先日「福岡県知事候補の星野みえ子さんの政策を読むと、『あっ、こんな政策もあるのか』と思うものがいくつかあります」と書いたのですが、まだあります。「コメなどを買い上げ、困窮者に支援します」っていうのもその一つです。
●コメなどを買い上げ、困窮者に支援します
さらに、今コロナでひとり親家庭や学生が食べるものにも困っていて、民間で食糧支援などの動きが広がっています。コロナによって外食需要が減って米価が暴落する恐れがありますが、政府や行政が買い上げた備蓄米を活用し、コロナ禍で生活困難になった人たちへの支援を行う手立てなどが取れると思います。
県内では、久留米市がすでに実施していますね。
これは「困窮者対策」という角度からの政策の意味合いが強いのですが、同時に農業振興策でもあるということを鈴木宣弘・東大大学院教授が述べています。
新型コロナウイルス禍で米需要が年間22万トンも減って、米余りがひどいから、米を大幅に減産しなくてはいけないというのは間違いである。米は余っているのではなく、コロナ禍による収入減で、「1日1食」に切り詰めるような、米や食料を食べたくても十分に食べられない人たちが増えているということだ。
潜在需要はあるのに、米在庫が膨れ上がり、来年の稲作農家に支払われるJAの概算金は1俵1万円を切る水準が見えてきている。このままでは、中小の家族経営どころか、専業的な大規模稲作経営もつぶれかねない。
米国などでは政府が農産物を買い入れて、コロナ禍で生活が苦しくなった人々や子どもたちに配給して人道支援している。なぜ、日本政府は「政府は米を備蓄用以上買わないと決めたのだから断固できない」と意固地に拒否して、フードバンクや子ども食堂などを通じた人道支援のための政府買い入れさえしないのか。メンツのために、苦しむ国民と農家を放置し、国民の命を守る人道支援さえ拒否する政治・行政に存在意義があるのかが厳しく問われている。
この趣旨をさらに詳しくした鈴木教授の発言が農民連の機関紙「農民」2021年3月29日(1450)号に載っていました。
私が驚いたのは次のくだりです。
米国ではトランプ大統領(当時)が2020年4月17日、コロナ禍で打撃を受ける国内農家を支援するため、「コロナウイルス支援・救済・経済安全保障法(CARES法)」などに基づき、190億ドル規模の緊急支援策を発表した。このうち160億ドルを農家への直接給付に、30億ドルを食肉・乳製品・野菜などの買い上げに充てた。補助額は原則1農家当たり最大25万ドルとした。農務省は毎月、生鮮食品、乳製品、肉製品をそれぞれ約1億ドルずつ購入し、これらの調達、包装、配給では食品流通大手シスコなどと提携し、買い上げた大量の農畜産物をフードバンクや教会、支援団体に提供した。
そもそも、米国の農業予算の柱の一つは消費者支援、低所得者層への食糧支援策なのである。米国の農業予算は年間1000億ドル近いが、驚くことに予算の8割近くは「栄養(Nutrition)」、その8割は「Supplemental Nutrition Assistance Program」(SNAP)と呼ばれる低所得者層への補助栄養支援プログラムに使われている。なぜ、消費者の食料購入支援の政策が、農業政策の中に分類され、しかも64%も占める位置付けになっているのか。この政策のポイントはそこにある。
つまりこれは、米国における最大の農業支援政策でもあるのだ。消費者の食料品の購買力を高めることによって、農産物需要が拡大され、農家の販売価格も維持できるのである。経済学的にみれば、農産物価格を低くして農家に所得補てんするか、農産物価格を高く維持して消費者に購入できるよう支援するのか、基本的には同様の効果がある。米国は農家への所得補てんの仕組みも驚異的な充実ぶりだが、消費者サイドからの支援策も充実しているのである。まさに、両面からの「至れり尽くせり」である。
私はまずアメリカの農業振興予算の構成がこうなっているとは知りませんでした。それが単純に驚いた事実です。
そして、私は日本で家族農業をはじめ多様な農業経営が残っていくとしたら、所得保障(補償)制度しかないだろうなと思っています。つまり農業の公共的な役割を認め、公費で支えるということです。
「公共的役割」ということで思い浮かぶのは「国土の保全」ですよね。
貧弱ながら、現在の政権でさえもそれは認めて、交付金を支払っています。
最近では「田んぼのダム機能」に着目して、県内では宗像市が調査を始めました。
こうしたことへ公費を投入していくのは一つの道だと思っていました。
しかし、例えば私が参考にしている、日本共産党の綱領では「食料自給率の向上、安全・安心な食料の確保、国土の保全など多面的機能を重視し…国の産業政策のなかで、農業を基幹的な生産部門として位置づける」としています。「国土の保全」は一つの役割でしかないのですよね。
他にも農業には公共的な役割がたくさんあります。
それをどのような形で「所得保障」などの政策にしていけばいいのか…と考えていました。
そこにこの鈴木教授の話は新たな認識を与えてくれた、というわけです。困窮者支援として農業生産を行い、その買い上げに公費を投入する…という政策があり、実際にそれを途方もない規模でやっている国があるんだ! ということです。
価格や所得を維持するというものですから、本来は国が、国内市場全体を相手にした大規模の対策をすべきことですが、まず県でやって国に迫ると言うのもアリなんじゃないでしょうか。鈴木教授はこう続けています。
…日本は米を減産している場合ではない。しっかり生産できるように政府が支援し、日本国民と世界市民に日本の米や食料を届け、人々の命を守るのが日本と世界の安全保障に貢献する道であろう。
某国から言いなりに何兆円もする武器を買い増しするだけが安全保障ではない。食料がなくてオスプレイをかじることはできない。農は国の本なり。食料こそが命を守る、真の安全保障の要である。国民みんなから集めたお金、税金は、国民みんなの命を守るために還元されなくてはならない。
ここからはただの「感傷」にすぎませんが、私は「学校の帰り道がずっと田んぼ」という農村で育ったせいか、田んぼのある風景に郷愁があります。西日本新聞にエッセイで書いたことがありますが、今私の住んでいる地域に広大な田んぼがあり、そこにカブトエビ*1がいて、私は毎年ずっと興味を持って観察してきました。
今私が住んでいる福岡市の地域は急速に開発が進み、田んぼがみるみる消えていっています。農業労働の苦労と後継者がいない現実を考えれば、軽々に何かは言えませんが、自然な感情として大変悲しい気持ちになります。田んぼがある風景が残ってほしいな、と強く思っています。
*1:3億年前からその姿を変えていないとされています。明治以後に日本に入ってきた生物と言われていますが。