第6回期日での私の口頭陳述要旨(私が受けたパワハラ)

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方はこちらを先にお読みください。)

 

令和6年(ワ)第30571号 地位確認等請求事件
原告 神谷貴行
被告 日本共産党 外1名


口頭陳述要旨

2026(令和8)年2月26日

東京地方裁判所民事第36部合B1係 御中

原告   神谷貴行

 

 陳述の機会を設けていただき感謝します。

 私が受けたパワーハラスメントは、訴状や本日提出した原告第5準備書面及びその別表に書かれております。また、第1回期日の意見陳述でも述べておりますのでそれは繰り返しません。
  ここでは3つのポイントだけをお話しします。

 一つ目は、2023年4月下旬の私への査問、5月の査問、6月の常任委員会、7月の調査、および12月の調査——これら5つの調査の間、一貫して、被告らは、まだ調査前あるいは調査をしている最中なのに、もう規約違反は決まったことだと決めつけ、規約違反は決まったのだから自己批判せよ、自己批判しなければ党員の資格が問われるぞと、私に繰り返し迫り続けました。
 自分の意見を保留することは党の規約で保障された権利なのに、被告らはそれを無視して自己批判を迫り、自己批判しなければ追放すると脅したのです。これがずっと続きました。これが数あるパワハラの中でも、最も苦痛で、最も基本的だと考える問題です。内心を捨てないと30年以上の人生をかけてきたことを否定される——そういう恐怖を、お分かりいただけるでしょうか。だからこそ私は精神疾患に追い込まれ、通院を余儀なくされたのです。追放を匂わせて自己批判を迫ることは強要ではないかという私の主張に対し、被告らはこれまでの書面の中でもまともに反論しておりません。
 特に、原告第5準備書面に記載のある6月の常任委員会は、私が苦痛で休職中にもかかわらず開催されたもので、1対5はやめて欲しいと言ったのに、1対11で取り囲むという暴挙に出たものです。

 二つ目は、権利制限の期間中に私を職場に来させないようにしたり、引っ越しの手伝いや自主的な学習会への参加まで禁じて、人間関係を切り離し、その間に地方議員や地区委員長、国政候補などを集めて、調査の最中でまだ決まってもいない私の「規約違反」なるものや、私が「党内を撹乱する人間の同調者だ」との悪口を吹き込んだのは、党規約の定める権利制限の範囲を大きく逸脱し、調査のために必要などころか、公正・公平に判断すべき調査審議を逆に妨害するものだということです。
 規約では制限すべき権利は具体的に列挙されており、今述べたようなことを制限することは不可能です。ましてや調査対象者を排除して、その悪口を一方的に吹き込むなどは、組織的に私を排除しているので明らかなパワーハラスメントです。
 被告らはこれまで書面で「これらの権利制限は調査のために必要なことだった」という旨を主張していますが、職場のLINEグループから排除するまでのことは明らかに不要であり、この主張にはおよそ根拠がありません。
 
 三つ目は、党中央委員会の責任です。
 そもそも私に対する直接の加害者、行為者である県委員会三役のうち、●●●県委員長は中央の幹部会委員、●●●書記長と●●●副委員長は党中央委員であり、給与も党中央から支払われています。つまりこの3人は中央委員会の役員や幹部であり、中央委員会はこれらの人たちの行為に重大な責任があるはずです。それだけでなく、私の除籍は中央委員会の承認事項であるとともに、23年8月に私の処分案を福岡県委員会は中央に申請していることを県委員長自身が会議で報告していますが、党中央への申請を経てその申請案は否定されています。
 また、私が除籍された後の週刊誌の取材に対しても党中央は「パワハラとの指摘はあたらないと承知しています」と主体的に答えています。すなわち、私の調査やそこで行われた行為について、党中央は逐一詳細に報告を受け、中央として判断を下していると考えざるを得ないということです。こうしたことに誰が関与したかその詳細を被告らは明らかにすべきと考えます。
 もちろん、準備書面で記載したように、パワーハラスメントであると散々訴え続けたのにこれにまともな対応をしなかったのは、被告県委員会の責任ですし、さらには、それを当然理解していた被告日本共産党の責任です。
 以上、パワハラについて3点だけお話させていただきました。

 最後に、解雇にかかわって一言申し上げます。

 被告らは「共産党勤務員の仕事は、党員でなければできない仕事ばかりだ」と述べていますが、現場の実態を偽る主張だと言わねばなりません。福岡県委員会の受付、電話交換、館内の掃除、宣伝カーの運転、荷物の運搬、財政の勘定、集計作業など、党員でなくてもできる補助的な業務はたくさんあります。党員でない人が勤務員としてこれらの仕事を担うことは決してできないことではありません。
 しかし、私は第1回期日で口頭陳述したように、私は党の職員になって30年近く、政策論戦の中心、議会質問づくりや議会活動の共同作業など、党員でなければできない仕事にずっと従事し、それが私の党職員としての誇りでもありました。
 もし解雇が撤回されても、党籍がない形で戻されてしまうのであれば、このような活動には従事できないことになり、私の尊厳は奪われたままになってしまいます。
 裁判所におかれましてはそのことをぜひご考慮いただき、党員としての地位の確認についても司法審査を行い、党員の地位確認を認めてくださいますよう、お願いいたします。

 ご清聴ありがとうございました。


以上

 

“警察に狙われている組織だから、党籍を無くせば解雇OK”???

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方はこちらを先にお読みください。)

 

 第6回期日(口頭弁論)が終わりました。裁判傍聴や支援する会の報告集会に来てくれた皆さん、この間募金などの支援をしていただいた皆さん、本当にありがとうございます。

 この日の様子はYahoo!ニュースになりました(発信は弁護士JPニュース)。全体が要領よくまとまっていますので、ぜひお読みください。

www.ben54.jp

 ここでは私が今回の期日で驚いたことを2つ書きます。

 一つめは、(ア)“共産党は警察から狙われ、警察と激しくたたかっている組織だから党員でないと党職員は務まらない”、(イ)“だから組織が党籍を奪えば警察とはたたかえない人間に変化してしまうので、勝手に解雇してよい”という理屈を、私の裁判の準備書面の中で、長々と述べていることでした。9ページの書面のうち4ページ以降はこの理屈で埋められています。

drive.google.com

 さらにびっくりするのは、「証拠」としてつけてきた35ページもの書類は、1984年に福岡県で起きた、党員に対する警察のスパイ工作事件(芦屋事件)の資料(判決と国会議事録)なのです。

 

 私は「なんだこりゃ?」と思いました。

 一体、私の裁判、私の解雇になんの関係が?

「警察に狙われている組織」でAIに描いてもらった

 被告(共産党幹部)たちは、(ア)を証明したかったのでしょう。でも(ア)が仮に通ったからといって、(イ)は到底導き出せません。

 そしてそもそも(ア)についても全く怪しいのです。

 ここで挙げられている1984年の芦屋事件でスパイ工作を受けた人は、当時は党員ではありましたが、党の職員ではありませんでした。

 そうなると、党職員に限らず、党員であれば誰でも警察から狙われ、スパイ工作を受ける危険があることになります。

現在でもなお「警察白書」では、「公安の維持」の章において、被告共産党は「監視」等の対象とされている(被告準備書面p.6)

共産党の活動は、常に権力との緊張関係にあり、こうした緊張関係にある任務を、党員でない一般の者が担えるものではないことは明らか(被告準備書面p.6)

 では、共産党は入党するときに、そんなことを「明示」して「合意」しているでしょうか。全くしていませんよね。

www.jcp.or.jp

 党員に対してこんなに危険なことが今もあり、それが組織防衛に不可欠だというのなら、なぜそのことを全ての党員の入党前に説明し、合意をしないのか? ということになります。

 それどころか、警察を挑発したり、その介入をまねくような挑発を、現場の党員が次々にやっていても、なんの手立てもとろうとしないどころか、「市民としての活動には口を出さない」として容認しているのが、今の党幹部たちではないのでしょうか。

 自分のオキニの無法はニコニコ容認し、自分が気に入らない党員は道理を捻じ曲げて追放する——これが今党幹部がやっていることのように思えてなりません。

 もう一つ驚いたことは、「福岡県や東京都委員会で、除籍などで党籍を失い、本人との争いになっているが、解雇されたケース」を出してくれと私たちは求めてきましたが、結局出てこなかったのです。

 この二つが今回の期日で私が驚いたことでした。

 それにしても、“警察に狙われている組織だから、党籍を無くせば解雇OK”というのは、理屈としてアクロバティックすぎて何を言っているかわからないですよね。

「資料が出てこないで呆れている」でAIに描いてもらった

 私が行ったパワハラについての口頭陳述要旨は次のエントリで紹介します。

第6回期日(26年2月26日)で問われること

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 私が原告である共産党不当解雇裁判の第6回期日が2026年2月26日の午前11時半から東京地裁(709号)で行われます。

 今回は、私たち原告のターンです。

 

私が共産党幹部から受けたハラスメントについて述べます

 裁判官から「いつ・誰から・どういうハラスメントを受けたと訴えているのか整理して示してもらえますか。訴状や準備書面のどこにあるということで結構ですから」と言われましたので、今回、表にして示しました。また、準備書面ではそのポイントになる点について示しています。

 私が受けたパワハラそのものはすでに第1回期日で述べていますので、今回はそれを繰り返さず、法廷での私の陳述では、今回の準備書面を踏まえて、私なりのポイントと考えることを訴えます。

 共産党幹部は、ハラスメントだと私が訴えることについては、すべて「規約上の調査だから問題ない」という立場です。そして大声を出したり、殴ったりしていないのでハラスメントではない、というのです。

 ある行為がハラスメントであるかどうかは、一般市民であっても党員であっても関心が高いところだと思います。ぜひ見極めてください。

 

共産党幹部が裁判所から聞かれたことに答えます

 もう一つ、今回の裁判では、被告(共産党幹部)らが裁判所に求められていたことに答えるというものがあります。

 第一は、「共産党員の党籍がなくなったら自動的に共産党職員から解雇される」という「黙示の合意」はいつの時点で存在したと主張するのですか? ということです。

 第二は、「不祥事以外の事情で、共産党を除籍されて職員を解雇されたケースは具体的に存在しますか?」というものです。

 これらについて被告らがどう答えるかが、今回の期日で明らかになります。

 

 共産党は党職員が労働者であることを認めています。

 だから、この裁判は、単に特殊な共産党という部分社会の話ではないのです。

 ここで労働者がどう扱われるかは、一般社会で労働者がどう扱われるかに影響します。

 だとすれば、党籍をなくすかどうかは完全に党組織の判断に委ねられ裁判所は口が出せないと言って、好き勝手に党籍を切っておいて、「とにかく党籍がなくなれば自動的に問答無用で解雇できるんだ」というやり方を認めたら、「ブラック企業」が新しい手口を覚えてしまうことにならないでしょうか。

 無法な解雇を規制するという旗を高く掲げ、党綱領にまで掲げている政党が、実は自分の組織の職員にはそんな扱いをしているのだということになれば、多くの国民が「左翼・リベラル」に失望するのではないでしょうか。「なんだ、国や企業にはきれいごとを声高に叫ぶけど、いざ自分たちのことになると、思いもつかない最悪のやり方でいじめるんだな」と。

 そんな「裏付け」になってしまわないよう、今からでも被告らは反省して悔い改めてほしいと強く思います。

 

 多くの方の参加をお待ちします。 

 

「ママ戦争止めてくるわ」で思ったこと

 雨宮処凛さんの次の文章を読んでいろいろ思うことがありました。

maga9.jp

 

「身内では通じる言葉」:志位氏の指摘と雨宮さんの指摘の共通点

 雨宮さんの主張のポイントは

そう、このような言葉が「わかる」のは、特殊な界隈で特殊な訓練を長期間受けている人に限られるのだ。そんな特殊界隈にいる一人として、最近、そのことに自覚的でいなければと強く強く、思っている。自分が「身内では通じる言葉」に慣れてしまっていないか、常に問い続けるようにしている。

という点にあるように思えます。「身内で通じる言葉」になってしまっているという点です。

 その後、日本共産党の志位和夫議長が、シンポジウムで次のように発言しているのを知り、興味を惹かれました。

志位氏は、「いかにして『戦争国家づくり』を許さない国民多数派をつくるか」と題して発言。総選挙の結果生まれている大軍拡と憲法9条改定を中心とする「戦争国家づくり」を止めるには、それに反対する国民多数派をつくる以外にないと強調。「そのためには、『大軍拡反対』『9条守れ』というスローガンを掲げるだけでは足りません国民の疑問や不安をしっかり受け止め、それに丁寧にこたえる、本腰を入れた、粘り強い、対話の努力を国民的規模で行う必要があります」とし、重要だと考える点を四つの角度で語りました。

 雨宮さんが「ママ戦争止めてくるわ」というスローガンに意義を感じつつも、その限界を感じたこと、あるいはそこに抱く違和感と、志位氏が「大軍拡反対」「9条守れ」というスローガンの自動的な思考停止を批判していることは、共通しているように思いました。

 「特殊な界隈で特殊な訓練を長期間受けている人に限られる」(雨宮さん)ような自動的な了解を求める「スローガンを掲げるだけ」(志位氏)の運動は、一定の意義があるけども、やはり限界がある、ということです。

 すでに存在している「味方」を、署名やデモのように数として可視化して、社会に示すような運動の意義と限界です。

2026年2月20日付「しんぶん赤旗」より

 そうした運動に意味がない、というつもりはありません。「あなたの住む地域社会にはこういう声をあげている人がこれくらいの数でいるんですよ」ということを示すこと自体には現在でも意義があると思います。

 しかし、以前(10年前くらいのスパン)のように、すでにいる「味方の数を示すことで相手の意図を挫く」という運動としての意義はかなり減退し、そうでない世代や人たちにアプローチすることがもっと重要になっていると思うのです。

 これまで全くリーチしなかった人たちのところに足を運び、声を聞き、対話をするところから始める運動でなければならないんじゃないでしょうか。雨宮さんや志位氏の言っているのはそういうことなのだろうと思います。

 憲法第9条についての意識は、世論調査では、「改正しない方がよい」が「改正した方がよい」を少し上回るという結果が続いてきました。

 にもかかわらず、この二人が上記のような問題意識を持つように至ったというのは、だからと言って、今の「味方」を固めてその数を示すだけの運動ではまずいと思ったからでしょう。ひょっとしたら、この総選挙あたりを境にして、9条についての賛否は逆転している可能性も小さくないと思います。

 戦争体験世代がいなくなり、9条が「国家として戦争を起こさないこと」の誓約=制約であるという自動的な観念がすっかり希薄になってしまったのではないかという危機感です。もちろん、ゼロになってしまったわけではないし、そのことを知っている戦後世代であっても、そのことにプラスして思考し、「とはいえ、今のアジアの安保環境の中で、それだけでいいのかと思いますね」くらいは思うでしょう。他方で、自衛隊を認め、その活躍に期待する人が9割近くに達しているわけです。

 この点で、志位氏が

国民の疑問や不安をしっかり受け止め、それに丁寧にこたえる、本腰を入れた、粘り強い、対話の努力を国民的規模で行う必要があります

としているのは大事な観点だと思いました。

 しかし、志位氏がその後に掲げた「四つの角度」は間違っていないけど、あまり問題の的を射ていない、ポイントがズレているのではないかという“残念感”を抱きました。「国民の疑問や不安をしっかり受け止め、それに丁寧にこたえる、本腰を入れた、粘り強い、対話の努力」になっているだろうか? と思ったのです。

 志位氏があげた「四つの角度」は

  1. トランプ米政権言いなりの「戦争国家づくり」を進めていいのか(対米従属性批判)
  2. 抑止力の強化で平和をつくれるか(抑止力批判)
  3. 日中両国が積み上げた積極的合意を足掛かりになるのではないか(日中関係の解決方向)
  4. 憲法9条の誕生の経緯、戦後の役割、それを壊すことが何をもたらすかを明らかにしていく(9条論)

というものです。

 別にそれらを語ることはマイナスではないとは思いますが、基本的に「戦争か平和か」「軍事か非軍事か」「外交か武力か」で対抗軸を作ってしまっている印象を受けます。

 真剣に「国民の疑問や不安をしっかり受け止め、それに丁寧にこたえる、本腰を入れた、粘り強い、対話の努力」をしようとするなら、「軍事」をどう扱うかについては対話する側が考えておかねばならないことです。

 

 共産党は自衛隊を一気に廃止せず、国民の合意ができるまでは気長に存続してもらい、有事には「活用する」という方針です。

 その点で、共産党の考えはちゃんと合理的な土台を持っています。

 しかし、そこだけにとどまっていていいのかという問題はあります。

 「国民の疑問や不安をしっかり受け止め、それに丁寧にこたえる、本腰を入れた、粘り強い、対話の努力」をしようとするなら、では自衛隊をその間どういうふうな兵力レベルでどこに配置し、どういう戦略で存在してもらうのがいいのかを政策的に用意していなければいけないのではないでしょうか。

 しかもそれは対米従属下で米軍の戦争に巻き込まれ、参戦してしまう自衛隊とは違った「真の専守防衛の自衛隊」として構想され、国民の前に示される必要があるでしょう。

 

田村智子委員長が対話で変容した瞬間

 この点について、もう少し具体的に考えてみます。

 共産党が田村智子委員長を先頭に「ストリート対話」を始めたのはいいことだと思います。なんと総選挙後の党活動の取り組みの「第一」的課題の一つとしてこのストリート対話が提唱されました

www.youtube.com

 この第2回の動画の2分25秒あたりで、田村委員長は、「日本の国を攻撃してくるのを撃ち落とすっていうのはわかる」と防衛のためにミサイルで迎撃することは必要であるという主張をはっきりと行っています。

 相当具体的な中身です。その部分はハズミでまずいことを言った部分として削除もされていません。

 それを動画にして全党・全国民・全世界に発信し、しかも党の第一方針に掲げるようになっているのですから、単に言葉のあやではないのです。これはすごいことだと思います。

 これは、国民と対話する中で、共産党委員長である田村さん自身が、専守防衛の現時点での具体的な政策を語り、ある意味で自分自身を「変容」させた瞬間です。これまでの共産党の政策の境界線を超えて自分を変えたのです。

 『マルクス主義と言語哲学』などを著したバフチンは、ダイアローグ=対話主義を提唱しましたが、バフチンのいう対話は、自分自身が変容をこうむり、知らなかった自分が現れるようなそんな関係を「対話」としました。

 単に説得の手段として対話するだけでなく、実際に左派として「軍事」を考え、その役割を実際に認め、政策提言していくような発展を見せない以上、対話は成り立ちません。*1

 田村さんはこの2分25秒の瞬間、対話によって自身を変化・変容させたのだといえます。そうしなければ、この2人の男性との対話が成立しなかったからです。

 左翼の再生は対話から始まります。

 それは単に対話をしてニーズのリサーチをするというだけにとどまりません。対話によって自分自身がその対話の現場から変わるということが必要なのです。

 相手を性急に変える必要はないと思います。安全保障でどういうことを考えているかをじっくりと聞き出し、対話をし、それによって自分自身も変容する、そういう運動が求められています。

 「戦争国家づくりをやめさせよう」「憲法の改悪を許すな」という一方的な演説をしたり、「いつメンが大半の学習会」を“成功”させているだけでは、もう間尺に合わないということです。

 

線引きの整理

 さらに具体的に考えてみます。

 概念的にどこで線引きされるのか、という整理です(あくまで線引きの整理です)。

 憲法9条の問題をめぐる現在の運動の性格は「軍事か非軍事か」「戦争か平和か」「戦争か対話か」ではありません。極端なことを言えば、どれだけ軍拡をしても、あるいはどれだけ自衛隊が国防のために戦おうと、そのことはこの運動においては全く問題ないのです。この運動においては。むしろ積極的にそうした仕事を考え、讃え、激励し、共感しあうべきなのです。さらに極端なことを言えば、核武装さえそこでは共感しあう余地があります(日本政府は昔から、9条のもとでも核兵器保有は理論上は可能であるとしてきました)。この問題(9条改正か擁護か)での線引きはそこではないからです。

 また、中国が軍備を拡大し、核兵器を備え、台湾に武力行使をちらつかせていることは大いに憤激すべきなのです。そして、それをなんとかするべきなのです。ここでも大いに共感できるはずです。

 問題は、国土防衛の戦争は「いい戦争」だけれど、アメリカと中国が起こす戦争で、台湾の近くで自衛隊が戦争に参加し、報復で日本が焦土になる、それは「悪い戦争」であり避けなければならないい、ということです。この課題設定は「戦争か平和か」ではなく、「いい戦争はしていいけど、悪い戦争はダメだ」ということになります。

 問題の性格から言えば、9条の改憲は集団的自衛権をフルスペックでの解禁をするものであり、そのような惨劇に日本を巻き込む「悪い戦争」に道を開く危険があるということです。安保法制はその具体化です。だから改憲はすべきではないし、安保法制は廃止すべきなのです。個別自衛権の範囲で自衛隊が専守防衛に制限されている今の9条のもとでの安全保障がベストである、ということが概念的な整理の核心です

 しかし、その境界線は念頭におきつつも、運動においては、そして対話においては、その境界を時には融かして、相手とのやり取りの中で自分が変容をこうむることも含め留保しておくべきだと思います。自分の立場だけは死守して相手を説得してやろうという姿勢では対話になりません。

 日本共産党の綱領はもともと安保条約に象徴される対米従属を日本にとって喫緊の危険と考え、それに対して自衛隊の解消=非軍事(非武装)はなんら緊急の課題ではなく、解消の国民合意ができるまでとこしえに待ち、その間は活用もするという悠長さを見せ、明らかにその扱いを区別してきました。

 また、中国の台湾への武力侵攻方針や、その覇権主義を批判してきました。

 もともとなかなかいい出発点を持っていたのです。

 その出発点を活かして、対話をし、積極的に変容=発展していくべきなのです。

 そういう運動は自分が変わっていくものであり、参加していても楽しいと思います。

 

 冒頭の雨宮さんの文章に戻りますが、雨宮さんが感じてきた違和感は、戦後民主主義を経験してきた世代が自動的に結びつけてきた課題や言葉が効力を失いつつある中での違和感だと思います。

 「9条を守ろう」ということだけで一致が勝ち取れた、戦争体験を軸にした平和主義が急速に変化(衰退)しつつあります。「9条の会」のような運動や、安保法制反対のデモのような運動はそのままでは通用しなくなりつつあります。それらをリニューアルしなければならないのです。

 リアルにある危険を語ったり、認めたりするところから問題を始める、そういう新しい運動が必要ですから、軍事はなんらタブーではないのです。

(総選挙の結果生まれている大軍拡と憲法9条改定を中心とする「戦争国家づくり」を止めるには)『大軍拡反対』『9条守れ』というスローガンを掲げるだけでは足りません。国民の疑問や不安をしっかり受け止め、それに丁寧にこたえる、本腰を入れた、粘り強い、対話の努力を国民的規模で行う必要があります

という志位氏の提起には大いに賛成できますが、「対話」というものをもっと踏み込んでとらえるべきではないでしょうか。

 本文はここまでです。

 あとは余談です。

 

余談1:課題設定=憲法改定反対? 憲法9条改定反対? 戦争国家づくりを許さない?

 課題設定のことを一言。

 「憲法改定阻止」なのか「憲法9条を守る」なのか「大軍拡反対」なのか「戦争国家づくりを許さない」なのか。

 今ならべた4つでも、課題ごとに、国民の意識状況と一致点は全然違います。

 例えば憲法改正の賛否を問われたら、改正賛成派の方が多くなります。ところが、9条だけに絞ってみると逆転します。

 志位氏は

大軍拡と憲法9条改定を中心とする「戦争国家づくり」を止める

としています。

 う〜ん…。なんとなくふわっとしてしまっていますね。あいまいで雑然としています。共産党の方針も総選挙後にいろいろ出ていますが、同じ状況です。

 

www.jcp.or.jp

www.jcp.or.jp

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 ここがあいまいだと「国民の疑問や不安をしっかり受け止め、それに丁寧にこたえる、本腰を入れた、粘り強い、対話の努力を国民的規模で行う」こともできないんじゃないでしょうか。

 私は「憲法第9条を守る」という点で絞って考えてみたいと思います。

 「絞っちゃダメなんだ。憲法9条の改定も、他の条項の改定も、スパイ防止法も、大軍拡も『戦争国家づくり』と結びついているんだ」と言いたくなるのはわかります。

 しかし、それこそ「特殊な界隈で特殊な訓練を長期間受けている人に限られる」(雨宮さん)理解なんじゃないでしょうか。

 一つ一つの運動の違いをよく見極めて、最後に合流できたらいいなと思える「結論」がそれだとは思いますが。

 

余談2:私の立場

 誤解のないように、私の立場も述べておきます。

 私は、高市政権の改憲の動きに危機感を抱いている一人ですし、米中戦争に日本が巻き込まれるかもしれないという対米従属の安保体制の危険性を感じている一人でもあります。

 また、先の総選挙(2026年2月)では、「#ママ戦争止めてくるわ」には少しついていけなさを感じていましたが、それでも気持ちはわかる気がしましたし、「#戦争止めてくるわ」のハッシュタグをマンガ家や関連の人たちが次々使っていることに、共感を含め強い関心を持っていました。

*1:もちろんこのような想定自体がすでに自分の中にあらかじめ仕込んだ「変化」でしかなく、本当に対話をしていく中では、こうした想定さえ崩してしまう予想もしないような事態が生じるかもしれないのです。

不滅であるという確信を持てるのか

 2026年総選挙についての共産党常任幹部会の声明が出ました。

www.jcp.or.jp

 私として、総選挙総括、その中で「共産党がなぜ後退したか」をどう考えどうすべきかの基本点はもう明らかにしています。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 ここでは、共産党員のみなさんが、支部で議論する際に、幹部側のロジックがおかしいことをどうやってただしていくか、そのポイントを2点だけを記しておきます。

 

常幹声明は共産党後退の原因を高市旋風のせいにしている

 常任幹部会声明では「なぜ日本共産党が、重大な後退をきっしたか」と問いを立てています。

その総括については、党内外の方々の声によく耳を傾け、学びながら、あらゆる面で自己検討を深め、次の中央委員会総会で明らかにするようにします。

と述べていますが、党幹部なりに立てている仮説が後に続いています。

高市旋風」がつくられ、多くの政党が高市政権に迎合・屈服する状況がつくられたことは、高市政権と正面からたたかうわが党にとっては、大きな逆風として作用しました。それは高市強権政治に立ち向かうわが党のかけがえのない役割が、多くの有権者に伝わるならば、わが党の前進・躍進の契機にもしうるものでしたが、逆風を押し返すには党の力があまりにも足らなかったというのが、私たちの強い実感です。

 常幹声明には「高市旋風」を選挙情勢の基本点に据えています。

高市首相は、内閣支持率の高さだけを頼りに、「高市早苗でいいのかを国民が決める選挙」という一点で総選挙を押し切るという作戦をとり、急速に「高市旋風」が吹き荒れるという状況がつくられました。

疑問1:「つむじ風は吹いていない」と選挙対策本部は声明したはずでは?

 問題の第一は、選挙が公示された1月27日に共産党の総選挙対策本部の声明では「わが党の頑張りいかんで勝利をつかみ得るチャンスが間違いなく生まれています」と述べて、そのチャンスの条件を2つ挙げていました。その一つが「風」が吹いていないと評価したことです。

www.jcp.or.jp

 もう一つは、今度の選挙では、真の争点を覆い隠す“つむじ風”が吹いていないことです。

 一昨年の総選挙では国民民主党が「手取りを増やす」と打ち出し、昨年の参院選では参政党が外国人問題を唱え、それぞれ選挙の本当の争点を見えなくさせる「突風」となりました。しかし今度の総選挙では、今のところ真の争点を覆い隠す“つむじ風”は吹いていません党首討論会でも、物価高や消費税減税、トランプ政権の無法、外交・安保問題などが正面から争点として問われ、いわばわが党の土俵で論戦が展開されています。消費税減税をめぐっては、財源問題が焦点になり、党の先駆性が際立っています。政治論戦上は、わが党にとって本当にたたかいやすい選挙であり、有権者に党の主張を届けやすい選挙になっています。

 ちなみに、「つむじ風」は「小規模な回転する風の渦巻」のことで漢字表記をすると「旋風」です。

 参院選後の中央委員会総会決定では「突風」と表現していたものを、総選挙になって総選挙対策本部の声明でわざわざ「つむじ風」=「旋風」と表記し直して、それが起きていないことを否定していたのです。

 ところが、選挙が終わって惨敗した途端に、“高市旋風のせいで共産党が重大な後退をした”と言い始めました。

  1. 矛盾したことを言っている。
  2. 途中から吹き始めた。
  3. 選挙対策本部の声明は間違っていた。

のどれかしかないはずです。

 もしも「重大な後退」をさせるほどの情勢が存在していたのに、総選挙対策本部の声明でわざわざそれを否定したというのは、明らか、かつ重大な情勢判断のミスです。

 …と言いたいところですが、「重大な情勢判断のミス」などあろうはずがない、というのが私の実感です。なぜなら共産党議席が後退したのは、「高市旋風のせい」などではないからです。

 

疑問2:「高市旋風が吹くと共産党が後退する」?

 第二の問題は、では、仮に「高市旋風」が吹いていたとして、なぜ共産党が後退するのでしょうか。高市旋風を厳しく批判した共産党になぜ高市批判票は集まらなかったのか、という謎が存在します。

 高市政権の支持率は高く出る読売でも7割でした(1月25日付)。

 とすれば3割の批判票が存在したことになります。

 「多くの政党が高市政権に迎合・屈服」(常幹声明)したというのなら、批判票を集めるチャンスです。批判票のうちの一部だけでも共産党にくれば、共産党は少なくともこれほどの後退を喫することはなかったはずです。

 ましてや、中道が「補完勢力」となり自民党政治の「軍門に降った」はずなら、高市旋風は逆風ではなく、高市旋風が吹けば吹くほど、帆に風を受けた船のように、共産党に批判票が集まることになるはずです。

 常幹声明では、「逆風を押し返すには党の力があまりにも足らなかった」と言っていますが、高市旋風は「逆風」ではなかったはずであり、共産党の総選挙対策本部の認識においても「チャンス」だったはずではないでしょうか。

 「いや、高市に逆らうものは全て吹き飛ばされたのだ」とでもいうのでしょうか。

 なるほど党幹部が自民党の補完勢力や排外主義勢力と認定した国民民主党(+1)・参政党(+13)・維新(+2)は議席を増やし、自民党政治を「追認」と批判したチームみらいも議席を増やし(+11)ました。しかし他方で、新たに「補完勢力」「軍門に降った」という認定をした中道は大敗し(-123)、やはり排外主義勢力と認定されている保守党は消滅しました(-2)。高市旋風の影響が他の党にどのように影響を与えるかが、全くチグハグなことがわかります。すなわち個別の党の事情によって、全く問題が異なることを浮き彫りにしています。

 このように「高市旋風が吹くと共産党が後退する」というロジカルな説明が常幹声明にはどこにもないのです。「風が吹くと桶屋が儲かる」レベルの「ロジック」だと言われても仕方がないでしょう。

常幹声明を一刻も早く乗り越えよう

 以上の2つの指摘を見ても分かるとおり、私は、この2つの疑問を埋めるロジックをまじめに常幹に求めているわけではありません。声明の細かい矛盾を突いているのではないのです。

 一言で言えば、こんな穴だらけの声明などで満足するわけにはいかないということです。多くの党員に言いたいことは、こんな声明は乗り越えて、ちゃんとしたデータに基づいた議論を始めてほしいということなのです。

 幸い、声明自身が

その総括については、党内外の方々の声によく耳を傾け、学びながらあらゆる面で自己検討を深め、次の中央委員会総会で明らかにするようにします。

と述べているのですから、このような杜撰な声明など、どれほど厳しく批判して乗り越えていこうとも、問題ないはずです。かような「総括」に付いていってもその先には何もありません。断崖があるだけです。

 間違った戦争に最も厳しく反対した日本共産党が結果的に最も強い愛国者であったように、今の党幹部の間違いを最も厳しく指摘することこそが、最も強い愛党精神だと言えるでしょう。

 

すり替えに気をつけよう

 総括議論をする際に「すり替え」に気をつけましょう。

 前の記事でも言いましたが、「高市政権の反動的な政治に反対するたたかいに、前を向いて立ち上がる」ことと、「共産党の後退の原因を分析する」ことは、全く別の問題です。

 支部会議では、往々にして「共産党の後退の原因を分析する」議論だけをしていると「後ろ向きの議論」とみなし、「高市政権の反動的な政治に反対する声がどんどん起きているぞ! 共産党に期待する声も出ている! 後ろ向き・内向きの議論などしている場合ではない! 前を向いて立ち上がろう!」と一部の人がアジって、「共産党の後退の原因を分析する」議論そのものを否定することがあります。

 しかし、それは重大なすり替えです。両者は別の問題です。

 

 また、上記の通り、なぜ高市旋風が吹いた(あるいは吹かなかった)のかという問題と、共産党がなぜ壊滅的な後退をしたか・連続後退をしているのか、という問題も別の問題です。それはすでに書いた通りです。高市旋風が吹いたからだ、と言われたら「それならなぜ最も厳しい批判者である共産党が大きくならないのか?」と問いかけてください。

 

 さらに、常幹声明は「強く大きな党をつくる」ことが「総選挙の最大の教訓」としていますが、それが「最大の教訓」であるかどうかは何も自明ではありません。

 党員が増えた地区・支部、読者が増えた地区・支部と減った地区・支部の、それぞれの得票の増減を、一部ではなく全て相関グラフにして、示させるべきです。データを見ていませんが、断言できます。おそらく何の相関も示されないでしょう。示されるというのなら、ぜひ示してほしいものです。

 今の党幹部のやり方で「強く大きな党」は長期にわたって作れませんでした。なのに、次の統一地方選挙(2027年)までに作れるのでしょうか。その道筋は何も示されていないのです。そこで後退するなら、また同じ総括を繰り返すだけです。「なぜ繰り返すのか」「繰り返さないにはどうしたらいいか」は何も示されていません。何回も何回もそれを繰り返して議席がなくなり、党組織も消滅し、「結局できませんでしたね」と終わった頃には、それを叫び続けていた党幹部はおそらく地上からいなくなっていることでしょう。党幹部はその路線の果てにある絶望に、責任をとってくれないのです。

余談:「不滅」という言葉について

 最後に余談です。

 常任幹部会声明の終わりは

社会発展の法則を明らかにした科学的社会主義への世界観的確信、党綱領路線への科学的確信をもち、どんな困難があっても私たちの事業は不滅であるという確信をもって、前途を開こうではありませんか。

で結ばれています。「こんなことを繰り返していたら共産党が消えてなくなるではないか…」という不安に必死で応えようとしたのでしょう。

 常任幹部会自身、いや、おそらく起草者自身が不安なのです

 しかし、「不滅」だ、「確信」を持て、と何億回言おうとも、目の前で具体的な現実として議席と組織が次々消滅しているのを見せられ、ほとんどガラクタのような声明の紙切れしか示されないなら、「不滅」だと信じる方がどうかしてます。

 それで「不滅」だと信じるなら、もうそれは“石ころに不思議な魔力が宿っているのを信じろ”というのと、そんなに違いはありません。

 かつてソ連・東欧の「社会主義」を掲げた政権が次々崩壊していった時に、日本共産党の指導者だった宮本顕治は、『科学的社会主義の不滅の党として』という大胆なタイトルの著作を出しました。

 今の党幹部たちはその顰みに倣ったのでしょう。

 今の綱領にも「不滅」という言葉がありますが、それは侵略戦争と絶対主義的な天皇制に反対した戦前の日本共産党の活動の意義が「不滅」だと言っているだけです。すでに終了した歴史的事実の評価に関わるもので、これからの未来に向かっての事業の先行きについて使った言葉ではありません。

 当時宮本顕治がこの表現をしたのは、ソ連・東欧で「社会主義」という偽りの看板を掲げた党が崩壊しているけど、それがいくら崩壊してもそんなもので社会主義の未来は測れない、そもそも社会主義は資本主義の矛盾を乗り越えようとする思想や運動であって、資本主義の矛盾がある限りはそれを乗り越えようとする事業自体は無くならないから、「不滅」であるとしました。事業の根拠を見誤らないようにさせたのです。

 つまり「資本主義の矛盾がある限り科学的社会主義の事業は不滅である」というのがその本当の意味です(「資本主義の矛盾がある限り」「不滅だ」というのは、ある条件を設けその範囲では「不滅」だと述べているわけで、実に奇妙な構文です。まあ、それはおいておきましょう)。

 その意味では私も同意します。

 しかし、一つの組織体が不滅かどうかは、別の話です。

 あらゆる事物が、変化と発展のうちにあるとした弁証法は、科学的社会主義の哲学の基本であり、「不滅」という概念の対極にあります。全ての事物は不滅であることはできず、生成し発展し没落していきます。

 科学的社会主義の哲学の入門書である『フォイエルバッハ論』の中で、エンゲルスマルクス主義哲学の下敷きとなったヘーゲル哲学の革命的な命題を紹介しました。

現実的なものはすべて合理的なものであり、合理的なものはすべて現実的である。

 これは現実に存在する制度や国家を合理化する命題として非難されましたが、エンゲルスはそうではない、この命題は実は支配階級にとっては恐ろしいものなのだ、と解説をつけます。

以前には現実的であったものもすべて、発展のすすみゆくなかで、非現実的になり、その必然性をうしない、その存在の権利をうしない、その合理性をうしなうのであって、死んでゆく現実的なもののかわりに、新しい生活力のある現実性があらわれてくる。

 共産党自身が、新しい現実に対応した合理的なものに変わらなければ、「その存在の権利をうしない、その合理性をうしな」い、「新しい生活力のある現実性」にとってかわられるということです。

 そのことは共産党であっても免れられないのです。

 「共産党」の看板をつけていながら、そうやって消えていった党は山ほどあります。

 そして、消えた共産党とは無関係に、資本主義の矛盾の前に、新しい別の組織や運動が立ち上がっていくかもしれないのです。*1

この哲学のまえには、究極的なもの、絶対的なもの、神聖なものは、なにも存在しない。この哲学は、ありとあらゆるものについてそれがすぎ去りゆくものであることを示す。

 あらゆる事物の不滅性を否定するのがマルクス主義哲学です。

 党幹部にとって、なんという恐ろしい哲学ではないでしょうか!

*1:「太陽がある限り太陽光からエネルギーを取り出す事業は不滅だ」というテーゼは、なるほど半永久的な真理かもしれません。他方、そのエネルギーを取り出す技術装置は1950年代に実用化されました。当時は画期的なことでしたが、変換効率は6%でした。今の世代の装置は20%を超えています。開発当時はいくら「画期的」だった初期の装置も、やがて非効率となり、誰にも使われなくなります。太陽光の不滅性をいくら指摘しても、非効率な技術装置は不滅ではないのです。

2026年衆院選での共産党の壊滅的な敗北を受けて

 2026年の衆議院選挙が終わりました。

 共産党で選挙をたたかったみなさん、本当にお疲れ様でした。政治的なだけでなく、天候的にも非常に厳しい中での選挙戦だったと思います。まずはゆっくりお休みください。

 選挙結果は相当に厳しいものでした。

 自民党の歴史的な大勝、中道という野党第一党の大敗という日本の選挙情勢全体のこともあるんですが、私は共産党が半減という惨敗を喫し、れいわ・社民などの左派全体が壊滅的な敗北を喫したことをどう考えるかを書いておきます。

 

 この選挙戦では、確かに高市旋風という「爆風」が吹いたとか、中道があまりにダメだったとか、そういう「総括」がされそうな気もします。それらが事実だったとしても、ではなぜそれらを批判した共産党をはじめとする左派には票はこず、維新・国民・みらいが伸びたのか、という問題が残ります。

 共産党と左派が国民から厳しい審判を受けたのだ、というところから総括を始める必要があるのではないでしょうか。少なくとも連続的に劇的な後退を喫している共産党については、いつまでも天気予報のように「突風」とか「旋風」*1とか「逆風」とか「爆風」とかのせいにするのはもうやめて、事実に向き合うときです。

今度の総選挙では、今のところ真の争点を覆い隠す“つむじ風”は吹いていません。…わが党にとって本当にたたかいやすい選挙であり、有権者に党の主張を届けやすい選挙になっています(1月27日の党総選挙対策本部声明)

共産党衆院比例ブロック別の前回と今回の得票比較



 2025年の参院選後に私は全党的な討論をする臨時党大会を呼びかけましたが、党幹部はそうした根本的な見直しをする気配は全くないまま突き進み、高市首相の国会解散の動きを受けて動揺して、大会で決めた総選挙目標だけを、常任幹部会だけの判断で3割も下げるなど、大破綻をきたしました。この過ちを繰り返すべきではありません。

 

 「さあ前を向いて行こう、たたかいはこれからだ」という呼びかけがされるかもしれません。それ自体はそうだとは思いますが、肝心の前を向いて走っていく組織装置が壊れている可能性が高いのです。「車が壊れてますよ」という指摘に耳を貸さないで、荒野を走り抜けようというのは無謀というものです。

これ、動くんですか?

 私は引き続き臨時党大会を開いて全党の討論をすべきだと思っていますが、加えて、かなり厳しいものも含めて、広範な有識者からの意見をもらい、全党からの意見とあわせて公開すべきだと思います。*2

 トロツキー共産党を、革命を推進する装置(機関)であると比喩したことがありますが、その装置が壊れている可能性が大きい今、共産党員の多くが「赤旗」で読みたいことは、高市政権とたたかう意味ではなく(もちろんそれは読みたいだろうが、大半の党員はそんなことはわかっている)、どうしたらこの装置が直るのか、ということではないでしょうか。どうしてこの装置は、民意を汲み上げて議席を膨らませる機能が働かないのだろう? と。それには、厳しい意見を含め、いろんな人の考えを今こそ聞きたいはずです。

 左翼の概念の洗い直し、路線・政策の見直し、組織・活動の見直しなど、どんな問題にもタブーを設けないことです。それもかなり時間をかけてやる必要があるでしょう。私なりに思うことはありますが、そういう一人の知恵でどうにかなるものではありません。*3

 この問題に向き合うことは、単に内向きな話なのではなく、階級闘争の焦点です。壊れた装置を直さないで前には進めないのですから。

 

 こうした抜本的な反省の措置に進むには、最初に述べたように、共産党が国民から審判を受けた、という認識を得ないことにはどうしようもありません。そこをまず起点にするよう望みます。

*1:ちなみに「つむじ風」は「旋風」と書きます。

*2:規約上の特別の措置ですから、大会や中央委員会の決定によってそれを行うべきでしょう。

*3:仮に「共産党が正しいことを言っているが国民がそれを理解していない」という結論になったとしても、ではそれを理解してもらうための方法はそれでよかったのかといえば、これまでのやり方を根本的に見直さないと難しいということが明らかになったのではないかと思います。

共産党は3つのことを改善せよ

 総選挙で日本共産党には頑張ってほしいと書きました。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 前から書いているように、(1)草の根のネットワークを持ち、困った人の相談に乗る、(2)不正の暴露など行政の厳しいチェック、(3)社会主義や非同盟などオルタナティブを提示する力は、一朝一夕では作れない厚みのある資産であり、今の日本に必要なものだからです。

 

 他方で、こうした共産党の役割をそこない、組織を私物化している今の党幹部たちの悪弊を改めることを、この選挙戦でも求めます。そこを改めない以上、党は蝕まれ、前進は難しいと考えるからです。

 

異論排除の非民主的体質をやめよ

 一つ目は、ハラスメントやルール違反などのさまざまな方法で、異論を排除する非民主的な体質です。

  

 松竹伸幸さんの追放をめぐる裁判で、この体質は明るみに出つつあります。しかもその後も逆らう人たちが陸続と追放されたり、まつろわない議員・候補・職員に対して聞くもおぞましい圧力がかけられ続けています。

 当たり前ですが、こんなことをしていれば、民主的な議論ができなくなり、組織はダメになっていきます。また、いくら「赤本」「青本」で「共産主義への偏見を克服」しようとしても、現実の党幹部の行動によって異論を排除する体質を露呈させてしまうなら「なんだ結局ソ連や中国と同じか」と、その情報に触れた人が思ってしまうことでしょう。

 「こっそりやっているから、影響はない」と思って無視するなら、そうすればいいとは思いますが、そう思っているのは党幹部だけでしょう。世の中にはわかってしまうもの。世論から厳しい審判を受けるだけです。

 

党職員を労働者であるときちんと宣言して制度を整備せよ

 二つ目は、党職員(専従)を労働者扱いしない反労働者的な体質です。

 

 共産党幹部は記者会見や党内の教育で、党職員はあたかも労働者ではないかのように必死で取り繕っているのですが、すでに私の裁判では言い逃れができなくなり、党職員が労働法上の「労働者」であることを認めました。だから、各地で声をあげた人たちによって残業代などが「こっそり」と支払われています。

 今、労働者を労働者として扱わない働かせ方が社会問題になっています。

 そんな時に、「労働者階級の党」であることを看板にしているはずの共産党が、自分の党の職員を「労働者」として扱わないのですから、天下の笑い物です。かように恥ずかしい姿をさらしているのは、あげて党幹部の責任でしょう。

 共産党が今回の総選挙で掲げた政策には労働者むけの政策がたくさんあります。その政策は共産党職員には何ら適用されないのかと思ってしまいます。

 以下、ご覧ください。

https://www.jcp.or.jp/web_policy/16513.html

  • 時間外・休日労働の上限を規制し、1日2時間を超える残業割増率を50%に引き上げます。連続出勤・休日出勤規制を強化し、サービス残業」を根絶します。
  • 不当な雇い止め、解雇をなくし、非正規ワーカーの雇用の安定をはかります。
  • 実労働時間を正確に把握・記録しサービス残業」が発覚したら残業代を2倍にします
  • 名ばかり管理職」を規制します
  • フリーランス・ギグワーカーなどのプラットフォーム労働者の生活と権利を守り、「多様な就業形態の普及」の名目で無権利の働き方を拡大することに反対します
  • 若者使い捨て」企業をなくします

 

 共産党が掲げた立派な労働者むけの政策を、党幹部自身が嘲笑し、踏みつけているのです。

 党職員を労働者であるときちんと宣言し、党内にふさわしい制度を整備すべきです。

 

人権侵害は外部に訴えることを認めよ

 三つ目は、ハラスメントや不当解雇などの人権侵害を「外」に訴えることを押さえつける隠蔽体質です。

 

 党幹部は「党内問題は内部で解決する」という規約を悪用し、ハラスメントや解雇などの人権侵害の声を上げた人までを次々追放しています。自分たちの都合の悪いことを隠そうとするからです。

https://www.jcp.or.jp/web_policy/16376.html

ハラスメントへの対応について、法律で事業主に対して、相談窓口を設置する、事後に適切な対応をとるなどの防止措置義務が課されています。しかし実際は、多くの場合、被害者があきらめたり、希望する解決が図られずに泣き寝入りせざるをえない実態があります。

 これは党幹部自身が作り上げている、共産党の中での恐るべき現実です。

 少なくともハラスメントや不当解雇などの人権侵害を外部に訴えることを認めるようにすべきです。共産党幹部は、党内でどんな人権侵害が起きたとしても、あくまで不祥事を外に漏らさないために口を封じるつもりでしょうか。

 

 この3つを求めます。

 「えらそうなことを言うけど、オマエらの組織はめちゃくちゃじゃん」という視線——左派やリベラルに注がれる視線は厳しいものがあります。

 それとも「そんなのはこっそりやれば大丈夫。影響なんかない」とここでも言い張るつもりでしょうか。なぜいくら「正しい」ことを言っても前進しないのか、もっと根本も含めて反省すべきではないでしょうか。

 この3つを改善せずに、共産党の前進は望めないでしょう。

 総選挙中にこの3つの改善をすることを私は求めておきます。

 

 「共産党の足を引っ張るな!」と思う共産党贔屓の人がいるかもしれません。その通りです。でも足を引っ張っているのは私ではなく、党幹部なのです。その言葉はまず党幹部に向けましょう。病根がなくなれば問題は解決するのですから。

 あるいは「選挙中は黙れ!」とおっしゃるかもしれません。私は黙りません。選挙は有権者の声を聞く絶好のチャンスです。票を得るために緊張感を持って反対の声を聞くでしょう。今がまさに声をあげるその時なのです。

 

「突風は吹いていない」

 共産党の総選挙対策本部は、1月27日に声明を出し、

 もう一つは、今度の選挙では、真の争点を覆い隠す“つむじ風”が吹いていないことです。

 一昨年の総選挙では国民民主党が「手取りを増やす」と打ち出し、昨年の参院選では参政党が外国人問題を唱え、それぞれ選挙の本当の争点を見えなくさせる「突風」となりました。しかし今度の総選挙では、今のところ真の争点を覆い隠す“つむじ風”は吹いていません。党首討論会でも、物価高や消費税減税、トランプ政権の無法、外交・安保問題などが正面から争点として問われ、いわばわが党の土俵で論戦が展開されています。消費税減税をめぐっては、財源問題が焦点になり、党の先駆性が際立っています。政治論戦上は、わが党にとって本当にたたかいやすい選挙であり、有権者に党の主張を届けやすい選挙になっています。

と断じました。今度の総選挙では「突風」「つむじ風」は吹いていない、と明確に述べています。*1

 だとすれば、問題はクリアなはずです。

 正面からの勝負になっていて、勝つか負けるかしかありません。

 共産党が伸びれば共産党の戦略・戦術が成功したということであり、共産党が後退すればそれが失敗したということになる、と考えるのが自然な論理でしょう。

 結果を注目して待ちたいと思います。*2

*1:「2025年の参院選は突風で後退した」という規定自体には私は同意しませんが。

*2:「つむじ風は吹いていなかったが、突然の解散とか突然の中道の結成など、やっぱり『突風』は吹いていた」という「言い訳」がされないことを祈るばかりです。