ハラスメントは個別事件でなく構造的な問題

 前の記事の続きです。

 4月25日に「『共産党』を考えるつどい」が開かれますが、そこではハラスメントの問題を考えることが一つの大事なテーマになりそうです。

つくしが出たよ もう春だ(近所の田んぼ)

 ある組織のハラスメントを問題とする場合に、それは構造的な問題ではないのか? という視点はとても大切だと思います。

 共産党の理論誌「前衛」の2023年6月号(上)、7月号(中)、8月号(下)で連載された大和田敢太・滋賀大学名誉教授「ハラスメント根絶のために——実効力ある包括的なハラスメント規制の原点」には次のような指摘があります。

 〔…略…〕現行のハラスメントに関する立法や政策を前提にして、その解釈や適用を試みるだけでは、ハラスメント問題の根本的な解決に到達することはできません。

 それは、現行制度の考え方やその枠内だけの解釈からすると、ハラスメントは、当事者の問題だと理解し、組織自体の問題としてハラスメント対策に取り組むことを後回しにする傾向があるからです。政党も、政策を立案したり、実現する立場からハラスメントを課題にするだけでなく、組織の問題としてハラスメント問題に取り組むことは実に有意義なことです。(上p.187)

 共産党内の対応でしばしば起こりがちなのは、「当事者の問題だと理解し、組織自体の問題としてハラスメント対策に取り組むことを後回しにする傾向」があるからです。「当事者の問題」というのはどういうことかと言えば、例えば、「古い考えの、ハラスメント体質の人が、ハラスメントに敏感な人に、無思慮にハラスメントをやってしまって起こる、個別の事故」というとらえ方をしてしまいがちなのです。

 そうすると、ハラスメントを起こした個別の人を処分したり、謝らせたり、研修を受けさせたり、異動させたりして「終わり」にしてしまうのです。*1

 

 上司の管理職が部下の中間管理職に、ノルマの未達成を叱責しながら高圧的な態度によってハラスメントをすることがあります。この中間管理職が部下の社員にノルマ達成を迫りながら、暴言によるハラスメントを行うという光景は、珍しくないのです。〔…中略…〕この連鎖しているハラスメントをバラバラに捉えては、全体像を見失います。このような連鎖するハラスメントは、業務型ハラスメントや労務管理型ハラスメントにおいて、よく見られる事例です。業務遂行と一体となっているだけに、ハラスメントの被害者が業務責任を転嫁するなかで、他者をハラスメントしている意識もなく、加害者になってしまうのです。

 ハラスメントの加害者が実は被害者でもあり、ハラスメント被害者が加害者の立場に立ってしまうという連鎖するハラスメントの全体像を捉えるべきであり、ハラスメントを細分化して個別的な事象とすべきではないのです。(中p.193)

 

 私にハラスメントをした党幹部というのは、長い付き合いもあり、個別に見れば「いい人」だったり「とても尊敬すべき側面のある人」だったりします。私が学生時代からの何くれとなく面倒を見てもらい、私もリスペクトしてきた一面があった人たちでした。

 しかし、そういう人でもハラスメンをするのです。

 それが組織の問題としてのハラスメントであり、構造としてのハラスメントなのです。

福岡市博物館 特別展「民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある」より

 

 逆にいうと、他の党員は党幹部のふだんの一面を見て、「あんないい人なのに、ハラスメントをするわけがない」「あんなすばらしい活動家がそんなことをするはずがない」と考えるわけです。だから、被害者たる私の訴えは届かないし、それを封印しようとするわけです。

 言い方を変えると、「ハラスメントをしそうな人」というステレオタイプがあって、あの党幹部はそうではないからハラスメントなどしない、というわけです。

〔…略…〕ハラスメントは当事者の個性や性格に起因する問題ではないのです。ハラスメントの原因を加害者の特異な性格や資質に帰せることは、対人関係という個人間のトラブルの問題に矮小化するものです。それは、ステレオタイプな被害者像や加害者像を作り上げることにもなり、特に、ハラスメントされる側にも攻撃されるだけの弱さや理由を抱え込んでいるといった主張を招きやすいのです。(中p.189)

 仮に「ハラスメントをやりそうだ」と思われる人が入っていても、構造的・組織的な問題として認識されなければ、「まずい対応を修正して終わり」「個別のダメな点を直して終わり」というふうに処理されがちです。

 

 日本共産党はハラスメントに対して、第29回党大会決定であまり方針を打ち出しませんでしたが、

ジェンダー平等とハラスメント根絶のための自己改革にとりくんできたが、この点でもわが党のなかになお存在している弱点を克服し、国民多数から信頼される党に成長していくために、あらゆる努力を重ねていく決意である

というくだりがわずかにあります。

 「自己改革」は私が党内で自分へのハラスメントを訴えた時にも党幹部側から叫ばれた言葉でしたが、それは“多少問題があったかもしれないけどだんだん直していきます”という程度の意味でしかありませんでした。

 「自己改革」か第三者委員会か、という論点はありますが、その前に仮に「自己改革」をするにしても、ハラスメント問題をあくまで「個別の事件」として処理してしまうのではなく、組織的・構造的な問題として捉える視点がまず必要ではないでしょうか。

 「党内で異論を述べることは自由だ」と言いますが、実際には私のような扱いを受け、同情・同調しようとした人は頻繁に呼び出しを受け、密室で指導的立場にある人から「指導」と称してこんこんと考えを変えるように圧力をかけられます。「複数人対一人」がほとんどです。録音も同席も許されません。

 そして会議で発言すれば集中砲火を浴び、反論機会のない「結語」で強烈な言葉で指弾されます。

 孤独な自分を励まそうと気持ちを分かち合えば、「分派」だとされます。主張をわかりやすくビラにして配ろうとしても同様です。

 人権侵害として世に問おうとした党員は雑草のように刈り取られ放逐されました。

 これに対して、党幹部やその意見に同調する人たちは同じことをしても何も咎め立てされません。報告や結語と称して延々と喋り続け、大部の印刷物を組織の全員に繰り返し大量に配布することが可能です。

 そして、私を排除して、参加者に繰り返し私の悪口や全くの虚偽を吹聴しても、それはなんら「分派」にも当たらないとされます。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 あくまでそれは「指導」であり、「自由な討論」なのだ、というわけです。

 

 違うのではないですか。

 

 異論を持っていても出させないようにする。

 それを構造的に抑圧して、矛盾を蓄積させていく。

 そうなっているのではないでしょうか。

 

 これはハラスメントの問題だけに限りません。

 現在の党建設の方針や方向はこれでいいのだろうか? 「テンポが上がっている」と言いながら、結局目標に遠くたどり着けないことを繰り返しているがそれは大もとが間違っているからではないのか…そういう根本的な疑問を挟もうと思ってもとても言い出せない——そうした問題があるのではないでしょうか。

www.jcp.or.jp

 そうした「構造的問題」を「自己改革」でえぐり出せないのなら(そして出せないことが今次第に明らかになりつつある)、やはり第三者委員会にハラスメント問題を調査してもらう以外に道はないようです。

 

 4月25日の「つどい」は、単に個別の問題点を告発するだけでなく、共産党が抱えている構造的な問題をあぶり出す上で重要な機会になることを願ってやみません。

 

 共産党の深刻な問題を深刻な問題として指摘するのは、共産党の立ち直りを期待し、日本の政治を良くしようという思いがあるからです。

 戦前、日本共産党自身「売国奴」「日本から出ていけ」と罵られたのですが、侵略戦争に向かう日本のその時のありようを厳しく批判したのは、真の愛国者であったからですよね。関心がなければ、あるいは「もう知るか。どうなってもいいや」と思うなら、そこから去っていくだけです。国の行く末を深く案じるから、共産党自身が国に対して厳しい意見も述べたはずです。

 そして結局どちらが「売国奴」で、「愛国者」であったかは、歴史が決着をつけました。

 この問題でもまさしくそうなると確信しています。

*1:下手をすると研修すらなく、ハラスメントの事実すら内密に処理されて終わってしまいます。大阪・富田林市の党市議だった田平まゆみさんは同僚市議からハラスメントを受け、中央も地区も謝罪しましたが、それはホームページの奥底にあったり、その謝罪をほとんど知らないような形でしか扱われていなかったりします。啓発・研修どころではありません。