「党の中枢に多数派による分派ができている」という規定が後景に退く理由

 下記の記事で日本共産党の「50年問題」*1について少々書きましたが、その際党史を改めて読み直して気づいたことを少し。

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 日本共産党の最新(2023年)の正式党史である『日本共産党の百年』には、「50年問題」とは何か、という端的な規定がありません。

 p.98に

これが「五〇年問題」と呼ばれるものです。

とありますが、2ページにわたる叙述をまとめてこう書いているので、「どれが…?」と思ってしまいます。

 この傾向は、その前(2003年)の公式党史である『日本共産党の八十年』でも同じで、やはり端的な規定はありません。

 もっと前(1994年)の公式党史『日本共産党の七十年』には、ちゃんと冒頭に定義的な規定が登場します。

日本共産党の五〇年問題とは、第六回大会選出の中央委員会が、一九五〇年六月六日のマッカーサーの弾圧を機に、徳田球一野坂参三を中心とした「政治局の多数」の分派活動によって、解体、分裂させられ、全党が分裂と混乱になげこまれた深刻な事態をいう。(『日本共産党の七十年』上、p.210)

 さらに『七十年』には

党中央における徳田・野坂分派の発生と党中央委員会の解体という事態の本質(同前)

という「本質」規定まで登場します。

 

志位氏の講演の中にはある

 しかし公式党史には全然ないわけですが、党の公式見解の中にまったくないかというと、志位和夫委員長(当時)の党創立100周年記念講演の中には次のようにあります。

100年の歴史を通じて、わが党の最大の危機は、戦後、1950年に、旧ソ連スターリンと中国によって武装闘争をおしつける乱暴な干渉が行われ、党が分裂に陥るという事態が起こったことにありました。私たちはこれを「50年問題」と呼んでいます

 50年問題とは何か、ということは、党内外で「さっ」と答えられるために、定義めいた簡単・端的な規定を与えておくべきだと思います。そうでないと(党的に見て)不正確なことを言っちゃったりすることになりますからね。

 こういうことを気にするのは、人生の若い時期に『七十年』党史で議論してきた世代だからかもしれません。「国際派と所感派に党が分裂した事態」とか説明すると怒る人がいましたし、単純に「党が分裂した事態」と説明しても「党中央の中の徳田・野坂分派の形成という本質がそれでは見えない」とかいう批判をされることもありました。

 

50年問題の語り方の変化

 さて、今見た志位氏の規定と『七十年』の規定では、ずいぶん違いがあるのがわかると思います。

 志位氏の場合は、「旧ソ連スターリンと中国によって武装闘争をおしつける乱暴な干渉が行われ」というところがメインで中央委員会の中でできた分派の問題はこの本質規定からなくなっています。

 他方で、『七十年』では「政治局の多数」の分派活動に軸がおかれています*2

 この変化は不破哲三日本共産党史を語る 上』(2006年)の中でその事情が書かれています。

 それは旧ソ連の秘密文書の解析とともに認識が変化したことを示し、『七十年』でそれを反映させ、『八十年』では「叙述を〔『七十年』よりも〕より簡潔にしながらも、内容的には問題点をより整理し深めた」(p.233)としました。

現在の総括では、「五〇年問題」の全体が、スターリンの干渉主義によってひきおこされたものだという認識に前進したことです。最初のコミンフォルム論評そのものが、武力闘争路線を日本の運動に押しつける第一撃としてたくらまれたものであって、「内容はよかった」などとは絶対に評価できないものでした。(同前)



「中央委員会の多数派による私物化」という本質

 しかし、干渉の全体像がわかったという話と、50年問題全体を一言でどう規定するかは、また別の問題です。

 志位氏のようなまとめ方をしてしまうと、『七十年』まではあった「『政治局の多数』の分派活動」という側面が削ぎ落とされてしまう、もしくは後景に退いてしまうことになります。

 なんでもかんでもソ連と中国(というか、不破氏の解明ではスターリン)の押しつけが根源だという描き方になってしまうと、日本共産党としてそれにどう主体的に対応してどう組織的な誤りを犯したのかがわからなくなってしまいます。

 押しつけたのはスターリンであっても、それを主体的に判断したのは日本共産党員です。しかもソ連にいたわけではありませんから、直接に銃剣で脅されていたわけでもありません。

 これは戦前史でも同じで、いくら権力が送り込んだスパイが指導者になって「銀行強盗やるぞ」と言ったとしても、党員として「はいわかりました」と言って従ったのは間違いないことですから、そこに主体性の大きな問題があったことは否めません。

 どうしてそんなことに多くの党員が従ってしまったのか、というところをえぐらないと、ただの昔話になってしまいます。「自分ごと」にならないわけですね。

「党中央の多数派が分派をつくる」という今にもつながる話が削ぎ落とされている

 特に、「党中央の多数派が分派をつくって組織全体を私物化してしまう」というのは、今にもつながる重大な組織の病理です。

 そして不破さん自身が

全体としてのスターリンへの信頼は絶大で、こういう人物が間違うはずはない、と本気で思っていたものです。(不破前掲p.191)

スターリンにたいするものとはまた違った意味で、中国共産党毛沢東への信頼も、抜群のものがありました。(同前p.192)

と語っているように、党員が心の中に「知的権威」として築いてしまった人たちからの指令に抗えないという問題、そこに全てを委ねてしまう心性は、今日でも考えなければならない深刻な問題ではないでしょうか。

 私は、自分が不当に排除される中で、まわりの党員・議員たちが、私をめぐる事情についてほとんど何も知らないのに(調査中なのですから知らされていないし、知らないのが当たり前なのです)、党幹部のいうことに「賛成」をして、私を吊るし上げたり、セカンド・ハラスメントを浴びせたりする隊列に加わっていた光景を忘れることはできません。

 また、私を“打擲”する現場にいなかった党員であっても、「どんなに理不尽であっても党幹部のやること・言うことをまず信じて従うべきだ」という心情を吐露されることが多かったですね。特に高齢の方ほど。だから「とにかく謝って折れたほうがいい」という「屈服のススメ」をしてくるわけです。

 そして、50年問題で打ち立てられたはずの「内部問題は党内で解決する」という原則が、現代ではまるでその教訓が完全に忘れ去られたかのように、全くあべこべに解釈されてしまう問題などが引き起こされてきました。

 

 党の中枢に多数派による分派ができているのではないか?

 この恐ろしい事態が現実に起こり、歴史の教訓として示したのが50年問題だったはずです。それは全党の力でその病巣を剔出する以外に解決しようがないのです。「いつかは幹部は間違いに気づいて立ち直る自動制御装置が作動する」ということが起こらなかったのが50年問題で、議席がゼロになり、国民の信頼が失墜し、党の大半が壊れてしまうところまで行ってしまったわけです。

 

 50年問題の端的な規定が党史からなくなり、あってもソ連・中国の干渉の記述が過大になって、党中央の多数派が分派をつくって党を壊した、という肝心な部分が(本質規定から)消えてしまっているのは、党幹部の中に、そこに触れたくないという気持ちがあるせいではないかとさえ思っています。

*1:表記が「50年問題」なのか「五〇年問題」なのか。共産党の文献では「五〇年問題」が多いのですが、それは昔は縦書きが多かったせいだろうなと思いました。つまり、書式によって変わるので、表記はどちらでも構わないということ。

*2:さらに言えばマッカーサーの弾圧の契機も含まれています。

(大激論)自衛隊問題での松竹伸幸さんの綱領理解をただす

 松竹伸幸さんは日本共産党を除名され、私は除籍されました。

 どちらも撤回を求めて裁判をしており、私は連帯を表明しています。

松竹伸幸さんの裁判に連帯し応援する - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を

 しかし、その問題とは別に、私は松竹さんの綱領理解については、賛成している部分もあれば、賛成していない部分もあります。

 そのことをお互いに議論する企画をやっています。

 安保条約について最初は議論し、第二弾として自衛隊について議論しました。

www.youtube.com

 私から4つの質問(追及)をしています。

  1. 「綱領は自衛隊違憲としており、松竹さんの『自衛隊=合憲』論は綱領に反するのでは?」
  2. 「松竹さんは共産党が参加する政権の立場(自衛隊=合憲)と、党の立場(自衛隊違憲)を混同しているのでは?」
  3. 自衛隊解消は民主連合政府の課題なの? それとも共産主義社会での課題なの? もし後者だと松竹さんが思っているなら、それは共産党綱領と違うのでは」
  4. 自衛隊について『党としては違憲、政権としては合憲』という共産党の切り分けはご都合主義と受け取られる、との松竹さんの主張は、おかしいのでは? そういう切り分けはあるのでは?」

 

 長い時間の動画にしていないので、それぞれがポイントを押さえられるように簡潔な議論になっています。(「もっと徹底的に!」と思うむきには少し食い足りないかも。)

 

志位さんでも大間違いしてしまう問題

 松竹さんとの討論の中で私が紹介していますが、志位和夫さんは2013年*1に出した『綱領教室』3巻の中でこういうことを書いています。

 民主連合政府ができたとして、私たちが閣僚席に座ったとします。野党になった自民党あるいは民主党——、そのときに存在しているかどうかわかりませんが、野党は、「総理、自衛隊違憲ですか、合憲ですか、どちらですか」と聞いてくるでしょう。私たちは、「もちろん違憲です」とズバリ答えます。そうすると野党は、「それならば、違憲自衛隊に予算を支出するのも、違憲ではないですか」などといって、民主連合政府が提出した予算案には反対してくるでしょう。そのときには、「しかし、違憲の軍隊をつくったのはあなたがたではないですか。その矛盾を引き継いで解消しようというのが私たち民主連合政府の立場です。だから、感謝されることはあっても、難癖をつけられるのは、お門違いです」という答弁をします。(前掲書p.77)

 いや〜これはヤバいでしょ

 そして、志位氏は、党首討論自民党(当時は小泉首相)にもバッチリこう答えてやったぜ! みたいな手柄話をこの後とくとくと書いて

小泉首相はいう言葉がなくなって、ここで討論は終わりになりました。こういう質問にもきちんと答えられるのです。(同前p.81)

と記しています。

 志位氏が閣僚席に座って、自衛隊がまだあるのに「自衛隊違憲だ!」と国会で答弁したら政権として憲法違反だという認識のまま制度を存続させ運営していることになり、立憲主義を根底から破壊してしまうことになります。小泉首相が討論の中で「憲法を守れというのが共産党の立場だったんじゃないですか」とただしているのは立憲主義の立場からの追及です。これに対して志位氏は「だから守るために九条にそくして、一歩一歩現実を変えていこうということを私たちは申しています」と全く答えにならないことを返しています。*2

 そりゃあ「小泉首相はいう言葉がなくなって」しまいますわな…。誰の目から見ても、勝負がついてしまったからです。

 志位氏が自分は勝った!と思っているのは、完全な思い込みです。「精神的必勝法」を駆使した阿Qや、ボコボコにされて「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」と強がる池乃めだかのように負けたのに勝ったと見せかけようとしているわけではなく、本気で論破したと思っていたのです。かなり心配な状況だと言えます。

 

あれだけ大見得切って「未解決」「未整理」で済ませるんだ…

 この理論的混乱は、安倍首相時代になって、野党共闘が発展してくると、政権の一角を現実に担うかもしれない状況のもとで、深刻な懸念として表面化します。安倍首相や自民党側が追及の材料にし始めたからです。

 そしてようやく2017年に「政権としては合憲の立場をとる」という方針に共産党は大転換します。

 私は志位氏に手紙を送り、転換を歓迎するとともに、『綱領教室』という党としての基本文献はそのままの記述になっているから一刻も早く記述を訂正すべきだと提言しました。

 しかし、それから5年。

 特に何も手立ては取られませんでした。

 そしてようやく2022年。綱領をさらに改定し、志位氏が『新綱領教室』を新たに書いて、その中で

連合政権がどういう憲法判断をおこなうかという問題は、未解決のままで残されていたのです。この問題に答えを出したのが2017年でした。(『新綱領教室 下』p.68)

 

 えっ…あれだけ「ズバリ答えます」とか「きちんと答えられます」とか書いておきながら、「未解決」?

 あの『綱領教室』はどうなったんだ? と思って読み進めると、なんと本文ではなく「注」のところに、

2011年11月におこなった『綱領教室』の講義では、民主連合政府の閣僚としても「自衛隊違憲」論を表明すると説明しています(第3巻77ページ)。これは党としての憲法判断と、連合政権としての憲法判断の関係が未整理の段階のものであり、訂正しておきたいと思います。(同前p.74)

と小さなポイントで書いてあるではありませんか。

 まあでもちゃんと訂正し、一応は記述したのです。それはある程度の誠実さがあったというべきでしょう。

 ただあれだけ大見得を切っておいて「未整理」「未解決」で済ませるんだ…という思いはぬぐえませんけどね。

 しかし、いずれにせよ、自衛隊をどう扱うかはとても難しい問題です。簡単に扱える問題でないことはわかると思います。

 

 それほど扱いが難しい問題なのに、「対応が違いすぎる」と思わざるを得ません。

 

 松竹さんは本を出して1ヶ月で自衛隊問題をあげつらわれて除名。

 他方で、党首のほうは、自衛隊の合憲・違憲について間違ったことをドヤ顔で書き党員教育の基本書として徹底させておいて10年放置し、転換・指摘があってからも5年もそのままにしていたわけです。なんのお咎めもありません。(赤旗編集局次長あたりに「規約と綱領からの逸脱は明らか――志位和夫氏の一連の言動について」という一文を書かれても不思議ではないと思うのですが…。)

 ※もちろん「志位氏もお咎めせよ」という意味ではありません。

 

 ことほどさように自衛隊問題は、日本の安全保障の根幹の問題であるにもかかわらず、党として扱い、みんなが納得して政策にするのには、かなりの難しさがあります。

 自衛隊について、松竹さんのいうように党内でかつての社会党と同じ「非武装中立」的な思考をする人が非常に増えていることを私も感じます。それだけに、討論の終わりで二人が述べていることですが、党員みんながきちんと納得のいく形で議論をすべき問題なのです。

*1:もとになった講演は2011年。

*2:もちろん違憲自衛隊を引き継いでそれを解消させていくという苦労を表す言葉ではありますが、小泉氏が聞いているのは「政権として公式に違憲という認識のまま運用していいの?」ということであって、その問いへの答えになっていないのです。

「内部問題は内部で」の元々の意味

 日本共産党規約にある「党の内部問題は、党内で解決する」(第5条(八))はもともとどうして生まれたルールでしょうか。

 このルールは今や、宝塚のハラスメントにおける「外部漏らし」や兵庫県庁の内部告発の「犯人探し」と同じように、党内不祥事を隠蔽する道具になりつつあります。後述しますが、ルールの問題ではなく、このルールの意味を理解せず党幹部が運用をデタラメにしていることが原因だと思います。

 そもそもどんな必要から生まれたルールなのかを理解しないと、ルールが教条化し独り歩きして、“どんなことがあっても外に出さないことが正義”のようになって、悪用・濫用がまかり通ってしまうのです。

福岡市中央区妙法寺

 党員の中にはこのルールを、

  1. 企業における情報漏洩対策
  2. 権力に対する組織防衛

のように考えている向きがあります。

 1.は例えば党員や読者の名簿、機密性の高い議事録を外に漏らしてはいけない、というものです。2.は党内事情を公安警察などに知られないようにする、というものです。

 しかしどちらも「党内で解決する」という文言にはそぐわないなと思うのではないでしょうか

 単純な「党内秘密を外部には漏らさない」ということであればそう書けばいいわけですし、1.や2.に対応するルールは他の条文や法律に存在します。

 1.にあたる個人情報などの管理は法律で規制されていますし、法で規制されていないレベルの保護(例えば数人の名簿など)はむしろ規約第5条(一)が定める市民道徳・社会的道義の範疇です。また、文書についても、どれを非公開とするかは文書ごとに決定して、その趣旨を明示させておくべきものです。

 2.は例えば党員名簿を故意に公安警察などに渡した場合は、規約第5条(二)の「党に敵対する行為はおこなわない」に該当するでしょう。*1

 いずれにせよ、これらの事態は、「党の内部問題は党内で解決する」という条文で対応するのは適当でないことがわかると思います。

 では、このルールは一体どんな事態をイメージして生まれたものだったのでしょうか?

 

もともとこのルールは「五〇年問題」の深刻な反省から生まれた

 もともとこのルールは、日本共産党が陥った党史上最大の悲劇である「五〇年問題」から生まれた教訓の一つです。「五〇年問題」は、1950年に日本共産党の指導部の多数派が、ソ連・中国の共産党指導部からの干渉に内通・呼応して、中央委員会を解体し、党を分裂させた問題だとされています。

 日本共産党の第7回党大会決定(1958年)では、この問題を四つの教訓にまとめました。

 その「第四の教訓」がこれなのです。

党内の対立と分裂を大衆団体内にもちこみ、その対立と分裂をもたらしたというあやまりは、基本的には分裂によって大局的な観点を失い、党と大衆団体を混同したところからきている。このことは大衆団体の正常な発展を破壊し、わが国の労働運動、農民運動、平和運動、青年・学生・婦人運動、文化運動などに大きな損害を与えた。いかなる場合にも党の内部問題を党外にもち出さず、それを党内で解決する努力が必要である。これがわれわれの学ばなければならない第四の教訓である。(「第七回党大会 中央委員会の政治報告から」/『日本共産党の五〇年問題について〔増補改訂版〕』新日本出版社、p.31-32)

 党の正式な党史である『日本共産党の百年』(2023年)には、これをまとめて次のように書いています。

党の分裂が大衆団体の正常な発展を破壊した経験にたって、内部問題を党外にもちださず、党内で解決する(『日本共産党の百年』p.124)

 党中央委員会の無署名論文である「戦後の文化政策をめぐる党指導上の問題について——文化分野での「五〇年問題」の総括——」(1979年)でも同様です。

党と大衆団体の混同をいましめ、いかなる場合にも党の内部問題を党外にもちださないこと(前掲『日本共産党の五〇年問題について〔増補改訂版〕』p.212)

 

「党と大衆団体の混同をいましめ…」が必ずセット

 お気づきの通り、どの文書にも“党と大衆団体を混同をいましめ…”、“党の分裂を大衆団体にもちこみ…”のような文言とセットで“党の内部問題は党外に持ち出さず、党内で解決する”というルールが語られていることがわかると思います。

 そうなのです。

 党内で多数派による派閥ができて、少数派に属している「排除したい人間」が生まれます。その「排除したい人」が大衆団体(労組、業者団体、青年団体、女性団体…)で活動していた場合、多数派のメンバーは、党内だけでなく、そうした大衆団体の中で、「排除したい人間」のいじめや排除をやろうとするのです。

 党内で排除されていた神谷さんが俳句サークルに属していたとします。

 そこに党内多数派のCさんも同じ俳句サークルに属していたとしましょう。

 Cさんは、俳句サークルで、「神谷は俳句文化を理解しない人間だ」と主張しだして、なんと俳句サークルから神谷さんを除名する決議をしてしまう…こういうことが「党と大衆団体の混同」であり、「党の内部問題を党外に持ち出す」ということでした。

 いくら党内で排除したい人間(あるいは党内で処分された人間)だからといって、そういう党内での問題を党外の団体にもちこんではいけないということなのです。*2

 日本共産党が50年問題から教訓を導き出した1958年の第7回党大会で採択した党規約(2条(九))に、それまでなかった「党の内部問題は、党内で解決し、党外にもちだしてはならない」が初めて入ったのです。

 

 

実際にどんなひどい「問題の持ち込み」をやったのか

 実際に五〇年問題のころ、日本共産党や大衆団体の中でどんなことが起きていたのかを、先ほどの「戦後の文化政策をめぐる党指導上の問題について」から拾ってみましょう。

 

 党中央の分裂は全党の分裂に発展し、文化団体をふくむ大衆団体の分裂にまでおよんだ。…徳田〔球一〕らの〔党〕指導部は…徳田、西沢〔隆二。徳田の女婿〕らに同調するものだけで構成された…〔党の部局として〕「中央文化部」を任命した。…この新しい「中央文化部」の指導のもとに文化運動の分野での分裂が促進されたのである。

…西沢らの指導する「中央文化部」は、それが設置された後の〔1950年〕八月に、演劇の分野で村山知義の指導下にあった新協劇団を分裂させて、新しく「劇団中央芸術劇場」(中芸)を創立させ、川尻泰司の指導下にあった人形劇団プークを分裂させて、「劇団人形クラブ」をつくらせた。また彼らは、彼らの指導にしたがう劇団や文化工作隊を結集させた「人民演劇集団」なるものをつくって、村山や川尻や、また当時民主的な演劇鑑賞団体として存在していた東京演劇協同組合の皆川滉らを、逆に「分裂主義者」として攻撃し、俳優座文学座、民芸なども「技術偏重主義」の劇団として非難した。そしてこれによって、これらの劇団と劇団人に党そのものへの深い不信の感情を抱かせ、東京演劇協同組合も分裂の後に壊滅させられてしまった。(同前p.191-192)

 

 文学の分野では、西沢の策動によって、この年の十一月に『人民文学』を創刊させ、それを『新日本文学』に対抗する民主主義文学運動の分裂的な拠点とし、江馬修、島田政雄、徳永直、岩上順一、豊田正子などをそこに集め、宮本顕治、蔵原惟人、宮本百合子らにたいする悪罵と中傷を組織した。とくに宮本百合子にたいする中傷はまったく常軌を逸するものであった。

 こういうなかで宮本百合子は翌五一年一月二十一日に病気のためこの世を去った。…ところが『人民文学』の編集部はその三月号に「宮本百合子について」の特集をおこない…そこには次のような数々の破廉恥な言葉が並べられていた。…「…彼女は階級敵であり、帝国主義の血まみれの手に恐れもなくつながったのである」…「…ブルジョア文壇に奇食し、プチブル的生活を維持しつづけることに成功した才能あるペテン師であった…」「このようなけしからぬ作家を、小林多喜二とならべて、革命作家の列のうちにおくことは、まったく正気の沙汰ではない…」(同前p.192-193)

 これはほんの一部です。

 どうでしょう。

 党と大衆団体を混同し、党の中の問題を大衆団体に持ち込んで、大衆団体をめちゃくちゃにしてしまったことが、どんなに罪深いことか、これだけの抜粋でもおわかりいただけるのではないでしょうか。

 このような「五〇年問題の痛苦の教訓」から生まれたのが「党の内部問題は党内で解決する」という本当の意味、もともとの意味なのです。

 私がこのルールの名で嫌疑をかけられた「党の決定を県民に知らせる」とか「党の会議の様子を外で話す」とか、そんな類の問題ではないことがわかると思います。

福岡市東区筥崎宮

いま党幹部が民青にやっている仕打ちそのもの

 それどころか、「党と大衆団体を混同し、党の中の問題を大衆団体に持ち込んで、大衆団体をめちゃくちゃにしてしまっている」と聞いて、このブログをお読みのみなさんはピンと来たかもしれません。

 そうです。

 福岡県で党幹部が民青に対してやっていることそのものですよね。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

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 民青で起きている問題なのに、党幹部が介入して、党幹部の勝手な党規約の解釈で民青同盟内の党員を裁き、しかも民青でさえまだ判断していないことを「民青のルールを破った」と言って、党のルールで処断したのです。

 どこからどうみてもこれは「党と大衆団体を混同」し、「党内の対立を大衆団体にもちこんだ」、あまりにも見事すぎる事例です。

 今の党幹部たちは、徳田分派が五〇年問題でやらかした「党内問題を党外に持ち出す」という違反を、堂々とやってのけているわけです。自分たちがその原則を振りかざしながら、その原則を踏みにじっているという戯画そのものです。

 その結果、民青同盟福岡県委員会には、深刻な危機が生み出され、取り返しのつかない不信がばらまかれてしまっているのです。

 

 党幹部はなぜこの規約の条文が生まれたのか、知らないのかもしれません。それとも知っているけど意識的に無視し捻じ曲げたのでしょうか。どちらかはわかりません。

 日本共産党第29回党大会決議(2024年)は「すべての支部と党員が、党綱領、党規約、党史科学的社会主義の一大学習運動にとりくむことを呼びかける」ことを決定しました。

 党幹部こそ、まず党史を学び直し、党を深刻な危機に陥らせた五〇年問題の教訓を体に刻みつけ、直ちに自分たちの誤りを是正すべきではないでしょうか。

*1:過失で名簿を失くしたりした場合はまた別の考え方があるでしょうが、私が学生の頃はそれで除名された人がいました。

*2:先日も私を招こうとしたある党外の団体で「神谷さんを学習会に呼びたいけど、神谷さんは党を除籍された人なので、そんな人を呼んだら党内で吊るし上げられる…」ということでおじゃんになったという話を聞きました。そういうとこだぞ。

羽田野美優さんへの不当な除籍に抗議する

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)

 

 私への不当な解雇を批判して声をあげてくれていた、羽田野美優さんが、そのことを理由の一つとして共産党を除籍されました。党幹部に対し厳しく抗議し、撤回を求めたいと思います。

 民青福岡県委員会にかかわっていた人の除籍は砂川絢音さんに続いてになりますが、実際には「規約違反」の口実で「調査」が複数人に行われており、私の除籍前にも私の問題に関わって除籍された現役世代の人があり、さらに怒って離党した人も一定数いて、福岡県党は「大量粛清」の様相を呈しています。党幹部は特に若い世代と現役世代を集中的に叩き、それらの中で自主的にものを考える精神の持ち主を党内から絶滅させようとしている観すらあります。

 

 砂川さんの除籍の際の問題が無反省に繰り返されており、ここで改めて羽田野さんの除籍の問題点のポイントを記しておきます。

福岡市文学館

1.私の不当解雇という人権侵害を社会に訴えたのが「規約違反」だとしたこと

 解雇が不当であればそれは重大な人権侵害です。

 重大な人権侵害が党内でおきていても、握りつぶされたら、社会に訴えるのは当然です。もしこれを「内部問題を勝手に外に出した」という理由で「規約違反」に問うなら、党内で性暴力や暴力が起きても、黙っていないといけなくなります。(結果として人権侵害ではなかったことが判明しても緊急避難できなくなります。)

 詳しくは下記の記事をどうぞ。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 

2.民青内のパワハラ問題を民青内で訴えたことを「分派」だと認定されたこと

 日本民主青年同盟(民青)は「日本共産党を相談相手に、援助を受けて活動する」(民青規約より)青年団体ですが、その規約に分派禁止の明文規定はありません。

https://dylj.or.jp/wp2/wp-content/uploads/kiyaku.pdf

 しかも、信じられないことに、羽田野さんたちは、“民青内部でパワハラがあったので、その行為者(加害者)を役員に選出すべきではない”と問題提起したことを「意見の違いによる排除」をする行為だと党幹部から非難されているのです。

 これでは、パワハラを告発し、他の人に呼びかけたら全部弾圧されてしまうことになります。めちゃくちゃです。

 

3.民青での行為を理由に、共産党の「規約違反」に問われたこと

 他団体での言動を理由に、なぜ共産党の規約で裁けるのでしょうか。俳句サークルを除名されたら、共産党も除籍されるのでしょうか? 全く道理がありません。

 「いや! 裁ける!」と強弁する人がいますが、詳しくは下記の記事をどうぞ。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 

4.除籍決定前に規約にある「協議」をしていないこと

 党規約11条では除籍の際に「協議」が必要です。しかし、羽多野さんの場合でも除籍決定前に協議を行なっていません(「調査」は3回行なっていますが、これは「協議」ではありません)。除籍を一方的に決めてから、「協議」をしています。

 決定の後に協議する、など常識ではありえない話です。

 これは私や砂川さんの時と同じです。私の裁判でも問題になっています。

建設されつつある福岡市の拠点文化施設

5.規約違反認定や処分を行うのではなく、適用できない「除籍」条項を適用していること

 共産党側は羽多野さんの行為を「規約違反」容疑だと言っています。ところが、規約に基づく違反認定をせず、適用できない「除籍」条項を無理やり適用しています。まさに除籍の濫用による追放=「カジュアル除名」です。

 除籍は、国籍がないとか年齢が達していないなど、規約に定められた資格がない・なかった場合など、資格を「明白に失った」=外形的にはっきりしている場合にだけ、党員名簿から名前を抹消するというニュートラルな作業です。

 羽多野さんは党規約を「認める」としているのに、党幹部が勝手に「党規約を認めていない」と判断して除籍するのは、党幹部の側の規約違反です。

 規約違反があると考えているのに、認定の正式な手続きもせず、処分も行わなわず、適用できない除籍条項を使うことは、共産党自身が厳しく戒めています。

重大な規律違反で、党と国民の利益を裏切り、党に打撃をあたえた党員に、「処分」をおこなわないで第十一条による党員資格喪失者として、除籍で処理するのは正しくありません。(浜野忠夫『国民に開かれた党へ——日本共産党新規約のはなし』p.73)

 詳しくは下記の記事を読んでください。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 

党中央委員会が承認した羽多野さんの除籍

 そしてこれも地区や支部でなく「共産党福岡県常任委員会」名での決定です。承認は「一級上」(規約11条)ですから、中央委員会。
 つまり羽田野はただの支部員なのに、私や砂川さん同様、志位和夫氏をはじめ共産党の最高幹部を責任者とする承認のもとに除籍が行われているのです。

 党幹部は上記5つの「規約に基づいていないやり方」を説明する責任があります。党幹部自身が重大な規約違反をしている疑いが濃厚です。

 党幹部は依然として内部では文書以上の説明をしません(できない?)。
 党幹部らに直接問う機会がある方は、この5点を具体的に追及してみてください。

民主集中制の発展を——戦略的な議論が足りない

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件ついての討論会での発言に関してです。除籍・解雇事件の全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)

 

 引き続き12月3日の京都での私・松竹伸幸さん・上瀧浩子弁護士の3人による討論会でお話ししたことについて紹介しています。

https://www.youtube.com/live/wkF02HaeOr4

 1時間7分ごろ民主集中制について私は話しています。

 これは私の除籍・解雇問題とは区別された話です。

 今後日本共産党をどうやって改革していくべきなのか、という問題です。

 参加者のみなさんは、私や松竹さんの除籍・除名に憤っているのですが、同時にやはり共産党をなんとかよくしたいという思いで集まっている人が多かったので、この点への関心は高いものがありました。終わった後の懇親会でも相当議論になりました。

 党幹部は松竹さんや私の裁判を支援している人は、あたかも党を破壊し敵対しようとしている人の集まりであるかのように描いて「近寄るな」と党員たちに言って回っているようですが、実態は全く正反対です。おそらく共産党や日本の社会改革の行く末を最も憂え、まじめに考えている人たちの集まりがあの12月3日の討論会参加者だったのではないでしょうか。

 「非国民」と言われた共産党員が戦前の最大の愛国者であったのに似ていますね。

 

 そこで述べたことのポイントですが、一言で言えば民主集中制の現代的な発展ということです。

 民主集中制を廃止するのではなく、現代にふさわしい形で発展させることが必要だというのが私のそこで述べた意見でした。

 これ自体は、共産党も第29回党大会(2024年)の決定でうたっていることなのです。

日本共産党が、国民の多数者を革命の事業に結集するという役割を果たすためには、民主集中制という組織原則を堅持し、発展させることが不可欠である。

わが党は、民主集中制を、現代にふさわしい形で発展させることを追求する。

 私はこの方針に忠実に則っています。「神谷や松竹は民主集中制の廃止を目論んでいる!」と思い込んでいる方にはびっくりされるようなニュースかもしれませんが…。

福岡市中央区

戦略を議論できる制度ではない

 なぜそれが必要なのか。

 それは、いろんな改革をする前に、まずいろんな人の戦略に関わる知恵がたくさん出てくる、そしてそれが十分に共有されてきちんと議論される状況が、今の世の中にふさわしい形で保障されないといけない。まずそのことがないと改革そのものが先に進んでいかないと思うからです。

 共産党そのものをどうやって変えていくかはいろんな論点があると思います。例えば「しんぶん赤旗」をどうするのか、地区委員会や都道府県委員会をどう再編するのか、専従者や組織コストをどうするのか…など多岐にわたるでしょう。

 しかし、そうした改革の中身については、もちろん私なりに今後語る機会はあると思いますが、それはいろんな人がもっと知恵を出すべき問題だということです。言い方を変えると、細かい戦術ではなくて、党のあり方そのものを見直す大きな戦略について、いろんな人の知恵や議論が必要だということです。

 そのためには、戦略についての議論が出にくいという状況を変える必要があるでしょう。ボトルネックになっているというか、詰まっているのです

 「そんなことはない。党内民主主義は十分に機能している」と党幹部は言うかもしれません。支部ではなんでも自由にものが言えるではないか、中央委員会などにどんな意見書でも出す権利はある、党大会決定を練り上げるために全国の支部・地区・県で議論を行い、大会討論誌まで出している…。

 もちろん、私もそこに身をおいてきた者ですから、共産党内には全く民主主義がない、とか、完全な専横独裁であるとか、そういうことを言うつもりはありません。

 しかし私はその機能が硬直化し、かなり危機的な状況にあることも指摘せざるを得ません。

 

もし支部を超えて戦略を議論しようとしたら…

 支部内では確かに基本的に自由にモノが言えます。松竹さんも支部会議ではいつも安保論や自衛隊論を発言していたそうで、つまり党内でちゃんと意見を出していました。(もちろん各地からの報告では、支部内での発言が吊るし上げにあったり、発言を事実上禁じられたり、福岡県委員長のように綱領や規約の見直し思想の持ち主を摘発し追放しようとしたりする事例はたくさんありますが、ここでは実態の問題をとりあえずおいておいて、制度上どうなっているかだけを考えます。)

 例えば「綱領を見直すべきだ」という意見を多数にしようという党員のAさんがいるとします。

 しかし、支部には平均して10人ちょっとくらいしか党員はいません。Aさんはせいぜいその十数人に訴えられるだけです。(実際には党費納入が6〜7割台な上に、支部会議に来る人はいつも半分くらいなら、Aさんは7〜8人程度にしか訴えられません。)

 Aさんが支部を超えて訴えようとすると、勝手にやれば、「分派」だと取り締まられる危険があります(これは規約にはそのような明文はありませんし、そうした内規も存在しませんが、実際に取り締まりされています)。

 ではどうするか。

 地区委員会総会(その地区の役員の総会のようなもの)か、地区党会議(地区大会のようなもの)で発言するしかありません。

 もしくは規約上の会議ではありませんが、よくあるのは支部長になって支部長会議に参加し発言することです。

 地区委員会総会に出るには地区役員に、支部長会議に出るには支部長に、地区党会議に出るには支部で代議員にならなければなりません。これは選挙で推薦リストの候補を破って当選しなければならず、かなりハードルが高い挑戦になります。立会演説や選挙活動などは一切ないので、組織側が用意した推薦リストのメンバーを選ぶか、ポッと出の自薦・他薦者を選ぶか——それだけで選挙をすることになります。まず無理、というのが相場でしょう。

 運よくAさんが地区役員になったとして、あるいは地区党会議の代議員になったとしても、発言できるのは一つの総会で数分だけ、たいがい1回きりです。福岡県では8分でした。1分で300字とすれば2400字、原稿用紙で6枚しかしゃべれません。(支部長会議は多くの場合発言に時間制約はないのですが、正規の会議ではなくむしろ決定を執行・具体化するための意思統一の場なので、組織決定を行うことはできません。)

 では大会決議案を討議する大会討論誌への投稿はどうでしょうか。

 これは誰でも応募でき、全党の目に触れることができます。

 しかし、これも1回きり、1200字という厳しい制限があります。原稿用紙3枚です。

 8分の発言。原稿用紙3枚。

 これで、Aさんは、たったこれだけの分量で「綱領の見直し」を論じなければならないのです。大会決議案が2万字の分量を持っていることを考えると、雲泥の差です。1200字という竹槍で、2万字の文書というミサイル兵器と戦わないといけないのです。不可能ではないでしょうか? およそ戦略的な問題を、他の党員に説得できるように議論できるはずがありません。

 中央委員会へは何万字でも意見書を何百回も送ることはできますが、そのまま握りつぶされたとしても文句は言えません。現に、そういう意見書が広く知らされたことはほとんどないのです。支部から中央委員会に「手紙」を書く運動が提起され、実際に中央委員会に届けられ、その一部は他の支部へも広報されていますが、批判的なもの・奨励しないものは広報から除外されています。

 つまり、少数意見が広く支部を超えて共有され、活発に討議される制度的な保障が、今の組織制度のもとでは存在しないのです。

 民主主義が言論の自由をともなって基礎づけられるのは、誰でも自由に、例えば書籍くらいの分量のある言論、YouTubeの動画で言えば1〜2時間もある言論がお互いに届けられる必要があります。

 しかし、これをやると、今の制度のもとでは「党の決定に反する意見を、勝手に発表した」と言われてしまう危険性が高いのです。

 また、研究会や集会を開いて意見を自由に交換したり、自分の意見を補強したり、違う意見を聞いて考えを深めたりする契機がなければなりません。現代では、これがLINEやSNSメーリングリスト、チャットなどでかなり高い頻度で行われる必要性があります。

 しかし、これをやると今の制度のもとでは「分派」と見なされて取り締まられてしまう恐れがあるのです。

 でも言論ってそういうものでしょ?

 みんなで集まって討論して深まります。その討論は相手を自由に呼んで、何時間でもなん十分でも交流するし、必要なら本を書いたり、文書にして渡したり、講演会でみんなで勉強したり…時には親睦を深めあって、意見をたたかわせたり。サロンやパブで革命が育ったように、そういう交流や勉強があって初めて言論は健全に育つはずです。*1

 

 しかし、8分の発言、原稿用紙3枚では、今の路線とは異なる体系的な戦略は育ちようもありません。例えば、赤旗に代わるマネタイズ、地区委員会・支部のような形に代わる組織形態、そういう大胆な組織改革を論じようと思えば、全く足りないことがわかるでしょう。

 そうなると、オルタナティブな戦略方向を見つけようがありませんから、体系的に示されているのは今の党幹部が起案したものだけになり、それを選ぶしかなくなります。自分で選び取ったように見せかけながら、他の草は枯らしてしまうというのではフェアではありません。

 だから、例えば衆院選の総括の発言も、戦略に関わること、大きな方向性についてはなかなか議論になりません。議論してもその議論が生きるとは思えないのでしょう。どこにもつながっていかないと思えば、そういう議論は避けてしまい、結局「ビラの配り方がどうだったか」とか「選挙本番で候補者カーの手配が悪かった」とか、戦術とさえ言えないような小さな「議論」を何時間もかけてやることで「議論した気になる」という状況が続いているのです。

 例えば地区委員会をこれだけ分立させてそこに人を配置して赤旗を売ったお金でそれを支え続けるというような組織形態が持続可能なのか? 土地・資産を切り売りしてしのいでいてもう破綻寸前ではないのか、それは今のコスト総額を前提にして赤旗の拡大、その要員となる党員の拡大だけで間に合うのか?——そんな形式の議論こそ時間をかけて必要な気がするのですが、どうでしょうか。

 

 私は、党内の会議(数人の会議)で、地区などの再編による徹底したコストダウンと赤旗以外のマネタイズについて発言したことがありますが、それを聞いたある地方議員が「そんなことしたらみんな赤旗増やさんようになるやん」と言いました。つまり退路があるとわかったら、精神的に総崩れになってしまうことを恐れたのでしょう。正直な発言だなと思いました。

 しかし、それはまさに「今の路線しかもう道はない」という思考から来る恐れなのだと思います。

 いろんな戦略が育たない。戦術議論で終わってしまう。

 もっと戦略が自由に議論できるような改革——民主集中制の現代的な発展こそが必要だと考えます。

福岡市を流れる御笠川

 そのためには、どうしたらいいのか。

 会場で私は

  1. 「個人的な見解」という留保をつけて書籍・動画・SNSで自由に発信できるようにする。
  2. 党のあり方や政策について集会や研究会をもっと横断的に開けるようにする。そのために「分派」とは何かという規定を内規か規約で明確にする。

ということを提案しました。これが私なりの民主集中制の発展です。民主主義的な討議と決定の実行、分派をつくらない、という組織原則は維持します。

 

 集会の場で松竹さんは、「規約に明文化されていないことは幹部が勝手に解釈して取り締まらない」というシンプルな原則を提唱していました。それを聞いて、確かにそっちの方がいいかもしれないなとも思いました。

 何れにせよ、こういう時期だからこそ、必要なのは議論です。しかも小さな日常の戦術の話ではなく、大きな戦略に関わる議論が百出する必要があるのです。

福岡市の当仁小学校の近く

余談:デュベルジェ、ミヘルスについて

 以下は余談です。

 私は討論会で、フランスの政治学者ディベルジェが民主集中制は近代政党ならほとんどどんな政党でも採用している、と発言していることを紹介しました。

 そうしたら、終わった後の懇親会で、ある学者の方と議論になり「いや、デュベルジェはそんなことは言ってないよ」と言われ「民主集中制はロシア的な特殊な組織形態なんだ」と力説されておられました。

 私は

  • 民主主義的な討論
  • 討論後の行動の統一
  • 分派・派閥の制限・禁止

民主集中制のエッセンスだとすれば、これは維持していく道理はあるんじゃないかと述べました。

 ただ、「民主集中制は近代政党ならほとんどどんな政党でも採用している」というのは、榊利夫(昔の共産党幹部)の『民主集中制論』(1980年)の次の記述が根拠になっていました。

 榊は民主集中制日本社会党も規約で明記し、自民党も同じような組織原則を採っていると指摘した上で、

そういう世界的大勢を反映して、フランスの政治学者も、民主集中制の傾向を「ほとんどすべての政党において認めることができる」(デュベルジェ『政党社会学』)と認めている。(榊p.216)

と述べているのです。

 しかし実際にデュベルジェはどう言っているのでしょうか。

 私は榊の記述の元になったデュベルジェの『政党社会学』を読んだことがありませんでしたので、この機会に該当部分を読んでみました。すると次のようになっていました。

事実、タテの結合にむかう傾向は、ほとんどすべての政党において、つまり少なくとも割合に強い結びつきを有するすべての政党においては、こういったことを認めることができる。(デュベルジェ『政党社会学』1970年、p.67)

 前後を読むと「タテの結合は共産党の独占物ではない。一般的には、ファシスト政党は、同じような組織を採用する」(同p.66)とか「ドイツ国内の各地方における社会主義者は…支部は直接に相互に連絡することなく、彼らの『受託者』の仲介によってのみ連絡をした」(同p.67)としていて、「ほとんどすべての政党において…こういったことを認めることができる」という記述については、ん〜、ビミョーだなあと思いました。

 ここでいう「タテの結合」とは「ヨコの結合」に対置されたもので「一つのものが他のものに従属する二つの団体を結びつけるもの」「たとえば、市町村の支部と群委員会、郡委員会と県連合会、県連合会と中央委員会といったごときのもの」(同p.64)です。

 上下関係のある統一した組織体か、連絡協議体的なユルいつながりか、の違いです。「上下関係のある統一した組織体」なら確かに「ほとんどすべての政党において…こういったことを認めることができる」というのは当たっている気がしますが、それは民主集中制とは言えないのでは…とも思うんですよね。

 しかし、デュベルジェが挙げている共産党の組織の姿は、まさに戦後運用されてきた世界各地の共産党的な民主集中制の姿だなと思い(日本がそうであったかどうかは別として)、これを読んで榊が「民主集中制の話だ」と思ったのは無理もないかなとも考えました。

共産党はタテの結合の首尾一貫した厳格な組織のもっともよい例である。細胞〔支部のこと〕は相互に直接連絡することなく、次の段階である地区の仲介によって連絡をする。

…最後に、連合会〔都道府県単位の組織〕は、二年ごとに開かれる連合会の代議員の会合である全国党大会という頂点の媒介による以外は連絡しない。全国党大会は政治局と書記局と政治特別委員会をつぎつぎに指名する中央委員会を選挙する。この制度は、党内において分裂や「派閥」や反主流派の発達することを、完全に防止する。一つの細胞において発生する意見の対立が、直接に隣の細胞に伝染することはありえない。それは細胞代議員を通じてのみ地区段階に達することができるが、ここでは各代議員はすでに選抜され、その信頼性が証明された者のみである。

…細胞自体の内部において、議論の自由は相当なものであるが…階層秩序の上層部にいけばいくほどその自由が減少することははっきりしている。反対意見が伝染する危険性は、タテの結合の効果を増大する中央集権化によってさらに少なくなる。(デュベルジェp.65)

 

下級団体のそれぞれの代議員は彼の委任者〔彼を選出してくれた人々〕に対して責任を負うのではなく、上級団体に対して責任を負う。つまり、彼の義務はそのためにグループ内部にあらわれてきた不満と思われるものをすべて上級団体に報告するためであり、こういったことが彼に委任されたわけは、そのグループの意見を弁護するためではなくして、中央機関の干渉を引き起こすことと、局面を打開することのためである。…したがって党本部は、党組織のいかなる部分においても弱点があらわれるやいなや、大きな力と効果をもって干渉することができる。この制度は、船舶が水の浸入にたえる船室に区分され、相互の連絡はかたく遮断されている安全予防装置をはっきりと思い出させるものである。

…つまり、これによって警察行動の効果がきわめて狭い部分に限られるわけである。…党はまず第一に、あまり忠実でない党員を切りすてる。彼らは除名の結果として、または迫害の恐怖から党を離れる。(デュベルジェp.64-65)

 

能古島が向こうに見えます。元寇防塁の前から。ぬこが…。

 もう一つ、ドイツの政治社会学者ミヘルスの「寡頭制の鉄則」というものがあります。

ミヘルスはドイツの社会民主党を分析し,いかなる組織も少数の幹部に権力を集中することなしに,その規模を拡大することはできないとし,規模が拡大すれば必ず寡頭制的支配者を生みだすと主張した(《現代民主主義における政党社会学》1911)

(株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」)

 私はミヘルスのことも少し討論会の中で言及しました。

 つまり指導者が大衆を支配するというのは近代政党では鉄則レベルだし、特に大衆に支えられる社会主義政党では必然ではないかという意見です。要するに少数幹部の私物化は必然なんだから、党内改革なんかしても無駄ではないかということです。ある種の「共産党を見捨てます」論の気分を反映した議論に似ています。

 ミヘルスの『政党政治社会学』は日本語訳で500ページもある大著で、一つ一つの論点が、「現代政党が陥りそうな問題」を微細に書いていて、そういう面白さがあります。

 しかし、現代の目から見ると古くなってしまった論点もあり、総合的に見れば「悲観しすぎ」と思います。例えば一般投票について論じたところをちょっと紹介します。

大衆の意思をいつでも表現できる手段としての一般投票の本質的な欠陥は、大衆が未成熟であることと、よしんば大衆が成熟していると仮定したときも、それを行使するのに時間がかかりすぎることである。このことはベルンシュタインが強調したように、もし将来社会主義社会が実現した場合にも、同様に当てはまることである。たとえ最小限の政治的、行政的問題だけを一般投票によって解決するとしても、幸福な市民たちは毎日常ごとに机の上に質問が山と積まれるのを見て、やがてこのような民主主義に対する関心を失ってしまう。(ミヘルスp.378-379)

 いやあちょっと悲観しすぎでしょう、ミヘルスさん。

 一般投票でなんでもかんでも決めなんて、社会主義イメージとして貧困すぎると思います。そして現代では、わりと手早く投票って技術的に出来ちゃうんですよ。ミヘルスは将来そんなふうになるとは思ってもみなかったのかもしれません。

 ミヘルスは指導者=党幹部を抑止するために一般投票が有効かどうかを考察しているんですけど、必要に応じて使えば結構面白いと思いませんか?

 例えば、会員制のネットを使って、1000人以上の党員が発議したら投票にかけられるようにするとしましょう。

 党首選挙だけでなく、例えば重要な問題を全党で投票するようにします。

  • 政党助成金は受け取るべきですか?
  • 党名は共産党でいいですか?
  • 読者拡大では、12月までにすべての都道府県が、2中総時点の到達(今年の4月にあった陣地)を回復するというのでいいですか?

などを一般投票にかけてみてはどうでしょうか。過半数なら承認が得られたと自信満々でやれますし、得られなかったら見直す必要が生じます。

 かなり指導者への抑止になると思いません?

 いやそれ以前にそんな投票があったらワクワクしませんか?

 例えば党名なんかは、多分党員投票では「日本共産党」で多数が取れるでしょうけど、仮に4割反対票があったら「あ、みんな結構変えてもいいと思ってるんだな」とわかり、指導部はそういうことに留意するようになるのです。(ちなみに会員制ネットで見るので、票数は党外に出ない建前です)

 まあ、そこまでやらなくても、先ほど述べた民主集中制の現代的な発展をまずやってみて、一歩一歩コントロールを取り戻していけばいいと思います。とにかくミヘルスは悲観しすぎなのです。

*1:古い共産党の議論では「階級社会一般での言論と、同じ綱領で結ばれた自発的な集団の結社とでは違う。前者は結社をしなければいけないが、後者では自由な討論で意見の一致に到達する」というのがありますが、実際に到達していませんし、論理的にも階級社会と党組織が違うことはその通りだとしても党組織の中で横断的で自由な言論のやりとりが保証されない理由には理屈上なりません。

ハラスメントという暴力を容認したのになぜ田村委員長は「ノーコメント」なのか

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)

 

党幹部に会うことで不安が高まる

 私は、共産党幹部のハラスメントによって精神疾患に追い込まれ、現在も通院と投薬を続けています。

 「子ども劇場」という観劇文化運動がありますが、先日も市のホールを借りてそこの演劇鑑賞会が予定されていました。数百人が参加します。私の家庭も入っています。

 親と子の分のチケットがあってつれあいから「あなたが(娘と)一緒に行く?」と聞かれましたが、観劇先で私を糾弾した党幹部や党員に出くわしてしまう可能性があり、不当除籍・解雇をされてからは、いよいよ不安が大きくなり、「当面あなた(つれあい)が行ってほしい」と言って、断りました。

 私を直接査問した党幹部と顔をあわせるのは不安しかありません。そもそも除籍前でも、調査のための文書を渡すことについては対面でないやり方をくり返し求めたにもかかわらず、党幹部らは文書を持参して私の職場に現れました。ひどいときは、自宅の前で複数で待ち伏せしていました。私は厳しく抗議したのですが、「ちゃんと渡した方がいいと思って」などと理由にもならない理由を述べて去っていきました。

 「神谷の病状に配慮する」どころか、まるで嫌がらせのように、私の精神に打撃を与えるのが目的であるかのように、くり返し私のもとに現れたことは忘れられません。

 そういう人たちとは除籍後も会いたくないのです。

 裁判を起こしたことで法廷で会う可能性が生じました。そればかりは受忍しなければならないだろうと覚悟していますが、そのために不安が高まり、通院を続けています。

 加えて、壇上で私を激しく糾弾した党員・党議員たち、そして、ほぼ一方的な説明しか聞かされていない一般の多くの福岡市の党員たちについては、まだ除籍前は、私は「党員」という目で見られていたので、なんとか日常的に私も平静を保って一緒に活動できました。

 しかし、不当除籍・解雇後は、私の方がやはり不安が大きくなってしまいました。集会や運動の場で偶然出会ってしまうリスクや、こうした左派系の人たちが多い集まりの場などでうっかり出会ってしまう可能性を考えると、どうしても不安になってしまいます。

 党幹部たちは別ですが、一般の地域の党員の方々については、今も現場では私について一方的な説明がされているということが漏れ聞こえてくるので、せめて私が裁判に勝って、「実はかくかくしかじかという事情だった。問題があったのは神谷ではなく党幹部の方だった」という説明がなされる日を待ち望んでいます。そうすれば自分の不安も解消され、晴れて職場・党活動に復帰できるのではないかと思っています。

 

「怒鳴ったり殴ったりすることだけがハラスメントではない」と一般の党員に布告される日が来るのを待ち望む

 12月3日の京都での私・松竹伸幸さん・上瀧浩子弁護士の3人による討論会で、上瀧弁護士から「5人で1人を糾問するとか、パワハラそのものだと思いますが、どうして党側はパワハラでないと思っているのか」という旨のことを聞かれたので、「要するに怒鳴ったり殴ったりしなければ、落ち着いてやればパワハラでないと思っているのです」という趣旨のことを答えました。

 討論会の動画ではハラスメント問題については47分ごろから始まります。

 このことは前にも述べました

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 いくら怒鳴ったり殴ったりしていなくても、私が受けた追放の脅しのもとでの自己批判(反省)の強要、仕事の取り上げ、同僚や若手との接触禁止、陰で人を集めての悪口の流布などは厚生労働省が定める「パワハラ6類型」そのものなのです。

 党幹部はもちろん、一般の党員、特に会場で私を激しくヤジった党員たちは、「怒鳴ったり殴ったりすることだけがパワハラではない」というシンプルな事実が受け入れられないようです。

 ある共産党地方議員は、私の前でこれ見よがしに宝塚のハラスメント自殺事件の記事を読み上げたりました。額にヘアアイロンをあてるような残酷な仕打ちがなければハラスメントではないぞ、と言いたかったのかもしれません。しかし、その宝塚事件の被害者遺族の弁護団だった川人博弁護士が私の裁判の応援に駆けつけてくれるとは、その地方議員は思ってもみないことだったでしょう。

 先ほども述べたように、もし裁判に勝利したら、この点をきちんと福岡県党や全党に徹底してもらい、晴れて私が復帰できる条件を整備してほしいと願っています。

 

ハラスメントとは「暴力」

 共産党の常任幹部会委員、つまり最高幹部の一人である坂井希さんは、ジェンダー平等委員会の事務局長を長い間務めてこられ、最近『あなたと学ぶジェンダー平等』という本を出されました。

 坂井さんは学生時代からよく知っており、私生活でも私は彼女の結婚を祝う会の実行委員をつとめ、そのパンフレットに彼女やパートナーを描いたちょっとしたストーリーマンガまで描いたこともあります。

 その坂井さんが同著の中でハラスメントについて、次のように規定されていることを印象深く読みました。

〔ハラスメントは〕他者を攻撃し、その尊厳を傷つける暴力であると理解する必要があります。(p.138)

 そうです。ハラスメントは暴力なのだと党最高幹部の一人、坂井さん自身がおっしゃっています。私はまったくその通りだと深く頷きました。*1

 この坂井さんの本は最近でも市田忠義副委員長が「ハラスメント根絶は必須」として、党の公式機関誌(「月刊学習」2024年12月号)で、

坂井希さん(現青年・学生委員会責任者)の『あなたと学ぶジェンダー平等』(新日本出版社)からも大いに学びたいと思います。

と推奨文献であることを強調しています。いわば個人著作ではなく、党の公式文献に準ずる本で「ハラスメント=暴力」だと述べているわけです。

 

自分が深刻な暴力に深く関与しておきながらなぜノーコメントなのか

 ところが、田村智子委員長は、私の除籍やハラスメントについて、一貫して「ノーコメント」を連発しています。

www.sankei.com

www.sankei.com

 

 この点は松竹伸幸さんも疑問を呈しています。

ameblo.jp

 

 私の除籍は中央委員会が承認しているはずのものです。*2

 つまり田村さん自身が承認を行ってきたものです。

 また、私のハラスメントについても、党本部(広報部)は、

神谷氏による党規約とその精神に反する行為についての党福岡県委員会の調査と対応は、本人も認めていた党規約にもとづいて適正におこなわれたものであり、パワハラとの指摘は当たらないと承知しています。(「サンデー毎日」24年9月15日号)

と明確に評価を行っています。「パワハラについては福岡県委員会に聞いてください」とは言っていないのです。私への直接の聞き取りなど一度もしないくせに。党本部の責任者は当然田村委員長でしょうから、ここでも田村さんはこのコメントに責任を負っているのです。「パワハラではない」と、何かを根拠があって明言させているはずです。そのことを説明する責任があるのではないでしょうか。

 実際、私が入手した党幹部の言動の記録からも、党中央委員会は私の調査・除籍・ハラスメントの深く関与してきたことが明らかになっています。

 田村委員長が私への暴力に関与してきたかもしれないという重大な事態なのです。

 その暴力に、承認という行為、評価という行為を、責任者として明確に与えているわけですから、「コメントしません」というのはあまりにも無責任ではないでしょうか。

 

 地方の組織がやったことで、本部の責任者たる委員長はよくわからない——これならまだ話がわかります。あるいは、裁判だから言えません、というのもよく聞きます。

 しかし田村さんの発言はそういうものではないのです。

 中央自身が関わった。そしてすでに党中央の部署はコメントまでしている。

 それなのに党の代表だけが、「コメントしません」。

 ダンマリをします、と言っているのと同じで、同じ記者会見で党内のハラスメントについては「丁寧な対応」をすると述べているのにも真っ向から反するものです。ていうか、直前に言ったことと真逆のことを直後に自分で言うって、虚しくないのでしょうか。

 自分が深刻な暴力に関与している可能性を指摘されているのに、何もコメントしない。

 おかしくありませんか?

 もちろん、そんな関与などしていないなら「していない」とはっきり言えばいいことです。実際すでに党中央の広報部署はコメントしているわけですから。

 

 推測ですが、まさに答弁不能になっているのだと思います。

 福岡県委員会の調査・査問の現場でも、私が党幹部に対して具体的な事実、規約、法律を示して迫ると、同じことが起きました。バグって、固まって、動かなくなって、ダンマリになってしまうのです。

 

 もう一度言いますが、田村智子さん、あなたは自分が関わったかもしれない暴力になぜコメントしないのでしょうか。志位和夫さんが答えるというなら、それでもけっこうです。まず党の代表が正々堂々とコメントしてくれませんか。

*1:坂井さんは28大会期、つまり今年の1月まで規律委員会の委員を務めておられました。つまり私の「規約違反」容疑なるものを中央の部門の一員として調べておられたかもしれません。こうした文献を書かれた方でしょうから、おそらくその矛盾にひどく苦悩されていたことでしょう。

*2:私の除籍の決定は福岡県常任委員会が行っています。規約では「除籍は、一級上の指導機関の承認をうける」(11条)とされており、その「一級上」は中央委員会しかないからです。

「結社の自由があるから裁判所は政党の内部問題は口を出すな」について

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)

 12月3日の京都での私・松竹伸幸さん・上瀧浩子弁護士による討論会で論点になったことを少し紹介しています。

 その一つが、「結社の自由があるから裁判所は政党の内部問題は口を出すな」という議論についてです。

 これは「部分社会の法理」といわれるものです。

 ネットなどでもそこを心配する声があります。これを政党についてあてはめたのが、共産党を除名された袴田里見氏の住居明け渡しをめぐる裁判で1988年にでた「共産党袴田事件」の最高裁判決です。

 討論会でもその点をどう考えるのかを上瀧弁護士から私と松竹さんがそれぞれ聞かれました。

 簡単にいうと、私の場合はむしろ共産党袴田事件最高裁判決を使って、議論を組み立てています。

 この共産党袴田事件判決では、“結社の自由があるから、メンバーを追放するとか処分するとかいう問題については、裁判所は政党の内部問題には口を出せない”という理屈になっているのですが、例外を設けています。

 それはどういうものでしょうか。

 共産党袴田事件判決では「政党の内部問題」といった場合、市民としての権利や利益を侵害するようなもの、そして適正な手続きになっていないものは、「政党の内部問題」とは言えないないから、そのときはちゃんと裁判所でも裁きますよ、という条件をつけているのです。

 

 私の場合、生活の糧や個人の尊厳を奪われるという解雇がついており、その解雇がめちゃくちゃであったため、まさに市民としての権利や利益を侵害し、適正な手続きではなかったので、袴田判決によって逆に当然に司法の場で裁かれることになります。

 

 処分などにかかわる問題でも、それが例えばハラスメントのような暴力や人権侵害がからんでいたら、しかもそれを隠蔽するためにとんでもない手続きで行われていたら、それは「内部問題」ではすまないわけです。

 共産党規約には「党の内部問題は、党内で解決する」という条項(第5条)がありますが、どんな問題でも党内で起きたらとにかく「内部問題」であって、絶対に外に出してはいけない、というわけではないのです。その限界がどこにあるかがここに示されています。

 

 この話題は、動画ではまず上瀧弁護士の問いかけが4分ごろから始まり、それに対する私の回答が10分ごろから始まります。