私の共著本が出ました

 共産党の除名・除籍の問題にかかわり、私が共著で出すことになった、『松竹さんを共産党に戻してください 除名撤回裁判を応援します』(あけび書房)が手元に届きました。

 共著者として名前を連ねている方は、内田樹さん、池田香代子さん、伊藤真さん、上瀧浩子弁護士など、高名な方ばかりです。本の中では、私の裁判の報告集会に来ていただいた過労死裁判で有名な川人博弁護士、足立区長として活躍され私も選挙を応援したことがある吉田万三さんの発言も収録されています。

 私の裁判でも弁護団長を務めていただいている平裕介弁護士も共著者の一人です。

 これらの人々と一緒に本が出せて光栄です。

 そして、本書は私が実名(神谷貴行)で書いた初めての本でもあります。

 

 私はもちろんですが、共著者のみなさんも、日本共産党に敵対するのではなく、期待し、立ち直ってほしいという気持ちを込めていると感じました。

大村湾

 

傾向経営をどう見るか

 私の書いた部分は京都で行われたシンポジウムでの発言を加筆・補正したものです。SNSで述べたように、私の事件のポイントをそこで端的にまとめていますが、特に「傾向企業」「傾向経営」についての論点は、他では述べていないことです。

 「傾向経営」というのは、例えばある宗教団体における職員はその宗教を信仰していることが前提となる…といったような、最初から思想・信条についての選別をしている経営体のことです。

 1969年に日中旅行社事件という裁判があり、中国や中国共産党との関係を第一にする人しか社員にはなれない、中国にまつろわない自主独立の日本共産党のメンバーやその支持者は解雇されて当然だ、という主張がされた裁判です。

https://www.zenkiren.com/Portals/0/html/jinji/hannrei/shoshi/00042.html

 

 いわば日本共産党が攻撃された裁判例で、まさか日本共産党幹部がこれを持ち出してくることはないし、結局「解雇は当然」という訴えは認められなかった事件なので取り上げられはしないだろうとは思っていますが、「何をしてくるかわからない」状態なので、私は十分気をつけていました。

 そのことを、シンポジウムで上瀧弁護士から質問されたので、それに答えています。

 私の弁護団と相談した回答ではなく、法律の素人である私の、その時点での意見でしかありませんが、興味のある方はぜひその部分をお読みください。

長垂山(福岡市)付近

内田樹さん「共産党は困って悩んでいい」

 本書で他の共著者の皆さんからはさまざまなことを学びました。

 ここで全部取り上げては、本の価値がなくなってしまうので、ごく部分的な紹介にとどめますが、二つだけ。

 

 一つは、内田樹さんの「共産党は困って悩んでもいい」という意見です。

僕は日本共産党に対してですね、政党としてもっと成熟して欲しいということをつねづね申し上げているんです。成熟するというのは、「困ることができる」、「悩むことができる」ことだと思うんです。問題が解決できずに当惑している姿をそのまま見せることができるというのが成熟の証だと思うんです。(本書p.26)

 これは私の考えていたことを、見事に言語化してくれたものでした。

 「敵の攻撃をはねかえし、つけいるスキを与えない」という理由で、民主集中制の現状維持に固執する(改善や発展を否定する)意見がありますが、内田さんの意見はそうした考えに対して、実に柔軟な角度から問題を提起していると思います。

 その後に、自民党が「困惑を国民に見せる」様子、「困り顔」が素敵なハリウッドの俳優たちの話が入って、その思考の柔らかさがきわだっています。

 これは国民が政党を理解していく上での民主主義の新しいあり方の一つとして問題提起されていると感じました。

 実際にお読みいただいて、そのことを味わってもらえたらと思います。

生の松原(福岡市)

伊藤真さん「司法による少数者の人権救済としての政党統制」

 もう一つは、「政党には結社の自由があるから、内部問題は自治的に解決する。司法や国は介入するな」という「部分社会の法理」と呼ばれるものについて、伊藤真さんが整然と意見を述べていることについてです。

 伊藤真さんは弁護士でもあり、同時に法曹の養成として有名な「伊藤塾」を開いている方でもあります。「しんぶん赤旗」にもよく登場されます。

 これ全体は裁判で提出してもいいような、体系的で堂々たる意見書になっており、そのまま読めば問題を深く理解することができると思います。

 私がその中でも特に注目したのは、「政党の統制」ということです。

 政党に司法を含めた国家権力が介入することを「危険」だと考える意見があります。だから、「政党の問題は政党にまかせるべきで、司法は口を出すな」という意見になるのです。

 これは私もよくわかります。

 反政権の政党は取り締まるというロシアや中国のありさまがいかに危険か。

 それだけでなく、日本では、まさに当の日本共産党が戦前は「国体を否定する結社」として徹底的な弾圧にさらされてきたからです。まさに憲法の保障する結社の自由をふみじる恐れがあります。

 私が裁判を起こしたことでも「裁判でカタをつけるなんて、国家権力の介入をまねくではないか」と言われましたが、私とは別に共産党を除名された松竹伸幸さんの事件は解雇などがからまない事件だっただけに、なおさらそういう批判が寄せられました。

 伊藤さんはこの問題を取り上げています。

 政党は政権を担う可能性もあることを指摘した上で、自主的・自律的・自治的であることと、一定の規制をどう両立させるかを二つの方法で考えます。

 一つは、立法による統制です。ドイツを例にとっています。

 もう一つが、司法による統制です。

 立法による統制が多数派に都合のいい統制になりやすいのに対し、司法による統制は、少数者の人権保障が中心になります。

 つまり、まったく無制限に政党の自主性にまかせると、政党という巨大組織での人権侵害を放置してしまうけど、司法が少数派の人権を救済することはきわめて限定的にできるという論点だと読みました。

 立法・行政による統制と区別して、司法による少数派への限定的な人権救済をすることを考える視点は、私には大変有益なものだと思いました。

 ですから、政党法などの法律をつくって内部的な組織運営をコントロールしようとすると、その時々の多数者による支配、多数派に都合のいい政党法というものができ上がってしまうおそれが生まれます。そのため、この立法による統制方法は極めて慎重でなければなりません。

 それに対して司法による統制ということを考えた場合には、少数者の人権保障が司法の重要な役割であることを想起しなければなりません。(p.119)

立法権・行政権という権力の介入と司法権の権力の介入とでは、その目的、影響、効果がまったく違うではないかということです。(p.119)

 

 くり返しますが、本書の論点はもっと豊かなものです。冒頭のあいさつで松竹伸幸さん自身が「本書は、そういう点で、私の除名の是非という狭いテーマを議論する本ではありません」(p.6)と述べているように、その全体の豊かさは、実際に本を手に取って感じていただければと思います。