「なぜ是々非々で考えられないのか」:解散・総選挙を前に

 私は日本共産党幹部によって不当に除籍・解雇されました。その撤回を求めています。

 そういう私ですが、いよいよ解散・総選挙が迫る中で、どういうスタンスでそこに臨むのかについて書いておきます。

 前にも書いた通り、日本共産党は党員・地方議員・スタッフ・赤旗記者・政策集団・連携する専門家など、それを支えている人たちが厚い資産として存在し、政治を良くするために日夜がんばっておられます。頭が下がることも多いのは事実です。日本共産党が多くの問題を抱えながらも、その方々のおかげで、の存在自体は、日本の政治においてかけがえのない役割を果たしていると思っています。

 除籍後も、以下の記事では3つの役割を訴えました。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 したがって、日本共産党が日本の政治の中で今よりも大きな役割を演じてもらえるようになることは私のかわらない気持ちです。日本共産党そのものに敵対したり、ましてや「消えてなくなれ」などとは思いません。

 

期待をしつつも、どういう期間でも告発は続ける

 しかし、同時に、日本共産党が抱えている問題、とりわけ党幹部によってこうした貴重な組織が私(わたくし)され、壊され、深刻な人権侵害が起きている現状について黙っていることはできません。そのことはどういう期間であろうと、告発は続けていきます。それを「利敵行為」だというのであれば、そうした「利敵行為」の源を生み出し続け、改めようとしない党幹部にこそ、挙げてその責任があると言わねばなりません。

 つまり、もし私の指摘を「反共攻撃」だと言う人がいれば、それは党幹部こそが問題を生み出し、放置することによって「反共攻撃」をし続けている、ということではないでしょうか。党自身のためにも、一刻も早くこのような病巣を除去する必要があります。医者が治療のために患者の体にナイフを入れようとすることを「傷害罪だぞ」と言うことはできないはずです。

 

いいことは評価するが、悪いことはきちんと告発する

 フェミニストの信田(のぶた)さよ子さんは、「『よきもの』とされた集団の中では、時としてさまざまな暴力が発生しがちであること、それは暴力とされず『被害』を訴える側に問題があるとされがちである」という一文を書いておられます。

note.com

 「よきもの」とされた集団、というのは、簡単に言えば進歩的な組織、世間からは人権を守ることを掲げてがんばっている組織です。日本共産党もその一つでしょう。

 この信田さんの文章について、元朝日新聞の記者の方(正確には「方々」)が、性的な被害が朝日新聞社内でもみ消されてしまったことに関して次のように書いておられます。(「ウネリウネラ」というサイト。強調は引用者)

uneriunera.com

私は、被害を受けたことを上司に報告したところ、簡単に言えば揉み消しに近いかたちで処理されていったわけです。…会社のもみ消し行為を目の当たりにしてきたことは、私にとっては大きな二次加害でした。

「良きもの」の周りには、さまざまな「仲間」がいます。…人権感覚の鋭い人が、個人の尊厳を守るための活動をする「良きもの」に同調し支持するのは当たり前ですよね。被害を受けた当事者も、元々はこの「仲間」たちを信頼しています。ですので、自分が置かれた状況を分かってもらえるのではないかと考える。でも、意外にも、声を上げてもこの人たちが反応してくれないことが多いのです。

たぶん多くの「良識ある仲間たち」は、「良きもの」が無くなって欲しくない、汚れてほしくないと思うんでしょうね「正義の味方」は当然正義でなくちゃいけない、と。そんな意識が、不正の告発を思いとどまらせているんじゃないでしょうか。結果的に中で辛い思いをしている人がいることについては、はっきり言えば認めたくない。見て見ぬふりをしてしまっている、という構図なのかなと思っています。

あれをやられると、被害者の孤立感はとても深まります。自分が黙ればいいのかな、自分がいなくなれば全てが丸く収まるのかな、という気になってしまいます。

あともう一つ言いたいのは、「良きもの」のほうに一種の甘えがあるということです。自分達は良いことをやっているから、多少内部でおかしなことがあっても大目に見てもらえるのではないか。そういうふうに思っている節があります。自分たちが被害者の声に目をつむっていれば、仲間たちもこの問題に関与してこないだろうという甘えがあるのではないか。それが組織としてのガバナンスを緩め、被害への対応を不十分にし、結果的に被害者を苦しめるのだと思います。

今もずっと堂々巡りで考えてる事なんですが、なぜ是々非々で考えられないのか、ということです。自分が支持している組織の中での不正には目をつむってしまう社会とは一体何なのか。そこを改めていかないと。総体としては存在意義がある「良きもの」だとしても、その中に悪いことが発生したら「それは悪い」ときちんと批判しなければならないと思います。その時に一番大切にされるべきなのは、やっぱり被害にあった人の気持ちです。その人の気持ちが大切にされた上で、検証が行われていくべきです。

 このような訴えでした。本当にその通りだと深く共感しました。

 これは党幹部がやっている不当な抑圧やハラスメントにも、そのまま当てはまるものです。

 特に選挙戦に関して、その中で私が共産党への期待を引き続き持っていることと、党幹部が生み出した問題を告発することとの関係について、「なぜ是々非々で考えられないのか」という視点で問題を整理することは、とても大切なことです。

 共産党員や共産党ファンの中には、党幹部が深刻なハラスメントをしていたり、抑圧を続けていたりすることを否定したい気持ちがあるかもしれません。しかし、そういう悪いことが起きているのだ、とか、起きているのかもしれないという気持ちを持ちながら、同時に、そのことにフタをせずに、応援することはできるはずです。

 前掲の朝日新聞記者だった方のサイト「ウネリウネラ」の引用の該当部分をもう一度。

たぶん多くの「良識ある仲間たち」は、「良きもの」が無くなって欲しくない、汚れてほしくないと思うんでしょうね「正義の味方」は当然正義でなくちゃいけない、と。そんな意識が、不正の告発を思いとどまらせているんじゃないでしょうか。結果的に中で辛い思いをしている人がいることについては、はっきり言えば認めたくない。見て見ぬふりをしてしまっている、という構図なのかなと思っています。

 応援する「進歩的組織」が、どこから突っ込まれても潔白で、正しくて、まっさらということは、まずありえないでしょう。しかもその「汚れ具合」も本当にシャレにならないくらい深刻なこともあるはずです。しかしそれでも「推し」続けるというあり方に、ぜひ挑んでみてほしいのです。

 ネットやSNSではこれが本当に難しいことはよくわかります。「相手」はこちら側の瑕疵だけを言い募って、こちらの言い分の中の正当な部分についても、その信頼性や根拠までも全て無効にしようとするからです。私自身でも、もし自分に深刻な瑕疵があったら、それを認めながら、自分の正当性を訴えるのはなかなかキツいでしょう。簡単ではないな、と思いながらの提起です。

 もちろん、「相手」の非難に正当性がなければ、きちんと論拠をあげて大いに反論すべきです。私が今後指摘することが間違っていると思えば具体的にその箇所を示して、理由もつけてきちんと批判してください。*1しかしそうした正しい論争ではなく、「利敵行為」だと言って黙らせようとするのは筋が違うと思います。特に実際に被害を受けた個人は、声がいつもかき消されてしまう小さな存在なのですから、たとえ一面的だと言われようとも、それを訴え続ける権利があるでしょう。

 逆に言えば、私を黙らせようとする不当な力には断固たたかうつもりでいます。

*1:それに、すべて・いちいち私が反応するかどうかは別の問題ですが。