映画「宮本から君へ」への助成金交付をめぐる最高裁の判決が出ました。
これについて「しんぶん赤旗」で「『表現の自由』守り抜く足場に」と題した「主張」が出ています。
そこに
という一文が書かれています。「主張」のタイトルにもなっており、その核心部分です。これはどういう意味でしょうか。
福岡市で言えば、私は、高島宗一郎市長がくりかえしている「名義後援拒否・取消」の理由に反撃し、それを変えさせる「足場」になるのではないかと思いました。
最高裁判決の意義
まず、この最高裁判決の意義をおさらいしましょう。
この最高裁の判決そのものは以下で読むことができます。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=92502
まあ、法律的な文章を読み慣れていない人(私もそうですが)にはなかなか難しいので、その意義を要約した、「赤旗」の「主張」の関連部分を読んでみます。
映画は、政府外郭団体から芸術振興のための助成金をもらっていました。
しかし、出演者の一人(ピエール瀧)が薬物事件で逮捕・有罪とされたので、政府側は“そんな映画に助成金を出していたら、国が「薬物のススメ」をしているっていうメッセージになるじゃん”という理由で、助成金の取消をしたのです。
芸術を振興させるより、「公益性」(危険な薬物を社会に広げない)を重視したんだ、というわけです。
裁判は、「公益性のために芸術振興の助成金は取り消してもいい」という政府側と、「それは芸術の自由、表現の自由への介入じゃん」という制作側の争いでした。
それで、最高裁は制作側に軍配を上げたわけです。
この点について、「主張」では判決の意義を次のようにまとめています。
今回の最高裁は「芸術的な観点からは助成の対象とすることが相当といえる活動」について、「一般的な公益が害される」ことを理由に助成金交付を拒否することに、明確な歯止めをかけました。
判決は、「公益」が「抽象的な概念」であり、選別基準が不明確になるため「表現行為の内容に萎縮的な影響が及ぶ可能性」があるとしました。そのうえで、表現活動の萎縮は「芸術家の自主性や創造性をも損なうもの」で、「憲法21条1項による表現の自由の保障の趣旨に照らしても、看過しがたい」と断じました。助成金交付に際し「公益」を考慮しうるのは「重要な公益が害される具体的な危険がある場合」に限るとしました。
「公益性」を考慮してもいいけど、それを認めちゃうと具体的にこういう危険が迫っている、とかめちゃくちゃヤバい場合にだけに限られるのであって、何でもかんでも「公益優先」で助成金を出したり取り上げたりしたらダメよ、それは表現の自由への介入になっちゃうじゃん、というわけです。
これは、「表現の自由? うん、別に表現したいことがあるなら自由にどうぞ。でも政府や自治体からお金をもらったり便宜を図ったりしてもらうような場合は、いろいろ口やかましく言わせてもらうからね? だってお金もらっているわけでしょ? だったらお上の方針に従ってもらわないと。そうでないと、『あ、国(市町村)はこういう主張を推奨してるんだ〜』って誤解されちゃうじゃん」「もう一回言っとくけど、表現の自由を侵してるわけじゃないからね! お上からなんかもらわずに、自分たちだけで、好きにどっかのギャラリーでやりゃいいじゃん。ほらほら表現の自由だよ」という俗論に大きな打撃を与えたと言えます。
高島市長の名義後援外しの理屈をもう一度見る
さて、その上で、福岡市で起きていることを振り返ってみます。
福岡市では、市民の文化活動に対して、「名義後援」をしています。チラシやポスターなどに「後援:福岡市」という言葉を入れることができるほか、公共施設や学校などでの宣伝が可能になるという便宜が受けられるのです。
ところが、福岡市は、高島市長になってから、名義後援を申し込んできた市民の文化活動に対して、特高警察のように口出しするようになり、職員を送り込んで血眼になって探させた挙句、展示の小さなところ(多様な会員のたくさんの伝言メッセージの貼り付けのようなもの)であっても、「原発反対」などの文字があったら、それを見つけて名義後援の拒否・取消の理由にしてきました。
このため、先ごろ亡くなった被爆体験を持つ漫画家・西山進さんのマンガなども、後援を拒否されました。
◯50番(中山郁美=日本共産党福岡市議) まず、具体的に述べられました1点目の、漫画展にかかわる理由については、西山進さんが過去つくられた作品の内容を調べ上げ、これを問題にしたということですね。確認いたします。
◯総務企画局長(中村英一) お尋ねの漫画展につきましては、当日展示される内容が不明であり、申請者に確認したところ、既に提出された既存資料が当日展示されるものと同様であると理解してよいとのことでございましたので、当該資料には、原発は要らない、消費税増税やめろ、原発再稼働反対といった表現がございましたので、特定の主義主張に立脚している内容が含まれると判断し、不承諾の理由といたしました。以上でございます。
◯50番(中山郁美) 局長は、わかっておられないようですけれども、漫画というのは文化芸術のジャンルの一つです。文化芸術振興基本法では「文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない」とされています。今回のあなた方の対応でいけば、後援を受けようと思えば作品の表現まで制限されることになります。
これは、憲法が保障している表現の自由を侵し、法にも反するものであり、許されないと思いますが、いかがですか。◯総務企画局長(中村英一) お尋ねの漫画展におきましては、先ほど申し上げましたとおり、国政レベルで国民的な議論が存するテーマである原子力発電や消費税に関しまして、一方の主義主張に立脚する内容が含まれておりましたので、その主義主張を福岡市が支援していると誤解され、行政としての中立性を保てなくなるおそれがあると判断し、名義後援に関しまして不承諾理由の一つとしたものでございます。
表現の自由は、憲法が保障する国民の権利でございます。名義後援における、政治的な立場や特定の主義主張に立脚していないかという基準は、あくまで名義後援を行う際の判断基準の一つでございまして、漫画展の開催及び漫画家としての表現を否定するものではございません。以上でございます。◯50番(中山郁美) 作者の西山進さんは直接、厳しく抗議をされたでしょう。私ですね、弁護士の方に、この問題について見解を伺いました。表現の自由を直接規制をしているものではないが、後援を拒否されることで表現が萎縮するから、間接的に規制に当たるので、運用は極めて慎重でなければならないと述べられました。その点で、本市の名義後援は余りにも恣意的で乱暴だということでした。市長、そして総務企画局は、この対応は誤りだというのを認めるべきですよ。
(2015年9月11日、本会議)
高島市政側はまさに今回最高裁で批判されたのに似た俗論を担ぎ出しているのです。
共産党(山口湧人市議=当時)の追及と答弁は以下の通りです(2020年9月23日決算特別委員会総会)。
文化や芸術に対する振興のあり方を定めた「文化芸術基本法」では文化活動や芸術を行政が支援する際に、表現の自由を尊重することがうたわれています。名義後援の拒否・取消はその理念に反していないか、とただしているのです。
◯山口(湧)委員 昨年、愛知県で開かれた国際芸術祭あいちトリエンナーレの表現の不自由展・その後は、開幕から僅か3日で中止に追い込まれた。重大なのは、実行委員会会長代行の河村たかし名古屋市長が作品の一部を批判し、展示を中止させるよう圧力を加えたということである。実行委員会が合意した内容について、それを取り消すような措置が取られたことは、文化芸術基本法の理念から見て不適切であった。本市は、同法にある文化芸術の礎たる表現の自由と文化芸術活動を行う者の自主性を尊重する立場であるのか。
△経済観光文化局長 文化芸術に関する施策の推進については、同法第2条の基本理念に基づき、文化芸術活動を行う者の自主性や創造性が十分に尊重されなければならないと考えている。
◯山口(湧)委員 同法の趣旨は、国や自治体が補助金や名義後援により文化芸術を支援する際、その作品の中身について行政は口を出してはならないというものである。よって、本市は、文化芸術を支援する際、表現の自由はもちろん、芸術家側の自由も尊重する、つまり作品の内容について口は出さないということなのか。
△経済観光文化局長 文化芸術に関する施策を進めるに当たっては、同法第2条の基本理念に基づき、活動を行う者の自主性や創造性が十分に尊重されなければならないと考えている。
◯山口(湧)委員 文化振興事業に関する名義後援において、その事業内容については主催者の自主性を尊重して政治的中立を求めないということか。
△経済観光文化局長 行政としての基本的な立場を踏まえ、公平性や中立性の観点から、福岡市文化振興事業に関する後援要綱において、特定の政党の利害に関与するもの及び政治的な立場等に立った特定の主義主張に立脚しており、かつ行政の中立性を損なうものに対しては、後援を行わないこととしている。
◯山口(湧)委員 同法の立場に立ち、芸術家側の自主性も尊重するという答弁と矛盾していると思うが、所見を尋ねる。
△経済観光文化局長 特定の主義主張に立脚する対象を後援することで、本市がその主張を支援しているとの印象を与え、行政の中立性が保てなくなるおそれがある場合などは不承諾とすることがあると考えている。仮に名義後援を不承諾とした場合でも、事業の開催やその中の表現を否定するものではなく、表現の自由の侵害に当たらないと考えている。
市側が最高裁で否定された「抽象的な公益性」と似たロジックを看板にし、俗論の「表現の自由」を操っていることが見て取れると思います。
まあ、福岡市は「否定されたのは公益という抽象的な概念であって、ウチのは、『偏った政治的立場だと福岡市が見なされちゃう』という超具体的な危険だ!」と言い訳するかもしれませんけどね。
だけど、「ピエール瀧が出演=薬物の推奨」というのがあまりに「風が吹けば桶屋が儲かる」式じゃん、ということです。エクストリームこじつけなんです。
「後援した文化催事の一隅に『反原発』のメッセージがあるから、福岡市も反原発なんだという誤解を生じさせる!」というロジックも、同じように、エクストリームこじつけ、「あまりに『風が吹けば桶屋が儲かる』式」じゃないんですか。
もちろん高島市長も同断です。
△市長 市民の表現活動については、憲法の保障する表現の自由の下、公序良俗に反する場合などを除き、自由に行うことができるものである。一方、市民活動に対する市の名義後援については、行政の中立性を確保する必要があり、所管局において適切な対応がなされているものと考えている。
今回の最高裁判決はこうした名義後援における、「表現の自由」への福岡市の介入についても厳しく問うものとなったと言えるでしょう。
「赤旗主張」の最後の一文は重いものです。
芸術表現には、時に体制を批判し、人々の価値観を揺さぶるものも含まれます。表現の自由が萎縮すれば、民主主義は窒息します。
芸術・文化への支援にあたり、欧州では「アームズレングスの原則」が広く認められています。政府や地方自治体が芸術・文化の支援にあたって「お金は出しても口は出さない」という考え方です。
この原則にもとづく助成制度を確立し、萎縮や忖度(そんたく)のない自由な創造活動の環境づくりが求められます。日本共産党は、綱領に「文化活動の自由をまもる」ことを掲げる党として、芸術家・芸術団体の方々と力を合わせます。