下記の記事で日本共産党の「50年問題」*1について少々書きましたが、その際党史を改めて読み直して気づいたことを少し。
日本共産党の最新(2023年)の正式党史である『日本共産党の百年』には、「50年問題」とは何か、という端的な規定がありません。
p.98に
これが「五〇年問題」と呼ばれるものです。
とありますが、2ページにわたる叙述をまとめてこう書いているので、「どれが…?」と思ってしまいます。
この傾向は、その前(2003年)の公式党史である『日本共産党の八十年』でも同じで、やはり端的な規定はありません。
もっと前(1994年)の公式党史『日本共産党の七十年』には、ちゃんと冒頭に定義的な規定が登場します。
日本共産党の五〇年問題とは、第六回大会選出の中央委員会が、一九五〇年六月六日のマッカーサーの弾圧を機に、徳田球一、野坂参三を中心とした「政治局の多数」の分派活動によって、解体、分裂させられ、全党が分裂と混乱になげこまれた深刻な事態をいう。(『日本共産党の七十年』上、p.210)
さらに『七十年』には
党中央における徳田・野坂分派の発生と党中央委員会の解体という事態の本質(同前)
という「本質」規定まで登場します。
志位氏の講演の中にはある
しかし公式党史には全然ないわけですが、党の公式見解の中にまったくないかというと、志位和夫委員長(当時)の党創立100周年記念講演の中には次のようにあります。
100年の歴史を通じて、わが党の最大の危機は、戦後、1950年に、旧ソ連のスターリンと中国によって武装闘争をおしつける乱暴な干渉が行われ、党が分裂に陥るという事態が起こったことにありました。私たちはこれを「50年問題」と呼んでいます
50年問題とは何か、ということは、党内外で「さっ」と答えられるために、定義めいた簡単・端的な規定を与えておくべきだと思います。そうでないと(党的に見て)不正確なことを言っちゃったりすることになりますからね。
こういうことを気にするのは、人生の若い時期に『七十年』党史で議論してきた世代だからかもしれません。「国際派と所感派に党が分裂した事態」とか説明すると怒る人がいましたし、単純に「党が分裂した事態」と説明しても「党中央の中の徳田・野坂分派の形成という本質がそれでは見えない」とかいう批判をされることもありました。
50年問題の語り方の変化
さて、今見た志位氏の規定と『七十年』の規定では、ずいぶん違いがあるのがわかると思います。
志位氏の場合は、「旧ソ連のスターリンと中国によって武装闘争をおしつける乱暴な干渉が行われ」というところがメインで中央委員会の中でできた分派の問題はこの本質規定からなくなっています。
他方で、『七十年』では「政治局の多数」の分派活動に軸がおかれています*2。
この変化は不破哲三『日本共産党史を語る 上』(2006年)の中でその事情が書かれています。
それは旧ソ連の秘密文書の解析とともに認識が変化したことを示し、『七十年』でそれを反映させ、『八十年』では「叙述を〔『七十年』よりも〕より簡潔にしながらも、内容的には問題点をより整理し深めた」(p.233)としました。
現在の総括では、「五〇年問題」の全体が、スターリンの干渉主義によってひきおこされたものだという認識に前進したことです。最初のコミンフォルム論評そのものが、武力闘争路線を日本の運動に押しつける第一撃としてたくらまれたものであって、「内容はよかった」などとは絶対に評価できないものでした。(同前)
「中央委員会の多数派による私物化」という本質
しかし、干渉の全体像がわかったという話と、50年問題全体を一言でどう規定するかは、また別の問題です。
志位氏のようなまとめ方をしてしまうと、『七十年』まではあった「『政治局の多数』の分派活動」という側面が削ぎ落とされてしまう、もしくは後景に退いてしまうことになります。
なんでもかんでもソ連と中国(というか、不破氏の解明ではスターリン)の押しつけが根源だという描き方になってしまうと、日本共産党としてそれにどう主体的に対応してどう組織的な誤りを犯したのかがわからなくなってしまいます。
押しつけたのはスターリンであっても、それを主体的に判断したのは日本共産党員です。しかもソ連にいたわけではありませんから、直接に銃剣で脅されていたわけでもありません。
これは戦前史でも同じで、いくら権力が送り込んだスパイが指導者になって「銀行強盗やるぞ」と言ったとしても、党員として「はいわかりました」と言って従ったのは間違いないことですから、そこに主体性の大きな問題があったことは否めません。
どうしてそんなことに多くの党員が従ってしまったのか、というところをえぐらないと、ただの昔話になってしまいます。「自分ごと」にならないわけですね。
「党中央の多数派が分派をつくる」という今にもつながる話が削ぎ落とされている
特に、「党中央の多数派が分派をつくって組織全体を私物化してしまう」というのは、今にもつながる重大な組織の病理です。
そして不破さん自身が
全体としてのスターリンへの信頼は絶大で、こういう人物が間違うはずはない、と本気で思っていたものです。(不破前掲p.191)
と語っているように、党員が心の中に「知的権威」として築いてしまった人たちからの指令に抗えないという問題、そこに全てを委ねてしまう心性は、今日でも考えなければならない深刻な問題ではないでしょうか。
私は、自分が不当に排除される中で、まわりの党員・議員たちが、私をめぐる事情についてほとんど何も知らないのに(調査中なのですから知らされていないし、知らないのが当たり前なのです)、党幹部のいうことに「賛成」をして、私を吊るし上げたり、セカンド・ハラスメントを浴びせたりする隊列に加わっていた光景を忘れることはできません。
また、私を“打擲”する現場にいなかった党員であっても、「どんなに理不尽であっても党幹部のやること・言うことをまず信じて従うべきだ」という心情を吐露されることが多かったですね。特に高齢の方ほど。だから「とにかく謝って折れたほうがいい」という「屈服のススメ」をしてくるわけです。
そして、50年問題で打ち立てられたはずの「内部問題は党内で解決する」という原則が、現代ではまるでその教訓が完全に忘れ去られたかのように、全くあべこべに解釈されてしまう問題などが引き起こされてきました。
党の中枢に多数派による分派ができているのではないか?
この恐ろしい事態が現実に起こり、歴史の教訓として示したのが50年問題だったはずです。それは全党の力でその病巣を剔出する以外に解決しようがないのです。「いつかは幹部は間違いに気づいて立ち直る自動制御装置が作動する」ということが起こらなかったのが50年問題で、議席がゼロになり、国民の信頼が失墜し、党の大半が壊れてしまうところまで行ってしまったわけです。
50年問題の端的な規定が党史からなくなり、あってもソ連・中国の干渉の記述が過大になって、党中央の多数派が分派をつくって党を壊した、という肝心な部分が(本質規定から)消えてしまっているのは、党幹部の中に、そこに触れたくないという気持ちがあるせいではないかとさえ思っています。