「有期・派遣は一時的なものに限定を」と言われたら

 「有期雇用、派遣労働は、臨時的・一時的業務に限定します」——こういう政策はよくよくそれを見つめてみれば、現代日本ではかなり大胆な提起だということが実感できるんじゃないかなと思います。

 「1年たったら契約が終わります」という働き方の人は、もう本当にどこにでもいますよね。

 例えば自治体の「会計年度任用職員」、つまり自治体で雇われている非正規公務員の大多数はこれです。

 一つ例を挙げてみると、公立の図書館職員は73%が非正規です。

 しかし、例えば、図書館の仕事というものは、「海の家」のように、夏場だけ忙しいというわけではありません。あるいは「10万円給付金を各家庭に送付する」というような仕事のように、特別な一時期で終わってしまう仕事でもありません。一年中仕事があり、それがずっと続きます。

 それなのに、なぜ「期間の定めがない雇用」、つまり正規職員にしてくれないのでしょうか。使い捨てでいつでもクビの切れる雇用の調整弁として扱われている——そういう理由しか見当たりません。

 「じゃあ、正規職員として雇うべきですよね」という提起は、理屈から言えば当然です。しかし雇う側は「いや、そんなことをすれば雇用コストが大変です」というでしょう。民間であれば「経営が成り立ちません」という反応が返ってくるでしょうか。

 しかしそのような結果、何が起こってしまったか。

 「雇用コストが大きい」というのは安定した雇用であり、賃金が高いという意味です。それを否定してきたというわけですから、低賃金のままが目先の経営には都合がいい、ということを述べているにすぎません。


 そうしたことを「あたりまえ」にしてしまったために、日本はこの30年、先進国の中でも「賃金の上がらない国」になってしまいました。

 

 「安倍政権が…」とか「自民・公明政権が…」というのではなく、民主党政権時代も含め、この30年、つまりバブルが崩壊してからの30年間というのは、主に自民党政権下で労働の規制緩和が進み、先進国(OECD)の中で平均以下、いや既にかなり下のクラスとなってしまっているのです。

 購買力平価で比べてみた実質賃金の比較が「しんぶん赤旗」日曜版(2023年10月8日号)に載っていて、それをみて驚いたのですが、アメリカの半分にまでなってしまいました。

 日本と同じくらいかそれ以下だったイギリスやフランス、OECD平均からもはるかに遅れてしまっています。


 私は学生時代に、ある経済誌の取材に参加し、大阪でパートの争議を起こした女性たちの話を聞いたことがあります。1990年代の初頭です。当時、まだパート労働は珍しく、争議を始めた女性たちは労働運動などには縁もゆかりもなく「キョウトウ(共闘)会議ってなんのことか全然わからへんもんでなあ、『え、京都の人らと会議すんの?』とか思ってしまって(笑)」などと話していました。これからこういう働き方が増えていくのではないかと思ったものでした。

 つまり「有期・派遣のような働かせ方は一時的・限定的なものに」という政策は、単に「非正規の人の賃金を上げよ」という政策にとどまらない、日本資本主義にこの30年間根深く染みついてしまった思考様式と根本的に対決するものとなります。

 

 日本共産党が「経済再生プラン」を発表しました。

 その中の政策の一つが、これ、「有期雇用、派遣労働は、臨時的・一時的業務に限定します」なのです。

 この「再生プラン」の特徴は、冒頭に、

物価高騰に暮らしの悲鳴があがっています。今回の物価高騰がとりわけ国民生活にとって苦しく深刻な打撃となっているのは、自民党政治のもとで30年という長期にわたって経済の停滞と衰退――いわば「失われた30年」で、暮らしの困難が続いているところに、物価高騰が襲いかかっていることによるものです。

と述べているように、単なる物価対策として賃金を上げよという緊急策にとどまらず、日本経済の脆弱性そのものを克服するラジカルな改革に今踏み出すべきですよという中身を持っています。

www.jcp.or.jp

 したがって、簡単に合意できるものではありません

 例えば、物価高騰で食料やエネルギーの値段が急騰しています。「ほらみろ、だから原発を動かせ」「もっと安い輸入先を」などの目先の話に行きがちなのですが、そもそも食料自給率を根本的にあげるにはどうしたらいいかという問題で言えば、同プランは

農業所得に占める政府補助の割合は、ドイツ77%、フランス64%ですが、日本は30%と半分以下でしかありません。

という例を挙げてるように、農業に、食糧生産はもちろん国土保全機能などの役割を認め、抜本的に税金を投入して支え、担い手を増やせと言っているのです。

 ここでも根本的な議論が必要になります。

 私の知り合いが、九州のある県で、農学者をやっているのですが、彼は2050年に食糧危機が来ると見越して、今のうちに日本での食料自給、そのための農業再興のプランを議論しています。結論はやはり所得補償・価格保障による農業の担い手確保なんですが、これは資源配分における国民合意が絶対に必要になります。

 

 このようにこの30年くらいのスパンでの日本資本主義の脆弱性の改革を行おうと思えば抜本的に改革がどこでも必要になり、そのためには、国民的な合意が個々の政策について不可欠です。

 だから、共産党の「経済再生プラン」の結論は、「おわりに――「失われた30年」からの脱却にむけ、国民的討論と合意を」であり、

 「失われた30年」に陥った原因はどこにあるのか。どうやったらこの深刻な事態から抜け出すことができるのか。

 日本共産党は、あらゆる分野で国民とともに切実な要求実現の運動に取り組むとともに、日本経済を危機から救う抜本的打開策をつくりあげていくための国民的討論を行い、国民的合意をつくっていくことを強く呼びかけます。

 私たちは、日本共産党の「経済再生プラン」は、この危機を打開し、暮らしに希望をもたらす方策を示すものとなっていると確信します。この提案が、「失われた30年」からの脱却をはかるための、国民的討論と合意のうえでのたたき台となることを心から願うものです。

という提起をしているのだと思います。

 「有期・派遣は一時的なものに限定を」なんて言ったら「えー、そんなことできないよ!」という反発もあるんじゃないかと思います。でもそれでいいのか、それを続けてきた結果がこの「失われた30年」じゃないのかという、反発覚悟での問題提起が必要とされているような気がします。あえて、そこに突っ込んで議論するんだと。

 そこに斬りこまない限り世の中が変わらないのですよね

 むしろ正面から論争を巻き起こしていく。それくらいの覚悟が必要だと言えます。

 その意味で共産党が提起したことは時宜にかなったものだったといえます。

 

 こういう作業というのは、政党にとっては「平時」に行うことのように思えます。世論の土台を耕すような作業ですから、すぐに共感しあって、直ちに政党選択(自分の党を選んでもらう)というふうになりにくい可能性があります。今総選挙をめぐる解散風が吹いている、つまり選挙が間近かもしれないこの時期にそんなことをやるべきなのかと思う人もいるかもしれません。

 確かに以前は私もそう思っていました。

 しかし、むしろこうしたラジカルな問題提起こそ、共産党は今やるべきだと思います。社会のメインストリームの選択肢とは違う、そして実は多くの人、あるいは一定程度の数の人がそこに共感するかもしれないような根本的な代替案を示すことに共産党の大きな役割の一つがあるように思います。そこに魅力を感じ、投票先として選択してもらえる道もあるような気がしていて、選挙と関連づけてむしろ今こそ論争を起こすべきだろうと考えます。

 身近な要求から出発して「もとから変える」というこの政党の役割を示すとは、こういうことなのではないでしょうか。

 

 

学校の非常勤講師の残業代についての論戦をみて

 先日、共産党福岡市議団が質問で、会計年度任用職員の賃上げ、その中でも学校の非常勤講師の待遇改善を取り上げていました(堀内徹夫市議)。

www.jcp-fukuoka.jp

 学校の先生は「教職給与特別法」によって残業が出ないひどい仕組みにされているのですが、非常勤講師は労働基準法が適用されるために、この「給特法」のしばりがかからず、残業代を支給することができるのです。

 ところが、多くの自治体では、実際には「残業など存在しない」という非現実的な建前のもとに残業代を払ってきませんでした。

 その風穴を開けたのが名古屋市での運動でした。

www.jcp.or.jp

 共産党の堀内市議は、福岡市でも適用例が1件あることも明らかにさせながら、現場の声をもとに実際には残業をたくさんしているケースが山のようにあるから調査せよ、そして残業代をきちんと支払うように教育長に迫りました。

 しかし、教育長は対応は適切であり調査の必要はないというひどい答弁に終始したのです。

 非常勤講師に残業代を支払うというのは、制度の根本を変える決断をしなくても、現状の法制内で政治姿勢を変えて対応すればできることです。しかし、同時に、やはりその「政治姿勢を変える」決断は、大きなものがあります。だから、小手先で対応を迫るものではありません。

舞鶴公園の堀のハス

 あなた方の政治決断次第で自治体の中だけでも、大きく変えることができる。そういう根本的な決断を、現場から、地方からしていかないと、失われた30年はまだまだ続いてしまう。日本を、福岡を、変えるためにも、ここで決断すべきではないか…というような地方政府の幹部をも包み込む、共闘を呼びかけるような論戦がいろんなところで必要になってくると思います。

 今の福岡市の教育長の答弁は、「なんとか残業代を実態にあわせて支払いたいが…」という苦悩はまるで感じられません。木で鼻をくくったような官僚答弁で、歴代の教育長の中でも際立った冷たさだと思います。実際に学校現場で残業している実態は、どう考えても存在するでしょう。それを調査もせず否定するのは、現実を本当に何も見ていないということです。

 地方政府がそれにすら背を向けた時、やはりその地方政府は批判されるべきなのだろうと思います。