日本共産党志位和夫議長が「選挙ドットコム」の動画に出演し、「赤本」——『Q&A いま『資本論』がおもしろい』を解説しています。
おっ2万再生だからこれはなかなかすごいんじゃないか、と思ったものの、「選挙ドットコム」の他の動画を見ると十万、二十万は平気で行っている動画が多いのでむしろあまり人気のない方なのかもしれません(アップ後1日経過の時点)。
志位氏はいい気分でしゃべって「ご満悦」という感じで、まあ『資本論』解説として意味がないわけではないと思いますが、一言で言ってインタビュアーである鈴木邦和編集長の疑問に本質的に答えていない、という印象でした。これでは「社会主義・共産主義」への不安が募るばかりなのでは? と思います。
もっと言えば、動画冒頭に、志位議長が繰り返し述べている「搾取」という言葉をリピートする編集が多用されているように、「搾取をなくす」ということを社会制度として一体どうやって実現するのかについて何も答えられていないのです。
超具体的な青写真を示せという意味ではありません。
志位氏自身が「搾取をなくす」ということが、原理的に分かっていないので答えられないのだろうと思います。
「搾取をなくす」ということがわからないと、資本家が搾取して取り上げていたことを労働者が全部自分のものにする(給料にしてしまう)、という意味だろうか、と思ってしまいます。
こうした「解答」だと、動画の15分あたりで鈴木氏が投げかけている疑問——8時間労働のうちどこまで実際に減らせるんですか? という疑問に答えられません。(11分あたりの「搾取されているというのはその分が会社側とか資本家側の利益になるということですか?」という疑問も同じタイプのものです。)
4時間が必要労働(生きていくのに必要な価値分、賃金部分)ですから残りの4時間は全部自由時間になります、という、田村智子委員長のような間違った解釈をしゃべるわけにはいかないので、志位氏は残りの4時間は拡大再生産や社会保障などの原資になりますが…と言葉を濁しています。「8時間まるまる働く必要はない」というのでは答えになっていないでしょう。
「搾取をなくす」とはどういうことか
「搾取」とは何か。「搾取を廃絶する」とは一体どういうことでしょうか。
志位氏は動画の14分ごろで「搾取とは何か」を尋ねられて「働いている人が作り出した富を働いていない人が搾り取ること」と答えています。

これは確かにそうなんですが、さらに言えば「働いている人が作り出した富のうち、生きていく分だけしか渡されず、残りの富について取り上げられて、その決定権を奪われていること」だと言えます。
…ところで、搾取とは何だろう。これがはっきりしなければ、搾取があるとかないとか言っても内容がはっきりしない。労働者が8時間働いて、一定の生活資料を受け取る。この生活資料を生産するには労働者が直接・間接に3時間働かねばならないとしよう。すると、労働者は5時間の剰余労働をしたことになる。これが労働者が搾取されているということだろうか。
労働者が剰余労働を行なうということは、直ちに、労働者が搾取されていることを意味しない。どのような社会形態のもとでも、拡大再生産や労働できない人びとの扶養などを行なおうとすれば、剰余労働は絶対に必要であることは、直ちにわかる。労働者が剰余労働を自主的に行ない、それによって生産された剰余生産物を自分たちがきめた使途にあてるのであれば、そこには搾取という人間関係は存在しない。
問題なのは、剰余労働を行なうのかどうか、どれくらい剰余労働を行なうのか、剰余労働で生産された剰余生産物をどのような使途にあてるのかなどについて、労働者がその決定を行なうのではなく、誰か他の人びとが決定し、労働者はそれに従わねばならないという点にある。そして、そのようなとき、労働者は搾取されているのである。
だから、ある社会で搾取が存在するか否かは、労働者が生産に関する決定を握っているか否かできまるということになる。このことと、マルクスが『資本論』で繰り返し力説した「資本家による生産手段の私有が、資本家による労働者の搾取の基礎である」という命題との関係について述べる。資本家が生産手段を私有し、労働者がその所有から排除されているというのは、生産手段を用いて行われる生産に関する決定を資本家が私的に握り、労働者はこの決定から排除されているということである。(置塩信雄『経済学はいま何を考えているか』大月書店、1993年、p.173-174、強調は引用者)
剰余労働や剰余価値の処分の決定に参加できる——これが搾取が廃絶されているかどうかのメルクマールだと、数理マルクス経済学者であった置塩信雄は主張します。これは全く慧眼だと思います。
これはいろんなレベルで発動されます。
- 一つの企業で、労使交渉の結果、利潤として集まった分を、従業員に還元することを決めた場合も「剰余労働や剰余価値の処分の決定への参加」だと言えます。
- 同様に、一つの企業で、労使交渉の結果、労働時間を週40時間から38時間にして剰余労働を減らすことに決める。これも「剰余労働や剰余価値の処分の決定への参加」だと言えます。
- さらに社会規模で考えます。企業から集める法人税をこれまでよりも税率を上げることにしよう。これを労働者代表も参加する審議会で決めて、その予算案ができて労働者党もその審議に参加して可決したとします。これも「剰余労働や剰余価値の処分の決定への参加」だと言えます。
- あるいは、法定労働時間を週40時間から35時間にする法案を同じようにして通すとします。これも「剰余労働や剰余価値の処分の決定への参加」だと言えます。
- あるいは、環境への投資を促進させるために、労働者党も参加して、奨励金を出す予算案を国会で決めるとします。これも「剰余労働や剰余価値の処分の決定への参加」だと言えます。
これらは全て、これまで資本家や資本家階級が独占的に決めていた「剰余労働や剰余価値の処分の決定」に対して、そこからの労働者の排除を許さずに、決定に参加して決めさせるプロセスです。


実は、このようなプロセスの一つ一つが、「搾取を廃絶」することに向かう階段なのです。
しかし、一つ一つの施策が実現してもそれだけでは、「搾取の廃絶」とは言えません。なぜなら、社会全体の剰余価値の処分決定の大部分は依然として資本家階級が独占しており、労働者階級はまだまだ排除されているからです。
剰余価値の全て…とは言わないまでも、その大半について「社会」が、すなわち人口の大部分を占める労働者階級がその決定に参加できるようになれば、その経済においては「搾取が廃絶されている」と言えることになります。
そしてこうしたプロセスは「社会主義になると宣言した◯年◯月◯日」から突然始まるものではありません。すでにお分かりの通り、今の資本主義のもとでだんだんと進んでいるプロセスです。しかしまだ剰余価値の大半の処分に、労働者(国民・社会)が関われるというふうにはなっていません。だからこそ搾取は廃絶されていないのですが、廃絶に向けた進歩が、今この社会の中でパーツをどんどん生み出し、資本主義を次第に別の社会へと変容させているのです。
16分ごろに鈴木氏は「どうやって実現したらいいのか」と質問していますが、現在の時短のための闘争がそれにつながる、という志位氏の回答はその一つですし、社会保障を充実して住宅費や教育費、医療費などを無償にすることで必要労働時間を圧倒的に短くしていく、というのもその一つだと思います。つまり今の取り組みがそのまま社会主義のパーツになるのです。
そしてこのような移行なら決して無理がないし、これこそが社会が進歩し発展するという意味がよくとらえられることがわかるはずです。ちなみに大資本家の利害を代弁する政権のもとではこのプロセスは苦渋に満ちた、遅々としたものになりますが、(賢明な)労働者党が政権を取ることこそがその過程を最も合理的に、最も早く進めることができます。
このような「搾取」観、もっと言えば「資本主義と社会主義の地続き」観が志位氏には決定的に欠けています。「今の社会で搾取の廃絶が少しずつ進んでいるなんて…そんなマルクス理解があるか!」と怒り出すかもしれません。でもそうなのです。
ですから、志位氏は、「搾取の廃絶」とはどのようなことなのか、答えることができません。動画で鈴木氏が何度も質問しますが、志位氏はそこに触れることを一貫して避けています。
この最も本質的な問題への回答がないことが、志位氏のこの動画における致命的な欠陥だと言えるでしょう。
こういう理解は、動画1時間9分ごろで志位氏がやっている協同組合賛美にも出てしまいます。「協同組合が全社会的なものになれば…」と言っていますが、企業体の性質が協同組合にならないと社会主義にならないかのような理解は、社会主義の理解を極めて狭くするものですし、そんなことが現実的なことだとは誰も思わないでしょう。
スペインの協同組合運動を称揚する斎藤幸平へのジョセフ・ヒースの批判にあるように、それを全社会に広げるというのは妄想です。
マルクスが起草した「国際労働者協会創立宣言」には協同組合の称揚するくだりがあるのですが、あくまでそれは資本家がいない企業体・社会というものを想像する手掛かりであって、そのようなものに過度に期待をかけることには、マルクス自身が警告を発しています。
細かいことで気になることを10コ
以上がこの動画での志位氏の解説の致命的な問題です。
あと、いくつか細かいことが気になったので、それは突っ込んでおきます。これ自身、説明がないとわからないような話ばかりになりますが、本当にこれ以下の話は細かいことだけです。わからなくても全然問題ありません。
一つめ。動画の19分ごろで、労働価値説を「労働時間」として突き詰めたのがマルクスであると志位氏は述べていますが、その話、要りますか?*1
二つめ。動画の26分で言っているロドス島の比喩ですが、意味がわからないと思いますよ。そしてこんな短い時間の動画でわざわざ出す必要はありません。その後に「大洪水よ…」というポンパドゥール夫人の言葉も嬉々として志位氏は紹介していますが、今ひとつ伝わっていない感が出ています。*2
三つめ。動画の29分あたりで、鈴木氏が、労働で作り出した価値と労賃(労働力価値)を混同するという実に教科書的な間違いをしてくれていますが、それに対して志位氏の回答は「賃金と労働力の価値は常にイコールではない」というとんちんかんなものでした。*3
四つめ。動画の33分で鈴木氏は「そうするとどうやってこういう人たち(資本家)は出てくるんですか」と聞いているのですが、志位氏は「労働力の消費の過程が出てくる」という意味不明の回答をしています。志位氏は鈴木氏が「どうやって儲けが生まれるんですか」という質問をしたんだと思ったのです。だから「労働力の消費の過程が出てくる」と答えたのは、「労働力を使うことで剰余価値が生まれるんだよ」と説明したつもりになっているのです。しかし鈴木氏の疑問は、みんな資本家になればいいじゃん、ということで一貫していますから、なぜ資本家にならないのだろうというのが本当の質問のはずです。しかし、志位氏は、W(商品)-G(貨幣)-W(商品)という交換の図式では資本の生産過程が表されていないということを焦って言おうとしていて、全然噛み合わない議論になっています。*4
五つめ。「全員資本家になるって難しいですか」と鈴木氏の疑問が動画の35分ごろにありますが、それに対する志位氏の回答は「働く人がいなくなるよね」です。これも今ひとつ噛み合わない回答ですよね。*5
六つめ。動画の47分ごろに児童労働をめぐるマルクスの考えが人間の全面発達を述べたものだから今の教育基本法の理念(人格の完成)と同じだと言っているんですが、飛躍しすぎです。少なくともたくさんの媒介項を経ないとそうは言えないし、伝わりません。*6
七つめ。鈴木氏は相対的過剰人口と産業予備軍のところで、失業者や非正規がいっぱいいて労働者が安く買い叩かれる状況は、今は労働者不足だから解消されるんじゃないかと疑問を出します(動画の57分ごろ)。それに対して、志位氏は絶対的過剰人口、つまり絶対的に人が足りないのではなく、相対的過剰人口、つまり資本がもうけるために設備投資をしたその働き口の少なさに対して人口が余っているに過ぎないのだという意味を説明します。それに対して鈴木氏は「供給が減っても需要が減っていくから相対的過剰人口はなくならない」ということなのかと自分の理解を確かめているのですが、「供給が減っても需要が減っていく」というのは意味がよくわかりません。何かを勘違いしている可能性があります。志位氏はそこを正して、資本は利潤を求めてAIやITによって極限まで人減らしを進めていくので、ある一定期間は人手が不足しても、あっという間にその部門は過剰になっていくという趣旨の回答をすべきだったのです。*7
八つめ。動画1時間5分ごろで、志位氏は、マルクスは終生「人間が全面発達をとげるにはどうしたらいいか」を考えていたが初期には「分業が悪い」と主張していたと説明しています。しかし、説明がないと何が何だかわからないでしょうね。*8
九つめ。動画の1時間7分ごろで、資本主義のもとでの搾取だけでなく浪費をなくすことで時短が進むと主張しています。しかし、労働時間の半減をする場合、現在のGDPの半分を削るほどの浪費が今の資本主義の中にあるのかは大変疑問です。いや、GDPの1割の削減だって、そんな「浪費」を見つけ出すのは本当に至難ではないかと思います。*9
十こ目。1時間8分ごろ。「結合した生産者」のテロップが「欠乏した生産者」になっています(笑)。単なる入力ミスならいいですが、「選挙ドットコム」の動画編集者が志位氏の話では実際には中身をあまり理解しきれなかった証拠かもしれません。(追記:10月15日に「選挙ドットコム」編集部によりこの部分は訂正コメントが掲載されました)

そして最後は、搾取の仕組みを労働者階級が自覚することで社会が変革されるという結論。いや、これは史的唯物論とは違うものではないかと思いますがどうでしょうか。
まあ、これらは細いことです。何度も言いますけど、こんな細かいことはあまり大した話じゃありません。
根本的には搾取とその廃絶についての理解、あるいは資本主義から社会主義への移行のイメージの貧しさが、鈴木氏の「搾取をなくすと言ったって一体どうやって具体的にやるんだ」「そんなことができるのか」という疑問に答えられない致命的な弱点になっているということが問題だろうと思います。(本文終わり)

*1:商品の価値が需給に基づくものか、労働コストに基づくものかということを簡単にでも説明した方がいいと思います。例えば消しゴムは100円、自動車は100万円で、それぞれたしかに需要と供給に基づいて値段が変動する。だけど、「自動車がだいたい消しゴムの1万倍」だけど「消しゴムが自動車の1万倍にはならない」のなぜかといえば、それはかかった労働のコストによるからです。だからふだんは需給をもとに動くけど、根底ではかかった労働コストで決まっている…みたいな話をした方がいいと思います。
*2:ロドス島の比喩は「実現が不可能そうなことに今ここで挑戦しよう」というたとえです。商品交換は必ず等価交換でなければならないというのが市場経済のルールだけど、資本が商品を売って儲けを得るには不等価交換でなければならない。等価交換という市場経済のルールを守りながら、どうやって儲けを出すのか? ここに解決し難い難問がある…という前提をもっときちんと説明すべきです。それをせずにロドス島の比喩を楽しそうにしゃべっていて、聞いてる方はちんぷんかんぷんでしょう。
*3:「労働力を作り出すためにかかる価値」と「労働力が作動して作り出される価値」は全く別のものです、という説明をしっかりしないといけないのです。志位氏は労働力価値は基本的には明日の労働力を再生産するための価値量で決まるけども、その価格表現である「賃金」になると、日々の需給で少し動くし、あるいは労働者側が強いと少し値が上がり、資本家側が強いと少し値が下がるという具合に労資の力関係に基づいて変動するという全然別の話をしてしまっています。
*4:ここでは資本がどう生まれてきたか(資本の本源的蓄積)、労働者はなぜ生産手段を奪われて労働力しか売るものがないのかの話をすることも可能ですが、それよりも、「いい質問ですね。みんなが資本家になる、つまり社会のみんなが生産手段に対する決定に参加できる社会というのが、社会主義です」という切り返しも可能だと思います。
*5:先ほどの四つ目の話と重なりますが、これはまさに、剰余価値の処分に全ての人が参加できるようになる社会として構想すれば可能だし、社会は今そういう方向に向かっている、という正確な搾取論・搾取廃絶論があれば対応できたはずのものです。
*6:だって、マルクスは「児童労働の全般的禁止」を「反動的」とまで言ってるんですよ?(『ゴータ綱領批判』)
*7:志位さんは友寄英隆氏の『人口減少社会とマルクス経済学』をお読みになるべきでしょう。
*8:「分業によって人間は、特定の職業に縛り付けられて生涯を終えてしまう。だから、分業を廃止して、いろんな職業を経験できるようにすれば能力が全面的に開花するのではないか」と初期のマルクスは考えた…という説明が欲しいのです。
*9:もし志位氏が「どれだけ売れるか事前にわからずに事後に作りすぎたことがわかって結局廃棄してしまう市場経済と違って、社会主義は計画経済であり、事前に必要な商品量を計画・管理できるから大量生産・大量廃棄がなくなる」と主張するのであれば、それは商品経済=市場経済の否定になりますが、そういう主張をされるおつもりでしょうか? よく大量生産・大量廃棄の例としてファッションロス(衣服の大量廃棄)のたとえが使われますが、今資本主義のもとでそれが批判にさらされて、市場経済を前提にしながら在庫管理の徹底などでロスの削減を図っています。市場経済を前提にするなら、こうした漸進的な解決しか道はありません。「事前にすべて生産量を計画するんだ」と言い出したら、国民は昔のソ連経済をイメージし、めちゃくちゃ不安に感じるでしょう。