高島市長に公開討論を申し入れ

 今日私は、市民が主人公の福岡市をめざす市民の会の代表委員の皆さんといっしょに、高島宗一郎市長あてに公開討論の申し込みをしました。

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 以下は申し入れの全文です。

 

2018年10月16日

福岡市長 髙島宗一郎様

  市長予定候補 かみや貴行

  市民が主人公の福岡市をめざす市民の会

  中央区舞鶴3-1-15

  751-1511(090-××××-××××)

 

公開討論の開催についての申し入れ

 

 こんにちは。

 こんどの11月18日の市長選挙に向け、私と高島さんが出馬を表明していますよね。

 おそらく一騎打ちになります。

 西日本新聞(10月4日付)が「『高島路線』の評価争点に」と書いたように高島さんの市政を続けたほうがいいのか、変えたほうがいいのかが大きな争点になります。高島さんの市政をチェックするとともに、私の対案も試されることになります。

 もし二人でじっくり討論をして、それが新聞やテレビ、あるいは少なくとも公開の場で市民のみなさんに見てもらえたら、市政のこれからを真剣に考えてもらう、またとないチャンスだと思われませんか。

 公職選挙法には「常にあらゆる機会を通じて選挙人の政治常識の向上に努める」という文言がありますが、この考えは私たち予定候補でも同じだと思います。

 もしわかりやすく二人で話すことができれば、どちらが当選するにしても、それだけたくさんの市民が真剣に市政のことを考え投票してくれることになります。これは本当にすばらしいことではないでしょうか。

 そこで提案です。高島さん、私と「公開討論」をしてくれませんか。

 実施日時、会場、主催者、運営のあり方などは、双方で相談し、合意して進めさせてもらえればと思うのです。場合によってはメディアに間に入っていただいてもかまいません。もちろん、ほかの形でも。

 実は、どこへいっても「ぜひ高島さんとあなたで公開討論をやるべきだ」という声をいっぱいいただくのです。別に私の支持者というわけでもない人からも。これは本当に待ち望まれていると思います。

 ぜひ、ご検討、よろしくお願いいたします。

 追記:今週中(19日)にご回答いただければ幸いです。

 

 高島さん、ぜひご返事よろしくお願いします。

 

 

意見が合わない相手に会うということ

 自分と意見が合わない相手に対して会おうとしない――この批判は、今の市長さんについて、町内会などを歩くとよく聞く話です。

 昨日も、市民運動をしてこられた、ある高名な学者の方にお会いしたとき、「私たちは何度面会を申し入れても結局会うことはできなかった」と現市長さんについて失望を述べられていました。

 

 私は記者会見で「注目する3人の地方政治家」として、自民党出身の故・翁長雄志・沖縄県知事をあげました。その翁長氏の著書、『戦う民意』(KADOKAWA)には、橋本龍太郎自民党総裁と会うシーンが次のような形で出てきます。

 私たちが基地問題を話すため、自民党の総裁室に伺ったときのことが思い出されます。 二〇~三〇組が並び、五分ずつぐらいでどんどん案件が片付けられていきます。私たちがあと五番目まで来たときに、「沖縄さん、後ろに並んでください」と一番後ろに回されて、「あれ、変だな」と思っていました。すると全部が終わった後に橋本総理が来て、「沖縄を五分で済ますわけにはいかないからね。最後に回ってもらったよ。最終便、大丈夫かな」と声を掛けられて、それから一時間ほど話しこみました。

(翁長前掲書Kindle の位置No.577-58)

  ここには、橋本氏がまあどういう立場の人であっても5分くらいは会って話を聞いている様子がわかります。そして、沖縄問題のようにかなり微妙な問題は、会うのを避けるのではなくむしろ時間をとってゆっくり話しているということもわかります。

 橋本氏がいつもこうだったかどうかはしりませんが、そこには保守政治家、特に政治が立場の違う人たちの調整機能であることを十分に踏まえた対応が見て取れます。

 

 また、下記は、やはり私が注目すべき3人の地方政治家の一人としてあげた、自民・公明推薦の潮谷義子熊本県知事の写真です(一瀬文秀『潮谷義子聞き書き 命を愛する』西日本新聞社、p.207)。

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 この写真は、水俣病の裁判で、国・県の行政責任を認めた判決を不服として熊本県として上告をしてしまい、最高裁で県が完敗した後の原告団との面会の様子です。

 潮谷氏がひどくうなだれているのがわかると思います。

 原告団の中には潮谷氏のよく知っている人たちもいて、本当は懐かしく嬉しいのですが、実際には原告団から厳しい批判を浴びせられました。同書には、潮谷氏のその苦しい胸の内が書かれています。

「知事は県民のお母さんだから、上告しないでくれとお願いしたが、だめだった。その後は面会もできなかった」。温厚な川上団長が私を責められました。原告団が求める国の認定基準の見直しに、県として対応するのは「難しい」と言い、席を立つ私には厳しい言葉が浴びせられました。

 「まだ患者の気持ちが分からんのか」

(一瀬前掲書p.207)

 結果的には潮谷氏の行動は水俣病患者を裏切るものでした。

 ただ、そこに誠実な苦悩があり、少なくともその苦悩のままに、2004年10月19日、完敗した後に潮谷氏は知事として原告側に会っているのです。

 敗者として、そして責任者として、耳の痛いことを聞く現場に現れ、そのように告げるということは並大抵のことではないと想像します。狼狽し、無様で、かつ冷酷な姿をさらけ出さなければならないからです。

 それでもそこの場に立つというところに政治家として、立場を超えて一つの誠実性を見ないわけにはいきません。

 

 私が市長になったときそれができるか、というとなかなか難しいかもしれません。が、できるだけ立場の違う人には会いたい。長時間話すことはできないかもしれないけど、短い時間でも会って話をしたい。

 

 ですから、高島さん。

 短い時間でも結構です。お会いして公開討論しませんか。

 (いや、もちろん、長い時間がベストなわけですけど。)