一般的な「表現の自由」と勘違いしたままの高島市長

 今日は文化の日です。天皇制由来の「祝日」ではありますが。

 文化における今の日本と福岡市での焦眉の課題の一つは、なんといっても「表現の自由」についてでしょう。

 福岡市では、市の名義後援をめぐってその後援が拒否されたり、取り消されたりする事件が起きています。これは2015年・2016年に、「平和のための戦争展」の中で消費税や安保法制に関する展示があり、その展示が「特定の主義主張に立脚した」ものだったとして、福岡市は後援を拒否・取り消しした、という事件です。要するに政治的に偏っているから、そんなものを市が「後援」したとなれば「行政の中立性」を壊してしまう、という理屈です。

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 共産党の追及に対して、高島宗一郎市長が言い訳したことは、“名義後援を取り消しても、表現の自由を福岡市は侵害していない。なぜなら、そいつらはどこかで勝手に展示をする自由までは福岡市は弾圧しないからだ。やりたければ勝手にやればいい。表現の自由は認めているぞ。だけど、そいつらが「福岡市から支援をもらいたい」というから、「それなら福岡市の政治的立場に背くような表現をしたら許さんぞ」と言っているだけだ。嫌なら後援をもらいに来るな”ということなのです。*1

 ここには、高島市長の「表現の自由」に対する恐ろしい無知・無理解があります。「表現の自由」の中でも、行政が支援したりする際の「表現の自由」、すなわち「芸術の自由」は認めないとしているのです。

 

 この問題をさらに追及するということで、今年の9月23日決算特別委員会総会で、共産党の山口湧人・福岡市議が質問をしました(現時点で議事録がありませんので、以下は私の責任で書き起こしたものです)。

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行政が支援する芸術は行政の認める表現に変えろ、という思想

 

山口湧人  昨年愛知県で開かれた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」は、開幕からわずか3日で中止に追い込まれました。重大なのは、実行委員会会長代行の河村たかし名古屋市長が作品の一部を批判し、展示を中止させるよう圧力を加えたということです。実行委員会で合意した内容について、それを取り消すような措置が取られたことは文化芸術基本法の理念から見て不適切だったと言わねばなりません。そこでお尋ねしますが、本市は文化芸術基本法にある「文化芸術の礎たる表現の自由」と「文化芸術活動を行う者の自主性」を尊重する立場であるのか、答弁を求めます。

△経済観光文化局長 文化芸術基本法2条の基本理念に基づき、活動を行う者の自主性や創造性が十分に尊重されなければならないと考えております。

山口湧人  この法律の趣旨は、国や自治体が補助金を出したり、名義後援を出したりして文化芸術を支援する際、その作品の中身について行政はあれこれ口を出してはならないというものです。よって、本市は文化芸術を支援する際、「表現の自由」はもちろん、芸術家側の自由も尊重する、つまり作品の内容について口は出さないということか、答弁を求めます。

△経済観光文化局長 文化芸術の施策を進めるにあたっては、基本法2条の基本理念に基づき、自主性や創造性が十分に尊重されなければならないと考えております。

 ここで一般的な「表現の自由」ではなく行政が支援を行う際のルールについて、文化芸術基本法に定められた通り、その作品内容に介入しないということを認めるのかを山口市議が聞いています。市側はそのルールを認める、自主性を尊重すると言ってるんですね。

 じゃあ、「福岡市文化振興事業」という、市民の文化活動に「市が名義後援を与える」という支援を行う場合にもそのルールを適用するんですね? と山口市議が聞きます。

山口湧人  原則は尊重する立場を示されました。それでは、文化振興事業に関する名義後援において、その事業内容については主催者の自主性を尊重して政治的中立を求めないということか、答弁を求めます。

△経済観光文化局長 文化芸術関係の名義後援の承諾については、行政としての基本的な立場を踏まえ、公平性や中立的な観点から「福岡市文化振興事業に関する後援要項」において「特定の政党の利害に関与するもの」「政治的な立場等に立った特定の主義主張に立脚し、かつ行政の中立性を損なうもの」に対しては後援を行わないこととしています。

  いきなり“政治的に偏ったものには介入する”という、めちゃくちゃな答弁がやってきました。直前の自分の答弁をひっくり返すわけです。いくらなんでもあからさますぎます。「ご飯論法」のようなごまかしの仕掛けすらない、ただのダメ答弁です。

山口湧人  基本法の立場に立つという先ほどの答弁と矛盾していると思いますが、答弁を求めます。

△経済観光文化局長 特定の主義主張に立脚している催事を後援することで、本市がその主張を支援しているとの認識を与え、行政の中立性が保てなくなる恐れがある場合などは不承諾とすることがあると考えております。仮に名義後援を不承諾とした場合でも事業の開催やその中の表現を否定するものではなく表現の自由の侵害には当たらないものと考えております。

山口湧人  それは事業内容に対する明らかな介入であります。基本法の立場に立つと言われながら、名義後援を出す場合は市のルールでやる、と。「政治上その他の主義主張の普及を主たる目的とした事業」であれば後援しないと言われるのですが、それは事業内容に対する明らかな介入であり、文化芸術基本法に違反していると思いますが、御所見を伺います。

△経済観光文化局長 文化芸術関係の名義後援の承諾の審査については各種団体等が行う文化事業に対して「福岡市文化振興事業に関する後援要項」に基づき後援することが妥当かどうかを審査することにしており、個々の内容について市が意見を述べるものではございません。

山口湧人  政治的なものであることを理由に不承諾にすることがある、と。そういうルール自体がおかしいと言わねばなりません。ピカソの「ゲルニカ」は、スペイン内戦の人民戦線の側に立ち、ファシズム側の空爆を告発したもので、極めて政治的な意図をもって描かれた絵画です。もし「政治的だ」として「ゲルニカ」を否定したら文化芸術の振興なんてありえません。現代美術の多くが政治的テーマを扱っています。名義後援を出す以上、「表現の自由」は一定の制約を受けるという考え方は法の趣旨に反していると言わねばなりません。

 ここで、赤字で強調した部分を見てほしいのですが、市は市長の考えと全く同じで、“表現はどこかで勝手にやればいい。支援がほしければ行政に従え”という理屈を公然と述べていることがわかります。

 しかし、そんなことをやれば、市立の美術館に絵すら飾れません。

 もし、ピカソが「ゲルニカ」を福岡市の「文化振興事業」に持ち込んだら、福岡市はそれを「政治的に偏っている」と言ってはねつけてしまうことになります。こういうやり方がいかに芸術支援を貧しいものにしてしまうか、はっきりとわかります。

 文化芸術基本法、その前身の文化芸術振興基本法が制定されるときに、国会では次のようなやりとりがされています。共産党の石井郁子衆院議員が補助金などの振興策を行う際に表現によって差別が起きないように、「行政の不介入」という原則を書き込んでほしいという質問を行い、提案者(中野寛成)が“おっしゃる通りでその趣旨は入れてあります”という趣旨の答弁をしているのです(2001年11月21日衆院文教科学委員会)。

○石井 私は、当法案でも、行政の不介入の原則をやはり条文として立てる、明瞭にすべきだというふうに考えてきたところでございます。重ねてで恐縮ですけれども、伺います。
〔…中略…〕
△中野 我々としては、芸術振興についての、文化振興についての積極的な姿勢をこの法律にいかに強く表現するかという気持ちでつくったことを申し上げましたが、そういう意味でも、前文、それから第一条の「目的」、第二条の「基本理念」等に、この芸術活動を行う者、文化活動を行う者の自主性を尊重する、また創造性を尊重するということを書くことによって、行政の不介入をむしろ明記した、その意味も含まれている、こういうふうに私どもは考えております。

 福岡市がこの立法趣旨を全然踏まえていないことがわかると思います。

 

文化芸術基本法の定める「文化芸術活動」だが基本法は守らなくていい!?

 山口市議はさらに別の角度から聞いていきます。

山口湧人  本市は、2015年に「平和のための戦争展」の名義後援を突如取消、翌年から3年間名義後援をしない措置をとりました。そこでお尋ねしますが、この「平和のための戦争展」は、文化芸術基本法における「文化活動」にあたると思いますが、ご所見を伺います。

△総務企画局長 名義後援の審査にあたっては催事の趣旨や全体としての内容が総務企画局が所管する業務や行政目的に合致していることを前提として、その内容に特定の主義主張に立脚するものや特定の宗教を支持するもの等が含まれていないか、営利目的でないかなどを審査し福岡市の名義後援の使用が妥当かどうかを総合的な観点から判断しているものであり、基本法における文化芸術活動であるか否かを判断しているものではございません

 

 文化芸術基本法の定める「文化芸術活動」にあたるのであれば、当然同法が適用され、

我が国の文化芸術の振興を図るためには、文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ、文化芸術を国民の身近なものとし、それを尊重し大切にするよう包括的に施策を推進していくことが不可欠である。(前文)

文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない。(第2条1)

が遵守されなければなりません。ところが、「平和のための戦争展」は「文化芸術活動」かどうかを判断していないと言い出したのです。そこにはマンガもあり、写真もありました。常識的に考えて「文化」活動の一環であり、実際、文化芸術基本法は「文化」や「芸術」の枠組みを狭めないために、狭い定義をしていないのです。

 私も質疑を傍聴していましたが、この答弁には議場が騒然となりました。

 マンガや写真は「文化」ではないのか?——そんなふざけた答弁が許されるはずもなく、山口市議がさらにツッコみます。

山口湧人  文化芸術活動にあたるかどうかは明確に判断されてないということですか。文化活動ではないということですか。明確に答弁してください。

△総務企画局長 文化芸術基本法においては文化芸術活動は「文化芸術に関する活動」と規定されていることから、戦争展は文化芸術活動に含まれるのではないかと考えておりますが、市の名義後援の審査にあたっては特定の主義主張に立脚するものや特定の宗教を支持するものが含まれていないか等を審査し、福岡市の名義後援の使用が妥当かどうかを総合的な観点から判断しているものであり、基本法における文化芸術活動であるか否かを判断しているものではございません。

  あわてて、市は「文化芸術活動」だと認めました。

 実は私たちは「文化芸術活動ではなくただの政治活動だ」とか、「文化芸術活動ではなく市の政策目的を実現するための事業だ」とか言うんじゃないかと思ってたんですね。しかし、認めてしまった。「文化芸術活動」だと認めてしまったら、当然文化芸術基本法の原則に沿って、自主性を尊重するのが地方公共団体の責務となります。表現に介入して自主性を侵してはいけません。

山口湧人  文化活動に含まれると考えるとしながらも、市が名義後援を行う場合は、特定の主義主張に立脚していないかどうかを審査すると。文化芸術基本法では市が名義後援を行って支援しますよというときでも、事業の内容には介入してはならない、ということなんですよ。その基本法の趣旨と局長の今の答弁は矛盾していると思いますが御所見を伺います。

△総務企画局長 名義後援の審査にあたっては催事の趣旨や全体としての内容が総務企画局が所管する業務や行政目的に合致していることを前提として、その内容に特定の主義主張に立脚するものや特定の宗教を支持するもの等が含まれていないか、営利目的でないかなどを審査し福岡市の名義後援の使用が妥当かどうかを総合的な観点から判断しているものであり、展示物の内容が基本法における文化芸術活動であるか否かを判断しているものではございません。

  基本法の定める「文化芸術活動」だけど、市のルールに従ってもらう、つまり基本法は守らなくていいということです。完全に支離滅裂な答弁になりました。もはや市は基本法を踏まえていません。

 

9条俳句訴訟判決で断罪された理屈を平然と答える福岡市

 山口市議はさらに別の角度から追及します。

 これは福岡市が主張する“特定の主義主張に立脚するものを後援すると、その立場を福岡市が支持していると思われるので、行政の中立性を守るためにも後援しないのだ”という理屈のおかしさを暴くためのものです。

山口湧人  さいたま市で「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句が優秀句に選ばれたのに、さいたま市が公民館だよりに掲載しなかった事件で、作者が精神的苦痛を受けたと慰謝料を請求した裁判において、「不掲載は違法」とした最高裁判決が確定しています。その判決によると、俳句の趣旨が「市の主張と誤解される」というのであれば、俳句を掲載した上でそれは「市の立場ではない」旨をはっきり主張すれば良いわけで、「政治的だから」と排除するのは、行政への信頼を失う問題があると指摘しています。つまり、さいたま市の行為が、厳しく断罪されたわけです。したがって、議論の分かれる問題において、一方の主張の名義後援を拒否することは、行政がもう一方の主張を持ち上げる、結果的にもう一方の主張を肯定していることになると思いますが、答弁を求めます。

 

 ここで2つの論点を山口市議が述べています。

 一つは、“政治的に偏った表現を含んだものを市が後援するとそれが市の主張だと誤解される”という言い分についてです。判決(最高裁判決が支持した高裁判決*2)では

本件句会の名称及び作者名が明示されることになっていることからすれば、本件たよりの読者としては、本件俳句の著作者の思想、信条として本件俳句の意味内容を理解するのであって、三橋公民館の立場として、本件俳句の意味内容について賛意を表明したものではないことは,その体裁上明らかであるから、本件俳句を本件たよりに掲載することが、直ちに三橋公民館の中立性、公平性及び公正性を害するということはできない。

としています。要するに必要なら「市の主張ではない」と明記すれば済むことであって、市の主張とズレているものがあるからといって、中立性は侵さないよと言っているのです。技術的に簡単に解決されることなのです。

 もう一つは、“国論が分かれている問題の一方の主張がある場合は、偏ってしまうので支援しない”という市の論法を批判しています。

 これは、元になった地裁の判決*3に次のようにあります。

本件俳句を本件たよりに掲載しないことにより、三橋公民館が、憲法9条は、集団的自衛権の行使を許容するものと解釈すべき立場に与しているとして…行政に対する信頼を失うことになるという問題を生じるが…この点について何ら検討していないものと認められる。

 逆の偏り、つまり他方を支持しているように見えるという問題が生じることを検討していませんね? という批判です。「原発反対って書いてあるから後援しない」と市が後援を拒否することで「ああ、福岡市は原発賛成なんだな」と思われてしまうということです。

 こういう裁判が行われているのに、市は全然それを研究した痕跡が見られません。

 上記の山口市議の質問への答弁はこうです。

△総務企画局長 名義後援においては催事の一部に特定の主義主張に立脚した内容が含まれるなど、行政の中立性を損なう申請がなされた場合に承諾基準を満たさないものと判断しており、判断は当然に個別審査ごとに行なっております。したがって申請がなされていない考え方を肯定するものではございません

山口湧人  今の答弁は、最高裁判決で断罪された、さいたま市と同じ主張です。法律と同じ強い力をもつ最高裁判決と真っ向から対立しています。

 まさに裁判で断罪されたロジックをそのまま使っているのです。

 山口市議はまとめに入ります。

山口湧人  憲法改悪、安保法制、原発、消費税——国論を二分するような政治問題について、行政の中立性を保てないという論理をもちだして、一方の主義主張を認めないというのは、市長が安倍政治にべったりで、ずっと歩調を合わせてきた結果に他なりません。高島市長の政治信条に沿うものには名義後援を行って、そうでないものは、検閲までして名義後援を拒否する。そのような異常な姿勢は改めるべきです。したがって、市長は、恣意的に名義後援を拒否したり、公共施設の使用を制限したり、文化芸術の内容に介入したりせずに、民主主義の土台である「表現の自由」の場を保障するためにも、「名義後援」の承諾に関する取扱要領について、行政の中立性を求める規定は削除すべきと思いますが、最後に市長の答弁を求めて、私の質問を終わります。

△市長 市民の表現活動については憲法の保障する表現の自由のもと公序良俗に反する場合などを除き自由に行うことができるものでございます。一方市民活動に対する市の名義後援については行政の中立性を確保する必要があり、所管局において適切な対応がなされているものと考えております。

 市長はこれだけ論戦してきたのに、文化芸術基本法の趣旨、一般的な「表現の自由」の話じゃなくて、行政が支援する際の「芸術の自由」を保障するということを全く踏まえない、従来通りの答弁をしてしまっています。

 つまり、全く研究もしていないし、答弁にならない答弁を積み重ねてしまっているのです。

 

*1:2016年9月12日の高島市長の答弁「市民の表現活動につきましては、憲法の保障する表現の自由のもと、公序良俗に反する場合などを除いて自由に行うことができるものでありまして、これは福岡市の後援の有無によって制限を受けるものでもありません。一方で、市民の活動に福岡市が後援を行う場合は、これは行政の中立性を確保する必要がございます」。2015年9月11日の市長答弁「表現の自由は、当然認められるものと思いますので、いろいろな催事を行えばいいと思います。ただ、福岡市の後援を要るというのであれば、それは当然、ルールがあります」

*2:2018年5月18日東京高裁判決。

*3:2017年10月13日さいたま地裁

「候補者宣伝について」

 引き続きビラづくりについて書きます。

 今回は「候補者宣伝について」です。

 なんでカギカッコがついているのかといえば、これについてはすでに共産党には、不破哲三書記局長(当時)が1978年の会議で行なった報告があり、それが「候補者宣伝について」というタイトルで『政策活動入門』という不破氏の本の中に収められているからです。この本は2014年に新版が出されましたが、その際にも収録されているので、いわば共産党の一つの候補者宣伝論の到達点と言えます。

 

政策活動入門

政策活動入門

  • 作者:不破 哲三
  • 発売日: 2014/12/04
  • メディア: 単行本
 

 

 今回は、私なりにそれを読んでポイントだと思っていることを抜き書きで紹介して、思うことを付け加えていきます。

 

(一)候補者宣伝はなぜ大切か

 ここは、今日ではあまり争われないところでしょう。

 「あのベテラン議員はみんなもよく知っているから大丈夫」ということで、「候補者の宣伝はしなくてよい」と思うような油断はあまりないからです。

 しかし、よく聞いてみると、その「候補者宣伝」というのは単に「名前を書いたビラをたくさん出すこと」程度だと思っている人がいます。

 不破氏は次の(二)で“それは候補者宣伝じゃないんですよ”とやんわりと注意しています。さっそく(二)をみてみましょう。

 

(二)候補者宣伝の五つの要素

 不破氏はここで、

  1. 政治家としての資質・特徴
  2. 経歴
  3. 実績
  4. 人柄
  5. 政策

をあげています。

 私の知っている共産党員で、「共産党の候補者というのはいわば党から派遣された部隊なんだから、共産党としての政策の優位性が売り物のはずだ。そして個人プレーでなくて、組織が全面的に支えて活動するんだから、人ごとに違ったらおかしい。人柄とかそんなものを売り出すのは邪道だ」と言っている人がいます。そんなに年配の人じゃありません。

 まあここまで極端な人は少ないかもしれませんが、ベテランの地方議員などは、3.実績と5.政策さえあればよくて、今さら1.や2.や4.など面映ゆいし、そんなもんいらんわ、という人はけっこういます。

 また、新人は新人で、「何の特徴もないから、政策くらいしか打ち出せない」という状態で宣伝をしている人は少なくありません。

 これらのベテラン・新人に共通するのは、「政治家としての特徴とか人柄とか経歴とかはあんまり重要じゃない」という考えであって、実は先ほどの「候補者宣伝邪道」論のような考えが根底にあるんですね。

 

 不破氏は、比例代表以外の選挙は国政でも地方でも、「最終的には候補者個人=人に投票するしくみ」だという点を指摘しています。

 共産党の戦略は「比例が軸」、つまり政党というブランドへの固定ファンを増やすことを最重要視しています。

 特定の人のファンになって、その人以外では共産党の候補には投票しないとか、その人が死んだり引退したりしたら、もうファンをやめてしまう、というのでは端的に困るからです。もっといえば、綱領の理念をちゃんと知ってもらい、それを支持してもらうというのが、革命を前進させる上では目指すべきあり方なのであって、「共産党のいっとることは何やようわからんけど、〇〇議員は好きやで」というのは入り口としてはいいけど、そこにとどまってしまうは本当はよろしくない、という思いがあります。

 しかし、そうはいっても有権者は政党の政策や実績だけを見て投票するというロボットではありません。その政策や実績を誰が訴えているのか、で説得力が全然変わってくるのは当たり前のことです。同じ内容でも、志位和夫さんが言っているのか、のび太が言っているのかでは全然違うでしょ? え、同じ…? いや、見た目とかの話じゃなくて。そう、説得力。

 

 「人」という個別のもの、すなわち具体的な存在の中に、「共産党」という普遍が現れている、という宣伝になれば一番いいわけですが、無理につなげようとすると、頭でこしらえることになります。共産党的であるかどうかをとりあえず放念しておいて、政治家としての特徴・人柄・経歴を一体的に考えて、その候補者の「人となり」のどこを押し出すか考えてみましょう。

 不破氏の指摘していることで、重要と思えるものを抜き書きしてみましょう。

ズバリこれが特徴だといえるところまで練ってみないと、本当の候補者宣伝にはなりません。これがはっきりしないと、あとで経歴や実績を整理するときも、ただの事実の羅列になってしまって、本当に役にたつ組みたてができないことになります。…候補者宣伝のキャッチフレーズを考えるときも、宙に浮いたうたい文句ではダメです。

抽象的な言葉ではなく具体的な事実で

…どの事実を、どのように表現すれば、その予定候補の人柄をもっとも効果的にあらわすことができるか、よく研究することが必要です。そのさい、口コミにのるようなエピソード、うわさになるような事実のほりおこしや、表現の仕方を工夫することが必要です。 

 これなんですけどね。

 本人・選対・支持者など、つまり宣伝する側の陣営は、つい抽象的で、しかも広くアピるような、しかしすぐ忘れられてしまうような聞こえの良すぎる打ち出しをしがちです。

 自分が訴えられる側になってみるとわかると思うんですが、何かの企業や商品の広告で、そういう文句が並んでいる会社のチラシなんか、全然信用できないでしょ? あるいは「信用できない」とまでは言わないけど、印象に残らないでしょ?

 住宅会社で「住まいの安心をつくる会社です」とか書いてあっても、「ふーん」で終わりです。

 例えば「地元発注率3年連続ナンバーワン(なんとか協会調べ)」とか書いてあれば、すぐに信用されないにしても、印象には残ります。特に注文先に迷っている人にはとても具体的で、判断材料になるでしょう。

 だいたい起きるジレンマというのは、具体的にすると「狭くなる」と思って、ついつい抽象的で広いターゲットに向けた言葉を選びがちになるということです。広告の古典的セオリーではありますが、「オールターゲットはノンターゲット」と言われるように、誰にでも響くようにと思って使う言葉は、実は誰にも届かないような弱い・抽象的な言葉になりがちです。「子たち・お年寄り・働く人たち・女性のために頑張ってます!」っていう類のスローガンを入れがちなんですが、おそらく誰にも伝わりません。これじゃあ伝わらないよなあと思いつつ、クライアントの指示だから作りますねどね(笑)。

 

 新人では「材料がない」と思われがちですが、例えば「4人の子のパパ」というだけでもこれは、忘れがたい特徴です。育休とったり、家事・育児の大半をやっていたら、統計的には希少な存在と言えます。それを自慢げに書いたらジェンダー的には反発を食らうでしょうけど、4人の子どもを育てて、実感していることを訴えたり、政策にしたら、説得力はあります。家事育児の写真とかあればますますそうです。

 「子育て層だけでは偏る」という組織内の声があるかもしれません。

 しかし、じゃあ、お年寄り向けの打ち出しも、とか、障害者向けの打ち出しも、とか、そんなことやっていったら印象が薄まってしまいます。実体もないわけですし。

 さっき不破氏が言ってたことを思い出してください。

ズバリこれが特徴だといえるところまで練ってみないと、本当の候補者宣伝にはなりません。

 まずは訪問先で「あー、4人のお子さんがいるんでしょ?」と話題にしてもらえればそれで御の字なんです。こんなに情報が溢れているご時世に、そんなふうに覚えてもらうだけでも大変な苦労です。

 組織内は支持が固いんです。投票してくれます。そこの声に過剰に応える必要はありません。勝負はその外の有権者です。広い有権者の中で候補者の本質にふさわしい具体的なターゲットを定めて、そこに向けて宣伝をすべきなのです。

 「4人の子のパパ」候補者であれば、高齢者とか障害者とかへの宣伝は、政策や作戦でやればいいのであって、ありもしない「人柄」「政治家の特徴」をそこへ向けて押し出すことはできません。

 

 ベテラン議員などの場合は、「実績の羅列」になりがちです。

 いろんな議員の実績をいう場合、政治家としての特徴と結びつける工夫が必要です。

 たくさんの実績をあげたというのも一つの特徴ですが、実績を羅列しても、なかなか覚えてくれません。パンフレットを読んで、ある政治家について、なるほどわかったといえる、だからこうなんだというところまで、実績の押しだし方についても工夫する必要があります。

 例えば、「教室に冷房を設置させた」という実績があります。

 これだけだと印象に残りません。だいたい他党、特に与党は「ウチが市長にやらせた」と言うでしょう。

 そこで、物語としてこれを展開し、その中で議員としての特徴を押し出すのが一つのパターンです。

 例えば、粘り強く質問をした、というような場合です。本会議・委員会合わせて36回質問して実現した、というのであれば、「合計36回 しつこく質問」みたいな。とにかく市側が最初ハネつけてもあきらめない、粘り強い、というのは一つの特徴です。

 あるいは、3万筆の署名の紹介議員になって、10回交渉をした、というようなケース。「住民と一緒に動かす」という特徴として押し出せます。

 また、追及が鋭い、という場合もあるでしょう。教室の温度調査をやって、執行部が答弁不能になるところまで追い込んだ、とか、他の市を調査して実態を突きつけたとか、そういう論戦能力の高さです。

 教員出身だった、ということと、絡められる場合もあります。教室の冷暖房実現が教師時代の最後に教え子から託された約束だった、と、そういう候補者宣伝をしたこともあります。

 不破氏は、

人柄や経歴、実績を宣伝するのも、この政治家が国政、あるいは地方政治の場でこういう値うちをもった人なんだ、だからこんど選ばれても、こういうことをやれるんだということをわかってもらうために出すのですから、政治家としての特徴をうちだすのが候補者宣伝の眼目です。

と言ってます。逆に言えば、候補者宣伝をする際に、福祉だ教育だ商工業だ、あれもこれもと分野を網羅する必要はないのです。たとえ教室の冷暖房のケースだけであっても、政治家としての特徴が浮かび上がればいいのですから。一つの実例を通じて、その候補者の政治家としての特徴を知ってもらうのがその意味です。

規格版ではダメ

…候補者のパンフレットやリーフレットに必要なのは、一律にはいえませんが、党の政策をただ一般的に書くのではなく、その地域に結びつく政策、その人に結びつく政策——そのことによって、その選挙区で候補者や共産党が浮きでる政策宣伝で、これは候補者宣伝としても大いに値うちがあると思います。

 これも不破氏の言う通りで、網羅的に政策が羅列してある場合が少なくありません。

 新人の場合、「新しい議会に私を送っていただき、ぜひこの3つをやらせてください!」くらいに絞り込んで、それをいつも訴える、みたいな方が、リアリティがあります。全ての分野を網羅して10も20もあったのでは印象に残らない上に、「新人がそんなにできんの?」と思われてしまうでしょう。

 若い候補者なら、「市独自の返さなくていい奨学金をつくります」というのは、自分の奨学金=借金を背負った経験などと結びついて語ってもいいでしょう。

 「毎議会必ずビラをつくり、報告会をします」「田中花子チャンネルで報告します」という公約もあり得ます。町村議会だとロクに住民に報告もしない議員ばかり、議会で何をしているのかさっぱりわからない、というところもあり、そこに共産党議員が入って全部暴露する、それだけでも実に生々しい公約になる場合があるわけです。

 

(三)仕事をすすめるうえで

 ここには、集団討議しなさい、候補者によく意見を聞きなさい、ということとともに「取材・材料あつめ」という項目があります。

 

 たとえば、実績についても、それで救われた人の側から取材できれば、ずっと生き生きしたものになります。

 「自分で自分をもちあげる」のはむずかしいもので、主観的な評価は押しつけになることもあります。しかし、他の人の言葉や一般紙誌などの報道、評論を使えば、客観的にあらわせます。

 

 地方議会だと一般新聞や雑誌の報道での紹介はなかなか難しいかもしれないのですが、少なくとも一緒に運動を進めた人の証言や救われた人の証言は取れます。顔写真と名前が出れば最高です。ここは忘れがちなんですが、ぜひくふうしてほしいところです。

 

 最後に、候補者の写真について。

 これは不破氏の本には載っていないのですが、ビラやリーフレットの文章は読まないけど、写真を見てなんとなく親近感を抱く人もいるのです。

 ポスターに使ういわゆる「御真影」だけじゃなくて、動きのある写真を撮ってもらえるデザイン会社・カメラマンを頼んで撮影してもらいましょう。服のバージョンを変えたり、撮影場所を屋外にしたりするのがいいと思います。

 前日に美容院とかに行って、普段と全然違う髪型になって撮影日にやってくる候補者が時々いますが、厳禁です。 

学習会などの告知ビラを作ってみよう

 ビラづくりについて書いているシリーズです。

 次も簡単なビラ——学習会やイベントをお知らせするビラです。

 これは一番簡単でしょう。

 結論を先に行っておけば、

  1. 会の種類(学習会・講演会・シンポジウム・茶話会・集いなど)
  2. タイトル
  3. アイキャッチ
  4. 日時

大きく書けばいいんです。要するに、何を強調するかということだけが問題です。そしてこの4要素の中で特に2.と3.だけが圧倒的に大事です。ダメな学習会告知ビラは、いろんな要素がいっぱい並んでしまって、パッと目に入ってこないのです。

 例えばこうです。

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 あー、なんかこれでもいいような気もするけど…。まあ気を取り直して。

 まずタイトルがあまりよくありません。「ジェンダー問題を考える」というのはあまりにも漠然としすぎていないでしょうか。

 簡単に直すには、疑問形のタイトルにするといいでしょう。ラノベっぽく。あるいは新書っぽく。例えば

「女らしさ」「男らしさ」って必要なの?

 これで、「身近なジェンダーを考える」というサブタイトルをつければさっきよりは少なくとも引っかかりはあるんじゃないでしょうか。*1

 

 その上で、アイキャッチを大きくします。原案に配置されている絵はイラストとして洗練されていると思うんですが、洗練されすぎているといううらみもあります。同じイラストレーター(しろまるんさん)でもう少し引っ掛かりがある感じにしてみます。

 だいたい、ニコニコしている、人畜無害なイラストは引っ掛かりがないですよね。それよりは悩んでいるとか、困っているみたいなものの方が目に止まります。笑っているようなイラストでも、すごく笑顔が素敵だとか、ドキッとするとか、そういうのは目に止まります。

 

 日時がわかれば、場所はあまり大きくなくても構いません。小さすぎると本当にどこにいけばいいのかわからなくなるので、ある程度は大きさが必要ですが。なぜなら、ビラをもらった人は、まずビラが目に止まること(アイキャッチ)、そして、「面白そうだから行ってみようかな」と思うこと(タイトル)、それで大体決まり、そのあと、自分の都合が空いているかどうかをみます(日時)。

 本当に興味があれば場所は勝手に探します。まさか福岡市の人に、北海道でやる学習会を案内しているはずはないでしょうから。

 そして、テーマが疑問形で書かれていたりすると、何かの社会問題についての意見を訴えているビラのように見えて、学習会の告知ビラとは思ってもらえないので、「学習会」などと明示する必要があります。

 それから、「解説」にあたる部分ですが、これはテーマがあまりなじみのないような問題だったら、関心や興味をそそられる程度に書いておく必要があります。例えば「ヤングケアラー問題を考える」とか言っても、知らない人には何のことであるかすら想像もつかないでしょう。ただしあくまで「関心や興味をそそられる程度」の範囲であって、詳しい解説をする必要はありません。それは学習会にきて知ってもらえばいいわけで、学習会を告知するというビラの目的に反します。たまに「学習会を告知しつつ問題を知らせたい」という場合がありますが、そういう時は、ウラ面に最小限を書くようお勧めします。

 多少ともなじみがある問題であれば、基本的にこうした解説を書くことは必要ありません。演説会の告知などは、旬のワードだけでいいと思います。「コロナ対策、消費税、憲法社会保障、野党連合政権……どうしたら政治が変えられるか、ごいっしょに考えてみませんか」くらいで。

 さて、そのようにして作ったビラはこうなります。

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 写真をアイキャッチにするとこうなります。

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 写真の方が、引っ掛かりがあるような気がしますね、この場合。

 ところで、さっきから私はイラストや写真をいろいろ使っていますが、ネットでフリー素材を提供しているサイトがあるので、利用してください。「写真AC」「イラストAC」を私はよく使っています。

 

 講師などがビッグな場合は、タイトルよりもそれを大きくするといいでしょう。それはもう、トップででっかく書いてください。有名人が来るのに、それを小さくしたらダメです。

 

 こういうことは商業用のチラシデザインの本などですでに言われていることなので、別に私がドヤ顔で言う話ではないし、プロが見たら上のビラだってかなり改善の余地があるはずです。しかし、ビラづくりに慣れていない人は、とにかく要素を多くしてしまい、思い切った省略・強調ができない、という問題があります。上記のことで言えば、「アイキャッチとタイトルにビラの半分を使う」「他はできるだけ削る・小さく書く」という選択と集中が思い切れないのです。それをするだけでずいぶん変わると思います。

*1:これは余談ですが、私はタイトルを見たとき、「自分の中ですでに答えが出ている講演会・学習会にはあまりいきたくない」というのが正直なところです。行けば全然違う学び・気づきが得られたとしても、です。事前にそのタイトルを見ていきたくなるかどうかはそれとは別の話になります。例えば上記の「『女らしさ』『男らしさ』って必要なの?」には正直あまり行きたくありません。同じジェンダー問題でも「ポルノは本当にいけないものなのか?」みたいなテーマだと俄然行ってみたくなります。以上余談おわり。

A4の地域ビラを作ってみよう

 ビラづくりについて書いています。

 ではさっそく、ビラづくりの実践講座をちょっとやってみます。

 A4片面のビラ、それも地域限定で撒くビラを作ってみましょう。本当はアドビのソフト「イラストレータ」を持っているといいんですけど、別に「パーソナル編集長」とか「ワード」とか手描きでも応用できます。なんならワープロの切り貼りでもいいんですよ。

 A4片面で、地域に実績を宣伝するビラを作ってみようじゃないですか。

 一番簡単な形式は、横にして、見出しを太く立てて、下に本文を書くやり方です。

 これは要素が少ないので、誰でもできます。大学時代に、最初にビラを書かされた時、この形式(当時はB4でしたが)でやらされました。

 

重要なのは大見出し

 まず重要なのは大見出しです。ほとんどこれで決まります

 なぜならA4片面のビラは小さいので、目的は大体1つくらいしかないのです。だから目的・伝えたいことがきちんと定まっているかどうかが大見出しでわかります。

 何でもいいんですが、住民の要求に応えて山田太郎(架空の議員)市議会議員が行政と交渉して側溝が改善されたとしましょう。

 その実績を当該地域に宣伝するビラを作るとします。

 伝えたいことはズバリなんなのか。それをまずはっきりさせてください。それも短いワンセンテンスで言えるくらいのものです。そうしないと見出し、つまりビラが定まりません。

 このビラは何を知らせたいのかといえば「山田太郎市議会議員が行政と交渉して側溝が改善しました」ということです。このまま素直にビラにするとこうなります。

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 まあ、これでも出せないことはありません。

 しかしあんまりです。

 直してみましょう。

 まず一番知らせたいことは「側溝が改善した」ということです。

 これを大きな見出しにします。

 その際に、これは趣味の問題かもしれませんが、「側溝が改善しました」という言い方は少し硬いと思います。役人言葉です。なぜか議員さんの中にもそういう言葉を使いたがる人がいます。「保育園に入れない子どもをなくす」と言わず、「待機児童を解消する」と言っちゃったります。近所のおっちゃん・おばちゃんがいうとしたら「ミゾが直った」ではないでしょうか。だから、あえて、それをメインの見出しにします。

 次に、どこのミゾかがわからないといけません。というか、「近所のあそこのミゾ」ということが具体的にわかれば、ぐっと親近感が湧きます。すっごく身近な問題だと思ってもらえます。そこで「2丁目」とか入れます。しかし、2丁目といっても広うござんす。「2丁目の床屋の横」とすると、ベストです。

 ここで落とし穴なんですが、「2丁目」というのはどこでも2丁目があります。「本町2丁目」なのか「北山2丁目」なのか。だから「北山2丁目 床屋の横」と具体的にします。それで一気に身近になるはずです。

 さらにいえば、ビラを手に取った瞬間は、床屋の横であるかどうかはどうでもいいことなんです。このビラが、全国どこでも通用するようなビラとして撒かれているのではなく、今この北山2丁目の話だと即座に理解してもらい「えっ、どこどこ?」と感じてもらう必要があります。例えば「団地はこのままでいいのでしょうか」と書いた場合、団地一般の話か…と思われる可能性がありますが、「北山2丁目団地はこのままでいいのでしょうか」だと「何? なんかあったの?」と思ってもらえます。

 だから「北山2丁目」は大きくして、まず何よりもこの街の話だとわかってもらうのです。その2丁目のどこなのかは、興味を持ってもらった人が探してくれればいいので、「床屋の横」は相対的に小さく入れます。

 そして、新聞の見出しがここでは参考になりますが、見出しは文章化されてなくても良くて、切りはりして、視覚的にわかるようにしておけばいいのです。

 この「切り貼り思考」はすっごく大事です。ついつい長い見出しにしたがる人がいますが、ダメです。文章になっていなくても「切り貼り」するとわかるんです。

 新聞の見出しをよく見て研究しましょう。または、ネットニュースのヘッドラインがいい練習問題です。Yahoo!ニュースのヘッドラインなんかこうですよ?

  • GoTo商店街「予想以上の人」
  • 「複雑」な携帯料金に改革案
  • 10万円 麻生氏が効果疑問視
  • インク容器巡りキヤノン提訴へ

 ね? 文章でもないのに、短く要領よく伝えてるでしょ? 思わずクリックしてしまいます。これに学ぶべきです。


 「ミゾが直りました」で助詞は小さくして「ミゾ直りました」と読んでもいいようにさらに短くしてその分、インパクトをつけます。投函されたビラの場合、他のビラに埋もれますから、出来るだけインパクトがあったほうがいいですね。

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議員の努力が伝わるように

 しかし、これではミゾが直ったことが自然現象です。

 そうではなくて、共産党の山田議員が住民の声に応えて市役所と交渉とした結果なのです。

 「見出ししか見ない住民がいる」という想定に立つべきです。だって、私のように、ネットでも見出しやヘッドラインしか見ずに、SNSでトンチンカンなコメントするバ…あわてんぼうさんがいるでしょう?

 そこで議員の写真をつけて、議員の行為と結果を簡潔につけます。

 その際、「山田太郎」が目立つように強弱をつけます。

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 これで、もうビラとしては出せます

 あとはプラスアルファです。

 

見出しをギリギリまで欲張ろう

 一つは、見出しがまだいける、ということ。つまり、本文を読まずとも読んでもらえる情報がもう1行くらいは入れられます。2行くらいまでは人間大丈夫なんですよね。3行になると煩雑になります。だから多すぎてはダメです。3行にしてもいいけど、1行は白抜きにするとか、字体やポイントを変えるとか、何か変化をつけるべきです。ギリギリまで欲張って、情報を少しでも多く伝えましょう。

 市との交渉の苦労譚でもいいし、困っていた住民の声でもいいでしょう。

 そして、本文には、できれば写真*1、そして地図などを入れます。

 さらに、これからの政治的公約と、相談のための連絡先が入ればもう完璧です。

 文字は少なくして大きくしたほうがいいので、12ポイントを標準としつつ、できれば13〜15ポイントにして、中見出しをつけます。本文はあくまで読まれない前提で進めます。

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 本文の書き方ですが、あまり難しく考える必要はありません。だいたい読まれませんし(笑)。新聞記事の基本と同じで5W1Hが書ければそれでいいでしょう。ただし、不正確なことは書いたらダメです。命取りです。下手すると謝罪、最悪議員辞職です。

 5W1Hだけでは面白くない、本文にプラスアルファとして何か付加価値が欲しい——そういうことなら、住民に伝えたい要素を2つくらい考えます。

 ここでは、「町内会から切実な要望が上がっていた」ということでまずそれを具体的に書いて共感を広げます。次に議員自身が交渉にあたってどんな工夫や努力をしたかを書きます。「数パターンで提案をした」ということを書いています。

 

投函することを考えよう

 さて、以上は横長のビラの場合です。

 実際には、例えば住宅や団地・マンションにビラを投函します。

 その際に、ビラをそのまま投函するケースは少ないでしょう。たいていは1回くらい折ります。そうすると、郵便受けから取り出した時に、見出しがサッと目に入りません。

 そこで縦長のビラにして折った時に、見出しと名前・写真が出てくるようにするというビラもあり得ます。見出しが3行になってしまいますが、少し区分を入れたりトーンを変えたりしてなんとか見にくくないようにします。

 実は私は折った時のことまで考えなくてもいいと思うんですが、そういう工夫をすると現場の活動家はすごく喜んでくれることが少なくありません。そんなに喜んでくれるなら、応えたいじゃありませんか。

 そうすると次のようになります。

 細い水色の線の上だけが折れて見えるようになります。

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 A4片面のビラは基本です。

 これができるようになれば色々ビラが作れます。 

*1:写真は日本共産党相模原市議会議員(緑区)の田所健太郎議員のブログから勝手に使わせてもらいました。問題があれば言ってください。

ビラをつくるさいに「政治性」「芸術性」「民主性」が考慮されるべき

 相当に唐突ですが、だんだん紙のビラを撒くということも減りつつある中で、「ビラづくり」について私が思っていることを書きたいと思います。

 ひょっとしたら10年後にはもう紙のビラなんてなくなっているかもしれませんけど、10年ぐらいはあるんじゃないかと思うからです。私はビラ書きを長いことやってきました。そのノウハウをできれば書き残しておきたいと思い、いつまで続くかわかりませんが、ちょくちょくこのブログで書いておきたいと思います。読みたい人だけが読んでください。

 

ビラづくりの三要素

 細かい議論に入る前に、常々私が考えているビラづくりの際に考えるべき3つの要素についてまずは書いておきます。

 ビラづくりで何を優先すべきなんでしょうか。

 私は次の3要素を常々意識しています。

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 それは、

  1. 政治性(鋭さ)
  2. 芸術性(デザイン)
  3. 民主性(決裁・合意)

の3つです。

 

政治性——科学性あるいは政治的な鋭さ、今組織として何を押し出すのか

 「政治性」というのは政治的な鋭さということです。これは共産党の決定がとりあえず「正しい」という前提になります。*1政治的に何を押し出すかということを一番正確にとらえているということです。今だとさしずめ「今度の総選挙で野党連合政権による政権交代を」ということでしょう。それが本当に有権者にウケているかどうか、そういうことは別です。組織としてこれを押し出すべきだと考えたことがビラに忠実に出ているかどうかということです。

 デザインがどんなに悪いビラでも、食い入るように読まれるビラがあります。人々の関心がそこにあるからです。例えば、手書きのクソ汚いビラであっても、「今の職場の課長のパワハラはおかしい」というビラを作ったとしましょう。むちゃくちゃ読まれます。それが政治的な焦点だからです。それがまさに政治的な鋭さです。

 

芸術性——見栄えのよくないビラはゴミ箱直行だ

 「芸術性」というのは要はデザインのことです。政治性が優れていても、めちゃくちゃなデザインならゴミ箱に直行します。また、ある程度デザインができていても、「自分の文化圏と違うな」と思われたら共感を寄せてもらえません。ダサいデザイン、泥臭いデザインを嫌がる層もいれば、妙に小洒落たデザインを嫌がる層もいます。あるいは、単純に例えばイラストが大きく入っていればじっと見入ってしまう人もいます。写真よりもある種のイラストの方がいいという層もいます。例えば、下記の図1と図2がビラに大きく入っていたとして、あなたはどちらのビラを見入ってしまいますか?

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図1

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図2

 私は図2に見入ってしまういます。図1なんか、あまりにも世の中にありふれているでしょう?(写真がないよりはましですが。)結局それは誰をターゲットにするかということです。

 オタク的な感性のある人に向けるなら図2のようなイラストを使った方がいいですし、そうでない人には図1の方がいいでしょう。

 あとで述べますが、例えば最近は手書きのビラの方に見入ってしまいます。1990年代くらいまではきちんとした活字のビラは貴重でしたが、今やPCやワープロの普及で、そんなものは辟易するほどに見ています。しっかりした活字・DTP体裁のビラはむしろ食傷気味なのです。

 ビラのデザインは、ここではあまり論じません。

 結構いろんな本が出ているのでそれを見てもらった方が多分参考になると思います。

 

1枚デザインの構図とレイアウト

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  • 発売日: 2019/07/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

 

民主性——誰に決裁をもらうのか、誰の合意を調達するのか

 「民主性」というのは、要はそのビラが誰の決裁を得るのか、あるいは誰の合意を得るのか、ということです。いくらいいビラでも、例えば候補者が納得しないと日の目を見ません。逆に「えー、こんなビラがいいの?」と制作者の私がいくら思っても、候補者や依頼した団体が「これはいい!」と思っているビラは、本当に真剣に撒きます。そして一生懸命活用します。

 私は、候補者からビラを、フォントからイラストに至るまで一字一句、細かく、しかも何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も修正された、という経験が無数にあります。出来上がったビラは私から見て「は?」というようなものでしたが、候補者や地元の組織はものすごい喜びようで、それを本当に頑張って撒いて、支持拡大でも活用していました。私にはわからない事情があるんだなと思うしかありませんでした。実際そうなんです。私のような地元外の者が、ポッとそこに来てビラを作って、何が分かっているというのでしょう。何も分かっていないのです。私はただ、候補者や地元組織の「手」の代わりになってビラを作ったに過ぎません。「自分(私=神谷)のビラの方が絶対にいい」などという傲慢な思い上がりは許されないのです。

 他方で、候補者にはこだわりがない場合があります。

 そこで地元の組織、撒く人からそっぽを向かれては困るので、その人たちの意見を聞くことがあります。その時に、なんの責任もない人の意見を聞いてそれにとらわれてしまうことは、今度は逆の過ちを犯してしまう場合があり、それは気をつけないといけません。現場の、ある1人か2人かの、こだわりの強すぎるおじいさん・おばあさんの意見を絶対に聞かねばならないという理由はありません。それを取り入れたとしても、いいビラになる保証はないのです。

 あるいは、これはよく一般の企業などにもあることですが、いくら制作現場が「いいビラができた」と思っても、上司などの決裁者が「ダメだな」と思っていればそのビラは通りません。通らなければビラとして完成できないのです。

 決裁者がキーワードにしていることをきちんと踏まえていれば、ビラは決裁を得られます。

 私は自分が起案したビラがなぜいいのかを説明します。そして決裁者に掛け合います。しかし、決裁者が納得しないことがあります。その場合、組織人である以上、決裁者が責任を持つわけですから、ただの制作者である自分が意地を張ってゴネるのはよくありません。責任がないわけですから。だから2〜3回押し問答して決裁者の意見が変えられないようなら、それに従うしかないのです。

 センスの悪い決裁者(上司)というのは存在しますが、そういう人でも従わざるを得ません。そういうクズな決裁者に不満なら、例えば組織内の会議で厳しく批判したり、組織内の選挙で落としたりすべきなのです。でもそれは別のプロセスの話です。

 

3要素の何を優先すべきか

 さて、この3要素をバランスよく配置したビラがベストなわけですが、時々矛盾する場合が出てきます。例えば、デザインはいいけど、政治性がないようなビラがあります。あるいは、候補者は地元のドブ板実績を宣伝したいけど、組織としては政治的な中心点を押し出すべきだと思っているような場合です。

 その中で3要素のどれを優先すべきなのでしょうか。

 私は圧倒的に「政治性」です

 どんなにデザインが優れていても、あるいは現場や候補者がこれでいきたいと思っていても、組織が決定した政治性こそ最優先されるべきなのです。決定が真理の検証であるという立場を貫くなら、まず政治的に何を押し出すべきかが最重視され、それが正しかったかどうかを図るべきでしょう。

 いくらデザインが良くても、あるいは候補者が「これでいきたい」と思っていても、集団で決めた「政治性」に反していたり、それを無視していたりしたら、政治組織としては責任が持てません。「芸術性」「民主性」は「政治性」に従属すべきです。

 

 上司がクソで明らかに政治性・芸術性がダメな場合があるんですが、起案者としては政治性を優先させるべきでしょう。それで否定されたら、従うしかないのですが。

*1:もちろん正しくないことも時にはあります。しかしそれを是正するのは別のプロセスの問題なのです。共産党のビラづくりの現場ではとりあえず「正しい」ものとして進むのです。

故中曽根康弘氏への弔意表明の強制について

 今日、共産党福岡市議団は、故中曽根康弘氏への弔意表明を子ども・市民・市職員などに強制しないよう申し入れました。

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 そして私個人も市教育委員会と子どもが通う学校の校長先生に同様の請願をしました。

 

 弔意(人の死をいたみとむらう心)を持つかどうか。人間が死ねば誰でも弔うと考えるか、中曽根康弘という政治家を評価してその「業績」を批判し弔意を拒否するか——それは一人一人の内心の自由に深くかかわっています。

 例えば、中曽根内閣による国鉄分割・民営化によって労働組合による差別が持ち込まれ、雇用を失い、人生を狂わされた人たちにとって、単純にその死を弔えるものでしょうか。

 そして、弔意を抱いたこと、または抱かなかったこと、その表明の仕方は表現の自由に関わってきます。

 どちらも日本国憲法が保障する精神的自由の根幹に関わることであって、政府が簡単に踏み込んでいいものではありません。

 

 それでも、政府や自治体が国民・市民に対して誰かの死にへの弔意とその表明を「求める(お願いする)」ことは絶対にないわけではないでしょう。それは認めます。

 しかし、中曽根康弘氏への弔意を子どもたちに求めていいものでしょうか。

 中曽根康弘氏は、現職の総理大臣ではありません。現職の総理だから問題ないとは思いませんが、少なくとも彼はそうではありませんでした。中曽根氏は「元首相」ではありますが、それを辞めてからは、いわば「自民党の政治家」にすぎません。自民党の政治家に対して、学校が子どもに弔意表明をさせるのはおかしいのではないでしょうか。

 教育基本法第14条2項は、

法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

と定めています。自民党の政治家への弔意表明はまさに「特定の政党を支持」するものだと思います。

 「君が代・日の丸」を子どもに押し付けることに私は反対ですが、少なくともそれは「学習指導要領」に書かれていて貧弱ながら「根拠」を持っています。*1

 しかし、自民党の政治家への弔意表明を学校が求める根拠はどこにもありません。子どもが拒否するか受け入れるかにかかわりなく、「求める」行為自体をやってはいけないものです。

 弔旗の掲揚も同じです。

 結局「学校の行為」としてやっているわけですから、子どもや地域住民にそれを押し付けているわけです。

 また、「命令や指示ではなく、あくまで求める=お願いだからいいではないか」という理屈もありますが、私はそうは思いません。なぜなら学校当局や教師たちのような「権威」が子どもに黙祷を「求めれば」、事実上の強制になってしまうのは明らかだからです。

 

 事情もよくわからない子どもたちが生活する学校現場にまで、菅政権は弔意表明をなぜ押し付けるのでしょうか。出来るだけ無理に土足で子どもの心に踏み込んで、子どもの心をできる限り支配しておきたいのでしょうか。そういう非合理な振る舞いとしか説明ができません。教育上の意義が1グラムも感じられない、逆に負の影響しか考えられない措置です。

 

 明日17日に自民党・内閣の合同葬があり、午後2時過ぎに黙祷などが強要される可能性があります。明日は土曜日なので普通は学校がないのですが、なんとうちの子どもの学校では土曜授業があります。

 弔旗が掲げられているかもしれません。

 午前中に黙祷が「求められる」かもしれません。

 あるいは午後の部活動で先生が中断して黙祷を「求める」かもしれません。

 そんなことにならないようにしたいと思っています。

 

追記(2020年10月17日午後8時20分)

 共産党市議団として観測した学校、私の子どもが通う学校では弔旗掲揚や黙祷呼びかけなどはなかったようです。ただし、市庁舎には弔旗(半旗)が掲げられていました。

*1:もちろん指導要領は絶対に従わなければならないものではなく、あくまで大綱的、つまり大ざっぱなところで沿っていればいい、というほどのものです。

福岡市で少人数学級が全校・全学年に拡大へ!

 1ヶ月ほど前に「少人数学級を超党派で進めよう」と呼びかけました。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 その記事にも書きましたが、これは共産党福岡市議団としてずっと掲げて、繰り返し質問・要望をしてきたものでした。

 また、私の市長選挙公約でもありました。

教育については子どもの権利と現場の自主性を最大限尊重するように切り替え、行政の圧力や統制をやめます。教育への介入ではなく、条件整備こそ市長の仕事! 少人数学級の全学年への拡大……など条件整備に積極的に役割を果たします。

https://kamiyatakayuki.hatenadiary.jp/entry/2018/10/04/233009

 

 そして、なんと福岡市で来年度ではありますが、福岡市で35人以下での学級編制(35人以下学級)、すなわち少人数学級が全校・全学年に拡大されることになりました!

 

市は来年度、全校の全学年で35人以下学級にするために新たに計308教室が必要として、特別教室の改修やプレハブ校舎の設置などを進める。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/639827/

 これは、共産党市議団の論戦、市民の運動が切り開いてきた本当に大きな成果です。

 コロナのこの時期、出来るだけ前倒しで、そしてさらに30人未満、20人以下へともっと少人数の学級にしていきたいですね。

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国の基準を前進させよう

 そのためにも、福岡市だけでなく、国がまず学級編制基準を「40人」から「35人」「30人」「20人」へとシフトして、少人数学級にしていく必要があります。国が大きな制度で下支えをすれば、福岡市をはじめ全国の自治体はもっと少人数にしていけるわけです。

 

 党派を超えた署名運動が広がっています。

 私も署名しましたが、ぜひ多くの皆さんに署名していただきたいと思います。

www.jcp.or.jp

www.change.org

 

 こうした中で、国政でも変化が起きています。

 今年の6月の国会で共産党の志位委員長が「少人数学級の取り組みを加速させると約束を」と質問し、安倍首相は「コロナ後を見据えて、検討していきたい」と答弁しました。

志位 総理に聞きます。総理は、2015年2月23日、この予算委員会の答弁で、国会での全会一致の決議を踏まえて、小学校1年生、2年生で実現している少人数学級をさらに広げるために「鋭意努力していきたい」と答弁されているんです。5年前の答弁です。今回の事態を踏まえ、少人数学級の取り組みを加速させると約束してください。5年前のあなたの答弁を踏まえて。

首相 すでにいまご紹介いただいたように、政府としては、少人数学級に向けて、われわれ努力を重ねてきたわけでございます。前進している、こう考えておりますが、このコロナという状況を受けてどのように考えていくか、コロナを経験したうえにおいて、コロナ後を見据えてどう対応していくかということについては、先ほど萩生田大臣から答弁をさせていただきました、まさに、われわれ、そうしたことを踏まえて検討していきたい、こう思っております。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-06-12/2020061204_01_0.html

  7月23日の畑野君枝衆院議員(日本共産党)の質問にも見直し検討を、文科相が約束しています。

www.jcp.or.jp

 

 

 

 最近の国の有識者の会議でも少人数学級を求める声が上がりました。

 

www.kyobun.co.jp

ポストコロナの学校像を方向付ける政府の教育再生実行会議が8月25日、首相官邸で開かれ、注目されている少人数学級について、出席した委員から「少人数学級を進め、30人未満の学級にしてほしい」との意見が出た。これに対する異論や反対意見は出なかった。

 

 今まさにチャンスです。

 9月は各省庁が来年度予算の概算要求を行う時期です。

 今運動を強めることが非常に重要です。

 いっしょに実現させていきましょう。