学ではないでしょうか!
*1:「太陽がある限り太陽光からエネルギーを取り出す事業は不滅だ」というテーゼは、なるほど半永久的な真理かもしれません。他方、そのエネルギーを取り出す技術装置は1950年代に実用化されました。当時は画期的なことでしたが、変換効率は6%でした。今の世代の装置は20%を超えています。開発当時はいくら「画期的」だった初期の装置も、やがて非効率となり、誰にも使われなくなります。太陽光の不滅性をいくら指摘しても、非効率な技術装置は不滅ではないのです。
