新型コロナウイルス感染症対策について、以下は現時点でいろんな情報を聞いて私が感じたことのメモのようなものです。暫定的な結論といいますか。
「人と人との接触を保ちながら感染源を減らす」という目的
「しんぶん赤旗」日曜版(2021年1月10日付)に掲載された感染症対策の専門家・谷口清洲さん(国立三重病院臨床研究部長、国立感染症研究所研究員)のコメントに直接は触発されました。*1
感染源がある限り、人と人との接触があればウイルスは広がります。大事なのは、何とかして感染源を減らすことです。(谷口さん)
経済を回すためには人と人との接触を保つことになるわけですが、政府が国民に求めているのは人と人との接触を減らすことであって、ここに自己矛盾があります。(谷口さん)
完全にロックダウンして一歩も外に出ないという対策をとれば感染は広がらないわけですが、それはできません。どの程度かは別にして、「人と人との接触を保つ」、つまり経済活動をしながら感染対策を取るしかないのです。
これは高島宗一郎・福岡市長が、
経済を動かすというと、何か企業の利益とかお金を優先させているように誤解されますが、経済=市民の生活であり、命でもあると思うので、最小の経済的ダメージで、最大限の感染防止効果を生むように…(以下略)
と述べていることと重なります。重なる、というのは「経済活動をしながら感染対策を取る」という意味です。これ自体は高島市長と一致するのです。
ただ、これは谷口さんが述べているように「矛盾」です。矛盾を抱えたまま対策をとろうとすれば、どうなるでしょうか。
人と人との接触を保ったまま感染者を減らそうと思えば、感染源そのものを減らすしか方法はありません。(谷口さん)
「感染源を減らす」とは、どういうことでしょうか。
マスクの着用や手指洗いなど、国民の努力に頼った感染経路対策だけでは感染者を減らせていません。(谷口さん)
「感染源を減らす」とは、「感染者が増えないようにする」だけではなく「感染者自体を減らす」ことが必要になります。したがって、マスクや手指洗いのような感染経路対策をしているだけでは、感染者を減らせません。
症状のある人を早期に発見して早期に隔離する
谷口さんは、そのために2つの対策を訴えます。
一つは、
そのために重要なのは、症状がある人を迅速に検知してPCR検査を受けてもらい、待機・入院などで保護し、人との接触を絶つことです。(谷口さん)
ワクチンが使用できない状況では、早期探知、早期対応(診断・隔離、接触者追跡)しかありません。(谷口さん)
ということです。つまり感染源となっている人を積極的に見つけて、隔離していくのです。また、感染源となって動いた人が接触したところを追跡し、同じように広がった感染源になった人を隔離していく。そうすることで社会活動の中にある感染源を根絶やしにしてしまうということです。
これは現在でも日本政府はある程度やっているように思えます。
しかし、谷口さんによれば、これも現状では症例定義が明確に定められていないなど不十分な点があるといいます。ただ、この点は私はよくわかりません。
無症状者の中の感染源をなくす
谷口さんが訴えるもう一つの対策は、症状のある人だけでなく、無症状者への対策です。
もう一つ大事なことは、この新型コロナ感染症の特徴である、無症状の人が感染を広げてしまうという問題です。(谷口さん)
先ほどの「症状のある人への対策」とは違って、こちらの対策(無症状者への対策)の方は、PCR検査抑制論や実際のPCR検査数の低さに見られるように、日本での対策が非常に遅れていることはすぐにわかります。
一時的に感染が下火になった昨年6月ごろにも、無症状の人たちで感染が維持されていたことが国立感染症研究所の調査で示唆されています。これを減らしていかなければならないのですが、日本は無症状者を積極的に検査する体制ができていません。(谷口さん)
共産党が主張していることもまさにこの点にあります。
新型コロナの特徴は、無症状の感染者をつうじて感染が広がっていくことにあります。国立感染症研究所は、「一旦収束の兆しを見せた」感染が7月に再拡大した経緯について、“経済活動再開を機に軽症・無症候の患者がつないだ感染リンクが一気に顕在化した”と分析しています。
発熱などの症状が出ている人と濃厚接触者を主な検査対象にするという従来のやり方では、無症状者を見逃し、沈静化と再燃の波が繰り返されることは避けられません。感染拡大を抑止し、コントロールするためには、無症状の感染者を把握・保護することも含めた積極的検査を行うという戦略的転換が必要です。
全国民に検査ができればいいが、できない
では、無症状者を見つけるためには、住民全員に頻回の検査をすべきなのでしょうか。感染源を根絶やしにするためには理屈としてはそうなると思いますが、さすがに谷口さんも共産党もそのような主張はしていません。例えば共産党はQ&Aでこう述べています。
他方で、いますぐ国民全員を対象にした検査を行うことも、人員や体制上からも不可能です。
つまり検査資源に限りがあるというわけです。
感染震源地の面的検査(と病院・介護施設の社会的検査)
その代わり何をしろと言っているか。共産党の場合、こう述べています。
そうなると、無症状の感染者が多数存在する感染震源地を明確にして、住民や働く人の全体を対象に網羅的に「面」での検査を行う。これが最も合理的な方法です。
いわゆる「面的検査」です。感染震源地ではこれをやりなさいと言っています。
谷口さんはどう述べているか。
地域的に軽症者や無症状者らの感染震源地(エピセンター)が維持されているところがあります。その地域で網羅的に検査をして感染者を発見・保護していくことも必要です。(谷口さん)
同じです。というか、谷口さんら専門家の意見を参考にして共産党が政策を組み立てているということですけど(笑)。
同時に谷口さんは「無症状者の検査を強化しなければならない」として次のようにも述べています。
とくに1例でも感染者が入ったら危ないような、病院や高齢者施設などは、地域の感染伝播密度に応じて、無症状の職員も対象にして定期的に検査を行うことが重要です。(谷口さん)
いわゆる「社会的検査」です。これは、「ハイリスクの人の命を守る対策」として必要だと訴えているように見えます。逆に言えば、「感染源を減らす対策」としては述べられていません。
先述の通り、本当は感染リンクをつないでしまう無症状者を発見したいのであれば、全国民に検査をやるべきです。やりたいけども、それは資源の関係でできない。
だから、まず感染震源地で網羅的に検査(面的検査)をします。
同時に、病院や高齢者施設でとりあえず無症状の職員に社会的検査をやることはあくまで「ハイリスクの人の命を守る対策」であって、「感染源を減らす対策」そのものではないけども、無症状の感染者を発見する上では、多少は役に立つので、ある程度「感染源を減らす対策」にもなる……ということなのでしょう。
実際、クラスターの多くは医療・福祉施設で出ているわけですし(ただし「一番多いのは医療・福祉施設で、病院や高齢者福祉施設での流行はかなり起きているが、そこから地域に広がることは非常に少ない」と押谷仁・東北大学大学院医学系研究科微生物学分野教授は述べています)。
残る疑問
ここで“理屈として全国民への頻回検査を実施しない限り、無症状の感染者は見逃してしまうから、面的検査と社会的検査だけやっても『感染源の削減対策』としては意味がない。意味がないから検査資源の無駄遣いであり、やらないほうがいい”という批判はありうると思います。結局完全網羅できない以上「静かな感染リンク」をつないでしまうのではないか、と。そのあたりは、谷口さんたちのような専門家はどう考えているのか聞いてみたいところです。
しかし、そうは言っても、「感染震源地での面的検査」と「医療・介護施設での社会的検査」を組み合わせるというのは、感染源を減らす上では、今考える限りで一番合理的な気がします(現時点ではあくまで「気がする」だけですが)。
「感染源を減らすためのあるべき対策イメージ」に照らして日本政府の対策を考えてみると
この「感染源を減らすためのあるべき対策イメージ」に照らして考えてみると、今の政府のやり方は一応似たような対策の姿・格好はとっています。しかし、特に無症状者への対策が非常に弱い気がします。
例えば、PCR検査抑制派がよく言っていたように、「医療のための検査でなければダメ」というような狭い限定は現在は外されて、面的検査をやってもいいということになっています(厚生労働省は昨年8月7日に「事務連絡」を出し、「現に感染が発生した店舗等に限らず、地域の関係者を幅広く検査する」という方針を打ち出しています)。
しかし、地域ごとにやる場合でも、検査費用を全額国が負担してくれるわけではないので、自治体が二の足を踏んでしまいます。だから、日本全体で見てみると相当に「まだら」になっていると言えます。
谷口さんが「日本は無症状者を積極的に検査する体制ができていません」というのはそういうことではないでしょうか。
そして、感染が一旦静かになっていったときに検査を落ち着かせるのではなく、むしろ根絶やしにするために検査資源を集中して投入すべきだったと言えます。谷口さんがいう「一時的に感染が下火になった昨年6月ごろにも、無症状の人たちで感染が維持されていたことが国立感染症研究所の調査で示唆されています」というのはそういうことでしょう。
面的検査を始めている自治体もあるのですが、例えば以下のようなイメージと比べてみましょう。
PCR検査の対象は、当該の地域の住民、事業所の在勤者です。症状の有無や、感染者に接触したかどうかなどにかかわらず、行政から呼びかけ、その地域に住み、働いている人たち全体に検査を受けるよう促していきます。
福岡市では中洲でこうした検査を始めていますが、実際に検査を受けている規模からすれば「その地域に住み、働いている人たち全体に検査を受ける」という姿からは程遠いものがあります。
高島市長は「経済を回しながら感染対策をする」ということを考えているようですが、その問題設定自体は共有できます。これはこの記事の最初に書いた通り、谷口さんも同じなのです。
しかし、「経済」と「感染対策」のうち、まず「感染対策」が「感染源を減らす」という角度で見て中途半端だというのが現在の私の感想です。つまり感染震源地への網羅的な面的検査を徹底してやることができていないと思うのです。
ここまではコロナ対策について一般的にめざす方向、つまり戦略について、私の思うことをメモにしてきました。これで固まっているわけではなく、あくまで現時点での暫定的なものです。
GoToをどう見るか
日本政府の対応の問題点は、こうした戦略的に見て弱点を抱えていたというにとどまりません。
少なくとも感染を抑え込んだ後にやるべき「GoToキャンペーン」などを、まだ感染源が十分に制圧されていない段階で大々的に展開して感染を拡大してしまったという愚策をやってしまいました。感染症対策が不十分なまま経済を回し過ぎたわけです。
政府ははじめのうち、「GoToは感染拡大の主因ではない」「エビデンスはない」といっていました。高島市長もGoToキャンペーンをやめることについて後ろ向きな態度を取ってきました。しかし、この問題はGoToが中止に追い込まれたことで事実上決着がついたと言えます。
「経済活動」と「感染対策」の両立とは
高島市長は「経済」と「感染対策」の両立を考えているようで、くどいようですがそれ自体は私も同じ考えです。
しかし、「感染対策」はあくまで「感染源を減らす」ことが十分に果たされないうちに経済を拡大してしまうと、感染を広げることになってしまいます。
高島市長の認識に決定的に欠落しているのは、この「感染源を減らす」という感染対策だと思います。
人と人との接触を保ったまま感染者を減らそうと思えば、感染源そのものを減らすしか方法はありません。(谷口さん)
この谷口さんの認識が大事ではないでしょうか。
では、感染源を減らす対策を取っていれば「GoTo」のような経済拡大策を取っていいのでしょうか。この点について谷口さんはこの記事では何もいっていませんが、別の取材に応じて2020年11月下旬の段階でこう述べています。
「GoToキャンペーンは、基本的に人との接触を上げるような形になります。実際、今は人との接触を下げようと政府は言っている。これは相矛盾しているわけで、実際に人の移動によって感染が増えています。一旦立ち止まって考えてみる必要があると思います」(三重病院 谷口さん)
「感染源が十分に抑制できた」もしくは「感染源がなくなった」と専門家が判断するまでは、「GoTo」のような移動を積極的に促進する経済政策はとるべきではないと思います。
高島市長の「経済を回す」というイメージが狭すぎると言いますか、「GoTo」のような消費刺激・景気拡大策でないと「経済を回す」と言わないかのような感覚ですが、ロックダウンや緊急事態宣言の規制・自粛ではないレベルでの経済活動であれば「人と人との接触を保」つことになり、すなわち立派に「経済を回す」と言えます。
つまり「感染源を減らす対策」を行いつつ、「経済活動を行う」ことはできるのです。しかし、感染源を減らす対策も取らないまま、経済を回しすぎるやり方をとれば、
やがて“最後の手段”として緊急事態宣言に追い込まれ、余計に経済をだめにしてしまうのです。(谷口さん)
谷口さんは、「現状での緊急事態宣言はやむを得ない」としています。
その上で「その中で何をするのかが問われています」と言います。
いま地域にどれくらい感染源があるか、それを減らしていくためにどのくらいの期間が必要か、どのような対策が必要か、そしてその後はどのような対策を行うかなど、きちんと考えてやらなければいけません。
そうでなければ、市民生活や経済が大打撃を受けただけで、肝心の感染源を減らせなかったということになりかねません。(谷口さん)
高島市長は、この間「GoTo」キャンペーンに固執したり、飲食店規制はエビデンスがないと言ってみたりしていますが、そのすぐ後に専門家分科会からそれと反対の認識が出てきてあっさり裏切られています。高島市長のいう「エビデンス」なるものが、単純な相関関係だけだったりしていて、彼のイメージする「経済を回す」に合わせようとし過ぎているのです。
自治体の首長としては、「経済を回す」と言っても、今は「GoTo」のような感染を拡大し、大企業の利益だけが優先されてしまう全国的キャンペーンのことをイメージするのではなく、「緊急事態宣言レベルの規制のない経済」で地元の中小業者の活動をが維持されるような地域循環施策を必死で取り組むべきだし、緊急事態宣言がなされた場合には、十分な補償を政府に求めることを今は考えるべきでしょう。
高島市長は自分のイメージする「経済」に固執せず、「感染源を減らす対策」を福岡市でどう打つべきかを考えなければならないのです。
この方式はニューヨークで行われ、一時期かなり感染者数を減らすことができました。しかし、現在はまた同市では増えています。米国全体がトランプ政権下でまったく無為無策な状況であるうえに、大陸のようにどんどん流入がある条件では、流入に大きく制限をかけたうえで国全体が一致しないと相当厳しいのかなと思います。
他方で、同じ島国(ある程度孤立した狭いエリア)である台湾は制圧に成功していますが、対処方法はニューヨークとはちがって独特のものがあります。
これも根拠はなくてあくまで成功のイメージなのですが、人権感覚やICTの普及状況を考えると、ニューヨークのようなやり方を参考にして、福岡市だけでなく日本全体が徹底して感染源をなくしていく対策を集中しておこなうことで、台湾や他のアジア諸国程度には感染源をへらし、状況をコントロールできるレベル、つまり経済をある程度回せるレベルに行けるのではないかと思うのです。
むろん繰り返しになりますが、素人の感覚に過ぎず、上記にかいたように、感染拡大が激しいエリアや施設を中心とした面的・社会的検査だけでは感染リンクをつないでしまうのかもしれず、断定的に結論づけることはできないのですが。