観光をどう考えるか(下) 持続可能な観光

 (続き

 当然ですが私は「反観光」ではありません。

 福岡や日本の文化・歴史の魅力で、日本人だけでなく外国人が日本や福岡を訪れてくれることを歓迎します。

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 そのさいの私の観光の原点は「住んでよし・訪れてよし」という考えです。

 日本観光振興協会の副理事長である久保田穣さんは「自治体が観光施策を行ううえでのポイントはなんでしょう」という問いに次のように答えています。

ひと言でいうと、「住んでよし、訪れてよし」をめざすことです。どこでもそうですが、住民が誇りをもてない地域に「ぜひ来てください」とはなりません。別に、立派な商業施設は必要ありません。それぞれの地域には多様な文化や歴史、生活があります。

 この考えは、小泉政権下でつくられた『観光立国懇談会報告書』(2003年)に出てきます(まあ、この報告書を全肯定する気はないのですが…)。

 観光立国の基本理念は、「住んでよし、訪れてよしの国づくり」を実現することにある。
 日本に住む全ての人々が、自らの地域社会や都市を愛し、誇りをもち、楽しく幸せに暮らしているならば、おのずとだれしもがその地を訪れたくなるものである。観光立国を契機にして、美しい日本の再生、都市の活性化、新しい地域文化の創造などをより積極的に推進することによって、「くらしといのちの輝き」を発揮することが可能になる。日本は長い年月をかけて独特の魅力を育ててきた。戦後における経済の高度成長、産業化の中で、多かれ少なかれ見失われ、あるいは減殺されてきた文化の魅力を再活性化させ、「光」の輝きに磨きをかけ直し、心と頭にいい旅を再び創造することが「観光の革新」の意味するところでもある。

 読めばわかりますが、「住みやすく誇りのある地域になって初めて訪れたくなるまちになる」という因果がはっきりと見て取れます。

 観光立国推進基本法には前文で「地域の住民が誇りと愛着を持つことができる活力に満ちた地域社会の実現」がうたわれ、第2条第1項には「地域の住民が誇りと愛着を持つことのできる活力に満ちた地域社会の持続可能な発展」が定められています。

  これは今の高島さんの観光行政、あるいは安倍さんの観光行政とは実は反対のものだと私は思っています。

 「上」でも言いましたが、とにかく訪日外国人客の目標達成が最優先。受入れ施設をどんどん作れ――こういうやり方だと、市民にもそして地元の観光業界にも逆に無理を強いることになります。

 渋滞・混雑、バス不足、違法民泊、白タク。

 回り回って、バス不足が運転手不足を招き、学校の自然教室のバスが確保できなかったり、生活交通の減便につながったりします。また、運転手に過酷な勤務を強いることになります。

 さらに施設は巨額の投資を必要としながら、あっという間に陳腐化します。

 いつも新しい施設でいるためには、巨額の投資を繰り返さなくてはなりません。そのための「宿泊税」だというなら、こんなやり方は持続可能でもなんでもないのです。

 

 暮らしやすい生活がそこにあって、それが自然に魅力になる。

 だから、実は「8時間働けば普通に暮らせるまち」「年金だけで普通に暮らせるまち」にすることが、そのベースとなります。

 もしもベーシックインカム(健康で文化的な最低限度の生活を保障する給付を中央政府か地方政府が行うこと)が実現して、労働時間が例えば週3日のまち、あるいは1日6時間の労働時間のまちがあったとすれば、そこには余暇の時間が生まれます。

 ギリシア時代の市民は奴隷が労働を担っていたために、大量の余暇を持っていました。波頭亮氏は『AIとBIはいかに人間を変えるのか』のなかで次のように言ってます。

人々が生きるための労働はもっぱら奴隷が担っていたため、市民は自らが労働する必要は無かった。ではギリシア時代の市民は日々のうのうと遊んでいたのかというと、むしろ逆である。市民は、人生の時間とエネルギーを学問や芸術や政治に注ぎ込んで毎日を送っていた。現在の学問、芸術のルーツは全てギリシアにあると言っても過言ではない。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケといった彫刻は今も美の極致とされる。

 人工知能のような飛躍的な生産性の上昇(ギリシア時代の奴隷にあたるもの)を、もうけ本位に使うのではなく、そうした技術革新から得られる利益を税収にして、ベーシックインカムのような形で市民に還元すれば、それはリストラではなく労働時間の短縮に使われます。その余暇によって、芸術や文化が飛躍的に発展するという見通しを示しています。

 

 まあ、別にそこまで一足飛びに行かなくてもいいんです。

 例えば、夕方には家に帰れる。

 土日はきっぱり休み。

 そういう日常であれば、例えば小さな農業をしながら、同時にサラリーマンをやりつつ、生活をしていくことができます。

 今の私の家の周りは田んぼが広がっているんですが、急速に都市化による埋め立てが進んでいます。しかし、農地を維持できるようになれば、風景はそのまま残り、しかも生活の中に農業が入り込み、それが昔の化石化したものではなく生きた文化として新しい風景を構成するようになります。

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 つまり、余暇と生活が結びついた新しい形で文化が創造される。

 そういうところにこそ「来てみたくなる」、何度も訪れたくなるファンが生まれるのではないでしょうか。

 

 沖縄がなんども訪れたくなる、ファンが多い土地であるのは、むろん南国の自然が色々あるからなんですが、大もとには、その自然の中で、時間の余裕と生活が結びついて独特の時間が流れているような生きた文化がそこにあるから、何度も訪れたくなる、しまいにはそこに住みたくなってしまうのです。

 

 そういう文化は気長につくるしかありません。

 しかし気長につくってこそ、持続可能な観光になるのです。

 「爆買い」のようなビジネスモデル、あるいはMICE施設頼みの量的集客一辺倒のやり方は、『観光立国懇談会白書』が批判している「従来の大量生産・大量販売型の観光」そのものです。

 私が公約

  • 「住んでよし・訪れてよし」を基本にした観光にすれば、「コト消費」にもつながるし、「福岡ファン」も増やせるし、観光客も地元住民もハッピーな、長くつづけていくことのできる観光になります。

と述べているのは、このことです。

 私は市長になったら、観光を「持続可能な観光」に切り替えます。