日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞した…ということは今さら言うまでもないでしょう。
代表委員である田中熙巳さんのスピーチ全文を読みました。
その中で特に心に残ったのは、国家補償が実現していないというくだりでした。
さらにもうひとつ、厚生大臣が原爆症と認定した疾病にかかった場合のみ、その医療費を支給するというものでありました。1968年になり、「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」というのを制定させました。これは、数種類の手当てを給付するということで経済的な援助を行いました。しかしそれは社会保障制度でありまして、国家補償はかたくなに拒まれたのであります。
1994年12月、この2つの法律を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されました。しかし、何十万人という死者に対する補償はまったくなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております。もう一度繰り返します、原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたいというふうに思います。
今年はNHKの朝の連続テレビ小説「虎に翼」で原爆裁判が取り上げられたこともあって、その判決、訴状、答弁書、準備書面、鑑定書などをずっと読んでいます。
被爆者の苦闘がまず原爆被害者への国家補償を求める流れとして始まったということはもっと学ばれていいと思いました。
率直に言ってぼく自身、核兵器廃絶や禁止条約の締結・オブザーバー参加などは運動の前面に立ててきましたが、被爆者への国家補償を求めることは、運動の後景になりつつあったのではないかと反省しました。
例えば、原水爆禁止世界大会の国際会議の宣言でも、2016年には被爆者への国家補償は課題として掲げられていました。
http://nenkinsha-u.org/04-youkyuundou/pdf/gensuikin_taikai_kokusai_sengen160804.pdf
しかし、今年の2024年の国際宣言にはない、もしくは「枯葉剤など戦争被害者への補償・支援と被害の根絶」という非常に一般化された形での記述になってしまっています。
「しんぶん赤旗」日曜版の2024年12月29日・2025年1月5日合併号には、日本共産党の田村智子委員長と、田中煕巳さんの対談が載っていて、田中さんはスピーチで日本政府は償いを一切していないという部分を強調しているんですが、田村さんがそれを政治の側としてどう受け止めるかがあまり反応されていません。
公平を期すために言っておけば共産党は選挙の基本政策には載せていませんが、分野別政策では国家補償について提起しています。
ただ、自分が参加していた共産党の福岡市議団や福岡県委員会の活動を振り返ってみて、その観点はかなり弱かったと感じました。
国家補償にはどんな意味があるのでしょうか。それは「ふたたび被爆者をつくらないとの決意をこめ、原爆被害にたいする国家補償」(「原爆被害者の基本要求」)を行うということです。
田中さんも、前述の対談で
スピーチ後、海外の記者から「どうして〔国家補償拒否を二度も〕強調したのか」と声をかけられました。戦争を起こした国が国民の被害に補償をしないことが許されていると、これからも戦争が簡単に繰り返されるとの思いが頭にあるからです。
と述べています。
この観点から、新しい年は、埼玉県新座市議会のように、地方議会で被爆者に対する国家補償を要求する意見書の採択などに取り組むべきだと思います。少なくとも福岡市議会では。