楽しくないことは持続できない

 今日付の「しんぶん赤旗」の党活動ページには「座談会『要求運動・「車の両輪」オンライン交流会で学んだこと」が載っています。台風の影響で紙面を公開しているので直接読めます。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2023-08-08/20230808-006.pdf

 「住民の中の要求運動に取り組む」ということは、日本共産党が民主主義革命をめざしている政党であることと、どのような関係にあるのでしょうか。また、それが日本共産党そのものを大きくすることとどう関係しているのでしょうか。

 

 日本共産党は今の日本社会を資本主義の深刻な矛盾にあるととらえるとともに、大企業・財界の利益を最優先するような政治や社会のゆがみ、アメリカに国家的に従属することで戦争にまきこまれる危険という二つの深刻な病理があると認識しています。

 そうした二つのゆがみの中で生きている国民の多くは、(本人が主観的にはどの思い、どのような党派を支持していようが、)客観的にはその二つのゆがみを根源とした、さまざまな政治・社会上の要求を持たざるをえない、と考えています。

 例えば、大企業が内部留保を巨大にため込む一方で、労働者の賃金が上がらず、特に非正規労働者最低賃金は「健康で文化的な最低限度の生活」を営めないほど低い。賃金を上げてもらってまともな生活がしたいな、という要求がそこには生じます(下記は田村貴昭衆院議員の質問パネルより)。

 あるいは、大企業の巨大なもうけにふさわしい負担・税金を、今の自民・公明政権は課しません。そうした中で教育へ回す予算は少なく、教育への公的支出は先進国の中でも異様に低くなり、大学の無償化は一向に行われないことになります。そのために、数百万円の借金を負わせて大学を卒業する——などという教育が当たり前のように行われています。「借金返済に追われる人生は嫌だ」「子育てにお金がかからないようにしてほしい」という要求がそこに生まれます。

www.jnne.org

 

 ジェンダーについても、企業の中で男女の賃金格差は大きく、非正規・低賃金は際立っています。こうした中で女性は「二級労働力」として扱われ、それがハラスメントなどの大もとにあります。ハラスメントに泣き、そんなことがないような会社にしてほしいという要求が生まれます。

 

 

 「ええええ…そんな現象と本質を関連づける説明はちょっとおかしいのでは…」と思うかもしれませんが、まあとにかく国民の多くの苦難として現象していることの根っこには、「二つのゆがみ」があるのだ、と共産党は考えているわけです。

 だから、国民・住民の小さな要求の運動を、共産党員が、たとえば住民運動団体の中に入って、もしくは自分たちで運動団体を作って、それで一つひとつ解決していこうとするのは、「当面する国民的な苦難を解決」(共産党綱領)するものであるのと同時に、そうした運動を通じて、「国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開く」(同前)ことになるからです。一つひとつの要求運動が、やがて大もとにある政治の変革に進んでいくと考えるわけです。

 その過程で、例えば「奨学金の借金を帳消しにしよう」という運動団体が、教育の無償化を掲げ、その財源として、大企業・富裕層への応分の負担を求めるような改革案を出すところまで進むとしましょう。そうした様々な要求を持ったいろんな階層の団体が集まって、立場の違いを超えて共同した政治改革の流れをつくるという見通しを共産党は持っています。これを統一戦線と呼んでいます。

民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。(共産党綱領)

 だからこそ共産党は、目の前の国民の苦難を軽減・解決する要求運動を重視してきました。それはやがて社会・政治の大きな変革へとつながると思うからです。

 そして何よりも、そのプロセスで「人とつながる」ということが楽しいのですね。

 目の前の要求のことで集まる。例えば教育の無償化。

 みんなで集まって、お茶を飲んだり食事をしたりしながら、自分の状況を話したりします。そうするとお互いの状況などもわかって「ああ、自分の家だけじゃないんだな」と思ったり「自分は深刻だと思っていたけど、もっと大変な人もいるんだ」とかわかったりします。

 全然関係のない相手の人生や考えも知れます。

 それをみんなで勉強します。「教育」というものが自分でお金をかけるものだ、借金をしてナンボだとか、日本では当たり前だと思っていたことが世界で見ると異様だったり、狭かった世界が広がったような気がします。

 行政とも交渉します。いろんな党の議員にもお願いします。その結果で、あの議員さんは頼りになるねとか、あの党はひどかったねとか話題になります。

 そういうプロセスそのものが楽しすぎるのです。

 楽しくて、面白いと思う活動だから、ちょっと知り合いにも声をかけようか、とか、あの人にも協力してもらおうかとなり、「つながる」こと自体が快楽になります。

 いやもう本当に楽しいわけですよね。

 こうした中で、共産党員であれば、教育費の負担を軽減するというだけでなく、その大もとにある政治を変えようと思うわけです。そう思えば、共産党に大きくなってもらうのがいいんじゃないですかねという話になって、知り合った人を共産党に誘ったり、機関紙(赤旗)を読んでみませんか、と言ったりします。

 戦後、特に1960年代、70年代に共産党は、こうした要求運動、つまり国民のたたかいが広がる中で組織を大きくしてきました。日本共産党はこのように要求運動そのものを大きく広げるし、その中で組織を建設し拡大していくやり方を「車の両輪の党活動」(昔は「二本足の党活動」)と呼んできました。その頃の党員の手記や回顧録を読む機会がありますが、やはり少なからぬ人が、そうした運動の楽しさ、「人とつながる楽しみ」に惹かれて共産党の活動に熱中しています。ぼく自身もその一人です。

 

これらの層・団体・運動は、高度経済成長期においてますます膨大な数へと成長するとともに、高度成長によってさまざまな矛盾がしわ寄せされる部分でもあった(過剰な搾取、低賃金、失業、公害、家賃の値上げ、都市型の疎外と貧困、等々)。そこでは、戦後の新しい平和主義と民主主義的な集団的文化への欲求やさまざまな生活要求が渦巻いていた。共産党は、各地域にくまなく生活相談所を設置して、一見政治的に見えないさまざまな生活上の悩み(子育てから借金の返済に至るまで)に取り組んだり、地方議員・国会議員の個人後援会活動(選挙だけでなく、レクレーションや情勢学習会なども)を通じて地域密着型の活動を展開した。そして、これらの領域は民間大企業と違って、相対的に資本の支配から自由な領域だった。欧米の社会民主党系ないし共産党系の労働運動の中心が民間大企業の労働組合であったのに対し、日本の共産党はそこから排除され、周辺化されたことで、別の社会的基盤を探し求め、その新しい基盤に適合した組織形態へと進化を遂げ、それが高度経済成長期において大きな利点となったのである。(森田成也「日本共産党史における3つの歴史的ポイントと今日的課題」/有田・森田・木下・梶原『日本共産党100年 理論と体験からの分析』所収、かもがわ出版、pp.57-58)

 60年代、70年代のこうした高度成長のもとでの矛盾を反映した要求運動による結集に加え、そのように結集してきた人々を、さらに独自の文化(その中には党の組織建設すら含まれている)に巻き込んで、一つの大きな文化的公共圏へと共産党が組織していったことに注目する人もいます。

メディア研究者佐藤卓巳は、ドイツ社会民主党が20世紀初頭に100万人の党員を擁するに至ったのは、19世紀を通じて発達した新聞・雑誌メディアを積極的に活用し、市民的公共圏に対抗する労働者的公共圏をつくりあげたことにあるとしている。宮本〔顕治指導下の共産党の〕路線もまた、高度経済成長期に大衆化した文化産業を自前の興行力を育成することで、大衆社会状況における独自の公共圏の構築に成功したのである。機関紙「赤旗」の数百万部にのぼる大衆新聞化と宅配制度の確立、ほぼすべての分野を網羅した文化事業、数十万単位の党員、支持者が集う「赤旗まつり」は有機的に結合し、党員、支持者の日常世界を包摂し、「国家のなかの国家」がつくりあげられた。日本共産党は、日本の左翼・社会主義勢力のなかで唯一、自前の興行力を有する大衆的文化戦線をもつことができた勢力であり、この文化戦線こそが1960年代末から70年代初頭にかけての日本共産党の議会における躍進を支えたのである。(木下ちがや「戦後日本共産党はいかに創られたか」/前掲書所収pp.114-115)

 

 本日付の「赤旗」の座談会では、そうした要求運動・議員の活動・組織建設を一体のものにしていこうという原点に注目しています。これは日本共産党という組織が今からよみがえっていく上で、原点ではありますが、本当に大事な点だと思っています。

 なによりも自分自身の「人とつながる楽しさ」「世界が広がる楽しさ」が真ん中にあります。そこを軸に、ある意味で自然な形でまわりの人を巻き込んで無理なく運動を広げ、組織を大きくしていくわけです。

 もちろん、それは、昔ながらのやり方をそのままやっていてもダメなわけで、今日的に新しい探求が必要になりますし、思い切った資源の配分も必要になります。それをどうしたらいいのか、そこに今活動の力を割くべきなんだろうと私は考えています。

 

 「そんなのは自然成長性への拝跪(意識的な党勢拡大運動をサボる口実)だ」とか「要求運動なんかいっぱいやっているけど、そんなことをしても党建設は進まない」とか「目標と期日どおりでなければ意味がない」とかそういう意見もあるでしょう。

 それは一理あります。

 一理あるんだけど、やっぱり大事なことは人とつながる楽しさが実感できるという核心。

 その核心が失われるような活動では続かないだろうなと思います。

 楽しくないことは持続できない。長期的に見て担い手も広がらない。

 

世界水泳目前だけど、最小限「これだけ」は見直してもらえませんか?

 世界水泳選手権2023福岡大会が7月14日に近づいています。

世界水泳の会場の一つ、マリンメッセ福岡=福岡市博多区

 楽しみにされているかたもいらっしゃるでしょうか?

 スポーツイベントは愛好されている方がたくさんいます。「感動がたくさんもらえる。すごくいいじゃないか」と。

 そうですね。その通りです。

 でも、それだけに、イベントのあり方そのものが無批判で通ってしまいやすく、気がつくと「なんでもアリ」のような恐るべき状況になっていることがあります。

 オリンピックなどはその典型ですね。

 東京オリンピックパラリンピックは、逮捕者続出の異常事態です。

mainichi.jp

 イベントを仕切る能力を持っているとされる特定の企業(電通など)に依存してしまう構造が出来上がり、情報の公開やチェック機能が著しく低下したまま、汚職・腐敗がはびこり、あのような事態になっています。

 オリンピックに特有の問題ではなく、巨大なスポーツイベント全体がこうした構造にとらわれてしまっています。

 この点について今世論は非常に厳しい目を注ぐようになってきました。

 スポーツそのもので「感動」してきただけに、その「感動」が喰いものにされているように感じられたのでしょう。

 そこで、巨大イベントを推進したいという側の人たちさえさすがに「このままではまずい」と思ったのか、「見直しをします!」という動きが広がってきました。 

 例えば、行政、国や自治体で「再発防止」のための様々な方針づくりが始まっています。

www.city.sapporo.jp

 

www.mext.go.jp

www.sports-tokyo-info.metro.tokyo.lg.jp

 また、汚職・腐敗問題に関わってきた電通を指名停止・取引排除する自治体が広がっています。

mainichi.jp

biz.chunichi.co.jp

 福岡市で行われる世界水泳では、「開催費用の市負担が当初の3倍に」「電通依存で契約や経済波及効果の情報も非公開」「予算も決めない契約や特命随意契約が横行」などの問題を共産党市議団のみが議会で追及し、最近テレビや新聞でもこうした問題が報道されるようになってきました。

 しかし福岡市の高島宗一郎市長は、全く見直しをしようとしません

 例えば市の負担が当初の3倍に膨れ上がっていることについて、これまで市は「削減に努めます」と繰り返し答弁してきました。しかし逆に増えていき、2月議会でも同じ答弁をしました。それで、今年6月にもう一度聞いたのですが全く減っていなかったのです。

 ただ「減らす努力をしま〜す」と言っているだけなのです。

www.jcp-fukuoka.jp

 電通との関係の見直しもないし、情報の非公開もそのまま。

 もう大会は直前ですが、本当にこのまま進めていいの?…というのが一般市民の素朴な気持ちです。

 

 そこで!

 共産党市議団としては、

“大会がもう直前だから、せめて、ホントにホントの最小限の見直しだけして、市民に説明してくれないかな?”

という異例の申し入れをすることにしました。

 それがこちらです。

www.jcp-fukuoka.jp

 

一.大会にかかわる本市の費用負担分のこれ以上の増額を拒否するとともに、具体的な縮減額を決め、「世界水泳選手権2023福岡大会組織委員会」に提起すること。

当初、大会事業費は100億円、うち本市負担分は35〜40億円とされていましたが、結局それぞれ225億円、120〜130億円となり、本市負担は3倍にも膨れ上がりました。市は繰り返し「削減に努める」と述べたにもかかわらず逆に増え続け、2月議会でも同様の答弁をしましたが、6月議会で再度尋ねても全く削減されませんでした。あまりにも不誠実な対応であり、市民の不信が募るのも無理はありません。これらは最終的に市民の負担となるものであり、「削減ポーズ」だけで許されるものではありません。

二.成功報酬型契約の予算、経済波及効果の根拠の公開、電通グループの関与のあり方などを直ちに見直して、市民への最低限の説明責任を果たすこと。

本大会は、東京五輪汚職・腐敗が大きな問題となっている電通グループに依存しています。他都市では同社の指名停止や取引排除などの手立てが取られているのに対して、本市は6月議会でも「特定事業所を重用し、優遇しているとのご指摘は当たらない」などと開き直り、まともな手立てを全く取ってきませんでした。この点でも市民の不信が増大しています。五輪招致をめざす札幌市は、外部有識者による委員会を設置し、運営を見直し始めています。6月議会などでわが党がただしたように、成功報酬型契約の予算を明らかにすること、大会の経済波及効果の根拠を事前に公開すること、電通グループの関与のあり方を見直すことなどを含め、市民に最低限の説明ができるようにすべきです。

 これに加えて、新たな問題として、大会開催日に航空自衛隊ブルーインパルスの展示飛行をすることも予定されているので、それについても過去の問題点(事故・法令違反・取決め無視など)の検証を行ったかどうかなどを示して、見直しを求めています。

 その上で、共産党市議団としては、

前掲の3項目は市民への説明や安全確保のための最低限の貴職の責任であり、それすらも果たせないのであれば、今からでも大会を中止する措置を取ることを強く求めます。

ということを求めました。

 つまり

  • 市の負担がめちゃくちゃ膨れているけど、「もうこれ以上は負担しない!」ってせめて言ったら?
  • 情報は事前に公開するとか電通依存はこう改めます、っていう方向だけでも打ち出したら?

 

という、共産党としてはこれまでにないくらい控えめなものです(笑)

 これくらいはできるんじゃないですか? という市長への提案です。

 市長、どうですか?

 

 それにしてもこれだけ疑問だらけのイベントの問題点を、どうして他の党の議員は検証・追及しないのでしょうか。

 不思議でなりません。 

 

 7月11日に共産党市議団としてトークイベント(オンライン市政報告)をやりますので、ぜひ聞いてみてください。

 

非正規は自分が望んでいるのか

 以前、福岡市に対して共産党が「福岡市は非正規雇用の割合が高く、正規雇用として働きたいが、非正規雇用となっている人も多い状況だ。非正規雇用の増加を是認するようなことはあってはならないと思うが、所見を尋ねる」と聞いたことがあります。

 以下は2022年9月27日の福岡市議会の決算特別委員会総務財政分科会での総務企画局の答弁です。

正規雇用者の就業理由については、自分の都合のよい時間に働きたいという理由が最も多くなっており、…一人一人が希望する働き方で就労することが重要と考えており、主に自分の都合のよい時間に働きたいということで非正規雇用を選んでいる人が多いと認識している。

 あたかも意識が多様化したから非正規を選んでいるかのような認識です。

 例えば、厚生労働省の「令和元年就業形態の多様化に関する総合実態調査」ではどうなっているかといえば、確かに正社員以外の労働者について、現在の就業形態を選んだ理由(複数回答3つまで)をみると、「自分の都合のよい時間に働けるから」が 36.1%と一番高いんですね。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/keitai/19/dl/02-02.pdf

 しかしこの調査について、調査対象の属性を見てみると、調査した労働者のうち「正社員以外の労働者」では男性の場合、60歳以上が実に42.9%を占めています。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/keitai/19/dl/03-03.pdf

 つまりこの調査では、リタイアして年金暮らしに入っている男性高齢者が多く回答していることが、回答に偏りを生む大きな要因となっています。そういう人たちがハードなフルタイムの正社員を望むというのは考え難い。貧しい年金に、ちょこっと生活の足しを…という人と、現役世代でやむをえずこの雇用形態を選択している人では、まるで意識が違います

 もちろん、現役世代の中にも、正社員の過酷な長時間労働や重い責任を負わされるストレスフルな働き方を見て、そうした形態を選ばない層も一定数存在することは確かでしょう。

 しかし例えば、福岡市自身が襟を正さなければならない図書館職員では、多くが非正規であることに悲鳴をあげています。

www.bengo4.com

 基本的には、現役世代が低処遇で安定性のない非正規という雇用形態に苦しんでいることは明らかではないでしょうか。

 統計上のごまかしを使って、現役世代の苦しみを見ようとしなければ、適切な政策は出てきようがありません。

 

県委員会総会で提起された学校給食の無償化の運動

 5月某日に日本共産党福岡県委員会総会が行われました。

 そこで「統一地方選挙でかかげた公約実現のたたかいを起こそう」ということが呼びかけられました。その中の大きな柱が学校給食の無償化を求める全県的な運動です。

統一地方選挙でかかげた目玉政策とのかかわりで、学校給食無償化の大運動を全県で起こす。この要求は「義務教育無償」の憲法原則から当然であり、子育て世代の強い要求であり、〝子育て自己責任政策〟全体を改めさせる大きな一歩となる。さらに、公費負担となれば「食育」としての質の向上を図る条件が広がる。(福岡県委員会総会決定より)

 共産党の県委員会としてこうした運動を提起したこと、すなわち市町村レヴェルだけでなく全県的な規模で運動を位置づけ、呼びかけたことは、まことに時宜を得ています。

 県委員会総会でもこの点について積極的な討論が行われ、意気高く取り組みを進める活気が伝わりました。

 先日、坂本貴志『ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う』(講談社現代新書)を読んでいたのですが、定年後に比べた現役時代に日本の労働者の支出構造を指摘する箇所がありました。

家計支出額は34歳以下の月39.6万円から年齢を重ねるごとに増大し、ピークは50代前半の月57.9万円となる。人生の前半から中盤にかけての時期は、家族の食費に教育費、住宅費、税・社会保険料ととにかくお金がかかる。(p.19)

〔定年後になって現役時代に比べた場合〕支出額の減少に最も大きく寄与しているのは、教育に関する費用である。(p.20)

そして、もう一つ定年後の生活水準に大きくかかわる項目に、住宅関連費用がある。(p.21)

 県委員会報告が「子育て自己責任政策」と強調するように、教育費は長く「受益者負担」のイデオロギーに支配されてきました。それゆえに、大学の学費はうなぎのぼりとなり、もはやお金がなければ大学にいけない状況です。

 共産党の地方議員が現在も指針とすべき基本文献の一つに、1998年の全国地方議員会議での不破哲三報告があります。

 この中で不破氏は「地方自治という憲法の大原則はどこにいったか」という問いを立て、共産党が民主主義革命で実現することをうたう憲法の民主的原則の一つ——憲法92条の「地方自治の本旨」とは何かを、次のように説明します。

国から独立して、自治体が存立し、原則として、国の監督を排除して地方の行政をおこなう。〔…〕基本は、国から独立と国の監督の排除、これが憲法が定めた地方自治の原則です。(不破『地方政治と議員活動』p.27——現在は『自治体活動と地方議会』所収)

 いわゆる「団体自治」です。共産党地方自治の基本的なスタンスの一つがここにあることがわかりますが、これは、教育費の問題に照らせば、「受益者負担」「子育て自己責任政策」を国がイデオロギーとして地方に押しつけてきた現状を、国とともに地方から変えていくという政治論でもあります。

 学校給食の無償化はもちろん国民の苦難そのものを軽減する意味があります。しかし同時に、このたたかい自体が国のかたちを変えるたたかいなのです。すなわち、教育は私費でなく社会保障として担うべきだという政治を、市民の側からの反撃して生み出していくたたかいだということです。団体自治をつらぬくことによって、国・中央から押しつけられるイデオロギーに抗するわけです。

 

 教育費と住居費は社会保障へと移転すべきだと私は思います。

 そうすることで、長時間労働に縛りつけられるいびつな正社員形態ではなく、短時間労働でも子どもを「健康で文化的な最低限度」の居住水準を確保して子どもを大学にやることができます。労働時間の短縮と、すべての人の貧困からの解放(社会保障の充実)は共産主義がめざす社会目標*1であり、資本主義のもとでの改良を重ねながら、来るべき社会のパーツを揃えることにもつながっていきます。

 福岡市議会でも、学校給食の無償化は、共産党はもとより他の党でも公約した議員がいます。署名などの市民運動を背景にして、こうした議員と手を携えてぜひ実現させたいものです。また、私もその一翼を担って奮闘したいと思っています。*2

 

補足 団体自治と住民自治

 これは余談です。

 なので、以下は、本論とは関係ありません。

 お時間のある人だけお読みください。

 前述の1998年の不破報告を読みながら、なぜ不破氏は、そこ(第一章三)で団体自治のことしか言わなかったのかについては、私は不思議に感じました。

 すなわち「地方自治の本旨」という場合、憲法学の主流の理解では、団体自治だけでなく住民自治があり、その二つをあわせて「地方自治の本旨」の中身として説明します。

 しかも、両者は並列的なものではなく、住民自治が基礎にあって、その上で団体自治が成り立つと説明されることが少なくありません。例えば以下の、ある憲法学者の一文をお読みください。

地方自治の本旨」と言えば、一般に、「住民自治」と団体自治」からなると説明されることが多い。それは、以上のような地方自治の存在理由を満たすためには、なによりもまず、その地域のことはその地域の住民がみずから決定するという「住民自治」が不可欠であり、そしてまた、この「住民自治」を実現するためには、その地域における公共事務が国から独立して行われるべきものとする「団体自治」が要請される、ということからである。だから、「住民自治」と「団体自治」を並列的なものとしてとらえるのでなく「住民自治」が基本であり、そのために「団体自治」がある、ととらえるべきである。(浦部法穂憲法学教室(全訂第2版)』日本評論社、p.575-576)

 団体自治と住民自治が説明され、後者が基本であることが強調されています。

 実際、不破氏は1998年の報告において「地方自治の本旨」を説明する箇所で、憲法学者たちが集まって作った『註解 日本国憲法』を使って、次のように書いてある部分を引用しています。

地方的行政のために国から独立した地方公共団体の存在認め、この団体が、原則として、国の監督を排除して、自主・自律的に、直接間接、住民の意思によって、地方の実情に即して、地方的行政を行うべきことをいう

 このように住民自治の契機を入れているのに、そこはスルーしてしまっています。

 まあ、どういう理由かはわかりません。

 ただ、不破氏は、同じ報告で議員活動に対する7つの提案を行い、その中で真っ先に「第一。地方政治の問題に住民の目線でとりくむ」と題して、こう述べています。

地方政治の仕事というのは、他のだれの要求にこたえることでもない、地方住民の要求にこたえることが地方自治の精神なんだということを、しっかり議員活動の全体にまず貫いてほしい。(不破p.52)

 これは住民自治の精神そのものです。そして、不破氏は続けて、国の計画や国の政策にどう応えるかということしか考えない地方政治の現状を批判しています。つまり、報告の中ではよ〜く読めばこの両者は登場しているのです。しかしできれば自覚的にそれを結びつける叙述をしてほしかったと思います。

 日本共産党は綱領で地方政治について規定を設けていて「住民こそ主人公」という原則を書き込んでいます。これも住民自治の原則だと思うのですが、「地方自治の本旨」の内実である「住民自治」と「団体自治」の2要素を解明して、その関係を明らかにするという理論作業がほしいところです。共産党の地方議員が日々の指針とするためです。

*1:共産主義とは利潤第一主義から経済を解放し、経済を社会のために役立てるようにすることであり、その目指すべきものは(1)全ての人に健康で文化的な最低限度の生活の保障、(2)労働時間の抜本短縮による人間の能力の全面発達、(3)気候変動対策など経済の合理的規制である。

*2:さて、ここまで読まれた方、私が曲がりなりにも県委員会総会決定の実践に力を尽くそうとしていることをご理解いただけたかと思います。まさか「神谷は絶対秘密の県委員会総会決定や会議の内情を外部に暴露してしまった。党規約違反だ」などと思われた方って、います? いませんよね。そんなこと、党規約に一文字も書かれていませんから。当たり前です。もしそんなことを思う人がいたら……その人のメンタルが心配です。お大事に。

政党助成金と日本共産党の党内民主主義について

 日本共産党志位和夫委員長を迎えての、千葉・船橋での対話集会のやりとりが「しんぶん赤旗」で報道されました。

www.jcp.or.jp

 その中で例えばこのようなくだりがあります。

 政党助成金を受け取って何かいい使い方をしたら?」

 志位さんは受け取らない理由の第一に憲法違反をあげたうえで、「政党助成金は政党を堕落させてしまいます」。もし共産党がいま政党助成金を受け取ったら11億円ほどになりますが、党への個人献金は80億円だと紹介すると、「すごい」と驚きの声が。「共産党に個人献金する方の多くは、苦しい生活の中でも少しはと、献金していただいている。もし、税金をもらったら、この個人献金、もらえるでしょうか。草の根で支えられた財政が大事だと思う」。さらに「いずれ廃止のときがきます。廃止を訴え続ける党があってこそ、この制度を廃止できる」とのべました。

 この冒頭の朱書きした部分、「政党助成金を受け取って何かいい使い方をしたら?」という主張ですが、初めて聞く人はよくわからないかもしれません。だからこの主張の立場を少し説明をします。

——政党助成金というのは政党助成法に基づいて一定の要件を満たした政党に交付される、政党の活動を助成することを目的にうたった交付金のことである。「政党交付金」とも呼ばれる。リクルート事件やゼネコン汚職などを受け、企業・団体からの献金が政治をゆがめることが大きな問題となり、それを制限し無くしていく代わりに国が政党に対して助成金を出すということを決めた。

——そのようにして決めたものであるから、政治をゆがめる企業・団体献金をなくすものだし、大いに受け取って、それで国民のための活動をすれば問題はないはずだ。

——また、仮に何か問題があるとしても共産党が受け取りを拒否すると、その拒否した分は保留されて国庫に留め置かれるのではなくて、他の政党にその分が配分されてしまう。自民党や維新の会が山分けしてしまうではないか。そんな反国民的な政党を肥え太らすためにお金を回すくらいなら共産党が受け取るべきだ。

——さらに言えば、この受け取りをしない分は個人献金で埋めることになり、共産党を支える人は大変な思いをしてカンパをすることになる。そんな苦労を国民にさせないためにも、受け取った方がいいのではないか。

 とまあ、こんな感じの主張になります。

 

 これに対して、もう一度志位委員長はどう反論しているのか、映像から起こした全文を見てみましょう。

www.youtube.com

 あのね、受け取らない理由を言いますと、一つは憲法違反という問題があるんです。なんで私たちが受け取り拒否しているかという根本には憲法違反という問題がある。政党助成金という仕組みはですね、どういう仕組みかっていうと、〔交付額が〕国民一人当たり250円と決まってるんですよ。それで総額315億円。国民の数が減れば〔交付額の〕総額が減るんですよね。国民一人当たりということで決まってるんです。ですから一つの額が、総額が決まっていてそれを配分するっていうんでもない。国民一人当たりってなってるんです、制度の設計が。そうしますとね、例えばあなたが250円払う。その半分が強制的に自民党に行く、と。こういうことになりますと、自民党に対する強制カンパになるじゃないですか。つまり思想信条に反して、ある党に対するカンパが強いられる。これはもう根本的に憲法に反している。だから私たちはまず憲法違反であって、これはもう制度そのものに反対して受け取らない。

 同時に二つ目。それだけじゃなくてね、やせ我慢でもらってないわけじゃないんです。やっぱり政党を堕落させるっていう面があるんですよね。政党っていうのは草の根で結びついて、草の根で国民の皆さんの様々な財政的な支えで活動するっていうのが本来のあり方じゃないですか。それを国営政党みたいになって、国からのお金に頼ってやっていたら堕落が始まるんじゃないでしょうか。まあ、麻薬みたいなもんでね、一旦打ち始めると中毒みたいになっちゃって、税金依存政党になっちゃったら私は堕落だと思う。

 で、こういう問題があるんです。数字をちょっと調べてきたんですけどね。共産党が仮に政党助成金を受け取ったとしますといくらか。11億円。(「すごい」)「すごい」とおっしゃいますけどね、個人献金をわが党は1年間でどれだけ集めているか。80億円です。(「おおーっ」。拍手)こっちのがすごい(笑)。80億円もいただいている。共産党に個人献金をしてくださるっていう方っていうのは、多くは苦しい生活の中でも少しはと思って出していただく方がほとんどだと思うんですよ。それが80億円。もし税金もらったら、この個人献金、集まるでしょうか。「税金でやってるんだったら、わざわざ献金を出す必要ない」ってことになるんじゃないでしょうか。

 ですからね、こういうせっかくの〔草の根の国民との〕結びつきが断たれてしまう。11億円もらったおかげで、80億円がフイになってしまうということにもなりかねないわけでありまして、ですから、ここはね、草の根でいただいた財政を作っていくことが大事だと思います。

 最後に3点目がある。私はこの政党助成金というのはいずれ廃止する時がやってくると思う。政権を使った大規模な買収事件も起こったじゃないですか。ですから廃止する時がやってくる。その時にですね、全部の政党が政党助成金をもらっていたら、廃止になんないじゃないですか。政党助成金を巡ってどんな矛盾が起こってきても、〔政党助成金制度が〕ダラダラ続くことになります。だからね、いずれ廃止する時がやってくる。で、共産党が頑として廃止を言い続けてきたことが生きる時が必ずくる。共産党までもらっちゃって、全部の政党が政党助成金認めちゃったら、廃止する道がなくなってしまう。

 私はこの315億円はきっぱり廃止する! それで頑張りたいと思っております。どうかご理解よろしくお願いいたします。(拍手)

 この志位委員長の立場に加えて述べておけば、政党助成金導入後も、企業・団体献金はなくなっておりません。2021年度の政治資金収支報告を見ると自民党本部の政治資金受け皿団体「国民政治協会」(国政協)に、企業・団体、政治団体などから29億466万円が献金され、そのうち24億7000万円が自民党本部に入っています。

 いわば政党助成金は企業・団体献金をなくす代わりになっておらず、それももらって、さらに国民の税金も山分けしていることになります。二重取りですね。制度の建前さえ歪めているのです。

 また、「5人以上の国会議員を集めれば政党助成金をもらえる」ことから、理念も政策もぬきに、政党助成金目当てに、おびただしい数の新党の設立と解散が繰り返されてきたことも、問題です。制度導入以来、政党助成金を受けとった政党は実に47党になります。

 政党が、国民・有権者から「浄財」を集める努力をしないで、税金頼みになると、国民の中で活動し、国民の支持を得て、その活動資金をつくる、ということが基本が崩れます。そうなると、国民の声がわからなくなる、資金についてもカネへの感覚が麻痺してくることになるんじゃないでしょうか。河井克行法務大臣・案里夫妻の大規模選挙買収事件、秋元司担当副大臣のカジノ汚職事件、吉川貴盛農林水産大臣の鶏卵汚職事件、甘利明経済再生担当大臣(前自民党幹事長)のUR口利き疑惑、安倍総理の「桜を見る会」前夜祭の買収問題など、腐敗事件が連続してることは偶然じゃないと思います。

 

 私は「政党助成金を受け取って何かいい使い方をしたら?」という主張は誤っているという認識を共有し、志位委員長が述べた日本共産党の立場で引き続き実践を重ね、検証していきたいと思います。

www.jcp.or.jp

www.jcp.or.jp

 

 さて、ここまでの私の記事および解説を聞いてどう思われました?

 「神谷は政党助成金廃止に向けて頑張っておるのだなあ」と思っていただけたかと思います。

 まさか、「神谷は政党助成金廃止の記事にかこつけて、4つのダッシュ(——)の部分で政党助成金必要論を展開し、必要論を実は広げようという真意を隠し、党規約第5条(五)にある『党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない』に反しておる!」など思った方は一人もいないと思います。

 そんな方がいたら、いたわってあげたいですね。

 どうしましたか? 大丈夫ですか? 休みは取れていますか? 何か嫌なことがありましたか?

 

 共産党政党助成金についての考え方、および共産党の規約に基づく党内民主主義とはどういうものか、ご理解の一助になれば幸いです。

 

 

世界水泳選手権福岡大会の「経済波及効果」の数字はなんで非開示なの?

 世界水泳選手権福岡大会についての日本共産党の追及。

www.jcp-fukuoka.jp

 電通がらみで何から何まで「もうこのまま続けていいんかいな」という感じで、しかもこの大膨張予算、交渉会派(主要会派)では日本共産党を除いてみんな賛成。

 

 東京五輪に関して報じられる電通関係の証言の一言ひとことが、世界水泳にも刺さってくる(強調は引用者)。

newsdig.tbs.co.jp

 

報道特集は4人の組織委員会元職員を取材。出身母体は広告代理店、自治体、競技団体など。口々に語られたのは、費用が膨らんだ“からくり”だ。

組織委元職員 望月宣武 氏「素人組織ができることは、もう電通に頼ることしかできない、付け込まれる隙をずっと持っていた」

電通出身 組織委元職員A氏「正直言うと広告業界が麻痺しているのは間違いない。織委員会側にノウハウが全くない。言いなりにならざるを得ない

元東京都職員 鈴木知幸 国士舘大学客員教授「経費について『どういうふうにして委託業務を作っていくか』と言ったら(上司から)『ダメダメ、もう電通1本』独占みたいになっている。交渉がほとんどできない状態。競争入札できる状態ではないから(費用が)言い値になってしまう」

電通出身 組織委元職員A氏「(組織委の)森次長の下には何名か部長がいますけど、電通から出向している部長が当然いますので、受注者側(電通)が人を送り込んで、発注者側(組織委)として調整している」

組織委元職員B氏「一般競争契約が基本で、随契が例外。逆なんですよね組織委員会の場合は競争契約が例外で、随契が基本というような考え。(組織委の上司は)『我々は公益財団法人で、今回は契約の内容とかを公表する義務がありません』と。これは(当時の五輪担当の丸川)大臣が国会で答弁しています」

組織委元職員B氏「(組織委の上司は)『また過去の長野(五輪)の事例を見ても、会計検査院による検査等々には該当しないので、絶対に外部からの監査の目が入ることがないので大丈夫です』という回答が常にありました」

電通出身 組織委元職員A氏「1つの大会にも関わらず、金額がバラバラなんですよね。一番問題なのは多分そこ。組織委員会側にノウハウが全くない。だから結局、委託業者に委託するしかないし、言いなりにならざるを得ない

組織委元職員B氏「連絡業務という役職がありまして『連絡業務って何?』と聞いたら、『本社(広告代理店)との連絡業務です』と。特に『これ会社に持っていって』と言われた物を持っていくだけ」

 次々全国の自治体では電通が指名停止となる中、頑なに電通依存を続ける髙島市政。

www.sankei.com

 この問題の中でも、経済波及効果についてちょっとだけ。

 上の共産党市議団の記事に、

世界水泳で540億円の経済効果」という市長の宣伝についても、綿貫市議がその根拠数字を調査で求めても黒塗りで非開示とされたとして、検証できないデタラメな試算だと厳しく批判しました。

とあるんだけど、一体どういうことか。

 経済波及効果というのは、「ある産業部門に需要等が発生した場合、どれだけの額の経済波及効果が福岡市内で生じるかを算出しているもの」(福岡市)です。

 このため、計算が適正かどうかを見るためには、それぞれの産業部門にどれだけ需要等が発生したのかを示してもらう必要があります。

 ところが、共産党がその数字を求めたところ、上記のように数字が黒塗り。全然わかりません。

 個人情報でもなんでもないのです。

 特に部門ごとの支出額が全くわからないのはどうかしております。

 市長は大会費用が膨張していることの言い訳として「でもそれを上回る経済波及効果があるからいいでしょ」と言いたいんだろうと思うんですが、こんな黒塗り資料出されて「適正だから通してくれ」と言われても無理じゃないでしょうか。

 

 市側は議会で黒塗りの理由について「発注準備、変更協議中の予算が含まれる」と述べています。それは右側の部分だけについてでしょう。左側について開示しないことは道理がありません。また右側についても最近アベノマスクの単価開示をすべきだという判決が下っており、こちらも道理がいよいよ無くなっています。

www.tokyo-np.co.jp

まず「企業の営業ノウハウ、アイデアが明らかになって、同業者との競争上不利になる」という論理。判決は、マスクの需給バランスが崩れた特殊な状況下での各企業の調達能力を推認できる可能性はあるとしつつ、「その程度の漠然とした情報が、各企業の競争上の地位を不当に害するとは考えがたい」と一蹴した。

判決は「国が随意契約により購入する物品代金や単価は、税金の使途にかかる行政の説明責任の観点から開示の要請が高い」とも説明。「政府と取引する企業がなくなってしまう」という懸念にも、将来感染症が急拡大して政府が布マスクを大量調達する「特殊な事態が起きる蓋然性は常識的に考えてかなり低い」と疑問を呈した。こうして、賠償以外の原告の請求を全て認めた。

 そもそも経済波及効果の試算根拠によってその会社との契約金額を確定するわけじゃないんだから、「数字は確定したものではありません」と付記すればいいだけのことではないですか。どんだけ出したくないんですか。

日本共産党の党内民主主義について

 2月某日、日本共産党福岡県委員会の総会が行われました。

 私は県役員(県委員かつ県常任委員)なので、それに参加しました。*1

 私は総会で、“松竹伸幸さんの除名処分決定の根拠となった4つの理由はどれも成り立っていないので、松竹さんの除名処分に関連して記述されている今回の総会への報告部分を削除するとともに、松竹さんの除名処分を見直すように関連地方機関に中央委員会が助言することを、福岡県委員会総会として決議すべきだ”と発言・提起しましたが、この私の意見は、「採用しない」ことが賛成多数で決定*2されました。

 私は党規約通り自分の意見を保留して次の会議以降までこの決定を実践し、この決定が正しかったかどうかを検証していきます。

 党の決定を広く県民・国民に知らせ、実践する立場から、この決定について少し詳しく説明します。

 

私の「松竹さん除名処分への反対」は県総決定においてどう批判されたか

 私が総会で述べた発言の要旨は次の通りです。本当はもっと長いものですが、それを記すことが本稿の目的ではなく、県委員会総会の決定がなぜこのような構成になっているのかを理解するためのものに過ぎないので、要点をごく簡単に記します。

——松竹さんを除名処分とした決定ではその理由を4点述べていますが、私はその4点がいずれも成り立っていないと考えました。除名は「もっとも慎重におこなわなくてはならない」(党規約54条)以上、1点でもその根拠に疑問があれば除名処分を見直す必要があります。

——第一は、「松竹さんは綱領に反している」と言われていますが、松竹さんは安保廃棄と自衛隊の解消という党綱領が民主主義革命(民主連合政府)においてめざす政策は共有しており、綱領には反していないということです。松竹さんが「安保堅持、自衛隊合憲」だと述べているのは、野党連合政権についての話であって、これは党自身が野党連合政権の政策として述べていることです。なお「野党共闘の障害」と松竹さんが述べているのは安保・自衛隊という「テーマ」についてであって、党への悪口・攻撃ではありません。

——第二は、「松竹さんは規約に反している」と言われていますが、松竹さんは、規約の範囲での党首公選も提案しており(党員全体が投票して、その結果をへて中央委員会が委員長を選ぶなど)、規約に反していないということです。また、現在の党の委員長選出が選挙によって行われていることを見れば、選挙が「必ず派閥を生む」ものでないことは明白です。さらに、党内での議論ののち決定をして外部には行動の統一をはかる(人によって言うことがバラバラでない)のが規約の制度設計ですから、「党内に存在する異論を可視化するようになっていない」というのは悪口どころか現行の民主集中制がめざす“理想”のはずです。

——第三は、「松竹さんは分派をつくって規約に違反した」と言われていますが、党員でない人も大勢いる出版社で、編集者という職業上、出版物の中身を知り、販促の立場から「同じ時期に出したほうが売れる」と言っただけで、私も複数の出版社で体験したことがあり、そのような発言は分派でもなんでもないということです。

——第四は、「松竹さんは中央委員会等に意見を言わなかった」とされていますが、そもそもそれは義務ではなく権利であり、除名処分理由にはならないということです。松竹さんは本の中で述べている通り、綱領と規約に反していないことを自分でよく調べ、考えた上で、その範囲でモノを言っているだけで、そうであれば自分の公開する発言を、いちいち党中央にお伺いを立てて許可を取る義務はありません。ジャーナリストであればなおさらです。

——大軍拡に反対する共産党を反動勢力が攻撃しようと待ち構えていることはその通りですが、以上の経過に照らせば、今回の事態は党のミスにより自ら招いたオウンゴールです。処分を見直せば攻撃の口実はなくなります。党の命運とともに、一人の党員の人生がかかっている大問題であり、真摯な是正を求めます。

 このような趣旨で私は発言しました。

 私の発言に対して、数名の参加者から反論的な意見が出されました。これらをまとめ、それを聞いた私の認識として書き直せば次のような点になるでしょう。

 第一の点について。松竹伸幸さんは、日米安保条約堅持、自衛隊合憲という党綱領に反する主張を公然と行っています。松竹さんは1月に出版した本の中などで、「核抑止抜きの専守防衛」を唱え、「安保条約堅持」と自衛隊合憲を党の「基本政策」にせよと迫るとともに、日米安保条約の廃棄、自衛隊の段階的解消の方針など、党綱領と、綱領にもとづく党の安保・自衛隊政策に対して「野党共闘の障害になっている」「あまりにご都合主義」などと攻撃をおこなっています。

 第二の点について。松竹さんは、「党首公選制」という党規約と相いれない主張を公然と行っています。松竹さんは、1月に出版した本の中などで、「党首公選制」を実施すべきと主張するとともに、党規約にもとづく党首選出方法や党運営について、「党内に存在する異論を可視化するようになっていない」、「国民の目から見ると、共産党は異論のない(あるいはそれを許さない)政党だとみなされる」などとのべています。「党首公選制」という主張は、「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制の組織原則と相いれないものですが、松竹さんがこの主張と一体に、わが党規約が「異論を許さない」ものであるかのように、事実をゆがめて攻撃していることは重大です。

 第三の点について。松竹さんは、党攻撃のための分派活動を行っています。『週刊文春』1月26日号において、党に対して「およそ近代政党とは言い難い『個人独裁』的党運営」などとする攻撃を書き連ねた鈴木元さんの本(1月発行)を、「『同じ時期に出た方が話題になりますよ』と言って、鈴木さんには無理をして早めに書き上げていただいた」と出版を急ぐよう働きかけたことを認めています。松竹さんは党のききとりに対して、この本の「中身は知っていた」と認めました。この行為は、党攻撃のための分派活動といわなければなりません。

 第四の点について。党の聞き取りのなかで、松竹さんは自身の主張を、党内で中央委員会などに対して一度として主張したことはないことを指摘されて、「それは事実です」と認めました。党規約は、中央委員会にいたるどの機関に対しても、自由に意見をのべる権利を保障しています。異論があればそれを保留する権利も保障しています。しかし、松竹さんは、そうした規約に保障された権利を行使することなく、突然の党規約および党綱領に対する攻撃を開始したのです。

 こうした討論の流れを受けて、県委員会総会の結語では次のように述べられ、決定とされました。

 一つは、県常任委員の神谷同志からの常任委員会報告に反対する立場から「松竹問題」が提起され、討論となりました。この点について2点のべておきたいと思います。

 1つは、党の方針や見解をめぐって、反対意見をもった場合、会議のなかできちんと自分の意見をのべ、率直に議論していくことの大事さについてです。……今日の県総では神谷さんの意見表明をきっかけに真剣な議論がされました。ところが松竹氏の場合、本人も認めているように、これをやらなかったのです。党のルールに則った議論をせずに、本を出版し、その記者会見をやり、記者クラブでの講演までやって党を外から攻撃しました。もし彼が、党のルールにそって党内部で議論をしたならば、結論はまた違っていたと思います。会議で自分の意見をしっかりのべたり、中央委員会に対してであれ、都道府県委員会に対してであれ、地区委員会に対してであれ、質問したり、意見をのべたりすることが大事です。これは党員の権利であると同時に、異論をもった場合、それを解決していく一つの出発点となるものです。その点で、今日の県総はたいへん有意義な討論となりました。

 しかし同時に強調しなければならないことは、会議で異論をのべ、自由に討論する大事さとともに、その異論が解決せずにさいごまで対立した場合、それは多数決で決定されることになります。それが党規約の立場です。決定されたら、異論、反対を表明した少数者は、自分の意見を保留する権利があると同時に、決定に従って実践しなければなりません。今日の報告と結語が採択されれば、県委員会総会での決定となります。県総の決定はたいへん重い決定です。この決定をひっくり返せるのは県党会議だけということになるからです。もちろん新しい要素が出た場合、県委員会総会での新しい決定は可能であることは当然です。

 したがって決定後は実践での検証ということになります。したがって決定後は実践での検証ということになりますから、少数意見は党内であっても繰り返しのべることはできません。これが党規約のルールだということです。この点はあらためて確認しておきたいし、神谷さんも了解しているところです。

 「松竹問題」をめぐって、討論の結語としてもう1点のべておきたいことは、このルールにもとづく異論の提起をしないまま、党の外で異論をのべて党に否定的影響を与える攻撃をおこなった場合、党規律に反することになり…処分となるのは当然だということです。

 これは憲法が保障する結社の自由にもとづくものです。日曜版、日刊紙に同時掲載された憲法学者である小林節慶応大名誉教授の指摘するところでもあります。少し長くなりますが小林名誉教授の指摘をあらためて紹介しておきたいと思います。

「『結社』とは人の集団のことで、犯罪を目的としない限り、どんな結社を作ろうが自由です。その結社の入会資格や内部規律(規約)もそれが犯罪でない限り各結社の自由です。その目的や規律が嫌いな人はその結社に入らないか、いったん入っても後にそのれがいやになったら出る自由もあります。/すべての結社には内部規律に関する自治権があります。違反者には懲戒処分をすることができます。これは日本共産党に限ることではありません。……  処分された党員が〝日米安保条約の堅持〟〝自衛隊合憲〟という意見を持つことも自由です。しかし、日本共産党は綱領で、国民多数の合意での安保条約の廃棄をきめています。自衛隊についてもアジアが平和になるなど国際情勢が許し、主権者国民の多数が認めたら、解消するとしています。/それが正しくないと思うなら、まず規約通りに党内で意見を述べるべきです。それが通らなければ、自分の意見を『保留』することも、『結社の自由』を行使して離党することもできます」

 この小林名誉教授の指摘は、たいへん大事です。日曜版最新号では、元朝日新聞政治部次長の脇正太郎さんが登場して、朝日新聞のデタラメさを批判しています。ぜひしっかり学習してください。

 結論としてこの「松竹問題」を利用した反共攻撃を打ち破ることは、情勢論の大事な柱です。だから神谷同志が求める常任委員会報告第1章の(3)の削除をするわけにはいきません

 この点を神谷同志にはぜひ理解してほしいと思うし、マスメディアは、この結社の自由に反して党攻撃を行なっており、党が断固マスメディアとたたかう理由もここにあるということをあらためて強調したいと思います。 

 「松竹問題」をめぐっては、党首の選び方として全党員による選挙、党首公選制をなぜとらないか、なぜ規約が定める現行の選び方がなぜ合理的か、さらに松竹氏の綱領のとらえ方の問題点、さらにはなぜ松竹氏が除名となったのかなど、大事な論点があります。……それぞれの党としての見解は、基本的には、志位記者会見がのべたとおりであると考えます。

 したがって結論として、除名処分を取り消し、再検討を中央委員会に要請してほしいという神谷同志の要求は受け入れられません

 今回の県総とのかかわりでいえば、常任委員会報告は、そうした点を全面的に展開しているわけではありません。報告で問題としているのは、「松竹問題」を利用したマスメディアの党攻撃は結社の自由に反するものであり、そのねらいは、岸田政権による大軍拡、戦争する国づくりに断固反対する党のたたかいを押さえこむことであり、党として断固打ち破らなければならない、ここのところを情勢論の一つの柱として提起したものです。直接的には、この点に賛成なのか、反対なのか、ここをはっきりしていただきたいと思います。

 常任委員会報告で提起したことを、県総の決定にして、断固として「松竹問題」を利用した反共攻撃とたたかっていくことをはっきりさせたいと思います。

 さらに詳しくは上記の結語にもある通り、志位委員長の記者会見をみてください。

www.jcp.or.jp

 だめ押しで言っておけば、私が述べたような意見は明確に批判・否定され、その批判・否定をベースとして決定が作られたということです。そして私は私の意見が間違っているという、決定の認識を共有し、それに従い、その立場で活動します*3

 くり返しますが、これは日本共産党の決定です。「決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である」(党規約3条)。何が決定されたのかを、私は、誰よりもしっかりと、はっきりと、明確に認識し、実践する決意です。私は党規約通り自分の意見を保留して次の会議以降までこの決定を実践し、この決定が正しかったかどうかを検証していきます。



保留した意見はいつ検証されるか、異論保留者は指導部にとどまれるか

 次に、この件に関わり、「保留した意見はいつ検証されるか」「異論保留者は指導部にとどまれるか」という二つの問題について。

 上記の決定(結語)において、

今日の報告と結語が採択されれば、県委員会総会での決定となります。県総の決定はたいへん重い決定です。この決定をひっくり返せるのは県党会議だけということになるからです。もちろん新しい要素が出た場合、県委員会総会での新しい決定は可能であることは当然です。

 したがって決定後は実践での検証ということになります。したがって決定後は実践での検証ということになりますから、少数意見は党内であっても繰り返しのべることはできません。これが党規約のルールだということです。この点はあらためて確認しておきたいし、神谷さんも了解しているところです。

としている箇所がありますが、私は「決定されれば実践する」という点は「了解」しましたが、「少数意見は党内であっても繰り返しのべることはできません」という点には「了解」した覚えはありませんでした。(いずれにせよ私は結語には「反対」を表明したので、もうそれはいいんですが。)

 「少数意見は党内であっても繰り返しのべることはでき」ないのか? という疑問が私には残りました。もしそうなら、いくら党規約で発言は自由だと書かれていても、実際には私は県委員会総会で8分しか発言できないという極めて限られた権利行使しかできないことになり、あまりに非対称になります。

 他方で上記決定(結語)は、「もちろん新しい要素が出た場合、県委員会総会での新しい決定は可能であることは当然です」としており、「新しい要素」が出れば発言は(今後も)できるということになります。私は、よくわからなくなりました。

 したがって、この点について、私はぜひ詳しく聞きたいと思っていましたが、県委員会二役(県委員長・書記長)から呼びかけがあって話し合いをした時に、釈明がありました。

 それらをまとめれば次のようになることがわかりました。

  • 「少数意見は党内であっても繰り返しのべることはできません」とは基本的に「一事不再議」のことであって、採決を行なった同じ会議において、さらにくり返し述べたり、採決を求めたりすることはできないという趣旨であること。
  • 決定を実践し検証するのは、私の場合は次の県常任委員会(週1回程度)、次の県委員会総会(月1回程度)、次の県党会議(年1回程度)であり、その都度、基本的にはその問題を発言し、採決を求める権利があること。

ということがわかりました。これは正しい判断だと思いました。

 もちろん、だからと言って実際に毎週・毎月、私がくり返しこの問題を会議で発言し、採決に付すかといえば、必ずしもそうはならないでしょう。メンバーが変わっていないので、「新しい要素が出た場合」、例えば少なくない支部が反対するようになってきたとか、情勢に変化があったとか、そういう何か新しい材料がなければ、審議も決定も変わらないからです。

 何れにせよ、こうしたことは、私も、そして二役も、明確にしていなかったことであり、規約の有権的解釈をもつ中央委員会とのやりとりをした上で、初めて明らかになったことでした。

 もう一つ、「神谷は常任委員としてふさわしくないのではないか」として私を常任委員から外すという「意見」をどう考えるか、県委員会二役から話がありました。この「意見」について二役は「明確な誤り」「神谷が規約にのっとって発言と行動を続ける限り問題はない」として断固退けるとしました。これも全く正しい判断です。

 このような「意見」すなわち「異論を持つメンバーを指導部から外す」という考えは、「党員としては存在していいけど、指導的ポジションにはふさわしくない」という「善意」からきています。

 しかし、それは党内の選挙において個々の党員が発揮すべき自由(神谷を選挙で落とす)、もしくは会議において私を批判する発言を行う自由(「神谷の発言は問題だ」と言う)であって、ルール通り異論を唱えたことを理由に任期の途中で私を役職から外す(神谷を常任から罷免する)ことは、党規約にある民主集中制の原則「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」(第3条)に違反することになり、ガチで「異論を許さない党」になってしまいます。こうした「意見」は、そのことに対する混乱があるわけです。

 決定後に異論を保留している人が再び異論を述べることができるかという問題。異論を持つ人が指導部に留まり続けられるかという問題。

 この二つの問題は、「新しい問題」です。県二役もそのように述べていました。私も同意します。

 どのように「新しい」のかといえば、党の機関(地区委員会や都道府県委員会)の指導部の中に「異論」を持ち、それを会議で発言し、態度として「反対」「保留」を表明し、引き続き指導部として活動するという人が「当たり前」に存在するようになった時代だからです。

 党内の会議で、中央の方針に異論を唱える人は基礎単位(支部)段階ではよく見ましたし、地区・県の会議でも発言の一部程度にはよく見ました。しかし、正面から方針の削除、賛否の表明をする人は、これまであまりいませんでした(いないわけではない)。さらに、そうした異論が組織的・人間関係的トラブルと結びついていなくて、引き続き党にとどまり、地方の指導的なポジションで党活動を続けているということもほとんどなかったのです(関係がこじれて離党したり、そのついでの共産党への批判をたくさん述べるという人はいた)。都道府県委員会の常任委員レベルではかなり珍しいのではないでしょうか。

 いわば党活動の新しいステージであり、そのための民主的手続きを具体的に考え、保障する必要に迫られているのです。

 「そんなのもなかったなんて非民主的だったことの証拠じゃない?」という人もいるかもしれませんが、私はそうは考えません。

 例えば、世の中の人が憲法改正など考えもしなかった時代には、改憲の手続き(国民投票)を具体化する必要はありませんでした。それは民主主義の欠陥ではなく、現実的ではなかったからです。しかし、昨今の国民投票法の制定は、改憲派の策動を動機としてはいますが、それが強い反対を受けなかったのは、「どの条項かはわからないけど、改憲が絶対ありえないわけじゃないだろうから、手続きくらい定めておいていいんじゃない?」という国民の意識の変化が背景にあります。その場合、国民投票法さえなかった以前の社会のありようが「非民主的」だということにはなりません。

 党活動のあり方が変化しているので、それにふさわしく党の組織運用(民主集中制)を現代的に具体化し、発展させる必要があるのです。

 

日本共産党の党内民主主義は機能しているか

 松竹さんの除名処分をめぐってSNSやメディアでは「日本共産党は党内民主主義がない」「志位和夫の独裁(党中央の専制)だ」という意見が時々見受けられます。

 これに対する私の答えは、「日本共産党の党内民主主義は機能しているが、そこには課題もあるし、個々の問題では間違うこともある」というものです(お気に召さなければ逆の言い方でもいいでしょう。「日本共産党の党内民主主義には課題もあるし、個々の問題では間違うこともあるが、機能している」)。

 まず、私の発言をめぐるやりとり自身がその証拠になるでしょう。

 県委員会総会決定の該当部分を再掲します。

 1つは、党の方針や見解をめぐって、反対意見をもった場合、会議のなかできちんと自分の意見をのべ、率直に議論していくことの大事さについてです。……今日の県総では神谷さんの意見表明をきっかけに真剣な議論がされました。……会議で自分の意見をしっかりのべたり、中央委員会に対してであれ、都道府県委員会に対してであれ、地区委員会に対してであれ、質問したり、意見をのべたりすることが大事です。これは党員の権利であると同時に、異論をもった場合、それを解決していく一つの出発点となるものです。その点で、今日の県総はたいへん有意義な討論となりました。

 そして、私は組織的に排除されていません。

 日本共産党の党内民主主義は機能している、と私が実感をもって言える一つの証拠にはなるでしょう。

 しかし、だとしても、それは一つのケースに過ぎませんし、システム全体を見ればそこに問題や課題がないわけではありません。決して小さくない、不十分な点がいろいろあります。

 そういう点があることを認識し、改革することが共産党の特質(長所)であることは志位和夫委員長自身が次のように述べています

わが党の歴史のなかには、多くの誤り、時には重大な誤りがあります。さまざまな歴史的制約もあります。それらに事実と道理に立って誠実に正面から向き合い、つねに自己改革を続けてきたことにこそ、わが党の最大の生命力がある

自己改革というわが党の特質の最後に、日本共産党が党の活動と組織のあり方においても、自己改革を重ねてきたということをのべたいと思います。

 当然ですね。「日本共産党の党内民主主義は100%正しい。何も問題ない」と言っている人がいたら、大丈夫かなこの人、休んだ方がいいんじゃないかなあ、と心配になります。

 そして個別の問題、個々の決定や処分で大きく間違うことはありますし、現在でも間違いを犯している可能性がないかどうかを、党としては検証しています。民主集中制は絶えず仮説を実践によって検証するという立場ですから、「今共産党が『正しい』と称して行っている決定や処分は、今後も絶対に正しい」などということは誰も言えません。

日本共産党に対して「無謬(むびゅう)主義の党」――"誤りを決して認めない党"という攻撃が、行われてきましたし、今なお繰り返されています。しかし、これほど事実に反する、的外れの攻撃はありません。

 私は科学の常として、今まさにその疑いを心で保留しながら、実践による検証を行っているのです。

 再掲します。「日本共産党の党内民主主義は機能しているが、そこには課題もあるし、個々の問題では間違うこともある」または「日本共産党の党内民主主義には課題もあるし、個々の問題では間違うこともあるが、機能している」ということが私の現時点での結論です。

 

*1:共産党は県ごとに“県大会”(県党会議)を開きます。この“県大会”で決まったことを県の党員みんなで実践していくのですが、これは1年に1回のペースなので、大きな方向しか出せません。その間は、“県大会”で選ばれた役員(県委員)が細かく会議(県委員会総会)を開いて、方針を具体化していきます。その県委員会総会へ提起する方針を考えるのは、県委員の中でさらに選ばれた県常任委員です。つまり、県委員会総会に対して、県常任委員会が方針案の報告を行い、県委員全体で討論をし、その討論を県常任委員会がまとめ、報告と結語についての賛否を県委員に尋ね、多数決で方針として決定します。

*2:これは県委員会総会の結語として決定の一部を構成しています。

*3:つまり、私の原意見に対して、そのあとの「第一の点について」「第二の点について」…と書かれた部分で批判する立場に立って活動するということです。