「こんな連中」考

 ネット上の、しかも実に狭い界隈ですが、共産党の今の政治・組織路線に批判的な人たち(の一部、あるいは、そう見なされた人)が「こんな連中」と呼ばれていることがあります。蔑称や差別的ラベリングである場合もあれば、それを逆手に取ったアイロニカルな自称、風刺的な政治運動である場合もあります。

 

「こんな連中」はもともと福岡県委員長が使った蔑称

 「こんな連中」というのは、ある共産党幹部、具体的には共産党福岡県委員長(中央幹部会委員)が、第29回党大会(24年1月)で発言したさいに、除名された松竹伸幸氏・鈴木元氏を指して「こんな連中に負けるわけにはいかない」と述べたことに由来しています。もともとはこのように完全な蔑称だったわけです。

 大会に向け読者・党員をその前の大会の130%に増やす目標をたて、全党及び福岡県党が努力しており、「赤旗」や全国会議などで福岡県党が注目を浴びていたのです。それについて両氏が言及したのを、県委員長は「攻撃」だと解釈して、そのような発言に至ったのでした。(当時の映像はこちら

 その経緯は松竹伸幸氏のブログに詳しく書かれています。

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目標達成できなかったのに「これが答えだ」と大見得を切った謎ムーブ

 鈴木氏の方は“過大な目標でとても達成できないだろう”、“水増しているのではないか”という批判でした。

 福岡県党は前大会から減った党員分を回復した(100%がそれ以下になりその後100%に戻った)ので「これが我々の答えだ!」と大会発言で大見得を切ったのです。*1前大会の党員数を回復した都道府県組織は福岡以外どこもなかったので、県委員長は本当に誇らしい気持ちだったのでしょう。私も除籍前だったので、その一員であり、多くの現場の党員が本当に苦労して増やしていたのは知っていましたから、気持ちとしてわからないでもないのです。

 しかし、そもそも130%が目標だったはずです。それを中央決定や支部への手紙で「必ず実現」「不退転の決意」「どうしても必要」と誓い合ってそれに向かって挑んできたはずですが、締切日の結果はそれには遠く及んでいません

 ましてや機関紙(赤旗)の読者数は130%はおろか、前大会の読者数よりも減らして大会を迎えてしまいました。

 「これが我々の答えだ!」っていうのは、過大目標という鈴木氏の批判に照らしても、また「必ず実現」とした中央決定に照らしても、「達成できませんでした!」「こんな連中に負けました!」と叫んでいるような謎ムーブです。一歩引いてみると、目標未達成なのに大見得を切ったことはギャグとしか思えない光景なのです。

 “水増しだ”という非難には反論すべきことがあるなら反論すればいいのですが、過大目標ではないかという点については本来真摯に振り返るべきでした。その上でやっぱり批判者の言う通りだったとか、いやこういう条件があればできるはずだとか、そういうふうに返せばよかったはずです。

 なぜそこで意固地になって「これが我々の答えだ!」とか逆張りみたいなことをしてしまうのか、理解不能でした。

 

原則的な活動について指摘したのに逆ギレされた松竹氏

 松竹氏に至っては完全に流れ弾に当たった格好です。この事件では被害者としか言いようがありません。

 なぜなら松竹氏がブログに書いている通り、当時共産党志位和夫氏の党創立101周年記念講演などを力にして目標達成に頑張ろうという大キャンペーンをやっていたのに、福岡県党の方針(連名訴え)の具体的提起部分にも、福岡で奮闘しているという地方議員が書いた訴えにも、一言もそれが書いていなかったため、それは中央決定からの逸脱ではないか、と松竹氏が疑問を呈したのです。

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 いわば松竹氏は民主集中制の立場から「福岡県党は中央決定に則っていませんよ、大丈夫ですか」という忠告をしたのですが、県委員長は自分を反省して見直すどころか、逆ギレして「こんな連中に負けるわけにはいかない」などという檄を組織内に飛ばし始めたのです。*2

 当時は、私も県役員でしたから指導の状況を間近で見ていましたが、その月(23年9月)から翌月にかけては「志位講演を力にしよう!」などという具体的指導は皆無でした。そんなことはそっちのけだったのです。

 

 それなのに、松竹氏は大会に向けた党勢拡大を攻撃する人物として福岡県党で血祭りに挙げられたのです。先ほど私は「流れ弾」と言いましたが、この経過をみると、偶然被害者になってしまったというより、最初から意識的に「攻撃者」としてでっち上げられたと言った方がいいかもしれません。

 ここではもはや「こんな連中に負けるわけにはいかない」というのは「中央決定に背く我流の指導であることをズバリ指摘しやがったこんな連中に負けるわけにはいかない」という意味になってしまっているのです。

 

 以上の通り「こんな連中」という言葉は、集団の中の権力者から抑圧のために発せられ、しかもツッコミどころだらけの、多くの間違いを前提にした表現だと言えるでしょう。

 

安倍首相の同様の発言を「民主主義の根本の否定」と言ったのに…

 安倍首相(当時)が演説を野次りにきた聴衆を指差して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と街頭演説で言ったことは、「異論に不寛容で、批判を敵視する姿勢」(朝日新聞21年3月7日)「『友と敵』を分ける安倍首相の政治手法の象徴」(同17日)としてカール・シュミットの概念も使って批判されました。その中でも「民主主義の根本否定」だと厳しく批判したのは当の日本共産党の幹部でした。

www.jcp.or.jp

日本共産党小池晃書記局長は4日、国会内で記者会見し、安倍晋三首相が東京都議選で街頭演説した際、安倍政権を批判するプラカードを持った人たちを指して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言した問題について、「安倍政権に盾突く者、もの申す国民は許さないという姿勢がはっきり出た。民主主義の根本、国民主権を否定する発言言語道断だ」と指摘しました。

 安倍氏の言葉を私がどう評価するかはおいておきます。

 しかし、共産党として「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という表現を「民主主義の根本否定」とまで評したのであれば、それを党内であっても「批判の言葉」として使うことは厳に慎むのが自然な成り行きではないでしょうか。

 しかも「こんな連中に負けるわけにはいかない」という福岡県委員長の言葉は、文章構造としてこの安倍発言にそっくりな上に、安倍首相よりもさらに下品な言い回し(こんな人→こんな連中)になっていることから、「安倍首相よりもひどい」と言われても仕方がありません。

 

アメリカ流「こんな連中」と風刺

 アメリカにも「こんな連中」に相当する言葉あります。

 第一次トランプ政権の誕生の際にドナルド・トランプと大統領職を争ったヒラリー・クリントンはトランプの支持者たちを「Basket of deplorables」(嘆かわしい連中、残念な人たちの集まり)と呼びました。共和党の半分がそのような「Basket of deplorables」に占められてしまっているというのです。

www.mag2.com

www.donga.com

 これに対し、早速「Basket of deplorables」と書かれたTシャツやトレーナーを作って着たり、「deplorables」という札を貼ったバスケットを持ったりする人が生まれました。

 高慢な対応が多くの人の反発を招いてしまったのです。

 

「こんな連中」という蔑称の権力性と傲慢

 上述の朝日の記事に「敵・友」概念の話が出てきます。カール・シュミットは「敵と友に分ける」ことを政治の本質とする考えを『政治的なものの概念』で提起し、その後『パルチザンの理論』でレーニン毛沢東を例に挙げながら「敵」を(「ゲームとしての敵」ではなく)「絶対的な敵」とみなしてその殲滅をめざす概念になっていったとして、さらに観察を深化させました。

 民主主義は、相手の打倒ではなく、相手との言論戦のうちに、相手の論点や立場をも超え、それを包摂する、より大きな存在に自分を発展させることで解決を見出そうとするようになったのではないでしょうか。だから、安倍首相の「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という「敵・友」的な発言に、共産党幹部は「民主主義の根本否定」を感じたはずです。

 もしそうだとすれば、党幹部が「こんな連中」という言葉を蔑称(風刺としてではなく)として使ってしまった場合、その権力性や傲慢さを考えるべきではなかっただろうかと思います。そうでなければレーニン毛沢東の時代に逆戻りしてしまうことになるでしょう。「私たちはソ連や中国のようにはならない」という党であるなら、なおさらそこに敏感であるべきです。*3

*1:文字通りには「我が党は、不当な攻撃とは断固戦い、屈することなく、必ず前進の道を切り開く。それがあなた方への回答だ」。全文はこちら

*2:正確には“今から志位講演を読むことを力にして党勢拡大をやっていたら間に合わないから、地方の現場ではそんな方針なんか事実上無視して拡大運動をやっていくことになるのでは?”という中央方針への疑問でもありました。

*3:Xで指摘があり最後の部分は訂正しました。貴重なご指摘に感謝します。