2ヶ月の間、何にも音沙汰なし。
「調査」する意思も能力もない。
人を病気に追い込んで、挙句に何も連絡なく放置。どうなっているのか聞くと「調査中だ!」としか返さない。2024年5月7日現在、いまだに次に所属する単位も告げられていない。権利の蹂躙である。
進捗すら報告しないって、まともな組織のすることかね。
正式調査から10ヶ月。予備調査から1年3ヶ月。あれだけ頭のおよろしい方々が雁首そろえて血眼になって調べたけど、なーんにも出てこなかったってこと。
完全な冤罪だろ。
冤罪じゃないっていうなら、なぜ証拠を示さないのか。
示せないからだろ?
「時間をかけて調査している」というのなら、なぜ何も連絡してこない?
「今後調査すべき項目」のリストくらい渡したらどうか?
調査される側はその間に準備もできて、ウィン・ウィンじゃないか。
でも、しない。できないから渡さないんだろう?
調査することなんかもう何もないものな。(初めからないけど。)
冤罪だったのにハラスメントざんまいで人を病気に追い込んで、その人たちは処罰もされずに、英雄気取りで今日も陣頭指揮をとっている。
そんな人たちの手先になって壇上で発言をした皆さんも本当にダサい。
発言しろって命じられても拒否すりゃいいのに、なんで引き受けるのかね。アイヒマンだからか。アイヒマンは「凡庸な悪」じゃなくて確信的なアクティブだったらしいし。*1
ああなるほど、オモテではいろいろ偉そうなことを言ってはいても、結局自分の頭ではものを考えない人たちだったんだなと納得した。特にハラスメント被害を告発したことに対して、何の根拠もなく平気で否定するというセカンドハラスメントの発言をやった瞬間、ふーん、この人たち、人権や理屈が根拠じゃなくて、組織的忠誠心が最優先なんだ〜と思ったものだ。幹部の顔をした人が「銀行を襲え」って言ったら、何の迷いもなく銀行を襲うんだろうね。
簡単に人の被選挙権を剥奪した時もびっくりした。選挙の公正なんて民主主義の根幹だろ? こういう人たちは体制が変われば簡単に小スターリン化するだろうなあ。識字率がどうこうというレベルじゃない。字を読めて「教養」がおあそばします方々が、上が言うことに唯々諾々と従って他人の被選挙権を取り上げたのだ。
人間の見方が変わったわ。
吊るしあげ&ハラスメントをしたエラい方々は、「あいつの有罪はすでに確定している。量刑について調査しているだけだ」という珍論を並べだした。それを他のメンバーに吹いて回っている。
どこにそんなルールが書いてあるのか。
ルールブックには逆のことが書いてあるぞ。
そもそも常識的に考えて「有罪・無罪は密室で決まり、量刑だけに厳密な手続きがある」なんていうルールがもしあったら、おかしすぎると思わなかったのかね。
加えて、過去の決定にも、自分たちのこれまでの言明にも反している。
あなたがたこそ、まごうことなきルール違反。
要するにただのデマである。
デマを言って回っているだけなのだ。
そんなことを言わざるを得なくなったのは、逆にその人たちが追い詰められてしまったからだ。
朝ドラ「虎に翼」で、検察官が法廷で弁護側に追い詰められて、その場ででっち上げのウソを次々に喋り散らかしていく様子がそっくりだった。あなたがたがやっているのは、戦前の天皇制の法廷や、スターリン時代のソ連法廷と同じだ。ザ・中世である。
なーんにも言わない・なーんにもしてこないというのは、あいまいにしたいんだろう。あいまいにして「忘れてくれないかな」と願っているんだろうけど、そうはいかない。
冤罪で人を苦しめているエラい方々に申し上げる。
まず、罪を認めて謝りなさい。
次に裁きを受けて処罰されるべきだ。
あなたがたは人にひどいハラスメントをして病気に追い込んだのだ。
違うというなら、密室でなく公開で一問一答をさせなさい。
反論され論破され面目を失うのが怖いから、発言時間を著しく制限し、自分たちが長々と喋れる環境があるところでしか「議論」をしないのだ。相手に猿轡をかけないと恐ろしくて議論できないという自分自身が情けなくないのかね?
自転車旅行
私は激しいハラスメントで精神疾患に追い込まれ、医者にも通っている。
診断書が出て2度休職もした。
家に閉じ込められているときに、医者に規則正しい生活や適度な運動を勧められていた。
安彦良和が日本神話の登場人物である大国主を描いたマンガ『ナムジ』を読んだ時、主人公のナムジがヒミコに石の牢に10年間閉じ込められるエピソードが描かれていた。その時にナムジは狭い牢の中で体を鍛える。
気持ちも 躰も 弱ってしまったら負けだ
鍛えろ! 鍛えろ!!
油断をするとすぐ足腰が立たなくなるぞ!
ここで朽ち果てれば
ヒミコはおまえを
嘲笑(わら)うだろう
それが口惜(くちお)しくないか!?
口惜しかろう!?
ならば——
(安彦前掲書、4巻、中公文庫コミック版、p.103)
下記の図を見てほしい。虜囚となりながらもナムジの生きる気力と力強さが絵柄から伝わってくるではないか。権力者の思い通りにならぬ強い意志を体づくりと一体に進めるナムジの姿はそのまま、不当な「弾圧」下の私の指針になった。
毎日の筋トレだけでなく、自転車で単独の旅行に行きたいと思うと医者に話すと「それはすごい。いいことだ」と大いに推奨してくれた。
1日70キロほどを走り、4日で300キロ近くを走破した。
記事冒頭の写真もその時に写したものである。
海沿いを走った。
九州の北部の道というのは、どこまでも自動車のための道路であって、自転車が走るようには設計されていないなとつくづく感じた。いや、歩道すらない。草に覆われた小さな路側帯があるだけなのだ。自転車のすぐ横を自動車がすごいスピードで走り抜けていく。
田んぼがこんなにあるのか、という感慨も得た。
こうした耕地をちょうど今後継者がいなくなり、集約して引き受けるにも限界が来ていて、みんな宅地のようになってしまうか、さもなくば荒れ果てていくのかと感じた。
松原が時々ある。
これは愛知の私の生家の近くや、それまでに過ごしてきた東京・京都などではほとんど見なかった景観だった。
自転車で山を登るのは本当に難儀だった。
電動アシストがあればいいのだが、それがついていない自転車なので人力で漕ぐしかない。ある出版編集者にこの旅行を告げた時「電動アシストがないと地獄ですよ」と忠告されたのだが、ないものはないのだ。幸い「ママチャリ」ではなくギアがついたスポーツタイプの自転車だったので、ギアを落として登ったが、どうにもきつくなって2度ほど自転車から降りて歩いて超えたものだった。
「これが廃止された(警報器のない)踏切か〜」というような場所や、イノシシの死体にカラスが群がっているところ、「こんな山の中で買い物は…いや、そもそも小学校はどうやって通うのだろう?」というような集落などを見た。
午前中なのに急にあたりが暗くなり、大粒の雹が降ってきたこともあった。雨合羽はあったが、使わずに、近くのバス停で雨宿りをした。
地域の図書館に寄ると、廃本を処分していて「自由にどうぞ」あったので、西村賢太の対談集を1冊だけもらって帰ったりした。
田舎の荒れた耕地や、空いている場所にはソーラーパネルをよく見た。
私自身は田舎出身なのだが、平地の農村だったので、山や海の田舎の風景には心が洗われた。そういうものを自転車で実感し続けられただけでもやった甲斐があった。1日に50キロを越えると体が疲れてくるのだが、気候も良かったせいもあり、風景を楽しみながら「もう少しで宿について美味しいものが食べられる!」と思いながら漕いだ。
風景を撮影していたら、QRコードをカメラが認識したりした。風景の一部分がQRコードに認識されることもあるんだと思って可笑しかった。
1日にどこまで行けるかわからないので、宿はあらかじめ取れない。
なので、「ここらでいいだろう」という場所についた時、泊まれるホテルがなく、やむを得ずラブホテルに泊まることがあった(むろん1人で泊まる)。
ラブホからリモートの読書会に参加したりした。
お金を渡すエアシューターなどがまだ健在で、思わずどうやって使うのか電話して受付に聞いてしまった。
家の近くに戻ってきた時に高速道路沿いを走った。
そのあとこの高速道路を通るたびに、「ああ、この側道を自転車で走ったよなあ」と思い出す。
思い切って自転車で旅をして良かったと思った。こんな体験は現役時代にはなかなかできまい。リタイアしたらなおさらだ。
ナムジのように、権力者の圧政など潰されないぞという気力が湧いてきた。そして人生において振り返ることのできる思い出になりそうな気がした。
*1:田野大輔・小野寺拓也編著『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』。