私はなぜあのブログ記事を書いたか——党規約にそい、大会決定を実践するもの

 私がどういう意図で本年3月5日付のブログ記事を書いたのかをお話ししておきましょう。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 結論から言えば「日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解してもらい、『共産党だから支持する』という積極的な支持者をうまずたゆまず増やしていくことが躍進のカギをにぎる」という第28回党大会第二決議の実践そのものなのです。

 

批判の中で生まれる社会科学

 社会科学は教科書のように体系が描かれるのではなく、多くは、それまであった古い考えや間違った考えとの激しい論争の中で、新たな体系を生み出すという形で生まれてきます。マルクスの『資本論』もそうです。あれはマルクスの考えを教科書のように羅列したものではなく、それまでの経済学を批判して書かれた本です。『資本論』の副題が「経済学批判」になっているのはそういう理由からです。  

 同じように、共産党の決定も社会科学の文献です。*1

 過去のすぐれた決定は、党内外の激しい論争の中で生み出されたものが少なくありません。例えば、宮本顕治の『日本革命の展望』には61年綱領制定時の論争に答える形での中央報告が収録されています。革命戦略における間違った考えを批判しながら、新しい綱領の考えを説明しています。決定の中に「批判」と「積極的な叙述」がセットになっています。

家の近くの公園の濠のハス

 近年でもこうした「間違った意見への批判を書いた決定」は数多くあります。

 現在の綱領への改定を提起した第22回党大会7中総の決定の一部を例にあげます。

www.jcp.or.jp

 当時の不破議長が多くの異論に答える形の記述になっているのがわかると思います(この発言は「決定」扱いになっています)。この決定の中には採用を拒否された意見、すなわち間違った議論もたくさん入っています。例えば原発について具体的に記述せよとか、宗教者を統一戦線の対象として名指しして入れよとか、全体の記述の構成をかえよ、などといった意見です。

日隈さん(中央)から、宗教者との対話・交流がこれだけ大きく発展している今日、統一戦線の対象に宗教者が入っていないのはどうか、という指摘がありました。気持ちはわかりますが、ここにはきちんと考えなければいけない一つの問題があります。

〔…中略…〕

 宗教者という集団が、集団として、統一戦線の側にくわわる根拠となるような共通の利害をもった集団かというと、そういうことはないのです。多くの宗教者が私たちとの対話に応じ、私たちの事業に力を貸してくださっている、これはたいへんありがたいし、すばらしいことですが、それは、基本的には、一人ひとりの宗教者の方の信念からの行動であって、そこに、宗教者全体の共通の利益があるからではない、と思います。現実に日本の宗教界にさまざまな流れがあり、いろいろな世界観があることは、宗教委員会の方がたは重々ご承知のことです。もし私たちが、統一戦線を構成する諸勢力のなかに、宗教者をまるごと入れてしまったら、これは、かえって、やってはいけない、おこがましいことをやったということになるでしょう。宗教委員会の方がたが多少さびしい思いをしても(笑い)、ここはスジを通さないといけないところだ、と思います。

 読んでもらうとわかりますが、「なるほどそういうことか」とつい読んでしまう中身でしょう? 非常に面白いし、興味が湧くし、理解が進むのです。もちろん、「不破さんは『宗教者を統一戦線の対象に入れないのはいかがなものか』という日隈さんの間違った意見を紹介し広めている」などと難癖をつける人はいないと思います。

 私は前々からそう思っていたのですが、こうした論争の痕跡が決定に残っていることは、情勢のどういう問題と格闘してこの決定が出来上がったかを理解する上で大変役に立つと思ってきました。また、何よりも、党内では自由な討論が行われているという民主主義を示す上でも、この上ない証拠だと感じていました。そのことを、討論を紹介しなくても、決定を紹介するだけで理解してもらえるのです。

 「共産党は一枚岩で、上の言ったことに無条件で従う」かのように攻撃されるわけですが、これに対して、「そんなことはない」と百の説明を尽くすよりも、みんなで決めた決定を紹介し、その決定に論争の痕跡が入っているだけで、党内民主主義を広く示すものになると思ってきました。

 今回がまさにそういうものでした。

 2月の県委員会総会では、私の意見は否定されたのですが、正直言ってそんなことはどうでもよくて、共産党ではそういう侃侃諤諤の議論が行われ民主主義が実践されていることが、(討論の内容を紹介しなくても)決定そのものの紹介だけでもわかると考え、ああいうブログを書いたのです。こういうスタイルの決定文書は、そういう意味ではとても「おトクな」決定文書なのです(討論の議事録を書き出して論争を紹介するという「規約違反」をしなくてもいいから)。

 討論の議事録などを紹介しなくても決定を紹介することだけによって、党内民主主義の姿を広く県民に理解してもらえる——これは規約と大会決定に沿った重要な実践であると私は考えました。もちろん、県総決定で「間違い」だとされた意見を広めることがないように、それが間違った意見であるという認識を共有し、その立場で実践していくことを明記しましたし、「間違った」とされた意見への反論を、結語はもとより、赤旗や志位委員長の記者会見から引用・紹介することで、10倍近い分量をとって載せるという念入りで丁寧なやり方をとったのです。

 第28回党大会第二決議では

日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解してもらい、『共産党だから支持する』という積極的な支持者をうまずたゆまず増やしていくことが躍進のカギをにぎる

という方針を打ち出しましたが、党内民主主義などの党の本当の姿を知ってもらう日常的な活動の一つとして、私はあのブログ記事を書きました。

福岡市早良区にある元寇防塁跡

 なぜ私があのブログの記事を書いたかをもう一度まとめますが、「2月の県委員会総会の決定を紹介することは党内民主主義の豊かなありようを広く県民に知ってもらう、しかも規約を守りながら知ってもらう最善の方法だと確信し、あのブログ記事を書いた」ということです。

 したがって、私のブログ記事は規約を守り、「日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解してもらおう」という大会決定にもっとも忠実な、実践の最先端を行くものだと思っています。しかも反対意見を述べて否決された人が不貞腐れて不満をぶちまけるのではなく、ともに実践していくことを決意しているのですから、日本共産党の姿を正しく示す良い見本になると思いました。 

 

ブログ記事は党規約に沿ったもの

 もちろん、私のブログ記事は党規約に沿ったもの、規約の範囲内のものです。「今から分かりやすくて面白いことを書くから、規約を少しくらいハミ出ても許してね」という立場は絶対にとりません。

 私は、少なくとも党員としての私自身について、「多少は異論を党の外に出しても、組織は俺に寛容でいてくれよ」という立場を現在とっておりません。規約は厳格に守られるべきです。*2その立場から言って、私の3月5日のブログ記事は1ミリも規約からはみ出ていません。

 要点だけ簡潔に示しましょう。

 

(1)「決定に反する意見を勝手に発表」していません

 私の記事は決定に「反する」どころか、県委員会総会の「決定そのもの」を紹介することを目的にしたブログ記事です。総会決定自体が、私の元の意見への痛烈な批判ですし、ブログ記事には“私の元の意見は「間違っている」という認識を共有する”と、ちゃんと書いてあります

 そしてただ「間違っている」と「ちょろっと」書いてあるだけでなく、元の私の意見(約1000字)を、そのブログ記事の中で3倍(約3000字)の分量で批判しています。リンク先を入れれば10倍(約1万字)の分量で批判しています

 「決定に反する意見」を徹底批判しているとさえ思います。これほど丁寧に「間違った」とされた意見を批判しているブログ記事を見ることは、なかなかないでしょう。

 謬論(間違った議論)を批判する文章なんて世の中にザラにありますが、もしも、その文章で批判されている謬論部分だけを切り出して「この文章は謬論を書いている!」などと言い出す人がいたら、残念ながらその人は文章読解力がゼロなのだと思わざるをえません。

 

(2)「党内の内部問題を勝手に外に出して」いません(決定編)

 「県委員会総会の決定は県民には秘密だ」という謎理論を唱える人がいるかもしれませんが、そうしたルールは規約には書かれていませんし、そのような内規も存在しないことを党機関に確認しています。*3

 「大軍拡反対署名を広げよう」「給食無償化の世論を県内に起こそう」という県委員会総会決定は何ら非公開・秘密ではありませんでしたし、私も周りの党員も、みんなフツーにハンドマイクや宣伝カーで大音響でしゃべっています。「松竹問題をきっかけにした共産党についての誤解を解こう」というのも同じです。秘密でもなんでもありません。*4

 

(3)「党内の内部問題を勝手に外に出して」いません(討論編)

 「県委員会総会の他人の発言や討論を勝手に外に出しているのではないか?」という方が1人だけいましたが*5事実の問題として、私はそのような他人の発言や討論はどこにも書いていません。他人の討論の内容を書いたとも記していません。

 その方が「この部分は他人の討論を紹介した部分ではないのか」と私に尋ねてきた部分を拝見しましたが、そこは全部赤旗」の記事をコピペした部分でした。「それ、コピペですよ」と申し上げたら、その方には納得していただけました。

 「他の人の討論内容を外に持ち出している」という人がおられたら、総会の議事録に照らして、誰のどういう発言を私が持ち出しているか、具体的に示していただければと思っています

 しかし、それはできないと思います。なぜならそのようなことは書いていないからです。私が書いてないものを、「これがそうだ」と指摘することはまず不可能です。

***

 いかがだったでしょうか。

 「他にもここが問題では…」って言いたい人がいらっしゃるかもしれませんが、私が今、理不尽にいじめられているのは上記の3点だけです。他は争点になっていません*6

 私はどこまでもきちんと規約を守る党員なのです。*7(本文終わり)

 

*1:第28回党大会第6回中央委員会総会結語 https://www.jcp.or.jp/web_jcp/2022/08/post-129.html 「中央委員会総会の決定というのは、社会科学の文献でもある」。

*2:もし規約を変えたいときは党内で努力して変えるべきだと現時点では考えています。

*3:「一般の会社でも取締役会で決めたこととか非公開に決まってるだろ」とかいう人がいるかもしれませんけど、一般の会社は会社法や社内規程に議事録の扱いについての明文の定めがありますよね。

*4:もちろん、例えば、ある会社の中の党員数や、どの人が党に入ったかなどは、公開されてきませんでした。

*5:党外の人。

*6:ひょっとして「ヒミツにしていたけどそういう規定が実はあるんだ」とか、「書いてない部分は全部中央が裁可するんだ」とかいう「主張」をする人がいるかもしれませんが、そんな「中央=全能の神」であるかのごとくの主張は論外として(五〇年問題は中央委員会多数派による暴走だったことを想起しましょう)、全く知らされていないルールや、後から作ったルールで、人を裁くことはできません。ちなみに付則である規約56条は「規約に決められていない問題」についてであり、万が一それを根拠に処分したらまさに「後から作るルール」であり、それを事前に行った行為の処分根拠にすることはできません。

*7:党規約についての一般論として言いますと、規約違反が正式に決定されるまでは、いかなる「容疑者」=「調査審議中」の党員であっても、その党員はニュートラルな存在です。「調査審議」のために必要な範囲で党員としての権利は制限され、例えば一定の会議に出席できなくなったり、党内の選挙に出たりすることができなくなったりします。しかし、それ以外は、自由に権利行使できますし、フツーに党員・市民として生活・活動できます。他方で、容疑をかけた組織の側は、正式に「規約違反」だとの決定が下るまでは、その党員の扱いを「慎重」にすることが規約で求められています。「調査審議中の容疑者だから」とか、「権利制限をかけている党員だから」とかいう理由で、「必要な範囲」を超えて党員としての活動を規制してはいけません。ましてや市民的な自由に属する活動を規制することは許されません(例えば、市民なら誰でも参加できるような集会への参加を規制したり、特定の市民と接触を禁じたりすることなど)。

この機会にお礼を申し上げておきます

 この間、本当にいろんな方から激励のメール・手紙・メッセージをいただいています。

 SNSでのリツイートとか、メンションとかも。

 目を通し、励まされています。

 オトナの事情で、一つひとつにはレスできませんが、ちゃんと届いていますので、ご安心を。この機会に深くお礼を申し上げておきます。

 もちろんリアルで会って、励ましや期待の言葉をくれる方にも感謝しています。

 

 

産経新聞の報道について&党規約のお話

産経新聞の報道について

産経新聞で規約問題に関する私についての記事が出ているようですが、事実の問題として、私は同社から一切取材を受けておりません。この件に関しては私個人ではなく日本共産党福岡県委員会にお問い合わせください。

↑ここはどこ?

 

党規約についての一般的なお話

以下、日本共産党の規約についての一般論を話します。あくまで一般的な党規約のお話です。 

www.jcp.or.jp


党の県役員(県委員など)の規約違反を認定し、処分を決める場合、規約ではメンバーが全員いる場所、通常は県委員会総会で決めます(51条)。

 

「調査審議」(48条)をしっかり行い、総会を開き、本人の「十分意見表明の機会をあたえる」(55条)などをちゃんとやって、違反の当否や処分内容が、構成員の3分の2以上の賛成で決まります(51条)。そこで初めて規約違反」と「決定」されます。

 

県委員会総会でその「決定」が行われるまでは、いくら規律違反の「容疑」があっても、党員としては原則としてニュートラルに扱われます(調査審議に必要な範囲での一定の権利制限以外)。このあたりは、司法とよく似ていますね。

 

「調査審議中」なのに、総会でもない場所で、勝手に他の党員が「あいつは怪しいんだよね」などと党内外でベラベラ喋ってはいけません。
規約で「規律違反の処分は、事実にもとづいて慎重におこなわなくてはならない」(49条)と厳正に定められているからです。「慎重」にね。

 

「調査審議中」に総会の場でもなく、党外つまり公の場でそのようなことを口にする党員や幹部がいれば、規約第5条(八)「党の内部問題は、党内で解決する」に真っ向から違反します。
ましてメディアにベラベラ喋ったらそういう幹部は規約違反で処分されるでしょう
うーん除名ですかね…?

 

「『メディアにベラベラ喋ってヨシ!』という組織決定をしたら、いいんだ」という言い訳も無効でしょうね。その決定自体が規約違反ですから。
例えば「銀行を襲え」という「決定」が無効なのと同じです。

 

「調査審議中」にメディアに聞かれても「党内問題なのでお答えできません」が規約の正解です。まあ、せいぜい「調査審議中であり詳細は控えます」とだけ答えるくらいでしょうか。
早くメディアに話したいなら、総会日程を倒して、早く規約上の決定を終わらせる以外にはありません。

規約を無視してメディアにベラベラ喋ったら、規約違反です。

 

追加(10月21日)

志位委員長も人事についてメディアからの取材に対し、次のように述べています

人事について問われ、「人事のことはノーコメント。私が勝手に言えません。大会で民主的に決めていきます」と答えました。

「大会で決めるからノーコメント」。さすが幹部会委員長。こういう態度が必要ですね。「まだ決まってないけど…」と付け加えれば「決まってないことを喋っていい」わけではないのです。例えば、

「あー、人事。人事ね。うん。あくまでも現段階で常任幹部会としては『案』として決定していることですが、私が引き続き委員長、書記局長には田村智子。こういうことになっております。繰り返しますけど、あくまで案ですよ。その案が実際にどうなるか決めるのは大会ですからね。オフレコでお願いします」

とか言ってはいけません

楽しくないことは持続できない

 今日付の「しんぶん赤旗」の党活動ページには「座談会『要求運動・「車の両輪」オンライン交流会で学んだこと」が載っています。台風の影響で紙面を公開しているので直接読めます。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2023-08-08/20230808-006.pdf

 「住民の中の要求運動に取り組む」ということは、日本共産党が民主主義革命をめざしている政党であることと、どのような関係にあるのでしょうか。また、それが日本共産党そのものを大きくすることとどう関係しているのでしょうか。

 

 日本共産党は今の日本社会を資本主義の深刻な矛盾にあるととらえるとともに、大企業・財界の利益を最優先するような政治や社会のゆがみ、アメリカに国家的に従属することで戦争にまきこまれる危険という二つの深刻な病理があると認識しています。

 そうした二つのゆがみの中で生きている国民の多くは、(本人が主観的にはどの思い、どのような党派を支持していようが、)客観的にはその二つのゆがみを根源とした、さまざまな政治・社会上の要求を持たざるをえない、と考えています。

 例えば、大企業が内部留保を巨大にため込む一方で、労働者の賃金が上がらず、特に非正規労働者最低賃金は「健康で文化的な最低限度の生活」を営めないほど低い。賃金を上げてもらってまともな生活がしたいな、という要求がそこには生じます(下記は田村貴昭衆院議員の質問パネルより)。

 あるいは、大企業の巨大なもうけにふさわしい負担・税金を、今の自民・公明政権は課しません。そうした中で教育へ回す予算は少なく、教育への公的支出は先進国の中でも異様に低くなり、大学の無償化は一向に行われないことになります。そのために、数百万円の借金を負わせて大学を卒業する——などという教育が当たり前のように行われています。「借金返済に追われる人生は嫌だ」「子育てにお金がかからないようにしてほしい」という要求がそこに生まれます。

www.jnne.org

 

 ジェンダーについても、企業の中で男女の賃金格差は大きく、非正規・低賃金は際立っています。こうした中で女性は「二級労働力」として扱われ、それがハラスメントなどの大もとにあります。ハラスメントに泣き、そんなことがないような会社にしてほしいという要求が生まれます。

 

 

 「ええええ…そんな現象と本質を関連づける説明はちょっとおかしいのでは…」と思うかもしれませんが、まあとにかく国民の多くの苦難として現象していることの根っこには、「二つのゆがみ」があるのだ、と共産党は考えているわけです。

 だから、国民・住民の小さな要求の運動を、共産党員が、たとえば住民運動団体の中に入って、もしくは自分たちで運動団体を作って、それで一つひとつ解決していこうとするのは、「当面する国民的な苦難を解決」(共産党綱領)するものであるのと同時に、そうした運動を通じて、「国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開く」(同前)ことになるからです。一つひとつの要求運動が、やがて大もとにある政治の変革に進んでいくと考えるわけです。

 その過程で、例えば「奨学金の借金を帳消しにしよう」という運動団体が、教育の無償化を掲げ、その財源として、大企業・富裕層への応分の負担を求めるような改革案を出すところまで進むとしましょう。そうした様々な要求を持ったいろんな階層の団体が集まって、立場の違いを超えて共同した政治改革の流れをつくるという見通しを共産党は持っています。これを統一戦線と呼んでいます。

民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。(共産党綱領)

 だからこそ共産党は、目の前の国民の苦難を軽減・解決する要求運動を重視してきました。それはやがて社会・政治の大きな変革へとつながると思うからです。

 そして何よりも、そのプロセスで「人とつながる」ということが楽しいのですね。

 目の前の要求のことで集まる。例えば教育の無償化。

 みんなで集まって、お茶を飲んだり食事をしたりしながら、自分の状況を話したりします。そうするとお互いの状況などもわかって「ああ、自分の家だけじゃないんだな」と思ったり「自分は深刻だと思っていたけど、もっと大変な人もいるんだ」とかわかったりします。

 全然関係のない相手の人生や考えも知れます。

 それをみんなで勉強します。「教育」というものが自分でお金をかけるものだ、借金をしてナンボだとか、日本では当たり前だと思っていたことが世界で見ると異様だったり、狭かった世界が広がったような気がします。

 行政とも交渉します。いろんな党の議員にもお願いします。その結果で、あの議員さんは頼りになるねとか、あの党はひどかったねとか話題になります。

 そういうプロセスそのものが楽しすぎるのです。

 楽しくて、面白いと思う活動だから、ちょっと知り合いにも声をかけようか、とか、あの人にも協力してもらおうかとなり、「つながる」こと自体が快楽になります。

 いやもう本当に楽しいわけですよね。

 こうした中で、共産党員であれば、教育費の負担を軽減するというだけでなく、その大もとにある政治を変えようと思うわけです。そう思えば、共産党に大きくなってもらうのがいいんじゃないですかねという話になって、知り合った人を共産党に誘ったり、機関紙(赤旗)を読んでみませんか、と言ったりします。

 戦後、特に1960年代、70年代に共産党は、こうした要求運動、つまり国民のたたかいが広がる中で組織を大きくしてきました。日本共産党はこのように要求運動そのものを大きく広げるし、その中で組織を建設し拡大していくやり方を「車の両輪の党活動」(昔は「二本足の党活動」)と呼んできました。その頃の党員の手記や回顧録を読む機会がありますが、やはり少なからぬ人が、そうした運動の楽しさ、「人とつながる楽しみ」に惹かれて共産党の活動に熱中しています。ぼく自身もその一人です。

 

これらの層・団体・運動は、高度経済成長期においてますます膨大な数へと成長するとともに、高度成長によってさまざまな矛盾がしわ寄せされる部分でもあった(過剰な搾取、低賃金、失業、公害、家賃の値上げ、都市型の疎外と貧困、等々)。そこでは、戦後の新しい平和主義と民主主義的な集団的文化への欲求やさまざまな生活要求が渦巻いていた。共産党は、各地域にくまなく生活相談所を設置して、一見政治的に見えないさまざまな生活上の悩み(子育てから借金の返済に至るまで)に取り組んだり、地方議員・国会議員の個人後援会活動(選挙だけでなく、レクレーションや情勢学習会なども)を通じて地域密着型の活動を展開した。そして、これらの領域は民間大企業と違って、相対的に資本の支配から自由な領域だった。欧米の社会民主党系ないし共産党系の労働運動の中心が民間大企業の労働組合であったのに対し、日本の共産党はそこから排除され、周辺化されたことで、別の社会的基盤を探し求め、その新しい基盤に適合した組織形態へと進化を遂げ、それが高度経済成長期において大きな利点となったのである。(森田成也「日本共産党史における3つの歴史的ポイントと今日的課題」/有田・森田・木下・梶原『日本共産党100年 理論と体験からの分析』所収、かもがわ出版、pp.57-58)

 60年代、70年代のこうした高度成長のもとでの矛盾を反映した要求運動による結集に加え、そのように結集してきた人々を、さらに独自の文化(その中には党の組織建設すら含まれている)に巻き込んで、一つの大きな文化的公共圏へと共産党が組織していったことに注目する人もいます。

メディア研究者佐藤卓巳は、ドイツ社会民主党が20世紀初頭に100万人の党員を擁するに至ったのは、19世紀を通じて発達した新聞・雑誌メディアを積極的に活用し、市民的公共圏に対抗する労働者的公共圏をつくりあげたことにあるとしている。宮本〔顕治指導下の共産党の〕路線もまた、高度経済成長期に大衆化した文化産業を自前の興行力を育成することで、大衆社会状況における独自の公共圏の構築に成功したのである。機関紙「赤旗」の数百万部にのぼる大衆新聞化と宅配制度の確立、ほぼすべての分野を網羅した文化事業、数十万単位の党員、支持者が集う「赤旗まつり」は有機的に結合し、党員、支持者の日常世界を包摂し、「国家のなかの国家」がつくりあげられた。日本共産党は、日本の左翼・社会主義勢力のなかで唯一、自前の興行力を有する大衆的文化戦線をもつことができた勢力であり、この文化戦線こそが1960年代末から70年代初頭にかけての日本共産党の議会における躍進を支えたのである。(木下ちがや「戦後日本共産党はいかに創られたか」/前掲書所収pp.114-115)

 

 本日付の「赤旗」の座談会では、そうした要求運動・議員の活動・組織建設を一体のものにしていこうという原点に注目しています。これは日本共産党という組織が今からよみがえっていく上で、原点ではありますが、本当に大事な点だと思っています。

 なによりも自分自身の「人とつながる楽しさ」「世界が広がる楽しさ」が真ん中にあります。そこを軸に、ある意味で自然な形でまわりの人を巻き込んで無理なく運動を広げ、組織を大きくしていくわけです。

 もちろん、それは、昔ながらのやり方をそのままやっていてもダメなわけで、今日的に新しい探求が必要になりますし、思い切った資源の配分も必要になります。それをどうしたらいいのか、そこに今活動の力を割くべきなんだろうと私は考えています。

 

 「そんなのは自然成長性への拝跪(意識的な党勢拡大運動をサボる口実)だ」とか「要求運動なんかいっぱいやっているけど、そんなことをしても党建設は進まない」とか「目標と期日どおりでなければ意味がない」とかそういう意見もあるでしょう。

 それは一理あります。

 一理あるんだけど、やっぱり大事なことは人とつながる楽しさが実感できるという核心。

 その核心が失われるような活動では続かないだろうなと思います。

 楽しくないことは持続できない。長期的に見て担い手も広がらない。

 

世界水泳目前だけど、最小限「これだけ」は見直してもらえませんか?

 世界水泳選手権2023福岡大会が7月14日に近づいています。

世界水泳の会場の一つ、マリンメッセ福岡=福岡市博多区

 楽しみにされているかたもいらっしゃるでしょうか?

 スポーツイベントは愛好されている方がたくさんいます。「感動がたくさんもらえる。すごくいいじゃないか」と。

 そうですね。その通りです。

 でも、それだけに、イベントのあり方そのものが無批判で通ってしまいやすく、気がつくと「なんでもアリ」のような恐るべき状況になっていることがあります。

 オリンピックなどはその典型ですね。

 東京オリンピックパラリンピックは、逮捕者続出の異常事態です。

mainichi.jp

 イベントを仕切る能力を持っているとされる特定の企業(電通など)に依存してしまう構造が出来上がり、情報の公開やチェック機能が著しく低下したまま、汚職・腐敗がはびこり、あのような事態になっています。

 オリンピックに特有の問題ではなく、巨大なスポーツイベント全体がこうした構造にとらわれてしまっています。

 この点について今世論は非常に厳しい目を注ぐようになってきました。

 スポーツそのもので「感動」してきただけに、その「感動」が喰いものにされているように感じられたのでしょう。

 そこで、巨大イベントを推進したいという側の人たちさえさすがに「このままではまずい」と思ったのか、「見直しをします!」という動きが広がってきました。 

 例えば、行政、国や自治体で「再発防止」のための様々な方針づくりが始まっています。

www.city.sapporo.jp

 

www.mext.go.jp

www.sports-tokyo-info.metro.tokyo.lg.jp

 また、汚職・腐敗問題に関わってきた電通を指名停止・取引排除する自治体が広がっています。

mainichi.jp

biz.chunichi.co.jp

 福岡市で行われる世界水泳では、「開催費用の市負担が当初の3倍に」「電通依存で契約や経済波及効果の情報も非公開」「予算も決めない契約や特命随意契約が横行」などの問題を共産党市議団のみが議会で追及し、最近テレビや新聞でもこうした問題が報道されるようになってきました。

 しかし福岡市の高島宗一郎市長は、全く見直しをしようとしません

 例えば市の負担が当初の3倍に膨れ上がっていることについて、これまで市は「削減に努めます」と繰り返し答弁してきました。しかし逆に増えていき、2月議会でも同じ答弁をしました。それで、今年6月にもう一度聞いたのですが全く減っていなかったのです。

 ただ「減らす努力をしま〜す」と言っているだけなのです。

www.jcp-fukuoka.jp

 電通との関係の見直しもないし、情報の非公開もそのまま。

 もう大会は直前ですが、本当にこのまま進めていいの?…というのが一般市民の素朴な気持ちです。

 

 そこで!

 共産党市議団としては、

“大会がもう直前だから、せめて、ホントにホントの最小限の見直しだけして、市民に説明してくれないかな?”

という異例の申し入れをすることにしました。

 それがこちらです。

www.jcp-fukuoka.jp

 

一.大会にかかわる本市の費用負担分のこれ以上の増額を拒否するとともに、具体的な縮減額を決め、「世界水泳選手権2023福岡大会組織委員会」に提起すること。

当初、大会事業費は100億円、うち本市負担分は35〜40億円とされていましたが、結局それぞれ225億円、120〜130億円となり、本市負担は3倍にも膨れ上がりました。市は繰り返し「削減に努める」と述べたにもかかわらず逆に増え続け、2月議会でも同様の答弁をしましたが、6月議会で再度尋ねても全く削減されませんでした。あまりにも不誠実な対応であり、市民の不信が募るのも無理はありません。これらは最終的に市民の負担となるものであり、「削減ポーズ」だけで許されるものではありません。

二.成功報酬型契約の予算、経済波及効果の根拠の公開、電通グループの関与のあり方などを直ちに見直して、市民への最低限の説明責任を果たすこと。

本大会は、東京五輪汚職・腐敗が大きな問題となっている電通グループに依存しています。他都市では同社の指名停止や取引排除などの手立てが取られているのに対して、本市は6月議会でも「特定事業所を重用し、優遇しているとのご指摘は当たらない」などと開き直り、まともな手立てを全く取ってきませんでした。この点でも市民の不信が増大しています。五輪招致をめざす札幌市は、外部有識者による委員会を設置し、運営を見直し始めています。6月議会などでわが党がただしたように、成功報酬型契約の予算を明らかにすること、大会の経済波及効果の根拠を事前に公開すること、電通グループの関与のあり方を見直すことなどを含め、市民に最低限の説明ができるようにすべきです。

 これに加えて、新たな問題として、大会開催日に航空自衛隊ブルーインパルスの展示飛行をすることも予定されているので、それについても過去の問題点(事故・法令違反・取決め無視など)の検証を行ったかどうかなどを示して、見直しを求めています。

 その上で、共産党市議団としては、

前掲の3項目は市民への説明や安全確保のための最低限の貴職の責任であり、それすらも果たせないのであれば、今からでも大会を中止する措置を取ることを強く求めます。

ということを求めました。

 つまり

  • 市の負担がめちゃくちゃ膨れているけど、「もうこれ以上は負担しない!」ってせめて言ったら?
  • 情報は事前に公開するとか電通依存はこう改めます、っていう方向だけでも打ち出したら?

 

という、共産党としてはこれまでにないくらい控えめなものです(笑)

 これくらいはできるんじゃないですか? という市長への提案です。

 市長、どうですか?

 

 それにしてもこれだけ疑問だらけのイベントの問題点を、どうして他の党の議員は検証・追及しないのでしょうか。

 不思議でなりません。 

 

 7月11日に共産党市議団としてトークイベント(オンライン市政報告)をやりますので、ぜひ聞いてみてください。

 

非正規は自分が望んでいるのか

 以前、福岡市に対して共産党が「福岡市は非正規雇用の割合が高く、正規雇用として働きたいが、非正規雇用となっている人も多い状況だ。非正規雇用の増加を是認するようなことはあってはならないと思うが、所見を尋ねる」と聞いたことがあります。

 以下は2022年9月27日の福岡市議会の決算特別委員会総務財政分科会での総務企画局の答弁です。

正規雇用者の就業理由については、自分の都合のよい時間に働きたいという理由が最も多くなっており、…一人一人が希望する働き方で就労することが重要と考えており、主に自分の都合のよい時間に働きたいということで非正規雇用を選んでいる人が多いと認識している。

 あたかも意識が多様化したから非正規を選んでいるかのような認識です。

 例えば、厚生労働省の「令和元年就業形態の多様化に関する総合実態調査」ではどうなっているかといえば、確かに正社員以外の労働者について、現在の就業形態を選んだ理由(複数回答3つまで)をみると、「自分の都合のよい時間に働けるから」が 36.1%と一番高いんですね。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/keitai/19/dl/02-02.pdf

 しかしこの調査について、調査対象の属性を見てみると、調査した労働者のうち「正社員以外の労働者」では男性の場合、60歳以上が実に42.9%を占めています。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/keitai/19/dl/03-03.pdf

 つまりこの調査では、リタイアして年金暮らしに入っている男性高齢者が多く回答していることが、回答に偏りを生む大きな要因となっています。そういう人たちがハードなフルタイムの正社員を望むというのは考え難い。貧しい年金に、ちょこっと生活の足しを…という人と、現役世代でやむをえずこの雇用形態を選択している人では、まるで意識が違います

 もちろん、現役世代の中にも、正社員の過酷な長時間労働や重い責任を負わされるストレスフルな働き方を見て、そうした形態を選ばない層も一定数存在することは確かでしょう。

 しかし例えば、福岡市自身が襟を正さなければならない図書館職員では、多くが非正規であることに悲鳴をあげています。

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 基本的には、現役世代が低処遇で安定性のない非正規という雇用形態に苦しんでいることは明らかではないでしょうか。

 統計上のごまかしを使って、現役世代の苦しみを見ようとしなければ、適切な政策は出てきようがありません。

 

県委員会総会で提起された学校給食の無償化の運動

 5月某日に日本共産党福岡県委員会総会が行われました。

 そこで「統一地方選挙でかかげた公約実現のたたかいを起こそう」ということが呼びかけられました。その中の大きな柱が学校給食の無償化を求める全県的な運動です。

統一地方選挙でかかげた目玉政策とのかかわりで、学校給食無償化の大運動を全県で起こす。この要求は「義務教育無償」の憲法原則から当然であり、子育て世代の強い要求であり、〝子育て自己責任政策〟全体を改めさせる大きな一歩となる。さらに、公費負担となれば「食育」としての質の向上を図る条件が広がる。(福岡県委員会総会決定より)

 共産党の県委員会としてこうした運動を提起したこと、すなわち市町村レヴェルだけでなく全県的な規模で運動を位置づけ、呼びかけたことは、まことに時宜を得ています。

 県委員会総会でもこの点について積極的な討論が行われ、意気高く取り組みを進める活気が伝わりました。

 先日、坂本貴志『ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う』(講談社現代新書)を読んでいたのですが、定年後に比べた現役時代に日本の労働者の支出構造を指摘する箇所がありました。

家計支出額は34歳以下の月39.6万円から年齢を重ねるごとに増大し、ピークは50代前半の月57.9万円となる。人生の前半から中盤にかけての時期は、家族の食費に教育費、住宅費、税・社会保険料ととにかくお金がかかる。(p.19)

〔定年後になって現役時代に比べた場合〕支出額の減少に最も大きく寄与しているのは、教育に関する費用である。(p.20)

そして、もう一つ定年後の生活水準に大きくかかわる項目に、住宅関連費用がある。(p.21)

 県委員会報告が「子育て自己責任政策」と強調するように、教育費は長く「受益者負担」のイデオロギーに支配されてきました。それゆえに、大学の学費はうなぎのぼりとなり、もはやお金がなければ大学にいけない状況です。

 共産党の地方議員が現在も指針とすべき基本文献の一つに、1998年の全国地方議員会議での不破哲三報告があります。

 この中で不破氏は「地方自治という憲法の大原則はどこにいったか」という問いを立て、共産党が民主主義革命で実現することをうたう憲法の民主的原則の一つ——憲法92条の「地方自治の本旨」とは何かを、次のように説明します。

国から独立して、自治体が存立し、原則として、国の監督を排除して地方の行政をおこなう。〔…〕基本は、国から独立と国の監督の排除、これが憲法が定めた地方自治の原則です。(不破『地方政治と議員活動』p.27——現在は『自治体活動と地方議会』所収)

 いわゆる「団体自治」です。共産党地方自治の基本的なスタンスの一つがここにあることがわかりますが、これは、教育費の問題に照らせば、「受益者負担」「子育て自己責任政策」を国がイデオロギーとして地方に押しつけてきた現状を、国とともに地方から変えていくという政治論でもあります。

 学校給食の無償化はもちろん国民の苦難そのものを軽減する意味があります。しかし同時に、このたたかい自体が国のかたちを変えるたたかいなのです。すなわち、教育は私費でなく社会保障として担うべきだという政治を、市民の側からの反撃して生み出していくたたかいだということです。団体自治をつらぬくことによって、国・中央から押しつけられるイデオロギーに抗するわけです。

 

 教育費と住居費は社会保障へと移転すべきだと私は思います。

 そうすることで、長時間労働に縛りつけられるいびつな正社員形態ではなく、短時間労働でも子どもを「健康で文化的な最低限度」の居住水準を確保して子どもを大学にやることができます。労働時間の短縮と、すべての人の貧困からの解放(社会保障の充実)は共産主義がめざす社会目標*1であり、資本主義のもとでの改良を重ねながら、来るべき社会のパーツを揃えることにもつながっていきます。

 福岡市議会でも、学校給食の無償化は、共産党はもとより他の党でも公約した議員がいます。署名などの市民運動を背景にして、こうした議員と手を携えてぜひ実現させたいものです。また、私もその一翼を担って奮闘したいと思っています。*2

 

補足 団体自治と住民自治

 これは余談です。

 なので、以下は、本論とは関係ありません。

 お時間のある人だけお読みください。

 前述の1998年の不破報告を読みながら、なぜ不破氏は、そこ(第一章三)で団体自治のことしか言わなかったのかについては、私は不思議に感じました。

 すなわち「地方自治の本旨」という場合、憲法学の主流の理解では、団体自治だけでなく住民自治があり、その二つをあわせて「地方自治の本旨」の中身として説明します。

 しかも、両者は並列的なものではなく、住民自治が基礎にあって、その上で団体自治が成り立つと説明されることが少なくありません。例えば以下の、ある憲法学者の一文をお読みください。

地方自治の本旨」と言えば、一般に、「住民自治」と団体自治」からなると説明されることが多い。それは、以上のような地方自治の存在理由を満たすためには、なによりもまず、その地域のことはその地域の住民がみずから決定するという「住民自治」が不可欠であり、そしてまた、この「住民自治」を実現するためには、その地域における公共事務が国から独立して行われるべきものとする「団体自治」が要請される、ということからである。だから、「住民自治」と「団体自治」を並列的なものとしてとらえるのでなく「住民自治」が基本であり、そのために「団体自治」がある、ととらえるべきである。(浦部法穂憲法学教室(全訂第2版)』日本評論社、p.575-576)

 団体自治と住民自治が説明され、後者が基本であることが強調されています。

 実際、不破氏は1998年の報告において「地方自治の本旨」を説明する箇所で、憲法学者たちが集まって作った『註解 日本国憲法』を使って、次のように書いてある部分を引用しています。

地方的行政のために国から独立した地方公共団体の存在認め、この団体が、原則として、国の監督を排除して、自主・自律的に、直接間接、住民の意思によって、地方の実情に即して、地方的行政を行うべきことをいう

 このように住民自治の契機を入れているのに、そこはスルーしてしまっています。

 まあ、どういう理由かはわかりません。

 ただ、不破氏は、同じ報告で議員活動に対する7つの提案を行い、その中で真っ先に「第一。地方政治の問題に住民の目線でとりくむ」と題して、こう述べています。

地方政治の仕事というのは、他のだれの要求にこたえることでもない、地方住民の要求にこたえることが地方自治の精神なんだということを、しっかり議員活動の全体にまず貫いてほしい。(不破p.52)

 これは住民自治の精神そのものです。そして、不破氏は続けて、国の計画や国の政策にどう応えるかということしか考えない地方政治の現状を批判しています。つまり、報告の中ではよ〜く読めばこの両者は登場しているのです。しかしできれば自覚的にそれを結びつける叙述をしてほしかったと思います。

 日本共産党は綱領で地方政治について規定を設けていて「住民こそ主人公」という原則を書き込んでいます。これも住民自治の原則だと思うのですが、「地方自治の本旨」の内実である「住民自治」と「団体自治」の2要素を解明して、その関係を明らかにするという理論作業がほしいところです。共産党の地方議員が日々の指針とするためです。

*1:共産主義とは利潤第一主義から経済を解放し、経済を社会のために役立てるようにすることであり、その目指すべきものは(1)全ての人に健康で文化的な最低限度の生活の保障、(2)労働時間の抜本短縮による人間の能力の全面発達、(3)気候変動対策など経済の合理的規制である。

*2:さて、ここまで読まれた方、私が曲がりなりにも県委員会総会決定の実践に力を尽くそうとしていることをご理解いただけたかと思います。まさか「神谷は絶対秘密の県委員会総会決定や会議の内情を外部に暴露してしまった。党規約違反だ」などと思われた方って、います? いませんよね。そんなこと、党規約に一文字も書かれていませんから。当たり前です。もしそんなことを思う人がいたら……その人のメンタルが心配です。お大事に。