「内部問題は内部で」の元々の意味

 日本共産党規約にある「党の内部問題は、党内で解決する」(第5条(八))はもともとどうして生まれたルールでしょうか。

 このルールは今や、宝塚のハラスメントにおける「外部漏らし」や兵庫県庁の内部告発の「犯人探し」と同じように、党内不祥事を隠蔽する道具になりつつあります。後述しますが、ルールの問題ではなく、このルールの意味を理解せず党幹部が運用をデタラメにしていることが原因だと思います。

 そもそもどんな必要から生まれたルールなのかを理解しないと、ルールが教条化し独り歩きして、“どんなことがあっても外に出さないことが正義”のようになって、悪用・濫用がまかり通ってしまうのです。

福岡市中央区妙法寺

 党員の中にはこのルールを、

  1. 企業における情報漏洩対策
  2. 権力に対する組織防衛

のように考えている向きがあります。

 1.は例えば党員や読者の名簿、機密性の高い議事録を外に漏らしてはいけない、というものです。2.は党内事情を公安警察などに知られないようにする、というものです。

 しかしどちらも「党内で解決する」という文言にはそぐわないなと思うのではないでしょうか

 単純な「党内秘密を外部には漏らさない」ということであればそう書けばいいわけですし、1.や2.に対応するルールは他の条文や法律に存在します。

 1.にあたる個人情報などの管理は法律で規制されていますし、法で規制されていないレベルの保護(例えば数人の名簿など)はむしろ規約第5条(一)が定める市民道徳・社会的道義の範疇です。また、文書についても、どれを非公開とするかは文書ごとに決定して、その趣旨を明示させておくべきものです。

 2.は例えば党員名簿を故意に公安警察などに渡した場合は、規約第5条(二)の「党に敵対する行為はおこなわない」に該当するでしょう。*1

 いずれにせよ、これらの事態は、「党の内部問題は党内で解決する」という条文で対応するのは適当でないことがわかると思います。

 では、このルールは一体どんな事態をイメージして生まれたものだったのでしょうか?

 

もともとこのルールは「五〇年問題」の深刻な反省から生まれた

 もともとこのルールは、日本共産党が陥った党史上最大の悲劇である「五〇年問題」から生まれた教訓の一つです。「五〇年問題」は、1950年に日本共産党の指導部の多数派が、ソ連・中国の共産党指導部からの干渉に内通・呼応して、中央委員会を解体し、党を分裂させた問題だとされています。

 日本共産党の第7回党大会決定(1958年)では、この問題を四つの教訓にまとめました。

 その「第四の教訓」がこれなのです。

党内の対立と分裂を大衆団体内にもちこみ、その対立と分裂をもたらしたというあやまりは、基本的には分裂によって大局的な観点を失い、党と大衆団体を混同したところからきている。このことは大衆団体の正常な発展を破壊し、わが国の労働運動、農民運動、平和運動、青年・学生・婦人運動、文化運動などに大きな損害を与えた。いかなる場合にも党の内部問題を党外にもち出さず、それを党内で解決する努力が必要である。これがわれわれの学ばなければならない第四の教訓である。(「第七回党大会 中央委員会の政治報告から」/『日本共産党の五〇年問題について〔増補改訂版〕』新日本出版社、p.31-32)

 党の正式な党史である『日本共産党の百年』(2023年)には、これをまとめて次のように書いています。

党の分裂が大衆団体の正常な発展を破壊した経験にたって、内部問題を党外にもちださず、党内で解決する(『日本共産党の百年』p.124)

 党中央委員会の無署名論文である「戦後の文化政策をめぐる党指導上の問題について——文化分野での「五〇年問題」の総括——」(1979年)でも同様です。

党と大衆団体の混同をいましめ、いかなる場合にも党の内部問題を党外にもちださないこと(前掲『日本共産党の五〇年問題について〔増補改訂版〕』p.212)

 

「党と大衆団体の混同をいましめ…」が必ずセット

 お気づきの通り、どの文書にも“党と大衆団体を混同をいましめ…”、“党の分裂を大衆団体にもちこみ…”のような文言とセットで“党の内部問題は党外に持ち出さず、党内で解決する”というルールが語られていることがわかると思います。

 そうなのです。

 党内で多数派による派閥ができて、少数派に属している「排除したい人間」が生まれます。その「排除したい人」が大衆団体(労組、業者団体、青年団体、女性団体…)で活動していた場合、多数派のメンバーは、党内だけでなく、そうした大衆団体の中で、「排除したい人間」のいじめや排除をやろうとするのです。

 党内で排除されていた神谷さんが俳句サークルに属していたとします。

 そこに党内多数派のCさんも同じ俳句サークルに属していたとしましょう。

 Cさんは、俳句サークルで、「神谷は俳句文化を理解しない人間だ」と主張しだして、なんと俳句サークルから神谷さんを除名する決議をしてしまう…こういうことが「党と大衆団体の混同」であり、「党の内部問題を党外に持ち出す」ということでした。

 いくら党内で排除したい人間(あるいは党内で処分された人間)だからといって、そういう党内での問題を党外の団体にもちこんではいけないということなのです。*2

 日本共産党が50年問題から教訓を導き出した1958年の第7回党大会で採択した党規約(2条(九))に、それまでなかった「党の内部問題は、党内で解決し、党外にもちだしてはならない」が初めて入ったのです。

 

 

実際にどんなひどい「問題の持ち込み」をやったのか

 実際に五〇年問題のころ、日本共産党や大衆団体の中でどんなことが起きていたのかを、先ほどの「戦後の文化政策をめぐる党指導上の問題について」から拾ってみましょう。

 

 党中央の分裂は全党の分裂に発展し、文化団体をふくむ大衆団体の分裂にまでおよんだ。…徳田〔球一〕らの〔党〕指導部は…徳田、西沢〔隆二。徳田の女婿〕らに同調するものだけで構成された…〔党の部局として〕「中央文化部」を任命した。…この新しい「中央文化部」の指導のもとに文化運動の分野での分裂が促進されたのである。

…西沢らの指導する「中央文化部」は、それが設置された後の〔1950年〕八月に、演劇の分野で村山知義の指導下にあった新協劇団を分裂させて、新しく「劇団中央芸術劇場」(中芸)を創立させ、川尻泰司の指導下にあった人形劇団プークを分裂させて、「劇団人形クラブ」をつくらせた。また彼らは、彼らの指導にしたがう劇団や文化工作隊を結集させた「人民演劇集団」なるものをつくって、村山や川尻や、また当時民主的な演劇鑑賞団体として存在していた東京演劇協同組合の皆川滉らを、逆に「分裂主義者」として攻撃し、俳優座文学座、民芸なども「技術偏重主義」の劇団として非難した。そしてこれによって、これらの劇団と劇団人に党そのものへの深い不信の感情を抱かせ、東京演劇協同組合も分裂の後に壊滅させられてしまった。(同前p.191-192)

 

 文学の分野では、西沢の策動によって、この年の十一月に『人民文学』を創刊させ、それを『新日本文学』に対抗する民主主義文学運動の分裂的な拠点とし、江馬修、島田政雄、徳永直、岩上順一、豊田正子などをそこに集め、宮本顕治、蔵原惟人、宮本百合子らにたいする悪罵と中傷を組織した。とくに宮本百合子にたいする中傷はまったく常軌を逸するものであった。

 こういうなかで宮本百合子は翌五一年一月二十一日に病気のためこの世を去った。…ところが『人民文学』の編集部はその三月号に「宮本百合子について」の特集をおこない…そこには次のような数々の破廉恥な言葉が並べられていた。…「…彼女は階級敵であり、帝国主義の血まみれの手に恐れもなくつながったのである」…「…ブルジョア文壇に奇食し、プチブル的生活を維持しつづけることに成功した才能あるペテン師であった…」「このようなけしからぬ作家を、小林多喜二とならべて、革命作家の列のうちにおくことは、まったく正気の沙汰ではない…」(同前p.192-193)

 これはほんの一部です。

 どうでしょう。

 党と大衆団体を混同し、党の中の問題を大衆団体に持ち込んで、大衆団体をめちゃくちゃにしてしまったことが、どんなに罪深いことか、これだけの抜粋でもおわかりいただけるのではないでしょうか。

 このような「五〇年問題の痛苦の教訓」から生まれたのが「党の内部問題は党内で解決する」という本当の意味、もともとの意味なのです。

 私がこのルールの名で嫌疑をかけられた「党の決定を県民に知らせる」とか「党の会議の様子を外で話す」とか、そんな類の問題ではないことがわかると思います。

福岡市東区筥崎宮

いま党幹部が民青にやっている仕打ちそのもの

 それどころか、「党と大衆団体を混同し、党の中の問題を大衆団体に持ち込んで、大衆団体をめちゃくちゃにしてしまっている」と聞いて、このブログをお読みのみなさんはピンと来たかもしれません。

 そうです。

 福岡県で党幹部が民青に対してやっていることそのものですよね。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 民青で起きている問題なのに、党幹部が介入して、党幹部の勝手な党規約の解釈で民青同盟内の党員を裁き、しかも民青でさえまだ判断していないことを「民青のルールを破った」と言って、党のルールで処断したのです。

 どこからどうみてもこれは「党と大衆団体を混同」し、「党内の対立を大衆団体にもちこんだ」、あまりにも見事すぎる事例です。

 今の党幹部たちは、徳田分派が五〇年問題でやらかした「党内問題を党外に持ち出す」という違反を、堂々とやってのけているわけです。自分たちがその原則を振りかざしながら、その原則を踏みにじっているという戯画そのものです。

 その結果、民青同盟福岡県委員会には、深刻な危機が生み出され、取り返しのつかない不信がばらまかれてしまっているのです。

 

 党幹部はなぜこの規約の条文が生まれたのか、知らないのかもしれません。それとも知っているけど意識的に無視し捻じ曲げたのでしょうか。どちらかはわかりません。

 日本共産党第29回党大会決議(2024年)は「すべての支部と党員が、党綱領、党規約、党史科学的社会主義の一大学習運動にとりくむことを呼びかける」ことを決定しました。

 党幹部こそ、まず党史を学び直し、党を深刻な危機に陥らせた五〇年問題の教訓を体に刻みつけ、直ちに自分たちの誤りを是正すべきではないでしょうか。

*1:過失で名簿を失くしたりした場合はまた別の考え方があるでしょうが、私が学生の頃はそれで除名された人がいました。

*2:先日も私を招こうとしたある党外の団体で「神谷さんを学習会に呼びたいけど、神谷さんは党を除籍された人なので、そんな人を呼んだら党内で吊るし上げられる…」ということでおじゃんになったという話を聞きました。そういうとこだぞ。