2024年の総選挙の結果が出ました。
与党の過半数割れなど、日本の政治のゆくえのことはもちろん言いたいことはありますが、ここは日本共産党のことにしぼって書きます。
日本共産党は10議席から8議席へと減らしました*1。他の野党*2と比べてみると、立憲民主党やれいわ新選組が躍進し社会民主党も議席を維持する中で、いわば一人負けという状況です。
得票も比例で言えば416万から336万へと100万票近く減らし、近年まれにみる低さとなりました*3。国民から厳しい審判がくだったと言えましょう。
「共産党は閉鎖的」「自由がない」というイメージ
選挙戦の最終盤には共産党自身が「大激震」が走ったと述べた赤旗の2000万円問題での特大スクープもあったはずなのに、なぜこんなことになったのでしょうか。
要因はさまざまあるでしょうから、今後事実などにもとづいて分析すべきであり、今から早急に一つにしぼるわけにはいかないでしょう。
しかし、結論から言えば、記者クラブの質問にあったように「共産党は、極めて閉鎖的な政党ではないかというイメージもどんどんでき上がっ」た結果、共産党に託すのではなく他の党に託してしまった、あるいは共産党に増えてほしいと思ってがんばっていた人が次々離れて運動量がしぼんでしまった、ということは、要因の一つとして、間違いなくあったのではないでしょうか。
もっと短く言えば、「共産党は閉鎖的」というイメージが沈殿し、託す動き・広げる動きが弱まった。それが全てではないが、一因であった、ということです。
2023年2月に松竹伸幸さんが共産党を除名されて大きな騒動となりました。今回の総選挙は、実は松竹さん除名後、初めて迎える国政選挙でした。いわばその影響や蓄積が現れる選挙戦だったわけです。
その間に、松竹さんの処分に異論を唱えた人たちの排除、党大会での異様な結語とネットでの拡散、さまざまな経緯での地方議員の離党、そして私の解雇・除籍、さらに私をかばった砂川絢音さんの除籍や、全国各地での除籍へむけた動き…。無数に続きました。
私のいる福岡では、私の問題とは別の形で始まった、民青同盟に集う青年たちへの、党県委員会による徹底弾圧がありました。しかもその中で、私への人権侵害はおかしいと声をあげた青年たちをもいじめて追放する動きを加速させたのです。排除された青年たちと話す機会がありましたが、本当にすばらしい活動家ばかりで、明らかに共産党と日本の政治の未来を背負って立つ人たちばかりでした。ところが党幹部は、いわば共産党の宝ともいうべき人たちを、執拗に壊して回ったのです。異常としか言いようがありませんでした。
この動きの中にいなかったけども、地域の中核となっていた若い党員も、こうした党幹部のやり方に怒り、呆れて、党を去っていきました。
今回の選挙で福岡に立ち寄った、ある東京暮らしの党員は「前回と比べて福岡の民青の人たちの姿が選挙で全く見えないのでびっくりした。確か福岡は数の上では近年かつてないほど民青が増えているはずなのに、一体どうしたんですか」と私に話しかけてきたのが印象的でした。
各種の追放やパワハラ告発や弾圧など選挙には何も影響がなかった、この点における党幹部の対応はすべて正しかった——そんな選挙総括を続けるつもりでしょうか。本当になんの曇りもないのでしょうか。
「お前のせいでマイナスイメージが広がったんだ!」…とおっしゃってくれる人がいたとしたら、それはちょっと買いかぶりです。
広い有権者が私の除籍の話など、いちいち細かく知っているはずはありません。
しかし、松竹問題以来の党のありようが、記者クラブで問題にされ、地方議員が離れ、コアなファンが次々去っている…という中で、投票行動を起こす層や近づいてきてもいい層に、なんの影響もなかった、一切関係なかった、と本当に言えるでしょうか?
「共産主義には自由がない」というイメージがあるから、その払拭をねらって、選挙前の3中総ではそのことを学び語り合う「大運動」を始めたはずですよね? つまり、そういうイメージの沈殿があったことは党員であれば誰でも否定できないはずなのです。
今回ばかりは自民党・公明党を懲らしめよう。
さて、投票先を野党の中から選ぼうか。
——そう思ったときに、「共産党は、まあ…やめとこうか」と思って選んでもらえなかったわけです。
そういうふうに、選択肢から除外されてしまったときに、現在の共産党の「閉鎖的」イメージが影響していないとは言い切れない。
そう私は思います。
このプロセスのリアルな現れは、共産党とれいわとの関係のうちに生じたと思います。今度の選挙では、共産党が10→8議席に衰退し、れいわ新選組が3→9議席へと躍進しました。れいわがいいとか悪いとかいう話ではなく、共産党の元の支持層や、本来共産党に来るべき層がごっそりそっちに行ってしまった、というのはリアルなところではないでしょうか。*4
なぜ共産党が選ばれなかったのかを考えたときに、まさに共産党の「閉鎖的」「自由がない」イメージがあったということができると思うのです。
なんども申し上げますが、今回の後退の要因の全てではありません。
しかし影響の一端はあったのだと私は考えます。
私が23年4月に党中央に意見を提出したことがそのまま…
私は、松竹さんの除名が起きてすぐに行われた2023年4月の統一地方選挙の後、まだ私は党県委員会の常任委員であり県党の政策論戦部長でしたが、党本部から選挙の感想を出すように言われて(県の常任や候補者・地区委員長が全員求められた)次のような感想文を提出しました。
統一地方選挙の感想
神谷貴行(2023年4月)
(1)
松竹神幸氏らの除名をめぐる問題は、これまで党に好意的だった知識人からも批判の声が上がりましたし、私の知っている人でも共産党の対応を怖がって、もしくは不満に思って投票をしませんでした。根本的な原因ではないにせよ、前半戦にも後半戦にも「共産党は異論を許さない政党だ」というイメージを形成し一定の影響を与えたと言わざるをえません。
「共産党は異論を許さない政党だ」というイメージは厳密には「誤ったイメージ」ですが、別の形で厳密に言えば「共産党の建物の中では異論をいえるが、建物の外(社会)に出たら一言も異論を言うことは許されず、連絡を取ったり、外で異論を言ったりすれば除名される政党だ」という「正しいイメージ」で理解されたとしても、市民感覚からすれば「恐ろしい政党」であることには変わりなかったと言えます。また、メディアが松竹氏除名への党の対応を批判したことを、「結社の自由」を理由に、政党の運営にメディアが意見を述べること自体が「乱暴な介入」「干渉」 であり、憲法上の権利(結社の自由)への「攻撃」だと志位委員長*5が表現したことは「異論を許さない政党」というイメージを助長しました。
今回これに加えて、党中央を先頭に、議員・地方組織から現場の党員に至るまで松竹氏個人への「批判」、市民的に見ればバッシングに近い言動が機関紙・SNS・演説などで繰り返され、中には松竹氏ら個人への攻撃としか思えないものも見受けられ(他方で松竹氏が冷静で紳士的な対応に終始した)、市民から見て「恐ろしい」姿を示してしまいました。 特に、市田副委員長のSNSでのコメントや演説、伊藤岳議員の演説は率直に言って処分に値するほどひどいものでした。「共産党の建物の中では異論をいえるが、建物の外(社会)に出たら一言も異論を言うことは許されず、連絡を取ったり異論を言ったりすれば除名され、組織をあげて攻撃バッシングを受ける」というイメージになってしまったと言えます。
松竹氏の言動にどう対応することが最も公正であったかを別にして、上記のような党の対応そのものが、市民の中に「共産党は異論を許さない政党だ」というイメージを形成し、否定的影響を及ぼしたと言わざるを得ません。これは、今回の選挙戦にとどまらず、国民の中に沈殿する恐れがあります。国民の中ではハラスメントや人権の意識、民主主義の感覚がかつてなく前進している今日では過去とは比較にならないほど、「共産党は異論を許さない政党だ」というイメージ の影響は続く可能性があります。
(2)
ところが、後半戦後の4月24日の常任幹部会声明では「『共産党は異論を認めない政党だ』などといった反共キャンペーンが、一部の大手メディアをつかって大々的に展開されました」「反共キャンペーンに対して、綱領と規約に示された日本共産党の本当の姿を語る努力もすすめられました」という記述はあるものの、この影響がなくなったのか、続いたのか、党がそれに対応し続けたのかについては、何も記述や評価はありません。しかし、小池書記局長は、前半戦後の記者会見(4月10日)で松竹氏らの除名をめぐる問題が前半戦の結果に影響したか聞かれ、「いろいろな宣伝物なども含めて誤解を解く努力を全力でやったので、それが影響したとは思っていない」と答えており、記事だけから常識的に判断して、前半戦終了までにこの影響は「消滅した」と党幹部が評価していたことは明白です。いわば武装解除をしてしまったのです。
これは党中央自身の、この問題に対する著しい軽視と言わねばなりません。 実際、小池氏だけでなく、〔統一地方選挙後半戦における〕党幹部の演説やそれを報道する赤旗記事からもこの観点は消えました(もしくは非常に微弱になりました)。
(3)
この問題は、第一に、規約を基準にどう公正に扱うべきかという点について言えば、〔2023年〕2月の県委員会総会で私が松竹氏の除名問題について意見を述べた通り、松竹氏を除名した際に当該の党機関や中央幹部が挙げた除名理由はどれも成り立たないものであり、除名自体が誤りでした。「反共キャンペーンが、一部の大手メディアをつかって大々的に展開され」(常幹声明)たのではなく、党を攻撃しようと待ち構えていた反動勢力の跋扈する死地に、党自身が間違いを犯して自ら飛び込んでいったようなものです。この点から、県委員会総会の決定は誤りであり、次の県総などでその誤りを正直に認めるべきです。
第二に、選挙戦の問題として、影響が続いたことを直視し、対応を行うべきでした。 その場合の対応とは、本来的には「第一」で述べた通り除名を撤回することです。仮に除名や処分が正しいと判断するにしても、党中央や県委員会が行ったような「ビラなどで党内民主主義について語る」というやり方では対応になっておりません。 党中央をはじめとする党の対応(振る舞い)の全体は、 (1) で示したように、市民の中に「異論を許さない」というイメージ形成を促してしまう拙劣なものでした。それをいくら「言葉」(ピラ・演説)で言い訳(反撃)しようとしてもできるものではないからです。対応(振る舞い)全体を反省し見直すべきです。
第三に、「共産党の建物の中では異論をいえるが、建物の外(社会)に出たら一言も異論を言うことは許されず、連絡を取ったり異論を言ったりすれば除名される」という現在の党のあり方全体(規約とその運用)を見直し、民主集中制を現代的に発展させなければ、党の未来はありません。中央や機関に意見を述べるのではなく、他の党員に体系的に自分の見解を知ってもらおうとすれば、せめて書籍程度の分量の意見を述べる自由がなければならず、わずか数分の発言、400字*6程度の大会決議案への意見書だけでは、他の党員に訴えることはできません。 言葉ではなく、振る舞いの全体が、市民から見てわかりやすく「異論が許されている」と思える政党に変えようということです。(以上)
この感想文は、よく講演会の後で集めるような「感想文」とは違い、そのあとに行われた第8回中央委員会総会決定のため経験と意見集約の一環でしたでしょうから、いわば規約15条に基づく正式な意見書として私は提出しました。もちろん私は党の規約を厳守しましたから、この意見書を外に漏らしたりはしませんでした。党幹部が誠実に耳を傾けてくれるのを辛抱強く待っていたのです。
それは「党機関が決定をおこなうときは、党組織と党員の意見をよくきき、その経験を集約、研究する。出された意見や提起されている問題、党員からの訴えなどは、すみやかに処理する」(規約15条)というふうに扱わねばならないはずのものです。
耳の痛いことではあっても規約に基づいて誠実に意見を述べたつもりです。にもかかわらず、党幹部によって「集約し、研究」され「すみやかに処理」された形跡はなく、それどころか、いよいよ「異分子」として目をつけられて追放へむけたいじめが始まっていったようにしか思えない経過をたどりました。*7
意見書で出した問題は放置され、それどころか、いっそう党幹部によって助長され、拡大されてしまったのです。「共産党は閉鎖的」「自由がない」というイメージは党幹部自身によってますます国民の中に沈殿していきました。
「『共産党は閉鎖的』というイメージが沈殿し、託す動き・広げる動きが弱まった」と申し上げましたが、そのイメージは、私への不当な除籍・解雇などに見られるように、偏見や根も葉もないものではなく、一定の事実であり、根拠があるものです。
イメージをいくらよくすることだけやっても、その事実や根拠自体を解消しないかぎり、イメージは消えません。うんこがあるのに、うんこを除去せず、芳香剤をいくらきつくしても、匂いはごまかせないのです。
「共産主義には自由がない」というイメージを払拭すべきだ、として3中総で志位議長を先頭に、「共産主義と自由」を学び、語り合う大運動に全党が立ち上がりました。これは問題意識としては間違っていなかった、と思います。
党幹部自身も、現場のみなさんも、「共産主義には自由がない」というイメージを払拭すべきだ、と思っていたはずなんです。
でもいくら「共産主義社会では自由な時間がふえて人間が全面発達しますよ」みたいな話をしても*8、いま目の前で、誠実に諫言している党員や、まじめな若い党員たちに対して、これでもかというほどハラスメントやいじめを加えながら「共産主義はッ! 共産党はッ! 自由ですからッ! 異論を認める政党ですからッ!」と叫んでいたら、なんの説得力もないのです。*9
イメージの払拭をしたいという問題設定は正しかったと言えます。
でも処方箋が全く「あさっての方向」だったのです。
いい加減にこんなことはもうやめませんか。
このことに目をそらしたままの、党幹部に都合のいい総括をしていっても、その方向に共産党と日本の政治の未来はありません。党がゆっくりと壊死していくだけです。
このことに目をつむったままの総括で本当にいいのか
「でも異論を言えば『自由な討論』という名で神谷のように吊るし上げられたり、他の党員のように呼び出されて説教される…」「じゃあどうすればいいのかという対案もないままに言ったら、怒られる…」——違和感を抱いている党員のみなさんには、そんな不安があるかもしれません。
党職員の方で言えば、神谷のように精神を破壊されて職を取り上げられて、叩き出されるかもしれない、という恐れもあるかもしれません。
実際、福岡の民青の(中にいる党員でもある)若い人たちは、連名で意見を述べたことをもって「分派」だといわれ、なぜか共産党から査問にかけられました。
確かに私は「こうすれば党幹部からのいじめを回避して意見を言える」という策をお伝えすることはできません。無理強いすることもできません。
しかし、本当にこのままでいいんでしょうか。
まちがった方向に日本が、あるいは党自身が落ち込もうとしているとき、どんな困難があっても、ちゃんと声をあげていくというのが共産主義者じゃないんでしょうか。
党員や党職員が苦労して築き上げてきたものを、党幹部自身が私(わたくし)して、壊しているのです。そんなあり方が正しいとは言えません。
党幹部の言うことに何も異論を唱えない、それを合理化して補強することだけが「党派性」だ、党への信頼だ、あるいはせいぜい選挙戦術上の小さな意見だけをしゃべって「中央にちゃんとモノを言った」と思うのは、端的に言ってかんちがいです。もし根本的なところが間違っているなら、その根本的なことを言うべきです。親友が根本的に間違った道に行こうとするときに、間違っているよと言ってあげられるのが親友というものではないでしょうか。
今回の敗北はそのチャンスだとも言えます。
党幹部は今回の敗北を受けてあり方を見直してください。まず私への不当な解雇・除籍を撤回するところからそれを始めるべきです。そのことを厳しく求めておきます。
補足
共産党が今回貢献した(例えば赤旗スクープが与党過半数割れに追い込んだ)歴史的な積極面、あるいは、後退した「他の大きな原因」(例えば高齢化や党勢拡大の不足など)がありうることは否定しません。しかし、「それがあるから、これ(閉鎖性問題)は無し」という論法は詐術です。論議の際にはくれぐれもご注意ください。