以下は昨日(12月9日)付の朝日新聞コラム「天声人語」の一節です。
「天声人語」で読む香港の事態
天安門事件で中国共産党政権に失望し、粛清を恐れて英国領だった香港に亡命した許家屯氏の言葉を紹介しています。
「正しい心は人心にある」。彼は事件について回顧録に記している。力で異論を封じても、民意は必ず、何が正義か見定める、これを弾圧する政治は続かないとの意味である。
その上で、コラムは先日の香港の立法会選挙を次のように評します。
党に忠誠を誓い、「愛国者」と認定されなければ立候補できない歪んだ選挙である。政府は躍起になって投票を促し、棄権を呼びかけた市民は逮捕された。それでも人々は動かず、投票率は31.9%にとどまった
そして、香港でのマンション火災で、再発防止のための請願する運動を弾圧する当局の動きに触れて次のようにもコラムは書いています。
政治を問う世論調査もできず、責任追及を訴え、署名を集めようとした人は拘束され、支援ボランティアは排除された
この文章の描写を私が紹介すると、今も日本共産党で活動しているある人は「あなたは日本共産党の今の幹部たちを暗に批判しているのか」と私に向かって言った人がいます。
今の文章には「共産党」という文字はありますが、どこにも日本共産党という文字はありませんし、内容も日本共産党について書いたものは全くありません。何も手を加えていない、ただの引用にすぎません。しかし、香港の情勢に思いをめぐらせるだけで、その人にとっては、心のアラートが鳴り響き、「これは日本共産党の幹部たちの振る舞いそのものではないか! それを痛烈に批判しているッ…!」と動転してしまうのです。

古賀史健『集団浅慮』を読む
あるいは、先月(2025年11月)刊行された本で、中居正広氏が性暴力をした疑いにかかわってフジテレビの対応を分析し、それを題材にして「優秀な人」の集まりであるとみなされている集団がなぜ愚かしい選択をしてしまうのかを書いた古賀史健『集団浅慮 「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか? 』には次のような一節があります。
くり返すが凝集性とは、メンバー間の結束力、団結力、一体感などを表す言葉だ。シンプルに「仲の良さ」と言ってもよく、〔「集団浅慮」概念をつくったアーヴィング・〕ジャニス自身、そこにあるのは「リラックスした陽気で友好的な雰囲気」であり、「クラブのような雰囲気」だと述べる。内輪ノリや業界ノリが支配する、ある種の選民意識にもつながる居心地の良さがあるわけだ。
そして彼らは、その居心地のよさを優先するあまり、インフォーマルな規範をつくり、全会一致を強く求める。逸脱者を許さず、ストレスフルな言い争いを避け、「これでいいんだ」と自らを信じ込ませる。
激しい議論は「クラブのような雰囲気」にそぐわない。批判や対立は、愛社精神を揺らがせる。逸脱者の存在は自らの正しさに疑念を生じさせ。過度なストレスを呼ぶ。そして日本的とも言える特徴を付記するなら、全会一致である限り、誰も責任を取る必要がない。(古賀前掲書Kindle107/221)
そして、そうした集団は「不敗神話」を持っていると、指摘します。
…なにをやってもうまくいった時代があり、急成長した時代があり、また現在も好調を維持していたりするのかもしれない。
集団浅慮は、この「不敗神話」をくすぐってくる。
自分たちが負ける(失敗する)なんてありえない。きっとこのやり方(往々にしてこれまでのやり方)でうまくいくはずだ、いろいろあっても最後には勝つはずだ、なぜならオレたちは「オレたち」なのだから——。(同前110)
そして自分の道徳性・倫理性への強い信念があるのだと言います。
しかし、自らの善良さに関する揺るぎない信念は、「倫理的葛藤」を最小化させる、とジャニスは指摘する。いや、むしろ倫理的葛藤から逃れるために、自らの正しさや善良さを信じ込むのかもしれない。…
「われわれは善良な賢い集団である」
「われわれは正しいことをしている」
メンバーの大多数がそう確信している組織があったとしたら、それは集団浅慮に片足を突っ込んでいることの表れと言えるだろう。(同前112)
これはほんの一部です。
この本のそこかしこを、先ほどの「ある日本共産党員」の前で読み上げると、また同じ反応を示しました。「また、あなたは日本共産党の悪口が言いたいのか」と。
私は日本共産党のことなど何も書かれていない、昨今話題になっている記事や文献を紹介しているだけです。
しかし、私がそのことを引用——切り取って言及するだけで、聞いていたその人はそういうニュアンスを、勝手に帯びさせてしまうのです。それはまさに現実と、その人の心を、鏡のように映し出しているのだろうと思います。
そして、そのような文献を紹介することは、日本共産党に対する強烈な攻撃なのでしょうか。
前にも申し上げましたが、共産党幹部は、私が実名・筆名のブログで単なる本の紹介をしたり、一般論を書いたり、あるいは日本共産党のハラスメント政策を紹介しただけで、それを「共産党の県三役への攻撃」だと断定し、私の除籍理由の一つにしました。
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」という句を思い出します。

次回の期日ではまだ問われませんが、今後私が原告となった裁判(共産党不当解雇裁判)の中でこれらのことも、問われてくることになります。
