世界水泳福岡大会の経済波及効果の計算はおかしいのでは

 昨年夏に開催された世界水泳福岡大会。その経済波及効果については開催前は黒塗りだったことは前に書きました。

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 大会は終わったけども、決算が全く出て来ず、どうなってんのかと思っていました。経済波及効果の数字も全然確定しなかったんですよね。

 ところが、3月にそれが確定し、各紙が一斉に報道。

 共産党がこれを3月議会で取り上げました(中山郁美市議)。

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世界水泳福岡大会の経済波及効果として、市は540億円の当初見込みに対して433億円になったと報告しています。中山市議は、これは数字を大きくするため意図的に不適当な計算モデルを使ってはじき出した経済波及効果だと指摘。共産党市議団が妥当な計算モデルを使って再計算したところ315億円にすぎなかったと紹介しました。

 これは一体どういうことか。

 福岡市がはじき出した経済波及効果の試算を詳しく見てみます。

 

福岡市がおこなった経済波及効果試算のあらまし

 福岡市の試算では、市内への波及効果の内訳は大きくは次の2つの柱からなっています。

  1. 大会事業費:組織委員会が注ぎ込んだお金174億円を35の産業分野に分解。
  2. 来場者消費:大会に来た人たちが落としたお金183億円を35の産業分野に分解。

 174億円+183億円=357億円は35産業分野に分類できます。それを産業分野ごとに自給率をかけて、市内にどれくらいお金が落ちるかを計算します。その結果275億円が市内に落ちるお金となります。この275億円を産業連関表で波及効果を調べると一次効果が83億円、二次効果が74億円。よって275億+83億+74億=433億円が市内の経済波及効果の総額…ということなんですね。

 

 このうち、1.の「大会事業費」は実費なので、一応認めるしかありません。

 しかし、2.「来場者消費」については、実際に落としたお金ではなく、モデルを掛け合わせてつくった推計値です。ここに悪意が入り込むと、計算する人間が自分の思惑で数字を操作できてしまいます。相応の根拠が必要になります。

 また、波及効果を計算する分析ツールにも、どんな設計にするかによって自分の思惑で数字を操作できてしまいます。

 

「来場者消費」試算の問題点

 来場者消費の項目は膨大にあるのですが、実はそのうち太い柱になっているのは

  1. チャンピオンシップの「観客」(県内・県外・海外)の消費(84.7億円)
  2. マスターズの選手「同行者」(海外)の消費(45.7億円)

 この2つだけなんですね。この「2つの太い柱」で来場者の全消費額183億円の71%(130億円)を占めます。1.の一般観客だけでもほぼ半分を占めます。

 どれも人数×泊数×単価が消費額で計算されています。このうち泊数・単価に都合のいい数字(モデル)を使うことになったら、あっという間に数字を膨らませることができてしまいます。

市側による来場者消費の試算(一部)

県外観客の宿泊数はなぜ「観光・レクレーション」の宿泊数を無視するの?

 これを見ると、県外(国内)からの「観客」は1人2.2泊することになっています。この根拠は観光庁「旅行・観光消費動向調査」2022年の「宿泊旅行」全体の平均泊数です。

 すなわち「観光・レクレーション」「帰省・知人訪問等」「出張・業務」という3つを全て含んだ宿泊数の平均なのです。

 しかし、全体ではなく「観光・レクリエーション」に限れば平均泊数は1.7日になります。世界水泳の観戦は明らかに「観光・レクリエーション」であり、「帰省・知人訪問等」「出張・業務」を含んだ全体の平均の泊数を採用する必要は全くありません(後者の2つの方が平均泊数は高い)。

 数字を大きく見せるため、わざと不適切なモデルを選んでいる可能性が高いですよね。

 

なぜ「スポーツイベント」でなく「Meeting」を使うの?

 次に、県外(国内)からの「観客」は「国内移動費」で1人24,122円使うことになっています。

 これは観光庁「MICE開催による経済波及効果測定のための簡易測定モデル」のうち「Meeting」に出かける日本人宿泊者1人が使う国内移動費根拠にしています(p.41)。

https://www.mlit.go.jp/kankocho/content/810003507.pdf

 しかし、このモデルでは「Meeting」以外にも9区分があります。

 「Meeting」の備考欄に書いてありますが、これは「出張業務」です。つまりビジネスマンが、遠方で会議などの出張に行ってそこで落とすお金のことなわけで、スポーツイベントに来た観客が落とすお金とは全然行動パターンが違うことがわかりますよね。

 なぜ世界水泳の一般観客の消費単価を推計するのにこの「Meeting」を使うのか。

 他にも9の区分があるのに?

 9の区分を見てみると「Meeting」よりももっとふさわしい区分が…あった! ありますよね?

 そのうちの一つに「Event(スポーツイベント)」があります。まあ、誰が見てもこちらを使うべきですよね。しかし、こちらの国内移動費は10,947円しかありません(p.42)。

 世界水泳参加者に、ビジネスの会議を想定した「Meeting」モデルを採用する必然性は全くなく、「Event(スポーツイベント)」モデルを避けているのは不自然としか言いようがありません。

 

 

海外の宿泊数もなぜ「観光・レジャー目的」を使わないのか?

 また、海外からの「観客」は1人平均して11.2泊することになっていますが、これは観光庁「訪日外国人消費動向調査」の2023年7-9月期での平均泊数を根拠にしています。

https://www.mlit.go.jp/kankocho/content/001634972.pdf

 しかしこれも全体を平均した数字であって、「観光・レジャー目的」という限定をすると、泊数は7.2泊になります。

 宿泊数が1泊から2泊に増えるって大したことがないように思えますか?

 いえいえそうではありません。

 経済波及効果を試算する場合には、めちゃくちゃ大きな違いになります。例えば、

 1万人の観客×1万円の消費単価×1泊=1億円

…ですよね? これが2泊になると…

 1万人の観客×1万円の消費単価×2泊=2億円

 はい。消費額は倍になりました。

 消費単価の差より、宿泊数の差の方が、経済波及効果を膨らませる上では簡単にできるのです。消費単価の違いは簡単には2倍、3倍の差にはなりませんが、外国人客と国内客の宿泊数の違いはすぐに消費額全体を数倍、十数倍の違いにさせられるからです。

 

 

海外からの観客はなぜ「Event(スポーツイベント)」モデルを使わないの?

 海外からの「同行者」の1人あたりの「飲食費」は6,927円、「宿泊費」は12,755円で計算されていますが、この数字もやはり先ほど挙げた観光庁「MICE開催による経済波及効果測定のための簡易測定モデル」のうち「Meeting」に出かける海外旅行者1人が使う「飲食費」「宿泊費」が根拠になっています。

 しかし、同様に、「Event(スポーツイベント)」モデルでは「飲食費」は4,376円、「宿泊費」は10,844円と大幅に低くなっています。ここでも、「Event(スポーツイベント)」モデルを不自然に避け、「Meeting」モデルを使って数字を水増ししているのではないかという疑惑が生まれます。

 

富裕層が多い!?

 これは過大な計算モデルを適用しているのではないか? と共産党は議会で質問しました。それに対して、市側は次のように答えました。

世界水泳や世界マスターズ水泳大会のような長期にわたる大規模国際スポーツ大会におきましては、その運営費のほとんどが参加者ではなく、主催者により賄われること、また参加する選手や同行者は比較的富裕層が多く、高額な消費が期待されることから、一般的に通常のスポーツ大会に適用しますスポーツイベント単価ではなく、企業が主催する会議等に適用しますミーティング単価を使用したところであります。(2024年3月22日、市民局長)

 いやいやいやいや。

 問題にしている単価は「選手や同行者」ではなく、「一般の観客」なのです(全体の半分)。世界水泳にきた「一般の観客」は「比較的富裕層が多い」んですか? 国内外から世界水泳を見に来られたあなた。あなたは「富裕層」でしたか?

 また、富裕層が多いにしても、なぜそれがさまざまにある区分のうち「企業が主催する会議等に適用しますミーティング単価」相当なのかは理由がわかりません。

 

 もちろん、「土産・買物費」をはじめ「Meeting」モデルよりも「Event(スポーツイベント)」モデルの方が高い項目もいくつかあります。公平に全て「Event(スポーツイベント)」モデルで計算した場合、「2つの太い柱」{チャンピオンシップの「観客」(県内・県外・海外)の消費額と、マスターズの選手「同行者」(海外)の消費額}の合計は83億円になり、実に元の数字(130億円)から4割近くも激減して今います。つまり、消費額は数字の操作によって1.6倍に水増しされているのでは? という疑いが生じるんですね。

 

延べ数の観客に宿泊数掛けたらダメです!

 この単価や宿泊モデルが不適切だという話とは別に、観客の数がおかしいという問題もあります。これは共産党の中山郁美市議の質問から紹介しましょう。

 

◯中山 最後に「観客数」ですが、どうやってはじき出したか、これ、担当に聞き取りしたところ、客席にいる人を目測で数えて、例えば1日目にスタンドに1万人いた。2日目に5000人いた。3日目に1万人いた。そうしたら3日間で2万5000人いたと。こういう延べ計算をしてます。しかしこれに1人あたりの宿泊日数や消費単価モデルを掛けるのは明らかに不適当です。Aさんが2日間試合を見にきたら、Aさんは実際には2泊しかしていないのですが、モデル宿泊数は1人あたり2.2泊とされているので、2.2泊×2人でAさんは4.4泊もしている計算になってしまいます。(これに消費単価がさらに掛けられるので)これ、実態とかけ離れて、ものすごい勢いで経済効果(の数字)が膨らみます。お尋ねしますが、観客数を目測し、延べでカウントする計算の仕方も、実態よりも数字を過大にするために用いた悪質な手法だと思いますが、答弁を求めます。

◯市民局長 観客数につきまして日々の実数をカウントして集計をいたしております。また、宿泊数につきましても、これは実数を把握するためにですね、大会選手登録情報、それからその数字から取れないものでですね、アンケート調査を行なった上で、その基数に基づいて算出しております

 

 いやいやいやいやいや。それは嘘です。というか、めちゃくちゃごまかしです。

 アンケートをして宿泊数を出したのは、選手やスタッフたちの方だけです。消費額の半分を占める一般観客の方は、さっきも述べたように観光庁の統計モデルから引っ張ってきたモデルの数字であって、実際の宿泊日数ではありません。

 

◯市民局長 それから実数と延べ数ということでご指摘がございましたけれども、こういったイベントにおける来場者数をカウントする場合には、1日1日で消費効果がございますので、その実数ではなくて日々来場される観客数をカウントする、積み上げる延べ数で計算をするということになります。日々来場される方の数をカウントしてですね、その宿泊数を乗じることによって、その期間に行います消費活動による効果をですね、算出できるというものでございます。

 フンフンなるほど。確かに延べ数に消費単価を掛けるのは正しいと言えます。

 しかし、しかしであります。

 そこに宿泊数を掛けてはダメでしょう。そこに大きな間違いがあるのです。

 ここは反論になってませんよね。

 いやあ、中山質問の経済効果部分の答弁を読み直してみて、全体として想像以上に市側の答弁がダメダメだったことがわかりました。全然別の話してるんですもん。この市民局長は、保健福祉局長だったときのことなど知っていますが、なかなか冷静な答弁をする人です。ところが今回まさにしどろもどろ。理由があったのですね。

 

 

 そして、目測で観客数を計測した場合、一体どうやって外国人と日本人を分けたのだろうと疑問がわきます。実はこんな手法を取っていました。

 

◯中山 しかも当局からの聞き取りによれば、外国人観客と日本人観客の割合は、実際の数字ではなくて、前回世界水泳の会場であるハンガリーのブダベスト大会での比率をもとに推計されたということでした。陸続きの隣国から大勢やってくるヨーロッパでの大会のモデルを使えば、外国人観客の数が実際よりも多くはじき出され、外国人観客の方が宿泊数は日本人より何倍にもなりますから〔日本人は1〜2.2泊だが、外国人は11.2泊〕、経済効果の数字もあっという間に数倍に膨れます。

 あらら…。

 

経済波及効果を計算する分析ツールもなんだか多めに出てないか?

 産業連関表に基づく「分析ツール」(経済波及効果を計算するソフト)は今回のために市が発注先に特別に作らせています。

 しかし、福岡市が公式サイトに載せている「観光・イベント消費」の「分析ツール」(「令和5年11月27日 全ての分析ツールで使用している消費係数を最新値に更新しました」と記載)がちゃんとあるのです。

https://www.city.fukuoka.lg.jp/soki/tokeichosa/shisei/toukei/renkanhyo/sangyorenkanhyo.html

 これに、福岡市がはじき出した433億円の経済波及効果の元になった数字(直接効果275億円)を前提にした数値を投入してみました。

 分類が若干違うので、いくつかの場合を想定してみたのですが、378億〜397億円となり、いずれも400億円を超えることはありませんでした。

 つまり、分析ツールの作り方で、ひょっとしたら1割程度水増しされている可能性があります。

◯中山 私ども共産党市議団では、観客数は市の数字をそのまま使い、1人あたりの宿泊数および1人あたりの消費単価を適切な国のモデルを使って計算し直し、さらに福岡市が公表している波及効果の分析ツールを使って再計算したところ、世界水泳の経済波及効果は直接効果、1次効果、2次効果全てあわせて315億円に過ぎないという結果を得ました。私が決算特別委員会で明らかにした観客数の実数に置き換えて計算し直せば、この金額はさらに大きく下がります。そこで、あの手この手を使って導き出した433億円という経済波及効果の試算は、全く根拠のないものだと思いますが、御所見を伺います。

 

 540億円→433億円→315億円→…とどんどん下がっていきます。

 福岡市のいう経済波及効果は、エンピツなめなめやれば、少なくとも数百億円の規模で膨らんだり縮んだりする数字だということです。

 

ガザ攻撃と高島市長

 イスラエルによるパレスチナガザ地区の攻撃について、杉並区の岸本聡子区長の答弁を見ました。

 また、昨年11月8日に出された「九都県市首脳による緊急人道アピール」も見ました。

九都県市首脳による緊急人道アピール|東京都

 中東のパレスチナガザ地区をめぐる情勢が緊迫、深刻化しています。
 私たちは、この紛争に関わる全ての当事者及び日本政府をはじめとする国際社会に対し、以下を訴えます。
一、 即時の人道目的の一時的な戦闘休止及び人質の即時解放
二、 国際法、国際人道法の遵守
三、 深刻な人道上の危機に瀕しているガザ地区を一刻も早く救済するために、あらゆる方策を講じて、人道的被害の抑制、人道支援物資の供給を通じた人道状況の改善に万全を期すこと

 そこには神奈川県知事(黒岩祐治)、埼玉県知事(大野元裕)、千葉県知事(熊谷俊 人)、東京都知事小池百合子)、横浜市長(山中竹春)、川崎市長(福田紀彦)千葉市長(神谷俊一)、さいたま市長(清水勇人)、相模原市長(本村賢太郎)が名を連ねています。つまり、首都圏*1の知事・政令市長が共同で停戦を呼びかけています。

 私は、このような表明を、日本の自治体首長は行うべきであると思います。

 それは当然福岡市の高島宗一郎市長も同じです。

 特に、彼は自分の著書『福岡市を経営する』で学生時代にパレスチナイスラエルを訪問したことが「私の人生を決定づけた」とまで語っています。

 イスラエル人が歴史的な苦難から「国家」への思いを強くしたことはいろいろな書籍や映画などを通じて知られています。

 一方、学生時代に訪問したパレスチナ自治区では、はじめて「国を持たない人」に出会いました。「国を持たない人」とは、自国のパスポートがない人たちです。

 私たち日本人は、あたりまえのようにパスポートを持ち、海外に行けば「私は日本人です」と自己紹介します。海外からの侵略や脅威からは自衛隊が守ってくれ、治安は警察が守ってくれます。パレスチナで出会ったのは、そういった機能に守られない人たちでした。

 治安を維持する警察機能は、自国民ではなくイスラエルが担っています。また国家がないので、国際社会ではあくまでもオブザーバーにすぎないのです。

 過去に国を持たなかったイスラエルと、今、国を持たないパレスチナという、どちらも国を持たないことによる不自由や苦難を味わってきた人たちに出会って、私は自分が置かれている環境のありがたさを再認識しました。国家を守り、その国家の名誉を高めてきた先人に、はじめて関心を寄せることになったのです。

 また、日本人はビザがなくても入国できる国が世界トップクラスで多いということも知りました。日本人が当たり前に取得するパスポートは、先人たちが脈々と築き上げてきた信頼に足る国づくりの賜物なのです。そして私も「誇るべき日本と、生まれ育ったふるさとをもっと発展させるべく、いつか自分も政治家として働いてみたい」と強く思いました。私の人生を決定づけたのが、この学生時代のパレスチナイスラエル訪問でした

 そこまで彼が思い入れをしている場所で、今、深刻なジェノサイドが引き起こされ、人道危機が起きているわけです。そうであれば、彼こそ即時停戦の表明を内外にアピールすべきではないのか? と私は思いました。

 

 この点を、3月25日に日本共産党(倉元達朗市議)が福岡市議会でただしました。

 市長は

 まず去年10月のハマスによるイスラエルへの武力攻撃、また誘拐などの一連の行為は、これについてはまず絶対に許されるべきではないというふうに思っております。一方現在ガザ地区においてはイスラエル軍によります大規模な攻撃があって、罪のない一般市民に多大な被害が発生をしており、大変深い悲しみを感じている次第でございます。双方の犠牲者の方々とそのご遺族に哀悼の意を示すとともに、停戦が速やかに実現をし、世界の平和と秩序が回復されることを強く望んでおります

という表明をしました。

 これは私には少し意外でした。

 彼はそうした表明さえしないのではないかと思っていたからです。

 しかし、そこまでは述べました。それは評価したい。

 問題は、そこからです。

 祈念するだけでなく、具体的に当事者に停戦を働きかける形にしてほしいと思いました。倉元市議もそう感じたのだと思いますが、その市長の答弁を受け、「そこまで言われるならば、きちんとアピールを出すべきだ」と求めました。

 福岡市に対して非核都市宣言をしないのかとただすと、市長は決まって「アジア太平洋都市宣言があるので…」と言ってきました。

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 そこには

 

  1. お互いのであいとふれあいを進めよう。
  2. お互いの生活と文化を正しく理解しよう。
  3. お互いの健康と平和を守ろう。
  4. お互いの現在を真剣に語り合おう。
  5. お互いの生きる立場を正しく認め合おう。

 

という条項が並んでいます。イスラエルパレスチナはアジアの一角=西アジアにある国家・地域です。この宣言の精神を生かすべき地域です。

 本当にこれを生かすつもりなら、高島市長は具体的な働きかけに踏み出してほしい。

 ぜひ高島市長には、そこまで進んでほしいと思います。

*1:厳密に言うと違うが。

箱崎キャンパス跡地に巨大アリーナは必要なのか

 福岡市東区箱崎では九州大学が移転し、その跡地利用が大きな問題になっています。

 九大の移転によって約50haの広大な空き地が生まれます。

 跡地の28.5ha分(福岡ペイペイドーム4個分)を、土地を所有している九大・URが、民間企業の開発に委ねようとしています。都心の開発としては相当大きな規模の開発です。

 この部分の開発をめぐり2024年元旦の西日本新聞が「最後の大開発 福岡の岐路」と1面トップで報じました。この地に巨大アリーナ建設するかどうかをめぐって大企業グループが分裂したのです。

 現在この地を巡って事業者の公募が締め切られ少なくとも3つの陣営が応募。九大とURは提案を審査の上、2024年5月に事業者を1つに絞ることになっています。

 

巨大アリーナ計画

 九州電力を中心とするグループはアリーナを目玉とした案を準備しているとされ、「九州電力幹部は米国に渡って、巨大なアリーナを目の当たりにした興奮がやまない」と報道されました。

 ここで九電幹部が興奮したという「米国の巨大アリーナ」とはどのようなものでしょうか。

 「米国の巨大アリーナ」はおそらくラスベガスに去年の9月にオープンした「巨大球形アリーナ MSG Sphere(エム・エスジー・スフィア)」ではないかということが共産党の調査でわかっています。

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 このアリーナは敷地面積7ha、高さ112メートル、幅約157メートルという世界最大の球体構造。規模も1.8万人収容です。九電グループ箱崎に「2万人規模のアリーナ」を提案すると報道されており、ぴったりです。さらに、容積率も114%で、箱崎の公募要件で200%以内という条件に適合しています。

 MSG Sphereは全体がLEDスクリーンに包み込まれており、上空から見たら一目で「ああラスベガスに来たな」というシンボルとなっています。

 西日本新聞の元旦の1面の報道では、企業幹部が「飛行機から箱崎を見下ろしたときアリーナのようなわかりやすいものがない」とこぼしていると報道されています。まさにMSG Sphereのようなものが検討されていると言えるのではないでしょうか。

 福岡市が曲がりなりにも跡地開発の指針としてしている「九州大学箱崎キャンパス跡地グランドデザイン」にはどのような原則が定められているでしょうか。

 「グランドデザイン」の将来構想には、こうあります。

  • 「ここ箱崎だからこそできるまちづくりに向けまち全体の一体感を創出する」
  • 「周辺地域との一体的な発展を目指し、箱崎千年の歴史に育まれた文化や関係性を大切にし、周辺地域との調和・連携・交流をはかる」
  • 「100年後の未来に誇れるまち」

 箱崎に九大のあった100年の歴史、さらに1000年の歴史を引き継ぎ、次の100年後にも誇れるような街づくりを目指すのが、住民要求を反映したグランドデザインの趣旨だというわけです。利用者も限られ、周辺に混雑を生み出し、街並みの一体感ともそぐわないアリーナ建設は、「グランドデザイン」の趣旨とは全く違うものではないでしょうか。

 

 しかも、巨大アリーナは各地で混雑などを生み、住民との間でトラブルを生んでいます。

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 2023年9月に開業した収容人数2万人のKアリーナ横浜は、収容人数がちょうど2万人で九電グループが計画しているアリーナとほぼ同じだとされています。先述の元旦の西日本新聞でも箱崎の計画報道の中でこのKアリーナが比較として触れられていました。

 このアリーナは横浜駅から10分という立地にもかかわらず、ライブ終わりの凄まじい混雑が問題となり、運営会社が謝罪する事態となっています。

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横浜駅から9分の立地であると紹介されているKアリーナ横浜。しかし、実際はライブ終わりに毎回凄まじい混雑が起きており、SNSでは2時間以上かかったという声もあがっているのだ。横浜駅から9分の立地であると紹介されているKアリーナ横浜。しかし、実際はライブ終わりに毎回凄まじい混雑が起きており、SNSでは2時間以上かかったという声もあがっているのだ。(FRIDAYデジタル2023/12/12)

 現在福岡市にあるペイペイドームやマリンメッセでのスポーツやコンサート後の混雑から見ても、箱崎周辺の住宅地が、イベントごとに混雑に巻き込まれることは容易に想像できます。ここにスフィアのような巨大建造物がくればなおさらこういった状況に陥ると思いますが、グランドデザインにある「ゆとりある空間整備」とはあい容れないものではないでしょうか。

 京都では住民の運動で巨大アリーナ構想は撤回に追い込まれました。

 

 さらに言えば、スフィアのような建造物ができて、「グランドデザイン」がうたう「歴史的資源と緑」を生かしたものになるでしょうか。その「面影や記憶を継承する」ものになるでしょうか。

 私にはそうは思えません。

 しかも「持続的に発展し、100年後の未来に誇れるまち」と「グランドデザイン」の将来構想はうたいあげていますが、派手なアリーナというのは、逆に陳腐化も最も早いのではないでしょうか。スタジアム・アリーナにとって、老朽化や設備の陳腐化は避けられない課題の一つだからです。

 

IT都市構想(スマートシティ )

 次に、報道されているもう一つの方向性、IT都市について。

 こちらはJR九州西鉄などのグループ、そしてトライアルのグループもやはりIT都市づくりを提案したとされます。

 同じく元旦の西日本新聞1面で、「アリーナ対IT都市」として、跡地の公募について報道されています。この記事では、箱崎の跡地が水素エネルギーを基軸にしたまちづくりということでパイプラインなどを配置するデザインにしているが、現状ではコストが3倍もかかって企業もあまり使わないという話が書かれています。続けてその記事はこう言っています。

市のインフラ先行投資に「将来的に技術が陳腐化し、時代遅れになりかねない」という声も聞こえる。

 これは重要な指摘だと思います。

 ITやエネルギー関連は、幾何級数的に技術が進歩していきます。人工設計的に集中投資された街は、あっという間に古くなってしまいます。

 ビルなど都市開発のライフサイクルは50〜70年単位ですが、デジタルは5年後に陳腐化すると言われています。ITはライフサイクルは3年から5年、長くても10年です。

 野村證券コンサルティング事業開発部の大道亮氏は

 日本で最も古い超高層ビルは1968年に竣工した霞ヶ関ビルディングだが、リニューアル工事を経ながら50年以上経過した現在でも問題なく稼働している。都市開発のライフサイクルは50年〜70年単位と見て差し支えない。一方で、デジタルは技術も流行も移り変わりが激しいため、現在使用されているものであっても5年後には陳腐化している可能性が高い。ライフサイクルは3〜5年、長くても10年程度である。

 1度建てたら50年〜70年稼働させることを目指してビジネスモデルや体制を構築している都市開発に、5年後には企画から見直す必要に迫られるデジタルを組み込もうとすると大小様々なハレーションが発生する

と指摘しています(「都市の開発者は今、スマートシティとどう付き合うべきか」2021年10月)。

 IT都市のような発想は、最初は華々しいけど、数年であっという間に陳腐化してしまう(同じことは、アリーナについても言えます)。どんなに目新しいものを作っても、すぐ古くさくなる。どちらにしても、「100年後に誇れるまちをつくる」というグランドデザインのコンセプトに合わないのです。

 

跡地をどう利用すべきか

 先の西日本新聞の記事で、跡地利用の協議に参加していた住民の声が紹介されています。

最先端技術の実験場でなく、千年の歴史がある箱崎らしさを生かして、この地域の文脈を大事にしてほしい。

 これこそ住民の声です。

 昨年の西日本新聞10月24日付に報道された「九大箱崎キャンパス跡地、何がきてほしい?」というアンケート結果600件では、1番多かったものは「大きな公園」で、次が「教育施設」です。

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西日本新聞2023年10月24日付より

 そもそもスマートイースト構想の認知度は「知らない」が4割で最多。「知っているが内容はよくわからない」をあわせると、7割を超えて認知度がないとの結果です。

 さらにその声は、

  • 「住宅と商業で土地を埋めるような安易な開発にはならないでほしい」
  • 「商業施設は国道3号線の混雑につながる。ららぽーとやイオンなどすでに揃っている」

と、安易な開発を戒め、広大な公園を望む声が紹介されています。

 これはまさに、地元の4校区の住民が「広大な防災のための公園を」と要望してきた声と一致しています。

 今のままでは、30haに巨大なアリーナやスマートシティがつくられて、公園はわずか1haしかないという結果になります。

 15万人しか住んでいない能登半島地震でも、仮設住宅の建設用地が深刻な不足に陥っていることが日経新聞の1月16日付で報じられています。その10倍の人口を抱える福岡市で、都心に広大な公園を残し、そこに最先端のICT技術などを組み込むようなあり方こそ求められています。スマートシティやアリーナなどのような構想は一見時代の先取りのように見えて、あっという間に陳腐化する時代遅れの都市開発です。

 こうした枠組みを見直すように市として正式に表明し、4校区協議会が当初から求めた、広大な防災公園や元寇防塁を生かした、真に住民の願いに立ったまちにすべきなのです。

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(再掲)私はなぜあのブログ記事を書いたか——党規約にそい、大会決定を実践するもの

 2023年9月19日の記事を再掲します。改めて読んでほしいな、と思ったからです。

 最後に一文もつけています。

ヒラメ

 

-------- 再掲ここから ----------------

 私がどういう意図で2023年3月5日付のブログ記事を書いたのかをお話ししておきましょう。

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 結論から言えば「日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解してもらい、『共産党だから支持する』という積極的な支持者をうまずたゆまず増やしていくことが躍進のカギをにぎる」という第28回党大会第二決議の実践そのものなのです。

 

批判の中で生まれる社会科学

 社会科学は教科書のように体系が描かれるのではなく、多くは、それまであった古い考えや間違った考えとの激しい論争の中で、新たな体系を生み出すという形で生まれてきます。マルクスの『資本論』もそうです。あれはマルクスの考えを教科書のように羅列したものではなく、それまでの経済学を批判して書かれた本です。『資本論』の副題が「経済学批判」になっているのはそういう理由からです。  

 同じように、共産党の決定も社会科学の文献です。*1

 過去のすぐれた決定は、党内外の激しい論争の中で生み出されたものが少なくありません。例えば、宮本顕治の『日本革命の展望』には61年綱領制定時の論争に答える形での中央報告が収録されています。革命戦略における間違った考えを批判しながら、新しい綱領の考えを説明しています。決定の中に「批判」と「積極的な叙述」がセットになっています。

家の近くの公園の濠のハス

 近年でもこうした「間違った意見への批判を書いた決定」は数多くあります。

 現在の綱領への改定を提起した第22回党大会7中総の決定の一部を例にあげます。

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 当時の不破議長が多くの異論に答える形の記述になっているのがわかると思います(この発言は「決定」扱いになっています)。この決定の中には採用を拒否された意見、すなわち間違った議論もたくさん入っています。例えば原発について具体的に記述せよとか、宗教者を統一戦線の対象として名指しして入れよとか、全体の記述の構成をかえよ、などといった意見です。

日隈さん(中央)から、宗教者との対話・交流がこれだけ大きく発展している今日、統一戦線の対象に宗教者が入っていないのはどうか、という指摘がありました。気持ちはわかりますが、ここにはきちんと考えなければいけない一つの問題があります。

〔…中略…〕

 宗教者という集団が、集団として、統一戦線の側にくわわる根拠となるような共通の利害をもった集団かというと、そういうことはないのです。多くの宗教者が私たちとの対話に応じ、私たちの事業に力を貸してくださっている、これはたいへんありがたいし、すばらしいことですが、それは、基本的には、一人ひとりの宗教者の方の信念からの行動であって、そこに、宗教者全体の共通の利益があるからではない、と思います。現実に日本の宗教界にさまざまな流れがあり、いろいろな世界観があることは、宗教委員会の方がたは重々ご承知のことです。もし私たちが、統一戦線を構成する諸勢力のなかに、宗教者をまるごと入れてしまったら、これは、かえって、やってはいけない、おこがましいことをやったということになるでしょう。宗教委員会の方がたが多少さびしい思いをしても(笑い)、ここはスジを通さないといけないところだ、と思います。

 読んでもらうとわかりますが、「なるほどそういうことか」とつい読んでしまう中身でしょう? 非常に面白いし、興味が湧くし、理解が進むのです。もちろん、「不破さんは『宗教者を統一戦線の対象に入れないのはいかがなものか』という日隈さんの間違った意見を紹介し広めている」などと難癖をつける人はいないと思います。

 私は前々からそう思っていたのですが、こうした論争の痕跡が決定に残っていることは、情勢のどういう問題と格闘してこの決定が出来上がったかを理解する上で大変役に立つと思ってきました。また、何よりも、党内では自由な討論が行われているという民主主義を示す上でも、この上ない証拠だと感じていました。そのことを、討論を紹介しなくても、決定を紹介するだけで理解してもらえるのです。

 「共産党は一枚岩で、上の言ったことに無条件で従う」かのように攻撃されるわけですが、これに対して、「そんなことはない」と百の説明を尽くすよりも、みんなで決めた決定を紹介し、その決定に論争の痕跡が入っているだけで、党内民主主義を広く示すものになると思ってきました。

 今回がまさにそういうものでした。

 (2023年)2月の県委員会総会では、私の意見は否定されたのですが、正直言ってそんなことはどうでもよくて、共産党ではそういう侃侃諤諤の議論が行われ民主主義が実践されていることが、(討論の内容を紹介しなくても)決定そのものの紹介だけでもわかると考え、ああいうブログを書いたのです。こういうスタイルの決定文書は、そういう意味ではとても「おトクな」決定文書なのです(討論の議事録を書き出して論争を紹介するという「規約違反」をしなくてもいいから)。

 討論の議事録などを紹介しなくても決定を紹介することだけによって、党内民主主義の姿を広く県民に理解してもらえる——これは規約と大会決定に沿った重要な実践であると私は考えました。もちろん、県総決定で「間違い」だとされた意見を広めることがないように、それが間違った意見であるという認識を共有し、その立場で実践していくことを明記しましたし、「間違った」とされた意見への反論を、結語はもとより、赤旗や志位委員長の記者会見から引用・紹介することで、10倍近い分量をとって載せるという念入りで丁寧なやり方をとったのです。

 第28回党大会第二決議では

日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解してもらい、『共産党だから支持する』という積極的な支持者をうまずたゆまず増やしていくことが躍進のカギをにぎる

という方針を打ち出しましたが、党内民主主義などの党の本当の姿を知ってもらう日常的な活動の一つとして、私はあのブログ記事を書きました。

福岡市早良区にある元寇防塁跡

 なぜ私があのブログの記事を書いたかをもう一度まとめますが、「(2023年)2月の県委員会総会の決定を紹介することは党内民主主義の豊かなありようを広く県民に知ってもらう、しかも規約を守りながら知ってもらう最善の方法だと確信し、あのブログ記事を書いた」ということです。

 したがって、私のブログ記事は規約を守り、「日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解してもらおう」という大会決定にもっとも忠実な、実践の最先端を行くものだと思っています。しかも反対意見を述べて否決された人が不貞腐れて不満をぶちまけるのではなく、ともに実践していくことを決意しているのですから、日本共産党の姿を正しく示す良い見本になると思いました。 

 

ブログ記事は党規約に沿ったもの

 もちろん、私のブログ記事は党規約に沿ったもの、規約の範囲内のものです。「今から分かりやすくて面白いことを書くから、規約を少しくらいハミ出ても許してね」という立場は絶対にとりません。

 私は、少なくとも党員としての私自身について、「多少は異論を党の外に出しても、組織は俺に寛容でいてくれよ」という立場を現在とっておりません。規約は厳格に守られるべきです。*2その立場から言って、私の(2023年)3月5日のブログ記事は1ミリも規約からはみ出ていません。

 要点だけ簡潔に示しましょう。

 

(1)「決定に反する意見を勝手に発表」していません

 私の記事は決定に「反する」どころか、県委員会総会の「決定そのもの」を紹介することを目的にしたブログ記事です。総会決定自体が、私の元の意見への痛烈な批判ですし、ブログ記事には“私の元の意見は「間違っている」という認識を共有する”と、ちゃんと書いてあります

 そしてただ「間違っている」と「ちょろっと」書いてあるだけでなく、元の私の意見(約1000字)を、そのブログ記事の中で3倍(約3000字)の分量で批判しています。リンク先を入れれば10倍(約1万字)の分量で批判しています

 「決定に反する意見」を徹底批判しているとさえ思います。これほど丁寧に「間違った」とされた意見を批判しているブログ記事を見ることは、なかなかないでしょう。

 謬論(間違った議論)を批判する文章なんて世の中にザラにありますが、もしも、その文章で批判されている謬論部分だけを切り出して「この文章は謬論を書いている!」などと言い出す人がいたら、残念ながらその人は文章読解力がゼロなのだと思わざるをえません。

 

(2)「党内の内部問題を勝手に外に出して」いません(決定編)

 「県委員会総会の決定は県民には秘密だ」という謎理論を唱える人がいるかもしれませんが、そうしたルールは規約には書かれていませんし、そのような内規も存在しないことを党機関に確認しています。*3

 「大軍拡反対署名を広げよう」「給食無償化の世論を県内に起こそう」という県委員会総会決定は何ら非公開・秘密ではありませんでしたし、私も周りの党員も、みんなフツーにハンドマイクや宣伝カーで大音響でしゃべっています。「松竹問題をきっかけにした共産党についての誤解を解こう」というのも同じです。秘密でもなんでもありません。*4

 

(3)「党内の内部問題を勝手に外に出して」いません(討論編)

 「県委員会総会の他人の発言や討論を勝手に外に出しているのではないか?」という方が1人だけいましたが*5事実の問題として、私はそのような他人の発言や討論はどこにも書いていません。他人の討論の内容を書いたとも記していません。

 その方が「この部分は他人の討論を紹介した部分ではないのか」と私に尋ねてきた部分を拝見しましたが、そこは全部赤旗」の記事をコピペした部分でした。「それ、コピペですよ」と申し上げたら、その方には納得していただけました。

 「他の人の討論内容を外に持ち出している」という人がおられたら、総会の議事録に照らして、誰のどういう発言を私が持ち出しているか、具体的に示していただければと思っています

 しかし、それはできないと思います。なぜならそのようなことは書いていないからです。私が書いてないものを、「これがそうだ」と指摘することはまず不可能です。

***

 いかがだったでしょうか。

 「他にもここが問題では…」って言いたい人がいらっしゃるかもしれませんが、私が今、理不尽にいじめられているのは上記の3点だけです。他は争点になっていません*6

 私はどこまでもきちんと規約を守る党員なのです。*7(本文終わり)

------ 再掲ここまで -----------

 私・神谷貴行は2024年2月25日をもって福岡県委員会の県役員ではなくなりました。任期*8が終わったためです。処分されたとか規律違反をしたとかそういうことではありません。事実の問題として、私は共産党に入ってから現在まで、規約上処分されたり、正式に規律違反を認定されたりしたことは、これまで一度もありません*9。引き続き私は党員であり、正式に福岡県委員会の勤務員および共産党福岡市議団事務局の事務局員として働いております。

ヒラメ

 ところで、世の中には、日本の公安とか、外国の情報機関とか、そういう様々な組織体が日本の進歩的な運動やメンバーを調査し、監視していると仄聞しております。

 私も引き続きそのような組織体に調査され、監視されているようです。*10

 日本共産党について公安調査庁がめちゃくちゃ長い時間をかけて「調査」していますが、何も問題になるような証拠は出てきませんでした。不当な「調査」をやめるべきです。

 私も同じです。

 私を「調査」しているであろう組織体にいいたいのですが、私をこれだけ長く「調査」しても何も出てこなかったのですから、いい加減そういう不当な「調査」をやめるべきです。

これもヒラメ

 これから先、何年、何十年、何百年も貴重なリソースを割いて「調査」を続けるつもりでしょうか。未来永劫、私が根を上げるまで。今もっと他にやることがあるのではないですか。

 一体あなた方は誰と闘っているのですか?

そしてヒラメ

 

*1:第28回党大会第6回中央委員会総会結語 https://www.jcp.or.jp/web_jcp/2022/08/post-129.html 「中央委員会総会の決定というのは、社会科学の文献でもある」。

*2:もし規約を変えたいときは党内で努力して変えるべきだと現時点では考えています。

*3:「一般の会社でも取締役会で決めたこととか非公開に決まってるだろ」とかいう人がいるかもしれませんけど、一般の会社は会社法や社内規程に議事録の扱いについての明文の定めがありますよね。

*4:もちろん、例えば、ある会社の中の党員数や、どの人が党に入ったかなどは、公開されてきませんでした。

*5:党外の人。

*6:ひょっとして「ヒミツにしていたけどそういう規定が実はあるんだ」とか、「書いてない部分は全部中央が裁可するんだ」とかいう「主張」をする人がいるかもしれませんが、そんな「中央=全能の神」であるかのごとくの主張は論外として(五〇年問題は中央委員会多数派による暴走だったことを想起しましょう)、全く知らされていないルールや、後から作ったルールで、人を裁くことはできません。ちなみに付則である規約56条は「規約に決められていない問題」についてであり、万が一それを根拠に処分したらまさに「後から作るルール」であり、それを事前に行った行為の処分根拠にすることはできません。

*7:党規約についての一般論として言いますと、規約違反が正式に決定されるまでは、いかなる「容疑者」=「調査審議中」の党員であっても、その党員はニュートラルな存在です。「調査審議」のために必要な範囲で党員としての権利は制限され、例えば一定の会議に出席できなくなったり、党内の選挙に出たりすることができなくなったりします。しかし、それ以外は、自由に権利行使できますし、フツーに党員・市民として生活・活動できます。他方で、容疑をかけた組織の側は、正式に「規約違反」だとの決定が下るまでは、その党員の扱いを「慎重」にすることが規約で求められています。「調査審議中の容疑者だから」とか、「権利制限をかけている党員だから」とかいう理由で、「必要な範囲」を超えて党員としての活動を規制してはいけません。ましてや市民的な自由に属する活動を規制することは許されません(例えば、市民なら誰でも参加できるような集会への参加を規制したり、特定の市民と接触を禁じたりすることなど)。

*8:自分が選出されてから次の新しい役員が選出されるまでの期間という意味。

*9:一般論ですが、党規約48条に「規律違反について、調査審議中の党員は…」とあるように、「調査審議」は処分ではなく「規律違反」について行われる、つまり規律違反をしたかどうかを含めて調べ、その上で50〜52条の手続きで認定し処分をする、または処分しないものであることに留意してください。また、同51条で県役員の処分の仕方について定めていますが、私はこうした手続きで処分をされたことは事実の問題としてもちろん一度もありません。

*10:これだけ聞くとまるで陰謀論にハマった人みたいですね…。

福岡市の段ボールベッド備蓄はゼロ

 能登半島地震で段ボールベッドが注目を浴びている。

被災地では時間を追うことに、過去の災害から積み上げてきた取り組みの成果も出始めている。/一つがエコノミークラス症候群やほこりの吸い込みを防ぐ効果が期待される段ボールベッドの活用だ。16年に国がまとめた「避難所運営ガイドライン」にも盛り込まれ、各自治体が備蓄を進めてきた。(日経2024年1月19日付)

根本〔昌宏北海道看護大学・寒冷地防災学〕教授は、18年の北海道胆振東部地震の時などの経験を踏まえ「板張りの床にブルーシートや毛布を敷いての雑魚寝は避けるべきだ」と指摘。短時間に大量生産できる段ボールベッドを活用すれば、低体温症やエコノミークラス症候群感染症の予防にも役立てられるとして「自治体は備蓄も併せ、避難所開設と同時に設営できることが望ましい」と話している。(西日本2024年1月17日付)

 では、福岡市では段ボールベッドの備蓄はあるだろうか?

 2023年度の市のデータを見てみよう。

福岡市(市民局)作成の資料

 ない。

 段ボールベッドの備蓄は全くないのである。

 

 実は2020年9月9日に市議会で共産党(松尾りつ子市議=当時)がこの問題を追及している。

www.jcp-fukuoka.jp

◯38番(松尾りつ子) 次に、段ボールベッドについてです。
 段ボールベッドは一定のスペースを確保できるため、体を動かしやすく、床から30センチほどの高さがあり、過去の災害で多く見られた雑魚寝による窮屈な姿勢を続けることで起きるエコノミークラス症候群や寝たきりの予防につながります。また、コロナ禍の下で床付近に多いほこりやウイルスを避けることで、感染症対策にとっても重要だと指摘されています。
 そこで、お尋ねしますが、避難者の健康維持や新型コロナの感染症対策をする上で避難所に段ボールベッドは欠かせないものだと思いますが、御所見をお伺いします。

◯市民局長(下川祥二) 段ボールベッドにかかわらず、避難所でのベッドの活用につきましては、一定の高さがあるため、避難所の床に直接横たわるよりも体への負担やほこりを吸い込むリスクが少なく、新型コロナウイルスの感染対策にも有効と言われております。以上でございます。

◯38番(松尾りつ子) では、段ボールベッドをどのくらい備蓄しているのか、お尋ねします。

◯市民局長(下川祥二) 避難所のベッドにつきましては、キャンプ用の折り畳みベッドを備蓄しており、災害時に活用することといたしておりまして、段ボールベッドは保管スペースや保管方法等の課題もあり、現在備蓄しておりません。以上でございます。

 必要性や重要性を認識しているけども、備蓄はないという。

 それでいいのかい? と共産党議員が畳み掛けるのだが、市側はこう言い逃れようとする。

◯市民局長(下川祥二) 市からの物資提供等の支援要請に対しましては、災害時応援協定に基づき、折り畳みベッドや段ボールベッドなど必要な物資を可能な限り速やかに提供していただくこととしております。以上でございます。

 

 要するに、災害になればホームセンターなんかと協定を結んでいるから大丈夫だ、というわけである。

 ふうん。

 じゃあ段ボールベッドがいくつぐらいホームセンターとやらにはあんの? 足りそうなの? と共産党議員が聞く。

◯38番(松尾りつ子) では、協定を結んでいるホームセンターには段ボールベッドの備蓄が実際どのくらいあるのか、答弁を求めます。

◯市民局長(下川祥二) 災害時応援協定につきましては、市からの支援要請に対しまして、可能な範囲で協力いただくこととなっておりますので、調達可能な数量は定めておりません。以上でございます。

 いくつもらえるか決めていない。

 「可能な範囲」つまり「できるだけ」もらう。

 ホームセンターに1つしかなければ1つしか来ないのある。

 したがって、いくつあるかも把握していない。

 そんなの「ない」のと一緒じゃん。

◯38番(松尾りつ子) あれこれ言われますが、これも把握しておられません。それでは、いざというときに避難者に届きません。

 応援の協定を結んでいる他の自治体や国経由で届くと思います、とさらに言い訳する市に対して、共産党議員はこういう実例を挙げて批判する。

◯38番(松尾りつ子) 本市と同じように備蓄を持っていなかった熊本県では、令和2年7月豪雨の際、政府のプッシュ型支援分を含め、県内10市町村向けに約2,100人分の段ボールベッドの確保ができたのは発災から10日以上たってからでした。また、昨年の九州北部豪雨では、佐賀県は福岡市にある南日本段ボール工業組合と協定を結んでいましたが、冠水の影響で交通規制がしかれ、福岡からの輸送が困難と判断し、被災地の近くで製造、輸送ができる業者を探すことになり、段ボールベッドが搬送されたのは発災から4日後でした。国からの支援、民間との防災協定だけでは、いざというときに間に合いません。

 市側はほとんどコテンパである。

◯38番(松尾りつ子) お尋ねしますが、国や協定任せをやめて、市として段ボールベッドについても、十分な備蓄をしておくことが必要だと思いますが、御所見をお伺いします。

 しかし、市は同じ答弁を繰り返すばかりだ。

◯市民局長(下川祥二) 避難所のベッドにつきましては、キャンプ用の折り畳みベッドを400基備蓄しており、段ボールベッド等につきましては、企業との災害時応援協定による提供のほか、国からのプッシュ型支援の一つとして提供されることとなっており、必要に応じて設置することといたしております。以上でございます。

 折り畳みベッドが400あるというが、総人口15万人程度の能登半島の被災自治体で避難住民は最大でも3万人を超え、発災から20日たった今でも1.6万人が避難している。人口の1割だ。

 その10倍以上の人口を擁する160万都市の福岡市では防災計画上の想定避難者数が2.5万人しかない。自宅で支援を必要とする待機者を合わせても3万人だ。「400」という数字は、仮にそれを利用するのが特定の高齢者だけだとしてもいかにも少ない数字ではなかろうか。

 

 そして、能登半島地震でもやはり防災協定があったにもかかわらず、段ボールベッドが届かないというトラブルが起きた。

www.yomiuri.co.jp

県は、災害時に「段ボールベッド」を提供してもらう協定を名古屋市の業界団体と結んでいた。だが、輪島市珠洲市など被害の大きい6市町の指定避難所248か所には、発生から1週間がたっても、この団体からは供給されなかった。団体は「県の依頼で発送する取り決めだが、連絡がなかった」。県は「段ボールベッドの手配は国に依頼した」。協定通りに進まず、最近になって国から団体に要請があり、現地に届き始めた。

 福岡市の髙島市政は、民間企業や他自治体との防災協定をたくさんすることで、重層的なフォローアップをするのではなく、公的な備蓄をしない口実にしている。

 改めるべきだろう。

共産党規約は自己批判の義務づけ(強要)を禁止している

 日本共産党の活動用語として「自己批判」というのがあります。

 党外の人にこの言葉を使ったことがありますが、「あの、ジコヒハンって何ですか?」と聞かれました。

 一応、一般の辞書の見出し語としてあります。「自分で自分を分析して批判すること」(『精選版 日本国語大辞典』)「自分の言動の誤りを、自分で批判すること」(デジタル大辞泉)。なんとなくわかりますかね。

 簡単に言えば「反省」のことです。

 自分のあそこが間違ってたなー、とか、ああいう言動はよくなかった、とか、「自己の過去の言動についての可否、善悪などを考えること。自分の行為をかえりみること」(『精選版 日本国語大辞典』)です。

 さて、日本共産党の規約では、この自己批判はどう規定されているかと言いますと……実は今の規約には「自己批判」という言葉では規定がありません。

 ただ、規約第5条(五)では

党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。

と定められています。

 朱で強調した部分がポイントですが、日本共産党規約では「保留の権利」が認められています。

 「自分の意見を保留する」とは、どういうことでしょう。

 自分の元の意見があり、否決されたり、多数意見にならなかったり、上級の決定とくいちがうことがあります。

 その場合、元の自分の意見を捨てずに持っておいてもよい、ということです。しかし、決定は実行してくださいね、というのが規約の建てつけです。

 例えば、「福岡市で行われる世界水泳大会の開催に賛成すべきだ」という意見をAさんは持っているとします。共産党市議団の政策をそのように変えるべきだと意見を会議で言ったとします。しかし、多数にはなりませんでした。

 Aさんは「世界水泳大会反対」というみんなの意見を聞いて、「なるほど、ああいう電通丸投げの巨大イベントを今やるのはおかしいな」と元の自分の意見を捨てて賛成することももちろんあるでしょう。

 しかし、Aさんが頑として「いや、やっぱり賛成すべきだ」という意見を持ち続けることは一向に構わないのです。多数で「反対」に決まったからと言って、Aさん個人の意見や内心を変える必要はないのです。これが規約が定める「自分の意見を保留することができる」という意味です。(ただし、Aさんが個人的に内心でどう思っていようと、決定は実行しないといけません。Aさんは議会では「反対」の立場で行動しますし、党の宣伝行動などで「世界水泳賛成!」と演説したり、そういうビラを撒いてはいけません。)

 「自分の意見を保留する」ことは権利として定めているので、多数派や上級機関などがこの権利を侵害することは許されません。規約違反となります。「世界水泳に賛成したことは私の間違いでございました、と言え!」とか「なぜ世界水泳に反対と思えなかったのかという自分の誤りを見つめる反省文を書いてこい」とか、そういうことをしてはいけないのです。

 このように、意見の保留の権利を認めることで、採用されなかった意見、自分の元の意見を強制的に「反省」させる・放棄させる行為を禁じているのがわかると思います。

 これは内心の自由に立ち入らないということでもあります。

 元の意見をどうして自分は持ってしまったのか、そんな意見や考えを持ってしまった自分は間違っており、それを批判する……そんなことを義務づけたり強要したりしてはいけないのです。もちろん「保留することができる」という規定ですから、保留しなくてもいいんです。しかし、元の意見を持ち続けたいと思ったとき、元の意見を放棄させて元の意見を持っていた自分を批判しろと強要することはできません。

 つまり、日本共産党規約は、自己批判の義務づけ(強要)を禁止しているのです。

 自己批判を義務づける、とはどういう行為でしょうか。

 例えば、「自己批判せよ」と命令したり指示したりすることはそれに含まれるでしょう。

 あるいは、「自己批判をすること」などと決定にしてしまい、それによって迫ることもその一つです。

 「決定の実行」は党員の義務ですから、まさに「義務づけ」になってしまいます。自己批判しないと処分する、あるいは処分や除籍につながるよ、と脅すことも「義務づけ」にあたるでしょう。というか、まさにそれは強要ですよね。特に、専従者など除名・除籍や役員罷免などの処分が自分の生活と直結している人はなおさらでしょう。

 もう一度言います。

 日本共産党規約は、自己批判の義務づけ(強要)を禁止しています

 つまり、共産党の規約は外面に現れる行為を統一することだけが求められていて、内面・内心に立ち入ってそれを改造し、無理やり同化させてしまうようなやり方は禁止されているのです。

 もっと平たく言えば、「本人の意に反して反省文などを書かせてはいけない」ということです。

 

 この記事で言いたいことは基本的にこれだけです。あとは補足です。

 

自己批判をするのは当たり前じゃないか」という人へ

 古い世代の人の中には「自己批判するのは当たり前ではないか」「自己批判を決定することの何が悪いのだ」と思っている人がいるかもしれません。

 これまで処分になるような規約違反を問われたケースのほとんどは、本人も認めている「悪さ」をしたことがほとんどでした。例えば、補助金の詐欺をしたとか、女子高生のスカートの中を盗撮したとかです。だから、自己批判を求めたら自己批判をする例がほとんどだったのです。

 しかし、規約違反かどうかがあいまいな場合はどうでしょう。

 少なくとも規約違反に問われている人と組織側との間で、その行為が規約違反かどうか、大きな意見の違い・争いがあった場合などです。違反の容疑をかけられている側は露ほどにも自分が悪いとは思っていないというようなケースです。

 共産党が分裂した「五〇年問題」のとき、宮本顕治などが味わった悲哀はこういうことでしょう。宮本の行為は「分派行為」と中央多数派から批判されましたが、宮本は敢然と反論しました。

 もし正当な手続きでその人の「規約違反」が認定されたとしましょう。

 そのときでも、その人は、自己批判しなければならないでしょうか。

 もちろん、してもかまいません。会議でのみんなの議論を聞いて自分の考えを変えることはありうるからです。

 しかし、議論を聞いてもまったく納得できない。でも自分の規約違反の認定はされて、処分が決められてしまった——そういう場合、自己批判はする義務はありません

 なぜなら「規約違反・処分」という決定に対して、少数だった自分の意見は保留する権利があるからです。ただし、違反の認定と処分は実行されます。そして、自分では納得していない、決定された多数派の規約解釈には、納得していなくても、従う義務は課せられます。あくまで「納得した」と表明する義務がないという意味です。

カツオは自己批判したことがあるのか…

 もう一つは、古い世代の人は、単なる自己批判じゃなくて、自己批判を強要する(義務づける)ことさえ当たり前だという文化で育っているのですが、これは新しい規約で明確に許されなくなりました。

 これは十分に注意が必要です。うっかり前の文化でやると、自己批判を強要してしまい、それ自体が規約違反になってしまいます。また、内心の自由に踏み込んで圧迫を加えることになりますから、ハラスメントにもつながります。

 確かに昔は自己批判を強制するような党活動が当たり前のようにありました。

 かつては自己批判を義務づける条項が規約にあったんですね。

 2000年に改定される前の党規約の前文には次のような一文がありました。

…党と人民の歴史的事業をなしとげるためには、党はその活動の成果を正しく評価するとともに、欠陥と誤りを軽視せず、批判と自己批判によってそれを克服し、党と人民の教訓としなくてはならない。(旧規約)

 また、第2条では次のように定められていました。

党員の義務は、つぎのとおりである。…

(五)批判と自己批判によって、自己のくわわった党活動の成果とともに欠陥と誤りをあきらかにし、成果をのばし欠陥をなくし、誤りをあらため、党活動の改善と向上につとめる。(旧規約)

 しかし、開かれた党となるために2000年に新しい規約となり、自己批判を義務づけていたこれらの条文(前文・第2条)は全て削除されました。

 他方で、意見を保留する権利は新規約に明確に定められています。

 さらにジェンダーや人権についてこれまでのようなやり方は許されなりました。

 旧規約での自己批判義務の削除、新規約での保留の権利の保障——自己批判の義務付け・強要を禁止した規約改定の意図は明確ですね。

 ジャニーズ事務所の性加害は実に半世紀以上にわたって行われ、つい最近まで「よくある通過儀礼」だとされてきました。それは今や絶対に許されない行為であったことが満天下に明らかとなりました。昔の通りの感覚で、自己改革せずに党活動を惰性でやってしまうと、恐るべき過ちを犯すことになります。

 

自己批判は教育的な働きかけの中で自発的に行われるもの

 では自己批判そのものが禁止されたのかといえば、そんなことはありません。

 市田忠義副委員長が『日本共産党の規約と党建設教室』(新日本出版社、2022年)の中で、

批判と自己批判に強い幹部集団にならなければなりません。(p.303)

と述べているように、自分のやったことを分析し、必要なら反省して、見直す、つまり自分を批判することは、とても大事な精神の営みです。

 しかしそれだけに、自己批判を外から強要してはならないのです。

 消極的な意味では、本人の内心の自由を破壊し、保留の権利を認めた党規約に違反するからです。

 積極的な意味では、本人の自覚が自発的に育つようにしむけなければ、つまり丁寧に教育的に行わねば、本当の「自己批判」ではないし、そうしないと真の思想になりません。

 これは社会の当たり前のルールでもあります。

 浅野秀之さんという弁護士の方は、一般の会社について

始末書(いわゆる反省文)の提出を、懲戒処分による脅しをもって強要するのは、適切な労務管理とはいえません

たとえ会社と労働者の関係といえど、意思や気持ちといった内心まで強要されはしません

と述べています。

 これが今の世間標準のルールです。

 このような新しい状況を理解せずに、自分の昔の感覚で「自己批判」を考えたら、およそ新しい世代の党員を迎え、定着させることはできません。

 第28回党大会8中総ではジェンダーやハラスメントの問題を党活動のなかでも「重視する」とされ、「人権意識のゆがみや立ち遅れ」が党内に残されていることを指摘し、それらと「向き合って、つねに自己改革する努力」を呼びかけています。

この間、残念ながら、これに逆行する言動が党員を深く傷つけ、その成長を妨げ、党組織の民主的運営と団結を損なう事態が、一部に生まれています。

 自己批判を「決定」などによって強要する行為があれば、それ自体が党規約違反であるとともに、まさに8中総が警告したハラスメンを組織が行なってしまうことになります